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VIPPERな俺 新着記事
2007.07.13 (Fri)
サムライって世界的に見てどのくらい強かったのかな
1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:18:27.52 ID:Ltq6ETGcP
国内で斬り合いばっかしてたけど、当時の他国の兵士と
比べたときの戦闘力ってどんなもんだったんだろ。
昨日、ディスカバリーチャンネル見ててふと思った。
3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:19:51.80 ID:xPs9bmH+0
我こそは ~ なり~
と叫んでる間にぬっころされて終わりじゃね?
4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:21:15.42 ID:67Oj0Ysn0 ?2BP(149)
>>3
あるあるwwwww
其れでチンギスだかフビライに負けたんだっけ?
6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:24:19.07 ID:Ltq6ETGcP
ディスカバリー(アメリカの番組)で元寇についてやってたんだが、
当時科学力最強の元軍が世界初の爆弾+合成弓持ちで攻めてきたときは
遠距離でフルボッコにされたが、元が「こりゃいけるわw」と陸上に
乗り込んできたあとは、サムライのスピードと技にまったく付いていけず
元の上陸軍があっと言う間に全滅したと言っていた。
9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:25:49.39 ID:4PTJs49lO
幕末の頃は恐れられてた。海戦はまだしも地上戦は避けたがってたらしい。
28 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:30:37.54 ID:szWdDz4zO
日本も銃の保持数は半端なかったんだがな…
隠し拳銃みたいのも江戸時代にはあったと言うし。
47 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:40:25.97 ID:5cLdKET10
西洋の騎士には負けるんじゃね?
武器の性能は向こうの方が強そうなんだが
60 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:45:23.26 ID:998H16dcO
西洋の武器ってのはランスか?
75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:51:08.49 ID:M+l4rW7uO
>>60
ほかにはフェイシングみたいなやつとかかな?
バリエーションはありそう
75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:51:08.49 ID:M+l4rW7uO
>>60
ほかにはフェイシングみたいなやつとかかな?
バリエーションはありそう
77 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[sage] 投稿日:2007/07/13(金) 14:52:02.49 ID:vd9YZDpt0
侍
ナイト
FF5で比べてみると差は歴然
83 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:53:35.73 ID:nOBj0ZLd0
何年か前に、台湾に行ったとき現地のガイドから聞いた話。
昔、まだ戦争(?)をしてたころ、傭兵として日本から来た侍達は、日本刀とその剣術から、
白兵戦では非常に重宝されてたんだって。
んで、侍一人を止めるために、敵は三人がかりくらいで戦ってたそうな。
台湾がどこと戦ってて、どのくらい前の話かは失念したけど、
台湾に親日派が多いのには、こんな理由もあるんだよって言ってたな。
84 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[sage] 投稿日:2007/07/13(金) 14:53:43.55 ID:u3p38gdF0
武器として、殺傷を目的とするなら鈍器や槍などのほうが強いのだとは思う。
ただ海外の博物館で西洋の剣と一緒に日本刀が飾られていたのを見たのだけれど
西洋の剣は刀身が錆びていておれそうだったのに比べて、日本刀は曇りすらなかった。
86 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:55:33.33 ID:wzetPtEI0
中国の明が滅亡するときに活躍した武将で、中国人と日本人のハーフの人がいる。
で、その人が指揮した軍は日本式の装備だったっていうけど、実際どうだかしらん。
ちなみにその軍は、当時オランダ領だった台湾を取り戻したりしてて、相当強かったらしい。
で、明王朝を滅ぼした清と戦う為に、徳川幕府に援軍を要請したりもしてる。
家光は送らなかったけど、もしかしたら・・・という妄想を掻き立てるよな。
110 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:00:39.39 ID:bRdX1DCOO
>>86
テイセイコウだな
95 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:56:42.52 ID:Mmf5PNvqP
FFTじゃ銃の攻撃も白刃取りできたぜ。
天下のスクエニが史実無視するはずないから侍に銃は効かないんだろ。
107 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[sage] 投稿日:2007/07/13(金) 15:00:01.39 ID:u3p38gdF0
かの孔明はビームで敵を薙ぎ払っていたのだから
日本刀や槍などでは歯が立たなかったのではないだろうか?
114 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:01:35.44 ID:i91+acg90
>>107
多分当時はイチロー並の侍がいたはずだから、
日本もレーザービームが出せたんじゃね?
112 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[sage] 投稿日:2007/07/13(金) 15:01:01.70 ID:yxJnAGE30
もし現代で18歳まで男子は剣道必須、帯刀を許可するって法律作ったら
日本は世界中から尊敬されるだろうなw
121 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:03:08.33 ID:xDzcN+TTO
>>112
あ、それ漫画にしたら売れるんじゃね?
タイトルは…斬とか!
122 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:03:11.52 ID:Ltq6ETGcP
>>112
キモヲタ同士がアキバで限定品を巡って斬り合いとかするわけか。
154 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:09:24.77 ID:Ltq6ETGcP
一応、試し切り動画置いておきますね
http://www.youtube.com/watch?v=S9kVhtpfLmw&mode=related&search=
固定してないトマトなんて、こんな風に斬れるもんかなぁ・・・とも思うが
171 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:13:24.94 ID:xDzcN+TTO
>>154
なんというスーパースロー
かっこEEEEEEEEEEEEEEEE
195 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:17:32.18 ID:aTpAvhV50
>>154
SUGEEEEEEEEEEEE!!
ペットボトル斬ってるwwwww
156 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:10:38.70 ID:8TjzQ4lnO
前フェンシング対剣道で試合してるのを見たことがある
180 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:15:01.25 ID:jITeUPrx0
何かテレビの実験で見たけど
固定した刀にサブマシンガンの弾丸当てたら
弾丸の方が切れてた
205 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:19:56.95 ID:sJQNqKbz0
未だに最高の刀は鎌倉時代のものだからな
貴重すぎて実験できません><
同じような鉄が作れないんだってよ
209 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:21:43.26 ID:VQ5o/cfb0
>>205
昔の刀鍛冶っていったい・・・・・・
226 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:24:43.06 ID:jTTVqu0G0
>>209
失われた技術ってのはそういうもんだよ。
古代インカやエジプトの石工術にしてもそうだけど、必要性がなくなったら廃れるってこと。
当時としてはごくごく普通のこと。
国内で斬り合いばっかしてたけど、当時の他国の兵士と
比べたときの戦闘力ってどんなもんだったんだろ。
昨日、ディスカバリーチャンネル見ててふと思った。
3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:19:51.80 ID:xPs9bmH+0
我こそは ~ なり~
と叫んでる間にぬっころされて終わりじゃね?
4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:21:15.42 ID:67Oj0Ysn0 ?2BP(149)
>>3
あるあるwwwww
其れでチンギスだかフビライに負けたんだっけ?
6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:24:19.07 ID:Ltq6ETGcP
ディスカバリー(アメリカの番組)で元寇についてやってたんだが、
当時科学力最強の元軍が世界初の爆弾+合成弓持ちで攻めてきたときは
遠距離でフルボッコにされたが、元が「こりゃいけるわw」と陸上に
乗り込んできたあとは、サムライのスピードと技にまったく付いていけず
元の上陸軍があっと言う間に全滅したと言っていた。
9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:25:49.39 ID:4PTJs49lO
幕末の頃は恐れられてた。海戦はまだしも地上戦は避けたがってたらしい。
28 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:30:37.54 ID:szWdDz4zO
日本も銃の保持数は半端なかったんだがな…
隠し拳銃みたいのも江戸時代にはあったと言うし。
47 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:40:25.97 ID:5cLdKET10
西洋の騎士には負けるんじゃね?
武器の性能は向こうの方が強そうなんだが
60 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:45:23.26 ID:998H16dcO
西洋の武器ってのはランスか?
75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:51:08.49 ID:M+l4rW7uO
>>60
ほかにはフェイシングみたいなやつとかかな?
バリエーションはありそう
75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:51:08.49 ID:M+l4rW7uO
>>60
ほかにはフェイシングみたいなやつとかかな?
バリエーションはありそう
77 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[sage] 投稿日:2007/07/13(金) 14:52:02.49 ID:vd9YZDpt0
侍
ナイト
FF5で比べてみると差は歴然
83 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:53:35.73 ID:nOBj0ZLd0
何年か前に、台湾に行ったとき現地のガイドから聞いた話。
昔、まだ戦争(?)をしてたころ、傭兵として日本から来た侍達は、日本刀とその剣術から、
白兵戦では非常に重宝されてたんだって。
んで、侍一人を止めるために、敵は三人がかりくらいで戦ってたそうな。
台湾がどこと戦ってて、どのくらい前の話かは失念したけど、
台湾に親日派が多いのには、こんな理由もあるんだよって言ってたな。
84 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[sage] 投稿日:2007/07/13(金) 14:53:43.55 ID:u3p38gdF0
武器として、殺傷を目的とするなら鈍器や槍などのほうが強いのだとは思う。
ただ海外の博物館で西洋の剣と一緒に日本刀が飾られていたのを見たのだけれど
西洋の剣は刀身が錆びていておれそうだったのに比べて、日本刀は曇りすらなかった。
86 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:55:33.33 ID:wzetPtEI0
中国の明が滅亡するときに活躍した武将で、中国人と日本人のハーフの人がいる。
で、その人が指揮した軍は日本式の装備だったっていうけど、実際どうだかしらん。
ちなみにその軍は、当時オランダ領だった台湾を取り戻したりしてて、相当強かったらしい。
で、明王朝を滅ぼした清と戦う為に、徳川幕府に援軍を要請したりもしてる。
家光は送らなかったけど、もしかしたら・・・という妄想を掻き立てるよな。
110 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:00:39.39 ID:bRdX1DCOO
>>86
テイセイコウだな
95 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 14:56:42.52 ID:Mmf5PNvqP
FFTじゃ銃の攻撃も白刃取りできたぜ。
天下のスクエニが史実無視するはずないから侍に銃は効かないんだろ。
107 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[sage] 投稿日:2007/07/13(金) 15:00:01.39 ID:u3p38gdF0
かの孔明はビームで敵を薙ぎ払っていたのだから
日本刀や槍などでは歯が立たなかったのではないだろうか?
114 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:01:35.44 ID:i91+acg90
>>107
多分当時はイチロー並の侍がいたはずだから、
日本もレーザービームが出せたんじゃね?
112 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[sage] 投稿日:2007/07/13(金) 15:01:01.70 ID:yxJnAGE30
もし現代で18歳まで男子は剣道必須、帯刀を許可するって法律作ったら
日本は世界中から尊敬されるだろうなw
121 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:03:08.33 ID:xDzcN+TTO
>>112
あ、それ漫画にしたら売れるんじゃね?
タイトルは…斬とか!
122 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:03:11.52 ID:Ltq6ETGcP
>>112
キモヲタ同士がアキバで限定品を巡って斬り合いとかするわけか。
154 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:09:24.77 ID:Ltq6ETGcP
一応、試し切り動画置いておきますね
http://www.youtube.com/watch?v=S9kVhtpfLmw&mode=related&search=
固定してないトマトなんて、こんな風に斬れるもんかなぁ・・・とも思うが
171 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:13:24.94 ID:xDzcN+TTO
>>154
なんというスーパースロー
かっこEEEEEEEEEEEEEEEE
195 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:17:32.18 ID:aTpAvhV50
>>154
SUGEEEEEEEEEEEE!!
ペットボトル斬ってるwwwww
156 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:10:38.70 ID:8TjzQ4lnO
前フェンシング対剣道で試合してるのを見たことがある
180 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:15:01.25 ID:jITeUPrx0
何かテレビの実験で見たけど
固定した刀にサブマシンガンの弾丸当てたら
弾丸の方が切れてた
205 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:19:56.95 ID:sJQNqKbz0
未だに最高の刀は鎌倉時代のものだからな
貴重すぎて実験できません><
同じような鉄が作れないんだってよ
209 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:21:43.26 ID:VQ5o/cfb0
>>205
昔の刀鍛冶っていったい・・・・・・
226 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/07/13(金) 15:24:43.06 ID:jTTVqu0G0
>>209
失われた技術ってのはそういうもんだよ。
古代インカやエジプトの石工術にしてもそうだけど、必要性がなくなったら廃れるってこと。
当時としてはごくごく普通のこと。
- VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 16:06 | URL | No.1703
- 世界的には強くないかと
何しろ他国は大人数VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 16:27 | URL | No.1706 - >>77
ぜになげ最強だから侍の圧勝だなVIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 16:30 | URL | No.1707 - シグルイが現実だとしたらそらすげー強さ
だったんだろうがVIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 16:30 | URL | No.1708 - >>180はトリビアじゃね?しかもサブマシンガンどころじゃなくアサルトライフル並のだった気がするVIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 16:30 | URL | No.1709
- 侍が強かったのかどうかはしらんが、日本刀が恐ろしく優れた剣だったのはガチ。
でもダマスカス鋼なんかと一緒で、その特殊な製鉄技術は現代にほとんど残っていない。
戦国時代より昔の事は詳しくわからんけど、鉄砲が導入された後の戦国時代の銃器の数は当時世界一だった。
僅か数年で量産化や改良に成功したせいで、金儲け目当てで欧州から銃を大量に積んできた西洋人が仰天したという歴史もあるくらい。VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 16:38 | URL | No.1711 - 戦争映画なんかでジープの荷台に固定装備されてそうな、
両手で保持して弾丸をばら撒くタイプの機関砲の弾が、
20発程度?似たような部分に当って折れた。
その刀は、現代の刀工が作ったモノ。
よく言われる、ヒトを3人程度斬ると刃こぼれが云々とあるのは偽り、もしくは第二次大戦中作られた刀の話し。
むかしの刀工のは50人程度斬ろうがさほど不具合でず。VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 16:46 | URL | No.1712 - 人数の問題じゃないだろ・・・常考VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 16:47 | URL | No.1713
- >>180
トリビア乙w
幕末の西欧人がサムライを恐れてたのは
「死を恐れずに特攻覚悟で向かってくる」
からだって何かで読んだVIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 17:07 | URL | No.1715 - 朝来た元寇に一人で名乗って殺されたので、昼頃には集団戦法に対応したそうだVIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 17:19 | URL | No.1716
- ブローニングM2マシンガンだっけ?
重機関銃だよね。VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 17:36 | URL | No.1717 - 日本刀と言うか、剣術の腕は当時の戦でもあんま役に立たなかったんじゃなかったっけ?
