化学 掲載の記事を転載しました。
化学同人のご好意により雑誌「化学」に寄稿した記事
Vol 66 No.6 (2011) を転載します。iphone
で読めないというお話が多かったので、テキストにしました。
また脚注は省きました。
なお、以下のリンクから、脚注を含めた本文を読む事も可能です。
本文リンク
Twitter 時代の科学情報発信
--原発事故を受けて研究者はどう対応したか
野尻美保子
高エネルギー加速器研究機構 素粒子原子核研究所
<<Twitterから始まった翻訳作業>>
3月11日,三陸沖を震源とするM9の未曾有の地震が起
こった.地震は東北・関東の沿岸を津波で破壊した.最新鋭
の機器による鮮明な津波画像を目にしながら,そこにいる人
を救うのに技術はあまりに無力であった.死者・行方不明者
は,現在合わせて3万に近づき,阪神淡路大震災をはるか
に超える規模となっている.一方で,福島第一原子力発電所
では津波による電源喪失を期に,1号炉から3号炉の原子炉
が冷却機能を失い,一部炉心溶融し,水素爆発などにより格
納容器・圧力容器の気密性が失われた.また4号炉燃料プー
ルには使用済み燃料が多数保管されており,ここでも水素爆
発が起こった.拡散した放射性物質は原子炉から北西方向お
よび福島県中通り地域に停留し,汚染が深刻であることが明
らかになった.今後もM8レベルの余震が予想されており,
再び沿岸が津波に襲われて原子炉の損傷がさらに進む可能性
は高い.地震後すでに1か月を経過したが,われわれは決
して「震災後の世界」にいるのではなく,震災のまっただなか
にいるのである.
本稿を依頼される契機になったのは,Monreal氏という
素粒子物理学者がカリフォルニア大学サンタバーバラ校
(UCSB)で行った福島第一原子力発電所事故についての講演
の翻訳作業である.1日で翻訳を完了し,3月18日深夜に
公開したが,1日で20万のダウンロードがあった.翻訳は
Twitterというソーシャルネットワークシステム(SNS)上で
提案され,理化学研究所の橋本幸士氏(素粒子論)のグループ,
東京工業大学の久世正弘氏(素粒子物理),琉球大学の前野昌
弘氏(素粒子論)と筆者(素粒子論)が行った.また,この翻訳
に関しては東京大学の早野龍五氏(原子核物理学)に多くの助
言をいただいた.
<<震災で再び注目されたTwitter>>
Twitterは震災を機に一段と市民権を得たSNSであるが,
詳細をご存知ない方のために簡単に説明する.Twitterは,
140字を基本単位とするミニブログである.この基本単位は
「Tweet(つぶやき)」と呼ばれる.自分のつぶやきと他人の
つぶやきを合わせて,web上に時系列で表示することが可
能であり,この表示を「タイムライン(TL)」という.どの人
のつぶやきを表示するかは自分で選択することができ,この
選択を「フォローする」という.自分のつぶやきをTLに表示
している人は「フォロワー」である.フォロワーが多い人ほど
影響力が大きく,多数の人をフォローすれば多くのつぶやき
がTLを流れていく.互いにフォローしていれば(相互フォ
ロー)対話的に使うことが可能であり,またフォローしてい
ない人のつぶやきを読むこともできる.とくに若年層は,テ
レビ,雑誌などでの情報収集以外に,Twitterを含むSNS,
Ustream(ユーストリーム,UST)やニコニコ動画(ニコ動)
をはじめとする動画共有サービスなどのネットメディアから
多くの情報を得ているのが現状である.
震災前,筆者のフォロワーは約2400人であった.筆者
自身のフォローは約240人であり,日々の研究だけでなく,
科学一般,子育て,飼い猫,趣味などについて,平均して1
日に70程度の書き込みを行っていた.目的の一つは科学コ
ミュニケーションである.広く一般の方にアクセスするため
には,科学に強い興味をもたない層の興味を引く必要がある.
