兵庫県知事選挙をめぐる公選法違反問題を、「法律の基本」から考える(2)~選挙運動の対価支払いと買収

【兵庫県知事選挙をめぐる公選法違反問題を、「法律の基本」から考える】3部作の(2)は、「選挙運動の対価にかかる買収罪の成否に関する問題」である。選挙においてSNS活用が不可欠となった時代において、この問題を「法律の基本」に遡って考えてみたい。

公職選挙法は、選挙に関する発言や表現の内容自体に対しては基本的に寛大であるのと対照的に、選挙に関する金銭、利益のやり取りに対しては、投票買収、運動買収を問わず、厳しい態度で臨んでいる。

それに関して、「選挙運動ボランティアの原則」の下で、特定の選挙における特定の候補者の選挙に関する行為で、対価の支払が許されるのはどういう行為なのかを理解する必要がある。 

「選挙運動のボランティアの原則」と運動買収

個人の選挙への関わりという面で言えば、まず基本的には、選挙区内の有権者であれば、①「投票人」

の立場がある。誰に投票したかについて、「投票の秘密」が守られ、公務員が投票の秘密を害する行為は公選法違反の犯罪となる。どの候補者を支持しているかについても明らかにする義務はない。

次に、

②「選挙運動者」

という立場がある。選挙運動というのは「特定の候補者を当選させるための一切の行為」であり、選挙運動に直接関わることによって、外部に支持を表明することになる場合もある。特定の候補を支持する活動を行うことも、国民の重要な権利である。それが国民にとっての「権利行使」である以上、無償でなければならない。そこで、選挙運動はボランティアが原則ということになる。

そして、

③「選挙事務員」「機械的労務者」

などのように、「決定権、裁量権を持たず、候補者側の指示に基づいて機械的労務・事務を行うという選挙に関わる立場がある。

この3つのうち、候補者側が選挙に関わる者に対して報酬を支払うことができるのは、基本的に③の「機械的労務者・事務員」に限られる。②の選挙運動者には、例外的に選挙管理委員会へ届け出た上で報酬支払が行えるのが、ウグイス嬢、手話通訳者以外には報酬を支払ってはならない。

公職選挙に立候補し、公職に就くことをめざす候補者の立場から見れば、当選を得るための活動、すなわち「選挙運動」は、基本的に候補者自身が行うものであり、それを、その候補者を当選させたいと思う支持者・支援者のボランティアによる活動で支えてもらう、というのが公職選挙法の原則である。候補者が、①の投票行動に対して報酬を支払う行為は「投票買収」として、②の選挙運動に対して報酬を支払う行為は「運動買収」として公職選挙法違反となり、処罰されるのである。

「選挙運動を行う者」に合法的に報酬を支払うことができるのは「ウグイス嬢」「手話通訳者」のみである。それ以外で報酬を支払うことができる「機械的労務者」「選挙事務員」は、特定候補を当選させることを目的として主体的・裁量的に行う「選挙運動者」ではないので、報酬を支払っても買収とはならないのである。

すなわち、選挙に関する金銭等の授受についての公選法のルールは、極めて単純で、かつ厳格である。「ウグイス嬢」等の例外を除いて「選挙運動」を行う者に報酬を支払えば、すべて買収罪が成立するのである。

この点に関して、多くの人が誤解しているのが、選挙の告示との関係である。特定の選挙で特定の候補者の当選を目的として行う行為は、告示の前後を問わず「選挙運動」であり、告示の前に行えば、「事前運動」として違法となる。ただ、「事前運動」だけであれば、軽微な違反なので処罰されることは殆どない。しかし、その「事前運動」について対価の支払が行われれば、「選挙運動の対価」について買収罪が成立し、事前運動の違反と併せて処罰されることになる。

また、選挙運動費用収支報告書の区分上「選挙運動」ではなく、例えば「選挙準備」の区分とされているからと言って、「選挙運動の対価」であることが否定されるわけではない。支出区分は、報告書の記載における形式上の区別である。選挙準備行為とされていても、「機械的労務・選挙事務」に該当しない「特定の候補者の当選を目的とする主体的・裁量的行為」に対する対価支払は買収となる。

告示前の行為は、「政治活動」との主張ができるので、その対価を支払っても、政治資金収支報告書に記載すれば、公選法上も合法、というような認識もあったが、「政治活動」であっても、「特定の選挙で特定の候補者の当選を目的とする行為」であれば「選挙運動」に該当するというのが判例である。かつては、捜査機関側が「当選を得させる目的」の立証上の問題を考慮して「政治活動」の弁解が予想される事案の摘発に消極的だったに過ぎない。

近年、河井克行氏からの受供与者の事件の判決、柿沢未途氏に対する判決等では、行為者が、政治活動であることを理由に、選挙運動であることを否定する弁解がなされた場合でも、ことごとく有罪となっている。河井事件の受供与者の判決は既に最高裁で確定しているので、現在では、「特定の候補者を当選させる目的」が否定されない限り、「政治活動の言い訳」は、通る余地はない。

以上述べたことを前提に、斎藤知事らを被告発人とする告発にかかる公選法違反(買収罪)の問題について考えてみたい。

斎藤氏側から折田氏への供与と買収罪の成否

12月2日に提出した告発状で、斎藤氏らについて公選法違反(買収罪)の嫌疑の根拠としたのは、

  • (1)11 月 20 日に、株式会社merchu(以下、「merchu」) の代表取締役折田楓氏が、インターネットのブログサイト note に行った投稿(以下、「note 記事」)の内容によれば、折田氏はmerchuの社長として、同社の社員ともに、斎藤氏の知事選挙においてSNS広報戦略を全面的に任せられてその運用を行ったものと認められること
  • (2)折田氏のnote 記事の信用性が、投稿前後に斎藤氏の選対の主要メンバーであった森けんと氏、高見千咲氏らのX投稿によって裏付けられていること
  • (3)11 月 27 日兵庫県知事定例会見において斎藤氏に代わって行われた斎藤氏の代理人の奥見司弁護士がmerchuに対する71万5000円の支払を認めた上で行った「merchuにはポスター制作等を依頼しただけでSNS運用を任せておらず、折田氏は斎藤氏のmerchu社訪問後、個人のボランティアとして選挙に関わっていたとする説明」が不合理であり信用できないこと

の3点であった。

これらにより、奥見弁護士が支払を認めた71万5000円は、merchuへのSNS運用という選挙運動に対する対価を含むものだと結論づけたものだ。

このような告発状を提出したことを、オンライン会見を行って公表し、告発状をネットで公表したところ、告発人の私の下に兵庫県民から様々な資料、情報が提供された。それらを逐次、神戸地検、兵庫県警側に提供するなどしていたところ、12月16日に、神戸地検・兵庫県警が同時に、告発状を受理した。

告発事実が特定され、犯罪の嫌疑について相応の根拠が示されている以上、告発受理は当然であり、本来は受理自体に格別の意味はないが、最近、とりわけ政治家を被告発人とする告発については、捜査当局が慎重な姿勢であり、刑事処分の直前に受理するのが通例になっていることからすれば、今回、告発状の到達から2週間で、しかも、検察、警察双方で告発受理に至ったのは、異例の取扱いだった。

当初の告発状の内容に加え、兵庫県民からの様々な資料、情報の提供により、(1)について、折田氏が、単なる一ボランティアではなくSNS運用を主体的に行っていたことが、提供された折田氏の発言や活動内容についての情報資料から明らかになり、 (2)の森氏、高見氏のXでの投稿や他のSNSでの発言等についても多くの情報提供が行われ、それらによってnote記事の信用性が一層強く裏付けられた。それらに加えて、12月2日付けで提出された斎藤氏の選挙運動費用収支報告書中に71万5000円のmerchuに対する支払に関連する記載があり、奥見弁護士の説明を併せて考えると、支払の名目とされた「ボスター、チラシのデザイン」が選挙運動であり、それ対する対価の支払は買収と判断できることもで、地検・県警の早期告発受理の一因になったものと考えられる。

斎藤氏・代理人の説明が逆に犯罪を裏付ける結果に

斎藤氏の代理人の奥見弁護士の説明は、告発状の買収の嫌疑を否定するためのものであるのに、逆に、それによって買収の嫌疑が裏付けられる、というのは奇異に思えるかもしれない。しかし、前記の「選挙運動の対価の支払と買収」についての「法律の基本」が理解されていないとそのようなことも起こり得るのである。

そもそも、折田氏のnote記事投稿で買収疑惑が表面化した時点での斎藤氏自身の説明は、「選挙運動に対する対価の支払」を否定する説明になっていない。

斎藤氏は、当初から、

「PR会社には法律で認められているポスター制作などの費用として70万円ほどを支払った」

と説明していた(11月25日付けNHK等)。しかし、そもそも「法律で認められているポスターの制作費」として支払ったということだけでは、その支払が買収に当たらない説明にならない。

「ポスター制作」について法律が認めているのは、ポスターのデザイン・印刷という機械的労務の費用を選挙管理委員会に請求すれば、公費で賄われるということである。それ以外に、候補者自身がポスターのデザインの制作を委託して対価を支払った場合、それが買収に当たるかどうかは、そのデザイン制作という行為が、「当選を得させるための主体的・裁量的なものか否か」による。それが肯定されれば選挙運動に該当し、その対価の支払いは買収罪に該当する。それが否定され「機械的労務」だとすれば、買収罪は成立しないことになる。

斎藤氏は、「ポスターの制作代が公費で支払われる」ということを、「ポスター制作に関する支払は、主体性・裁量性を問わず、無条件に買収罪が否定される」と誤解していた可能性が高い。

そのため、そのような斎藤氏の主張を受けて行われた代理人の奥見弁護士が「ポスター、チラシ等によるデザインの対価の支払である」と説明したことで、結果的に買収罪の嫌疑が裏付けられることになったのである。

前述の「買収罪についての基本」が正しく理解されていれば、斎藤氏側が提出した選挙運動費用収支報告書と、奥見司弁護士の説明により、merchuに対する71万5000円の支払の名目とされているポスター、チラシ等のデザイン等の業務が選挙運動であることが認識できたはずであり、そのような説明で買収罪を否定するような対応が行われることはなかったはずだ。

そして、「買収罪についての基本的理解」を欠いたまま、斎藤知事の公選法違反の嫌疑を否定しようとするネット上の議論も行われている。

今後、選挙におけるSNS運用が不可欠になっている状況に対応して、公選法改正の議論を進めていく上でも「買収罪についての基本的理解」が進むことは重要だと思われる。

選挙運動費用収支報告書の記載や奥見弁護士の説明を前提に、買収罪が成立すると考えられることについて、具体的に解説しておこうと思う。

選挙運動費用収支報告書の記載内容

12月2日に斎藤氏側が提出した選挙運動費用収支報告書において、2024年11月4日に斎藤氏側からmerchuに支払われた71万5000円のうち、

  • 「メインビジュアル企画制作 11万円」
  • 「チラシデザイン制作16万5000円」
  • 「ボスターデザイン制作5万5000円」
  • 「選挙広報デザイン 5万5000円」

については、「支出の部」に、「選挙運動」の「区分」で、「さいとう元彦後援会」宛ての支払として記載されているが、

  • 「公約スライド制作 30万円(税別)」

は記載されていない。

斎藤氏の代理人の奥見弁護士は、

「(merche)社長ご夫妻は、斎藤氏が PR 会社を訪れた日以降、斎藤氏の考えに賛同してくださり、斎藤氏の応援活動をしてくださっている。」

と述べ、被告発人折田が、個人のボランティアで斎藤の選挙運動を行っていたことを認めた上、PR 会社からの提案に対して斎藤氏サイドが依頼したのが、請求書記載の5項目であり、これらは「選挙運動の対価の支払ではない」旨説明している。

しかし、前述したとおり、選挙に関する金銭等の授受についての公選法のルールは、極めて単純かつ厳格であり、「ウグイス嬢」等の例外を除いて、選挙運動者に対して報酬を支払うと、すべて買収罪が成立する。成立しないのは、「選挙運動者ではない機械的労務者・事務員」に対する支払だけである。

選挙運動費用収支報告書では、「メインビジュアル企画制作」「チラシデザイン制作」、「ポスターデザイン制作」「選挙広報デザイン」の支出を「選挙運動」についての支出と認めている。そして、その支出先は、報告書上は「さいとう元彦後援会」と記載されているが、それが、同日、後援会からmerchuに支払われたことは、奥見弁護士も認めている。

以下に述べるとおり、これら各項目は、すべて「主体的・裁量的に行った選挙運動であり、「機械的労務」に該当しないことは明らかである。

メインビジュアル

メインビジュアルとは、「ファーストビュー(最初に表示される画面領域)に含まれる大きな画像」である。

選挙運動費用収支報告書では、「メインビジュアル企画制作」として11万円が支払われている。支出先は「さいとう元彦後援会」だが、実質的には、mercheからの請求を受け、斎藤側が同社に支払ったものである。

note記事の中に貼り付けられている画像は、以下である。

   

下部に作成されたメインビジュアルの作成の意図について、その上で説明が加えられている。この説明からも明らかなように、メインビジュアルは、有権者への訴求力を最大限に高めるための選挙運動の基本的なコンセプトを表現したものである。主体的・裁量的に行われた選挙運動であることは明らかである。

note記事では、こうしてできあがったメインビジュアルについて、「デザインガイドブック」を作成して、選挙カーや看板を制作する業者にも配布し統一を図ったと述べている。

「チラシ作成費」「ポスター作成費」

選挙運動費用収支報告書によれば、「チラシ作成費」「ポスター作成費」については、mercheへの「ポスターデザイン制作5万5000円」「チラシデザイン制作16万5000円」のほかに、公費負担で「セイコープロセス株式会社」に、チラシについて98万5500円、ポスターについて150万2550円が支払われている。

同社のHPには、「チラシのデザインについて」と題して、以下の記載がある(https://www.seikoprocess.co.jp/printing/flyer/

《掲載したい内容がリストアップできたら、何を一番知らせたいか、の順番を決めてください。その上で、イメージしているものに近い資料や色柄、雰囲気などお伝えいただければ、弊社デザイナーが効果的なデザインに仕上げさせていただきます。》

つまり、同社で、「弊社デザイナーが効果的なデザインに仕上げる」というのであるから、斎藤氏側は、mercheが作成したメイン・ビジュアルに基づいて、ポスター・選挙ビラの「デザイン」を同社に委ねることもできた。しかも、その場合は、費用を一括して選管に請求することで、公費負担とすることも可能だった。 

チラシとポスターについては、(ア)実際に、上記HPの案内のようなやり方で、セイコープロセス社にデザインも含めて発注していた可能性と、(イ)note記事に書かれているように、折田氏が「紙媒体も既存の型にははめず、斎藤さんのことを分かりやすく様々な年代の県民の皆さまに届けるためにはどうしたら良いのか、仕様やサイズの異なるそれぞれの媒体でのベストをデザインチームと日夜追求した」可能性の二つがある。

(ア)であれば、mercheが「デザイン制作を行った」とは言えない。この点、note記事は少し「盛っていた」ということになり、「ポスター」「チラシ」のデザイン料の請求は実質的に架空請求だったことになる。

一方、(イ)の場合は、セイコープロセス社に「機械的労務としてのデザイン」を含めて公費で頼むことが可能であったのに、それを行わず、印刷だけ発注し、「ポスター」「チラシ」のデザインを、敢えてmercheに依頼し、有権者に届ける効果的なデザインを追求したということになる。この場合は、mercheがこれらのデザインを「当選を得させる目的」をもって主体的・裁量的に行ったことになる。

すなわち、(ア)であれば、デザイン料の名目で、実質的に斎藤氏に当選を得させる目的で行ったSNS運用等の他の選挙運動の対価だったことになるし、(イ)であれば、デザイン料の支払いが主体的・裁量的な選挙運動の対価だったことになる。

いずれにしても選挙運動の対価であったことは否定できない。

「公約スライド作成」が選挙運動であること   

斎藤氏は、10月23日に、知事選への出馬表明を行い、その際の記者会見で印刷配布する「知事選候補としての政策」のスライド化を折田氏に依頼し、公約の内容をワードファイルで提供した。

同スライドは、10月23日の記者会見で使用された後、1頁目が斎藤氏のYouTubeライブの際に背後に映る壁に掲示されているほか、全体が、斎藤氏の公式ホームページに「さいとう元彦の政策」として掲載されている。

この時点での斎藤氏は、9月19日に不信任決議案が可決されて失職した前知事であり、スライド制作を折田氏に依頼した10月上旬の時点では、無所属で立候補する意思を表明していたものの、当時、当選の可能性は低いと考えられていた。

公約スライドは、斎藤氏の公式ホームページに掲載され、斎藤氏が知事選挙で当選して再度知事の職に就いた後も、同氏の政治活動にも継続して使われていることは事実であるが、少なくとも、10月上旬の時点では、知事選に当選しなければ、同人が公約スライドを政治活動に使用する余地はほとんどなかった。だからこそ、選挙運動に使用するために、少しでも効果的な公約のスライド化は、まさに知事選において当選するために、有権者への訴求力を最大限に高める必要があり、そのために、30万円という高額の費用を支払ってでもPR会社社長というプロに依頼したものと考えられる。

このような依頼時の状況からしても、知事選挙で当選する目的をもって、政策スライドの作成を依頼したことは明らかである。

スライド制作の依頼を受けた折田氏は、note記事において、

「ワードファイルの内容を読み解き、どのような方でも見やすいデザインを意識したスライドに仕上げるため、記者会見の直前まで手直しをし、何とか間に合わせた」

と述べている。この「どのような方でも」というのが、「知事選での有権者である兵庫県民に広く」という意味であることは明らかだ。そして、そのような目的に沿うよう、公約スライド全体が構造化されており、細部に至るまで様々な工夫が加えられている。 

斎藤氏の前回知事選での公約スライドが今回とほぼ同じ枚数(11枚)であるものの、グラフもイラストも写真もなく、有権者への訴求力を追求して構造化されている今回の公約スライドとは全く異なっている。

奥見弁護士は、「公約の中身ではなく、あくまでデザインの委託費」と説明しているが、折田氏自身のnote記事によれば、その「デザインの委託」というのは、斎藤氏が提供した公約内容のワードファイルを基に、公約スライドを作成することを折田氏に全面的に委ねたのであり、折田氏は、その構成、文字の大きさ、色使いなどにより、有権者への訴求力を高めるために、様々な創意工夫を行って公約スライドを完成させた。

公約スライド制作に、斎藤氏を当選させるための活動としての主体性・裁量性があったことは明白である。

同様に、「選挙公報デザイン」も、公約スライドの2~4頁を、有権者への訴求力を最大限に高めるようにデザインしたものであり、当選を得させる目的の主体的、裁量的行為であることは明らかである。

各支払の「選挙運動の報酬」該当性

上記の通り、政治資金収支報告書にあるmercheへの「チラシデザイン制作」「ポスターデザイン制作」の合計22万円は、セイコープロセス社にデザインも含めて発注したのであれば、架空請求だったことになり、実際には、他に同社が行った斎藤氏の選挙のための業務の対価だった可能性がある。そうでない場合は、デザイン制作が主体的・裁量的に行われたことになる。

また、「公約スライド制作」「メインビジュアル企画制作」「選挙広報デザイン制作」は、いずれも「機械的労務」ではなく、斎藤を当選させることを目的として主体的・裁量的に行っているものであるから、選挙運動に該当する。

したがって、11月4日に斎藤氏側がmercheに支払った71万5000円は、いずれも選挙運動の報酬であり、斎藤氏について買収罪、折田氏について被買収罪が成立することになる。

斎藤氏、代理人奥見弁護士、いずれの説明も「買収罪の否定」になっていない 

奥見弁護士は、9月29日に斎藤氏がmercheの事務所を訪問して以降、折田氏は個人としてボランティアで選挙運動を行っていたこと、すなわち、同日以降、折田氏が「選挙運動者」であったことを認めている。

《選挙運動者(選挙民に対し直接に投票を勧誘する行為又は自らの判断に基づいて積極的に投票を得又は得させるために直接、間接に必要、有利なことをするような行為を行う者)や労務者(上記括弧内の行為を行うことなく、専らそれ以外の労務に従事する者)というのは一種の人的属性であるから、選挙カーの運転行為のみを行う者が労務者であるからといって、選挙運動者が選挙運動と併せて選挙カーの運転等の労務者のなし得る行為をした場合に労務者となり、報酬の支給ができるものと解することはできない。》

との判例例(東京地判平15・8・28、同旨2事案:東京高判昭47・3・27、大阪高判昭36・12・20)に照らせば、折田氏がmercheの社長として行った「ポスター・チラシのデザイン、スライド制作等」が、仮に「機械的労務」であったとしても、それについて折田氏に対価を支払えば買収罪が成立する。(支払先はmercheであるが、同社は折田氏が代表を務める小規模企業であり、同社への支払は折田氏への支払と同視できる可能性が高い。)

さらに、mercheについては、12月20日付けの読売新聞記事で

《10月5日、斎藤氏と広報担当者に対し、SNSを使った選挙中の情報発信で協力できると提案した。翌6日、広報担当者からこの支援者のスマートフォンに「SNS監修はPR会社にお願いする形になりました」などと、提案を断る趣旨のメッセージが届いた。」》

と報じられており、同記事のとおりであれば、斎藤氏側は、他の支援者から情報発信への協力を申出られても不要として断る程度に、mercheにSNS運用を全面的に委ねていたことになる。

結局のところ、斎藤氏の代理人として奥見弁護士が行った説明自体が、買収罪を否定する弁解として成り立たないのである。

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「立花暴露発言」に誘発された「折田ブログ投稿」で、斎藤知事は絶体絶命か

パワハラ問題などで県議会の全会一致の不信任決議を受け、兵庫県知事を失職した斎藤元彦氏が、11月17日投開票の「出直し知事選挙」で圧勝し、知事に再選された。兵庫県民は、県議会の不信任を否定し、斎藤氏を知事に信任したわけだが、斎藤氏に対する批判の契機となった同県の西播磨県民局長の自殺の原因、同局長が作成した告発文書の真偽、兵庫県側のその告発文書の取扱いに関する公益通報者保護法の問題などをめぐって、見方が分かれており、斎藤氏が知事に復帰した後も兵庫県の混乱は容易におさまりそうにない。

この問題については、今年9月初め、兵庫県議会で不信任案が提出され、それまで斎藤知事を擁護していた維新の会が一転して辞職を求めた時点で、YouTubeチャンネル《郷原信郎の「日本の権力を斬る!」》で取り上げ、その問題を、パワハラ、公益通報者保護の問題としてではなく、むしろ「維新の会が進めてきた改革路線をめぐる対立の問題」ととらえるべきという意見を述べた。一方で、マスコミや世の中は、「斎藤知事パワハラ批判」「公益通報者保護法違反批判」一色となり、単純化していったことに違和感を覚えた私は、その後、斎藤知事問題は、YouTubeでもXでも全く取り上げず静観してきた。

今回の知事選で斎藤氏が再選されたことを受け、これまでに明らかになっている事実を整理し、改めて問題を整理しようと考えていたところ、11月20日に、ネット上で、折田楓という女性が、斎藤知事のネットを中心とする選挙広報を、自身が経営する会社ですべて任されて実行したことを吹聴するブログ記事が発出され、ネット選挙の運動買収に当たるのではないかと、ネット上で騒ぎが拡大している。

斉藤知事問題は、その表面化から現在まで、想定外の事象の発生の連続だった。出直し知事選挙での斎藤知事の勝利で決着がついたかと言えば決してそうではない。大逆転の鍵を握ったとされるネット選挙問題に関して買収の公選法違反の疑いが表面化したことで、再度の逆転の可能性も出てきた。これまでの経過を踏まえ、現状で問題点を整理し分析してみたいと思う。

「パワハラと自殺」問題としての斎藤知事問題

斎藤知事をめぐる問題が、混乱に次ぐ混乱を重ね、さらに、今回の兵庫県知事選挙で、事前の予想に反して、終盤での大逆転で、斎藤知事が当選するという結果になった要因として、まず指摘できるのは、そもそも「斎藤知事問題」というのが、いったいどういう問題なのか、メディアの報道で、問題が単純化されていたため、兵庫県民には、極めて曖昧かつ不正確にしか理解されていなかったことである。

もう一つは、選挙戦の中で、主としてネット上で、そのような斎藤知事問題への従前の曖昧な認識理解を決定的に覆す「斎藤知事に有利な断定的な発言・発信」が行われ、それがネット上でSNS等を通して一気に拡散されたことである。そこには、そのような急速な情報拡散を可能にする「ネット選挙運動の仕組み」が用いられた。それが斎藤氏側に有利になったことである。そのネット選挙について公選法違反の重大な嫌疑が生じている。

斎藤知事の問題が大きく取り上げられる契機になったのは、3月に、マスコミや県議会関係者に、斎藤知事について、「パワーハラスメント」を含む7つの問題についての「匿名の告発文書」を送付し、その作成者と特定されていた西播磨県民局長が、7月に自殺したことだった。

匿名の告発文書については、斎藤知事の指示による県の調査で告発者が元県民局長であることが特定され、3月末の退職予定が取り消され、懲戒処分が行われた。それが、県議会で設置された百条委員会で「斎藤知事のパワハラ問題」として取り上げられ、元県民局長の証人尋問が予定されていたが、その直前に自殺したものだった。

元県民局長の匿名文書への外部への告発が「公益通報」に該当するのであれば、兵庫県の対応は「匿名通報の犯人捜し」「通報者の不利益処分」に該当し公益通報者保護法に違反する疑いが問題とされた。

百条委員会などで「元県民局長の自殺」と「斎藤知事のパワハラ」の二つがクローズアップされたため、世の中には、「パワハラと自殺」の問題のように受け止められ、「パワハラによって人が亡くなっている」かのような誤った認識が生じた。

