玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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精神障害3級が虐殺器官を読んで、わかったことと、わからない事

ある程度濃いインターネッターには生前から有名な伊藤計劃さんの本を初めて読んでみた。僕は彼が死ぬちょっと前に名前を知ったけど、微妙に機会がなくてですね。でも、今回機会があったので読みました。まー、一回しか読んでないんで、割と雑な感想を書く。


たしかに、インターネッターの間で評判が良い小説らしく、非常に面白かった。流れで、ウィリアムズのスピンオフも購入してみた。
文章のテンポが良いね。長い割にさらっと読めた。あと、構成が分かりやすい。第一〜五部まで、描かれている場所と任務とテーマと主人公の変化がハッキリと示されていてわかりやすかった。エンタメしてるなー。
戦闘の描写が面白く、ダメージ表現を暗喩とイメージたっぷりの文体で描いていて面白かった。また、特殊部隊軍人の戦闘という日常を描いているんで、割と同じような「ブリーフィング」→「出撃」→「接近」→「戦闘」→「ピンチ」→「逆転」→「状況終了」→「帰還」の繰り返しなんだが、微妙に敵の性質や戦場の環境を少しずつ変えて行っていて、そこが良かったかな。エンタメしてる。映画化を意識しているような、ビジュアルに凝ったシーンもあったし。これは世界に売りだせるね。ディック的だ。(サイケデリックなSFは全部ディックだ)


色々と引用も多いけど、まあ、そこら辺は「物知りだなー」って事で流した。


あと、社会情勢とか割と正直で誠実な描写だったと思う。僕も割とあけすけでどうしようもない話が好きなので、人間のダメな部分をごまかしたりせずに書いてるお話は好きですし、結構最近はノン・フィクションも読みます。人身売買の話とか、人間に絶望したい時に読むといいよね。ただし、マスキング部分もあるとは感じた。(後述)


また、個人的に惹かれる部分があった。それは、脳の変質と言う所だ。
私も精神障害で、身体化障害で、解離性感覚障害なので、主人公たちのように痛みの感覚をマスキングする感覚はよくわかる。
(もちろん、私は暴走した精神障害なので、主人公たちのように科学の力でコントロールはされておらず、突発的に足の感覚を失ったり、逆に傷もないのに全身のどこかにランダムに激痛を感じる事も多い。ここら辺は病気になった時の伊藤計劃の感覚に近い。もちろん、伊藤計劃はガンと言う実際の病気であり、僕は脳のミクロ構造の不具合による感覚の歪曲である。)
そして、私も10年以上、脳や神経や精神に対するSSRI投与を続けていて、それを辞めると全身に「傷もないのに痛いという感覚」が発生する。そういう風に自分の脳の物質性、自分の身体の他者性、自分の思考すら化学物質の変化(脳だけでなく、血管や粘膜における濃度変化)に左右される曖昧で価値のない塵芥だと毎日、常に実感している。そういうわけで、この小説で描かれる近未来の攻殻機動隊みたいなサイバネティックの人体改造、生体改造技術や、精神への洗脳の容易さは自分に近い題材として楽しく読む事ができた。


で、虐殺器官とか虐殺文法などの仕組みについては、インターネットからの評判で知っていた。それはまあ、読んでだいたい分かった。面白いアイディアだと思うし、私も使ってみたいと思った。インターネットでは割と簡単に伝播できるしね。
ただ、虐殺文法そのものがどういうものだったのかと言うのは、マスキングされていた。シェパードが看板を見て話し合うシーンなどの、あくまで間接的な描写にとどまっていた。それは虐殺言語が危険だから書かないでおこうという作家の良心なのかな。
まあ、言ってしまえば「自分は正しいけど相手は正しくない」「自分の家族や家族や民族や宗教や思想や科学は正しいけど、その他は正しくない」というネトウヨや軍人がいつも使ってる文法だろうね。デマゴーグや扇動家が昔から使っているアレだ。大義名分、言い訳が欲しんだな。みんな。
(そう考えると、既にワイドショーやyoutubeやtwitterでの互いへの憎悪と小集団への愛着行動を露わにした罵詈雑言が飛び交っている我々の世界は既に虐殺文法に満たされていて、どうしようもなく感じるね。愛のない世界さ。youtubeでアラブ人がアップしたイスラエル批判動画に英語で「fuckin ass」なんてコメントが並んでるのを見ると、本当に世界はクソだって実感出来るよね)