弓矢>(飛び道具の壁)>槍>>刀の図式で。
なので、戦で主に名を馳せたのは、優秀な弓取りだったとかなんとか。
又聞きだから信憑性は知らんが。VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 17:43 | URL | No.1718 - 不純物がいい感じになるらしいね古刀。VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 17:58 | URL | No.1719
- >>180
弾丸が速いほうがよく切れるんじゃ?VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 18:03 | URL | No.1720 - NKK(今のJFE)のおっちゃん曰く
玉鋼今作るの無理wwwサーセンwwwwVIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 18:13 | URL | No.1721 - 日本刀は武器なのにあの美しさときたら・・・VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 18:33 | URL | No.1724
- トリビアで刀ヘシ折ったのはブローニングのM2。
ちょっと前なら「銃」じゃなくて「砲」カテゴリVIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 19:00 | URL | No.1726 - まあ・・・侍が何を指すのか知らんが個人戦闘なら戦国時代の剣豪は世界的に見ても無茶苦茶強いでしょ あの人たちは刀だけでなく槍も投剣もやるし
集団戦は相手と将軍によるから分からんが
鎌倉時代の元寇は参考になんねーべ
戦国時代はそれなりの集団戦体系は確立されてたし(ソースは網野善彦)でも豊太閤軍が明とドンパチしたときは明軍がやたらぐにゃぐにゃ(陣組んでたってことだろう)してたからキモイと思った、て話も聞いたことがある
でも陣が強いってわけでもないのね 中国はしょっちゅう陣ナシの蛮族に負けてるし・・・結論はよく分からないってことでVIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 19:07 | URL | No.1727 - 玉鋼刃としては最強VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 19:17 | URL | No.1728
- ペンは剣よりも強しVIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 19:26 | URL | No.1730
- 西洋刀は型に鉄を流して作るから強度が足りない
日本刀は鉄を叩いて作るから強度が十分
ってばっちゃが言ってたVIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 19:30 | URL | No.1731 - 日本刀で敵をバッサバッサ切り倒す・・・
そういう妄想をしている時期が僕にもありましたVIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 19:31 | URL | No.1732 - ※1719
違う。有能な侍を「~一の弓取り」と称したのは確かだが、逆だ。
弓や石が主力だったからこそ、槍や刀で功を上げる武士を「武士の鑑」と賞賛した。VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 19:34 | URL | No.1734 - 強いわけねえだろ
侍っつっても訓練されたのはひと握り
あとはそのへんから捕まえてきたような田舎もん
たとえば対欧米人だったとしても
体格も筋力も装備もかなわないのにどうやって白兵戦勝つんだよ
これだから脳にゲーム補正がかかってるゆとりはVIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 19:58 | URL | No.1736 - 上にも書いてあったけど刀が数人しか人を切ることが出来ないってのはデマだよ。
このデマを広めるきっかけになった人が使ってたのは、玉鋼で作られた本物の日本刀じゃなくて戦争用に安くて質の悪い鉄で大量生産された軍刀。VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 20:03 | URL | No.1737 - >9
VIPのネタスレにマジレスするのもあれだが
幕末に欧米列強が地上戦を避けようとしたのは、単純に侍=常備軍の数が半端無く
多かったから。
生麦事件とかでケンカっ早いのも知られていたし。VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 20:04 | URL | No.1738 - 米1736
知ってる?日露戦争の白兵戦ではロシア兵より日本兵の方が強かったんだよ?
体格はロシア兵の方が上だったのにね。VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 20:06 | URL | No.1739 - 切れませぬ・・・飾りかとVIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 20:44 | URL | No.1741
- >1737
デマではないでしょ、軍刀としての日本刀でなら本当のことだし。
ただそれが日本刀全般には当てはまらない、というだけの話。
>>1712
使ってたのはブローニングM2機関銃で耐えたのは確か6発、7発目で折れたはず。
>>1711
当時火縄銃の量産を成し遂げたのは日本くらいだったから、戦国時代が終わったくらいで日本におよそ30万丁あったらしい。
数だけなら全世界の9割に達していたとか。VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 20:55 | URL | No.1744 - そもそも西洋は騎馬戦がつよい。日本は当時しょっぽい種類の馬しかいないので騎馬戦でみると負けてる。
武士にしても途中から訓練しなくなって弱くなったし。
>>1739
そりゃあ、アホみたいに人数さいて突撃させまくってりゃ勝つでしょうよ。VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 20:57 | URL | No.1745 - これは孔明の(ry>>>>>>>>>>人数
だろ
サムライはともかく日本刀が凄いってのはよく聞く話VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 21:09 | URL | No.1746 - ちょっと話それるけど現存する一番「高価な」日本刀てなに?
さすがに100万越える代物で試し斬りはできんだろうがVIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 21:10 | URL | No.1747 - 第2次世界大戦以外で他の大国の実行支配をすべて排除してきたぐらいの強さ
侍の実質的強さよりも西洋の大国は日本の精神論を恐れてたんだがなVIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 21:29 | URL | No.1750 - ※1730\
塾生乙VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 21:31 | URL | No.1751 - いま俺たちがその血を受け継いで
実は俺たち強いんじゃないかなって思うスレ?VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 22:03 | URL | No.1755 - 昔勤めてた会社の社長が剣道有段者で酔っ払う度に剣道とフェンシングの違いを語っていた。
曰く、フェンシングは純粋にスポーツ化しているから、実際には殺傷能力のない技(後ろの下がりながら手首の捻りだけで突く)もあり。剣道は今でも、どんな角度から当ててもそれが殺傷能力がないと判断された技はポイントにならない。
だから試合をするとギリギリの距離でちょっとだけ当ててくるフェンシングが勝つ。
しかし。殺し合いなら剣道が圧倒的に有利。
剣道が今でもオリンピック種目にならないのは、実戦想定されすぎているから。
まあ、素人の俺にはどこまで本当かわかんないんだけど。VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 22:24 | URL | No.1756 - 米1745
きみは ほんとうに ばかだな
「装備も、体格も、筋力も敵わないwww」のに、アホみたいに人数さいて突撃させれば勝てるんだねw
一応言っとくとな、日露戦争で日本軍がロシア軍に数で勝ったのは要塞戦をのぞいてほぼ皆無だ。VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 23:01 | URL | No.1758 - 侍 つーか戦国時代あたりだとほとんどの人は
刀より槍のほうがうまいぞ?
合戦とか全員槍で戦うしな、刀使うのは取っ組み合いになったときだけだぜ?VIPPERな名無しさん | 2007.07.13(Fri) 23:26 | URL | No.1760 - 元の軍隊が侍に畏怖したってのは本当らしいね
接近戦での日本刀の威力は想像以上だったらしいよ
槍を振り回せたのは力士とか力持ちだけだってVIPPERな名無しさん | 2007.07.14(Sat) 00:40 | URL | No.1770 - 鬼島津を知らんのかVIPPERな名無しさん | 2007.07.14(Sat) 01:30 | URL | No.1787
- 1756>剣道が今でもオリンピック種目にならないのは、実戦想定されすぎているから。
オリンピックに採用されてないのは世界での剣道の知名度の低さと、剣道は武道であってスポーツではないという日本剣道連盟の主張が原因VIPPERな名無しさん | 2007.07.14(Sat) 02:00 | URL | No.1794 - 実際個人の技量でどうとでもなるけど
平均値なら侍最強だろうてVIPPERな名無しさん | 2007.07.14(Sat) 02:02 | URL | No.1795 - 剣道は実戦ではあまり使えん、と有段者の俺がレス
強くなりたいなら剣術習った方がいいVIPPERな名無しさん | 2007.07.14(Sat) 02:13 | URL | No.1796 - 元が恐れたのは刀じゃなくて弓矢だよ。当時の日本は那須与一や源為朝みたいな超絶の弓使いがいっぱいたんだよ。
武家を弓矢の家、最強の侍を弓取りと言うのは伊達ではない。VIPPERな名無しさん | 2007.07.14(Sat) 02:19 | URL | No.1797 - なにかで読んだけど、フランスかどっかの宗教紛争で使われた鉄砲とピストルがあわせて150丁ほどだった時代に、同時期、織田軍が長篠でつかった鉄砲の数は3000丁、しかもぜんぶ国産だったらしい。ただ火薬を作るための硝石の生成方法がなく南蛮頼りだったのが難だが。それも江戸時代頃になると糞から生成する方法が発見される。しかもそのころの日本は100年以上の戦乱が続いていて訓練や統率は世界でも屈指だった。じっさい秀吉の大陸出兵は計画性のなさから兵糧を断たれてただでさえ大義がなかったからそれ以降士気がだだ下がりになってどん詰まりになるが、それまでの半年くらいの成果は凄まじかった。老いて暗愚になった秀吉でなくもっと優秀な指導者が指揮していたら結果はちがっていたかもしれん。VIPPERな名無しさん | 2007.07.14(Sat) 02:49 | URL | No.1800
- つーか、弾丸は鉛で日本刀は鉄だから、普通に日本刀で弾丸は切れる。
連射されれば、運動エネルギーに負けていつか折れる。VIPPERな名無しさん | 2007.07.14(Sat) 10:44 | URL | No.1813 - 柴五郎の北京篭城とかのエピソードみると剣術や作戦立案は相当なものだったとみるが、どんなもんだろねぇVIPPERな名無しさん | 2007.07.14(Sat) 10:51 | URL | No.1815
- マジレスすると…
戦場において刀や敵の首を切り落とすため(首を持って陣地に帰れば褒賞が出る場合もあるから)の道具であり、あくまでも護身具扱い。上代の合戦では「力人」、中世では「弓の誉れ」・「槍の誉れ」が称号であって、刀は活躍していない。そして主要武器は鉄砲へと移る。
合戦以外での刀の活躍は、儀礼用であり、武士の精神の象徴であった。
基本的に武士は剣術を、防具で身を固め、ルールに従った戦いのまねごととして、「道場剣法」と軽蔑。剣術はあくまでも精神鍛錬の一つとして学ぶのであって、当時の軍学書でも、いくら剣術に秀でていても無意味としていた。
実際に合戦において刀で戦う場合は、刃でで切るよりも、鉄の棒でたたき殺すというイメージ。VIPPERな名無しさん | 2007.07.14(Sat) 13:00 | URL | No.1822 - 米1736と米1745みたいな奴が自分の妄想をいかにも定説みたいに語るんだなwwwwVIPPERな名無しさん | 2007.07.14(Sat) 15:45 | URL | No.1832
- 刀で戦う時は、斬るより突くように戦ったと聞いたが本当か?
斬るのは儀式とか処刑とか、そういう場だったらしい
刀も侍も強かったと思うに一票。材質も申し分なく、最強の武人や流派も多い
外国で名を馳せた軍や指揮、策士などは多く聞くが、武人や流派はあまり聞かない。VIPPERな名無しさん | 2007.07.14(Sat) 16:47 | URL | No.1834 - 道具というのは第一線を退くに従ってその職業を象徴するものとして扱われるそうだ。
例えば
海道一の弓取り(室町~戦国時代中期~末期)
槍一筋の家柄 (江戸時代初期~)
刀は武士の魂 (江戸時代~幕末)
変遷の時代が短期間なのは戦国という戦の絶えない時代だったから。
又鉄砲はいまだ第一線にあり、日本は徳川期に武器撤廃方針に進んだので
さらに職業武士から縁遠くなった。VIPPERな名無しさん | 2007.07.14(Sat) 16:49 | URL | No.1835 - ※1834
刀が突きの武器ならあんな形にはならないだろ
反りが無いのや先だけ両刃のものは突きで使ったんだろうけどVIPPERな名無しさん | 2007.07.14(Sat) 17:46 | URL | No.1837 - 刀は突いた後に心臓目掛けて斬り込む物だ
って人斬り以蔵が言ってたVIPPERな名無しさん | 2007.07.14(Sat) 18:46 | URL | No.1839 - 日本刀の何がおかしいって強さと美しさを両立してる所だ。
あんな残酷な切れ味を持ってるくせに美術品扱いにもなってる洗練された美しさなんだぜ?
普通ありえないだろ、血みどろになっての命の取り合いに使われる禍々しい武器が美しいとか。ある意味犯罪だぜ?
んでなんだ、サムライのお話だっけ。
強いよ、刀ってイメージが先行してるけど基本は大体の武器扱うからね。何より今の尺度で当時の力を見るのはどうかと思うよ。
サムライになる条件が米俵二表担いでの30分フルマラソンなんだから。同じ人型だけど構造的にはもはや別物。
文明とトレードオフした俺らの力を前提とした筋力差なんて論外すぎる。VIPPERな名無しさん | 2007.07.15(Sun) 16:57 | URL | No.1931 - それと流派とかカッコイイとかイメージあるけどさー
要は人殺しのための技術の種類なんだぜ?ある意味凄いと思わないか、人をどれだけ効率的に殺すのかを日々熱心に研究しまくってたとか。
現在残ってる流派でも随分な数ある。当時はいくつあったのかは知らんがね。その辺りでもうレベルが違いすぎる。VIPPERな名無しさん | 2007.07.15(Sun) 17:02 | URL | No.1932 - 日本刀って、ミクロな視点でみるとノコギリの刃みたいなものだから、
刃こぼれしなくても、人を斬った脂がこびりつくのには弱かったはずなんだがな。
日本刀は二、三人までが限界ってのは古い刀は刃こぼれしないとか、
折れる曲がるとかの問題じゃないんだが。VIPPERな名無しさん | 2007.07.17(Tue) 11:27 | URL | No.2054 - >>1744
本物の日本刀っていうのは玉鋼で作られた物だけを指すんだよ、安い鉄で作られた軍刀は刀ではあるけれど日本刀ではないんだよ。
後、日露戦争の頃には玉鋼より優れた合金で作られた軍刀も少ないけど有ったんだよ多くの軍刀はは質の悪い鉄でつくられてたんだけどね。VIPPERな名無しさん | 2007.07.17(Tue) 18:47 | URL | No.2117 - トリビアの刀vs機関銃はおかしかったけどな。
あれはどっちが強いかではなくて、折れるまで機関銃撃ってただけだ。
最初に試した銃だって、100発200発撃てば折れるだろ。
銃のグレード上げるのはいいが、弾丸は1発じゃないと対決とはいえん。VIPPERな名無しさん | 2007.07.23(Mon) 00:54 | URL | No.2682 - 近距離なら、現代でいうゼロの力でほぼ最強でいいと思う。
遠距離は史実が答えを出しているよね…。VIPPERな名無しさん | 2007.07.25(Wed) 22:16 | URL | No.2709 - 日本刀ってよく漫画で黒いとこと白いとこ別れてるけど
そこの間に粘性というか他と比べて軟らかい鉄があって白いとこは鋭く、黒い所の方は重くして
一気に振り下ろせば鋭いとこが食い込んで軟らかい所が衝撃を受けてそのまま重さで断ち切る
みたいな説明をディスカバリーで見たんだが眉唾かね
いずれにせよ名刀と言われてる日本刀は完全にロストテクノロジーだし村正だとか名刀妖刀作った奴は
熱した刀を冷やす時の水の温度を盗もうと手突っ込んだ弟子(息子かも)の腕すぐさま切り落とした位の執着ぶりだし
かなりの域に達していたかもわからんVIPPERな名無しさん | 2007.10.16(Tue) 01:12 | URL | No.14185 - 日本刀の切れ味は凄まじいよ
中国人は、倭寇で日本の海賊が使ってた日本刀の切れ味にビビってぱくり始めたうえ、17世紀には軍隊の正式装備にもした
韓国人は秀吉の朝鮮侵攻の時に日本刀の威力を思い知り、日本刀を輸入して外装だけ作り変えたり、模倣したりしたVIPPERな名無しさん | 2007.10.16(Tue) 01:43 | URL | No.14206 - どうにも今の俺たちには信じられないけど
戦前までは白兵戦が世界トップクラスに強かったってのは事実だからなー
グルカ兵とか日本兵とか、なんで強かったんだろ?VIPPERな名無しさん | 2007.10.16(Tue) 11:23 | URL | No.14298 - 元寇が神風っつーか嵐で沈んだのは地上戦でコテンパンにやられて一時撤退中だったから。
つまり上陸できねええアイツラtueeeeeだったのな。
あと、信長の編み出した銃砲術は第一次大戦まで有効な戦法だった。
侍が刀を使うだけの戦士でしかないといか言うゲーム脳には、じゃあ弱いとか思ってればいいんじゃないですか?としか言えないが、戦国時代に戦い続けた日本の戦士たちを侍とするならば…相当に強いと言えるんじゃないかな。
臨機応変、縦横無尽、戦術知略に長けていた…と。
強さってなんだ、から言わんと結論はだせんなあ。VIPPERな名無しさん | 2007.10.16(Tue) 12:47 | URL | No.14315 - 剣なんてペンと比べたらチャンバラに使われる棒きれにしかならんVIPPERな名無しさん | 2007.10.16(Tue) 20:45 | URL | No.14413
- とあるイギリスの歴史研究家が上げた
近代以前の最強兵とその理由
・蒙古騎兵
その果てしない機動力と
短弓による連射は脅威。
その強さにユーラシアの大半の国々が
膝を屈した。
・マムルーク
砂漠地帯という地形を最大限に生かした
戦法は蒙古兵すら打ち破った。
・サムライ
日本刀&長弓という高品質の装備と
何倍もの蒙古兵すら撃破した屈指の戦闘術。
何より恐ろしいのは死すら名誉と認識し
命を捨ててかかってくる闘争心。
・ローマ兵
個々の弱さを逆手に取り集団の強さを
最大限に引き出した幾何学的な戦闘集団。
土木工作にも長けて、屯田兵としても
一流の能力を持っていた。VIPPERな名無しさん | 2007.10.17(Wed) 02:42 | URL | No.14529 - シグルイのアニメのバトルシーンは
トマトの動画みたいにスローで演出して欲しかった
実写化の際には是非!
