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伊集院光、ニッポン放送との確執の原因となった宮本幸一と再会「売れるニオイが全くしねぇと言われた」
2014.07.22 (Tue)
2014年7月21日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』(毎週月 25:00 - 27:00)にて、お笑い芸人・伊集院光が、ニッポン放送開局60周年記念番組『ラジオで聴いた忘れられぬミュージック』に出演し、そこで再会した"因縁"のある宮本幸一 専務取締役について語っていた。
のはなしし
伊集院光が、ニッポン放送で初めて生放送番組を担当する際、酔った宮本は伊集院の頭を掴み、ニオイを嗅いで「売れるニオイが全くしねぇ」と言い放ったという。その後、伊集院は意に反した企画などをさせられることもあり、長らく担当していたニッポン放送での番組を降板するに至った。なお、宮本は、『オールナイトニッポン』など深夜放送の黄金期を作り上げた立役者であったが、一方で、出演者と反目することも多く、とんねるずとの確執も噂される。
今回、生出演を終えたところで、やってきていた宮本と再会し、「伊集院くんさぁ、Wikipediaにさぁ、俺が伊集院の頭のニオイを嗅いでさぁ、『売れねぇニオイがする』っていうデマが書いてあんだけどさぁ、アレお前、どうにかしろよ」と言われたことを明かした。
このことに関し、伊集院は「本当のことだよ!上から下まで、100%本当のことだよ!デマじゃねぇよ。思い出したよ。アンタのそういうところが出たくなくなるところだよ!」と語り、再びニッポン放送での番組出演が自分の中で遠のいた様子であり、「しばらくTBSに俺、いる。しばらくここでお世話になるわ」と語っていた。
伊集院光:先週の番組内でも喋りましたけど、先週の火曜日に10年振りくらいにニッポン放送さんに行ったんですよ。開局60周年記念の番組を、上柳昌彦さんってアナウンサーさんがやるってことで。この上柳さんに僕は凄いお世話になってて、上柳昌彦さんに会いたいなっていうのもあったし、行くことになりまして。
そもそも、ニッポン放送とは上手くいってないって時期が凄い長くありまして。ニッポン放送を見返してやろうと思って拾ってもらったTBSに来て、そこから頑張ったり頑張らなかったりしてきたっていう経緯がありまして。
ニッポン放送を出たのって、20年弱くらいで。それまではずっとニッポン放送に見い出してもらったんで、ニッポン放送で仕事してたんですけど。それで、最初の7~8年目のときに、50周年記念っていうのがあって呼ばれて。それでその時、番組出してもらって話した後に、「やっぱり、こんな感じなんだよな」って(笑)それでしばらく10年くらい行ってなかったんだけど。
10年振りに行くに当たって、自分の中に別に何もなくなっているのに気づくわけですよ。上柳アナに会いたいっていうのは、もちろんあるんですけど、俺はいつまでこだわってるんだろう、みたいなのもあるんですよ。
「俺は、あの局に頼まれたって行くもんか」って思ってることが、20年近く続いてるんですよ。その行かないことをやめる理由は、ちゃんとしておかなきゃって思って。色々、思い出してみて、「なんでイヤだったんだろう?」っていうのを紙に書いて整理整頓しようとして、「それに何の意味があるんだ?」って(笑)わざわざ、その輪郭をきちんとすることで、何になるってことで(笑)10年振りってことだけで良いかってことで行って。
しかも建物がややこしいのが、有楽町にあったニッポン放送のときにケンカ別れして、その後に一回出た50周年記念のときには、今のフジテレビの中にあるから、お台場なんですよ。さらに、新築で元の有楽町に建ってはいるけど、全く違う建物だから、入って何かこみ上げてくるものとかないんですよ、別に。知らない建物だから(笑)グっとくることとかは別にないんです。
エレベーター上がって、生放送のスタジオが近づいてきても、そのスタジオは俺にとって歌広場の一部屋と変わらないですからね(笑)