一つのことだけ語っていてもフォロワーは付かない.専門性
と,個人的な興味,プライベートの適当なミックスが層の厚
いフォロワーを呼ぶのである.相互フォローし,一種の友人
関係にあったのは,自分の専門とする物理系の研究者,理系
文系の研究者や科学ファンだけでなく,作家・マンガ家とそ
のファン層,動物好き,何かのやりとりから親しくなった
人など,通常の研究者のTwitterユーザーと比べフォローも
フォロワーもバラエティーがあったと思う.
<<研究者どうしの情報交換が注目される>>
震災後TLは一変した.東電,原子力保安院,政府,原子
力工学関係者が系統だった原子炉情報をださないなかで,自
分もTL上の友人も,状況判断のための材料を求めていた.
大学や研究機関のメールシステムが停止したにもかかわらず
Twitterの機能は正常であったことがさいわいであった.物
理系研究者のあいだで情報や意見のやりとりが始まり,公的
資料や過去の事故との比較などが行われ,共通認識が醸成さ
れていった.この間に蓄積された資料は膨大で,(適切に構
成された)Twitter上のネットワークが,情報を集めて選別
するうえで有効であったことを示している.また,このプロ
セスは,のちに早野氏(@hayano)を中心とした放射線情報の
可視化プロジェクトに発展したことも特筆すべきであろう.
このような議論はサイエンスのバックグラウンドをもたない
人たちの興味を引き,フォロワー数が急速に増大した.早野
氏はYahoo!に情報提供者として紹介され,フォロワーは地
震前の2200人から3月20日には15万人を超え,現在も
そのレベルを維持している.筆者のフォロワーは現在1万
人超で,これは日本のTwitterユーザーの上位0.12%に相
当する.
この地震直後からの動きと平行して,別種の情報が研究者
ではない友人のあいだでやりとりされていた(彼らは「象牙の
塔」の外の世界のモニターであった).情報の発信源の多くは,
ジャーナリストや評論家など,それぞれの分野で評価される
方がたであったが,国の情報発信能力が貧弱であることが災
いして,まちがった理解に基づいた意見表明が行われ,人び
とを不安に陥れたのである.日本人は,地震に伴う通常の災
害については十分な経験があるが,原子力災害を理解するの
に必要な知識は希薄であった.基本的な単位であるグレイ,
シーベルト,シーベルト/時,ベクレルなどに混乱し,過剰
に放射線の害を主張する人,またそれを否定する人のやりと
りが,津波の寄せ波・引き波のようにTL を流れていったの
である.
Monreal氏スライドは,以上の状況のなかで,ある
TwitterユーザーのTweetに紹介されて筆者の目に留まった.
講演は,3月16日にUCSBで広く理系の大学関係者を対象
に行われた講演(コロキウム)である*1.基本的な原子核の知
識,放射線の知識,放射線リスクの説明,炉がコントロール
を失う過程の図示,原子炉の発熱量,放出される放射性物質
などについて短くまとめられていた.彼は原子炉の専門家で
はなく,素粒子物理学者であった.炉の情報などはNuclear
Science and Engineering, MITの情報によるものであり,
多くの点で厳密さを欠いてはいたが,自分の周辺の友人に見
せる分には十分であるように思われた.後押ししてくれる
方,手伝ってくださる方があり,18日に翻訳作業を始めた
のである.翻訳は,早野氏やアルファブロガー*2の小飼 弾氏,
糸井重里氏らによってTwitter,ブログ上で紹介された.文
頭に記した翻訳に対する反響の大きさは,この19日の時点
では多くの人が一貫した情報に欠いており,この翻訳がそれ
らの方の要請の一部に答えていたことを示唆している.
<<不十分な情報発信が誤解と不信を生む>>
この1か月を振り返って,国および科学・工学分野の研
究者の立ち位置が,原発事故に際して適切であったか考えて
みなければならない.