あ、全然関係ないですねVIPPERな名無しさん | 2007.10.18(Thu) 00:57 | URL | No.14674 - トリビアのマシンガンは
弾頭がタングステンと違うのか?
普通に刀割れるぞVIPPERな名無しさん | 2007.10.30(Tue) 21:37 | URL | No.17930 - 勉強になるスレと米欄だな
色々と知識をありがとうVIPPERな名無しさん | 2007.11.03(Sat) 11:33 | URL | No.18763 - 斬鉄剣を持った五右衛門なら無敵VIPPERな名無しさん | 2007.11.05(Mon) 12:25 | URL | No.19300
- 達人の刀の刃筋の立て方はすさまじく
中国での警邏中、馬族に襲われた際
千鳥駆けでよって行って、居合で
一人目の頭を落としたという有名な
剣士がいる。
輪の太刀は魔の太刀 げにも恐ろしきかなVIPPERな名無しさん | 2007.11.05(Mon) 21:20 | URL | No.19375 - 今の刀が人をニ、三人斬ると刃こぼれするって言われるのは鋼だけ使ってるからじゃないのかね。
たしかどっかのテレビ番組で実験用ってことで特別に許可もらって鋼より強度の高い“超硬合金”とかいうので刃を作ってそれを鋼で挟んだ「リアル斬鉄剣」を作ったとかいうのがあったと思う。で出来上がった刀は車のドアでも切れて刃こぼれ一つしなかったとかなんとか。
ただそういう合金の刀を作ることは法律で禁止されていたと思う。だから必然的に今の刀は刃付きでも弱いんだと思う。
失われた合金技術はおそらく今の刃に使われてる金属より数十倍も強度と粘りに優れてたんじゃないのかね。VIPPERな名無しさん | 2007.11.08(Thu) 04:11 | URL | No.20165 - 斬馬刀を使いこなせれば最強。
長いから槍代わりにも使える。VIPPERな名無しさん | 2007.11.08(Thu) 10:29 | URL | No.20216 - 実際のトコ、大儀のためなら死すら恐れなかったのかねVIPPERな名無しさん | 2007.11.08(Thu) 16:02 | URL | No.20276
- >>20216
佐之助以外いないだろwVIPPERな名無しさん | 2007.11.09(Fri) 00:48 | URL | No.20451 - なんかこういうの見るとワクワクするの俺だけか?
興奮してきたVIPPERな名無しさん | 2007.11.13(Tue) 01:21 | URL | No.21875 - 金属工学科の俺参上
ぶっちゃけ既にコスト面を論外に考えれば斬鉄剣なんていくらでも作れる
日本の研削工具の技術を舐めんな
恐らく炭化タングステンコーテッド超硬合金製が最強VIPPERな名無しさん | 2007.11.15(Thu) 17:51 | URL | No.22524 - 刀で弾丸が切れるとか言ってる奴がいたが鉛弾なんかそこらへんの包丁とかでで簡単に切れる。問題は切って二つになって飛んでくる弾をどうやってかわすか。場合によっては威力倍増ってことも・・・VIPPERな名無しさん | 2007.11.15(Thu) 18:25 | URL | No.22538
- 一応いっておくが
剣道と剣術は違うからな
違いはググレVIPPERな名無しさん | 2007.11.15(Thu) 18:32 | URL | No.22540 - 俺の知ってる豆知識は関が原ぐらいの年代のサムライの骨が見つかったんだけど、どれもこれも不思議な筋がついていた。
学者がなんだろうって不思議に思っていたが、どうやら発達した筋肉が骨を削っていたらしい。
その筋肉って刀や槍を振り回すためのものだろ?多分俺らの想像を絶するとおもうぞ。
刀なんか最低5キロくらいあるだろ、それ自由に振り回すだけでもすげぇぞ。VIPPERな名無しさん | 2007.11.15(Thu) 18:56 | URL | No.22549 - 一番高い刀?
確か皇室保管の小烏丸とかいう小刀じゃなかった。VIPPERな名無しさん | 2007.11.15(Thu) 19:15 | URL | No.22552 - なんて、面白いスレと米。
昔の日本人は現代には考えられない
身体能力だったってきいたことある。
2階の高さまでジャンプできたとか・・・デマかな?VIPPERな名無しさん | 2007.11.15(Thu) 22:39 | URL | No.22643 - とりあえず正宗が一億で売られてたのは見たことあるVIPPERな名無しさん | 2007.11.16(Fri) 06:10 | URL | No.22795
- 斬鉄剣が作れるとか言ってる奴、ちゃんとコンニャクだけは斬れないんだろうな?VIPPERな名無しさん | 2007.11.16(Fri) 12:06 | URL | No.22835
- 戦国時代の日本人の武士はチビだと思われがちだが
肉を食っていたためなかなかの体格だったとかVIPPERな名無しさん | 2007.11.16(Fri) 22:39 | URL | No.23051 - >>81
そりゃ大阪から東京間を徒歩で往復するくらいだからなVIPPERな名無しさん | 2007.11.16(Fri) 22:46 | URL | No.23057 - 菊一文字とか虎徹とかってどんなもんなの?VIPPERな名無しさん | 2007.11.23(Fri) 23:54 | URL | No.26467
- 合戦中は20kg以上の装備で何時間も動き回るしね。
まぁ休憩したりはしたんだろうけど。
それでもその装備で川渡るし、どこか理解を超えた部分は持ってたんだろうね。VIPPERな名無しさん | 2007.11.24(Sat) 14:40 | URL | No.26740 - 日露戦争時の日本兵とロシア兵の戦いはすごかったらしい。
両軍とも気迫で圧倒タイプ。
ロシアの戦闘時の掛け声が「ウラー!!」だか「オラー!!」だかで巨体どもが全力疾走して来たらしいwww
しかも休戦中は両軍の中間地点で酒を酌み交わしながら「おめーらつええなwwww」
「ハラショーwwwwハラショーwww」
言い合ってたってウソみたいな話があるらしい・・・。VIPPERな名無しさん | 2007.11.27(Tue) 19:08 | URL | No.28265 - ヒトの脂で切れ味が鈍る、と言うのは司馬遼太郎の読みすぎ。
切れ味が鈍ると言うより、頭蓋骨など丸みを帯びた骨で滑ってしまうらしい。
江戸時代頃の日本刀のナカゴには試し切りの結果が書かれている。
死罪人の死体を算段重ねにしてぶった切ったとか。
いずれにせよ、日本刀を扱うには相当の訓練がいる。
ちょっと筋力が強いぐらいでは日本刀をまっすぐ振る事も難しい。VIPPERな名無しさん | 2007.11.27(Tue) 19:19 | URL | No.28268 - 米28268
>ちょっと筋力が強いぐらいでは日本刀をまっすぐ振る事も難しい。
え?訓練したやつって日本刀まっすぐ振るの?
福岡で剣術習ってたけど
まっすぐに振りおろすなんてあくまで一つの型だろ?
実戦でまっすぐ振り下ろしても防具に阻まれるだろうし。
第一、まっすぐ振るなんて簡単すぎるのだが?
剣道で変な癖でもついてないかぎり誰でもできるぞ?VIPPERな名無しさん | 2007.11.27(Tue) 22:45 | URL | No.28356 - 大河ドラマ見たぐらいの知識だけど
人に対しては強いね
でも、馬に対しては弱い
馬には鉄砲も弓も当たらない
VIPPERな名無しさん | 2007.11.28(Wed) 04:25 | URL | No.28487 - >>28356
全く訓練しない奴が1mmも刃を傾けることなく、全く同じ位置に打ち込む=まっすぐ振る だが、できるのか?VIPPERな名無しさん | 2007.11.29(Thu) 15:34 | URL | No.29081 - いつの時代のサムライの話をしてるのか
みんなバラバラだから話がまとまらないんだと思うwVIPPERな名無しさん | 2008.01.04(Fri) 01:10 | URL | No.44815 - 戦国時代くらいだったかな?もっと前かもしれんけど・・・
フェンシングの剣やランスのように西洋の剣は「突く」ってコトが概念としてあった。
しかし、初めて日本刀を西洋人がその戦いぶりを見たとき、「斬る」という概念をはじめてしったとか・・・
包丁とかはあっただろうけど・・・・この話もドコまでがマジかわからんVIPPERな名無しさん | 2008.01.04(Fri) 01:35 | URL | No.44842 - ※28356
どうしてお前はまっすぐ=真上から真下に振り落とす、しか想像できないのか。VIPPERな名無しさん | 2008.01.04(Fri) 01:43 | URL | No.44850 - 先祖スゲー(・∀・)
俺らヒデー('A`)VIPPERな名無しさん | 2008.01.04(Fri) 03:12 | URL | No.44891 - 昔の日本人はやばいな。
イチロー+室伏の身体能力に斬鉄剣。
こんなのいたら侵略なんて無理wwwwwwwwwwwVIPPERな名無しさん | 2008.01.04(Fri) 04:01 | URL | No.44902 - >>22549 日本刀は大体1キロ前後ですが?VIPPERな名無しさん | 2008.01.04(Fri) 15:09 | URL | No.45067
- みんな話ごっちゃ杉
そういえば以前ゴーマニズム読んだ友人が日本刀は一人しか切れない!
と断言してたな、いろんな話あるわVIPPERな名無しさん | 2008.01.04(Fri) 18:32 | URL | No.45171 - ※96に不覚にもワロタVIPPERな名無しさん | 2008.01.04(Fri) 22:52 | URL | No.45336
- つまり俺らって退化したんだなVIPPERな名無しさん | 2008.01.06(Sun) 14:29 | URL | No.46234
- 中学のときいじめられてた剣道部の奴がキレて棒持ち出したときはそこそこ強いであろう不良たちもフルボッコだったぞVIPPERな名無しさん | 2008.01.12(Sat) 18:23 | URL | No.50217
- >>20165
トリビアで藤岡弘さんが実演してました。
ドアが半分ぐらい切れてましたのを覚えています。VIPPERな名無しさん | 2008.01.29(Tue) 09:56 | URL | No.59722 - 侍は、かなり高い身体能力&体力を誇っていたらしい。でなけりゃ、20kgもある武器と鎧を装備して走り回れないだろうし。
刀も槍も弓も一定以上の錬度だったので、あらゆる距離に対応可能。
銃まである。
死さえも美徳とし、死を恐れず敵に迫る勇猛さ。
ただし、馬がヘッポコだったから、騎馬戦力が弱い。
う~ん・・・世界的に見ても、かなり強い兵じゃないかな?