そして、主人公が求めたものも、結局は許しだったんだろうけど、それが上手く得られなかったため、ああいうエンディングに至った、と言う事なんだろう。


それに対しては、僕も小松左京賞をあげなかった小松左京と同じく似た感覚を持つ。

伊藤計劃氏の「虐殺器官」は文章力や「虐殺の言語」のアイデアは良かった。ただ肝心の「虐殺の言語」とは何なのかについてもっと触れて欲しかったし、虐殺行為を引き起こしている男の動機や主人公のラストの行動などにおいて説得力、テーマ性に書けていた。
(後書きの大森望氏による抜粋)

ただ、虐殺言語がどういうものかと言うのは上記のとおり、読者が「あれか、これか」と想像する所も面白いと思うので、これくらいの描写でも構わないと思う。虐殺言語感染者の脳内に殺人を正当化させる変質を起こさせるために、ただ単に「あなたが正しい」と言うだけでは成功せず、音楽のようなリズムとそれなりの年月が必要と言う所もオカルティックというか密教的な雰囲気で面白い。
虐殺者や主人公の行動についても、小松左京は説得力に欠けている、と言ったが「許されたかった」と言う裏テーマは主人公や虐殺者の家庭環境の通奏低音から読み取れるので、そういう事だと了解しよう。


ただ、どうしてもよくわからない所はある。それは、なぜ「許されたいという事」と「愛する事」が同じなのか?
と言うことであり、もっと言えば、愛されているヒロインに魅力がないのである。


虐殺器官 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

虐殺器官 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

以下、ネタバレと愚痴


虐殺者のジョン・ポールと主人公のクラヴィス・シェパード大尉が同じルツィア・シュクロウプを愛し、ともに、ある部分では、彼女から許される事を願って行動するんだが、そこまで彼らが思いつめるほど、ルツィアが魅力的な女性だと感じなかった。ルツィアは頭が良い女性と言う感じがして、そこは人間として魅力的だと感じた。だが同時に"愛人"という「女としての魅力」「男を狂わせるほどのファム・ファタールっぽさ」が感じられなかったという気はする。
潔癖な女性という感覚はしたし、「純粋な理想主義者」という描写もあったので、「ファム・ファタール」としての悪女と言う面より、許しを与える聖母(というかマドンナ)として描かれているんだろうとは思った。だが、、、上手く言えないんだけど「この女性なら許してくれる」って思えるほどの説得力のある女だったかと言うと、疑問なんだなあ。
そこら辺は女の好み、っていう物凄くパーソナルで狭い価値判断基準になっちゃうんで、伊藤計劃にとってはこういう賢い女の賢さが魅力であり、「説得力」だと言う事なんだろ。伊藤計劃の脳の中ではな。


ただなー。俺が元ロリコンっていうのもあるだけど、ルツィアって割と年増なんだよな。主人公もジョン・ポールも30代〜40代だし。年増で頭のいい女性と言うのは人間としては確かに尊敬できる気がするんだけど、この物語のラストのように「お城に囚われたお姫様」役をするのはちょっと場違いな気が・・・。うーん。ハリウッド映画では確かに女優も年増でもヒロインとして成立してる作品は多いんだけどね。(ちなみに、私はマディソン郡の橋も風と共に去りぬもあまり好きではない)
というか、このメインヒロインの他に女性キャラがほとんど出てこない。あー、戦争屋やCIAやアメリカ軍の年増女は出てきたんだが。ヒロインではないよな。あとは、犯されて殺される年少少女兵士か。うーん。
僕はリョナ好きの猟奇趣味をインターネットの娯楽としてたしなむナードのロリコンなので、レイプされた揚句、銃や爆弾でバラバラにされて焼かれて、肉として加工されて行く有色人種のヤク中の少女の方が、白人のインテリ女より性的に魅力に感じるね。
まー、ここら辺の性的趣味は、ほんと、個人個人の趣味とか脳の状態に左右されるものだからね。