わだかまりもなければ、懐かしさもないなって。そこに、昔、一緒に仕事をしてた人たちが結構いて。凄いオジさんになったなぁって人もいてね。あと、僕がニッポン放送のオーディション番組に出て19歳のときにミキサーをやってた二見さんっていう人がいて。その二見さんが、まさに職人って感じで、古株感が凄い出てて。結構、うるさい人だった気がするんだけどね。うるさいジジイのイメージなんだけど、まだいたんだよね。
その時19歳で今46歳だから、27年でしょ。普通、定年って60歳でしょ?そう考えると、あの時点で30歳ちょっとでしょ。全然そう見えず、ジジイだった人がいて。タイムスリップしたみたいに変わらないの。今思うと老け顔だったんだと思うけど、老け顔の人って、先取りしちゃってるから。あのまんまの人いるわぁって人もいて。
建物自体はなんとも思わなかったんだけど、その二見さんって頑固なミキサーさんに会ったことで、急に「あぁ、懐かしい…」って思って。
それで、上柳アナウンサーに迎えてもらって、懐かしい話をする中で、結構、いい感じで盛り上がって。…こんなこと上柳アナに言わせちゃいけないんだけど、「伊集院くんも、ニッポン放送に縁があったら出てよ」って話になって。
「出ても何も、呼んでくれたら出ます」って。「もう細かい恨みつらみみたいなものを整理整頓するのをやめましたし」みたいな話をして。ちょっと盛り上がって。
ラジオの生出演の終わりに合わせて、昔に会った人たちが来てくれて。「いくつになったの?」「偉くなったの?」みたいな話をしてて。「またやろうね」「どうせ、TBSでも上手くいかなくなるから、どの道」なんつって(笑)
そんな話をして、盛り上がって「今日はこの辺で」なんて、帰る寸前に、宮本(幸一)さんっていう、もう俺がニッポン放送と揉めた元凶の2人のうちの1人がいて。当時、局長ですよ。宮本さんって人と、もう1人が僕はダメで。
その宮本さんって人の一番覚えてるエピソードが、最初に生放送をやろうって時に、夜中に、酔っ払ってニッポン放送に来たんです。そのときは、局長になる前、編成部長くらいの時に、「はじめまして、伊集院光です…」って言いかけたところで頭をガシって掴まれて、頭のニオイをクンクンって嗅いで、「売れるニオイが全くしねぇ」って言って去って行ったのが、この宮本さんとのスタートなんです。
せっかく、整理整頓しなかったことを思い出し始めて。宮本さん、一番会いづらいじゃん。そのことは僕、公言してるから。会いづらいところにわざわざ来てくれたんだから、それは向こうも歳を重ねて大人だし。そういう意味では、今も偉い人(専務取締役)でしょ?
そんな偉い人がわざわざ来てくれたってことじゃんかって。ここは変なことを言わずに、タクシー来たって言われたし、帰ろうと思ったら、宮本さんが「伊集院くんさぁ、Wikipediaにさぁ、俺が伊集院の頭のニオイを嗅いでさぁ、『売れねぇニオイがする』っていうデマが書いてあんだけどさぁ、アレお前、どうにかしろよ」って言って(笑)
本当のことだよ!上から下まで、100%本当のことだよ!デマじゃねぇよ。思い出したよ。アンタのそういうところが出たくなくなるところだよ!…っていうのが、火曜の帰り際の会話(笑)スゲェな、この人って思って。
こっちも46歳だから、「スゲェな、この人」って。この人、伝説が多くて、「アイツだけは許せない」って、俺みたいなクラスじゃなくて、ニッポン放送出ないって言ってる人が何人かいるくらいなの。
でも、凄いのが、ちゃんと偉いままニッポン放送に残ってるってことと、普通、改めちゃわない?(笑)普通、そういうことあったら、20年経ったら、改まっちゃうじゃん。全然改まらないって凄いんだよね。
そこで凄い良い人になってたら、こっちも困るじゃん。一番ズルイのは、「あのこと、まだ怒ってるかもしれないけど、ああいう風にやる気出させるのも、上の者の仕事だったりするからね」って、もし言われたら「うわぁ、何年も子供っぽいことしてたな」って思っちゃうじゃん。
でも、あの感じ。あの感じ、スゲェなこの人って思って。凄い良い雰囲気になって、俺の中ではTBSラジオに帰って、「ニッポン放送どうだった?」って話をするわけじゃん。その時に、「いい感じに、また仕事やろうって話になったよ」って言うのも、コウモリっぽいじゃんか。