「パワハラと自殺」をめぐる過去の問題

「パワハラと自殺」をめぐる問題は、過去にも多く発生している。

電通過労死問題」は、電通の違法残業問題として大きな注目を集め、労働基準法違反の刑事事件に発展し、厳しい社会的批判を受けたが、そこには上司のパワハラの問題と、長時間労働を強いる「パワハラ的職場環境」の問題があった。女性新入社員は 2015 年 4 月入社。10 月から担当業務が大幅に増加。これに新入社員の研修や懇親会幹事などの雑務が加わり、11 月上旬にはうつ病を発症していたと推測されている。このような中、自ら SNS で長時間労働を訴える内容や上司などのパワハラ・セクハラを疑わせる内容も発信していた。10 月の月間所定時間外労働は入退館データとの突き合わせにより約 130 時間に達していた。そのような長時間労働が基本的に変わらない状況で、12 月 25 日に、女性社員が投身自殺したものだった。

2023年に宝塚歌劇団の劇団員が自殺した問題でも、遺族側がいじめ・ハラスメントが自殺の原因だとして真相解明を強く求め、劇団員の死亡について事実関係や原因を把握するため、外部の弁護士による調査チームを設置することが発表された。

11月14日、劇団の理事長らが記者会見を開き、弁護士チームによる調査報告書を公表したが、その調査報告書では、長時間労働は認めたものの、遺族側が強く訴えていた「いじめ・ハラスメント」の事実は「確認できなかった」とし、「業務以外」「個体側の脆弱性」などという表現で、自殺の原因が、劇団側の問題以外にあった可能性を示唆していた。それに対して、遺族側代理人が猛反発し、ただちに記者会見を開いて調査報告書を批判し、調査のやり直しを求め、最終的には、歌劇団は、遺族から求められていた謝罪と補償について合意し、阪急阪神ホールディングスの角和夫会長らが遺族に対して謝罪した

上記の2つの事例は、いずれも「パワハラと自殺」という問題だった。

自殺の場合、当事者が亡くなっている以上、信用できる遺書で自殺の理由が明確に綴られているなどの場合を除いて、本当の原因を確定することは困難だが、電通や宝塚歌劇団の場合のように、当該組織の側にパワハラやパワハラ的職場環境の問題が指摘されている場合は、自殺を契機に、そのような組織的な問題に焦点が当たる場合が多い。

それに対して、問題とされる組織の側が、自殺の原因が他にある可能性を示唆する、ということがよくある。宝塚歌劇団の場合が典型例であり、弁護士による調査報告書でそのような言及をしたことで遺族側の大きな反発を受けた。電通過労死問題でも、当初、電通が裏で、高橋さんの自殺が会社の責任ではなく「失恋」などの個人的な問題だという情報を流布していた疑いもあった。しかし、電通の過酷な長時間勤務の実態が明らかになり、厚労省の調査が刑事事件に発展し、社会の厳しい批判を受けたこともあり、電通側から自殺の原因に関する話などが出てくる余地はなかった。

公益通報者保護法上の「通報対象事実」

兵庫県の問題では、元県民局長は、「斎藤知事のパワハラ等を匿名告発した」のであり、その自殺の問題は、斎藤知事のパワハラの被害を受けたことが原因ではなかった。しかし、上記のような電通や宝塚歌劇団など、過去に多くの問題で、「パワハラと自殺」が世の中に印象づけられていることもあり、「パワハラによって人が亡くなった」という問題のように誤解する人も少なくなかった。さらに問題を複雑にしたのは、「パワハラと自殺」の問題と関連づけられる形で、公益通報者保護法違反の問題が論じられたことだった。

3月12日に元県民局長が行った匿名の告発文書の送付は、県の通報窓口への「正式な通報」として行われたものではなく、マスコミや県議会関係者に送付されたものであった。正式な通報であれば、県の通報処理のルールでセクハラ、パワハラなども含め幅広く対象にしているが、組織の外部に対して行われたものであれば、そのような通報窓口の処理の対象とはならない。それが、「通報対象事実」に該当し、「外部通報」の要件に該当する場合に限り、公益通報者保護法による保護の対象となり、その場合は、「匿名通報の犯人捜し」「通報者の不利益処分」は違法となる。(元県民局長は、4月に兵庫県の通報窓口に正式に通報を行ったが、それは告発者として特定され、懲戒処分を受けた後のことである。)

公益通報者保護法は、「通報対象事実」について、

この法律及び個人の生命又は身体の保護、消費者の利益の擁護、環境の保全、公正な競争の確保その他の国民の生命、身体、財産その他の利益の保護に関わる法律として別表に掲げるもの(これらの法律に基づく命令を含む。以下この項において同じ。)に規定する罪の犯罪行為の事実又はこの法律及び同表に掲げる法律に規定する過料の理由とされている事実

としている。つまり、「通報対象事実」は、限定列挙されている法律に違反する行為、又は犯罪であることが要件なのである。

上記の「外部通報」が、「通報対象事実」の要件に該当するものであれば、公益通報者保護法の保護の対象となるが、いずれかの要件に該当しない場合は、同法上の保護の対象とはならず法的義務は発生しない。

元県民局長の匿名の告発文書で取り上げている事実は、以下の7項目だった。

1. 五百旗頭真先生ご逝去に至る経緯

令和6年3月6日にひょうご震災記念21世紀研究機構の五百旗頭真理事長が急逝したのは、その前日に、齋藤知事の命を受けた片山安孝副知事が五百旗頭先生を訪問。副理事長の御厨貴氏、河田惠昭氏の解任を通告したことによる精神的負担が原因ではないか

2. 知事選挙に際しての違法行為

2021年知事選挙の際、兵庫県職員が、選挙期間以前から斎藤元彦立候補予定者について、 知人等に対する投票依頼などの事前運動を行った

3. 選挙投票依頼行脚

斎藤知事が、2024年2月に、但馬地域の商工会、2月16日に龍野商工会議所に出向き、2025年に予定される知事選挙での自分への投票依頼をした

4. 贈答品の山

斎藤知事が、視察先で贈答を受け、貰い物は全て独り占めにしている。出張先では地元の、 首長や利害関係人を陪席させて支払いをつけ回す。

5. 政治資金パーティ関係

齋藤知事の政治資金パーティ実施に際して、県下の商工会議所、商工会に対して経営指導員の定数削減 (県からの補助金カット)を仄めかせて圧力をかけ、バー券を大量購入させた。

6. 優勝パレードの陰で

プロ野球阪神・オリックスの優勝パレードは県費をかけないという方針の下で、企業から寄附を募ったが、必要額を大きく下回ったので、信用金庫への県補助金を増額し、それを募金としてキックバックさせることで補った。パレード担当課長が不正行為と大阪府との難しい調整に精神が持たず、うつ病を発症した。

7. パワーハラスメント

自分の気に入らないことがあれば関係職員を怒鳴りつける。例えば、出張先の施設のエントランスが自動車進入禁止のため、20m程手前で公用車を降りて歩かされただけで、出迎えた職員・関係者を怒鳴り散らし、その後は一言も口を利かなかった。自分が知らないことがテレビで取り上げられ評判になったら、「聞いていない」と担当者を呼びつけて執拗に責めたてる。知事レクの際に、気に入らないことがあると机を叩いて激怒する。

幹部に対するチャットによる夜中、休日など時間おかまいなしの指示が矢のようにやってくる。日頃から気に入らない職員の場合、対応が遅れると「やる気ないのか」と非難され、一方では、すぐにレスすると「こんなことで僕の貴重な休み時問を邪魔するのか」と文句を言う。

この告発文書の7項目については、公益通報者保護法の「通報対象事実」に該当する可能性があるとすれば、6だけである。

2,3,5は、斎藤知事の政治活動や選挙運動に関する公選法違反等の指摘であり、通報対象事実ではない。そのような違反があると思料するのであれば、捜査機関に告発すべき事項だ。1も外郭団体の人事に関して「配慮が足りなかった」という話であり、違法行為の指摘ではない。4も「知事としてのふるまい」の話であり、違法行為ではない。7のパワハラは、通報窓口への通報の対象として重要な事項だが、公益通報者保護法の「通報対象事実」には該当しない。

6の事項は、仮に、企業からの寄附が補助金と紐付けられていたとすれば、兵庫県側が、不正な目的で補助金を支出したとして刑法の背任罪に該当する可能性があるので、「通報対象事実」になり得る。

公益通報者保護法は、マスコミ等への「外部通報」について、「そのような事実があることを信じるに足りる相当な理由があること」(真実相当性)に加えて、

(ⅰ)内部通報では証拠隠滅のおそれがあること

(ⅱ)通報者を特定させる情報が洩れる可能性が高いこと

(ⅲ)内部通報後一定期間調査の通知がないこと

(ⅳ)生命身体への危害等の急迫した危険があること

のいずれかに当たることを要件としている。6の事項については、上記の(ⅰ)(ⅱ)のいずれか又は両方の要件は認められる可能性が高いので、「真実相当性」の要件を充たせば「外部通報」に該当する可能性はある。

しかし、少なくとも元県民局長の告発文書の内容は、上記6の事項以外は、斎藤知事のパワハラ問題も含め「通報対象事実」には該当しないものがほとんどであった。

斎藤知事の対応の問題とその背景

しかし、だからと言って、この問題に対する斎藤知事の対応に問題がなかったわけでは決してない。

元県民局長の告発文書には、県の公金支出の在り方についての重大な問題である前記6の事項や、県のトップとしての適格性にも関わる前記7の斎藤知事のパワハラ問題などが含まれていた。そのような文書が、県の内部者によってマスコミや県議会関係者にばら撒かれたのであるから、公益通報者保護法との関係は別として、そのような問題を指摘されたことに対して、県のトップである知事として、しっかり向き合い、事実の有無と評価を客観的に明らかにし、県民に対して、或いは県議会に対して説明するコンプライアンス上の義務があった。

ところが、斎藤知事は、自身の問題についての「県の内部者によると思われる匿名告発」を、「怪文書」のように扱い、事実の指摘に全く向き合おうとせず、そのような文書を外部に拡散したことを問題にした。県執行部に告発者を特定する調査を行わせ、それが元県民局長であることを突き止めると、知事定例会見で「嘘八百を含む文書を作って流す行為は公務員として失格」などと批判し、元県民局長の懲戒処分を行った。そして、この告発文書のことが県議会で取り上げられ、百条委員会の調査の対象とされ、元県民局長も証人喚問されることが決まっていたが、その直前に自殺したのである。

このような斎藤知事側の対応や、それに対する県議会側の追及、それに対する知事側の反発の背景に、3年前の知事選から尾を引く県議会の一部勢力との対立の構図があった。

2021年の兵庫県知事選挙では、自民党が井戸前知事派の県議会議員が、前副知事の金沢和夫氏を擁立したのに対して、国会議員団は、一部の自民党県議は、元大阪府財政課長で維新の会が擁立した斎藤氏を支持し、自民党の分裂選挙となった。その結果、斎藤氏が金沢氏を破って知事に就任したのだが、その対立は今も尾を引いているようだ。

反斎藤知事派の県議にとっては、この元県民局長の自殺の問題を、斎藤知事を辞任に追い込むネタにしたいという思惑があり、斎藤知事を守ろうとする片山安孝副知事、維新の会、自民党の県議の政治的対立の中で、県議会での不信任案可決、斎藤知事失職、出直し知事選挙、選挙最終盤での大逆転と展開していった。

「斉藤知事のパワハラ」「公益通報者保護法違反」が百条委員会の中心論点に 

元県民局長の自殺に関して問題になり得るのは、匿名の告発文書については、斎藤知事の指示による県の調査で告発者が元県民局長であることが特定され、3月末の退職予定が取り消され、懲戒処分が行われるなどの不利益処分が行われたことが「パワハラ的行為」であり、それが、元県民局長が追い込まれ、自殺に至った原因ではないか、ということだった。

ところが、県議会の百条委員会では、「斎藤知事のパワハラ」の有無と、それに対する斎藤知事側の対応の公益通報者保護法違反の問題が中心的な論点として扱われた。

それに対して、斎藤知事側は、「告発文書には真実相当性がないので懲戒処分は公益通報者保護法違反にならないというのが県の顧問弁護士の意見だった」と説明した。前記の斎藤知事の定例会見での「嘘八百」という発言も、「真実相当性」を意識したものだったと思える。

しかし、「真実相当性」の問題は、「犯人捜し」「不利益処分」を正当化する根拠になるものではない。本人が、いかなる根拠によって、それが真実であると信じたのか、信じるに足りる相当な理由があったのかどうかは、その不利益処分について訴訟が提起された場合に、裁判所の司法判断によって決せられるべきことで、「不利益処分」を正当化する理由にはならない。「真実相当性」は、元県民局長への斎藤知事側の対応が公益通報者保護法に違反しないことの理由になるものではなかった。

ところが、斎藤知事側が、「真実相当性」の問題を持ち出したことで、県議会の百条委員会の側は、「斎藤知事のパワハラ」の真実性を見極めるための手段として、県職員への匿名アンケート調査という、(最近、企業不祥事の第三者委員会の調査等で多用されるが)極めて問題がある調査手法を用いた。

組織の不祥事が表面化した時点での構成員への匿名アンケートは、回答内容が他人の言動に影響されやすく、自己の体験と伝聞とが区別できないことなど、信用性に非常に問題がある。アンケート回答の内容は、誇張や歪曲も多い(実際に、アンケート調査の回答を多用したスルガ銀行の「カボチャの馬車」問題の第三者委員会報告書の内容は、その後、提起された民事訴訟で一部信用性が否定されている)。

公益通報者保護法に関して問題なのは「斎藤知事のパワハラ」ではないのに、それが法違反に当たるかどうかの最大の問題であるかのように扱われ、しかも、斎藤知事側が不利益処分を行った弁解になるものではない「真実相当性」が論点とされ、それに関して匿名アンケートなどという信用性に疑問がある方法がとられたことで、議論は、「斎藤知事問題の本質」とは全く異なった方向に向かっていった。

片山前副知事が持ち出そうとした「不倫問題」

このような中で、斎藤知事側が、元県民局長の告発文書の信憑性を否定するため、そして、その自殺の原因が、斎藤知事側の問題ではないことの主張の根拠として持ち出したのが、元県民局長の「不倫問題」だった。

7月に辞任した片山安孝前副知事は、百条委員会の証人尋問で、告発者の特定のための兵庫県の調査の過程で、元県民局長の公用パソコンの中から、個人情報の漏洩や庁内の女性との不倫問題に関する文書が発見されていた事実があることを持ち出そうとした。元県民局長の自殺の原因は、百条委員会の証人尋問で、その「不倫問題」が表に出ることを恐れたことが原因である可能性を示すことで、自殺の原因が、斎藤知事側の「犯人捜し」「不利益処分」ではなく、百条委員会側が証人尋問で元県民局長が追い込まれたと主張する意図だった。

これは、ある意味では、「パワハラと自殺」の問題で、社会的批判を受けた宝塚歌劇団等に見られたような、自殺原因が別の個人的問題にあると主張することに等しい。

百条委員会では、その不倫問題を取り上げることに消極的だったため、片山氏は、マスコミからの取材に対して、不倫の事実について公言しようとしたが、担当記者は、取り上げようとしなかった。

「騙されていた」「真実がわかった」有権者の反応がSNSで拡散

自殺した元県民局長に庁内不倫の問題があったとしても、それは告発文書の信憑性とは関係がない。斎藤知事の問題を調査する百条委員会の場で持ち出すこと自体がおかしい。自殺した元県民局長の死者の名誉に対する配慮からも、そのような発言を取り上げないようにしたことは間違ってはいない。

しかし、「元県民局長の不倫問題が自殺の原因に関連する」とする片山前副知事の発言が表に出ていなかったこと、それが、世の中に認識されないままになっていたことは確かである。

それを、知事選挙の期間中に、当選する目的ではなく、斎藤候補を支援する目的で立候補した立花孝志氏が、街頭演説、YouTube動画等で明らかにした。「百条委員会側やマスコミが元県民局長の不倫問題を隠蔽し、斎藤知事問題の真実を覆い隠していた」と立花氏が暴露したことによって、有権者に「騙されていた」「ようやく真実がわかった」などと受け止められた。それが、選挙終盤にSNS、YouTube動画等で拡散され、選挙結果に大きな影響を及ぼすことになった。

有権者の斎藤知事問題に対する認識理解がもともと曖昧であったため、「斎藤知事のパワハラによって自殺者が出た」「パワハラ告発に対する斎藤知事の対応が公益通報者保護法違反」などと単純に思い込んでいるも多かった。そのような人にとっては、初めて、この問題に関して「明確な事実」が示されたことが、それまでの斎藤知事に対するイメージを劇的に変える効果を持ったものだった。もともとの認識が曖昧で不正確だったからこそ、本筋とは関係ない事柄なのに、それによって、斎藤知事問題に対する見方を大きく変える力を発揮した。

こうして、出直し知事選挙は、斎藤知事の圧勝に終わり、世の中に、特に、それまでの斎藤知事の追及一辺倒だったマスコミに衝撃を与えたのである。

選挙後の「ネット選挙運動買収疑惑」の浮上と斎藤知事失職の可能性

しかし、この問題は、それでは終わらなかった。

知事選挙の投開票日の3日後の11月20日に、西宮市にあるPR会社『merchu』の代表取締役の折田楓氏が、ブログ上で、選挙におけるSNS発信やチラシ、政策パンフレットや選挙公報などに、PRの専門家としてさまざまな助言を与えていたことを公表した。

折田氏の会社の会議室で斎藤知事をまじえておこなうミーティング風景や、選挙やSNSで使う写真素材の撮影風景などもブログに掲載している。実質的に斎藤陣営における広報PR活動のほぼ全てに主体的に関わっていることを自ら公表する内容だった。

折田氏が、斎藤知事に直接依頼されてネット選挙運動を、会社の業務として全面的に仕切っていたとすれば、それは選挙運動そのものであり、しかも、無償で行われていたとは考えられない。斎藤氏がその対価を払ったということであれば、「当選を得しめる目的をもつて選挙人又は選挙運動者に対し金銭、物品その他の財産上の利益を供与した」ということで斎藤氏は公選法221条1項違反の買収罪に該当する可能性が高い。

斎藤知事は22日、マスコミの取材に対し

「法に抵触する事実はない」

とコメント。さらに代理人弁護士は

「SNS戦略の企画立案などについて依頼をしたというのは事実ではありません。あくまでポスター制作等法で認められたものであり相当な対価をお支払いしております。公職選挙法に抵触する事実はございません」

とコメントしているが、斎藤氏が折田氏の会社にSNS戦略の企画立案などについて依頼をした事実は、折田氏が明確にブログで述べており(その後、斎藤知事に関する記述などを削除)、折田氏がブログで公表した事実を否定することは困難だと思われる。

仮に、斎藤氏側が、「折田氏のブログの内容が事実に反する」と主張するのであれば、折田氏は、妄想によって虚偽の内容をブログに記載したことになる。折田氏は、斎藤県政の下で兵庫県地方創生戦略委員や、兵庫県eスポーツ検討会委員などを務めており、今回の選挙で斎藤知事に当確が出た直後に、自身のSNSアカウントの投稿に、斎藤知事と撮った写真とともに

「また、一緒に仕事ができる日を楽しみにしています」

と書き込んでいるが、そのような「妄想」をネット上で公言するような人物に対して、今後県の公職を務めさせることができないことはもちろん、そのような虚偽のブログの記載で斎藤知事に重大な公選法違反の疑惑を生じさせたことについて、不法行為による損害賠償請求を行うことも当然ということになる。

折田氏が、軽率にも、SNSを活用したネット選挙運動での活躍を自慢するブログを書いてしまったことが、せっかく大逆転勝利を収めた斎藤氏を再び奈落の底に落とすことになっている。

なぜ、折田氏がそのようなブログ投稿を行ったのか。そこには、立花氏が、「当選を目的としない候補」として、知事選に乱入し、「元県民局長の不倫問題の隠蔽」を暴露したこと、それがSNS、YouTube動画等で拡散されて、選挙結果に多大な影響を与えたことで、立花氏が斎藤氏逆転勝利の立役者のようにもてはやされていることに我慢がならなかったようだ。

投稿直後のブログの記載によると、折田氏の会社は、1か月近くにわたって斎藤氏のネット選挙運動を全面的に仕切り、それによって作ったイメージが逆転勝利に大きく貢献したとのことであり、その手柄を立花氏に横取りされたことへの不満が、折田氏を、絶対に行ってはならない「会社としての選挙運動の告白」に駆り立ててしまった。

しかし、それも、冷静になって振り返ってみれば、「斎藤知事のパワハラによって自殺者が出た」「パワハラ告発に対する斎藤知事の対応が公益通報者保護法違反」などとの誤った思い込みもあり、有権者の斎藤知事問題に対する認識理解がもともと曖昧であったことで、立花氏が断定的に示した「元県民局長の不倫問題が告発と自殺の真相だ」という話で、有権者が過剰に反応したということであり、もともと、この斎藤知事問題をめぐる経過が異常だったということに他ならないのである。

斎藤知事が公選法違反で処罰され、当選無効・公民権停止となって失職する可能性は相当程度高いと言わざるを得ない。このような問題を抱えて、しかも、全会一致で不信任案を可決している県議会と対峙して県政の安定が実現できるとは思えない。斎藤知事は、冷静に事態を受け止め、辞任を検討すべきだろう。

それによって、混乱と衝撃が続いた「斎藤知事劇場」に終止符が打たれ、信頼できる健全な兵庫県政を担える知事が選び直されるべきであろう。

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「裏金問題」という“ブラックホール”に落ちた自民党~石破首相の最重要課題となった法務大臣人事

10月27日投開票の衆議院議員総選挙は、自民党が56議席を失い、自公でも215議席と過半数を大きく割り込む結果に終わった。その大惨敗の原因の大半が、自民党派閥政治資金パーティーをめぐる「裏金問題」にある。

昨年12月に検察捜査で表面化した「裏金問題」で、自民党に対する批判が高まり、その問題への対応でも厳しい批判を受けた結果、自民党は4月の衆院3補選で全敗、その後も内閣支持率下落が続いたことを受け、岸田文雄前首相は、9月の総裁選への不出馬・退陣を表明した。

9候補が乱立して争われた総裁選では、「裏金議員」への厳正な対応も、「裏金問題」への抜本的対策も示せないまま、結局のところ、従来の自民党的な「党内力学」で石破茂氏が総裁に選任されたが、石破氏は、新総裁就任直後、国会で新首相に指名される前に、総裁選で示していた「予算委員会での議論を経て総選挙での審判を受ける」との方針をあっさり撤回、首班指名直後に衆議院を解散して10月27日投開票で衆院選を行うことを宣言した。総裁と言えども、「裏金問題での国会追及回避最優先」という自民党内論理に抗えないことを露呈したものだった。

それにより、石破新首相に対する国民の期待は裏切られ、石破内閣は、新内閣発足時としては最低の内閣支持率から出発することになった。そして、情勢調査の結果が、裏金問題批判のために厳しいものであることを知った自民党執行部が、「裏金議員」合計12人を衆院選で非公認とすることを発表したが、それが、党内から反発を受ける一方で、国民からは「裏金議員への厳正な対応」としては評価されず、公示後の選挙情勢は自民党にとって一層厳しいものとなった。

そして、選挙期間終盤で「非公認議員への2000万円提供問題」を日本共産党の機関紙『赤旗』にスクープされ、「裏金議員への裏公認料」との批判が一気に燃え上がり、それに対し、石破首相が

「党支部に党勢拡大のための活動費として提供したもので、候補者に対するものではない。選挙のためには使わない」

などと反論したことで批判はさらに炎上、自公両党の大惨敗につながった。

一方の野党側では、野党第一党の立憲民主党は、50議席も議席を伸ばして大躍進したが、野田佳彦代表をはじめ、「裏金問題」を徹底批判したに過ぎず、「年収の壁打破」等の政策を掲げ若年層の支持を集め議席を4倍増させた国民民主党以外に、与党側との対立軸となる政策が支持されたわけではなく、また、政策遂行能力を示したわけでもなかった。少なくとも、「裏金問題」の追及によって、野党に対する国民の期待や信頼が高まったわけではない。

政党間のイデオロギー対立が希薄となり、政策面でも、積極財政・消極財政、消費税減税の可否、憲法改正の是非なども、政党内での意見も統一されていない状況にあり、政党選択と政策選択とは必ずしも直結しない。それだけに、有権者の選択においては、政策面の違いより、「政党・政治家への信頼」が選挙における選択の大きな要因になっていることが示されたのが今回の選挙だったと言える。

総選挙後、少数与党となった自民党の石破首相は、28議席となった国民民主党に政権運営への協力を要請するなど、国会での多数派工作を行っているが、いずれにしても、自民党の大惨敗と野党第一党の立憲民主党の大躍進の原因となった「裏金問題」は、与野党勢力が伯仲する今後の政治状況や国政選挙に向けて、引き続き重大な問題となっていくことは避けられない。

「裏金問題」とは、どういう問題なのか

では、今回の総選挙の結果に決定的な影響を与えた「裏金問題」というのは、いったい、どういう問題なのか。

明らかになったのは、自民党派閥の政治資金パーティーをめぐって、ノルマを超えた売上が「収支報告書に記載不要の金」として派閥側から所属議員側に「還付金」ないし「留保金」として供与され、実際に、所属議員側では、政治資金収支報告書への記載は行っていなかった。その金額が、清和政策研究会(安倍派)では5年間で総額5億円以上に上っていた事実である。