まず指摘しなければならないことは,国の情報開示が不十
分であったということである.炉の状況,時系列の変化など
の情報は当初公開されておらず,ある程度,科学のバックグ
ラウンドのあるわれわれですら,状況を読み取るのが難し
かった.原子力関係者のテレビでの説明は,定量的な研究を
背景にした分析を欠いており,発言の土台となる基本的な仮
定が明らかでないことが多かった.
また,いくつかの研究者コミュニティーの対応は,科学者
に対する信頼に疑念を抱かせるものであったことも指摘しな
ければならない.3月18日付けの気象学会理事長の文書*3は,
防災上重要である放射性ダストの拡散シミュレーションを
SPEEDI に一元化し,会員が独自の発想に基づいて情報提
供や意見交換を行うことを制限するものであった.SPEEDI
の結果はほとんど公表されず,結果として国民はフランス,
ドイツなどのシミュレーションをネット検索で発見しては,
一喜一憂することになったのである.とくに,一部のシミュ
レーションが一定放出を仮定した計算であることが理解され
ず,放出がほぼ止まったあとも,放射性の雲が襲ってくると
いう誤解が広がったことは問題であった.大気シミュレー
ションを専門とする研究者の自由な情報発信があれば,この
ような混乱は起きなかったのではないかと筆者は思うのであ
る.
一方,国や国の機関の行動のなかでも,20 km圏内の早
期の避難や,放射線測定などは,肯定的評価を受けていいの
ではないかと考える.福島県内においては,地震被害にもか
かわらず,多くの測定ポイントやモニタリングカーによる観
測が,放射性物質の最大放出があった3月15日までに立ち
上がっていた.筆者の住むつくば市内の各研究機関では,地
震によって被害を受けたにもかかわらず,電源復旧直後に核
種分析も含めた放射線計測が立ち上がっている(これは個々
の研究者が自分の周辺環境を緊急に測定する必要に迫られて
いた背景もあることは言うまでもない).16日にはきわめて
高い放射線量が飯館村,福島市などで観測されたが,初動の
適切さ,その後の詳しい空間線量,土壌などの測定結果も合
わせて,住民被曝は正しく定量されつつあるといってよいだ
ろう.
<<Twitterの情報発信 その長所と限界>>
次に,Twitterにおける情報発信について,いくつかコメ
ントしたい.
Twitterではしばしば「炎上」という状態が起こる.物理学
を専門とする筆者にとって最も印象深かった炎上は,プルト
ニウム・パニックである.プルトニウムは炉内に一定量存在
し,α粒子を放出するために内部被曝の害が大きい核種であ
る.しかし,チェルノブイリ事故と違い,火災を伴う事故に
ならない福島原発の事故状況をふまえたとき,プルトニウム
放出は敷地あるいは敷地周辺に限定された問題と考えるべき
であろう.すでに燃料棒由来の物質は検出されており,ほか
の核分裂生成物で敷地が高度に汚染されている状況で,微量
なプルトニウム検出は注目に値する事例とは思えなかった
が,とくにフリージャーナリストらを中心に大きく取り上げ
られた(彼らは北西地域の汚染にもっと目を向けるべきでは
なかったろうか?).
TL上に表れる不安や疑問に答え,資料を提示し,現状で
より優先されるべき事項について語っているあいだに,フォ
ロワーの急増が始まった.直接mention(問いかけ)をされ
てきた方は,みなたいへん心配され,また怒っていた.こ
のような状態は,一般には非常に危険である.これまでの
Tweetの流れを知らない人が多数参入することによって,
フォロワーとの相互理解が低下し,ちょっとした一言をきっ
かけに多くの人の信頼を失う事例は多い.これをなんとか乗
り切れたのは,Twitter上で一般からの質問に即答する経験,
短い行数で,主観をなるべく排して,専門性のある内容をか
みくだいて語る訓練である.Twitter はこの訓練のための興
味深いベースラインを提供してくれている.自分の発した言
葉に対する反応は,mentionや単語検索(エゴサーチ)によっ
て見ることができる.発信された情報が期待どおりに受け取
られているか確認し,その反応を見ながら説明のレベルを変
えていくことが可能なのである.筆者だけではない.早野氏
が15万のフォロワーの風圧に耐え,情報発信を続けていら
れるのは,まさにこの機能のおかげであるといえよう.
