「伝統」と「和」を壊そうとする人たち
「和の精神」と「伝統」は常に一体である。「伝統」の中に外部から入ってきた文化などを「伝統」の中に取り込むことが出来るのも「和」の特徴である。いわば「和」は「伝統」と「外部の文化」を融合させるを得意とする。
古代であれば「稲作」からはじまり、後に「憲法」や「仏教」、中世であれば「鉄砲」をはじめとする「西洋文化」、明治維新は当然「西洋列強」の中での「蒸気機関」などをはじめとする、「文明」ではなおだろうか。
まるで外から流れてくる新しい風を古い森の中へ循環させるように、「伝統」の中に馴染ませていく。あくまで、自国の伝統を軸にしながら、新しいものを取り入れていくことは、他の国では真似できないものであろう。
しかし、ながら時が過ぎ、近代となり、段々とそれが変わってきはじめた。何が変わったのか、外の文化を取り入れるにあたり、伝統の軸が揺らぎ始めたのである。海外からの文化が入ってきすぎたためなのか、段々と伝統が失われてきつつあるのである。グローバルな世の中なのでは、伝統が失われていくのは仕方のないと言う人もいる。しかしどうであろうか。
私は決してそうは思えないのである。これこそ、今まで海外の文化を取いれ、伝統に循環させていた「和」がはたらかなくなっているのではないだろうか? それでは、この「和」は時代の中で勝手に壊れて言っているのだろうか、違う、長い長い年月の中でたった100年程度で勝手に壊れるはずはないのである。
これには「和」を壊している人物がいる。という事である、さてこれは誰なのだろうか、今回から数回シリーズでそういった小さなものから大きなものまで人物を検証していってみたい。
古代であれば「稲作」からはじまり、後に「憲法」や「仏教」、中世であれば「鉄砲」をはじめとする「西洋文化」、明治維新は当然「西洋列強」の中での「蒸気機関」などをはじめとする、「文明」ではなおだろうか。
まるで外から流れてくる新しい風を古い森の中へ循環させるように、「伝統」の中に馴染ませていく。あくまで、自国の伝統を軸にしながら、新しいものを取り入れていくことは、他の国では真似できないものであろう。
しかし、ながら時が過ぎ、近代となり、段々とそれが変わってきはじめた。何が変わったのか、外の文化を取り入れるにあたり、伝統の軸が揺らぎ始めたのである。海外からの文化が入ってきすぎたためなのか、段々と伝統が失われてきつつあるのである。グローバルな世の中なのでは、伝統が失われていくのは仕方のないと言う人もいる。しかしどうであろうか。
私は決してそうは思えないのである。これこそ、今まで海外の文化を取いれ、伝統に循環させていた「和」がはたらかなくなっているのではないだろうか? それでは、この「和」は時代の中で勝手に壊れて言っているのだろうか、違う、長い長い年月の中でたった100年程度で勝手に壊れるはずはないのである。
これには「和」を壊している人物がいる。という事である、さてこれは誰なのだろうか、今回から数回シリーズでそういった小さなものから大きなものまで人物を検証していってみたい。
「わ」を考える。
和の視点で見る「人権問題」への疑問。
こういう事を書けば抗議をされるかもしれない。しかし、和の視点に立って人権などを考えてみたい。人権問題は戦後から、日本にとって切っても切り離せない問題となる。
私の見解を言わせてもらえば、人権自体は必要だと思う、人それぞれ個人の権利はあるだろうし、なにごとも平等である事はうなずけるところである。しかし、今自分、人権を考える市民団体をみて私は思う、これが日本のあるべき姿なのだろうかと。
人権問題は平等をうたうあたりから、一瞬が和に通ずるものがあるように見える、しかしである。和の精神とは似ても似つかぬものである。
例を上げれば、とくに犯罪者の人権問題である。いうなれば、被害者がどんなに苦痛を受け生きる権利が迫害されようとも、加害者は権利にまもられるわけである。日本の司法が被害者の近辺者にとって一番不利益なのはそのためである。
和をみてみよう、和は波風をたてずに、全ての人間を擁護するように見えるがそうではない。以前、「和の攻撃性」の題目で和は独裁者に関しては攻撃要素となると書いた。さて、ここで少し応用してみよう。
和というものは考えても見れば独裁者でなくとも、和を乱すものに攻撃をしかけるわけで、それには、当然、自らの利のため、他人を攻撃したという、和を乱す行為をおこなったわけである。当然、これは和の攻撃対象である。和というものは多くの人間が憎しみをもつことを嫌う、そのために、和を乱すものに関しては大きく攻撃を行う。