総選挙では、野党側が、

「『裏金議員』は『脱税』『泥棒』」

と批判したのに対して、自民党側では、当事者の議員などが

「裏金ではなく不記載であり、記載義務違反という形式的な問題に過ぎない」

と主張したが、そのような「言い分」はほとんど無視された。

しかし、「裏金問題」が、なぜ「脱税」なのか、「泥棒」なのか、問題の中身も、責任の所在も、問題解消のための方策も、全く明らかになっていない。それゆえ、「裏金議員がほとんど処罰も受けず、裏金について所得税も課税されず、納税も全く行っていないこと」「裏金問題の事実解明がほとんど行われていないこと」について、自民党に対する国民の強烈な反発不満が生じている。

自民党にとっては、「裏金問題」は“正体不明の巨大なブラックホール”であり、衆院選では、その中に、次々と吞み込まれ、成す術なく惨敗したのである。

なぜ「裏金問題」が“ブラックホール”になってしまったのか、その経緯と原因を明らかにしなければ、この問題を解決することはできない。

『赤旗』報道が契機となった「裏金問題」

昨年12月、「自民党政治資金パーティーをめぐる問題」が表面化し、閣僚クラスの議員を含め、多額の裏金を得ていたことが報じられると、当初は、「東京地検特捜部による捜査」が大きな注目を集め、どれだけの自民党政治家が、どれ程厳しく処罰されるかに関心が集中した。急遽、全国の地検から応援検事の派遣を受けて異例の大規模捜査体制で捜査が行われた。

今年1月19日に検察の捜査は一応決着したが、国会議員で起訴されたのは、大野泰正参院議員と池田佳隆衆院議員の二人と、谷川弥一衆院議員が罰金の略式命令を受けただけだった。4000万円を超える「裏金」を供与されていた谷川氏は、議員辞職をした際の記者会見で開き直り、記者に悪態をつくなどして、国民に不快感を与えた。大野、池田両氏は、全く非を認めず、公判では全面的に争う姿勢を示しており、その後、公判に向けての動きは、全く報道されず、公判予定も明らかになっていない。それ以外で起訴されたのは、派閥の事務担当者や議員の会計責任者だけであった。

政治資金規正法上は、「政治資金の収支の公開」が義務づけられているのに、派閥から「収支報告書に記載しない金」の供与を受けて、実際に記載もしていなかった国会議員の処罰がほとんど行われなかったことに対して国民には大きな不満が生じた。

それ以上に、国民の強烈な反発の原因になったのが、「課税に対する不公平感」だった。

国会議員が、政治資金パーティーの売上の中から自由に使っていい「裏金」を受け取り、それについて税金の支払も免れていることに対して、国民は激しく怒った。国民は、事業者も、サラリーマンも、汗水流して働いたお金を報酬・給与として得る。それについては、法人の事業を行って得たお金であれば「法人税」等を、個人の収入として得たお金であれば「所得税」等を支払わなければいけない。その上で、残ったお金を自由に使うことができる。

この事件が注目を集め、検察の捜査、刑事処分が決着した時期は、個人事業主などは、払いたくもない税金を納めるために、確定申告に向けて気の滅入るような作業を強いられている時期だった。しかも、前年10月にはインボイス制度が導入され、「会計処理の透明化」の動きが中小企業や個人事業主にも及び、多くの国民が負担を強いられた。

それなのに、政治家の世界では、自由に使えて税金もかからない「裏金」という、「領収書不要の金のやり取り」が行われていたこと、大規模な政治資金パーティーで巨額の収入を得て、その一部を裏金で所属議員に分配し、彼らは税金も支払わず自由に使っている。そのことに対して国民は怒りを爆発させた。

それに加えて、この問題の事実解明がほとんど行われていないことも、自民党側への厳しい批判の理由とされた。

要するに、裏金問題に対する国民の不満が爆発したのは、

  • (1) 所属議員側は政治資金収支報告書不記載という違法行為を行っているのに、ほとんどの議員が処罰をされていない。
  • (2) 「領収書不要の裏金」を受け取っていたのに、使途が具体的に明らかにされず、所得税の納税をしていない。
  • (3) 派閥から所属議員に「裏金」として供与されていた経緯・理由等の事実解明が全く行われていない。

の3つが要因だったのである。

このうち、(1)の「裏金議員の処罰」の現状は、すべて検察当局が捜査を行い、その結果、刑事処分を行ったものであり、検察の判断の結果である。(2)の所得税の納税についても、「還付金」「留保金」を「政治資金収支報告書に記載しない」前提で受領し、そのまま議員個人が保管していた事例もあったことが自民党のアンケート調査で明らかになっており、常識的に考えれば個人所得で、税務の専門家は「個人的な費消の有無に関わりなく、政治資金収支報告書に記載しない金として派閥からの供与された金は、全額納税が当然」との意見であるが(【政治資金パーティー裏金は「個人所得」、脱税処理で決着を!~検察は何を反省すべきか。】)、議員側には納税に向けての動きはなく、国税当局の税務調査も行われていない。

それは、検察当局が、派閥から所属議員に供与された金は政治団体(政党支部)に帰属する政治資金であり、政治資金収支報告書に記載すべきであったとして、収支報告書の訂正を行わせることで事件を決着させたからだ。それによって、原則として議員個人には帰属しなかったことになり、それを個人的な用途に使った事実が具体的に明らかにならない限り(議員個人が保管していても)、所得税の課税の対象にならない。しかも、原則として所得税の納税義務も申告義務もない、ということであれば、「政治活動に使った」とだけ説明すれば済み、使途を明らかにする必要もないということになる。実際に、殆どの「裏金議員」の説明は、その程度のもので済まされてしまった。

もし、議員側が所得税の納税を行えば、検察の認定に反する対応ということになる。検察OBの高井康行弁護士がBS番組で

「仮に、キックバックされた、政治団体にキックバックされたものを私はこれ個人的に全部雑所得として申告しますなんていうことをやったら、検察に喧嘩を売るのかと。検察は、政治団体に帰属していると言っているにもかかわらず、これは個人所得だということだから検察の認定を争うことになる。」

と述べているとおりである(【「裏金議員・納税拒否」、「岸田首相・開き直り」は、「検察の捜査処分の誤り」が根本原因!】)。検察の認定に従う限り、個々の「裏金議員」にとって所得税の納税をする選択肢はなかったのである。

(2)について個々の「裏金議員」についての裏金の使途等について説明責任が果たされなかったことも確かだ。自民党が、還付金等の保管状況・使途等について報告を求めるなどして個々の「裏金議員」について責任の程度を評価し、処分のレベルや衆院選での公認非公認を判断することは、党として行い得ることであり、岸田総裁時代からの自民党の対応が極めて不十分であっただけでなく、石破総裁になった後も基本的に変わらなかった。

その点は、「裏金議員」個人というより、自民党本部側に責任がある。しかし、それも根本的には、検察当局が、派閥からの還付金等が政治団体に帰属するもので、その収支報告書に記載すべきであった、として、収支報告書の訂正を行わせることで事件を決着させたからである。議員個人宛の寄附と認定され所得税の課税の対象とされていたら、この点について議員側は説明を免れなかったはずだ。

このような個別の「裏金議員」の説明の問題とは異なり、(3)の派閥レベルでの裏金問題の経緯・理由という問題の根本に関わる事実解明は、検察捜査によらなければ困難だった。ところが、派閥の事務担当者が政治資金規正法違反で起訴されたが、その公判でも、検察が明らかにしたのは「かねて、ノルマを超えてパーティー券を販売した場合の『還付金』『留保金』に相当する金額を除いた金額を清和会の政治資金収支報告書に記載していた」と述べるだけで、「裏金問題」の経緯、意思決定のプロセス等の具体的な事実関係は何一つ明らかにされず、事務担当者から所属議員側に「収支報告書に記載不要」と説明していたことの具体的事実も明らかにされなかった。

要するに、国民の不満反発の原因となった、(1)の刑事処罰、(2)の納税の問題は、いずれも検察の捜査と刑事処分の判断の結果であり、しかも、(3)の事実解明も、検察にしか行い得ないことが大半であった。しかし、国民の認識や期待と事件の結末との間に著しい乖離が生じたことに対する不満や批判の大半は、裏金議員や自民党に集中し、それが総選挙での惨敗につながった。一方の検察に対しては、SNS上などで捜査処分が自民党議員に生ぬるい、政権に忖度したなどとして批判する声もあったが、ごく一部にとどまった。

1月19日に行われた刑事処分で捜査が終結して以降、通常国会予算委員会等で、野党側は、裏金問題の事実解明がほとんど行われていないこと、裏金議員が全く納税を行っていないことなどについて、政府、自民党側を厳しく追及した。それに対して、岸田首相は、

「検察当局が厳正な捜査をした結果」

であることを強調した。つまり、岸田政権は、「検察の捜査」を「盾」にとって批判をかわそうとしたのである。しかし、批判は一向に収まらなかった。「検察捜査」は盾になるどころか、「裏金議員が処罰されず納税もしない」という結果を招いたことで、批判に燃料を投下し続けることになっただけであった。

問題は、岸田前首相など、政府与党側が全面的に依拠していた「検察の捜査処分」とそれに基づく所得税納税についての対応が正しかったのかどうかである。

裏金議員は「収支報告書不記載・虚偽記入罪」では処罰困難だった

私は、かねてから、政治資金規正法には、「政治家個人が受領する裏金」の処罰が困難だという、「ザル法の真ん中に空いた大穴」の問題があることを、2021年2月の当欄の記事【政治資金規正法、「ザル法」の真ん中に“大穴”が空いたままで良いのか】、2023年の拙著【“歪んだ法”に壊される日本 ~事件・事故の裏側にある「闇」】などでも指摘してきた。

今回の「派閥政治資金パーティー裏金問題」についても、派閥から所属議員にわたった「裏金」について、国会議員の資金管理団体や政党支部の政治資金収支報告書の不記載・虚偽記入罪を適用する方向での捜査自体が間違いであることを繰り返し指摘してきた(【「ザル法の真ん中に空いた大穴」で処罰を免れた“裏金受領議員”は議員辞職!民間主導で政治資金改革を!】)。

政治資金収支報告書の不記載・虚偽記入罪で処罰するためには、どの政治団体の収支報告書の不記載・虚偽記入かを特定する必要がある。収支報告書に記載しないよう派閥側から指示されて渡されたのであれば、所属議員側は、どの政治団体の政治資金収支報告書にも記載しない前提で現金で受け取り、実際にどの収支報告書にも記載しなかったのであり、そのままでは、資金管理団体・政党支部などの複数の「国会議員の政治資金の財布」のうちいずれの政治団体に帰属し、どの収支報告書に記載すべきだったのかを特定することができない。もともと「収支報告書に記載しない前提の金」なので、不記載・虚偽記入の対象となる政治資金収支報告書が特定できず、処罰は困難ということにならざるを得ない。

「派閥政治資金パーティー裏金問題」について政治資金収支報告書の不記載・虚偽記入罪を適用することは、国会議員側が、敢えて帰属先を特定する供述をし、犯罪の成否を争わない姿勢にならない限り、もともと困難だったのである。略式起訴された谷川氏のふてぶてしい態度は「認めてやった」という認識の表れであり、全面的に争っている池田・大野氏について公判の予定すら明らかになっていないのも、還付金等の帰属についての立証上の問題に関係していると考えられる。

つまり、ノルマ超の売上の還付金等に政治資金収支報告書の不記載・虚偽記入罪を適用しようとした検察の捜査処理の方針自体が「無理筋」だったのであり、上記のような捜査処分の結末は、当然予想されたことだった。

独自のヒアリング等の調査の結果明らかになったこと

このように、「裏金問題」について何一つ事実解明が行われていないことを受け、私は独自にいくつかのルートを通じて「裏金議員」側に接触を図り、ヒアリングを行うなどして、「政治資金パーティーでの裏金提供の背景と経緯」「パーティー券販売ノルマは、誰がどのように設定したのか」「裏金の帰属」等を中心に事実解明に取り組んできた。

その結果から、安倍派(清和会)の裏金問題については、以下のような事実が把握できた(【「政治資金パーティー裏金問題の核心」に迫る~始まりは“マネロン”だった】)。

(ア)所属議員のノルマ達成のためのインセンティブとして導入されたのが、「還付金」「留保金」であり、その販売実績が、派閥内での評価につながっていた。実績に応じてノルマをどの程度に設定するかは、派閥会長を中心とする派閥幹部の匙加減によって行われていた。

(イ)派閥から所属議員に対するノルマ超の売上の供与については、かつては、派閥から一度自民党本部へ上納し、党本部から合法的に「収支報告書への記載も領収書も不要な政策活動費」として所属議員側に供与する「マネーロンダリング」が行われ、その後マネロンのプロセスは省略されるようになった。

これらの事実は、「裏金問題」の本質に関わるものであり、今後、この問題の解決、制度の是正を考えていく上でも極めて重要である。

まず、(ア)は、ノルマの設定が、派閥幹部の匙加減によるものであり、それが、派閥幹部の権力維持にもつながっていたということであり、だからこそ、ノルマの金額や、その設定の結果としての還付金等の金額は公表しないこととされていたと考えられる。そして、そのような還付金等の所属議員への供与が不透明な裏金として行い得たのは、「政策活動費」という形で政治資金の収支報告書による公開の例外が設けられていたためであり、それが、巨額の裏金処理の源流になっていたということなのである。

つまり、議員個人に関わる金の流れの不透明性と、それが派閥幹部等の権力の源泉にもなっていたことが、問題の本質なのである。

「政治家個人宛の違法寄附」ととらえる方向で捜査処理すべきだった

そもそも、「収支報告書に記載不要」との説明は、「収入について収支報告書への記載が義務づけられている資金管理団体・政党支部・国会議員関係団体等に対する寄附ではない」という趣旨を含むものであり、「収支報告書への記載義務がない議員本人に対する寄附」と解するのが合理的である。

それに加え、派閥の「政策活動費なので収支報告書に記載しないでよい」という説明は、「政治家個人宛の供与」の趣旨を含むものと解する根拠になる。「政策活動費」は、「政党から政治家個人」に対する「寄附」ないし「支出」であり、一般的には政治家個人への寄附が禁止されていることの「例外」として「政党から政治家個人への寄附」が認められている(政治資金規正法21条の2第2項)規定を利用しているためである。

さらに、上記(イ)の事実から、還付金等は、もともと自民党本部を経由した政策活動費という形で合法的に議員個人に供与され、その後、「党を経由する」というマネロンスキームが省略された経緯があるとすれば、「政策活動費だから収支報告書への記載は不要」という説明が、議員個人宛の寄附として供与する趣旨であったことは明らかだ。

このように、還付金等が、派閥から所属議員個人宛だったとすると、

  • 派閥側は、公職の候補者の政治活動に関する寄附の供与の禁止(第21条の2第1項)違反
  • 所属議員は、同寄附の受領の禁止(第22条の2)違反

で、第26条の「1年以下の禁錮又は50万円以下の罰金」の罰則が検討されるべきだった。

この罰則が適用され、処罰された場合には、寄附を受け取った議員側から、寄附額全額を没収することとなり、既に費消しているなどして没収できない場合は、追徴することになる。

検察がこれらの規定を適用して、「政治家個人宛の違法寄附」で処罰するためには、派閥側から政治家個人宛の寄附として供与を受けたことについての個別具体的な認識を立証する必要がある。この場合の捜査は、還付金等の保管状況、使途等を具体的に解明し、それと議員個人の関わり、認識を個別に明らかにすることになる。その点について証拠が十分でなければ議員の処罰は困難だが、その場合も、実態としては「政治家個人宛の寄附」である以上、所属議員個人の所得となり、所得税の課税の対象となり、政治活動の費用として使われた金額を除いて、雑所得として所得税の申告をすることになる。

政治家個人宛の寄附の禁止の罰則が適用され、処罰することができた場合は、罰金でも公民権停止に追い込むことになることに加え、違法寄附は全額没収、又は追徴となっていた。

ところが、検察捜査の結果、実際に処罰された議員は略式命令を受けた谷川元衆院議員だけ、しかも、同議員は4000万円を超える寄附を受けていたのに、それを没収・追徴されることもなく、所得税の納税も全く行っていない。他の議員についても、原則として議員個人の課税の対象外となり、議員が、政治資金を私的用途に費消した事実がない限り所得税が課税されない。まさに、政治家個人宛の違法寄附の方向で捜査処理した場合とは「真逆の結果」なのである。

検察が捜査処分の方向性を誤った原因

今回の「派閥政治資金パーティー裏金問題」の捜査処理の方向性が誤っていたことは明らかだ。検察は、どうしてこのような間違いを犯してしまったのか。

一般的には、政治と検察との緊張関係は、ロッキード事件、リクルート事件のように、特定の政治家をターゲットとする検察の大規模な「政界捜査」が行われ、それによって、政治家の不正・腐敗が明らかになり、国民から批判されるというパターンである。しかし、今回の裏金問題は、そのような従来の検察の「政界捜査」の構図とは大きく異なった。

発端は、日本共産党の『赤旗』日曜版の記事と上脇博之神戸学院大学教授の東京地検への告発だった。その告発事件の捜査の過程で、派閥政治資金パーティーをめぐって、ノルマを超えた売上が「収支報告書に記載不要の金」として派閥側から所属議員側に「還付金」ないし「留保金」として供与され、その金額が、清和政策研究会(安倍派)では5年間で総額5億円以上に上っていたという、大規模な「裏金問題」が明らかになり、それが、マスコミによって大々的に報じられていった。

特捜部などの検察官捜査において、告発事件というのは基本的には積極的に取り組む案件ではない。しかも、本件の発端は、日本共産党の機関紙の報道である。告発を受理した以上、所要の捜査として派閥関係者の取調べが行われたのであろうが、この時点で、この事件を「大規模特捜案件」とする意図はなかったものと思われる。しかし、「政治資金パーティーの裏金の実態」を知る自民党関係者にとって、その問題で東京地検特捜部の取調べが行われたこと自体が脅威だった。動揺した自民党側の反応が、一部で報道され(私が知る限りでは、最初の報道は【選択】2023年11月号である)、それがきっかけとなって、「自民党派閥政治資金パーティーをめぐる裏金事件」として、マスコミで大きく報道されるようになった。

それを受けて、検察としても、「裏金の実態全体の解明」に乗り出さざるを得なくなった。多数の派閥所属議員の取調べのため、全国の地検から相当数の応援検事を動員して大規模捜査を行うことになったが、特捜部側には、もともと「やらされ感」があり、積極的に捜査に取り組もうとした事件ではなかったはずだ。そこで、特捜部は、従来の政治資金規正法違反のパターンにあてはめ、今年1月の通常国会開会前に手っ取り早く捜査処理を終えようとした。

しかし、この問題は、「自民党の政治資金の不透明性」という構造問題に起因するもので、それまでの政治資金規正法違反事件のような単発的な事件とは性格が大きく異なる問題だった。政治資金規正法の罰則の適用と捜査の方向性について、早い段階から、事案の性格や罰則適用上の問題点を踏まえた慎重な検討を行うことが必要だった。特定の政治家をターゲットとして、「巨悪との対決」のイメージで行われる「政界捜査」とは全く異なるものであった。

多くの国会議員に関する、政治的な影響も極めて大きい問題であるからこそ、事案の実態に即し、違法な寄付の処理や税務問題なども含めて、常識にかなった、世の中の納得が得られる処分とすることが必要だったといえる。

ところが、東京地検特捜部は、従来の「政界捜査」としての政治資金規正法違反事件と同様に、「政治資金収支報告書の不記載・虚偽記入罪」の適用を前提に捜査処分を行った。それを前提に、議員側に所得税が課税されない方向の政治資金収支報告書の訂正を行わせた。派閥側と個別の議員に収支報告書を訂正させて、何とか事件処理と平仄を合わせることに汲々とし、肝心な事件そのものについての事実解明はほとんど行えなかったというのが実際のところであろう。

それにより、刑事処罰、納税について国民の認識との間に著しい乖離を生じさせただけでなく、「派閥政治資金パーティー裏金問題」の事実解明も、ほとんど行われなかった。それが「正体不明のブラックホール」となって、衆院選で自民党を直撃し、自公両党は過半数を大きく割り込み、日本の政治は大混乱に陥ることになった。

「裏金事件」の捜査処理の誤りと法務・検察組織の根本的な問題

「政治資金パーティーをめぐる裏金問題」は、戦後の日本政治において権力の中心を占めてきた自民党の派閥の中で長年にわたって慣行的に続いてきた、政治資金の不透明なやり取りを象徴する「構造的問題」であり、その捜査・処分が、日本の政治と社会に甚大な影響を与えることは十分に予想された。

一方で、適用する「政治資金規正法」は、政治腐敗、「政治とカネ」問題への批判を受け、議員立法による改正で政治的妥協を重ねてきた歴史があり、その規制にも、罰則にも、多くの欠陥・抜け穴がある。そのような法律を用いて、また、適切な課税をも視野に入れて、適切に罰則適用し、実態に即した解決を導くことは、決して容易なことではなかった。

その検察を所管する法務省刑事局は、政治資金規正法改正の都度、罰則審査に関与しており、法律や罰則の解釈について豊富な知識・経験の蓄積があるのだから、それらを十分に活用し、法解釈面で検察当局をサポートすることが必要だった。

そして、罰則適用ができない理由が、法律の不備、欠陥によるものであれば、それを指摘して、法改正の必要性の認識に結び付けることも必要だった。前記のとおり、政治家個人に裏金が供与された場合に、帰属先が特定できないために処罰できない「政治資金規正法の大穴」の問題の根本には、政策活動費等の政治家個人の不透明な政治資金のやり取りが政治資金規正法上合法とされてきたことがあるという点も、今回の裏金問題の背景として明らかにすべきだった。

しかし、既に述べたとおり、本件については、検察の捜査処理が「裏金問題」の実態に沿うものではなかったことから、捜査の結末とそれに伴う課税が、世の中の認識とあまりにも乖離した。法務大臣の下にある法務省の一部局としての同省刑事局が、その役割を十分に果たしたとは思えない。

内閣の一員の法務大臣と「準司法機関たる行政機関」の検察との微妙な関係

国民の代表である国会の信任を得て成立している内閣の一員たる「法務大臣」には、このような検察当局の捜査処理と法務省刑事局の対応が、国民の納得が得られる適切なものとは言い難かったことについて、決して責任がないとは言えないはずだ。

しかし、そこには、法務省に属する行政機関でありながら、日本の刑事司法の中核を担う準司法機関である検察の位置づけ、行政権を担う内閣の一員である法務大臣との関係という微妙な問題がある。

検察権も行政権の一つであり、検察庁も法務省に属する行政組織である。検察権の行使についても、内閣が国会に対して、そして最終的には国民に対して責任を負う。そして、国民を代表する国会で選ばれた内閣の一員として、検察権の行使について責任を負うのが法務省の長たる法務大臣である。

法務大臣と検察官の関係に関しては、検察庁法14条で、法務大臣は、

「検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個別の事件の捜査・処分については、大臣は個々の検察官を直接指揮監督することはできず、検事総長に対してのみ指揮を行うことができる」

とされ、個別の事件に関しては、法務大臣の指揮は、検事総長の指揮監督を通してのみ、検察官の個別の刑事事件の捜査・処分に反映させることができるとされている。

内閣の一員である法務大臣は、行政機関たる検察の権限行使にも最終的に責任を負う立場であるが、一方で、検察は、内閣から独立して「法と証拠に基づいて権限行使を行うこと」を使命とし、「権限行使の独立性」が尊重される準司法機関であり、検察の個別事件の捜査・処分に法務大臣が介入することは、極力差し控えるべきとされてきた。

本来、上記の微妙な問題はあるものの、法務大臣にとって、検察庁法14条に基づく検察への対応は、最も重要な職責の一つであるはずだが、過去の歴代の大半において法務大臣は政治家・国会議員であり、就任会見の時点から「指揮権は行使しない」と確約し、実際に、検察の問題を「聖域」のように扱い、一切関わりを持たないかのような態度に終始してきた。

法務大臣が、個別の事件、とりわけ政治家に関連する事件について個別の事件の捜査処分に介入すること、それが、大臣自身が所属する政党や派閥を利する方向である場合は、重大な政治責任を負うことになる。造船疑獄における犬養毅法務大臣の指揮権発動が、吉田茂内閣の総辞職につながったのが典型例である。

しかし、今回の「裏金問題」についてみると、検察の捜査処理の方向性が、事案の実態にも法律の趣旨にも沿わないものとなり、所得税の課税も含めて、国民の認識と大きな乖離が生じかねない状況だったのである。そうした中で、検察が適切な捜査処理を行える環境を整えるための法務省刑事局のサポート等を積極的に行うよう指示すること、国民が重大な関心を持つ政治資金規正法違反事件の捜査処分について、個別事件についての公開禁止に反しない範囲で、法解釈や捜査処理の方針等について、国民に納得できるよう説明を行うよう「一般的指揮権」に基づいて検察当局に指示することは、法務大臣として極めて正当な対応のはずだ。それにより、「裏金事件」の刑事事件としての展開も、政治的影響も、大きく異なるものになっていたはずだ。

法務大臣が果たすべきだった重要な役割

昨年12月19日、東京地検特捜部が、「政治資金パーティー裏金事件」で政治資金規正法違反の疑いで強制捜査に乗り出し、安倍派と二階派の事務所を捜索した時点で、二階派に所属する小泉龍司法務大臣

「検事総長への捜査の指揮権を持つことから、今後の捜査に誤解を生じさせたくない」

として、二階派を離脱した。

その時点で出した記事【指揮権に対応できない小泉法務大臣は速やかに辞任し、後任は民間閣僚任命を】で、法務大臣が、捜査の対象となっている派閥に所属していた自民党の政治家であった場合、公正で客観的な判断が求められる法務大臣の職責を果たすことはできないことを指摘し、リクルート事件の際の元内閣法制局長官・元最高裁判所判事の高辻正己氏、ゼネコン汚職事件の捜査の際の民事法学者の三ケ月章氏のように、十分な法律の素養がある民間人の法務大臣起用が適切だとの意見を述べた。