全ての距離で穴が無く、強力な銃もあり、(ヘッポコだけど)馬にも乗れる。
しかも、死さえ恐れず突っ込んでくるし。VIPPERな名無しさん | 2008.02.01(Fri) 02:04 | URL | No.62154 - 「銃は剣よりも強し」
ンッンー 名言だなこれはVIPPERな名無しさん | 2008.02.03(Sun) 21:07 | URL | No.63963 - 日本刀が.50BMG弾を斬ったってトリビアだが、実際には刃に対してまっすぐ撃てば音速を超える速さの弾が斬れるのは当たり前。
数発撃ち込むと折れたらしいが、ただ単に刃の角度(もしくは弾道)が変わっただけ。
ただ、ルパンの五右衛門みたいに斬るのは不可能。
って言うか、飛んでくる弾が例え拳銃弾だとしても人間が反応できるとは思えない。VIPPERな名無しさん | 2008.02.03(Sun) 22:21 | URL | No.64030 - ※106
当たり前だろVIPPERな名無しさん | 2008.02.03(Sun) 23:29 | URL | No.64096 - うろおぼえですが、コロンビア大の名誉教授の書いた本 鉄砲を捨てた日本人 によると、11人の鉄砲装備のイギリス商館にサムライ2人がのりこんで、9人切り殺してにげたらしい。側近が日本はやばいから攻められませんってポルトガル王に箴言したらしいですよ。
後、世界的に戦士クラスが約20パーセントもいた国ってのは非常にめずらしいらしいです。VIPPERな名無しさん | 2008.02.04(Mon) 03:21 | URL | No.64279 - サムライが戦力的にどうのっていう話は置いといても、やはり「武士道」という気高い精神も伴ってたからこそ外国でも歴史に残る存在になっていたんだと思う。VIPPERな名無しさん | 2008.02.06(Wed) 01:39 | URL | No.65415
- さあ己の知識で競い合えwwwwVIPPERな名無しさん | 2008.02.06(Wed) 11:38 | URL | No.65492
- 侍が強かったのは白兵戦、
日露戦争でも肉薄すれば強かったがそれまでに死体の山を築いていた。
刀を扱うというのは上にもあるように、かなりの錬度を必要とするわけだから、
消耗戦などなると弱い、短期決戦が日本の一般的な戦術だったから、ガチの白兵戦とかなら侍つおいけど、戦略はダメダメだった。
戦術強くても戦略弱くっちゃダメだ
戦術と戦略の違いはググレVIPPERな名無しさん | 2008.02.06(Wed) 23:10 | URL | No.65984 - 五右エ門は最強。VIPPERな名無しさん | 2008.02.07(Thu) 16:28 | URL | No.66371
- 俺が最強だぜ!!!!!!11VIPPERな名無しさん | 2008.02.08(Fri) 10:40 | URL | No.66758
- 幕末で恐れられたのは薩摩隼人と呼ばれる武士達だけ。
江戸なんかの武士は死ぬの怖くてガタブルだった。
戦争が始まってからは天皇万歳みたいなノリで死ぬの怖くないから強かったんだろうな。
日本刀は戦国時代切るものじゃなくて突くもの。
防具の隙、つまり間接とかを狙って突き刺し、そこから切りこむ。
しかし戦場では殆ど槍だった。VIPPERな名無しさん | 2008.02.08(Fri) 13:45 | URL | No.66850 - 『江戸は夢か』っていう本だったとおもうけど
戦国時代の兵の負傷原因をリストアップしてあったんだが
1位 弓矢
2位 投石
3位 槍
だった。かなり下位に刀傷があった。
刀によるものは数%。
投石といっても、こぶし大、あるいはもっと大きな石を
がんがんぶっ飛ばすもので、当たれば重傷か即死。VIPPERな名無しさん | 2008.03.10(Mon) 12:56 | URL | No.88761 - 戦国時代には長身マッチョなやつも多かったとか。
アフリカに穀物しか食べないのにみな長身マッチョな民族がいるらしいが、腸のなかにいるバクテリアがアミノ酸に変えるからそうなるらしい。
あと当時は白米じゃなくて玄米を食ってた。
これぞ玄米パワー。
でも江戸、明治になってチビばっかになったのかがわからない。VIPPERな名無しさん | 2008.03.10(Mon) 17:24 | URL | No.89078 - 侍カッコエエ!!!VIPPERな名無しさん | 2008.03.11(Tue) 01:05 | URL | No.89525
- いよいよ間合いが詰まったら、腰のものを抜く。
近距離では刀が強のはアタリマエ。
その間合い用の武器なんだから。
戦場がゴチャゴチャの近接戦になったら、
最後に己の命を守るデフォ装備ってだけっしょ。
ソレまでは別の武器使ってる。
刀だけで論じるのは無意味。VIPPERな名無しさん | 2008.03.17(Mon) 14:14 | URL | No.94563 -
VIPPERな名無しさん | 2008.03.17(Mon) 15:57 | URL | No.94642
- ヨーロッパの大航海時代
領土を広げるためにヨーロッパ諸国が探検してた頃、
日本を領土としてせしめ様としてた国があったんだ。
で、日本のことを調べてみたら
・戦国時代で諸国が争ってるのに、変に地域間での団結があるし、新しい戦術もどんどん生み出されて、疲弊せずに戦力が増してる
・さらに人口で見ても、武士(それも戦乱のため熟練度が高い)の割合が異常なほど多かった
ため、日本には関わらないようにしてた。
ってのもよくある話。
この時代に関して言えば、
全ヨーロッパ連合軍と日本で戦っても、日本は負けないVIPPERな名無しさん | 2008.03.17(Mon) 17:14 | URL | No.94712 - >>120
秀吉が小田原城を包囲したときの軍勢が30万人。
それでも秀吉に従わない勢力は20万を越えるくらいいる。
この時代に「傭兵」でない正規軍でこの数をそろえられるのは日本だけ。
中国は代々傭兵で軍備を整えていたから正規軍は少ない。
秀吉が明を敵にして戦おうとしたのもある程度根拠はあったんだろう。
ちなみに長篠の合戦で鉄砲3000丁が有名だが
佐竹義重・宇都宮ほか常陸下野連合軍2万V北条氏8万
(※誇張があるとおもわれる)の下野沼尻の合戦では
佐竹側に8000丁の鉄砲があり、数の上で有利でも北条側は撤退してる。
(※佐竹氏領内には金山があり、佐渡金山が発見される前は全国一の金山だった。豊臣氏の黄金は佐竹氏によるもの)VIPPERな名無しさん | 2008.03.18(Tue) 11:03 | URL | No.95831 - なんかこうワクワクするなあ
こういう話はVIPPERな名無しさん | 2008.03.21(Fri) 20:28 | URL | No.99816 - 確か小鉄は近藤勇が人を5人まで切れるから絶賛していたような(通常は3人まで)。
切れなくなったら後は鉄のかたまりで殴りモード(全く切れない訳じゃないけど)。
池田屋の時は、新撰組の人数は少なかったけど、鎖帷子など厳重装備で突入してるから有利だったぽい。鎖帷子はなかなか刃が通らなかったみたいだし(その前に建物内なので全力で刀振れなかったと思うし)
また、結局新撰組は鉄砲にやられてます。
ただし、明治政府の即席鉄砲隊を夜襲で襲撃する時なんかは新撰組の真骨頂。
遠距離攻撃には弱いけど、近距離(奇襲)だと恐れられてたっぽい。
薩摩示現流の場合は一撃必殺のため受け不可って言われるくらいに・・・。
おまけを付けると、非力に思われてる15大将軍徳川慶喜の弓が残っているけど、30Kg(張力)だったらしい。おそらく弱くなってるはずだから当時は40Kgは合ったんじゃないかな。ちなみに現在高校女子が12Kgくらい。男子が16Kg前後を使ってると思われる。20Kgを引いたことあるが、死ぬほどきつい。
30はまともに引けもしないと思う・・・。当時の人はどんだけ筋肉があったんだか・・・。VIPPERな名無しさん | 2008.03.21(Fri) 22:05 | URL | No.99963 - 弓が主体とか何とかスレで書かれてるが
一流の武将は剣術も弓術もできたんだろ?VIPPERな名無しさん | 2008.03.21(Fri) 22:22 | URL | No.99987 - >>123
弓道初心者の俺がいうのもなんだが
現代の弓道とその時代の弓術は全く違うぞ。
引き方全く違うし構えも立ち方も違う。
しゃがんで引く方法(つくばい)すらあるほどだ。
弓術について書いてある本を読んだことあるけど左右均等に引き分けないといけないとかは無いしむしろ会で右肩を少しあげることによって重い弓を簡単に引けるとかいう方法もあった。
弓術は射形は二の次三の次で、的中することが求められて、戦場で強弓を引くことを前提として鍛錬してたらしいし今のような射形で引いてたとは思えない。
射法八節を無視すれば強い弓でもそこそこ引ける。
あと弓は慣れの部分が大きい。
最初はきついけど数引くうちにだんだんなれて弓の重さなんて気にしなくなる。
と、8→12→20と弓を上げてきた俺が言うんだから間違いない。
ああ後、肩を壊さなかったのは奇跡らしいのは秘密だ!VIPPERな名無しさん | 2008.03.22(Sat) 02:11 | URL | No.100324 - >121
>(※佐竹氏領内には金山があり、佐渡金山が発見される前は全国一の
>金山だった。豊臣氏の黄金は佐竹氏によるもの
うん?
当時最大の金山は越後金山の筈では?
第二位が本格開発前の佐渡金山。
豊臣氏に上納した、というかさせられた金はぶっちぎりで上杉氏が多いはずだけどVIPPERな名無しさん | 2008.03.22(Sat) 17:07 | URL | No.101024 - >124
と、いうか、元々室町以前の高級武士は馬上弓で戦闘してたんだよ
日本の大鎧なんてのは馬上での弓戦闘に特化した形状してるんだし
それが集団戦になって組織戦闘がメインになり
高級武士が前線で武器を振り回す事が少なくなると
甲冑が当世具足ってのに変わっていくVIPPERな名無しさん | 2008.03.22(Sat) 17:16 | URL | No.101032 - >>125
「重い弓を簡単に引ける」といってるけど、クソ重くてもサクサク引けるって事じゃなくて
他の引き方と比べて多少楽に引けるって事じゃないか?
やっぱりそれなりの筋力は必要だと思う。VIPPERな名無しさん | 2008.03.22(Sat) 17:19 | URL | No.101036 - >63
三段撃ちは信長の編み出した戦術じゃないし、一般的なもの。
戦国時代=刀での切りあいから鉄砲を使った戦術への進化 は嘘。
はるか昔から、日本の各勢力は集団戦法を使っていたよ。
弓矢による効力射を行いながら徐々に最前線部隊同士が接近してゆき、ある程度損害が出たところで槍先を並べて前身、長槍での叩き合い、戦列が崩壊したら突撃、ってな感じで。刀を使用する局面は、槍が折れたか首を落とす時。
ただ、弓は鍛錬にものすごく時間がかかるから数が揃えられず、必然と弓を使える侍が戦の主役となっていた。骨格が変わるほどの鍛錬が必要だからね。だから、戦傷のほとんどが弓傷だったそうな。
でも、火縄銃 が登場してからはそれも変わった。射撃訓練さえすれば足軽でも使える火縄銃は、日本軍事史に真の意味での「火力」の概念を加えたわけだ。VIPPERな名無しさん | 2008.03.24(Mon) 11:05 | URL | No.104220 - >>※61
そしてそのパクリ癖が身についた結果が現在のチョンやチャンコロに至っているわけだなVIPPERな名無しさん | 2008.03.24(Mon) 15:04 | URL | No.104470 - とりあえずM2を6発だか知らんが人間がそんだけ喰らえば霧になるぞ、マジで。
古刀だったら10発くらい楽勝なんかねぇ。VIPPERな名無しさん | 2008.03.24(Mon) 18:23 | URL | No.104756 - 戦国から太平洋戦争までの最強は薩摩兵、次いで他の九州兵というのが通説。
江戸時代の雨森芳洲と朝鮮人学者との話に
朝鮮学者「侍は死を恐れないのか?」
雨森芳洲「死を恐れないのは薩摩人だけで、侍でも普通に死を恐れる」
と否定してる。VIPPERな名無しさん | 2008.03.25(Tue) 20:46 | URL | No.106761 - 関が原退却時の逸話が薩摩人は死を恐れないっていう説を広めたんだと思う。VIPPERな名無しさん | 2008.03.26(Wed) 22:28 | URL | No.108392
- 中国兵は、火縄銃と日本刀を装備した倭寇にフルボッコにされていた。
それを教訓に、中国兵は日本刀と日本の剣術を取り入れ、研究&正式装備にした。
それが中国式の日本刀、苗刀である。
この苗刀、全長おおよそ120cm以上あるものが多い。
これは当時、倭寇がよく使用していた日本刀は大太刀(野太刀)であったからと思われる。
大太刀は刃渡り90cm以上で、柄はだいたい30cm以上ある。
全長だいたいが120~150cmくらい。
倭寇はこの大太刀の長さと圧倒的な切れ味を利用して、中国の長兵器(槍など)の穂先をスッパスパと切り落として暴れまわった。
ちなみに大太刀を扱う時には鍔元から刀身の半分手前位までにかけて藤の蔦などを巻いて使い勝手を良くして使用することもある。
これを中巻野太刀という。
長巻は、この中巻野太刀から生まれた武器である。
あしからず。VIPPERな名無しさん | 2008.03.28(Fri) 00:03 | URL | No.110338 - 戦争の序盤から終盤までをひとくくりにして死傷率だしても
それで携行武器としての日本刀の価値が下がるわけでもなしVIPPERな名無しさん | 2008.04.05(Sat) 05:08 | URL | No.121132 - 米90
襖あるか?おまえんち
襖の隙間を5センチだけ開いて
踏み込まないと当たらない距離だけ襖から離れてそこから
5センチの隙間めがけて
刃音立つほど思い切り自分の腰の高さまで斬り下ろしてみてくれ
襖がそれで無事なら確かに真っ直ぐ振るのは簡単だといっていい
ちなみに俺は片手で3センチまでいけるが
とてもではないが「真っ直ぐ振るのは簡単だ」とは言えない
米132
最強は坂東武者でしょうVIPPERな名無しさん | 2008.04.05(Sat) 05:26 | URL | No.121135 - 米79
刀は5キロもないよ
一般的な二尺3寸ぐらいなら1000グラムぐらい。
つまり1キロぐらいだな。
軽いものなら800グラムぐらいだし、二尺6寸とか長めの刀でも1200グラムぐらい。
日本刀は世界の両手剣の中ではダントツに軽いんだよ。VIPPERな名無しさん | 2008.04.06(Sun) 17:03 | URL | No.122205 - 米30
「当時」というのを何年に設定してるか知らないが
基本的に中世の軍馬の体格は
日本も西洋もほとんど変わらないことをご存知か?
さらに西洋馬は消化器官が弱く骨格が華奢であったのに比べ
日本馬は食い物を選ばず、蹄鉄も要らないほど骨が丈夫であった事をご存知か?VIPPERな名無しさん | 2008.04.06(Sun) 18:49 | URL | No.122295 - 米30
例えば日露戦争当時のコサック騎兵は世界最強の誉れを受けていたのだが秋山好古率いる日本軍にボコボコにされたなんてこともあったね。
秋山は別に無理な人海戦術で突撃を繰り返したわけではなくむしろ逆。
自信たっぷりに突撃してくるコサックをカウンターで仕留めた形になったわけだがVIPPERな名無しさん | 2008.04.06(Sun) 18:56 | URL | No.122302 - そんなむずかしい刀を、2本もぶんまわしてた宮本先生に脱糞VIPPERな名無しさん | 2008.04.06(Sun) 22:29 | URL | No.122813
- 以前から思っていたが、こういうスレでの九州(特に薩摩)の人間のレスが
うっとうしすぎる。
実際しゃべってもそうだがお前らどれだけ国自慢すれば気が済むのかとVIPPERな名無しさん | 2008.04.06(Sun) 23:07 | URL | No.122938 - 確か日本刀の精製方法は“折り返し鍛錬方”って言って、
叩いて短冊形に伸ばして、ある程度の長さになったら折り曲げて、
また叩いて短冊形に伸ばして・・・×12回繰り返しじゃなかった?