Twitterでの情報発信が必要か,というのは難しい問題で
ある.現状において,テレビ,新聞などのメディアに比べ
Twitterの影響力は限定的であるが,緊急時の即応性に優れ
ている.研究者コミュニティーのメーリングリストでは,議
論はなかなか立ち上がらず,多くの場合コミュニティー内に
とどまって,発信の出口をもたなかった.グループ内の合意
をとり,学会として意見を発表し,新聞などに取り上げられ
るという従来の情報発信のパスは,猫の目のように状況が変
わる原発事故に対して無力であった.一方でTwitterでの情
報発信は,「個人店主」の成功によるものがほとんどであり,
フォロワーが増えれば増えるほど,その負担が過重になって
いくのである.
*************************************
この記事が掲載される時期になっても原発問題は終わって
いないだろう.広い被災地域,長期にわたる原発処理,余震
不安によって,日本の「安全・安心社会」は根底から揺らいで
いる.「ほとんど安心」な社会を「より安心」にするための科学
技術から,「最低限度の安心」を確保するための科学技術へ
と舵を切り直す必要がでている.この重要な時期に国民が正
しい選択をするためには,「正しい情報発信」が欠かせない.
SPEEDIと気象学会の例でもわかるように,それは「一元化
された情報発信」からは決してもたらされないだろう.科学
者一人一人が状況に即応してどのように情報発信していくか
が問われているが,筆者はそれに対して正しい解答が見いだ
せていないのである.
Vol 66 No.6 (2011) を転載します。iphone
で読めないというお話が多かったので、テキストにしました。
また脚注は省きました。
なお、以下のリンクから、脚注を含めた本文を読む事も可能です。
本文リンク
Twitter 時代の科学情報発信
--原発事故を受けて研究者はどう対応したか
野尻美保子
高エネルギー加速器研究機構 素粒子原子核研究所
<<Twitterから始まった翻訳作業>>
3月11日,三陸沖を震源とするM9の未曾有の地震が起
こった.地震は東北・関東の沿岸を津波で破壊した.最新鋭
の機器による鮮明な津波画像を目にしながら,そこにいる人
を救うのに技術はあまりに無力であった.死者・行方不明者
は,現在合わせて3万に近づき,阪神淡路大震災をはるか
に超える規模となっている.一方で,福島第一原子力発電所
では津波による電源喪失を期に,1号炉から3号炉の原子炉
が冷却機能を失い,一部炉心溶融し,水素爆発などにより格
納容器・圧力容器の気密性が失われた.また4号炉燃料プー
ルには使用済み燃料が多数保管されており,ここでも水素爆
発が起こった.拡散した放射性物質は原子炉から北西方向お
よび福島県中通り地域に停留し,汚染が深刻であることが明
らかになった.今後もM8レベルの余震が予想されており,
再び沿岸が津波に襲われて原子炉の損傷がさらに進む可能性
は高い.地震後すでに1か月を経過したが,われわれは決
して「震災後の世界」にいるのではなく,震災のまっただなか
にいるのである.