しかし、岸田首相は、法務大臣人事について問題意識を欠いたまま小泉氏を留任させ、その後、「政治資金パーティー裏金事件」について、法務大臣も法務省当局も、表だった対応は全く行わなかった。小泉氏が、法務大臣としての検察への関わりをすべて拒絶するに近い姿勢をとっていたことは、その後、参議院法務委員会で、検察庁法14条の法務大臣の指揮権について質問され、

「検事総長が法務大臣をなだめるための規定」

「検事総長が、冷静になってくださいと、介入しないでくださいという政治家を止めるための規定」

などという“珍説”を述べたことにも表れている。

小泉大臣は、大川原化工機の事件で人質司法のため被告人の胃癌が悪化して死亡した後に公訴取消しになったこと、河井元法務大臣の買収事件では、東京地検特捜部の検事が不起訴を示唆して供述を誘導したことなどについても、「個別事案に対する指揮権と境を接する問題」だと述べて、法務大臣として調査を指示したり、是正のための措置をとることをしなかった。法務大臣として対応することを全て否定したのは、一貫して検察問題への法務大臣としての関与を拒絶してきたことの表れである。

世の中の様々な事象に関して発生する刑事事件の中には、外交上の判断が必要になる事件、検察官個人の犯罪にとどまらず、検察の組織自体の不祥事に発展した事件など、検察による「法と証拠に基づく判断」だけでは適切な対応が期待できないものもある。そのような「検察の権限行使の限界」に関して、行政権の行使の主体である内閣との唯一の接点として重要な役割を果たすべきなのが法務大臣だ。しかし、歴代の法務大臣のほとんどは、捜査権限を有する検察に対して物を言うことに腰が引けていたため、本来の職責を果たして来なかった。

今、検察は、畝本直美検事総長の袴田事件再審判決に対する「総長談話」が、無罪が確定した袴田氏に対する名誉棄損だと批判されている問題、プレサンスコーポレーション事件での大阪地検特捜部検察官の恫喝暴言による取調べの特別公務員暴行陵虐事件で大阪高裁で付審判開始決定が出されたこと、大阪地検北川健太郎元検事正の性的暴行事件など、多くの極めて深刻な問題に直面し、組織自体が危機的状況にある。

このような状況において、検察に対する一般的・個別的指揮権を有する法務大臣の職責は極めて重大だ。石破首相は、特別国会に首班に指名されると、衆院選で落選し、辞任が不可避となった牧原秀樹氏の後任の法務大臣を任命することになる。その人選を、本稿で述べてきたことを踏まえて適切に行うことは、少数与党への転落で厳しい政権運営に直面している石破首相にとって、最重要課題であることは間違いない。

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「畝本検事総長談話」大炎上の背景にある検察の「全能感」と“法相指揮権問題”

1966年に静岡市内で一家4人が殺害された強盗殺人放火事件(「袴田事件」)の再審で、9月26日に静岡地裁が言い渡した無罪判決に対して、検察は、控訴期限の2日前の10月8日に控訴を断念することを発表した。その際に公表した、畝本直美検事総長の談話(以下、「畝本総長談話」)に対して、弁護団が抗議の声明を出すなど、厳しい批判が行われており、SNSのX上でも批判の投稿が「炎上」し、「検事総長」がトレンドに入りした状態が続いた。

畝本検事総長に対する直接の批判は、検察として控訴を断念して無罪判決を受け入れているのに、検事総長として「本判決は、その理由中に多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容であると思われます。」などと、控訴断念と矛盾する意味のことを発言し、検察の公式見解として公表していることに向けられている。

弁護団は声明で、控訴を断念して袴田氏の無罪を確定させておきながら、袴田氏を犯人視する談話をするというのは、名誉毀損になりかねないとしている。検事総長に対する批判がここまで「大炎上」していることの背景には、今、衆議院総選挙で最大の争点となっている「自民党派閥政治資金パーティーをめぐる裏金事件」で、殆どの国会議員が処罰されず、納税もしないままに終わったことに対する不満があるのではないだろうか。

しかも、石破新内閣の発足によって就任した牧原秀樹法務大臣は、10月11日の定例会見で、弁護団から「無罪になった人を犯人視している」と批判が出ていることについて、

「検察は無罪を受け入れている。不控訴の判断理由を説明する必要な範囲で、判決内容の一部に言及したものと承知している。そうした意見は当たらない」

と述べて、検事総長を擁護したとのことだ。

しかし、「判決内容への言及」は、その結論が「控訴すべき事案」というもので、「不控訴の判断理由の説明」とは真逆であるからこそ批判されているのである。「不控訴理由の説明に必要な範囲の論評」だというのは全く通らない。牧原法相は、旧統一教会との関係が衆院本会議や記者会見で追及され、選挙支援を受けていたことや、教団や関連団体の行事に少なくとも10回出席したことを認めおり、そのような問題を抱える法相が、凡そ理由にならない理由で畝本総長談話を擁護したことで「検事総長批判」にさらに燃料を投下する結果になりかねない。

検察に対する批判・不信は、2010年の村木厚子氏に対する冤罪事件と証拠改ざん事件以来の深刻さだ。

畝本総長談話には、どういう問題があるのか、牧原法務大臣はどう対応すべきだったのか。それらを検討するためには、改めて、検察という組織が本来果たすべき職責、そして、法務大臣と検察との関係について、根本的に考え直してみる必要がある。

検察の「権限行使」について、誰が責任を負うのか

憲法第65条第1項では、「行政権は、内閣に属する」と規定されており、内閣は行政権の行使について国会に対して連帯して責任を負うとされている(内閣法第1条第2項)。

検察権も行政権の一つであり、検察庁も法務省に属する行政組織である。検察権の行使についても、内閣が国会に対して、そして最終的には国民に対して責任を負う。そして、国民を代表する国会で選ばれた内閣の一員として、検察権の行使について責任を負うのが法務省の長たる法務大臣である。

刑訴法上、検察官が公訴権を独占し、訴追裁量権を持つ日本の刑事手続において、刑事事件に関して検察が極めて強大な権限を有しており、日本の刑事司法の下では、検察の判断は、事実上、裁判所の司法判断に近いものとなっている。それだけに、「司法権」の行使に直結する検察の権限行使については、裁判官の独立と同様に、検察官個人としての独立性と、検察組織としての独立性が尊重されている。が、内閣の一員である法務大臣と、内閣から独立して「法と証拠に基づいて権限行使を行うこと」を使命としている検察との関係については、微妙な問題がある。

それは、検察官の権限行使には他の官庁にはない特殊性があるためである。検察庁法1条の「検察庁は検察官の行う事務を統括するところとする」との規定、および個々の検察官が行う意思決定は国家が行う意思決定とみなされることから、個々の検察官は、独立して検察事務を行う「独任制の官庁」とされ、検察庁がその事務を統括すると解されている。他の行政官庁のようにそのトップである大臣の有する権限を、各部局が分掌するという一般の官公庁とは性格が大きく異なるのである。

つまり、検察官は、担当する事件に関して、独立して事務を取り扱う立場にあるが、一方で、検察庁法により、検事総長が「すべての検察庁の職員を指揮監督する」(7条)、検事長・検事正が管轄区域内の検察庁の職員を指揮監督する(8条、9条2項)とされ、検事総長・検事長・検事正は、各検察官に対して指揮監督権を有し、各検察官の事務の引取移転権(部下が担当している事件に関する事務を自ら引き取って処理したり、他の検察官に割り替えたりできること)を有している。それによって「検察官同一体の原則」が維持され、検察官が権限に基づいて行う刑事事件の処分、公判活動等について、検察全体としての統一性が図られている。つまり、主任検察官個人の権限行使に対して、上司の決裁によるチェックが行われ、事件の重大性によっては、主任検察官が、所属する検察庁の上司や、管轄する高等検察庁や最高検察庁等の上級庁の了承を得た上で権限行使が行われる。

法務大臣の指揮

そのような検察の権限行使と法務大臣との関係について、検察庁法14条は、

「法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。」

と規定している。

同条本文は、検察官としての権限行使に関して、一般的に法務大臣の指揮監督に服することを規定している。つまり、事件処理の一般的な方針、法令解釈等については法務大臣が個々の検察官に対して直接指揮監督を行うことができる。しかし、但し書で、個々の事件の取調又は処分、つまり「検察官としての権限行使」については、法務大臣が行う指揮の対象を検事総長に限定しているため、法務大臣が個々の検察官を直接指揮監督することはできず、検事総長に対して指揮を行い、検事総長に部下の検察官に対する指揮を行わせることによってのみ、法務大臣の指揮を個々の検察官の権限行使に反映させることができるとされている。「検察の権限行使の独立性」を確保することと、法務大臣が、行政権に属する検察権の行使について内閣の一員として主権者たる国民に責任を負う原則との調和を図っているのである。

法務大臣が個々の事件について個々の検察官を直接指揮することができるとすると、検事総長、検事長からの指揮を受けている場合、どちらに従うべきかについて混乱を来すことになる。そこで、法務大臣の指揮は、個々の検察官に対する指揮監督を通じて個々の事件について最終的な決定権者の立場にある検事総長に対して行うようにすることで、個々の事件の捜査・処分についても法務大臣の権限が及ぶこととされているのである。

法相指揮権が「封印」される契機になった造船疑獄

検察庁法上は、指揮権の行使の範囲についての制約はない。しかし、少なくとも、一般の刑事事件に対しては、検察官の権限行使の独立性を確保することが、刑事事件について「法と証拠に基づいて適切に処理すること」だとされており、実際上、そこに法務大臣が介入する必要はないし、敢えて介入した場合には、政治的意図による不当な干渉という批判を招くことになる。

1954年の造船疑獄で、佐藤栄作自由党幹事長の逮捕を差し控えるよう犬養法務大臣が指揮権を発動したことで、当時の吉田茂首相の自由党政権に対する世論の批判が急激に高まり、首相退陣に追い込まれることとなった。

「政治的圧力によって、正義を実現しようとした検察捜査の行く手が阻まれた」とのマスコミや世の中の認識があり、それが、「検察の正義」は神聖不可侵のもので外部からの圧力・介入は断固排除すべきという、戦前の「統帥権干犯」のような考え方につながった。

しかし、実際には、この事件についての法相指揮権発動の真相は、そのような単純なものではなく、政治家と検察との間に様々な思惑と駆け引きがあったことが、史料や関係者証言から明らかになっている(『指揮権発動』渡辺文幸著、信山社)。

それ以降、法務大臣の指揮権は、検察庁法に規定されていても、実際に行使することは許されない「封印されたもの」のように理解されることとなった。

しかし、法務大臣の指揮権が問題となるのは、そのような政治と検察の対立場面だけではない。検察の「法と証拠に基づく判断」には限界もある。世の中の様々な事象に関して発生する刑事事件の中には、検察が「法と証拠に基づいて判断すること」だけでは適切な対応が期待できないものもある。その場合は、検察の判断に委ねるだけではなく、法務大臣の指揮権による対応を検討することが必要となる。ところが、造船疑獄での指揮権発動以降、事実上「封印」されてしまったため、法務大臣の指揮権が検討されるべき場面でも、実際に活用されることはなかった。

外交上の判断と法務大臣の指揮権

法務大臣の指揮権が検討されるべき典型例が、外交上の判断が必要になる事件に対する捜査・処分である。

事件が外交問題に密接に関連し、捜査・処分によって外交上の影響が生じる場合、検察が、外交上の影響をも含めて判断して捜査・処分を決定することは適切ではない。その判断が適切ではなかった場合の責任を検察が負うことはできないからである。検察には外交の専門家はいないし、外交関係に関する情報もない。外交上の判断は、外務省を所管官庁として、内閣が国民に対して責任を持って行うべきであり、個別事件の捜査・処分においてそのような外交上の判断が必要な場合には、内閣の一員である法務大臣が総理大臣との協議の上で、検察に対して指揮を行うことが必要となる。

このような場合には、検察の側で、外交上の判断が必要な事件と判断した段階で法務大臣に報告し、その指揮を仰ぐべきである。捜査・処分に関して外交上の判断が必要な刑事事件というのは、検察が外部の介入・干渉を受けることなく独立して判断すべきという「検察の組織の独立性の枠組み」だけで対応することになじまない事例の典型である。

このような理由で指揮権を発動すべきであった事案として、2010年9月に起きた尖閣列島沖での中国船の公務執行妨害事件がある。

中国船船長の釈放を決定した際の会見で、那覇地検次席検事が「最高検と協議の上」と述べた上で、「日中関係への配慮」が釈放の理由の一つであることを明らかにした。この事件での船長の釈放、そして、結果的に不起訴処分となることについて、検察が組織として外交上の判断を行ったかのように説明したのである。

しかし、検察官が訴追裁量権の行使に当たって考慮できるのは、当該刑事事件の情状や犯罪後の更生の可能性に関連する事情であり、外交上の配慮は、248条の訴追裁量権で考慮すべき事項に含まれるとは考えられない。

国の行政組織の役割分担と責任の所在という観点から考えたとき、外交問題は外務省が所管し、その責任を負うのは外務大臣であり、国として最終的には内閣総理大臣が責任を負う。検察が外交上の判断を行ったとすれば、権限を逸脱したものである。

検察が船長釈放について外交関係に配慮したかのような説明を行ったことに対して、当時の仙谷由人官房長官は「了とする」と述べ、「官邸側の意向を受けて検察が釈放を決定したのではないか」との疑いの指摘に対しても、外交関係への配慮も含めてすべて検察の責任において釈放の判断が行われたように説明した。しかし、外交上の判断の責任は内閣にあるのであり、犯罪の成否や情状評価等の処罰の必要性の判断という刑事司法上の判断を行う権限しか有しない検察に押し付けようとするのは許されないことである。

この中国船船長釈放問題については、検察が内閣側に政治的に利用された面がある。しかし一方で、このような、法務大臣の指揮権によらなければならない典型事例において、検察官の訴追裁量権の枠内で判断するかどうかという問題に対して、検察内部で十分な議論が行われたようには思えない。そこには「検察の正義」を絶対視し、いかなる場合においても、刑事事件の処分は検察内部で誰からの干渉も受けずに決めることに拘り、「法相指揮権」の完全否定を支持するマスコミや世の中の論調がある。その背景には、前述した造船疑獄での法務大臣の「指揮権発動」に対する誤解があるのである。

検察不祥事への対応と法相指揮権

事案の性格上、検察内部だけで判断することでは適切な判断が期待できない場合もある。

公務員による職権乱用などの罪について、検察官の不起訴処分に不服がある場合に、裁判所に事件を審判に付すよう請求できる「付審判制度」がある。これは、公務員職権濫用罪等の特定の公務員犯罪は、警察官・検察官が職務熱心の余り、その行為が違法と評価する程度に達していた場合に、検察官はその行為の結果の恩恵を受ける立場にあり、利害関係を有するため、本来であれば起訴すべき警察官の職権濫用行為を公平中立に起訴するとは想定できないという考え方に基づくものである。

最近では、プレサンスコーポレーション事件での大阪地検特捜部の検察官の取調べでの恫喝暴言の特別公務員暴行陵虐事件で大阪高裁が付審判開始決定を出した。このような事件について、検察の組織だけに委ねていたのでは起訴はあり得なかった。

刑事事件が、検察官個人の犯罪にとどまらず、検察の組織自体の不祥事に発展した場合、他の検察官・上司が共犯者となる場合の背景・原因に組織自体の問題が存在することも考えられる。このような場合、「検察の組織としての独立性の枠組み」で処理することでは公平中立な判断を期待できないことは一層明白である。

2010年に表面化した大阪地検の証拠改ざん事件等の不祥事の際、当時の柳田稔法務大臣が検事総長に対して「厳正な対応」を指示した。この対応は14条本文の一般的指揮権によるものとされているが、同条但し書きの指揮権の発動もあり得る事態だったとも考えられる。

そして、2011年に、東京地検特捜部が小沢一郎衆議院議員に対する陸山会事件の捜査の過程で、石川知裕氏(陸山会事件当時の小沢氏の秘書・捜査当時衆議院議員)の取調べ内容に関して特捜部のT検事が作成して検察審査会に提出した捜査報告書に、事実に反する記載が行われていた問題で、2012年6月27日、最高検察庁は、虚偽有印公文書作成罪で告発されていたT検事、特捜部長(当時)など全員を、「不起訴」とした。

この事件は、検察が組織として決定した小沢一郎氏の不起訴を、東京地検特捜部が、虚偽の捜査報告書を検察審査会に提出し、検察審査会を騙して「起訴すべき」との議決に誘導して覆した「特捜部の暴発」とも言える不祥事だった。

これに対して、当時の小川敏夫法務大臣は、不起訴処分の前に、検事総長に対して指揮権を発動して厳正な対応を求めようとしたが、野田佳彦総理大臣に止められたと、退任時の記者会見で明らかにしている(拙著【検察崩壊 失われた正義】毎日新聞社:2012)。

この時の検事総長は、私が検察官の現役時代の最も尊敬する上司であった。元特捜部長で特捜部の内実も知り尽くした検事総長ですら、この歴史上の汚点とも言える「検察不祥事」に対して厳正に対応することはできなかった。そのことは、検察の組織的不祥事に対する検察内部の対応の限界を示している。法務大臣の指揮権で対応すべき典型事例だったと言うべきだろう。

袴田事件再審判決への控訴と法相指揮権

では、袴田事件再審判決に対する検察官の控訴という「権限行使」について、どう考えるべきか。

この事件は、強盗殺人事件という、本来は、検察が、「法と証拠」に基づいて判断すべき刑事事件の典型例である。袴田氏を無罪とした一審判決には、「5点の衣類」のねつ造、当初の刑事裁判を担当した検察官に対する「ねつ造された証拠を公判に提出して冤罪を作り上げた」かのような事実認定が、証拠に基づく合理的なものと言えるかなど、検察官にとって許容できない事実認定の問題がある。検察が「法と証拠」だけで判断するのであれば、控訴申立以外に選択肢はないように思えた。

もともとは、典型的な刑事事件であったが、58年もの年月の経過により、もはや刑訴法に基づく刑事裁判として真相解明を行って解決する範疇を超えた事件になっている。再審判決は、捜査機関のねつ造を、従来の刑事訴訟による事実認定の枠組みを超えた強引な認定で無罪の結論を導いたが、それは、検察にとって「法と証拠」に基づく認定としては到底受け入れられるものではなかった。

一方で、事件発生から既に58年、袴田氏は88歳、これまで袴田氏を支えてきた姉のひで子氏も91歳。年齢を考えると、これ以上、再審の審理が長引くことは社会的に許容されない。しかも、再審判決の「5点の衣類」のねつ造を認めた事実認定を控訴審で覆せる可能性は十分にあるとしても、では、「袴田事件冤罪」が、これ程までに国民の共通認識になっている以上、控訴審で最終的に有罪判決が出される可能性があるかと言えば、ほとんどない。新聞各紙も社説で検察官控訴断念を強く求めており、実際に検察官が控訴を申立てた場合、検察組織が猛烈な社会的批判に晒されることは想像に難くない。

となると、強盗殺人という被害者・遺族がいる犯罪である以上、「法と証拠」に基づく検察の判断として不控訴の判断はあり得ない。

畝本総長談話の

《控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容である》

というのが、検察としての「法と証拠」に基づく判断という趣旨なのであろう。それを検察として公言するのであれば、検事総長としても、それを貫き、控訴申立を行うしかなかった。

《袴田さんが、結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果、本判決につき検察が控訴し、その状況が継続することは相当ではない》

という、社会的観点から「不控訴判断」をするのであれば、検察の判断とは切り離して行うしかない。

その解決の方法は、法務大臣が、指揮権に基づいて、検事総長に不控訴を指示することしかなかったのである。

誤った畝本総長談話の背景にある検察の「全能感」

検事総長談話として公表するものである以上、畝本総長だけの見解ではなく、少なくとも、最高検が組織として判断した内容であろう。なぜ、そのような誤った判断を行ったのか。

そこには、検察の組織において、「法と証拠に基づく判断」の限界が正しく理解されず、あらゆることが検察の権限内で解決可能であるような「全能感」に支配されていることに根本的な問題があるように思われる。

そして、本来、そのような「検察の権限行使の限界」に関して、行政権の行使の主体である内閣との唯一の接点として重要な役割を果たすべきなのが法務大臣だ。しかし、歴代の法務大臣のほとんどは政治家であり、捜査権限を有する検察に対して物を言うことに腰が引けていたため、本来の職責を果たして来なかった。

昔、私が、検事任官数年目の若手検事だった頃、当時国連アジア極東犯罪防止研修所所長だった大先輩の講話を受ける機会があった。その中で「検察も国のシステムの一つであることを忘れてはいけない」という話を聞き、目を見開かせられる思いをした。

検察も行政機関である以上、「国のシステムの一つ」であるのは当然のことなのであるが、検察官の仕事をしているうちに、刑事事件の捜査処理という刑事司法の世界を通して物事を考えるようになり、検察を中心に世の中が動いているという「天動説」のような発想になっていく。

外交上の判断が中心となった尖閣船長釈放問題で、法務大臣の指揮権という話にならなかったのも、今回の畝本総長談話で、「法と証拠に基づく控訴すべきとの判断」と、「社会的観点からの不控訴の判断」を検察が同時に行うかのように公言するという、致命的な誤りを犯してしまったのも、「法と証拠に基づく判断」の限界が正しく理解されていないことが根本原因であるように思える。

「検察も国のシステムの一つである」

そのあまりに当然のことを前提に、「法と証拠による判断」には一定の限界があることを踏まえて、法務大臣の指揮権の在り方を考えてみる必要があるのではなかろうか。

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「政治資金パーティー裏金問題の核心」に迫る~始まりは“マネロン”だった!

昨年12月から年明けにかけ、「自民党派閥政治資金パーティー問題」の検察捜査が、異例の大規模捜査体制で行われたものの、「裏金議員」3人が起訴・略式起訴されたほかは、会計責任者の起訴・略式起訴だけにとどまり、起訴された2人についても、公判が開かれる見通しも立たず、事実関係は全く明らかになっていない。政治資金規正法違反で起訴された清和政策研究会(安倍派、以下、「清和会」)の代表兼会計責任者の松本淳一郎氏の公判でも、検察の冒頭陳述は、単に「かねて、ノルマを超えてパーティー券を販売した場合の『還付金』『留保金』に相当する金額を除いた金額を清和会の政治資金収支報告書に記載していた」と述べるだけで、「裏金問題」の経緯、意思決定のプロセス等の具体的な事実関係は何一つ明らかにしなかった。

4月には、自民党の党紀委員会が、「裏金議員」39人に対して離党勧告から戒告までの処分を行ったが、「単なる不記載であること」を前提とするものであり、所得税の納税への言及すらなく、検察の捜査処分を前提とするものだった。

結局、「裏金問題」の真相は全く明らかにならず、裏金議員は納税すら行わないまま、4月の衆議院3補選で自民党は全敗、支持率低迷を受けて岸田文雄首相が退陣を表明した後の自民党総裁選で新総裁に選出された石破茂氏は、総裁選時に明言した予算委員会開催後に国民の審判を仰ぐとの方針に反して、就任直後に10月27日に衆議院総選挙を行うことを明言した。

裏金問題への対応が全く不十分なまま解散総選挙が行われることに対して、国民の批判が一層高まったことを受け、10月6日、石破新総裁は、派閥幹部に加えて、党の処分の対象となった「裏金議員」についても、説明が不十分で有権者の理解が得られない場合は総選挙で非公認にする方針を明らかにした。

総選挙の公示を目前に控え、「裏金議員」の説明はこれからが本番となった。

私は、裏金問題の真相が全く明らかにならない状況に対して、いくつかのルートを通じて清和会関係の「裏金議員」側に接触を図り、事実解明のためのヒアリングを行うなど、私なりに事実解明に向けての取組みを行ってきた。

そのヒアリングの結果と、これまで「裏金議員」の記者会見等での説明を基に、「政治資金パーティーでの裏金提供の背景と経緯」「パーティー券販売ノルマは、誰がどのように設定したのか」「裏金の帰属」等を中心に事実解明に取り組んできた。清和会の裏金問題について把握できた事実について私なりの分析を行った上、今後、「裏金議員」が行うべき説明とその評価について私見を述べることとしたい。

ヒアリング結果に基づく検討

(1)「ノルマの設定」は誰がどのようにして行っていたのか

清和会では、政治資金パーティー券の販売について「ノルマ」が設定され、ノルマ分の販売ができなければ議員側が自分で購入しなければならず、ノルマを超えて販売したら、その分が「還付金(ノルマ超分も清和会側に送金した後に還付してもらう方式)」あるいは「留保金(ノルマ超分はそのまま議員側で留保する方式)」として議員側に供与されるというやり方が、20年以上昔から継続してきた。

このようなやり方について、初当選の際に議員に直接説明され、ほとんどの議員が認識していたようだ。

すなわち、今回の問題のそもそもの原因は、議員側が強く達成を求められる「パーティー券販売ノルマの設定」にあったと言える(「還付金」「留保金」の供与と異なり、議員側がノルマ未達分を購入した具体的事実は確認されていないが、多くの議員が、ノルマ達成義務を認識し、それを前提として動いていたことは間違いない。)。

この「ノルマの設定」というのは、三塚博氏、森喜朗氏が清和会会長だった時代から、会長等の派閥幹部が決定し、パーティー券が配布されるときに、派閥の事務担当者から議員側に伝えられていたようだ。

ノルマは、初当選の際は低く、当選回数を重ねるごとに増えていき、閣僚になると一気に増える。それは、「派閥のおかげで閣僚にしてもらったのだから、その分、派閥に貢献すべき」という考え方による。