(だから日本刀の断面は4000以上の層があるとかなんとか)
伸ばして折り曲げることを繰り返す事によって、鋼に含まれる炭素の量を均一にする狙いがあるらしいよ。
それと、芯の部分と刃の部分は鋼の硬度が違うらしい。(硬度:芯>刃)
硬いだけの鋼だと折れてしまうし、やわらかいと曲がってしまうので、刃で切り芯で衝撃に耐える構造らしい。VIPPERな名無しさん | 2008.04.07(Mon) 01:24 | URL | No.123400 - 武士道って個人対個人の戦いならともかく国対国の戦いには向いてないよね。潔く死んだりせずにしぶとく生き残ってくれる方がいいだろうに・・。VIPPERな名無しさん | 2008.04.07(Mon) 06:11 | URL | No.123597
- 元寇の頃にはやあやあ我こそは~なんてほとんどなかった。
源平合戦の頃さえ滅多にない。しかも一騎打ちなのに手下に襲わせてみたり。
あと、弓に関しても大して性能差はない。
連中の強みは弓騎兵としての機動力と火力だから歩兵としては並。
しかもモンゴル兵自体少なかった。VIPPERな名無しさん | 2008.04.07(Mon) 12:56 | URL | No.123741 - 名乗りを上げての一騎打ちってひとまとめにするのがおかしい
まず名乗りを上げる行為はそれなりに行われていたが
名乗りを挙げる理由は「同士討ち」および「同族同志討ち」を防ぐためというのがメイン。
元寇のときはどう見ても異民族なんだから名乗りを上げる理由が無い。
第二に戦功を立てる際に互いに証人になるために名乗りを上げるという理由がある。
第二の理由での名乗りは戦争が始まる前(互いの弓が届かない距離)に行われるため敵と肉薄してるときにやることはない。
よってこの理由でも名乗りを上げているうちに元兵にやられるということはない。
第三の理由が現在では一番ポピュラーになっている一騎打ちの為の名乗りあい
これも一騎打ちによって自身の名を挙げることが目的なのだから
どこの馬の骨ともわからない元の雑兵に行う理由が無い。
VIPPERな名無しさん | 2008.04.07(Mon) 13:29 | URL | No.123749 - 142
微妙に違う
硬度は刃の方が高い
衝撃に耐えるには粘性の高い鋼のほうがいい
日本刀は
表面が硬く中に行くほど柔らかい
刃先が硬く刃先から遠いほど柔らかい
さらに焼きいれの際に刀身に粘土を盛る(土置き)ことで
冷却速度を変え、刃先はすぐに冷却されて硬くなり
刃先から遠くなるごとに土にさえぎられて冷却が緩やかになり粘性を保ったままになる。
あと折り返し鍛練は日本刀の一製法にすぎない。
まあ今は法的な関係でそればっかりしか作ってないけど
現存する古刀には折り返し鍛練で無い日本刀もたくさんあるよVIPPERな名無しさん | 2008.04.07(Mon) 13:43 | URL | No.123757 - 元寇についてはここが詳しい
http://blogs.yahoo.co.jp/sa341gazelle/9401856.htmlVIPPERな名無しさん | 2008.04.07(Mon) 14:07 | URL | No.123765 - 昔はあんなに気高く強かったのに今なんでこんなへたればっかなんだ・・。VIPPERな名無しさん | 2008.04.08(Tue) 02:17 | URL | No.124481
- 148
気高く強かった時代の老武士がお前と同じように嘆いてる記述があるぞよ
応仁の乱以前の武士は気高くめっちゃ強かったのに最近の若い連中はろくに弓も剣も扱えんみたいな愚痴を言ってるVIPPERな名無しさん | 2008.04.08(Tue) 13:34 | URL | No.124753 - 模造刀を日本刀で斬る 模造刀が真っ二つに斬れる
日本刀鎬を日本刀で斬る 日本刀は折れない曲がらない
日本刀刃を日本刀で斬る ぶつかった箇所は刃こぼれのみだが根元で折れる
レピアーを日本刀で斬る レピアー粉砕される
http://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071213162356.jpg
日本刀を厚みと幅が倍の西洋の剣で斬る 日本刀まるで平気
http://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071212175955.jpgVIPPERな名無しさん | 2008.04.08(Tue) 18:55 | URL | No.124971 - 最高級の日本刀が作られたのは鎌倉時代ってカキコがあるけど、
「妖刀」がたくさん作られたのも鎌倉なんだってさ。
宮本武蔵のムックに書いてあった。VIPPERな名無しさん | 2008.04.14(Mon) 21:50 | URL | No.129371 - 関が原の島津は「捨てがまり」?だとか何とか。
多数に追われて逃げるときに使うんだけど最後尾の何人かが鉄砲持ってどっしり座り込んで狙いをつけて打ちまくる。
もちろん座り込んでるから相手に追いつかれたら逃げられなくてほぼ殺される。でまた追ってくるところを次の最後尾が・・・って。
「相手に追いつく」ってのを第一に直線的に突っ込んでくる敵を真正面から狙いつけて打つんだから効果は絶大だったんだろうね。
実際井伊直正はこのときの傷によって死んでるし。VIPPERな名無しさん | 2008.04.14(Mon) 23:15 | URL | No.129514 - 日露戦争での白兵戦の強さは
塹壕やトーチカですばやく移動し常に数的有利とサーベルの斬り扱いの上手さだったらしい
つまり侍でなく最強は忍者VIPPERな名無しさん | 2008.04.14(Mon) 23:16 | URL | No.129515 - ごめん間違えた
井伊直"政"な。米152 | 2008.04.14(Mon) 23:29 | URL | No.129531 - 日本刀は世界武器ランキング10位
接近戦の武器としては最強VIPPERな名無しさん | 2008.04.15(Tue) 02:13 | URL | No.129692 - 公式記録(?)で最も多く人を切った刀は226事件で介錯した刀って聞いたことあるんだけど、どーなんだろ。VIPPERな名無しさん | 2008.04.15(Tue) 15:20 | URL | No.130020
- ていうか日本刀作る技術があれば槍だって高品質だっただろうに。VIPPERな名無しさん | 2008.04.17(Thu) 23:49 | URL | No.132566
- いわゆるナンバ歩きってのは、なんかすごい力を生むらしいよ。
(右手と右足が同時にでる歩きかた)VIPPERな名無しさん | 2008.04.18(Fri) 00:00 | URL | No.132576 - 槍は工程で言えば日本刀と同じだよ
しかも使う鋼の量で言っても日本刀と同じ
世界の槍と日本の槍は名前と外見が似ていても実は全く違う武器
普通の槍は木の棒の先にキャップ状になった穂先をかぶせる構造
したがって柄の部分は木
日本の槍は中子といって日本刀で言うと柄の中身にあたる部分が異様に長い。
そのながーい中子が柄の中に深く刺さっている構造で
実質柄の半分から3分の一ぐらいが鋼鉄で出来ているのと同じ
外見は細身でもめちゃくちゃ殺傷力が高い
外国でいうところの突き刺すスピアーと打撃のメイスの両方の性質を持っている| 2008.04.18(Fri) 05:18 | URL | No.132774 - サムライつええwwwwwwwwVIPPERな名無しさん | 2008.04.18(Fri) 11:57 | URL | No.132873
- 森寅雄(1914- 1969)という人がいてだな……。
<ウィキペディアより抜粋>
1937年、剣道普及のため渡米。南カリフォルニア大学でフェンシングを学ぶ
1938年、全米フェンシング大会に出場し、準優勝を果たす
太平洋沿岸選手権で優勝するなど、世界トップレベルの活躍を見せる
1941年、太平洋戦争開戦直前に日本に帰国
1951年、フェンシングアメリカ西部地区大会で優勝。
1960年、ローマオリンピックでアメリカ代表監督を務める
1968年、メキシコオリンピックでアメリカ代表コーチを務める
「モリ・フェンシング・アカデミー」を設立し後進の指導にあたった
1969年、剣道の稽古中に心臓発作を起こし死去。
選手としての絶頂期に太平洋戦争が起こったため、オリンピック出場はかなわなかった。悲運の剣士である。
フェンシング習って一年で全米準優勝とか……。
まぁ、本物のサムライってのはマジ無茶苦茶強いわけよ。VIPPERな名無しさん | 2008.04.18(Fri) 17:07 | URL | No.133079 - 戦国期なら名も知れぬ鬼のような猛者もゴロゴロいただろう。
とくに立花宗重の無名っぷりは異常。日に12回の出撃とか、数万に数百で立ち向かうとか、
敗走する仇の筈の島津の軍を「敗軍を討つは武家の誉れにあらず」と見逃す真の武士の漢気とか蒸発した名無し | 2008.04.18(Fri) 23:26 | URL | No.133459 - サムライになりたい…
どうすればよいかVIPPERな名無しさん | 2008.04.19(Sat) 00:02 | URL | No.133491 - >>163
とりあえずマゲは必須。
剃ってこい。話はそれからだ(・∀・)ニヤニヤVIPPERな名無しさん | 2008.04.19(Sat) 01:10 | URL | No.133603 - サムラァイ サムラァイ ブシドゥーVIPPERな名無しさん | 2008.04.19(Sat) 18:17 | URL | No.134388
- サムライは「さぶらう(付き従う)」から来ている。
つまり上司がいればもうサムライ。
なので武士にしなさい。
武士なら弓と剣が扱えれば主君がいなくても武士ですVIPPERな名無しさん | 2008.04.19(Sat) 20:22 | URL | No.134508 - >161
竜馬がゆくにも出た森要蔵の孫か
剣道やってた身としては、剣自体の特性と突きのみというルールの違いだけなんで
強い剣士ならどんな剣術でもやはり強いと思う
逆にフェンシングの達人が剣道やっても相当強いと思うが、両手持ちと斬るという動作に
慣れるのに余分に時間が掛かるかな
別に片手でもいいんだが腕がもたんだろうしVIPPERな名無しさん | 2008.04.19(Sat) 20:36 | URL | No.134524 - 幕末最も恐れられてたのが薩摩と会津だったんだから娯楽の少ない田舎が強いんだろ
国でも同じ
武器の量と性能除いた兵力としてだがなVIPPERな名無しさん | 2008.04.19(Sat) 20:45 | URL | No.134531 - 2ch記事より抜粋
伝統技術で世界最強の日本刀のナノテクノロジーを抽出し先端技術を駆使して日立金属がS-MAGICという金型用鋼を開発した。これは韓国製鉄が出来ない優秀なハイテン(高張力鋼板)を切り裂いたり、曲げたりする金型に応用され自動車などが製造されている。この新素材は方法論としては世界最多の成分種添加による超多元系合金設計によって独自性能が盛り込まれた。こんなことが韓国では出来ないのは切れ味抜群の日本刀のものづくりには美しさと強さの源となっている日本のオリジナル技術がいっぱい詰まっているから。神鋼商事 | 2008.04.20(Sun) 12:38 | URL | No.135024 - 日光に保存されてる祢々切丸とか、3メートル越える野太刀らしいな。
どうやって作ったんだかVIPPERな名無しさん | 2008.04.24(Thu) 08:28 | URL | No.138390 - 元軍に敗走する絵というのは19世紀の創作で書き足し。
あれは神通力で勝利した事を強調する為に作り変えられた話。
当時の日本では伏竹弓から三枚打弓という合成技術が用いられ、
更に七尺五寸(約227cm)の長さの大弓が一般的だった。
しかも独特の射出法と鍛錬により馬上でも連射可能。
更に大弓には盾を破壊する矢等もあり手にもつ盾は役に立たなかった。
更に日本では武士は世界では数が少ない専門軍人であり、
総合的な遠近両武装が施されていた。つまり、弓兵であり槍兵であり
抜刀切り込み兵であり騎兵だった。更には従者も弓を使えた。
合成短弓かつ、役割分担された元軍では遠近両用かつ馬術に長けた
日本の武士に対応出来ず、鉄はう(爆弾ではなく単に花火で驚かすもの)
でも怯まない専門軍人(とはいえ初期の武士は幕府軍ではなく地方豪族)
相手に拠点を構築出来ず、そのまま船から展開出来なかった。
結局夜になって双方が船や城の拠点に戻り、敵の援軍が来援したら話に
ならないので最初の元軍は周囲を荒らす程度で逃げ帰った。
ちなみにこの時の兵4万は日本討伐の必要兵力として求められた人数であり、
既に他の国で船舶による制圧作戦を経験していた部隊。偵察隊等ではなかった。
第二次では前回の失敗を元に大規模な侵攻部隊が組まれたが、日本側は
海岸線に土塁を築き、更に今度は現地兵ではなく幕府の兵であった。
彼らは平家との海戦や集団戦闘で戦いなれており、陸上、船上共に元軍は
良い所が無く、追いやられた挙句最後には台風にやられて海の藻屑と消えた。
元軍は元々多民族兵を主体としており、他の国は3千人~数万でボロボロに
されていた。日本は破格の派遣であり、更に破格の大敗でもあった。VIPPERな名無しさん | 2008.04.24(Thu) 20:55 | URL | No.139064 - 日本刀は重いから突くための武器、
槍は軽くて長いから薙ぐための武器、
なんて話を聞いたが、ここのレス見てると
「それはオレらの筋力が弱いからだろ」って思えてくるね・・・・VIPPERな名無しさん | 2008.04.25(Fri) 02:10 | URL | No.139436 - 幕末の頃は技術の低下と反比例して抗争そのものは増加したので
突きを多用するニワカ(技術的に低級でも弱いとはかぎらない)が増えたってのはまあ事実といえば事実ではあるんだよね。
いままで刀を触ったことも無いような農家の三男坊とかが2~3年程度の訓練で殺し合いしなきゃならんという条件では斬るより突くほうが簡単ってのはまあ真理ではあるらしい。
槍にしても日本の槍は打撃力もあり斬りにも使えるからそれだったら突くだけじゃもったいないということもまあ当たってるといえば当たってる。
実際足軽は上から降り下ろす打撃用として長槍を使ってた。
ただ、個人戦闘用の槍の場合やはりメインは突く。
そこに打撃や斬りや足払いやらがたまに絡むから効果的なわけで叩いてばっかりでもなければ斬ってばっかりでもない。VIPPERな名無しさん | 2008.04.25(Fri) 04:18 | URL | No.139487 - いまある金属使えばもっと強い刀作れるんじゃないかと思うVIPPERな名無しさん | 2008.04.25(Fri) 20:40 | URL | No.139878
- ※172
日本刀は同サイズの外国の剣よりすげー軽いのにね
以前こういうスレで「日本刀は10キロある!」とか言い切っちゃってるヤツとかがいて椅子から転げ落ちそうになった記憶があるVIPPERな名無しさん | 2008.04.26(Sat) 06:22 | URL | No.140176 - >14185
史上最強の弟子wwww
センゴク読めVIPPERな名無しさん | 2008.04.28(Mon) 13:49 | URL | No.142436 - 一般的な日本刀は全長1m以下、重量1kg程度。
これで大体合ってる?VIPPERな名無しさん | 2008.04.28(Mon) 14:23 | URL | No.142458 - ※177
二尺三寸から四寸が江戸時代だと平均なのかな。
柄は七~八寸が多いと思うから、3.3センチ/寸計算なら全長で一メートルをちょっと超えるか越えないかぐらい。
重さは1キロっていうのは正しいとこだね。
でも鎌倉時代だと二尺六~八寸で1200グラム超ぐらいだし、南北朝時代は四尺(120cmを越える)前後で柄長が一尺超ぐらい。
ちなみに現存する最大の太刀が7尺5寸(約250cm)で約13キロね。| 2008.04.28(Mon) 16:26 | URL | No.142528 - 侍=日本人とみるなら世界屈強世界大戦で神風特別攻撃部隊したり
最後一兵死守まで戦ったのは世界で日本ぐらいらしい隊長クラスはのちのち
自決までするし一部除くが硫黄島とか読むことおすすめ凄惨だよVIPPERな名無しさん | 2008.04.28(Mon) 16:36 | URL | No.142533 - 実家が田舎なので、刀や槍が残ってるけど、意外と軽いんだよねぇ~
刀の妖艶さには、引き込まれるものがあります(´∀`*)ポッVIPPERな名無しさん | 2008.04.28(Mon) 18:38 | URL | No.142671 - サムラーィ、サムラーィVIPPERな名無しさん | 2008.04.29(Tue) 23:59 | URL | No.144343
- 米176
???VIPPERな名無しさん | 2008.04.30(Wed) 10:58 | URL | No.144902 - ※1734
「~一の弓取り」ってのは、戦での采配上手なことを言うのであって弓術の技量が優れてるって意味ではないのだが・・・VIPPERな名無しさん | 2008.05.01(Thu) 01:34 | URL | No.145982 - ※171
>総合的な遠近両武装が施されていた。つまり、弓兵であり槍兵であり
>抜刀切り込み兵であり騎兵だった。更には従者も弓を使えた。
総合レジャーランドとか多機能携帯が好きなのは日本人の遺伝子なのかもシレンw
侍じゃないが、第二次大戦中の日本陸軍の行軍速度が歩兵のクセに異常だったとか、
白兵戦では終戦時まで恐れられてたとか聞くと、侍も相当強かったんじゃないかと思えるな。
つか、陸軍歩兵より肉体的な強さでは上だろーし。VIPPERな名無しさん | 2008.05.01(Thu) 01:37 | URL | No.145986 - 冷静に考えろ、
豚の骨ごときってる包丁が現存するんだから
刀で三人切ったぐらいじゃ刀は刃こぼれしないVIPPERな名無しさん | 2008.05.01(Thu) 09:03 | URL | No.146189 - 侍は世界最強だろ!
精神が西欧とは違いすぎる。
体格とか言う奴は、間違いなくゲーム脳。VIPPERな名無しさん | 2008.05.01(Thu) 11:52 | URL | No.146274 - 三段撃ち考えたのは雑賀孫一じゃねーの?