本稿を依頼される契機になったのは,Monreal氏という
素粒子物理学者がカリフォルニア大学サンタバーバラ校
(UCSB)で行った福島第一原子力発電所事故についての講演
の翻訳作業である.1日で翻訳を完了し,3月18日深夜に
公開したが,1日で20万のダウンロードがあった.翻訳は
Twitterというソーシャルネットワークシステム(SNS)上で
提案され,理化学研究所の橋本幸士氏(素粒子論)のグループ,
東京工業大学の久世正弘氏(素粒子物理),琉球大学の前野昌
弘氏(素粒子論)と筆者(素粒子論)が行った.また,この翻訳
に関しては東京大学の早野龍五氏(原子核物理学)に多くの助
言をいただいた.
<<震災で再び注目されたTwitter>>
Twitterは震災を機に一段と市民権を得たSNSであるが,
詳細をご存知ない方のために簡単に説明する.Twitterは,
140字を基本単位とするミニブログである.この基本単位は
「Tweet(つぶやき)」と呼ばれる.自分のつぶやきと他人の
つぶやきを合わせて,web上に時系列で表示することが可
能であり,この表示を「タイムライン(TL)」という.どの人
のつぶやきを表示するかは自分で選択することができ,この
選択を「フォローする」という.自分のつぶやきをTLに表示
している人は「フォロワー」である.フォロワーが多い人ほど
影響力が大きく,多数の人をフォローすれば多くのつぶやき
がTLを流れていく.互いにフォローしていれば(相互フォ
ロー)対話的に使うことが可能であり,またフォローしてい
ない人のつぶやきを読むこともできる.とくに若年層は,テ
レビ,雑誌などでの情報収集以外に,Twitterを含むSNS,
Ustream(ユーストリーム,UST)やニコニコ動画(ニコ動)
をはじめとする動画共有サービスなどのネットメディアから
多くの情報を得ているのが現状である.
震災前,筆者のフォロワーは約2400人であった.筆者
自身のフォローは約240人であり,日々の研究だけでなく,
科学一般,子育て,飼い猫,趣味などについて,平均して1
日に70程度の書き込みを行っていた.目的の一つは科学コ
ミュニケーションである.広く一般の方にアクセスするため
には,科学に強い興味をもたない層の興味を引く必要がある.
一つのことだけ語っていてもフォロワーは付かない.専門性
と,個人的な興味,プライベートの適当なミックスが層の厚
いフォロワーを呼ぶのである.相互フォローし,一種の友人
関係にあったのは,自分の専門とする物理系の研究者,理系
文系の研究者や科学ファンだけでなく,作家・マンガ家とそ
のファン層,動物好き,何かのやりとりから親しくなった
人など,通常の研究者のTwitterユーザーと比べフォローも
フォロワーもバラエティーがあったと思う.
<<研究者どうしの情報交換が注目される>>
震災後TLは一変した.東電,原子力保安院,政府,原子
力工学関係者が系統だった原子炉情報をださないなかで,自
分もTL上の友人も,状況判断のための材料を求めていた.
大学や研究機関のメールシステムが停止したにもかかわらず
Twitterの機能は正常であったことがさいわいであった.物
理系研究者のあいだで情報や意見のやりとりが始まり,公的
資料や過去の事故との比較などが行われ,共通認識が醸成さ
れていった.この間に蓄積された資料は膨大で,(適切に構
成された)Twitter上のネットワークが,情報を集めて選別
するうえで有効であったことを示している.また,このプロ
セスは,のちに早野氏(@hayano)を中心とした放射線情報の
可視化プロジェクトに発展したことも特筆すべきであろう.
このような議論はサイエンスのバックグラウンドをもたない
人たちの興味を引き,フォロワー数が急速に増大した.早野
氏はYahoo!に情報提供者として紹介され,フォロワーは地
震前の2200人から3月20日には15万人を超え,現在も
そのレベルを維持している.筆者のフォロワーは現在1万
人超で,これは日本のTwitterユーザーの上位0.12%に相
当する.