しかし、実際のノルマの具体的な金額は、必ずしも当選回数や閣僚経験の有無によって一律ではなく、会長等の派閥幹部の裁量(匙加減)で決められていたようだ。当該議員に対する期待や評価がノルマの金額に反映されることもあり、派閥内の上下の力関係を反映するものでもあった。議員相互間では、他の議員のノルマの金額はわからず、お互いにノルマについて話をすることもなく、所属議員は、そのようなやり方に従うしかなかったとのことだ。

2020年からのコロナ感染下では、パーティー券の販売もままならないだろうという配慮からノルマが引き下げられた。それにより、もともと支持者らに一定の枚数のパーティー券の購入を依頼していた議員は、ノルマ超の販売分についての「還付金」「留保金」の金額が従前より多額に上ることになった。

(2) 還付金等の派閥での「処理」とマネーロンダリング

議員側は、初当選の頃から、ノルマ超のパーティー券売上の還付金について、派閥の事務局から、

「派閥で処理済だから」

「政策活動費だから」

「所属議員側で収支報告書に記載しなくてよい」

「記載しないように」

などと指示され、それにしたがってきたと説明している。

三塚、森会長時代など、かつては、パーティー券の売上は、「還付金」等も含めて清和会の収支報告書に計上し、そのうち、「還付金分」を清和会から党本部に寄附し、それを、政策活動費として党が所属議員に寄附するという方法がとられていたようだ。「議員→派閥→党本部→議員」という流れで、一度、政党に入れて、政策活動費としてバックしてもらうという方法であり、この金の流れであれば、現行政治資金規正法上、政党から政治家個人への寄附は許容されているので、派閥から議員個人に適法にノルマ超の売上を供与できる。

しかし、その党本部との間のマネロンスキームはその後、省略されるようになり、結局、ノルマ超過分を派閥から議員に戻すという現在の「還流スキーム」だけが残ることになった。それに伴い、派閥側も所属議員側も両方不記載ということになった。

「清和会」側から「政務活動費なので収支報告書に記載しないでよい」と説明されていたことを、供与を受けていた所属議員の一人である宮澤博行衆議院議員(当時)が防衛副大臣辞任の際の記者会見で明らかにしているほか、政治資金規正法違反で逮捕起訴された池田佳隆氏も、昨年12月にいち早く政治資金収支報告書を訂正した際、そのように説明していた。また、自民党の調査に対する回答の中にもその旨の説明がある。

これらからも、「還付金」等について、「政党から個人あての政策活動費であるから収支報告書に記載不要」との説明が行われていたことは間違いないようだ。

もっとも、三塚、森会長時代においても、そのような党本部を介した寄附の正当化としてのマネロンが実際に行われていたかどうかは不明であり、単にそのように説明されていただけの可能性もある。

しかし、いずれにせよ、そのような「政策活動費という説明」がなされていたことは事実であり、それが、「還付金」等の性格、その帰属、違法性、についての議員側の認識に影響していたことは否定できない。

派閥と党本部との間で資金の移動が行われ、党本部で当該派閥の所属議員に対する政策活動費の支出の手続がとられていたとすれば、「合法的な裏金」として所属議員個人に帰属することになる。この場合、政治家個人に帰属する以上、当該議員の資金管理団体、政党支部等への政治資金収支報告書への記載義務はないが、一方で、原則として所得税の納付義務が生じる。

この党本部との資金移動のマネロンが行われていたとしても、ある頃から省略され、単に「政策活動費」「派閥で処理済」との説明だけが行われるようになった。その説明を、額面通りに信じていた議員がいたとすれば、政治資金規正法違反の認識も、違反を基礎づける事実認識もなかったことになる。

しかし、もし、党からの政策活動費であれば、党本部側から所属議員宛てに、支出した旨の連絡があるはずである。そもそも、派閥の政治資金パーティーの売上の一部還流という認識がある以上、「政策活動費の説明」を額面通りに受け止め「合法的な資金」と認識した議員は少なかったものと思われる。

つまり、議員側では、「政策活動費」「派閥で処理済」との派閥側からの説明があっても、違法ではないと認識していたことは考えにくいが、一方で、そのような説明を前提に、突き詰めて考えれば、資金の性格は、政党からの政策活動費と同様に、議員個人に向けられたものであり、本来は所得税の課税対象との認識につながったはずである。

(3)「ノルマ超のパーティー券の販売」の議員側の目的

ノルマに対してどのような姿勢で臨むかには、議員によって差があったようだ。最大限に努力してパーティー券を販売しても、課せられたノルマを達成するのがやっとという程度の議員にとって、ノルマ超の販売で裏金を得ようという意図はもともとない。しかし、議員の中には、ノルマ超のパーティー券の販売によって「裏金」を得ることを意図して、積極的に販売活動を行っていた議員もいたようだ。このような議員の場合、還付金等が「裏金」として供与され、それを議員側で自由に使えることのメリットを享受しようとする意図があったことになる。

このような「ノルマ超のパーティー券の販売によって裏金を獲得しようとする意図」の有無・程度は、必ずしも実際に得ていた「裏金」の金額の大きさと一致するわけではない。2020年以降のコロナ下で「ノルマの減額」の措置がとられたことから、それまでノルマを達成できる程度パーティー券の販売を行っていた議員に、「ノルマ減額分」が「還付金」「留保金」として供与されることになった。特に、閣僚経験者などノルマが高額に設定されていた場合には、ノルマの引き下げ額も大きく、「還付金」等の金額が高額になったと考えられる。

このように、意図することなく多額の「還付金」等を得ることになった議員は、その多くを、将来、ノルマが引き上げられた場合にノルマ未達で自らパーティー券を購入せざるを得ない場合に備え、「裏金」として保管しておこうとすることになる。実際に、将来のノルマ未達の場合のパーティー券購入費用として「還付金」等を保管していたと説明する議員も多かった。

ノルマ超のパーティー券の販売によって「裏金」を得ようとする積極的な意図は、結果的に得ていた還付金等の金額の多寡とは必ずしも一致しない。むしろ、ノルマ引下げ以前からの「裏金金額」が「積極的な裏金獲得の意図」を反映しているとみることもできる。

(4) 裏金の帰属

ノルマ超のパーティー券の販売で、派閥から議員側に供与される「還付金」等について、かつては、一度党本部を経由するマネロンによって「合法化」するやり方から始まったと考えられ、その後も「政策活動費」「派閥で処理済」との説明が行われていた。

還付金等を受け取っていた議員側は、それを、資金管理団体、政党支部など、特定の団体宛の金と認識していたわけではなく、あくまで、派閥から提供される「活動費」と認識していたに過ぎない。

そして、多くの議員は、「還付金」等を留保していた目的について、「将来、パーティー券の販売ノルマが達成できなかった時に、自分でパーティー券を購入して補填しなければならなくなることに備えるため」と説明している。仮に、販売ノルマ未達分のパーティー券を、議員側が購入して補填することになった場合、資金管理団体、政党支部の資金でパーティー券を購入した場合、収支報告書で公表することになり、派閥の所属議員によるパーティー券購入の事実が公表される事態は、派閥側も議員側も避けたいと考えるものと思われる(ヒアリングに応じた議員秘書も、「ノルマ未達分のパーティー券購入費を資金管理団体、政党支部で支出することは困難」と述べている)。結局、ノルマ未達分が生じた場合は、議員個人の資金でパーティー券を購入せざるを得ないと考えられる。

このように考えると、議員側が「派閥から供与された還付金等を、将来ノルマ未達分の補填に備えて保管していた」というのも、還付金等が政治家個人に帰属していたことを示す事実と言えるのである。

以上のようなことから、政治団体ではなく、議員個人に帰属することは明らかである。

ところが、清和会は、ノルマ超のパーティー券売上についての還付金等が、資金管理団体、政党支部宛ての寄附として政治資金収支報告書を訂正し、議員側でも政治団体に帰属するものとして収支報告書の訂正が行われている。

これは、所属議員側が、検察の取調べにおいて「仮に、収支報告書に記載するとすれば、どの収支報告書に記載していたか」と質問されて、資金管理団体、政党支部のいずれかを答えたことを根拠に、帰属先が特定され、検察の指導によって収支報告書の訂正が行われたものと考えられるが、還付金等の実態に即したものとは言えない。

清和会の場合、数年前まで、「餅代」「氷代」として、所属議員に政治資金を提供していたようであり、それは、予め「振込用口座」として清和会に届け出た銀行口座に振り込まれていた。もし、清和会側が、「還付金」等を、収支報告書に記載する前提で議員側に振込送金したとすれば、清和会に口座を届け出ている政治団体ということになるはずであるが、多くの場合、この届出口座の名義の団体と、政治資金収支報告書を訂正した団体とが一致しない。これも、「還付金」等が、訂正した政治団体宛の寄附ではないことを示していると言える。

結局、議員側が、政治団体宛の寄附との具体的な認識があったわけではないのに、検察の指導によって、資金管理団体、政党支部の収支報告書の訂正が行われ、それによって、議員側に供与された還付金等が、そのまま政治団体に帰属したことにされ、後述するとおり「私的流用」の事実がない限り、所得税の課税の対象にならないとされた。その結果、本来議員個人に帰属する収入であるのに所得税の課税を免れることになり、国民の強い不公平感につながっているのである。

政治資金規正法違反の成否

以上のような、今回の「裏金議員ヒアリング」の結果明らかになった事実関係からすると、派閥からの「還付金」「留保金」が、議員個人宛に供与されたものであることは明らかである。検察が、すべての「裏金議員」に対して、資金管理団体、政党支部の宛ての寄附だったとして政治資金収支報告書を訂正するように指導し、その帰属先の政治資金収支報告書の虚偽記入・不記載罪が成立することを前提に捜査処理したのは誤りだったということになる。以下のような、「公職の候補者の政治活動に関する寄附」の禁止規定の適用を前提に、検察の政治資金規正法の捜査処分が行われるべきだった。

政治資金規正法第21条の2第1項は、

「何人も、公職の候補者の政治活動に関して寄附をしてはならない。」

として「公職の候補者の政治活動に関する寄附の禁止」を定め、また、第22条の2は、

「何人も、第21条の2第1項に違反してされる寄附を受けてはならない。」

として公職の候補者の政治活動への寄附の供与と受領の両方を禁止している。

そして第26条は「第21条の2第1項の規定に違反して寄附をした者」(第1号)「第22条の2の規定に違反して寄附を受けた者」(第3号)について

「1年以下の禁錮又は50万円以下の罰金に処する。」

と定め、第28条の2は、

「第26条第3号の規定の違反行為により受けた寄附に係る財産上の利益は、没収する。その全部又は一部を没収することができないときは、その価額を追徴する。」

と定めている。

「政治資金パーティー裏金問題」は、派閥側が政治資金収支報告書にパーティー収入を過少に記載した虚偽記入罪(第25条1項)に加えて、派閥側に対しては、公職の候補者の政治活動に関する寄附の供与の禁止(第21条の2第1項)違反、所属議員に対しては、同寄附の受領の禁止(第22条の2)違反で、第26条の「1年以下の禁錮又は50万円以下の罰金」の罰則の適用を前提に捜査処理すべきだった。もし、この罰則が適用され、処罰された場合には、寄附を受け取った議員側から、寄附額全額を没収すること、既に費消しているなどして没収できない場合は、追徴することになる。

しかし、上記のような罰則適用が前提にされるべきだとしても、それらの罰則を適用して「裏金議員」の処罰が可能だったことになるわけではない。

政治資金収支報告書の虚偽記入・不記載罪の場合に、会計責任者が罰則適用の対象となるのとは異なり、個々の「寄附の受領」の行為について、「公職の候補者」すなわち政治家たる議員個人が罰則の対象となる。実際に処罰するためには、政治家個人宛の寄附を受けるという犯意をもって、個別の寄附を受けたことが証拠により立証される必要がある。

清和会の場合、政治資金パーティーのノルマ超の売上の還流は、20年以上前から慣行化していたとのことであり、議員の側は、ノルマの金額や、その増減等は認識していても、実際のパーティー券売上の処理や「還付金」「留保金」についての具体的事項は秘書に任せていて認識していない場合もあると考えられる。公職の候補者の政治活動への寄附の供与と受領の犯罪が成立するためには、個別の寄附について具体的な犯意をもって寄附・受領が行われることが必要であり、秘書に処理を任せていた場合には、政治家個人宛の寄附の受領の個別の認識がなく、犯罪が立証できない場合も多い。

実際に上記の罰則を適用して処罰できるのは、議員自身が「ノルマ超のパーティー券の販売を行う積極的な意図」を有している場合で、還付金の管理にも議員自身が関わり、政治家個人宛の寄附として還付金を受領したことについての個別具体的な認識が立証できる事例に限られる。

もっとも、犯罪の成立が立証できなかったとしても、実態としては「政治家個人宛の寄附」なのであるから、前提に受領した寄附の処置、納税などを検討すべきであろう。

裏金についての納税と没収

パーティー券の売上の「還付金」「留保金」について、検察は、所属議員の資金管理団体や政党支部宛の寄附だとして収支報告書の訂正を行わせたため、これらはすべて政治家個人に帰属しない政治資金だということになっている。政治資金であれば、原則として、議員個人に対する課税の対象外となり、議員が私的用途に費消した事実がない限り課税されない。

しかし、既に述べたように、議員個人に帰属する寄附だったのであるから、所属議員個人の所得となり、原則として、所得税の課税の対象とされるべきである。政治活動の費用として使われた事実が領収書等で明らかになる金額を除いて、雑所得として所得税の申告をすべきだ。

検察の捜査処理前提だと、政治団体に帰属した政治資金は原則非課税で「私的流用」だけが課税の対象となるのであるが、今回ヒアリング等で明らかになった事実を前提とすれば、原則として課税対象となり、実際に政治活動に充てた費用だけが控除されるという「真逆の税務処理」となるのである。

大きな差が生じるのは、議員に供与された「還付金」「留保金」のうち、使用されずに残っていた残余金の取扱いである。検察の捜査処理を受けての収支報告書の訂正を前提にすれば、残余金は、資金管理団体や政党支部に帰属し、通常の政治資金として使用できることになる。しかし今回ヒアリング等で明らかになった事実を前提とすれば、残余金は全て個人所得として申告し納税すべきということになる。

そして、前記のとおり、仮に、「政治家個人宛寄附」として政治資金規正法違反の犯罪の成立が認められれば、全額没収となるのである。犯意や個別の寄附の認識がないということだけで処罰を免れたとしても、法の趣旨からすれば、「還付金」「留保金」の残余金は、議員の手元に残しておくべきではないといえる。前記のとおり、還付金等の実態に即したものとは言えない検察の捜査処分の方針に沿って、政治団体への帰属を前提に政治資金収支報告書の訂正が行われ、自民党の処分も、検察の処分に沿う形で行われ、その後の議員側の対応も、すべてそれを前提に行われたため、その結果、議員側は、還付金等について所得税課税を免れ、その資金を、議員側の政治資金としてそのまま使えるという、国民には到底納得できない結末となった。

検察の処分が、いまさら変更される可能性は低いとしても、自民党や議員側の対応は、実態に即した方向で行われることが不可欠である。

「裏金議員」の説明と対応の評価ポイント

解散総選挙を目前に控え、「裏金問題」について、石破自民党総裁が、「裏金議員」のうち重い処分を受けた議員や説明が不十分な議員に対して非公認とすることを含む厳しい措置をとる方針を明らかにし、改めて裏金についての説明の在り方が問題となっている。

これまで述べてきたヒアリング結果を前提に、今後、裏金議員の個別の説明においてポイントとなる点を指摘しておこう。

(1)ノルマ設定への関与

今回の「裏金問題」の核心はノルマの設定である。その達成のためのインセンティブとして導入されたのが、「還付金」「留保金」であるともに、その販売実績が、派閥内での評価につながっており、実績に応じてノルマをどの程度に設定するかは、派閥会長を中心とする派閥幹部の匙加減によって行われていたようである。まさに問題の本質とも言えるノルマの設定が、細田博之氏までの派閥会長だけに委ねられていたのか、事務総長など派閥幹部も関わっていたのかについて、派閥幹部だった議員には、単なる「裏金議員」とは別次元の説明責任がある。

前記のとおり、コロナ下では、ノルマ金額が減額されたことが、それまでの同等のパーティー券販売活動をしていた議員に、多額の「還付金」等が入ることにつながった。この際、派閥幹部は、ノルマの減額を早くから認識しており、それに応じて、パーティー券の販売活動のレベルを下げていた可能性がある。閣僚経験者として高額のノルマを課せられていたと考えられる議員の中で、5年間の裏金総額を見ると、萩生田光一氏(2728万円)、山谷えり子氏(2403万円)、橋本聖子氏(2057万円)らと比較して、清和会事務総長だった松野博一氏(1051万円)、高木毅氏(1019万円)、下村博文氏(476万円)などの裏金金額が相対的に低く、コロナ下の2021年10月から翌年8月まで事務総長を務めた西村康稔氏に至っては、100万円と極端に少ない。このことからも、事務総長クラスの派閥幹部は、事前にノルマの減額の見通しを知り、販売活動をセーブしていたのではないかと考えられる。

(2)ノルマ超のパーティー券の販売を行う意図・目的

「裏金議員」がノルマ超のパーティー券の販売を行う積極的な意図の有無は、その悪質性を評価する上での重要な判断要素である。積極的な意図をもっていたのであれば、「領収書がいらない自由に使える金」を得ようとする目的があったということであり、選挙における買収資金のような「表に出せない金」や私的用途に使う意図があったということになる。

このような意図がどの程度にあったのかを判断する上で重要なのは、「コロナ下でのノルマ減額」によって予期せぬ形で入ってきた「還付金」等を除外した金額である。それは、意図して得ようとした裏金の金額に近いと考えられる。

(3) 裏金の保管形態

「裏金議員」の記者会見での説明や自民党の調査結果等からすると、保管形態としては、「議員事務所で管理していた」「銀行口座で管理していた」の二つがある。それ以外の形態であれば、「他の資金と個人の資金と混同していた」ということであり、「合理的な説明はできない」ということであろう。

議員事務所で保管されていた場合、一般的には、その支出は、政治活動費として処理可能なものに限定されている、ということが言える。もっとも、かつて安倍晋三元首相が「桜を見る会」問題での国会での虚偽答弁に関して、記者会見で説明した際、「前夜祭の費用補填については、合計800万円もの費用を、後援会として費用負担すべきところを、(安倍氏が認識しないまま)個人資金で負担していた」と説明した。安倍氏の事務所では、政治資金と個人の資金の区別すらついておらず、どんぶり勘定になっていたということであり、逆に、政治資金が個人的用途に使われる可能性も十分にあったことになる。このように、議員事務所において政治資金と個人資金の両方を管理していて、最終的に政治資金収支報告書の提出時に両方に振り分ける、という資金管理の形態であれば、「還付金」等を議員事務所で管理していたとしても、個人的用途に充てられる可能性も十分にある。

銀行口座で管理されていた場合は、その口座の名義人と通帳、カード等を誰が管理していたかが重要となる。要するに、誰が引き出すことができる状況になっていたのか、ということである。

いずれにせよ、重要なことは、その資金の管理に議員本人が関わっていたのか、という点である。

この点、今年4月の自民党の党紀委員会の審査に基づく処分では、派閥幹部以外の議員については、「過去5年において、自身の政治団体に相当な額、1000万円以上、もしくは500万円以上の不記載がある議員について、会計責任者に任せきりで不適正な処理としてしまった者」の管理責任が問われ処分の対象とされた。このように「会計責任者に任せきり」というのが、処分の要件になっているのは、検察の捜査処分と同様に、派閥政治資金パーティーをめぐる問題、派閥から資金管理団体・政党支部等への寄附の単なる不記載に過ぎないという認識を前提にしているからであり、その「不記載処理」を行った会計責任者に「任せきり」にしていた方が責任が重い、ということになるのである。

しかし、これまで述べてきたように、その前提が誤っている。議員個人に帰属する寄附であることを前提にすると、むしろ、逆の評価となる。「裏金」の管理に議員本人が関わらず、議員事務所或いは議員個人が引き出すことができない口座等で管理し、それを完全に秘書等に任せていた方が、私的流用の可能性が低く、悪質性の程度も低く、議員本人がその資金の使い途に直接関われるようになっていた場合の方が、私的な用途に使われた可能性があり、悪質だということになる。

前記(2)で、「ノルマ超のパーティー券の販売を行う積極的な意図」が認められ、なおかつ、裏金の管理に議員本人が関わっていた、ということであれば、私的用途或いは違法な用途に使われていた可能性が高く、最も悪質だということになる。

(4)裏金の返還の有無、納税の意思

検察の捜査処分を前提にすると、還付金等は、全額、資金管理団体又は政党支部に帰属したことになり、そのような訂正が行われている。この場合、それらの団体の資金と混同するので、「残余金」は存在しないことになる。しかし、もともと不記載を前提に供与された「裏金」であったものが、検察の捜査処分を経て、議員側が政治活動費として使えるようになっていること自体に対して国民が納得せず、強い不満を持つのは当然である。

残余金はどうするべきなのだろうか。

既に述べたように、還付金等は議員個人に帰属することを前提にすると、全額が原則個人所得となり、その中で、議員の政治活動費に充てられたものは、所得から控除され、残余金が所得税の課税の対象となると考えられる。

「裏金議員」としては、議員個人への帰属を前提に、各年において実際に政治活動の費用として使った金額を具体的に算定し、残余金の納税を行うというのが、本来の今回の裏金問題の処理だったはずだ。そのような処理が可能であるかどうか、その意思があるかどうかも、「裏金議員」の対応の評価要素と考えるべきだ。

「裏金議員」のこれまでの説明に欠けていたこと 

裏金議員に対する自民党の従来の対応がなぜ国民から厳しい批判を受けているのか、それは、自民党の多くの議員が、政治資金として収支報告書で公開もしない「裏金」を得ていたことが発覚したのに、刑事処罰を受けないどころか、納税すらしないで済まされていることに対する納税者としての強い不公平感と憤りである。

国民の多くは、裏金議員の中には、その金を個人の懐に入れていた議員が相当数いるのではないかと今も疑っている。裏金議員の説明は、その国民の疑問に答えるものでなければならない。

上記の指摘を踏まえ、「裏金問題」について十分な説明が行われること、それを自民党執行部が適切に評価することが、石破新総裁の下で総選挙に臨む自民党が、本当に変われるかどうかの試金石である。

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袴田事件再審無罪判決、検察として控訴は不可避、「法相指揮権による最終決着」しかない

1966年に静岡県の味噌製造会社の専務一家4人が殺害・放火された、いわゆる「袴田事件」の再審で、9月26日、静岡地裁(國井恒志裁判長、谷田部峻裁判官、益子元暢裁判官)は、死刑が確定していた袴田巌氏に対して無罪の判決を言い渡した。死刑が確定した事件で再審が開始された事件が4件あるが、いずれも再審の一審で無罪判決が出され、検察官が控訴することなく、そのまま確定している。

袴田事件の再審無罪判決も、結論は予想どおりであり、再審請求審、再審で長年にわたって戦い続けてきた弁護団の「全面勝利」の判決で、58年ぶりに袴田氏の潔白が明らかになったのだから、一日も早くそれが「司法の最終判断」となるよう、「検察は控訴をすべきではない」、「即刻上訴権放棄をして、無罪判決を確定させるべき」という論調が大半である。

しかし、今回の再審判決の内容を仔細に検討すると、検察にとっては、「到底受け入れがたい判決」であり、また、弁護側にとっても、結論は「無罪」であるものの、袴田氏は潔白・完全冤罪であるという弁護側主張の大半を排斥した今回の再審判決は、「手放しで喜べる判決」とは言い難い。

控訴期限は10月10日であり、検察組織は、それまでに控訴・不控訴の判断を迫られる。もし、控訴を行った場合、検察は、世の中から、無実の人に58年以上も死刑囚の汚名を着せた上、面子だけにこだわって悔い改めることなく有罪主張を続けることに対して、「人でなしの組織」のような猛烈な批判に晒され、控訴審でも大逆風の中での審理を余儀なくされることになる。

しかし、もし控訴審ということになった場合、弁護側も、控訴審での対応において、極めて困難な判断を迫られることになる。

「検察批判論者」の筆者の袴田事件への論評

私は、23年間検察の組織に属し、検察官としての職務経験を有する「検察OBの弁護士」である。しかし、多くの検察OB弁護士とは異なり、主として特捜部が手掛けた事件について、検察を厳しく批判し、自らも弁護人として、美濃加茂市長事件、青梅談合事件、五輪談合事件などで法廷での「検察との戦い」を繰り広げてきた。また、2010年に、大阪地検特捜部が村木厚子氏を逮捕・起訴した事件で無罪判決が出され、その直後に、主任検察官による証拠改ざんが明らかになって、検察が世の中から厳しい批判を受けた際、法務省に設置された「検察の在り方検討会議」には、「検察に厳しい論者」の一人として加わり、取調べの可視化、特捜検察の組織の解体等について持論を展開した。同会議での提言を受け、検察改革の一環として出されたのが「検察の理念」である。

かかる意味において、検察OBの中では数少ない「検察批判論者」の筆者だが、袴田事件については、これまで独自の立場からの論評を行ってきた。

2014年に静岡地裁(村山浩昭裁判長)が出した再審開始決定が、即時抗告審での東京高裁(大島隆明裁判長)の決定で取り消された際には、【袴田事件再審開始の根拠とされた“本田鑑定”と「STAP細胞」との共通性】で同決定を支持する論評を行った。その決定が最高裁で破棄差戻しとなり、東京高裁(大善文男裁判長)が、再審開始決定を出した際には、【「組織的証拠ねつ造」可能性認める袴田事件“再審開始決定”、検察の特別抗告は許されない】と題して、同決定での「捜査機関の証拠改ざんの認定」の背景と意味を解説し、検察官の特別抗告に対して消極の意見を述べた。