なんで孫一がドラマにならんのか理解できん。VIPPERな名無しさん | 2008.05.01(Thu) 13:43 | URL | No.146441 - まぁ日本人が強いかはともかくとして日本刀が他の刀剣を超越した武器だってことは納得した。
ならさ青い眼のサムライ アンディー・フグが日本刀持てば最強なんじゃね?VIPPERな名無しさん | 2008.05.01(Thu) 17:44 | URL | No.146786 - フグが5歳から剣を修行してればねVIPPERな名無しさん | 2008.05.02(Fri) 10:38 | URL | No.147818
- アンディはもうこの世にいないよ・・・VIPPERな名無しさん | 2008.05.02(Fri) 20:03 | URL | No.148197
- 米188~190の流れで泣いた・・VIPPERな名無しさん | 2008.05.04(Sun) 06:48 | URL | No.149952
- 明治の初期に日本に旅行に来た欧米人のボンボンの日記を基にした本を読んだ事があるんだけど、
そこに映っていた漁師の日本人のおっちゃんの膝の形が、もうなんかすごいかっこいい形だった。うまくいえないけど、余分なものを全てそぎ落として、必要な筋肉だけが発達した、みたいな感じ。
現代人のスポーツ選手とかの膝とかにも似ていないし、欧米人のボンボンも「こんな膝はいろんな国を周ったが、どこの国でも見たことが無い!」って感嘆してた。
漁師でもそんな膝を持ってるんだから、人を殺すために鍛えられた体の侍達は一体どんな体つきだったんだろうってすごく気になる。
きっと恐ろしく強かったんだと思う。VIPPERな名無しさん | 2008.05.05(Mon) 22:03 | URL | No.152432 - 飛脚のローはやばいVIPPERな名無しさん | 2008.05.06(Tue) 11:49 | URL | No.153085
- 俺の先祖は農民だから、どうでもいいVIPPERな名無しさん | 2008.05.06(Tue) 15:06 | URL | No.153284
- 俺の先祖も農民だと思っていた
実家農家だし
だが、実は山陰あたりから逃げ延びた落人だったことをあとから聞いたVIPPERな名無しさん | 2008.05.06(Tue) 15:25 | URL | No.153304 - スレも米も難しすぎますVIPPERな名無しさん | 2008.05.06(Tue) 15:40 | URL | No.153324
- まあ、もともと元が強いのは騎馬+弓の超速攻だし
元寇って言っても大半は中国の降伏したやつらだしVIPPERな名無しさん | 2008.05.06(Tue) 21:44 | URL | No.153619 - 元の軍隊はどこに攻めていったときも「大半は敗戦国の降伏したやつら」で構成されてるのよ。しかもほとんどの場合2~3万程度の軍隊を派遣しただけで圧勝、連戦連勝だった。
日本は最初の文永の役のときですら3万を送り込まれてる。
で、これをちゃっかり撃破。
二度目の弘安の役などは合計14万を越える大軍団を派遣されるもこれも撃破。しかもこのとき日本に送り込まれたのは大元ウルス軍つまりバリバリの最強軍団込み。
まあ実質、まともに戦ったのはそのうちの4万で、残りの10万は指揮官が敵前逃亡して烏合の衆となったあとに戦ってるってのはあるけどね。
「騎馬+弓の超速攻」ってのも最初だけ。大元に号が変わってからは歩兵が中心になるんだな。
まとめると元の対日本派兵は他国に比べてはるかに本気装備だった。
元寇はこの辺が面白いかも
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1832978
http://blogs.yahoo.co.jp/sa341gazelle
VIPPERな名無しさん | 2008.05.07(Wed) 18:03 | URL | No.154901 - かっこよさは世界トップ10入りするのは確実VIPPERな名無しさん | 2008.05.07(Wed) 21:04 | URL | No.155305
- 元の来襲の時は、かなりの日本人(民間人)が連れ去られて無かったか?
文永、弘安の役では日本は辛勝程度だったと思うが。VIPPERな名無しさん | 2008.05.08(Thu) 11:45 | URL | No.156080 - 圧勝ですVIPPERな名無しさん | 2008.05.08(Thu) 17:15 | URL | No.156408
- 元軍被害状況
東路軍生還者=四万人中1万9000名
江南軍捕虜=3万
うち南宋兵は以前国交があったので処刑を免れたが、その他は後日全員処刑。南宋兵以外の生還者はたった3名
四万人で攻めてきた先方隊の半数を殺し、見捨てられた10万を十日程度のの掃討戦でボコボコにし、終わってみれば7万人殺してる。
一方日本軍は大宰府中心に八万人(うち海岸沿い4万)を動員していたが元軍が怖気づいて上陸しなかったためたいした被害を受けてないどころかほぼ無傷(志賀島での戦いでは小船数隻の武士が数日攻め立てただけで元軍は3000人も殺されて海上へ撤退)結局全体を通しても東路軍と実際に合間見えた武士は大目に見てもわずかに2万人程度。
鷹島を中心に行われた江南軍残党狩りにおける日本軍の数は不明だが、
松浦党と薩摩軍といわれているので大して多くないはず。VIPPERな名無しさん | 2008.05.08(Thu) 17:49 | URL | No.156444 - >>202
圧倒的ではないかわが軍はVIPPERな名無しさん | 2008.05.11(Sun) 03:57 | URL | No.159908 - 侍はとても強かったが雑兵は弱かった。集団戦術では外国の方が上。
日本戦国史は数千vs数千とか数万の死者とか書いてるのが多いけど
実際は城とりの戦でも両軍300人も戦ってないものが多数だった事実。
日本で数万対数万の戦をするなんてありえなかった。
信長の野望のやりすぎなんだよ。
話がズレたけど、
強いサムライは世界的に見ても最強クラス。
弱い武将は雑兵と同じだった。VIPPERな名無しさん | 2008.05.11(Sun) 08:13 | URL | No.160000 - 元寇は城とりじゃなくて街とりだよ
元軍の制圧予定地は大宰府
城とりなんて規模の小さい戦の話はして無い
日本に来たのは元で最強の大元ウルス軍。
大元ウルスに対しては、他のモンゴル内の有力者も度々反乱を起こしているが、元軍は連戦連勝。
ナヤン・カダアンの乱で、カダアンとその息子ラオディ率いるモンゴル反乱軍は、
朝鮮半島で大元ウルス・高麗連合軍によって壊滅させられた。
VIPPERな名無しさん | 2008.05.11(Sun) 13:17 | URL | No.160217 - 高麗史表
「十月、金方慶與元元帥忽敦洪茶丘等与征日本、至壱岐戦敗、軍不還者萬三千五百餘人」
朝鮮の記録によれば元軍の傘下として
日本へ行ったが壱岐で敗北して一万三千五百人が帰還できなかったとあるVIPPERな名無しさん | 2008.05.11(Sun) 13:25 | URL | No.160229 - 日本の軍隊は寄せ集めか?
注意しなければいけないのは「前線で戦う一般兵」という存在がいつごろ「一般化」したのか?
ということで、これは「足軽」と呼ばれるものがいつ登場したか?ということになると思います。
それ以前の「徒士」はあくまで騎乗武士の伴走者であり、
騎乗の武士のほうが主戦力で徒士は馬上の主が存分に戦うためのサポータ、
もしくはオプションであった時代が長く続いていたのが中世日本の特徴だったと思います。
(戦いが始まってしまえば馬上の武士達は徒士を置いてきぼりにして騎乗突撃することも多かったようです)
ところがそれが応仁の乱を前後して旧来からの武家は重武装で騎馬に乗った武士団の大部隊を維持することが経済的に困難になります。
一方新興勢力である地方荘園主などは豊富な財力にものを言わせ、自身の戦闘能力の低さを補って余りある新たな戦力として「足軽」を導入していきます。
ここから初めて「騎乗した武士は指揮官的役割が中心」になり、前線で戦うのは「あしがる」と呼ばれる、
戦場のフリーターに頼らないと戦争するための人出が確保できない時代になって来るわけです。
ですがいわゆる戦国時代などというものは日本の戦史の一部に過ぎません
したがって日本の戦争において武士は一握りでほとんどが寄せ集めという乱暴な解釈はなりたちません
この解釈が成り立つのは戦国時代のみです。
ただし、その寄せ集めは振り下ろされれば鉄笠の上からでも首の骨を折らんかというほどの打撃力を持つ長槍や
命中率と保有数世界一の銃火器を装備した「寄せ集め」であります。
豊臣家が保有する銃火器だけで
当時のイギリスが保有する銃火器全部を合わせたよりも多かったということを考慮しないわけには行かないでしょう。VIPPERな名無しさん | 2008.05.12(Mon) 03:52 | URL | No.160869 - 鎌倉武士最強VIPPERな名無しさん | 2008.05.14(Wed) 10:43 | URL | No.163140
- そもそも武士が弱かったらとっくに西洋に攻め滅ぼされてるVIPPERな名無しさん | 2008.05.17(Sat) 08:53 | URL | No.165274
- まず鎌倉時代の日本は世界の中でも大国だったという認識持つべき。
中世のヨーロッパでの戦争は数千程度だけど、日本は源平、
奥州藤原氏など万単位の軍隊動員できる政権がいくつもあり、
一応東国のもと統一された承久の乱で鎌倉幕府は10万以上動員している。
こんな国は当時それほどない。VIPPERな名無しさん | 2008.05.18(Sun) 12:05 | URL | No.166367 - ※欄も非常に面白かったVIPPERな名無しさん | 2008.05.19(Mon) 14:29 | URL | No.167248
- みんな愛国心たっぷりだなVIPPERな名無しさん | 2008.05.19(Mon) 14:47 | URL | No.167267
- 米欄でもえらく長く議論してんのね、やっぱみんなサムライとか好きなんだな。
米70は黒鉄さんの泰治じいさんだな(剣の思想)
米90はとタモリさんと同門の柳生新影流か確かに斜刀が多いね
米161タイガー森つよす
米192確か小さい頃から日本差で左だけ異様に太い
米143
武士の倫理を構成する要素としては
武士道、士道、弓馬の道、兵の道、武道、兵学、儒学等があるが
現在一般に武士道と言われるものは、鍋島藩の過激だから禁書(ここ重要)にされた「葉隠」と
ろくに古典教育も受けてない福沢さんが(本人がそういってる)武士って何だろう?
と自問自答しながら自分の周りの人々の話や歌舞伎など講談の話を思い出しながら
欧米人に紹介するために書いた「武士道」がごっちゃに混じった上に教育勅語を曲解した戦争中の教育がグネグネに曲げた代物なんだよ。
それが戦争後の極度の武士道、大和魂排除により一気に廃れ反動で最近の武士道とかちゃんばらブームでピュアな部分だけか拡大されてる。
要するに戦国の倫理とはぜんぜん違う。戦国で重要なのはしいて言うなら
将は兵学と軍学と度量、兵は功名心と凶暴性で両方とも必要なのは狡猾さじゃないか?
(だってそれこそ個人の倫理だしカオスな戦乱だし)
VIPPERな名無しさん | 2008.05.19(Mon) 14:49 | URL | No.167271 - お前ら武士とか刀とか好きだな
まあ俺もだけどwVIPPERな名無しさん | 2008.05.19(Mon) 15:37 | URL | No.167312 - 居合抜き15年やってる。
日本刀をきちんと使いこなすには
まず、腰-大腿筋-背筋-腹筋と肩の筋肉など大きな筋肉を連動させること
次に、手首-肘-肩と足の指-くるぶし-膝の可動域を広く柔軟にすること
これらを両立させないと、けっこう簡単に曲がるんだよ、刀って。
意外なことに前腕や上腕の筋肉はあまり使わない。
で、突きと斬るだけど、戦闘シーンによる。
極端な話、真剣による戦いは、どこでもいいから、まずは一太刀浴びせること。
脛でも小手でもいいから、どこか一か所に確実に傷を負わせれば、
相手の戦闘力は一気に落ちるから、その後の戦いが楽になる。
本スレでも語られてるけど、戦場でいえば、弓矢や槍には勝てないね。
矢は上から降ってくるものだし、
槍は刀の勢力圏から離れたところからやってくるしね。VIPPERな名無しさん | 2008.05.19(Mon) 19:19 | URL | No.167636 - サムライの定義がまず先。
次に、昔のサムライって背低い人も多かったし
(大量にひっつかまえて編成する槍兵なんかそのへんの農民だし)
大群の平均値とれば西洋人にボロ負けするんじゃないか。
ちなみに乗ってたウマも、日本のはサラブレッドみたいなデカイやつじゃない。
もうちょっとモンゴル系のずんぐりしたちっこいやつで、
だからこそ後ろから歩兵が走っていってもなんとか追いつけた。
さらに言えば、刀は首を取るときしか使わない。
「槍の誉れ」「弓の誉れ」というくらいで、
基本は騎馬弓兵。鎧の肩当ても弓矢対策。置き盾も弓矢対策な。
そうでなければ槍を使う。
で。なんとか具足っていって…
大将だけは西洋甲冑身につけてたりしたらしい。
日本製とちがって隙間が無く防御力が高いから要人だけ着てた。
西洋騎士が全員これ着て向かってきたら勝ち目なかったんじゃねえの。VIPPERな名無しさん | 2008.05.19(Mon) 19:57 | URL | No.167682 - あのねサラブレットなんて西洋でも乗ってないよ
近代になって生まれた種を持ち出されても…
重装騎士突撃で有名なスウェーデン軍の馬なんか日本の平均的な軍馬より小さいぞ(背までの高さが120cm以上)
あと日本馬のもう一つの特徴はスタミナと生命力。ほぼ野生と変わらない飼育法だったため、骨が丈夫で蹄鉄いらず。野草を食わせても腹を壊さない。
体格的には後ろ足が長く山岳地での移動にも適してる。
あと、西洋人の体格も中世はひどいもんだった。体格差はないよ(ドイツ除く)。
また食料事情も西洋のほうが悪い。日本では地方でしか起こらないような、しかも数年に一度レベルの飢饉と同程度の飢饉は西洋では中央都市で毎年起こってるレベル。大航海時代になって他国をレイプしまくる西洋人にも同情の余地はあるんだよ。やつらは何ももって無かったんだから、略奪しなきゃやってけなかった。中世日本は穀物収穫量が桁違いなんだよ。
VIPPERな名無しさん | 2008.05.20(Tue) 09:51 | URL | No.168433 - 騎士は絶対数が少ない。
さらにフルプレートを着れるような騎士は更に少ない。
騎士が完全装備で戦場に立つためにはそれこそ貴族の屋敷が立つぐらいの費用がかかる 穀物に換算して第二次大戦時の相場であらわすと最新鋭戦車一台分に相当するそうだ。
日本の鎧も高価ではあったがさすがにこんなにしない。
騎士一人分の費用があれば武将クラスの意匠を凝らした高級品でも10領以上作れるんじゃなかろうか
一般の武士用のものならもっと安く出来るわけでもし双方で消費できるコストをそろえたら
完全武装の騎士一人に対して完全武装の武士が数十人用意できることになる
騎士は武士団にあっというまに飲み込まれて終わりだなVIPPERな名無しさん | 2008.05.20(Tue) 09:57 | URL | No.168435 - リーグニッツの戦いで、重装甲の騎士がひしめくヨーロッパ連合軍はたった3万の元軍に大敗。
二度の元寇で、日本の鎌倉武士達は合計17万(一回目三万三千、二回目14万)の元軍を撃退。
はい、歴史ではそういう結果になっております。
武士>元>騎士VIPPERな名無しさん | 2008.05.20(Tue) 10:15 | URL | No.168452 - 首切りに使うのは小刀。
日本刀が首切り専門?なにをいってるのか
日本刀で首を切るのは介錯のときだけ。
馬上打ち物はまず日本刀で戦い、日本刀で地上へ打ち倒し、組み伏せて小刀で首をザリザリ切り落とす。
槍が出てくるのは日本の長い歴史で言ったらつい最近のはなし。
世界で言うスピアーに相当する袋槍は日本では矛といってはるかな上古の時代には使っていたが平安時代までに日本刀に駆逐されてしまった。
柄が総木製の武器は日本刀と相性が悪かったのよ。
もちろん弓によって駆逐されたともいえるが弓持ち出したらどんな白兵戦の武器でも勝てないんだから矛だけが滅んだ理由にはならない。
上古の時代にも弓はあったしね。
平安以降室町時代後期までの長柄武器は薙刀があったがこれは槍とはちがい日本刀の柄が伸びていった結果生まれた武器、柄の中には日本刀同様中子が入っていて、折れたり切り落とされることが無い。
ただし、当時は馬上で戦うのが武士の主流だったので弓を持って更に薙刀というのは現実的ではなかった。歩兵はよく薙刀を使ったが武士が白兵戦に突入するときはやはり日本刀が主力となった。
その後、後期の日本の発明した白兵最強武器である槍がやっとこ登場する。
薙刀のように、日本刀のように柄の中が鋼鉄の中子となっている槍。
日本刀と同様鍛造で出来上がった強靭な穂先。
折れず曲がらずよく切れ、当然よく刺さり、そして思い切りぶったたくことにも使える。
ただ馬上で槍を持ち出すのは戦国時代まで待たねばならない。
そしてこの後、あっというまに鉄砲の時代へ移ってしまう。
白兵戦で槍が主役だった時代のなんと短いことか。
VIPPERな名無しさん | 2008.05.20(Tue) 10:50 | URL | No.168463 - ※217で訂正
>重装騎士突撃で有名なスウェーデン軍の馬なんか日本の平均的な軍馬より小さいぞ(背までの高さが120cm以上)
最低ラインは113cmだった。
もっと小さかったね。VIPPERな名無しさん | 2008.05.20(Tue) 11:09 | URL | No.168473 - 本当に居合やってるやつが「居合い抜き」なんて俗っぽい言い回し使うかねぇ?VIPPERな名無しさん | 2008.05.21(Wed) 10:36 | URL | No.170075
- 日本の刀は最強なのはガチ
しかし数人斬っただけで切れ味が落ちるほどデリケートVIPPERな名無しさん | 2008.05.21(Wed) 15:34 | URL | No.170255 - 切れ味は落ちるが切れなくなるわけじゃない
VIPPERな名無しさん | 2008.05.21(Wed) 17:56 | URL | No.170380 - 成瀬関次 「随筆 日本刀」より
東大病院の整形外科医局長をして居られる伊藤京逸氏が(此の人は剣道家でもある)軍医としてやつぱり徐州戦に参加された時の感想として、
「日本刀は案外に切れた。寧ろ切れ過ぎるかの感さへあつた。首を斬る位の事は、短いやつの片手斬りでもスパツと落ちた。
素肌の人間を斬ること位たわいのないことはない。素つ首などは、一尺四五寸位の脇差を片手に持つて、それで切れ過ぎる程だ。
骨を切るといふことも、思つた程ではない。
死後若干時間が経過すると、堅くなつて切りにくいが、生き身は今年竹の程度だと、誰しもいふ。
大体首は、中位の南瓜を横に切る程度、生き胴は南瓜に横に直径一寸二三分の青竹を一本貫いたものを切る程度と云つたら、略見当がつくであらう。
切り損ずる原因の一つは、誰しもあわてること、上気してしまふことだ。VIPPERな名無しさん | 2008.05.21(Wed) 18:00 | URL | No.170387 - 日本刀が曲がったまま戻らないような外力をヨーロッパの剣がうけたら、そのまま折れちゃうんですけど…
曲がっただけなら自分で戻して戦い続けられるけど折れたらもうどうしようもないよね
どっちがいいかなんて考えるまでも無いとおもいます。
VIPPERな名無しさん | 2008.05.22(Thu) 09:23 | URL | No.171205 - ※150みれば日本刀が弱いとかただの都市伝説だってわかるよね
模造刀を日本刀で斬る 模造刀が真っ二つに斬れる
日本刀鎬を日本刀で斬る 日本刀は折れない曲がらない
日本刀刃を日本刀で斬る ぶつかった箇所は刃こぼれのみだが根元で折れる
レピアーを日本刀で斬る レピアー粉砕される
ttp://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071213162356.jpg
日本刀を厚みと幅が倍の西洋の剣で斬る 日本刀まるで平気
ttp://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071212175955.jpgVIPPERな名無しさん | 2008.05.22(Thu) 13:08 | URL | No.171328 - ↑の人たちの書き込み読んでとても面白かった。
で、「武士は強かった」とか「鉄砲所有量世界一」とか読んでて
ふと思ったんだが、昔の日本人なんであんなに優秀だったの?