それもなんかなぁって思ってたけど…宮本さん、ありがとう!(笑)しばらくTBSに俺、いる(笑)しばらくここでお世話になるわぁ。アンタ、凄いよ(笑)
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伊集院光が、ニッポン放送で初めて生放送番組を担当する際、酔った宮本は伊集院の頭を掴み、ニオイを嗅いで「売れるニオイが全くしねぇ」と言い放ったという。その後、伊集院は意に反した企画などをさせられることもあり、長らく担当していたニッポン放送での番組を降板するに至った。なお、宮本は、『オールナイトニッポン』など深夜放送の黄金期を作り上げた立役者であったが、一方で、出演者と反目することも多く、とんねるずとの確執も噂される。
今回、生出演を終えたところで、やってきていた宮本と再会し、「伊集院くんさぁ、Wikipediaにさぁ、俺が伊集院の頭のニオイを嗅いでさぁ、『売れねぇニオイがする』っていうデマが書いてあんだけどさぁ、アレお前、どうにかしろよ」と言われたことを明かした。
このことに関し、伊集院は「本当のことだよ!上から下まで、100%本当のことだよ!デマじゃねぇよ。思い出したよ。アンタのそういうところが出たくなくなるところだよ!」と語り、再びニッポン放送での番組出演が自分の中で遠のいた様子であり、「しばらくTBSに俺、いる。しばらくここでお世話になるわ」と語っていた。
伊集院光:先週の番組内でも喋りましたけど、先週の火曜日に10年振りくらいにニッポン放送さんに行ったんですよ。開局60周年記念の番組を、上柳昌彦さんってアナウンサーさんがやるってことで。この上柳さんに僕は凄いお世話になってて、上柳昌彦さんに会いたいなっていうのもあったし、行くことになりまして。
そもそも、ニッポン放送とは上手くいってないって時期が凄い長くありまして。ニッポン放送を見返してやろうと思って拾ってもらったTBSに来て、そこから頑張ったり頑張らなかったりしてきたっていう経緯がありまして。
ニッポン放送を出たのって、20年弱くらいで。それまではずっとニッポン放送に見い出してもらったんで、ニッポン放送で仕事してたんですけど。それで、最初の7~8年目のときに、50周年記念っていうのがあって呼ばれて。それでその時、番組出してもらって話した後に、「やっぱり、こんな感じなんだよな」って(笑)それでしばらく10年くらい行ってなかったんだけど。
10年振りに行くに当たって、自分の中に別に何もなくなっているのに気づくわけですよ。上柳アナに会いたいっていうのは、もちろんあるんですけど、俺はいつまでこだわってるんだろう、みたいなのもあるんですよ。
「俺は、あの局に頼まれたって行くもんか」って思ってることが、20年近く続いてるんですよ。その行かないことをやめる理由は、ちゃんとしておかなきゃって思って。色々、思い出してみて、「なんでイヤだったんだろう?」っていうのを紙に書いて整理整頓しようとして、「それに何の意味があるんだ?」って(笑)わざわざ、その輪郭をきちんとすることで、何になるってことで(笑)10年振りってことだけで良いかってことで行って。
しかも建物がややこしいのが、有楽町にあったニッポン放送のときにケンカ別れして、その後に一回出た50周年記念のときには、今のフジテレビの中にあるから、お台場なんですよ。さらに、新築で元の有楽町に建ってはいるけど、全く違う建物だから、入って何かこみ上げてくるものとかないんですよ、別に。知らない建物だから(笑)グっとくることとかは別にないんです。
エレベーター上がって、生放送のスタジオが近づいてきても、そのスタジオは俺にとって歌広場の一部屋と変わらないですからね(笑)
わだかまりもなければ、懐かしさもないなって。そこに、昔、一緒に仕事をしてた人たちが結構いて。凄いオジさんになったなぁって人もいてね。あと、僕がニッポン放送のオーディション番組に出て19歳のときにミキサーをやってた二見さんっていう人がいて。その二見さんが、まさに職人って感じで、古株感が凄い出てて。結構、うるさい人だった気がするんだけどね。うるさいジジイのイメージなんだけど、まだいたんだよね。