そして、上記大善決定に対して検察が特別抗告を断念して再審開始決定が確定し、静岡地裁で始まった再審で、検察官、弁護人の主張が出そろった段階で出した【袴田事件再審「証拠ねつ造の可能性」を徹底分析~「無罪判決」でも事実解明は終わらない】では、再審公判での検察官・弁護人双方の主張について解説し、最大の争点が「5点の着衣の証拠改ざん」であり、それが肯定された場合に、その後に予想される事態、についても私見を述べた。

今回出された再審判決に対しても、マスコミや世の中の論調に流されることなく、内容を客観的に分析し、検察の控訴・不控訴の判断に関して問題となる点を解説すること、そして、この事件をどう決着させるべきかについて私見を述べることは、私自身に課せられた責務と言うべきであろう。

田事件再審開始決定までの経過

袴田氏は、裁判では一貫して無罪を訴えたが、1980年に死刑判決が確定、翌年に第一次再審請求が申立てられ、2008年、最高裁で棄却されたが、同年に第2次再審請求が申立てられた。

この第2次再審請求審で、再審開始の要件である「無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見した」(刑訴法435条6号)として弁護人が主張したのは、袴田氏が逮捕・起訴され公判審理が行われていた最中に味噌樽の底から発見され、袴田氏が犯人であることを裏付ける有力な証拠とされた「5点の衣類」についての、

(ア) 衣類から血液細胞を他の細胞から分離して抽出する「細胞選択的抽出法」を実施した上で、採取した試料のDNA鑑定を行った結果、袴田氏のDNA型とは一致しないという本田克也筑波大学教授のDNA鑑定(本田鑑定)

と、

(イ) 5点の衣類には付着した血痕の色の赤みが残っていたとされるが、1年以上味噌に浸かっていたとは考えられないことを実験によって証明したとする「味噌漬け実験報告書」

の2つであった。

2014年3月、静岡地裁(村山浩昭裁判長)は、(ア)(イ)をいずれも「新証拠」と認め、再審開始を決定(以下、「村山決定」)、袴田氏の死刑および勾留の執行を停止し、袴田氏は釈放された。

即時抗告審の東京高裁(大島隆明裁判長)は、2018年に、(ア)の「本田鑑定」について、

《本田氏の細胞選択的抽出法の科学的原理や有用性には深刻な疑問が存在しているにもかかわらず、原決定は細胞選択的抽出法を過大評価しているほか、原決定が前提とした外来DNAの残存可能性に関する科学的原理の理解も誤っている》

《本田鑑定を信用できるとした原決定の判断は不合理なものであって是認できず、本田鑑定で検出したアリルを血液由来のものとして、袴田のアリルと矛盾するとした結果も信用できず、本田鑑定は、袴田の犯人性を認定した確定判決の認定に合理的な疑いを生じさせるような明白性が認められる証拠とはいえない》

として証拠価値を否定し、(イ)の「味噌漬け実験報告書」については、

《5点の衣類の各写真は、写真自体の劣化や、撮影時の露光といった問題があり、発見当時の色合いが正確に再現されていないのであるから、色合いを比較対照する資料とはなり得ないものである上、前記各みそ漬け実験で用いられたみそは、5点の衣類が発見された1号タンク内にあったみその色合いを正確に再現したものとはいえない》

などとして、再審開始決定を取り消し、再審請求を棄却する決定を出した(以下、「大島決定」)。

それに対して、弁護人が特別抗告を申し立て、2020年12月に、最高裁は、(ア)については、証拠価値を否定した大島決定を支持したが、(イ)については、

《前高裁決定は、みそ漬けされた血液の色調に影響を及ぼす要因、とりわけみそによって生じる血液のメイラード反応に関する専門的知見について審理を尽くすことなく、メイラード反応の影響が小さいものと評価した誤りがあるとし、このことは5点の衣類に付着した血痕に赤みが全く残らないはずであるとは認められないとの前高裁決定の判断に影響を及ぼした可能性がある》

と指摘して、審理を東京高裁に差し戻す決定(以下、「最高裁決定」)を行った。

そして、2023年3月、東京高裁(大善文男裁判長)で、(イ)を、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」と認める再審開始決定(以下、「大善決定」)が出された。

2種類の無罪

再審開始決定が確定したことにより行われる再審公判では、改めて、通常の刑事事件の一審と同様の手続で刑事裁判がやり直されることになる。再審裁判所は、再審請求審の決定に拘束されるものではなく、検察官が行う主張立証にも制限はないとされている。本件では、検察官は、改めて有罪立証を行い、袴田氏に死刑を求刑した。裁判所は、自由心証により、袴田氏について「犯罪の証明」があるのか、改めて判断することになった。

無罪判決は、検察官が起訴した事件について「犯罪の証明がない」場合に言い渡されるが、その「無罪判決」には二通りある。

犯罪を行った疑いで逮捕・勾留され起訴されたが、「被告人が犯人ではないことの証明」があった場合は、犯罪の疑いが消滅するのであるから、「完全無罪」である。

もう一つは、被告人に対する犯罪の疑いがなくなったわけではないが、被告人が犯人であることの根拠とされた証拠について重大な疑問が生じたり、「拷問による自白」「違法に収集された証拠」など、刑事裁判で証拠とすることができないと判断されたりして、有罪判決に必要とされる「合理的な疑いを容れない程度までの犯罪の証明がない」と判断される場合である。

この場合、「被告人が犯人である可能性」が否定されるわけではないが、「疑わしきは被告人の利益に」の原則から、裁判所の判断によって無罪判決が言い渡される。裁判所の認定による「無罪」、言わば「認定無罪」である。

「被告人と犯行との結びつき」、つまり被告人の犯人性に関しては、「積極証拠」と「消極証拠」があり、その相関関係で、有罪無罪が決せられることになる。被告人のアリバイ成立、真犯人が別人であることなどを証明する証拠が、犯人性についての「消極証拠」であり、それが客観的に明白なものであれば、被告人が犯人ではないことが証明され、「完全無罪」となる。

一方、犯人性についての「積極証拠」の証拠価値や信用性が否定された場合、或いは疑問が生じた場合、被告人の犯人性についての証拠は弱まる。その程度如何では、「認定無罪」となるが、その判断は、被告人の犯人性について疑いが消滅するわけではない。

本件再審公判の証拠構造

再審請求審の過程で、弁護人が「無罪を言い渡すべき新規・明白な証拠」と主張し、裁判所も、それを認めたのが前記(ア)(イ)であった。

(ア)のDNA鑑定(本田鑑定)は、その証拠価値・信用性が認められれば、衣類に付着した血痕が別人のものだということになり、5点の衣類が犯行着衣ではなく捜査機関によってねつ造されたことが殆ど疑いの余地がないことになる。しかし、村山決定では証拠価値・信用性が認められたものの、大島決定は証拠価値を否定し、その判断は、最高裁決定でも、大善決定でも変わっておらず、再審公判で証拠価値が認められる可能性は低い。

(イ)の「味噌漬け実験報告書」は、再審請求審において、最終的に「無罪を言い渡すべき新規・明白な証拠」とされた。

袴田氏を有罪とし、死刑とした確定判決では、一審の公判段階で犯行現場付近の味噌樽の底から発見された「5点の衣類」が袴田氏の犯人性についての最大の「積極証拠」とされた。しかし、大善決定は、血痕の色調の変化に関する実験結果と科学的知見に基づき、「味噌樽に隠匿後1年以上経過したものである可能性は極めて低い」と判断し、5点の衣類が、袴田氏が犯行後に隠したものではなく、発見から近接した時期に味噌樽の底に入れられたものであり、それは捜査機関が衣類に血痕を付着させるなどしてねつ造し、味噌樽の底に隠した可能性が高いと判断した。

それによって、袴田氏の犯人性についての最大の証拠である5点の衣類の証拠価値が否定され、他に犯人性についての証拠は、一審の公判段階で発見された「5点の衣類」以外には、袴田氏のパジャマから微量の血液と混合油が検出されたことと自白調書しかない。

自白調書については警察の取調べが、連日長時間にわたる「強制、拷問又は脅迫による自白」だとして任意性が否定され、警察官調書は全く採用されず、証拠採用されたのは検察官調書一通のみである。

「5点の衣類」が「被告人と犯行の結びつき」の積極証拠であることが否定されると、犯人性についての証拠は極めて希薄となり、その結果、「疑わしきは被告人の利益に」の原則にしたがい、裁判所としては「無罪を言い渡すべき」ということになると判断され、(イ)の「味噌漬け実験報告書」が、「無罪を言い渡すべき新規・明白な証拠」とされたものである。

この「味噌漬け実験報告書」は、袴田氏の犯人性についての決定的な「積極証拠」とされた5点の衣類の証拠価値について疑問を生じさせる証拠であり、再審公判でも、その証拠評価が審理の中心となったが、その証拠としての位置づけ、証拠の性格について、特異な要素があることに留意する必要がある。

「味噌漬け実験報告書」の特異性

第一に、「味噌漬け実験報告書」は、本件の証拠である「5点の衣類」自体について、変色の経過等を直接明らかにしたものではない。味噌樽の中に1年以上漬けられた場合の変色の程度について、類似した条件下での変色の経過を実験することによって「類推」したものであり、それによって、本件の証拠の5点の衣類の変色経過を証明できるか否かは、科学的な知見による「評価」が必要となる。結局のところ、それは、変色の速度についての可能性の程度の「判断」に過ぎない。

第二に、仮に、「赤みが残る可能性」が完全に否定されるとすると、必然的に、袴田氏とは別の人物が味噌樽の底に「大量の血痕が付着した5点の衣類を隠匿した」ことになり、それを行ったのは捜査機関である可能性が高いことになる。

この「血痕の付着した5点の衣類を味噌樽の底に沈める」という証拠ねつ造は、その実行のためには、警察が、袴田氏が事件前に着用していた衣類を把握し、それに見合う衣類を調達し、一方で大量の血液を入手して衣類に付着させて「血痕が付着した5点の衣類」を準備し、味噌樽の底に何かを沈めるという行為であり、味噌製造会社側の協力を得て、実際に味噌工場に立ち入って実行することが必要になり、多数の警察官が、「証拠ねつ造」と認識しつつ、その実行に関与したことになる。

捜査機関がそのような証拠ねつ造行為を組織的に行うことが可能であったのか、現実に行い得るものだったのかが問題になるが、もし、その捜査機関によるねつ造の可能性が完全に否定されるか、或いは、可能性が極めて低い、ということになると、逆に、「味噌漬け実験報告書」による「1年以上味噌漬けされた血痕に赤みが残る可能性の否定」に疑問が生じることになる。

第三に、味噌漬け実験報告書によって、仮に、5点の衣類が犯行着衣である可能性が否定され、捜査機関による証拠ねつ造があったとされた場合でも、それは、袴田氏の犯人性についての「積極証拠」が否定され、「合理的な疑いを容れない程度」の証明ではないと判断されて「認定無罪」の判断に至るということであり、それだけで「完全無罪」となるものではない。捜査機関が、袴田氏の犯人性について、証拠による立証は困難だが、「確信」を持っていて、そうであるがゆえに「証拠ねつ造」を敢えて行った、ということも考えられないわけではない。その場合、そのような捜査機関の行為は到底許容されるものではないが、袴田氏の犯人性の判断とは別の問題である。

つまり、「味噌漬け実験報告書」は、その証拠としての性格上、証拠価値が科学的に裏付けられたとしても、そこには、「捜査機関による組織的な証拠ねつ造の可能性」との相関性があり、「ねつ造の可能性」の評価も、再審公判の審理と結論において、極めて重要なものと言わざるを得ないのである。また、「味噌漬け実験報告書」だけでは、袴田氏の犯人性を否定する決定的な「消極証拠」にはならないのであり、「完全無罪」のためには別の証拠が必要となる。

弁護人の「警察による証拠ねつ造の主張」

本件の弁護人は、上記のような証拠構造の下で、「袴田氏は一家4人殺害・放火事件の犯人ではなく、真犯人は別にいる」として、袴田氏の「無実」「潔白」を訴え、「完全無罪」の結論をめざしてきた。

本件の犯人像についても、「単独犯」「内部犯行」「金品取得目的」という警察の見方は、味噌製造会社内部者の犯行であるかのように見せかけるために、事件直後、早いものは事件発生の数時間後から、現場の遺留物等の証拠ねつ造等によって作り上げられたものだと主張し、現場の状況等から、「複数犯」「外部犯行」「怨恨」による犯行であると主張してきた。

再審公判でも、前記 (イ)の「味噌漬け実験報告書」の証拠価値・信用性を、新たな専門家証言等によってさらに補強することに加え、前記(ア)の本田鑑定の証拠価値・信用性を改めて主張した。犯人像についても、「本件は、検察官が主張する、住居侵入、被害者4人の強盗殺人、放火事件ではなく、犯人は一人ではなく複数の外部の者であって、動機は強盗ではなく怨恨だった。犯人たちは、午前1時過ぎの深夜侵入したのではなく、被害者らが起きていたときから被害者宅に入り込んでいた。そして、4人を殺害して放火した後、表シャッターから逃げて行った」と主張した。「警察は、袴田氏とは全く犯人像の異なる真犯人が別にいるのに、真犯人を捜査の対象から外し、初動捜査の段階から、証拠のねつ造を重ねて、袴田氏を犯人に仕立てあげた」として、事件発生直後からの捜査の全過程における証拠ねつ造を主張するものだった。

これに対して、検察官は、「味噌漬け実験報告書」については、新たな専門家の証言により、「味噌樽に1年以上浸かっていても赤みが残る可能性はある」と主張し、弁護人の「証拠ねつ造の主張」も全面的に否定し、「5点の衣類」についても、「捜査機関によるねつ造は不可能又は著しく困難であり、被告人が犯行時の着衣を犯行直後に味噌樽の底に隠したもの」と主張した。

再審判決における「認定無罪」の結論

再審判決は、その冒頭で、「判決の骨子」として

被告人が本件犯行の犯人であることを推認させる証拠価値のある証拠には、三つのねつ造があると認められ、これらを排除した他の証拠によって認められる本件の事実関係によっては、被告人を本件犯行の犯人であるとは認められないと判断した。

すなわち、①被告人が本件犯行を自白した本件検察官調書は、黙秘権を実質的に侵害し、虚偽自白を誘発するおそれの極めて高い状況下で、捜査機関の連携により、肉体的・精神的苦痛を与えて供述を強制する非人道的な取調べによって獲得され、犯行着衣等に関する虚偽の内容も含むものであるから、実質的にねつ造されたものと認められ、刑訴法319条1項の「任意にされたものでない、疑のある自白」に当たり、②被告人の犯人性を推認させる最も中心的な証拠とされてきた5点の衣類は、1号タンクに1年以上みそ漬けされた場合にその血痕に赤みが残るとは認められず、本件事件から相当期間経過後の発見に近い時期に、本件犯行とは無関係に、捜査機関によって血痕を付けるなどの加工がされ、1号タンク内に隠匿されたもので、証拠の関連性を欠き、③5点の衣類のうちの鉄紺色ズボンの共布とされる端切れも、捜査機関によってねつ造されたもので、証拠の関連性を欠くから、いずれも証拠とすることができず、職権で、これらを排除した結果、他の証拠によって認められる本件の事実関係には、被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない、あるいは、少なくとも説明が極めて困難である事実関係が含まれているとはいえず、被告人が本件犯行の犯人であるとは認められないと判断した。

ねつ造その1(検察官調書)

「3つのねつ造」の一つは、検察官調書を「実質的にねつ造」と評価したものである。

裁判所の判断として、取調べの経緯や状況はともかく、一応、検察官に供述した内容を録取し、供述者が署名押印した検察官調書を、「実質的に」とは言え、「ねつ造された」と評価したのは前代未聞である。一般的に言えば、むしろ、供述者が言ってもいない内容を調書にして署名させるやり方の方が、実質的な「ねつ造」に近いとも言え、実際にそのような供述調書の作成が問題とされた事例は枚挙にいとまがない。プレサンスコーポレーション事件での大阪高裁の不審判決定等で検察官の不適切な取調べが大きな問題になっていることもあり、検察官調書が「実質的にねつ造された」との事実認定・評価は、今後の検察の実務に大きな影響を生じかねない判示であり、検察として極めて受け入れ難いものではないかと考えられる。

ねつ造その2(5点の衣類)

二つ目の「ねつ造」は、村山決定、大善決定においても可能性を指摘されていた、捜査機関による「5点の衣類」の証拠ねつ造である。確定判決においては「5点の衣類」が、犯人が犯行直後に味噌樽に隠した「犯人の着衣」とされていたが、再審請求審においては、その点に合理的な疑いを生じさせた「味噌漬け実験報告書」が、「無罪を言い渡すべき新たな証拠」とされ、そこから、論理必然的に、「5点の衣類」は、犯行直後ではなく、発見から近接した時期に味噌タンクに隠したことになり、それを行うとすれば捜査機関の可能性が高いとされ、間接に捜査機関によるねつ造の可能性が指摘されていた。

しかし、再審公判では、再審請求審のように「無罪を言い渡すべき新規・明白な証拠」に該当するかどうかを判断するのではなく、通常の刑事裁判と同様に、公訴事実が証拠によって認定できるかどうかを判断することになる。その事実認定において、検察官が、改めて被告人の犯人性の最大の根拠として主張した「5点の衣類」について、誰が何の目的で味噌タンクの中に隠したのかについても、採用した証拠に基づく事実認定をせざるを得ない。それについて、再審判決は、「本件犯行とは無関係に、捜査機関によって血痕を付けるなどの加工がされ、1号タンク内に隠匿されたもの」との積極的な事実認定を行ったのである。

「1年以上味噌漬けされた場合にその血痕に赤みは残らない」ことについて、大善決定では、「当審で取り調べた各専門的知見から、1年以上みそ漬けされた5点の衣類の血痕の赤みが消失することが化学的機序として合理的に推測できる」としていたが、再審判決は、「その血痕は赤みを失って黒褐色化する」との断定的な判断を示し、それを前提に、「被告人以外の者が5点の衣類をその発見に近い時期に1号タンク内に隠匿したとすると、5点の衣類は、犯人が本件犯行時に着用していた犯行着衣でないと認められる。」「5点の衣類を犯行着衣としてねつ造した者としては、事実上、捜査機関の者以外に想定することができない」として、捜査機関によるねつ造を認定している。

検察官は「捜査機関による5点の衣類のねつ造は非現実的で実行不可能なものである」と主張したが、以下のような理由で退け、捜査機関が、被告人の有罪を決定付けるために5点の衣類のねつ造に及ぶことは、現実的に想定し得る状況にあったとしている。

① 5点の衣類が発見される前は、5点の衣類を除く当時の証拠関係では、被告人が無罪となる可能性も否定できない状況にあったが、被告人の有罪を確信して本件捜査に臨んでいた捜査機関において被告人が無罪となることが到底許容できない事態であった。

② 捜査機関は、被告人が当時居住していた本件工場の従業員寮の捜索等を実施しており、被告人の着衣を把握していた。被告人の荷物が同年9月2 7日頃に被告人の実家に送付されるまでの間に、実際の被告人の衣類を入手し、ねつ造に及んだ可能性も十分にある。

③ 本件工場の北側出入口は、従業員以外の者も出入りできる状況であったから、捜査機関において、他の従業員に気付かれずに1号タンク内に5点の衣類を隠匿することも可能であり、5点の衣類の隠匿等に本件会社の従業員の協力が不可欠であったとはいえない。従業員の利害は本件会社の経済的利益と必ずしも一致するものではないから、本件会社に経済的打撃が生じることをもって、直ちにその従業員の協力を得ることが著しく困難であったともいい難く、従業員の協力を得た上で限られた期間内に5点の衣類を隠匿する可能性も否定できない。

④ 5点の衣類が発見された当時、被告人の自白の任意性が否定され、被告人が無罪となる可能性が否定できない状況にあり、被告人の自白と矛盾し、検察官の当初の立証方針に沿わないとしても、捜査機関が被告人の有罪を決定付けるために5点の衣類のねつ造に及ぶことは、現実的に想定し得る状況にあった。

⑤ 昭和42年8月3 1日に5点の衣類が発見された後の吉村検察官による警察の捜査活動と連携した臨機応変かつ迅速な主張·立証活動を考慮すると、少なくとも吉村検察官にとって、被告人の自白と矛盾するような当初の立証方針の変更は、その立証活動に支障を来すほど影響はなかった。

この「5点の衣類のねつ造」の認定の基礎となっているのは、「1年以上味噌漬けされた場合にその血痕に赤みは残らない」ことについての「断定的判断」である。弁護人請求の専門家証人のみならず、検察官請求の専門家証人の意見も踏まえて、その結論を導いている。しかし、そもそも、「味噌漬け実験報告書」は、「5点の衣類」自体についての分析結果ではなく、類似した条件下での血痕の変色の経過の実験による類推と科学的な推論によるものであり、間接的なものに過ぎない。それを「捜査機関による組織的証拠ねつ造」という事実を認定する証拠とすることには、もともと限界がある。「ねつ造は非現実的で実行不可能」との検察官の主張に対して行っている①~④の反論も、「ねつ造の可能性を完全に否定することはできない」という指摘にとどまるのであり、積極的にねつ造が行われたことの根拠になるものではない。

例えば、③の「味噌製造会社の従業員の協力を得た上で限られた期間内に5点の衣類を隠匿する可能性」について、「会社に無断で従業員が協力する可能性」を完全に否定することはできないことは再審判決の指摘のとおりかもしれない。しかし、警察が従業員に、何物かを味噌タンクに隠匿したいので協力してほしいと協力を申し入れることになるが、そこには拒絶されるリスクもあるし、それが、後日発見され、袴田氏の刑事裁判で有罪の最大の証拠とされることになった場合、会社に無断で警察に協力した従業員の心理的葛藤は想像を絶するものになるであろう。そのような証拠ねつ造工作を行うことのリスクは、警察にとって、重要殺人事件で検挙した被告人が無罪となることとは比較にならないほど大きい。

現実的な可能性としては、捜査機関による証拠ねつ造の可能性は極めて低いというのが常識的な見方であろう。

ねつ造その3(共布の端切れ)

「三つ目のねつ造」は、「5点の衣類」の衣類が袴田氏の着衣であったことの認定に関して、袴田氏の実家の捜索で押収したとされた「共布の端切れ」も、捜査機関によるねつ造と認定し、そこに検察官も関わっていると認定したことだ。それは、以下の理由による。

⑥ 5点の衣類の一つの「黒色ようズボン 1枚」(鉄紺色ズボン)は、黒色様とはされているものの、「味噌の水分、塩分などで濡れてやや固くなり、しわまみれ」とされているのに、袴田氏の実家の捜索で「共布の端切れ」を押収した経緯について警察官は、「黒色ようズボン」そのものと「同一生地同一色と認め」たと証言しており、同一生地同一色と判断したのは不合理である。捜査機関の者による持込みなどの方法によって、本件捜索以前に被告人の実家に持ち込まれた後に押収された事実を推認させる。

⑦ 吉村検察官は、昭和42年8月31日に1号タンクから発見された5点の衣類等について、5点の衣類と被告人を結び付ける端切れが押収された9月12日、本件捜索の立会人である袴田ともから事情を聴取した同月17日より前の9月11日に、立証趣旨を「被告人が本件を犯した際着用していた着衣であること」として証拠請求し、13日には、次回の公判期日を待つことなく犯行着衣をパジャマから5点の衣類に変更した冒頭陳述の訂正まで行っている。具体的な証拠が乏しい状況で、5点の衣類が被告人の着衣と判断していたと認められ、被告人の実家から端切れが押収されることを本件捜索以前から知っていたことを推認させる。

再審判決は、吉村検察官が、「共布の端切れ」が袴田氏の実家から押収されることを、事前に知っていたと「推認」している。

その主たる理由は、吉村検察官が、5点の衣類と被告人を結び付ける「端切れ」が押収される前から、5点の衣類が犯行着衣であることを前提とする証拠請求、冒頭陳述の訂正等の公判対応を行っていることである。

確かに、「ズボンの共布」が実家から発見されれば、袴田氏の着衣であることの決定的な証拠になる。しかし、大量の血痕が付着した「5点の衣類」は、既に8月31日には味噌タンクの底から発見されているのである。それが犯行着衣である可能性が高いと考え、その時点から、それと被告人との結びつきを明らかにする補充捜査が開始されたはずであり、その結果、袴田氏の着衣と認める証拠が相当程度収集されていた可能性もある。吉村検察官が「5点の衣類」を犯行着衣と判断して公判対応を行ったことが、それ程不合理なこととは思えないし、ましてや、それだけで、「証拠ねつ造に加担した検察官」と「推認」されるようなこととは思えない。

再審判決の「共布の端切れ」に吉村検察官が関わったかのような事実認定には疑問がある。

袴田氏の母親の供述調書と公判供述の信用性に関する検察官の主張

さらに、再審判決は、前記の「共布の端切れ」について、袴田氏の母親の袴田ともの捜査段階の供述と公判供述の関係について、公判廷では

「そういったものを私は一度も見ませんでした」

「警察官が引き出しの中にあったといって私の前へ見せました」

と端切れが本件捜索前から存在していた点につき記憶がない旨証言し、本件捜索以前から被告人の実家に端切れがあったか否かという点で公判での証言内容と食い違っていることについて、袴田ともの検察官調書に、本件捜索以前から端切れが存在していたかのような記載があることや、袴田ともが端切れの押収当日に「ズボントモキレ」と記載した任意提出書を提出していることは、自らの体験を自発的に供述したというよりも、想定外のものを警察官から発見されたと言われて混乱したまま、捜査機関から、消去法的に、寮から送り返された被告人の荷物の中に端切れがあったという状況で理詰めで供述させられたことを強く疑わせると述べた上、