ただ、ここでもう一回問題提起してみると、この「虐殺器官」は個々人の趣味とか脳の状態を操って虐殺と言う集団行動に駆り立てるのがテーマの物語だから、「個人の問題」で片づける所を片づけるべきではない物語だと思うんだよ。これは。
虐殺したり内戦をしたりテロを起こす人たち、それとそれらを殺して行く先進諸国の人たち、どちらも「国や愛するものを守るため」と言う事で「自己正当化」して「許された」と言う事で殺害して行ってるんだけど。


まず、僕は元ロリコンで、オナニーにおいてはバイセクシュアルで、主に二次元やモニターごしの自慰行為に耽る童貞30代で、本命の彼女は脳内妹という重度のナルシストの近親相姦野郎という変態なんだよ。だから、虐殺する人たちやアメリカの正義の兵士たちの持つ「愛するものを守る」とかいう最初の段階の「愛する」っていう所が実感としてわからないのでございますウううううう!!!!!!!
「何でこのヒロインが愛されているんだろう」という前に「何でこの人は愛してるんだろう」と言う事がわからない。
それは男女の性愛にとどまらず、娘を守ろうとする兵士の家族愛がよくわかんないし、主人公が親に対する愛憎がよくわかんない。
別に他人に愛されたり認められたりしなくても良いんじゃない?って思うわけ。
いや、まあ、愛されたり認められる事が生存に有利だったり、脳の快楽物質の分泌に効率が良かったり、っていう部分は分かる。だけど、必死こいて殺害をしたり虐殺したりするほど大事なものか?って思う。愛されようとして無駄なあがきをするのはしんどいし。僕は癌患者ではないけど、低所得者なので子供を残す事は非常に諦めている。それは別に感傷的な事ではなく、普通に日常の中の判断として「俺は貧乏だから子供を残さないね」っていう静かな認識だ。だから、そこまで頑張って愛されようと思う人間たちの脳の構造がよくわからない。


そのため、僕は読み進みながら、虐殺文法と対になる「愛されたい」と思わせる「愛着文法」があるんじゃないか?
ルツィアはそれを使って男たちをたぶらかしてきたんじゃないか?と思ってしまった。
でも、そんなことはなかったぜ!


うーん。愛する事って、そんなに自然なことなのかなー。僕は個人主義者なのでよくわからないね。
僕は個人の人生を楽しみたいだけ。
ジョン・ポールやウィリアムズが「先進国の人を愛して、後進国を愛さない」という熱意を出すんだけど、それもよくわからない。自分の仲間を愛するという事がよくわからないし、自分の仲間と、その外の集団との差異化がよくわからない。そもそも、僕はいくつかの人格障害を患っているので、自分に価値があるという事がよくわからないのだ。
先進国の自分が死ぬ事も、アフリカの非衛生的な所に暮らしている字も読めない労働者が死ぬ事も、大した差はないんじゃないかなーって思う。だから為替レートや人件費の違いという形で毎日、人種差別を目にして、その差額によって維持される日本国という輸入に頼りきった国で生きていてる自分の命があって、シリアでは虐殺されて、南半球では疫病もほとんど駆逐されていないという現実が非常に不思議だと思う。
死んでしまえばいいと思う。


まあ、主人公は許しが得られなくて愛されなくなって、結局みんなダメにしようっていう発想になったんで、そこは僕の日常感覚ともマッチしてるので、それなりの共感は得られた。うん。先進国だけが栄えているのは地政学的にはおかしいよな。僕たち地球人は世界経済で繋がっているのに白人と日本人と産油国だけが豊かに暮らすっていうのはおかしい。あいつらがぶっ殺されているなら、我々もぶっ殺されなくては不自然だ。我々先進国は憎まれて当然だし、海賊にぶち殺されても仕方ない。ただ、俺たちの方が武器を持ってるからぶっ殺して威嚇して奪い取って生きてるだけだ。
僕たちは決して、愛されているからとか、正しいからとか、日本国やアメリカやヨーロッパという文化的に優れた国にの優れた民族だから豊かで清潔な生活を得ているんじゃなくて、たんに石油利権と原子力技術の限定条約によって後進国を差別して、その差額の利ザヤをピンはねして生きてるだけなんだよ。


