玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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中二病でも恋がしたい!の第2話における傷を舐め合う若者のデートDV

このアニメは、高校生になっても中学2年生レベルの空想に取りつかれた少女と、それを脱却したと思い込んでいる少年と、その他の美少女との愛と青春のハーレムバイオレンスコメディである。
バイオレンスというのは、特に人が死んだりするとか犯罪が描かれているというわけではない。むしろ、事件事故の起こらない普通の滋賀県の高校1年生の1学期が描かれている。ただし、ヒロインの小鳥遊六花は電波女と青春男のエリオのように、独自の空想世界で世界を見ている邪王真眼の持ち主(と、本人は思いこんでいるが、単なる小柄な少女)である。
そんないたいけな内田真礼演じる美少女に対して、Episode II 旋律の…聖調理人(プリーステス)においてもEpisode I 邂逅の…邪王真眼から引き続いて富樫勇太(福山潤=ルルーシュ=邪気眼)は頭をぐりぐりしたり、暴言を吐いたり、意図的に無視したり、酷いのである。相手が小柄な少女だからと言ってこのように暴力を振るうアニメは倫理的にいかがなものかと思う。
しかも、それをアニメファンも「六花ちゃんは守りたいと同時に腹にパンチしたい。興奮する」などと、気持ちの悪いオタクのような書き込みをインターネッツにしている。全く、憂慮すべきモラルハザードである。


だが、それもいたしかたない事なのかもしれない。なぜなら、富樫少年が傷つけているのは六花ちゃんではなく自分自身だからである。わかりやすく言うと、富樫少年は中二病であった過去の自分を消し去りたいと思っているのであり、その過去の自分に似た六花ちゃんは否定したい存在なのである。つまり、富樫少年が六花ちゃんにふるう暴力は他人への暴力ではなく、自傷行為でもある。
富樫少年は高校ではきちんとした青年になろうという目標を持っているのだが、学校であっても他人の前であっても、六花ちゃんが過去の自分のような中二病、ヒーローごっこを始めると行きすぎた注意、という形で暴力をふるったり無視したり酷い扱いをする。まあ、可愛いヒロインが虐げられるのは意外性があるし、興奮する気持ちは分からなくもないしギャグとしても笑える。イジメとして受け取らなければ、笑えるのである。


では、私はひねくれているので笑えない方向で考えてみよう。
六花ちゃんは富樫少年の消したい過去に似ているので、自傷行為的に暴力をふるわれる。人格が確立されていない富樫少年はおそらく自覚していないのだろうが、「他人には暴力は振るわないが、自分や自分に似た存在は傷つけても良い」という自暴自棄な所がある。六花ちゃんは自分に似ているので他者への暴力ではないのだ。
また、富樫少年がそれほどまでに自分の中二病というたった2年前の個性を消去して、社会の一般的な人間になりたがるのは、個人的な死への衝動であり、こちらの方が中二病よりこじれている。高二病ともちょっと違うよな。個性を消したがってる。ゆとり世代までは個性尊重の教育が行われたが、むしろ個性よりも普通の幸せが欲しいという世代なんだろうか?だが、中二病という共通項があるので、富樫は六花に馴れ馴れしくするきっかけを得ている。


六花ちゃんがなぜそれに抵抗しないのかというと、富樫少年が暴力を振るう理由と同じで、六花ちゃんが富樫少年と同じ中二病患者であり、趣味を理解してくれる仲間だと思っているから、富樫少年との関係を断ちたくないのである。実際の女性はもっと狡猾であり、人間関係をもっとズバズバと切って行くだろうし、高校入学で会ったばかりの男子生徒はいくら家が近くてもそんなに親しくしないのが自然であろうが、これはラブバイオレンスコメディなので、美少女は男性主人公とお近づきになるのである。
そして、このアニメ2話において、この二人は六花ちゃんの姉の十花に料理のお玉で殴られて同じタンコブを負ってしまう。私の中のコメディアニメの倫理コードにおいて、主人公とヒロインが怒りんぼキャラにどつかれてタンコブを負うくらいは立件するほどの悪事ではないと思うが、ここで「おそろいの傷だね」っていう風に、傷が互いの関係を深める道具として物語構成面で機能しているのは、中二病というか若者向け恋愛小説っぽい。


また、小鳥遊六花が小鳥遊ではなく六花と、富樫少年に呼ばせたがっているのは、やはり結婚願望であろう。違う名字ではないのだ。


そこら辺が、自己と他者を同一視しようという寂しい感性の少年少女の切なさを感じる。自他の区別がついていない、つまりATフィールド(自我境界線)が共鳴し合って浸食し合って、その結果として暴力が発生する。これは自分と他人の境界があいまいな中二病、思春期特有の不安定さかもしれない。同時に、同じ趣味だから同じ立場であるはずだ、という押しつけかもしれない。(オタクやナチスや共産党は一つになるべきだ!みたいな)
今回出てきた猫に六花が自分の好きな羽をつけて自分色に染めるというのも、自我の弱い動物に対して、六花が自我を押しつけるという動物虐待として見ることができる。

新世紀エヴァンゲリオン (11) (角川コミックス・エース (KCA12-11))