歴史で言えば、犯罪者には相応の刑が課せられた。打ち首、獄門、市中引き回し。。奉行の時代劇ではよくでてくる、現在では決して考えられない、おぞましいものである。こういった事をおこなったのは、被害者の感情から憎しみを打ち消す方法のひとつであったと私は考える。
また、仇討ちの制度などもそうだ。現在の日本の最高刑は死刑、その下は無期懲役。当然、無期懲役は終身刑ではない。
最近は最高刑の死刑を廃止しようという動きもある。しかしどうだろう、死刑を廃止して、当人が反省をしてなかった場合、被害者近辺の人たちの恨みや遺恨は消えるのだろうか。これらの動きは和の精神からは、外れた動きだと感じるのだ。
やはり、死刑廃止反対派が多いのも和の精神が日本に根付いているからではないだろうか。さて次回は、和の視点から見る「人権問題」の第二弾を行きたいと思う。
私の見解を言わせてもらえば、人権自体は必要だと思う、人それぞれ個人の権利はあるだろうし、なにごとも平等である事はうなずけるところである。しかし、今自分、人権を考える市民団体をみて私は思う、これが日本のあるべき姿なのだろうかと。
人権問題は平等をうたうあたりから、一瞬が和に通ずるものがあるように見える、しかしである。和の精神とは似ても似つかぬものである。
例を上げれば、とくに犯罪者の人権問題である。いうなれば、被害者がどんなに苦痛を受け生きる権利が迫害されようとも、加害者は権利にまもられるわけである。日本の司法が被害者の近辺者にとって一番不利益なのはそのためである。
和をみてみよう、和は波風をたてずに、全ての人間を擁護するように見えるがそうではない。以前、「和の攻撃性」の題目で和は独裁者に関しては攻撃要素となると書いた。さて、ここで少し応用してみよう。
和というものは考えても見れば独裁者でなくとも、和を乱すものに攻撃をしかけるわけで、それには、当然、自らの利のため、他人を攻撃したという、和を乱す行為をおこなったわけである。当然、これは和の攻撃対象である。和というものは多くの人間が憎しみをもつことを嫌う、そのために、和を乱すものに関しては大きく攻撃を行う。
歴史で言えば、犯罪者には相応の刑が課せられた。打ち首、獄門、市中引き回し。。奉行の時代劇ではよくでてくる、現在では決して考えられない、おぞましいものである。こういった事をおこなったのは、被害者の感情から憎しみを打ち消す方法のひとつであったと私は考える。
また、仇討ちの制度などもそうだ。現在の日本の最高刑は死刑、その下は無期懲役。当然、無期懲役は終身刑ではない。
最近は最高刑の死刑を廃止しようという動きもある。しかしどうだろう、死刑を廃止して、当人が反省をしてなかった場合、被害者近辺の人たちの恨みや遺恨は消えるのだろうか。これらの動きは和の精神からは、外れた動きだと感じるのだ。
やはり、死刑廃止反対派が多いのも和の精神が日本に根付いているからではないだろうか。さて次回は、和の視点から見る「人権問題」の第二弾を行きたいと思う。
「和」が刃物と化す時
さて、今回は「和」についての恐ろしさを語りましょう。和というものは時として対象物を攻撃することがあります。「和」がどういう時に変貌するのでしょうか?
信頼関係を大切にする「和」にとっての一番の大敵は、やはり独裁者であります。独裁者的な人物が現れた場合、「和」はその人物に対してのみ攻撃要素をもつのであります。どのような方法で行われるのか?
「和」は「和」らしく恙無い方法で攻撃を行います。歴史上で言えば「暗殺」が多いですね。織田信長をはじめ歴史上で独裁体制をひこうとした人物は暗殺の憂き目にあっています。
暗殺とはいかなくても、必ず首座からは引きずり下ろされるわけであります。かつての日本の歴史で独裁者などが殆ど存在しないのはそのためであります。こうして日本はなにからも崩される事なく独自の文化が形成出来たのです。「和」が均衡を保ち発展の円滑材となったわけですね。
みなさん、覚えておいてください。このように、「和」にも攻撃性は存在するのです。
信頼関係を大切にする「和」にとっての一番の大敵は、やはり独裁者であります。独裁者的な人物が現れた場合、「和」はその人物に対してのみ攻撃要素をもつのであります。どのような方法で行われるのか?