検察官は、袴田ともが、検察官の取調べにおいて、自身の記憶と異なる供述を した覚えも、自身の説明と異なる供述調書が作成されたこともない旨証言していることや、検察官調書に署名・押印していることをもって、その供述内容の信用性が高まるかのように主張する。 

しかし、供述証拠の信用性は、他の証拠による裏付けや供述状況等を総合的に評 価して判断されるものである上、検察官が指摘する袴田ともの上記証言や供述調書の署名・押印は、作成の真正、すなわち、取調べにおける供述内容と供述調書の記載内容が一致していることを推認させるにすぎず、これらによって、内容の真正、すなわち、供述内容の真実性が直ちに裏付けられるものではない。検察官の上記主張は、任意性を確保しつつその裏付け捜査等によって十分な証拠の収集・把握に努めて供述を吟味するという、捜査機関が自ら規律する取調べの在るべき姿(犯罪捜査規範168条、173条(改正前の165条、170条)、検察の理念の4項、5項参照)にも反しかねない主張であって、採用できない。

と判示している。

前記の「3つのねつ造」についての事実認定は、すべて、袴田氏の確定判決に至るまでの50年前の警察や検察官の対応に関するものであるが、上記の供述調書の信用性に関する検察官の主張に対する判示は、現在行われている再審公判での検察官の対応の問題だ。

そこでの検察官の対応が「検察の理念」に反しかねないと批判されているのは、「検察官の取調べにおいて、自身の記憶と異なる供述をした覚えも、自身の説明と異なる供述調書が作成されたこともない旨証言していること」「検察官調書に署名・押印していること」を供述内容の信用性が高まる事由として主張することである。大阪地検特捜部の不祥事等を受けて、それまでの検察の「調書中心主義」が反省を迫られ、公判中心の立証が指向されていることは確かであり、そのような現在の刑事裁判において、上記のようなワンパターンのやり方で供述調書の信用性を主張するのは「時代錯誤」だという批判である。

「検察の理念」は、上記の検察不祥事を受けて法務省に設置された「検察の在り方検討会議」の提言を受けて検察が策定したものである。それだけに、「検察の理念」に基づく判決の批判は、検察にとって極めて重いものであり、公判での立証活動全体にも影響を及ぼしかねない。

袴田弁護団にとっても受け入れがたい「再審判決の理由」

以上のとおり、再審判決が認めた「3つのねつ造」は、検察官にとって到底受け入れがたいもののように思える。

では、その再審判決が、これまで長年にわたって、冤罪との戦いを続けてきた弁護人たち、袴田弁護団にとって、手放しで喜べる内容であったかと言えば、決してそうではない。

袴田氏の再審の扉を開く契機となった村山決定が最も重視した「5点の衣類」についてのDNA鑑定(本田鑑定)の証拠価値を否定しただけでなく、「5点の衣類」が袴田氏の着衣ではないことについてのズボンのサイズ、血痕の付着状況などについての弁護人主張は、「味噌漬け実験報告書」以外はすべて排斥した。そして、弁護人が、袴田氏が犯人ではなく、別に真犯人がいると主張する根拠としてきた、「複数犯」「外部犯行」「怨恨」による犯行だとする犯人像の主張、それに関連する事件発生直後からの警察の証拠ねつ造の主張など、袴田氏の犯人性を否定する主張は悉く排斥している。一方で、多くの事実について、「被告人が本件の犯人であることとの整合性」を認める判示を行っている。

現場の状況、凶器等の現場の遺留物についての判断から、袴田氏以外の犯人の可能性もあると述べる一方で、犯人像の中に袴田氏が含まれることは否定していないのである。

「5点の衣類」のねつ造の認定に関する再審判決の判示の「被告人が無罪となる可能性も否定できない状況にあったが、被告人の有罪を確信して本件捜査に臨んでいた捜査機関において被告人が無罪となることが到底許容できない事態であった」との表現からも、再審判決が認定した「捜査機関によるねつ造」は、弁護人が主張するように、真犯人がいることを認識しつつ、敢えて袴田氏を犯人に仕立て上げる、という「悪意」によるものではなく、袴田氏が犯人であると確信し、しかし、それを立証する証拠が十分ではないことから、「無罪判決によって真犯人を野に放ち、4人惨殺事件は迷宮入りする」という捜査機関にとって「最悪」の事態を回避するための「究極の選択」として行われた可能性を想定し、だからこそ、常識的には想定し難い「捜査機関による証拠ねつ造」も、本件に限っては想定できないものではないと判断したとも考えられる。そのような「被告人が有罪であるとの捜査機関側の確信」についての再審裁判所の認識は、犯人像についての弁護人の主張を悉く否定し、「被告人が犯人であることと整合する」との表現を多用していることにも表れているように思える。

そのような再審判決の認定は、弁護団が「完全無罪」をめざし一貫して主張してきた「犯人像についての主張」「初動捜査における証拠ねつ造の主張」などに対して十分な反論になっているのだろうか。特に「複数犯」「外部犯行」「怨恨」による犯行だとする弁護人の犯人像についての主張は、相応に説得力があるように思えるが、再審判決の判示が、そのような弁護団の根本的な疑問を解消するに十分なものであるようには思えない。

再審判決は、袴田氏は犯人ではなく、真犯人は別にいると一貫して「完全無罪」を主張してきた弁護人にとっても、容易に受け入れることができるものではないように思える。

再審判決に対して「検察の控訴断念」はあり得るのか

今回の再審判決の認定は、これまで弁護人が一貫して訴えてきた、「袴田氏は無実であり真犯人は別にいる」とする「実体的不正義」の主張のほとんどを排斥し、袴田氏を含む犯人像の想定は否定しない一方で、捜査機関側の「手続的不正義」を徹底して糾弾し、犯人性についての証拠の大半を排除し、それによって証拠が不十分であることを理由に、「疑わしきは被告人の利益に」の原則を貫いて袴田氏無罪を結論づけたものである。

「手続的不正義」についての捜査機関に対する糾弾には、人権を無視した拷問的取調べなど、捜査機関側にとって弁解の余地のないものもある一方で、刑事判決の事実認定として疑問な点も少なくない。とりわけ、「5点の衣類」のねつ造の事実認定、確定審の一審を担当した吉村検察官に対する「ねつ造された証拠を公判に提出して冤罪を作り上げた」かのような事実認定は、検察としては許容し難いものであろう。また、検察官調書が「実質的に捏造されたもの」との評価や再審公判での検察官の検察官調書の信用性に関する主張が「検察の理念」に反するとの批判も、検察にとっては相当異論があるところであろう。

再審判決に対して検察官が控訴せず確定した場合、刑事裁判で事実認定が行われた「3つのねつ造」について、捜査機関側に対して国家賠償請求が提起されることは避けられないし、捜査機関による組織的なねつ造について検証と事実解明が求められることも考えられる。また、「公判での主張が『検察の理念』に反する」との裁判所の指摘を受け入れたということになれば、今後の検察の公判立証への影響も大きなものとなる。

一方で、弁護人にとってみれば、これまで40年以上にわたって、再審で袴田氏の冤罪を晴らし、無実を明らかにする戦いを続けてきた活動を思えば、捜査機関のねつ造を認める一方で袴田氏の犯人性を否定する弁護人の主張は採用せず「疑わしきは被告人の利益に」との原則によって無罪とした今回の判決の理由には承服しがたい点も多いのではないかと思える。

弁護人は、無罪判決に対する控訴はできないが、もし、検察官が控訴を申立てた場合には、控訴答弁書においてどのような主張を行うべきか、困難な判断を迫られることになる。

筆者も、美濃加茂市長事件で一審無罪判決に対して、検察官が控訴を申立て、一審での検察官の主張とは異なる主張を行って一審無罪判決を批判してきた際、弁護人として、「一審無罪判決の擁護」と「控訴審での検察官主張への反論」のどちらを優先するのか苦悩した経験がある。

袴田弁護団としても、もし、検察官控訴で控訴審に対応することになった場合、一審無罪判決に対してどのような姿勢で臨むのか困難な状況に直面することになるかもしれない。

このように、検察の立場からは受け入れ難く、弁護人の立場からも、無罪の結論はともかく、理由は受け入れがたい再審判決だが、それでは、再審裁判所として、どのような審理を行い、どのような判断が行えたのか。50年以上前の一家4人惨殺事件という、刑事事件として最も重大な死刑求刑事件の刑事裁判を、改めて刑訴法の規定に基づいて行うこと、それによって、証拠に基づく事実認定を行うこと自体が、極めて困難である。そもそも、犯人像についての疑問など、事件から58年経った現在において、証拠に基づく判断で解消されることなど考えられない。だからこそ、再審判決は「手続的正義」を全面に掲げて捜査機関を論難する方向に走らざるを得なかったと考えることができる。

しかし、そのような本件についての審理・判断の困難さは、検察官が控訴を申立てた場合に、控訴審を担当する裁判所にとって一層大きくなることは想像に難くない。そういう意味で、この事件の真相解明は、もはや刑訴法に基づく刑事裁判の範疇を超えているというべきであろう。

法務大臣指揮権による最終決着を

再審判決の「3つのねつ造」の認定と再審公判での主張に対する批判は、検察にとって受け入れ難いものであり、現行法の解釈・実務において、無罪判決に対する検察官控訴が許容されている以上、再審判決に対しては控訴を申立てる以外に選択肢はないように思える。

そして、検察官控訴が行われた場合、弁護人も、困難な判断に迫られることになり、控訴審は、簡単に「控訴棄却」で決着するとは考えらえない。相応の期間がかかることは覚悟せざるを得ないだろう。

しかし、一方で、事件発生から既に58年、袴田氏は88歳、これまで袴田氏を支えてきた姉のひで子氏も91歳。年齢を考えると、これ以上、再審の審理が長引くことは社会的に許容できない。新聞各紙も社説で検察官控訴断念を強く求めており、実際に検察官が控訴を申立てた場合、検察組織が猛烈な社会的批判に晒されることは想像に難くない。もし、高齢の二人のいずれかに万が一のことがあった場合には、検察批判の大炎上を招くことは必至だ。

上記述べたように、既に、刑訴法に基づく刑事裁判として解決する範疇を超えているように思えるこの「袴田事件」の最終決着のための唯一の方法は、法務大臣の指揮権(検察庁法14条但し書)によって、控訴申立を行わないように、もし控訴を申立てた場合には取下げるように、検事総長に対して指示することではないか。

法務大臣自身が、自らの責任において、明示的に14条但し書きの個別の事件の捜査・処分についての指揮権を行使することがあり得る。それが実際に行われたのが、造船疑獄における法務大臣の指揮権の行使であり、通常、「指揮権発動」というのは、このことを指している。

検察庁法上は、指揮権の行使の範囲についての制約はないから、どのような瑣末な事件でも、法務大臣が関心を持てば、検事総長を通じて捜査・処分に介入することは可能である。しかし、一般的な犯罪に対しては、証拠を収集・評価して事実を認定し、情状に応じた処罰を求めるだけで足り、ほとんどの刑事事件の捜査・処分については、法務大臣が介入する必要はないし、介入することは、政治的意図による不当な干渉だと批判されることになる。

しかし、例外的に、検察組織内部の決定だけに委ねておくことが適切ではない場合に、法務大臣が指揮権の行使について検討し、判断することが必要とされることもある。それは刑事事件の捜査・処分について、検察として判断を行うことが適切ではない場合である。

その典型例の一つが、外交上の判断が必要になる事件に対する捜査・処分である。事件が外交問題に密接に関連し、捜査・処分によって外交上の影響が生じる場合、検察には外交の専門家はいないし、外交関係に関する情報もない。外交上の判断は、外務省を所管官庁として、内閣が国民に対して責任を持って行うべきであり、個別事件の捜査・処分においてそのような外交上の判断が必要な場合には、内閣の一員である法務大臣が総理大臣と協議の上で、検察に対して指揮を行うことが必要となる。

2010年9月に起きた尖閣列島沖での中国船の公務執行妨害事件で、船長の釈放という検察の権限行使において、検察が組織として外交上の判断を行ったことを認め、検察が船長釈放について外交関係に配慮したかのような説明を行った。

このような法務大臣の指揮権によらなければならない典型事例においても、検察官の訴追裁量権の枠内で判断することを是とするような検察内部の考え方があり、そして、それを支持する世の中の論調がある。

しかし、今回の袴田事件の再審判決への対応は、事件から58年の間の刑事裁判、再審請求審の経過、袴田氏が34年にわたって確定死刑囚として、死刑を執行される以上の精神的苦痛を受け、その精神を病むところまで追い込まれていること、そして、確定審の認定に重大な疑問が生じ、再審開始が決定され、実際に再審公判が行われたものの、刑事裁判によって、この事件が解決されるどころか、判決の内容を見る限り、再審判決で確定させることは、刑事司法の枠内で考える限り困難であることなどから考えると、「刑事司法の枠を超えた法務大臣の責任による判断」として、控訴を行わないように、或いは取り下げるように検事総長を指揮することで、本件の最終決着を図るべき事案である。

検察官による事実誤認を理由とする控訴は、英米法の諸国においては「二重の危険の禁止」の法理の下に禁止され、また大陸法の諸国においても、参審制等により国民の司法参加が認められていること、控訴審の機能は誤判救済にあると位置付けられていることなどから、多くの国で禁止されている。我が国においても、憲法第39条において「同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」と規定されているのを「二重の危険の禁止」の法理であると解する見解が有力であり、検察官による上訴は憲法違反の疑いがある。

無罪判決に対する検察官控訴に対しては、そのような憲法上の疑義があることをも考慮すれば、この袴田事件の無罪判決についての検察官への不控訴の指示は、憲法の趣旨にも沿うものとの見方も可能である。

指揮を受けた検事総長は、「再審判決の事実認定は承服しがたいものであるが、検察庁法に基づく法務大臣の指揮を受けたので、それに従う」と述べて不控訴で事件を決着させることになる。

その場合、この事件の過程で問題になった再審の在り方についての問題の指摘、検察の公判対応への批判などは、すべて法務大臣自身が受け止めて、この事件での著しい審理の長期化を招いた再審に関する法整備、無罪判決に対する検察官控訴の是非の検討などを、その責任において、今後の対応を行うということになるであろう。

長年、袴田氏の冤罪救済の活動に懸命に取り組んできた弁護団、与えられた刑訴法の権限に基づき、再審請求審、再審への対応を行ってきた検察官、そして、50年以上も過去の事件について証拠による事実認定という極めて困難な審理判断を行う裁判所、もう十分にその使命は果たしてきた。

袴田巌氏と姉のひで子氏を刑事裁判から解放し、静かな余生を送ってもらうため、ここで「ノーサイド」の笛を吹くことができるのは法務大臣しかいない。

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“総裁選ルール”は“公選法ルール”とどう異なるのか、「公平性」が何より重要な理由

自民党総裁選も最終盤に入り、候補者陣営の間、支援者の間で、様々な形でのバトルが激化している。ここへきて、今回の総裁選にあたって自民党選挙管理委員会が定めたルールとの関係で問題が指摘されることが多くなっている。

総裁選は、自民党という一つの政党のトップを選ぶ選挙であり、公職選挙ではないが、事実上それが総理大臣を選ぶ選挙になっているだけに、社会的注目度は大きい。選挙で設定されたルールは、正しく、公平に適用されなければならないし、それに基づく批判も正当に行われることが必要だ。「公選法が適用される場合の違法評価」が、総裁選に関しても引き合いに出されることがあるが、今回の総裁選のルールと、公職選挙法のルールとは基本的な性格に違いがある。その点を踏まえて議論をしないと、混乱が拡大するだけだ。

今回の総裁選ルールと「公平性」が特に重要な理由

今回の自民党総裁選挙で、岸田文雄首相が、総裁選不出馬、退陣の意向を表明した最大の原因となったのが「派閥政治資金パーティー裏金問題」である。岸田首相が行ってきた対応が国民から全く評価されず、政権への信頼が失われたからこそ、再選に向けての出馬を断念せざるを得なかった。

「政治とカネ」がテーマとなった総裁選となることから、その総裁選は可能な限り金をかけない選挙にしようということで 選挙管理委員会は9月4日付で、政策パンフレットの郵送や自動音声(オートコール)による電話作戦の禁止を党内に通知した。それは、今回の総裁選をめぐる政治情勢を考慮したテンポラリー(一時的)・ルールだ。

最も重要なことは、このルールが各候補者の総裁選に向けての活動に公平に作用すべきだということだ。そこで「不公平性」が問題となった場合には、事実上の「総理大臣を選ぶ選挙」の正当性に重大な疑問が生じることになる。

「法律によるルール」とは異なり、ルール適用の時期、適用の範囲等について厳密な規定があるわけではない。しかし、総裁選ルールの性格に照らし、公平性が特に重要であることを認識しているのは当然であり、自らの行動が「公平性」の面から問題がないかどうかは、常識的に判断が可能なはずだ。それが認識でき

ない候補者は、そもそも総裁になる資格自体があるのかすら疑問だ。

公選法ルールとの性格の違い

公選法とのルールの性格の違いも明確に認識する必要がある。

公職選挙法が、すべての人に向けられた法律であるのに対して、今回の総裁選に関して設定されたテンポラリー・ルールは、あくまで、総裁選を戦う候補者、陣営の間の「戦い方」に関するルールだ。そのような候補者本人の活動、陣営の活動以外の、地方組織も含めて党の所属議員、党員・党友による総裁選に向けての活動全体に適用されるべきものではない。もちろん「カネをかけない総裁選」という方針は、できるだけ党全体において尊重されるべきであるが、ルール自体が適用され、その違反が問題にされるのは、候補者、陣営自体の行為である。

「カネがかからない総裁選ルール」との関係も、候補者、陣営が行った行為とそれ以外の支援者の行為とでは評価は全く異なる。

高市氏のリーフレット郵送問題

上記の総裁選ルールへの違反が最初に問題にされたのが、高市早苗氏だった。高市氏の総裁選に向けての政策を記載したリーフレット30万部超が、上記のルールの通知後に全国の党員・党友に届いたことで、ルール違反の疑いが指摘された。この問題で、逢沢選管委員長は、9月11日、高市氏を口頭注意した。

高市氏は、総裁選出馬が確定していなかった7月に原文を書き、8月の頭に業者に依頼して、8月末には発送の手続きを済ませ、それが上記のルール通知後に配達されたもので、総裁選ルールには違反しないと説明している。しかし、8月21日に自民党選管から逢沢一郎委員長の名前で出された書面で、「自民党が変わる」「自民党を変える」決意に相応しい選挙とするために「今回の総裁選に関係する告示前の活動(いわゆる事前活動)についても、極力、費用をかけないよう努めるべき」と通達しており、発送を終えるまでに、「カネのかからない総裁選ルール」は十分認識できたはずだ。高市陣営以外にも、封書を党員に送る手配を進めていたものの、選管の上記方針が出たので発送を取りやめた陣営が複数あるとのことだ(山本一郎氏【笑ってはいけない自由民主党総裁選、高市陣営が党員向けリーフレット配った件で空中戦が発生】)。

少なくとも、各候補者が、党員・党友に自らの政策の周知を図る上での公平性に重大な疑問が生じたことは否定できない。選挙序盤で高市氏の優勢が伝えられると、他の総裁選候補者の陣営から批判が相次いだのも当然と言えよう。

高市氏支持者のネット上の主張

そのような高市氏の総裁選ルール違反が問題とされたことを受け、高市氏を支持する人達がSNS上で、「他の候補も総裁選のリーフレットを送っている」として、党員に送付されたリーフレットの現物の写真をアップするなどし、高市氏も、党選管から問題視された自身のリーフレット郵送に関し「1人だけ郵送したわけではない」と発言し、「他陣営も同様のことをやっている」と主張した。

しかし、アップされたリーフレットやその送付文書等を見ると、これらは、候補者本人や陣営ではなく、支持する地方議員個人や支援者等が行ったもののようだ。そうであれば、候補者や陣営がルール違反に問われる問題ではない。高市氏自身の判断で、30万部超のリーフレットを郵送した問題とは全く違う。

高市氏のリーフレット大量郵送問題は、郵送の判断を行った時点で、他の候補者との「公平性」に疑問が生じることは十分に認識可能だったはずだ。それを敢えて行い、実際に、党員・党員の支持を得ることについての公平性の問題が生じることになった。仮に、高市氏が総裁選に当選した場合、この問題は、総裁の地位の正当性に重大な疑念を生じることになろう。

高市氏側の反論における「石破氏側の問題」の中身

総裁選の決戦投票で高市氏との対戦相手になる可能性があると言われているのが石破茂氏だが、最近、高市氏を熱烈に支持する人達によって「大阪での中華料理店での支援者の会」のことが大きく取り上げられている。

須田慎一郎氏は、「虎ノ門ニュース」と称するYouTubeチャンネルで【※削除覚悟※ 須田慎一郎さんが自民党総裁選のある候補の秘密を掴んできてくれました】と題し、「緊急生配信」と大きな赤文字の下に「あの総裁選候補の秘密 遂に掴みました」などと記載した目立つサムネイルを付けた動画を配信している、

石破氏の支援者が大阪の中華料理店で開いた会について、討論会で大阪に来た石破氏が1時間余り会に参加すること、知人も誘って参加できるとされていることなどがわかるLINEのやり取りなどを示し、「党員・党友なら」「無料で参加できる」などとLINEには書かれていないことを付け加えている。

石破陣営が、「カネのかからない総裁選」のルール違反行為を行っている例であるかのように述べ、それを「緊急配信」「秘密を掴んだ」などとし拡散している。

しかし、LINEのやり取りを見る限り、単に、支援者が開いた集会に石破氏が短時間参加しただけの話であり、少なくとも石破氏やその陣営の側の問題ではない。それだけであれば、何の問題もないことは、須田氏も認識しているようで、「その費用を石破陣営が出しているのではないか」「全国で同じようなことをやっているのではないか」などと「全く根拠のない憶測」を遠慮がちに述べているだけだ。その動画の内容に問題があることを自覚しているからこそ、タイトルに「削除覚悟」という言葉を入れているのであろう。

敢えて「公選法のルール」を持ち出した場合

このような高市支持者による石破氏に関する指摘について、「公選法が適用される選挙であれば違反になるのではないか」、と思う人もいるようだ。「たとえ支援者が開いた集会だとしても、飲食が提供されるのは問題ないのですか?しかも聞けば結構な高級店みたいなのですけど。会費制なら問題ないにしても、無料だったみたいですから。」との投稿もある。 

確かに、公職選挙であれば、支援者が特定の候補者を当選させる目的で有権者を饗応した事実があれば、公選法違反になる。しかし、それは、あくまで「当該支援者の行為」であり、その行為者である支援者が公選法違反に問われるだけだ。候補者側にも責任が及ぶのは、候補者自身や連座制の対象者が饗応に関与していたり、その資金を提供した事実があった場合だ。

前述したように、今回の総裁選では、候補者やその陣営に対して「カネのかからない選挙」にするためにルールが設定されたもので、支援者に対して適用されるルールではない。しかも、「石破陣営が費用を負担しているのではないか」というのが全くの憶測であることを須田氏自身も述べており、そもそも「党員・党友であれば何人でも無料で」という点も、引用しているLINEにはない。それであれば、たとえ公選法が適用される選挙であっても、候補者側の責任が問題になる余地は全くない。そもそも、このような「大阪での支援者の会」を「緊急配信」「候補者の秘密」などと取り上げること自体が、凡そ理解し難い。

ネットの世界での単純化

須田氏の動画は、全く中身のない単なる印象操作に過ぎないが、その動画が高市支持者に拡散される間に、あたかも石破陣営が高市氏のリーフレット郵送問題以上に露骨なルール違反を行っているかのように単純化されていく。

特に露骨なのは、門田隆将氏@KadotaRyushoだ。

門田氏は、須田動画のLINEを一部引用し、

《何の問題もない高市早苗氏の国政報告に対して虚偽情報をバラ撒いた石破茂陣営。大阪でも9月18日「党員であれば、誰を何人連れて来てもOK、突然参加も可、という会合を開いた。いくら公選法適用外でもやり方が露骨すぎる」と他陣営から非難噴出》

などと、候補者陣営が総裁選での饗応工作を行ったかのように単純化して印象操作している。そして、フォロワー50万人を超える門田氏の投稿がさらに拡散され、あたかも、石破陣営は総裁選のために大阪の高級中華料理店で多数の党員・党友に饗応を行った事実があり、高市氏の総裁選ルール違反を問題にする資格がないかのような印象を与えている。

候補者自身が、相当な資金をかけて「国政だより」を党員に大量配布した高市氏の問題と、支援者が主催した会食に限られた時間参加しただけの石破氏とは全く問題が異なるのであり、高市氏の行為を擁護・正当化する理由には全くならない。

9月27日の投開票日が迫っているが、自らの総裁選ルール違反に対して他の候補者の問題を引き合いに出して全く非を認めようとしない高市氏が有力候補の一角とされ、手段を選ばず高市氏支持を拡大していこうとするネットの世界の熱烈な支持者の動きは、事実上総理大臣を決める選挙の「危うさ」を象徴しているように思える。

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自民総裁選「政治とカネ」から逃げる候補者達、「裏金議員」に何を説明させるべきか

岸田首相が自民党総裁選への不出馬を表明したことを受け、10人を超える議員が出馬の意向を示していた自民党総裁選が9月12日に告示され、9人が立候補の届出を行った。

岸田首相の不出馬の最大の原因となったのが「派閥政治資金パーティー裏金問題」であり、この「政治とカネ」の問題への対応が国民から全く評価されず、政権が信頼を失ったからこそ、再選を断念せざるを得なかったのである。その直後に解散総選挙が行われることが予想される今回の総裁選では、「裏金問題」への対応に関して、岸田首相との違いをアピールできる対策の「競争」になるのが当然だろうと思われた。