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これはドタバタコメディとして考えるといいんだが、作品のロケ現場となっている大都市の郊外ベッドタウン、大津市のいじめ事件として考えると、自己否定的ないじめっ子が、自分を否定する延長で自分に似ているが自分より弱い存在にエゴを押しつける構図である。また、恋人同士、家族同士の暴力は世間の中で許容されやすい、という日本の地域社会の倫理面での暗い側面だと見ることができる。デートDVが暴力として認められてきたのはここ10年程度の新しい流れである。
ここら辺の田舎の国道のヤンキーの簡単に暴力を振るう男性と、男性に依存する女性というライフスタイルについて、是非id:p_shirokuma先生に語っていただきたいのだが、シロクマ先生はコクドウ文化圏の田舎に住んでいるのでリアルタイムでは見れないらしい。残念。
2012-10-11 - 夕焼け頃の帰り道で-三次元空間-


そう考えると、中二病でも恋がしたい!というタイトルは「他人を愛せず、自分に似た存在を傷つけることでしか愛情を表現できない人間でも恋をしたい」という甚だ矛盾に満ちた渇望として見ることができる。


さて、これからヒロインの美少女キャラも増えるわけだが、富樫は自分以外の女性と暴力以外で関係できるのだろうか?今のところ、富樫は美少女を個人ではなく女として扱っていて、「リア充生活をするための小道具」程度にしか考えていない様子で、非常に精神的に未熟な人間であることがうかがえる。クズじゃん。また、六花が富樫以外の人間、自分と似ていない他のクラスメイトや美少女と関係を持つ事で正確に変化があるか、それとも自分に似ている中二病患者の内輪だけで閉じた関係になってしまうのか。気になります!


最終回には「中二病だからこそ恋ができた」というBバージンのようなラストになると青春って感じになるが、そこまで切なさを前面に押し出すか、それとも中二病のこっけいさを売りにしたコメディ路線で行くか、気になりますね。
「中二病は間違った妄想だから、それを消してしまえ!中二病を治そうとしてやっている俺の親切だから、女は暴力くらい受け入れろ」という自己正当化の押しつけになってしまったら醜いと思うが・・・。

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ここからは余談。
私は幼稚園の時に宮崎勉事件の被害者世代でオタクバッシングを受けながらも小学生ではオタクになる事を選び、小6でVガンダム、中1でナウシカ原作完結やあかほりアニメシリーズ、厨2で新機動戦記ガンダムWと新世紀エヴァンゲリオン、その後キレる17歳になってしまった1999年に受験生とノストラダムスをこじらせて2000年問題より自分の夢を選んで夢の中で崩壊したという中二病キセキの世代なのだが。
今期はソード・アート・オンライン、K、絶園のテンペスト、コード・ブレイカー、BTOOM!、サイコパス、新世界よりなどの「社会は間違っている!」「大人は嘘をついている!」「世界の間接は外れてしまった!」「戦わなくては生き残れない!」「オサレ殺人!」「俺TUEEEEE!」「抜刀!」「悪には悪を!」っていう中二アニメが跋扈しているし、武装神姫などのロボット美少女オタクオモチャアニメもあるし、中二妄想の春が来た!ヱヴァンゲリヲン:Qもあるし。コードギアスも映画が続いてるし。
いやー、今中二病でイマジネーションを成長させている若いオタクの人たちが、16年後、俺と同じ30歳を迎える頃には、どんな夢と希望に満ち溢れた世の中が作られているか!2028年、21世紀も1/4を消化した頃が楽しみだ!


まあ、僕は全然強い事もない、虚弱体質の精神障害者に過ぎないんだが。
だが、僕は中二病の修業を積むことで、六本木ヒルズのITオサレブラックベンチャー企業で過労死しても脳内妹が三途の川に僕を迎えに来てくれて生き返らせるという事実上の不死の能力を得た!だから僕は脳内妹の愛については、負ける気がしないぜ!まさしく愛だ!


そう、妄想に対して純愛を信じ抜く狂信者の態度こそが、中二病だ!三十路になっても貫け!中二病!
だが、現実の人間はクソ!政治はよくはならないし、景気は悪化するし、もう一段破綻が起これば、今の若い子たちは貧乏な僕よりも貧乏になる。iPadなんか上っ面の娯楽で、本当に必要なものじゃない。カウンセラーは「認知の歪みを矯正したら病気は治る」と言うが、この世界について認知して知れば知るほど人間はクズであり、万民は万民に対する狼であり、僕は弱っちいので殺されるという恐怖にさいなまれて社交恐怖障害と回避性人格障害、境界例人格障害をこじらせる。そして僕は遠からず死ぬだろう。だから死ぬ前に好きなアニメを見て書きたい小説を遺書としてしたためて人生を早めに逃げ切るぜ!
(こういう人生を舐めて空想に逃げる態度も中二病であり、本当に中二病は中学の頃に治さないとだめだよ。
僕は1999年に京都大学に入学してエヴァンゲリオンを作ることが目標だったけど、受験に失敗して、代わりに脳内妹小説を描く事にして、夢野久作をアクションSFにしたようなウェブ小説を書いていて、もう、本当に逃れられない。人生のレールにはもう戻れないんだ。でもいいんだ。脳内妹と一緒に頭蓋骨の牢獄の中を生きてやる!(中二的キメ台詞))


命をかけて中二です。