(今も優秀かもしれんが)
戦闘力の高さなどすべて含めて。
中国・朝鮮文化のパクリだけではあのレベルまで上げるのは無理
だと思うのだが…
VIPPERな名無しさん | 2008.05.23(Fri) 17:46 | URL | No.172511 - ちくしょー武者震いしてきたwwwVIPPERな名無しさん | 2008.05.24(Sat) 00:06 | URL | No.172900
- 南蛮胴具足はただの趣味だよ
座って指揮を執るだけの総大将のファッションのひとつに過ぎない。
西洋甲冑に幻想見すぎ
西洋の甲冑でいわゆる「隙間なく防御されている」のはフルプレート、もうひとつはパレードアーマーというもの。
実戦用のフルプレートで隙間が無いというのは主に手足の関節のことであって胴体に関しては実は当世具足と差が無いんだね。
西洋甲冑といえども脇はがら空きだし股間もがら空き。
ヘルメットは視界が極端に狭く、通気性が考慮されておらず、熱中症や酸欠で倒れる騎士が続出。
クレシー・ポワティエの戦いなんか酸欠で大量に死んでる。
防護製の高い手足はそれに見合う重量があり片腕で2.5キロもあるようなものが普通。
ただでさえ息が苦しいのに当時の小柄な西洋人ではすぐスタミナ切れで腕が上がらなくなる。
南蛮胴具足もそれを嫌って手足は日本の具足に換装して使っているし、兜も鉢型のものしか流用しなかった。
ちなみにおそらく西洋で最も白兵戦に長けていたであろうランツクネヒトは手足に鎧はつけなかった、ヘルメットもオープンなものを好んだ。日本の武士と同じ発想だね。
パレードアーマーのほうはセレモニー用のお飾り。
全身を非現実的なまでに鉄板で覆ってしまった結果、倒れたら起き上がれないほど動きが不自由。
軍馬が耐えられないほどの重量になり、農耕用の馬に乗せていた。VIPPERな名無しさん | 2008.05.24(Sat) 06:11 | URL | No.173071 - 古代中国の恩恵は結構受けてるだろうケド中世以降の中国や
朝鮮の恩恵はほとんど受けてないんじゃないの?
朝鮮はただひたすらに大宰府に迷惑かけてただけっていう印象なんだが…
南宋(場所は現中国)にしても渤海(場所は現中国とロシア?)にしても日本に貢献してくれた昔の国は現中国やらなにやらにみんな滅ぼされちゃってるしね。VIPPERな名無しさん | 2008.05.24(Sat) 13:53 | URL | No.173289 - 米216があまりに論破されすぎてて逆に同情VIPPERな名無しさん | 2008.05.25(Sun) 12:19 | URL | No.174542
- 19世紀より以前のヨーロッパは戦術的にも動員数的にも世界水準に達して無い。
結局、大航海時代に入って手近に攻め込んだアフリカやアメリカがたまたま弱い割りに資源が豊富だったおかげで資源と奴隷労働力という大きな力を手に入れ、強くなれたわけで、このとき近場に日本並みの国があってしょっぱなで撃退されてたらひょっとしたら資源不足から産業革命もおきず、ヨーロッパの世界ランキングはだいぶ変わっていたかもね。
日本が最強かどうかは興味も無いけど、この時代ならばヨーロッパは日本以下。多分この時代一番元気だったのは中近東と元。次に明、日本はその少し下ぐらい。
確かに戦闘能力では日本は上だったけどまあ国力では元のほうが上だったのは事実。もっとも国力といっても元の国土は侵略に継ぐ侵略で広げっぱなしだったのできちんと「俺は元の国民だ」という意識を持った人間はほとんどいなかった。(そういうアイデンティティが確立する前に元の寿命が尽きたのはまあ日本遠征で疲弊したせいなので、元は武士との戦いの古傷が腐って死んだともいえるね。二度の元寇以降、元は日本人との鉢合わせを恐れ東シナ海日本海東南アジア方面での海上交易ルートのほとんどを手放してしまった。逆に日本はこれらの海洋ルートで我が物顔だった。)
以前は明に対しては日本も遠慮せざる得なかったが元寇以降は明も日本に手出しできなくなった。
もちろん国力では明のほうが上だったのだけど、要は明はビビってしまったわけだ。自分がどうしても勝てなかった元をボコボコにして追い払った日本に。VIPPERな名無しさん | 2008.05.27(Tue) 14:24 | URL | No.177305 - それと中近東は確かに日本よりはるかに強大だったけど、中近東には日本とけんかする理由が一切なかった。
日本もまた中近東と戦う理由がなかった。遠すぎてお互いに相手の攻撃を心配する必要性ゼロ。
海を越えてどこまでも侵略したがる国ばかりじゃないってことだな。
それどころか、日本と馬を交換っこしたり、日本の火縄銃をたくさん買ってくれたりといい交易相手になっていった。
お互いに栄えてくれたほうが得だったわけだ。VIPPERな名無しさん | 2008.05.27(Tue) 14:45 | URL | No.177327 - サムライは命すら捨てる覚悟で云々って話が出てるけど、
他の国の兵隊さんたちはそうでも無かったん?日本の精神って特殊なのかなVIPPERな名無しさん | 2008.05.28(Wed) 01:05 | URL | No.178150 - このスレロングセラーすぎだろw
一年近くたつのにまだコメついてんのかw
みんな武士好きなんだね
そこらへんやっぱ日本男児だなwVIPPERな名無しさん | 2008.05.28(Wed) 01:40 | URL | No.178207 - ※235
中世のヨーロッパだと戦争で捕虜にした敵兵がそこそこ位の高い騎士なんかだと釈放する代わりに身代金を要求して財政を潤わしていたみたい。
で、その場合相手を死なせてしまうと身代金が要求できないってなってしまうから、命を捨てるとかそういう考えは特に持ってなかったらしい。VIPPERな名無しさん | 2008.05.28(Wed) 03:18 | URL | No.178313 - kome235
要するに武士は軍人ではあっても、単純な兵隊さんじゃないってことよ
基本的に「兵隊さん」は日本もあまり命がけじゃなかったんよ。
日本だって古代の律令制時代の兵隊さんとか戦国時代の足軽さんとかはそんなに命がけじゃない。(足軽の場合は功績次第で士分になれるからそっちを目指すやつは気分は武士モードだけどね。)
日本の場合、どういうわけか実際前線で戦う主力と特権階級が同一っていう時代がえらい長く続いてたんだよね。
武士は自分達の特権を拡大維持するために自分達同志でガチに殺しあう。
そりゃ本気度が違ってくるよ。
VIPPERな名無しさん | 2008.05.28(Wed) 04:06 | URL | No.178332 - ゲームだと1人のキャラに3つも4つも武器持たせたりすることあるけど、こんだけ持ってても自由に動けたのかな?
メインで使う槍or弓+護身or首切り用の剣ってのが一般的?折れたら敵の奪ったりするのかな?VIPPERな名無しさん | 2008.05.28(Wed) 15:07 | URL | No.178679 - 最近知って驚いたけど、アイヌの人々も元から攻撃を受けたことがあったらしいね
逆に、アイヌが元を攻撃しに海を渡ったこともあったとか
しかしこのスレ大人気だなぁwVIPPERな名無しさん | 2008.05.28(Wed) 20:02 | URL | No.178945 - 侍は遠距離・中距離・近距離全て長けるからなぁ…
長弓の威力はその当時では類を見ない威力であり、
訓練された武士の命中力もかなりの高さだったらしい。
槍や長巻で中距離を把握していた。
で一番の恐怖は近距離だ。
軽量でありながら切れ味の鋭い刀を使いながら、
柔術などを織り交ぜて戦っていた。
近代のアーツの多くは柔術を基礎に入れているのがかなり。
つまりだ、侍は武器・肉体・精神を極めた戦士のみがなれるジョブなんだよ!
……今の世に侍になれるだけのステータス持った人いるのかなぁ…VIPPERな名無しさん | 2008.05.29(Thu) 02:04 | URL | No.179535 - アイヌの場合は元は2000程度で攻めてきたりと結構アイヌはなめられてたみたいだね。
それと対アイヌの場合はアイヌの占領というより海路の通行権の取り合いだな。VIPPERな名無しさん | 2008.05.29(Thu) 17:00 | URL | No.179978 - http://jp.youtube.com/watch?v=8pqW3Xzdwk0
確かに日本刀に向けて放たれた弾が2つに切れている・・・日本刀恐ろしいVIPPERな名無しさん | 2008.05.29(Thu) 19:57 | URL | No.180087 - 米243
だからそれは何度も言われてるけど鍛えた鋼(日本刀)と鋳造の鉛(弾丸)はどっちが強いって話だよ。
アホでも分かると思うけど?