この地震直後からの動きと平行して,別種の情報が研究者
ではない友人のあいだでやりとりされていた(彼らは「象牙の
塔」の外の世界のモニターであった).情報の発信源の多くは,
ジャーナリストや評論家など,それぞれの分野で評価される
方がたであったが,国の情報発信能力が貧弱であることが災
いして,まちがった理解に基づいた意見表明が行われ,人び
とを不安に陥れたのである.日本人は,地震に伴う通常の災
害については十分な経験があるが,原子力災害を理解するの
に必要な知識は希薄であった.基本的な単位であるグレイ,
シーベルト,シーベルト/時,ベクレルなどに混乱し,過剰
に放射線の害を主張する人,またそれを否定する人のやりと
りが,津波の寄せ波・引き波のようにTL を流れていったの
である.
Monreal氏スライドは,以上の状況のなかで,ある
TwitterユーザーのTweetに紹介されて筆者の目に留まった.
講演は,3月16日にUCSBで広く理系の大学関係者を対象
に行われた講演(コロキウム)である*1.基本的な原子核の知
識,放射線の知識,放射線リスクの説明,炉がコントロール
を失う過程の図示,原子炉の発熱量,放出される放射性物質
などについて短くまとめられていた.彼は原子炉の専門家で
はなく,素粒子物理学者であった.炉の情報などはNuclear
Science and Engineering, MITの情報によるものであり,
多くの点で厳密さを欠いてはいたが,自分の周辺の友人に見
せる分には十分であるように思われた.後押ししてくれる
方,手伝ってくださる方があり,18日に翻訳作業を始めた
のである.翻訳は,早野氏やアルファブロガー*2の小飼 弾氏,
糸井重里氏らによってTwitter,ブログ上で紹介された.文
頭に記した翻訳に対する反響の大きさは,この19日の時点
では多くの人が一貫した情報に欠いており,この翻訳がそれ
らの方の要請の一部に答えていたことを示唆している.
<<不十分な情報発信が誤解と不信を生む>>
この1か月を振り返って,国および科学・工学分野の研
究者の立ち位置が,原発事故に際して適切であったか考えて
みなければならない.
まず指摘しなければならないことは,国の情報開示が不十
分であったということである.炉の状況,時系列の変化など
の情報は当初公開されておらず,ある程度,科学のバックグ
ラウンドのあるわれわれですら,状況を読み取るのが難し
かった.原子力関係者のテレビでの説明は,定量的な研究を
背景にした分析を欠いており,発言の土台となる基本的な仮
定が明らかでないことが多かった.
また,いくつかの研究者コミュニティーの対応は,科学者
に対する信頼に疑念を抱かせるものであったことも指摘しな
ければならない.3月18日付けの気象学会理事長の文書*3は,
防災上重要である放射性ダストの拡散シミュレーションを
SPEEDI に一元化し,会員が独自の発想に基づいて情報提
供や意見交換を行うことを制限するものであった.SPEEDI
の結果はほとんど公表されず,結果として国民はフランス,
ドイツなどのシミュレーションをネット検索で発見しては,
一喜一憂することになったのである.とくに,一部のシミュ
レーションが一定放出を仮定した計算であることが理解され
ず,放出がほぼ止まったあとも,放射性の雲が襲ってくると
いう誤解が広がったことは問題であった.大気シミュレー
ションを専門とする研究者の自由な情報発信があれば,この
ような混乱は起きなかったのではないかと筆者は思うのであ
る.
一方,国や国の機関の行動のなかでも,20 km圏内の早
期の避難や,放射線測定などは,肯定的評価を受けていいの
ではないかと考える.福島県内においては,地震被害にもか
かわらず,多くの測定ポイントやモニタリングカーによる観
測が,放射性物質の最大放出があった3月15日までに立ち
上がっていた.筆者の住むつくば市内の各研究機関では,地
震によって被害を受けたにもかかわらず,電源復旧直後に核
種分析も含めた放射線計測が立ち上がっている(これは個々
の研究者が自分の周辺環境を緊急に測定する必要に迫られて
いた背景もあることは言うまでもない).16日にはきわめて
高い放射線量が飯館村,福島市などで観測されたが,初動の
適切さ,その後の詳しい空間線量,土壌などの測定結果も合
わせて,住民被曝は正しく定量されつつあるといってよいだ
ろう.