それに、主人公は高級な装備を駆使する軍人だが、実際に今、アメリカがアジアで使っている兵士はアメリカ人に成れそうで成れていない移民の子供だったりするし、自衛隊に入る人も家計を支えるため、とか資格を取るため、に入隊する人が多い。と、すると、アメリカや先進国内部での兵隊もその国の中での被差別階級という事だ。この小説の中での戦士は、誘拐された子供兵士か、後進国の軍閥指揮官か、高級装備を持った主人公たち先進国の軍隊、という区分けがあるのだが、先進国の軍隊の中での階級の低い兵士の事情があるともっと良かったと思う。
この小説では、家庭内のトラウマから自分で望んで軍人になった主人公がメインで登場するが、もっと軍人って身も蓋もない事情でやらざるを得なくなったブラック企業の社員みたいなものじゃないのかな。まあ、主人公たちの舞台はエリートっぽいけどさ。
しかし、クズや弱者は先進国の内部にもいる。安心はできない。差別は身近な所にある。アメリカ人のちょっと裕福な人は移民を半分奴隷として扱っているという事例があるしね。

告発・現代の人身売買 奴隷にされる女性と子ども

告発・現代の人身売買 奴隷にされる女性と子ども


だから、主人公のラストに反逆を起こすスペクタクルはこの物語が出された2007年ではスぺクタクルなんだけど2012年の僕にとっては、別にラストの大事件ではないと思う。むしろ常に暴力と差別で生存戦略している残酷な世界がこの世界の普通なんで、別に取り立てて注目すべきとは思わない。
むしろ、先進国のインテリは虐殺文法を個人的テロではなく、国家的戦略として計画的に用いて、後進国や貧困層を処理して棄民していくのがスマートな政治なんじゃないかな?と、思う。


つまり、要は努力が自己責任であり、負け組は死ぬべくして死ね。
そして、生き残っている我々は生き残っているから勝っているのであり、勝っているから正しいのであり、殺す。
殺すんだよ。
まあ、殺される奴も生き残ってるから殺されるんだけど、それは殺し合って勝負をつけるしかないよなあ。
暴力だよ。暴力だけが現実であり、資源も貨幣も、全て暴力を両替したものに過ぎない。



↑
ここまで虐殺文法

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)


ただ、生存を最適化するために愛される事を願う事がわからない僕も、美しいもの、例えば雲や星や花や水面をそよぐ波などの図形や、音楽等の快感を愛する事はある。暴力に対抗する愛、そして美。これは生きたあかしとして大事だと思う。だから、僕もこうしてブログを書いたりしているのだけど。
だけど、やっぱりアレキサンドリアの図書館は焼かれたし、タリバンは石仏を崩したし、文化は暴力に破壊されるのだろうか・・・。だが、虐殺文法やアジテーション、ワーグナーもコカ・コーラも文化だよなあ・・・。うーん。
結局、愛と暴力も、どちらも戦うしかないのか。



そして、結局のところ、伊藤計劃ほどの天才でも、やっぱり僕が描きたいと思う暴力と愛の真理を全て描いたとは思えなかったんで、自分の創作活動を真面目にやりたいんだけどね。しかし、貴重な土日の土曜日を1冊の文庫本の解説で終わらせるという労力の振り方はよくない。日曜はザンボット3の感想だ。他人への感想はあまりしない方がいいかも・・・。
まあ、とりあえずこの感想は「ヒロインがかわいくない」「愛されるってなんか変だね」「ぶっ殺す」っていう3個のことしか言ってないんだけど。

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニーは持ってるんで、おジャ魔女どれみ16とか積んでるマリみてとか富野小説を読んだら読みましょうかね。

追記
↓
伊藤計劃『虐殺器官』の“大嘘”について
この殺したいから殺す。っていう解釈、なかなか僕の趣味に合う。