「和」は「和」らしく恙無い方法で攻撃を行います。歴史上で言えば「暗殺」が多いですね。織田信長をはじめ歴史上で独裁体制をひこうとした人物は暗殺の憂き目にあっています。
暗殺とはいかなくても、必ず首座からは引きずり下ろされるわけであります。かつての日本の歴史で独裁者などが殆ど存在しないのはそのためであります。こうして日本はなにからも崩される事なく独自の文化が形成出来たのです。「和」が均衡を保ち発展の円滑材となったわけですね。
みなさん、覚えておいてください。このように、「和」にも攻撃性は存在するのです。
「受信者責任型文化」を考える
今日はこんな話題から。
5月25日の産経新聞朝刊に面白い記事が載っていた。15面の「歴史に遊ぶ」というコラムだ。記事の引用が出来ないようなので、感じ入った部分のみ抜粋して、概略を伝える。
京都外大のジェーフ・バーグランド教授は日本文化を「最も強い受信型」だと論じている。これを何故かといわれれば、「その場の空気を読めないことを非難するKYという言葉を生む」というとのことである。確かに海外からみればそのように捉えられているのだなと、つくづく感じる。
同氏は「屋内で靴をぬぐ習慣。習慣などで、足の裏から温度や床の状態などが変化する情報を得る、特定ではないが自然変化に富んでる風土がこういう文化を生んだのではないか」としている。
そしてこの意見に対し、静岡大学の小和田哲夫教授がこれらの文化は「気遣い文化」であり「気遣い」を「気働き」という言葉に置き換え戦国時代の武家社会が源流ではないかと論じている。小和田氏は戦国時代研究の第一人者であり、そういった意味でも非常に興味が深い。
同氏が言うには、かつて武家社会はゆるやかな主従つながりをもっており、戦場に兵士を集める為にはいわば主人が兵士達に気遣いを行っていた時代だった。それを変えたのが織田信長であり、信長は独自で雇う職業武人を作り、主従関係を強め、秀吉の時代には、これら武士団を伝来の土地から切り離し、主君に従わなければ再就職がままならない状況を作ってしまい、そこで受信者(気遣いを行うべき人)が上から、下へと入れ替わったと論じている。
さらに、これ強固にしたのは徳川家康であり、一つの部署を複数人数の奉行で担当させるなどして、奉行等を互いに競わせ下克上ができない状況にし、そこから、職場の空気をよめなければならないという時代が幕開けしたという見解だ。ただ、ここで私が考えるのは。この受信者責任型文化というのは、日本らしさの源流とは多少の開きがあると感じるのだ。
私が論じている「和」の考えは互いに信頼を置き、その中で互いの意を察する文化をいう、しかしながら、この受信型責任型とは、名の通り、責を負ういわば目に見えぬ鎖が見え隠れするのである。人の和に責というのが存在するのか、ここは非常に疑問である。これは以前にも書いたが、「和に似て非なるもの」で、日本文化のいわば支流ではないかと思うのだ。
これについては、またいずれ時期が来た時に語ることとする。ただ、ひとつ最後に言うが「KY」という言葉を持ち上げる。こと自体現代は異常だといっておきたい。
5月25日の産経新聞朝刊に面白い記事が載っていた。15面の「歴史に遊ぶ」というコラムだ。記事の引用が出来ないようなので、感じ入った部分のみ抜粋して、概略を伝える。
京都外大のジェーフ・バーグランド教授は日本文化を「最も強い受信型」だと論じている。これを何故かといわれれば、「その場の空気を読めないことを非難するKYという言葉を生む」というとのことである。確かに海外からみればそのように捉えられているのだなと、つくづく感じる。
同氏は「屋内で靴をぬぐ習慣。習慣などで、足の裏から温度や床の状態などが変化する情報を得る、特定ではないが自然変化に富んでる風土がこういう文化を生んだのではないか」としている。
そしてこの意見に対し、静岡大学の小和田哲夫教授がこれらの文化は「気遣い文化」であり「気遣い」を「気働き」という言葉に置き換え戦国時代の武家社会が源流ではないかと論じている。小和田氏は戦国時代研究の第一人者であり、そういった意味でも非常に興味が深い。
同氏が言うには、かつて武家社会はゆるやかな主従つながりをもっており、戦場に兵士を集める為にはいわば主人が兵士達に気遣いを行っていた時代だった。それを変えたのが織田信長であり、信長は独自で雇う職業武人を作り、主従関係を強め、秀吉の時代には、これら武士団を伝来の土地から切り離し、主君に従わなければ再就職がままならない状況を作ってしまい、そこで受信者(気遣いを行うべき人)が上から、下へと入れ替わったと論じている。
さらに、これ強固にしたのは徳川家康であり、一つの部署を複数人数の奉行で担当させるなどして、奉行等を互いに競わせ下克上ができない状況にし、そこから、職場の空気をよめなければならないという時代が幕開けしたという見解だ。ただ、ここで私が考えるのは。この受信者責任型文化というのは、日本らしさの源流とは多少の開きがあると感じるのだ。
私が論じている「和」の考えは互いに信頼を置き、その中で互いの意を察する文化をいう、しかしながら、この受信型責任型とは、名の通り、責を負ういわば目に見えぬ鎖が見え隠れするのである。人の和に責というのが存在するのか、ここは非常に疑問である。これは以前にも書いたが、「和に似て非なるもの」で、日本文化のいわば支流ではないかと思うのだ。
これについては、またいずれ時期が来た時に語ることとする。ただ、ひとつ最後に言うが「KY」という言葉を持ち上げる。こと自体現代は異常だといっておきたい。