しかし、9人の候補者がそれぞれ出馬会見を行い、「政策」については立派なことを言っている一方で、「政治とカネ」問題について、国民が納得し信頼が回復できるような対応方針を示した候補者は一人もいなかった(【自民党総裁選出馬会見、「政治とカネ」問題で「抜本改革」を打ち出せない小林・河野、他の候補者は?】【高市氏出馬会見、党紀委処分で裏金議員「非公認」を否定、「『ちゃぶ台返し』はできない」に重大な疑問】)。

総裁選の投票権を持つ自民党所属議員の中に、派閥から裏金を受け取っていた「裏金議員」が80人以上含まれ、その支持を受けられるかどうかが、とりわけ決選投票の当落のカギを握ることになるため、「裏金議員」の反発を招くような対応方針は打ち出せない、というのが最大の理由であろう。

自民党の新総裁に就任すれば、総選挙で国民に信を問うことになるが、まずは、議員票を獲得して総裁選に勝利しなければ、総裁として総選挙に臨むこともできない。総選挙のことは、総裁選で勝ってから考えればよいということだろう。つまり、総裁選が「一次試験」、それを突破しなければ「二次試験」に臨むことができない、ということか。

しかし、国民の側からすると、今回の総裁選は、総選挙で国民の信を問う総裁を選ぶ選挙であり、岸田首相不出馬の原因となった「政治とカネ」問題に対して、国民が納得し、支持するような対応を打ち出すことの競争を行うことが、衆院選に向けての「一次試験」であり、その点を曖昧にしたまま総裁選を勝ち抜いて新首相に就任しても、自民党に対する信頼が回復しない以上、「二次試験」の総選挙での「落第」は必至のはずである。

高市早苗氏は、「自民党で処分が決まっている。非公認を含めて党内で積み重ねてきた議論を、総裁が代わったからと言ってちゃぶ台返しをしたら独裁」などと言って、裏金議員への対応を見直す余地は全くないと断言したが、それ以外の総裁選候補者の多くは、「不記載議員には説明責任を果たさせる」或いは「説明責任を尽くしたかどうか見極める」ということを述べた。

問題は、その「説明責任」の中身である。

今回の「裏金問題」で、なぜ国民が強烈に反発し、怒ったのか、それは、自民党の多くの議員が、政治資金として収支報告書で公開もしない「裏金」を得ていたことが発覚したのに、刑事処罰を受けないどころか、納税すらしないで済まされていることに対する納税者としての強い憤りである。政治資金として公開しない「裏金」というのは、個人が自由に使える、ということであり、一般の国民がそのようなお金を得ていたことがわかれば、間違いなく所得税の納税をさせられる。場合によっては、追徴税、重加算税まで課せられる。ところが、「裏金議員」は、「政治資金の収支報告書への不記載に過ぎなかった」と弁解して収支報告書を訂正し、何のお咎めもなし、ということになっている。そのことに国民は怒っているのである。SNS上に「裏金議員」に関して「脱税」「泥棒」などという言葉が飛び交っているのもそのためである。

岸田首相は、「検察が法と証拠に基づいて厳正に捜査処分を行った」と強調するが、その検察の処分にも多くの国民が疑念を持っている。私も、現在の「裏金事件」をめぐる混乱の最大の原因が検察の誤った捜査・処分であることを再三指摘してきた(【「裏金議員・納税拒否」、「岸田首相・開き直り」は、「検察の捜査処分の誤り」が根本原因!】)。

そのような現状において、国民の納得を得るために、自民党総裁として、「裏金議員」に求めるべき説明というのは、どういうものなのか。

重要な点は、「①なぜ、どのような認識で収支報告書に記載しない金を受け取ったのか」「②それをどのように管理していたのか」「③どのような用途に使ったのか」「④未使用金はどうしようと思っていたのか」である。

① は、そもそも、政治活動に関して「収支報告書に記載不要の金」というのは、あり得ないはずである。それを議員側が受け取った際にどのように認識していたのか、というのは「裏金問題」の核心である。そして、管理状況、使途、未使用金の使用予定は、それが、どの政治団体、或いは政治家個人に帰属する資金であったのかを判断する重要なポイントとなる。それらの説明の結果、「政治家個人に帰属する政治資金の寄附」と判断されれば、そもそも違法寄附となる可能性がある上に、所属議員の個人所得となり、所得税の納税の義務も生じることになる。

本来、自民党の党紀委員会での処分に当たって、これらの点について個別にヒアリングをして、事実確認を行うことが不可欠だったはずだが、それが十分に行われたようには思えない。

だからこそ、総裁選で新総裁が選出されたら、まず、その点について個々の「裏金議員」に説明を求めることが必要だ。その結果、政治団体に帰属する資金であることについて納得できる説明が行われた議員については、その説明内容を国民に示すことで、その議員についての党紀委員会の処分が正当であったことが確認されたことになる。

一方、①~④の説明の結果、政治家個人宛の政治資金の寄附だと判断せざるを得ない場合には、少なくとも、当該議員に所得税の修正申告・納税を行うよう求めることが必要になる(違法寄附を受けたことについての告発も検討の余地はあるが、検察が刑事処分済であるので実際上は処罰は困難であろう)。

このようにして新総裁が、国民が裏金議員の「不処罰」「不納税」に対する疑問・不満に向き合い、裏金議員に対する説明を求め、事実関係を明らかにすることができれば、岸田首相不出馬を受けての自民党総裁選は「裏金問題」で失った自民党の信頼回復のために大きく貢献することになる。

このような説明を求めることをせず、自民党としての事実解明のレベルが、党紀委員会の処分の前提事実と何も変わらないということであれば、今回の総裁選は、国民にとって「一体なんだったのか」ということになる。

その場合、国民は、来る総選挙で、自民党に「解党的出直し」を迫るほどの「惨敗」という選挙結果を突きつけるしかない。

「新しい総裁」による刷新感で「政治とカネ」問題をごまかそうというのが、自民党議員の魂胆のようだ。そのようなことでごまかされるほど、国民は馬鹿ではない。

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高市氏出馬会見、党紀委処分で裏金議員「非公認」を否定、「『ちゃぶ台返し』はできない」に重大な疑問

自民党総裁選に向けての出馬表明の動きが本格化してきた8月28日、本欄の記事【自民党総裁選出馬会見、「政治とカネ」問題で「抜本改革」を打ち出せない小林・河野、他の候補者は?】で、岸田首相が総裁選不出馬に追い込まれた最大の原因となった「自民党派閥政治資金パーティーをめぐる裏金問題」の経過と、岸田首相の対応を振り返り、総裁選における「政治とカネ」問題の論点を整理し、その時点で出馬会見を行っていた小林鷹之氏と河野太郎氏の、この問題に対する会見での発言について論評した。

「裏金問題」への対応には、派閥から政治資金パーティーの売上のキックバック等を受け、政治資金収支報告書に記載しなかった議員(裏金議員)に対して、どのような対応を行うのかという問題と、このような「裏金問題」を含め、政治資金制度をどのように是正していくのか、具体的に政治資金規正法をどう改正していくのか、という二つの問題があり、これらについて、総裁選の候補者が、国民に全く評価されなかった岸田首相の対応とは異なるどのような施策が打ち出せるかが注目点だと述べた。

そして、小林氏、河野氏に共通する裏金に関する事実解明を否定する姿勢について、岸田首相がこれまで国会答弁で繰り返してきたことと全く変わらないものであり、その理由とする

「捜査権を持つ検察以上のことは自民党にもできない」

というのは全くの誤りであることを述べた。

検察が行えることは、刑罰法令を適用し、刑訴法に基づく権限を行使して、証拠により犯罪を立証して処罰を求めることだ。適用する刑罰法令に問題があれば処罰が困難になり、刑訴法上の権限を用いることにも、黙秘権、令状主義等による制約がある。

一方、自民党として裏金の事実解明を行おうと思えば、「公認権」という党所属議員の生殺与奪の力を有している自民党総裁が、裏金受領議員に、受領の経緯、保管状況、使途について可能な限り調査して報告させ、十分な説明責任を果たすことを次期衆院選の公認の条件とすれば、相当程度の事実解明ができるはずだと述べた。

また、河野氏が、裏金議員への対応として

「不記載と同じ金額を返還をしていただくことでけじめとする」

などと述べたことに対しても、「裏金」は、派閥から所属議員にわたったものであり、自民党は返還を求める立場ではないことを指摘した。

裏金議員への対応について、8月24日に出馬表明した石破茂氏は、説明責任を尽くすことの必要性を強調し、公認についても新執行部で検討する余地があると述べている。一方、9月6日に記者会見を行った小泉進次郎氏も、

「対象となった議員の公認については、説明責任が尽くされているか。再発防止に取り組んでいるか、地方組織、県連の意見を聞いて新執行部で判断する」

と述べている。一方、茂木敏充氏は、

「(衆院)解散が決まった時点で党選対本部で厳正に判断したい」

としか述べていない。9月3日に出馬会見を行った林芳正氏は、

「総裁が代わったからと言って、政倫審、党の党紀委員会等の手続をとって決定したことを何も手続をとらないで変えることはあってはならない」

と述べ、小林氏と同様に、

「新たな事実が出てきた場合には、党としての調査を考える」

と述べた。

そして、マスコミの情勢調査等では、石破氏、小泉氏と並び有力候補の一角とされている高市早苗氏が、9日に出馬会見を行った。

高市氏は、裏金議員への対応について問われ、

「自民党で処分が決まっている。8段階の処分の中には『非公認』もある。非公認より厳しい処分が5名に下されている。非公認を含めて党内で積み重ねてきた議論を総裁が代わったからと言ってちゃぶ台返しをしたら独裁」

だと述べて、新総裁に就任しても、裏金議員への公認等について検討する考えはないと述べた。

基本的な趣旨は林氏と同様だが、党紀委員会で「非公認」も含めて検討した上で、処分が決定されたことを強調し、それを覆すのは「独裁」とまで言い切ったことで、裏金議員の公認を見直すことを明確に否定した。この高市氏の発言は、次期衆院選での公認の見直しなどという話にならないよう、固唾をのんで総裁選の行方を見守っている80人を超える裏金議員の支持を得る上では、この上なく効果的なものと言えよう。

しかし、一見、論理的に見える高市氏の「裏金議員への処分見直し否定論」だが、そこには重大な疑問がある。

まず、第一に、自民党の党紀委員会で決定された処分というのは、自民党という組織の中で、組織の論理の範囲内で議論され決定されたものであり、それに対して、国民から強い反発批判が生じているからこそ、岸田内閣の支持率が低迷し、現職首相の総裁選不出馬という結果につながったものだ。今回の総裁選において、そのような岸田総裁の下の自民党内で行われたことを、既に一定の手続を経て決定済だという理由で、すべて「是」として見直さない、というのでは、自民党内では通用しても、国民に対しては全く理解されないだろう。

第二に、その党紀委員会の決定の前提事実に合理性があるのか、という問題である。裏金議員に対する自民党の従来の対応がなぜ国民から厳しい批判を受けているのか、それは、何と言っても、自民党の多くの議員が、政治資金として収支報告書で公開もしない「裏金」を得ていたことが発覚したのに、刑事処罰を受けないどころか、納税すらしないで済まされていることに対する納税者としての強い憤りである。

国民の多くは、裏金議員の中には、その金を個人の懐に入れていた議員が相当数いるのではないかと疑っている。裏金議員の側は、すべて「政治資金として使っていたもので、議員個人が懐に入れていた金はない」と説明し、自民党の側も、その弁解を丸呑みして、裏金はすべて「政治資金」との前提で、党紀委員会の処分が行われている。

党紀委員会の処分についての自民党の発表(【党紀委員会の審査結果について記者会見】)を見ても、派閥幹部として不適切な会計処理への関与が疑われた派閥幹部のほか、「不記載議員」については、

《過去5年において、自身の政治団体に多額、2000万円以上の不記載があった議員の政治的、道義的責任も重いとの判断でした。上記以外にも、過去5年において、自身の政治団体に相当な額、1000万円以上、もしくは500万円以上の不記載がある議員について、会計責任者に任せきりで不適正な処理としてしまった者の管理責任も問われるとの審査結果でした》

とされており、この「不記載」は、すべて会計責任者が行ったことで、議員本人は、「会計責任者に任せきりで不適正な処理としてしまった者の管理責任」だけが問題にされている。

しかし、実際には、そうではなく議員個人の用途に使われていたと考えざるを得ない事実も明らかになっている。

例えば、「裏金議員」の一人の堀井学氏が、資金管理団体の政治資金収支報告書に、安倍派から還流されたパーティー収入約1700万円を寄付として記載しなかった政治資金収支報告書の虚偽記入と、秘書らを通じて選挙区内の52人に香典計38万円や枕花(約23万円相当)を贈った公職選挙法違反(選挙区内の寄付)の罪で略式請求されたことだ(堀井氏は事件を受け議員辞職)。

この件について、堀井氏が派閥から受領した「裏金」を原資として香典等を有権者に渡していたと一部で報じられている。検察の起訴事実によると、「資金管理団体が堀井学を名義人として寄附をした」というのではなく、堀井氏自身が寄附の主体とされている。資金となった派閥からの裏金は政治団体ではなく政治家個人に帰属し、それを原資に香典等が贈与されたということになる。

たまたま明らかになった堀井氏の事件で、裏金が政治団体ではなく個人に帰属した疑いが濃厚になっているのである。それ以外の議員について、すべて政治団体に帰属し、個人に入った裏金は全くなかったと、どうしていえるのであろうか。

ところが、仮に、議員が、「裏金」を、秘書や会計責任者に委ねることなく自分の懐に入れていたという場合、上記の党紀委員会の処分では、「会計責任者に任せきりで不適正な処理としてしまった」とは言えないので処分を免れることになってしまうのである。

第三に、そもそも、「非公認」という処分も含めて、党紀委員会で検討の上、「非公認」より重い処分が5人に下されているので、新総裁に代わっても、裏金問題に関連して「非公認」にすることはできない、という高市氏の理屈も明らかにおかしい。

確かに自民党の党規律規約では、(1)除名(2)離党勧告(3)党員資格停止(4)選挙での非公認(5)国会・政府の役職辞任勧告(6)党の役職停止(7)戒告(8)党則順守勧告という8段階の処分が予定されており、その中の4番目として、「非公認」も含まれている。

しかし、それは、党紀委員会の審査の対象とされた事実について、適切と判断された処分が選択されたということであり、既に述べたように、そのような前提事実で党紀委員会の処分を決定したことが国民に理解されていないのであるから、新総裁が、その処分だけでは国民の理解が得られないと判断した場合に、その点について、対象議員に説明を求め、その説明が尽くされない、或いは、説明困難なことがある、ということであれば、総裁として公認を再検討する余地があるのは当然である。

結局のところ、党紀委員会で「非公認」の選択肢も含めて検討した結果「非公認」の処分が行えなかったので、その件に関して公認の見直しはあり得ないという高市氏の主張は全く通る余地はない。

高市氏が、なぜ、このような理屈を持ち出してまで、裏金議員の公認見直しを否定しようとするのか。それは、現時点での総裁選の情勢が、仮に決選投票に残った場合に、「裏金議員からの圧倒的な支持」を受けようとする思惑があるのかもしれない。

しかし、説明も十分にせず、納税の義務も果たさない裏金議員に対して「大甘」な対応のままでは、仮に総裁選挙を乗り切ったとしても、選挙で国民の理解と信頼を得ることは困難であろう。

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堀井学氏「1700万円裏金」「香典贈与」略式起訴で露呈した“裏金議員への「大甘捜査」”

東京地検特捜部は8月29日、自民党派閥の政治資金パーティーをめぐる事件で、「清和政策研究会」(安倍派)から還流されたパーティー収入について、直前に衆議院議員を辞職した堀井学氏を政治資金規正法違反の罪で略式起訴した。

検察の発表によると、堀井氏は、資金管理団体の「ともに歩き学ぶ会」の2019~2021年分の政治資金収支報告書に、安倍派から還流されたパーティー収入約1700万円を寄付として記載しなかったことが、同団体の政治資金収支報告書の虚偽記入であり、政治資金規正法に違反するとされたようだ。

また、堀井氏は、2021年10月~2023年10月、秘書らを通じて選挙区内の52人に香典計38万円や枕花(約23万円相当)を送った公職選挙法違反(選挙区内の寄付)の罪でも同時に略式起訴されており、政治資金規正法違反の罪と併せて「罰金100万円」「公民権停止3年」の略式命令が出された。

堀井氏起訴と「裏金議員」立件基準との関係は?

この堀井氏に対する政治資金規正法違反と公選法違反の略式起訴に関しては、不可解な点がいくつかある。

自民党の調査結果によると、2018年から2022年までの5年間で派閥から裏金(収支報告書に記載しない前提で派閥から所属議員に供与された金)を受領した国会議員は82人に上る(2024年2月13日東京新聞)が、検察が、今年1月に行った一連の裏金事件に対する刑事処分において、正式起訴されたのは、4826万円の池田佳隆衆議院議員と5154万円の大野泰正参議院議員の2名、その他に4355万円の谷川弥一元衆院議員を略式起訴しただけで、それ以外は、刑事立件されず、告発されても不起訴となっている。

そのため、検察は、刑事立件の基準を3000万円とし、それ以下の金額の裏金議員は立件しない方針だと言われていた。

今回、裏金の金額が2196万円とされていた堀井氏が、1700万円の収支報告書虚偽記入で略式起訴された。なぜ3000万円以下なのに起訴されたのか、他の裏金議員との関係はどうなるのだろうか。

裏金の悪質性と公選法違反との関係

裏金に関する政治資金規正法違反で、堀井氏だけ、特に刑事立件され起訴される理由があるとすれば、同時に略式請求された事件、有権者に対する香典・枕花の供与の公選法違反との関係であろう。

しかし、82人の「裏金議員」の多くが主張しているように、「派閥からの還付金の単なる収支報告書への不記載であり、全額政治活動のために使っていて、実質的には問題ない」ということだとすると、それとは全く別個に香典等の寄附の公選法違反が発覚したからと言って、裏金の「単なる手続上の違反」が、突然、処罰すべき政治資金規正法違反と評価されるのもおかしい。この堀井氏の1700万円の収支報告書虚偽記入だけが起訴される理由にはならないはずだ。

一部で報じられているように、堀井氏は派閥から受領した「裏金」を原資として香典等を有権者に渡していたことによって、悪質性について評価が変わったということであれば、1700万円の虚偽記入の処罰について、一応理屈は通る。

しかし、その場合、もう一つの疑問が生じる。

今回、堀井氏は、「衆議院議員の公職にあった者」つまり「公職の候補者」として、選挙区内の有権者に香典・枕花を供与したということで、公選法199条の2第1項(「公職の候補者等は、当該選挙区内にある者に対し、いかなる名義をもってするを問わず、寄附をしてはならない」)違反で起訴されている。

「公職の候補者等を寄附の名義人とする当該選挙区内にある者に対する寄附」も同条2項で禁止されているが、検察の起訴事実は、「資金管理団体が堀井学を名義人として寄附をした」というのではない。政治団体「ともに歩き学ぶ会」ではなく、堀井氏自身が、堀井氏個人の資金による供与だったとすると、裏金は政治家個人に帰属し、それを原資に香典等が贈与されたということになるのではないか。

裏金は政治団体に帰属するのか政治家個人に帰属するのか

一般的に、「裏金」というのは、その議員に関係する政治団体・政党支部のどこの収支報告書にも記載しない、という前提で領収書もやり取りせずに供与するものだ。今回の派閥から所属議員にわたった政治資金パーティーの「還付金」ないし「留保金」(議員が購入者から受領した売上金の一部を派閥の口座に送金せず手元に留保するもの)も、収支報告書に記載しないよう派閥側から指示されていたというのだから、議員の側は、どの政治団体の収支報告書にも記載しない前提で「裏金」として受け取り、そのまま、どの収支報告書にも記載しなかったということだ。

「収支報告書に記載しない金」として供与されたということは、政治団体の収支報告書の記載の対象ではない「政治家個人に対する寄附」と考えるのが自然だが、それは、「違法寄附」となる。

政治資金収支報告書の虚偽記入の法定刑は禁錮5年以下・罰金、会計責任者が作成義務を負い、政治家本人の関与は間接的だ。一方、「政治家個人宛の政治資金の寄附」と認定されれば、政治資金規正法21条の2第1項に違反となり、法定刑は禁錮1年以下・罰金と虚偽記入と比較すれば軽いが、政治家本人が直接的に処罰の対象となり、罰金刑に処せられただけでも議員失職となる。そして、その寄附が政治家個人に帰属したことになり、所得税の課税の対象となる。

もちろん、裏金議員は、議員失職にはなりたくないし、納税もしたくないので、「政治家個人宛の政治資金の寄附」であることは、なかなか認めないであろう。

だからこそ、今回、全国から応援検事を集めて大捜査体制で捜査を行った検察は、少しでも「政治家個人宛の政治資金の寄附」であることを認めさせる方向で追及すべきだったと、私はかねてから主張してきた。

そういう捜査を行っていれば、82人の「裏金議員」の中に議員本人も「政治家個人宛の政治資金の寄附」であったことについて言い逃れができない事例も少なからずあったはずだ。

政治家個人に帰属していたと思われる丸川珠代氏の裏金

その典型例が、神戸学院大学上脇博之教授と私の連名で、「政治家個人宛の寄附」の事実で告発した丸川珠代参院議員の事例だ(【「この愚か者めが!」丸川珠代議員への「政治家個人宛寄附」告発の“重大な意味”】)。

丸川氏本人が、マスコミの取材に対して、ノルマ超過分をパーティー券売上納付額から除外する方法による寄附だったこと、「資金は(自分の)口座で管理していた」と述べ、自分個人の口座で管理していたことを認めているのである。

このような場合は、検察官の取調べで、「政治家個人宛の寄附」であることを認めさせることは、それ程困難ではないはずであり、政治資金規正法21条の2違反で略式請求すると同時に、それを議員の個人所得として課税するよう、国税当局に通報することもできたはずだ。

堀井氏の裏金はどちらなのか

堀井氏についても、丸川氏の場合と同様に、派閥からの裏金を、「政治家個人宛の政治資金の寄附」として受け取ったからこそ、有権者への香典、枕花の贈与という収支報告書に記載して表に出すことができないお金として使っていた、ということであろう。

派閥からの裏金が政治団体宛だったのであれば、「団体の裏金」を堀井氏が横領して香典等に充てたことになるが、あまりに不自然不合理だ。

堀井氏が派閥から受領した裏金を政治団体「ともに歩き学ぶ会」宛ての寄附ととらえ収支報告書に記載していなかった虚偽記入として起訴するのは実態に反していると言わざるを得ない。

裏金事件における検察の大甘処分と今回の起訴

今回の裏金事件では、議員本人の取調べで、「収支報告書に記載しない前提の金である以上、資金管理団体、政党支部などに宛てた政治資金ではない」として、収支報告書を提出不要の「政治家個人宛の寄附」として受け取ったことを認めさせる方向で追及する捜査を行うべきだった。それを行っていれば、実際に、「政治家個人宛の寄附」であること立証でき、政治資金規正法21条の2第1項違反で起訴し、議員失職に追い込める事例も相当数あったはずだ。

しかし、実際の検察の捜査は、それとは真逆の方向で、「還付金」「留保金」が資金管理団体などの政治団体に帰属していることを認めさせ、それを政治団体の政治資金収支報告書に記載しなかった問題としてとらえようとした。

その結果、裏金議員の殆どが刑事立件すらできないまま捜査は終結、僅かに正式起訴した池田佳隆及び大野泰正の2名の国会議員についても、起訴から半年以上経過しても、公判の見通しすら立っておらず、検察が果たして有罪立証ができるのか否かすら疑わしい。

今回の堀井氏の件も、「裏金」が、議員個人名義での香典、枕花の贈答に使われたとすれば、政治家個人宛の寄附であったことを示す重要事実のはずだ。その実態に即して「政治家個人宛の政治資金の寄附」として処罰をすべきなのに、他の裏金議員について、政治家個人宛ではなく政治団体宛の寄附として処理し、政治資金収支報告書の訂正まで行わせる「大甘捜査」をしてきたことと平仄を合わせるためか、香典等の贈与と併せて資金管理団体の収支報告書の虚偽記入で略式起訴するという、不可解な刑事処分となった。

そして、検察は、堀井氏を政治団体の収支報告書虚偽記入を略式請求したのと同じ日に、告発状を5か月間も受理しないまま預かっていた丸川氏についての「政治家個人宛の寄附」等の告発を、あろうことか、「嫌疑なし」で不起訴処分とした。堀井氏と同様に、丸川氏に対する「裏金」も政治団体(丸川氏の場合は政党支部)宛てであった、ということを言いたかったのであろうが、むしろ、堀井氏と同様であれば「政治家個人宛の寄附」であることは明白であり、丸川氏の不起訴処分の不当性を裏付けるものである。

丸川氏については、不起訴処分通知が届き次第、私と上脇教授とで、ただちに検察審査会に申立を行うことは言うまでもない。

今回の堀井氏の略式起訴は、検察の今回の政治資金パーティー裏金事件への対応全体が間違っていたことを端的に示す結果になったと言えよう。

殆どの裏金議員が「裏金議員は、処罰も納税もせず、反省もしていない」という現状に対して、真面目に働いて納税してきた国民の不満と怒りが爆発し、政治不信が極度に高まっている。このような事態を招いたことの大きな原因が検察捜査の方向性の誤りにあることは否定できない(【「裏金議員・納税拒否」、「岸田首相・開き直り」は、「検察の捜査処分の誤り」が根本原因!】

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