<<Twitterの情報発信 その長所と限界>>
次に,Twitterにおける情報発信について,いくつかコメ
ントしたい.
Twitterではしばしば「炎上」という状態が起こる.物理学
を専門とする筆者にとって最も印象深かった炎上は,プルト
ニウム・パニックである.プルトニウムは炉内に一定量存在
し,α粒子を放出するために内部被曝の害が大きい核種であ
る.しかし,チェルノブイリ事故と違い,火災を伴う事故に
ならない福島原発の事故状況をふまえたとき,プルトニウム
放出は敷地あるいは敷地周辺に限定された問題と考えるべき
であろう.すでに燃料棒由来の物質は検出されており,ほか
の核分裂生成物で敷地が高度に汚染されている状況で,微量
なプルトニウム検出は注目に値する事例とは思えなかった
が,とくにフリージャーナリストらを中心に大きく取り上げ
られた(彼らは北西地域の汚染にもっと目を向けるべきでは
なかったろうか?).
TL上に表れる不安や疑問に答え,資料を提示し,現状で
より優先されるべき事項について語っているあいだに,フォ
ロワーの急増が始まった.直接mention(問いかけ)をされ
てきた方は,みなたいへん心配され,また怒っていた.こ
のような状態は,一般には非常に危険である.これまでの
Tweetの流れを知らない人が多数参入することによって,
フォロワーとの相互理解が低下し,ちょっとした一言をきっ
かけに多くの人の信頼を失う事例は多い.これをなんとか乗
り切れたのは,Twitter上で一般からの質問に即答する経験,
短い行数で,主観をなるべく排して,専門性のある内容をか
みくだいて語る訓練である.Twitter はこの訓練のための興
味深いベースラインを提供してくれている.自分の発した言
葉に対する反応は,mentionや単語検索(エゴサーチ)によっ
て見ることができる.発信された情報が期待どおりに受け取
られているか確認し,その反応を見ながら説明のレベルを変
えていくことが可能なのである.筆者だけではない.早野氏
が15万のフォロワーの風圧に耐え,情報発信を続けていら
れるのは,まさにこの機能のおかげであるといえよう.
Twitterでの情報発信が必要か,というのは難しい問題で
ある.現状において,テレビ,新聞などのメディアに比べ
Twitterの影響力は限定的であるが,緊急時の即応性に優れ
ている.研究者コミュニティーのメーリングリストでは,議
論はなかなか立ち上がらず,多くの場合コミュニティー内に
とどまって,発信の出口をもたなかった.グループ内の合意
をとり,学会として意見を発表し,新聞などに取り上げられ
るという従来の情報発信のパスは,猫の目のように状況が変
わる原発事故に対して無力であった.一方でTwitterでの情
報発信は,「個人店主」の成功によるものがほとんどであり,
フォロワーが増えれば増えるほど,その負担が過重になって
いくのである.
*************************************
この記事が掲載される時期になっても原発問題は終わって
いないだろう.広い被災地域,長期にわたる原発処理,余震
不安によって,日本の「安全・安心社会」は根底から揺らいで
いる.「ほとんど安心」な社会を「より安心」にするための科学
技術から,「最低限度の安心」を確保するための科学技術へ
と舵を切り直す必要がでている.この重要な時期に国民が正
しい選択をするためには,「正しい情報発信」が欠かせない.
SPEEDIと気象学会の例でもわかるように,それは「一元化
された情報発信」からは決してもたらされないだろう.科学
者一人一人が状況に即応してどのように情報発信していくか
が問われているが,筆者はそれに対して正しい解答が見いだ
せていないのである.
by mihoko_nojiri
| 2011-05-13 14:49
| 自分のこと