その時19歳で今46歳だから、27年でしょ。普通、定年って60歳でしょ?そう考えると、あの時点で30歳ちょっとでしょ。全然そう見えず、ジジイだった人がいて。タイムスリップしたみたいに変わらないの。今思うと老け顔だったんだと思うけど、老け顔の人って、先取りしちゃってるから。あのまんまの人いるわぁって人もいて。
建物自体はなんとも思わなかったんだけど、その二見さんって頑固なミキサーさんに会ったことで、急に「あぁ、懐かしい…」って思って。
それで、上柳アナウンサーに迎えてもらって、懐かしい話をする中で、結構、いい感じで盛り上がって。…こんなこと上柳アナに言わせちゃいけないんだけど、「伊集院くんも、ニッポン放送に縁があったら出てよ」って話になって。
「出ても何も、呼んでくれたら出ます」って。「もう細かい恨みつらみみたいなものを整理整頓するのをやめましたし」みたいな話をして。ちょっと盛り上がって。
ラジオの生出演の終わりに合わせて、昔に会った人たちが来てくれて。「いくつになったの?」「偉くなったの?」みたいな話をしてて。「またやろうね」「どうせ、TBSでも上手くいかなくなるから、どの道」なんつって(笑)
そんな話をして、盛り上がって「今日はこの辺で」なんて、帰る寸前に、宮本(幸一)さんっていう、もう俺がニッポン放送と揉めた元凶の2人のうちの1人がいて。当時、局長ですよ。宮本さんって人と、もう1人が僕はダメで。
その宮本さんって人の一番覚えてるエピソードが、最初に生放送をやろうって時に、夜中に、酔っ払ってニッポン放送に来たんです。そのときは、局長になる前、編成部長くらいの時に、「はじめまして、伊集院光です…」って言いかけたところで頭をガシって掴まれて、頭のニオイをクンクンって嗅いで、「売れるニオイが全くしねぇ」って言って去って行ったのが、この宮本さんとのスタートなんです。
せっかく、整理整頓しなかったことを思い出し始めて。宮本さん、一番会いづらいじゃん。そのことは僕、公言してるから。会いづらいところにわざわざ来てくれたんだから、それは向こうも歳を重ねて大人だし。そういう意味では、今も偉い人(専務取締役)でしょ?
そんな偉い人がわざわざ来てくれたってことじゃんかって。ここは変なことを言わずに、タクシー来たって言われたし、帰ろうと思ったら、宮本さんが「伊集院くんさぁ、Wikipediaにさぁ、俺が伊集院の頭のニオイを嗅いでさぁ、『売れねぇニオイがする』っていうデマが書いてあんだけどさぁ、アレお前、どうにかしろよ」って言って(笑)
本当のことだよ!上から下まで、100%本当のことだよ!デマじゃねぇよ。思い出したよ。アンタのそういうところが出たくなくなるところだよ!…っていうのが、火曜の帰り際の会話(笑)スゲェな、この人って思って。
こっちも46歳だから、「スゲェな、この人」って。この人、伝説が多くて、「アイツだけは許せない」って、俺みたいなクラスじゃなくて、ニッポン放送出ないって言ってる人が何人かいるくらいなの。
でも、凄いのが、ちゃんと偉いままニッポン放送に残ってるってことと、普通、改めちゃわない?(笑)普通、そういうことあったら、20年経ったら、改まっちゃうじゃん。全然改まらないって凄いんだよね。
そこで凄い良い人になってたら、こっちも困るじゃん。一番ズルイのは、「あのこと、まだ怒ってるかもしれないけど、ああいう風にやる気出させるのも、上の者の仕事だったりするからね」って、もし言われたら「うわぁ、何年も子供っぽいことしてたな」って思っちゃうじゃん。
でも、あの感じ。あの感じ、スゲェなこの人って思って。凄い良い雰囲気になって、俺の中ではTBSラジオに帰って、「ニッポン放送どうだった?」って話をするわけじゃん。その時に、「いい感じに、また仕事やろうって話になったよ」って言うのも、コウモリっぽいじゃんか。
それもなんかなぁって思ってたけど…宮本さん、ありがとう!(笑)しばらくTBSに俺、いる(笑)しばらくここでお世話になるわぁ。アンタ、凄いよ(笑)
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