日本刀じゃなくてもまともな刃物なら同じ結果になるよ。
リアル斬鉄剣もそう。
車のドアなんてペラペラの鉄なんだから切れて当たり前。
弾丸を斬るのも車のドアを斬るのも前から海外のナイフメーカーがやってる。
それを日本のテレビ局が同じことを日本刀でやっただけ。
特別に日本刀が凄いわけではない。
http://jp.youtube.com/watch?v=Qm620oszq_4h | 2008.05.30(Fri) 01:39 | URL | No.180566 - 日本人は何事にも真面目だからな。その時代に応じて必要な分野を異常な程に特化させるんだ。戦国の世とあらば骨が削れるほど筋肉が発達した戦闘マシーンみたいな戦士と良質な武器を量産し、太平の世になると社会制度や娯楽の充実した100万都市を築き、明治以降は欧米が数百年かけた近代化を数十年で成し遂げ肩を並べるまでになり、戦後は特需があったとは言え廃墟から数十年で世界第二位の経済大国に返り咲いた。東の果ての資源も無い小さな島でだ。してみると日本人というのはなかなかどうして大したものじゃないか・・・・・・ちょっと褒めすぎか?VIPPERな名無しさん | 2008.05.30(Fri) 02:12 | URL | No.180605
- では今は、少子化と高齢化に歯止めを掛けるべく、エロゲを日々量産している訳だなVIPPERな名無しさん | 2008.05.30(Fri) 03:03 | URL | No.180640
- 模造刀を日本刀で斬る 模造刀が真っ二つに斬れる
日本刀鎬を日本刀で斬る 日本刀は折れない曲がらない
日本刀刃を日本刀で斬る ぶつかった箇所は刃こぼれのみだが根元で折れる
レピアーを日本刀で斬る レピアー粉砕される
ttp://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071213162356.jpg
日本刀を厚みと幅が倍の西洋の剣で斬る 日本刀まるで平気
ttp://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071212175955.jpg
日本刀の凄さは弾が切れるとかそういうことじゃなくてその粘りからくる強度にあり。VIPPERな名無しさん | 2008.05.30(Fri) 03:42 | URL | No.180657 - ※246
日本は昔からエロ大国でもある。
ホモ・ショタ・ロリ・熟女・不倫・婚前交渉・高級娼婦街・高級娼婦の高い地位・売れない娼婦はどん底の地位・妾・店先で堂々と春画が販売、マスターベーションに関して何冊も学問的な書物が出され、
連れ込み茶屋は大繁盛。
ありとあらゆるエロを網羅してる。
そのくせ正室は一人とか、女のポジションも特殊。
夜這いなんて完全にねるとん方式(男はお願いしますと頭を下げるしかない。ゴメンナサイされれば泣きながらすごすご帰る)だし、男尊女卑何だか女性優遇何だかよくわからん制度や風習も多い。
まあ時代によってどれかが突出したりどれかのみ取締りが強まったりってのはあるんだけどおおむね締め付けがゆるかった。
なんか昭和以降急に厳しくなったが…
頭の固さでは世界一のキリスト教なら火あぶり必至だw
VIPPERな名無しさん | 2008.05.30(Fri) 03:59 | URL | No.180665 - 本物の侍の居合いは、鎧ごと敵を斬ることが出来るらしい。
鎧の丈夫さに過信していた外国の戦士は、思いもよらない日本刀の切れ味、そして「戦い=死」で自分を守ることよりも、動きを重要視して鎧を着なかった侍の覚悟の前には到底歯が立たなかったという説がある。VIPPERな名無しさん | 2008.05.30(Fri) 08:41 | URL | No.180742 - 米249
ちょっと観念的過ぎるな。
正確に言うと鎧を着なかったんじゃなくて着てても動けたんだよね。
日本の鎧は全体の重さで見れば西洋鎧よりちょっと軽いぐらいであまり変わらないけど、重さのほとんどが体の中心に集まってるので比較的ダイナミックに動けるんだよ。
古典に出てくる武士の戦いぶりなんかみてもそうだけど数十キロの鎧着たまま味方の肩に手をかけて飛び越えたり、とび蹴りで相手を蹴り倒してから組み伏せたり、投げ飛ばされながら逆に相手を絡め取って脇差で刺し殺したりと、かなり身軽。
現代なんかでも時代物の舞台俳優やスタントマンとかの「やられ役」の人とか鎧着たまま平気で宙返りするしね。まあ鎧も演劇用に軽くしてあるんだろうけど、当時は本物の鎧でもそれぐらい普通にできるやつがいたってことだな。
それと長めの太刀なら鎧の上から攻撃しても、まともに当たれば(必ず切れるかは別にして)大怪我を負わせることぐらいは出来た。
居合術は鎧を斬るとか斬れないとかそういう意味では関係ない。
動きやすさを重要視したのは事実なんだけど思っているより防御は犠牲になって無いよ。
VIPPERな名無しさん | 2008.05.30(Fri) 17:56 | URL | No.181216 - スレの最後に最高の刀は鎌倉時代のもとのあるけど、これって嘘じゃなさそうだな
刀を作るための鋼を作る製法としては、現代の大規模な製鉄技術よりもたたら製鉄のほうが優れているそうな
今でも島根で伝統文化保存の一環として少量ながら生産されているみたいVIPPERな名無しさん | 2008.05.30(Fri) 18:50 | URL | No.181272 - 侍すげー 日本すげーVIPPERな名無しさん | 2008.05.30(Fri) 18:57 | URL | No.181279
- ≫161
一年後に準優勝と言ってるが決勝戦では審判が西洋人にえこひいき
しまくったせいで敗北したらしい。
本当は相手を圧倒しまくっていたとそのとき歴史が動いたでやってた。VIPPERな名無しさん | 2008.05.30(Fri) 21:17 | URL | No.181478 - 侍かっけー
凄い憧れるよな
何か・・・変わるもんだよな
仕方ないとはいえ
VIPPERな名無しさん | 2008.05.31(Sat) 12:28 | URL | No.182458 - 文永の役
高麗史表「十月、金方慶、元の元帥の忽敦・洪茶丘等と与に、日本を征す。
壱岐に至りて戦い敗れ、軍の還らざる者万三千五百余人」
(十月、金方慶、忽敦、洪茶丘らをリーダーとして日本侵略に乗り出す。
壱岐で戦ったが日本軍に敗れてしまった。元軍の被害は一万三千五百人。)
弘安の役
元史日本伝「七日、日本人来り戦い、尽く死し、余のニ、三万は、そのために
虜去せらる。九日、八角島(博多)に至り、尽く蒙古・高麗・漢人を殺し、
新附軍は唐人たりといい、殺さずしてこれを奴とす。・・・十万の衆、還るを
得たる者三人のみ」
(七日、日本人と戦い、元軍は被害甚大。私の配下の兵士2,3万人はこの戦いでことごとく死ぬ。
九日、場所を移しまた戦うが全然勝てない。完全敗北。
以前から日本とは国交があったということで唐人は助命されたが、蒙古、高麗、漢人は容赦なく殺された。
結局10万人の兵士のうち無事に帰還できたのは三人のみだった。)VIPPERな名無しさん | 2008.05.31(Sat) 14:27 | URL | No.182558 - ちょっとズレた話題かもしれんが
戦闘では相手を必ず殺す、絶対に負けない、っていう精神面が重要。
ナポレオンもなんかそんなこと言ってた。
第二次世界大戦中、アメリカの小銃手の発砲率は15~20%だったっていうデータがある。実際に敵に遭遇しても撃てなかったっていう人が80%近くいるわけだ。
これが大砲とか遠距離攻撃になると発砲率は飛躍的に上昇してる。剣とか槍みたいな近接武器は、相手を殺すっていう感覚が生々しいけど、距離が離れると相手の姿も小さく見えるし自分の手に感触も残らないから、心理的にみて殺しやすいってことだな。
…というわけで、近接武器でも強固な精神を持っていた"サムライ"ってのはかなり強かったんじゃないか。
持ってる武器がどれだけ強くても相手を傷つけられなければ意味ないし。VIPPERな名無しさん | 2008.06.01(Sun) 00:27 | URL | No.183205 - ズレるかもしれないけど、サムライって恩賞の「土地」をもらうためだけに身を鍛えてるんだよな。だとしたらすげー執念だ
元を追い払ったのに土地が貰えず幕府滅亡なんて授業では習ったが、なんかどうでもよくなっちまった
街中でサムライからかって首が飛んだ奴とか少なからずいそうだVIPPERな名無しさん | 2008.06.01(Sun) 11:03 | URL | No.183540 - もっと体育で剣道をやるべきだVIPPERな名無しさん | 2008.06.01(Sun) 15:09 | URL | No.183756
- ※257
少なくとも貿易では元寇以降すげー儲かってるんだけどな。
そいういうことって授業じゃやらないんだよね。
土地がもらえず幕府滅亡ってのはかなりいい加減で正直それだけだと説明しきれないんだよね。
応仁の乱で勝ち組になった「反乱分子」側はすべからくお金持ちのほうだったってのとかね。
恩賞で不満があるなら当然貧乏なはずだけど実際は真逆。
幕府が滅亡したのは逆に言えば経済的に完全自立しちゃった各地の国主が幕府の言うこと聞かなくても生活できるようになっちゃったせいかもしれない。
恩賞に不満があるから反抗したのではなくて恩賞がなくてもやっていける力をもってしまったのでもう幕府に従う必要なしとなっていったわけだ。
VIPPERな名無しさん | 2008.06.01(Sun) 18:15 | URL | No.183925 - 既出だが大航海時代頃のヨーロッパはまだそれほどすごくない。
中国やイスラムの方が中心だった。VIPPERな名無しさん | 2008.06.02(Mon) 03:44 | URL | No.184657 - 当時中国はまだ無いけどなVIPPERな名無しさん | 2008.06.02(Mon) 04:26 | URL | No.184674
- しかし刀って扱いすごい難しいよな。
ちゃんと居合勉強してからじゃないと、抜刀の際自分の足切って終了だよね
使いやすさという面では、あまり優秀じゃないんだよな・・・VIPPERな名無しさん | 2008.06.02(Mon) 20:51 | URL | No.185415 - なんだここ。面白すぎる。
そんなすげー荒くれ共を統率して小大名から天下人になった信長とかすげーな。
超天才なんじゃないか。VIPPERな名無しさん | 2008.06.02(Mon) 23:02 | URL | No.185645 - なんでもいいけどさ、元寇に火薬が使われたってのは嘘だぜ。VIPPERな名無しさん | 2008.06.03(Tue) 00:09 | URL | No.185748
- 米262
右足前にしとけば抜刀の際に足を切る事は無い。
だが扱いにくいのは本当。相手に当てる角度間違えるだけで折れることもある。VIPPERな名無しさん | 2008.06.03(Tue) 01:48 | URL | No.185841 - >2
全く見当違い
戦国から太平の江戸時代を通しても、日本全体の常備軍(武士)の多さは際だっている
足軽(徴兵)制度もあったので、これに浪人(傭兵)や対外戦争の折りに出現が予想される工商身分出身の兵(市民兵)も含めるまでもなく当時の日本は軍事超大国。
江戸期でも人口の10%は職業軍人で、それで社会がまわっていた、これは凄まじいこと。
更に言うと、戸籍が確立していたために正確かつ迅速な動員ができること、これはとてもとてもとっても大きな事。
戦争が数の時代にあってその動員数が圧倒的な上、比較的食料生産と輜重にも優れていたし(米と麦の収穫効率を調べれば一目瞭然)
戦術論も戦国期から十分に発展し、先進的戦争に耐えうるだけの柔軟性を見せていた。江戸期に却って退化することもまた事実だが。
これらに対して、外国と比べて馬の質、兵の体格差、戦争習慣(夜襲とは明け方にするもの、とか農耕期は休戦、とか苅田狼藉はする側も嫌う(対外的には焦土作戦がとりにくい)などなどの慣習など)
などなどなどミクロな範囲では色々と不利な面がもう本当に色々とあるが、
それらを持ってしてもあらゆる海外勢力が上記の時代に日本に手を出すことは全く不可能。
まぁだからこそ、当時の列強も技術力差は認識していながらも「戦うには痛い相手だ」と考えたから、力を誇示して開国させる方法を選んだわけで。
長文本当に申し訳ないけれど、最後に二言、これらの戦力を持ってしても海外派兵は息が続かないことと、開国せずにいたらすぐに戦力差が縮まって日本植民地化オワタになっていたことは言っておく。VIPPERな名無しさん | 2008.06.03(Tue) 05:31 | URL | No.185902 - 斬馬刀って野太刀だぞ。室町あたりなら使ってる人普通にいた。
剣心の斬馬刀はなんていうかベルセルク?VIPPERな名無しさん | 2008.06.03(Tue) 11:02 | URL | No.185966 - 262
バカな動かしかたすれば自分が怪我するのは西洋剣だって同じだぞVIPPERな名無しさん | 2008.06.03(Tue) 11:59 | URL | No.185980 - 265
折れる前に曲がる。既出だ。VIPPERな名無しさん | 2008.06.03(Tue) 12:01 | URL | No.185981 - 266
>馬の質、兵の体格差
つ217VIPPERな名無しさん | 2008.06.03(Tue) 12:04 | URL | No.185983 - 265
右足が前だろうと左足が前だろうと
へたなやつや初心者ならいつでも自傷する危険がある。
色んな斬り方があるからね。手打ちのようなことすれば自分が危くなるような斬り方ってのがいくつもある。
当然正しい斬り方ではない斬り方まで含めれば無限に斬り方があることになる。
強くても戦場叩きあげみたいな基礎訓練の無い奴は鎧着て無いと自分が危ない。
刃の通り道を自分の体でふさぐようなことをしないっていうのは当たり前すぎることだけど相手がついたりして周りが見えなくなるとやっちゃう人はついやっちゃうんだよね。
自分の足を切る、抜刀のとき親指を切る、担ぎ技したとき自分の耳をそぐとかっていう事はそういうこと。
教わったとおりのことがまだ出来なかったから怪我をしたということ。
逆にちゃんと形から勉強してればどっちの足が前だろうと「自分に当たることなど全く考えられない」って言う感覚になる。そういう動きしか教わらないんだから。
一度そうなってしまえば何も考えずに振り回しても全然自分に当たらない。
VIPPERな名無しさん | 2008.06.03(Tue) 12:37 | URL | No.185994 - 262
フレイルのような節のある武器に比べたら日本刀の安全性と扱いやすさは際立っている。
片手でしか操作できない西洋片手剣と比べても両手で扱う日本刀のほうが最終的には安全。
むしろ西洋の剣術だと自分の体を危険に晒すような攻撃法がいっぱいある。
そういう技はどれほど上手になっても危険。
どうせ実戦では鎧を着てるんだし気にするなよというのが西洋人の一般的な剣術。そうではない緻密なものもあったらしいが現存して無い。
素人は何を使っても危ないんだから素人同士で扱いやすさを比べてもあまり意味は無い。VIPPERな名無しさん | 2008.06.03(Tue) 12:51 | URL | No.186000 - 266
開国せずにいたら云々というのはそう単純な話ではないよね。
開国というと今までは鎖国してたから閉鎖的というようなイメージだが実際のところ鎖国という状態は当時それほど閉鎖的なものでも無い。鎖国という言葉自体あとづけだしね。
単に付き合う相手を選ぶという当たり前の状態。制限貿易なんてどこの国でもやっている。先進国かそうでは無いかの基準にはならない。
「開国」を迫ったお歴々だって自分のところは制限貿易している。
それをまあ新参者のアメリカが割り込みを仕掛けるために「開国」を迫り、それに国内の現体制に不満のある連中が乗っかったために「開国」となった。
ここで言うような対アメリカ「開国」が仮になかったとしても、もともと最初から開いているのだからそれほどの違いは無い。
海外の技術を吸収するためのパイプはとっくに持っている。
おなじ列強といっても既に日本とコネクションをもっていたほうの列強はむしろ「開国」してほしくなかったっていう側面もある。
そういう国もまた最新技術をちらつかせてアメ公なんかほっといて俺たちと上手くやっていこうぜということを言っている。
どっちに転んでも列強から技術提供は受けられるしどっちに転んでも列強のどこかとしこりが残る状態だったので、「開国」が必ずしも唯一の正解だったとはいえない。VIPPERな名無しさん | 2008.06.03(Tue) 13:20 | URL | No.186010 - 鎖国中のヨーロッパの相手はオランダだけだったが、開国してからは、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、といろんな国相手から技術を学べたから、やはり開国して正解だったと思う。
さらに言うと、開国していなかったら、明治維新が起こる可能性は低かったと思う。仮に多少の技術を輸入できたとしても明治政府のような近代的中央集権体制をとらずに、徳川幕府のような政治体制のままだったら、遅かれ早かれ欧米の植民地になっていた可能性が高いと思う。
まあ、「徳川幕府」として開国が正しかったかはともかく、「日本」としては開国は正しかったと思うよ。VIPPERな名無しさん | 2008.06.03(Tue) 15:44 | URL | No.186069 - まあ倒幕派を悪者にしちゃいけないような空気ってあるよねVIPPERな名無しさん | 2008.06.03(Tue) 17:30 | URL | No.186133
- イギリスやスペインは別に日本が追い出したわけじゃないので、別に開国に関係なく付き合いたければ付き合えたわけだが
イギリスはオランダに蹴落とされただけだしスペインはメキシコ植民地の鉱山経営のほうに集中したかっただけ。それらはいわゆる「鎖国」と呼ばれる布教問題から来る入国制限以前に起こったこと。
ポルトガルも途中で撤退するがそれも日本の「鎖国」とやらとは関係ない。
単に貿易より植民地経営に方針転換しただけ。
結局向こうの都合だよ。
ヨーロッパ同士で日本利権をめぐって覇権争いや足の引っ張り合いがあったのは事実だしそれぞれの国についていた邦人勢力同士でも他国派勢力への妨害や牽制があったのは事実だが日本全体としては「鎖国」なんて呼べるほどの閉鎖性は無いよ。布教さえしなきゃ全然ウェルカム。
ヨーロッパが長らく日本をほうっておいたのは単に遠かったから。
これはなぜかというと当時の航海術では彼らは日本へダイレクトに来るわけにはいかなかった。それだと採算が取れないからね。日本へ来る船は途中で「明」なども巡った上で「日本にも」来る。ところがこの明が滅び「清」になると奴らはそれこそ「鎖国」しちまった。中国で稼げなくなったヨーロッパ人は中国を経由して日本へという方策をとれなくなった。だからほっとかれただけ。
オランダは中国を経由しなくても南アフリカがあるから普通に日本にこれる。
アヘン戦争で中国が負けたことによってようやく中国へ行くメリットがヨーロッパに復活した。だからアメリカとの「開国」がなくてもいずれ日本と貿易を再開する他のヨーロッパの国は出てきただろうね。最初から閉じて無いんだし。
アメリカは単に日本近海で鯨の乱獲がしたかっただけ。
鯨油利権のためになりふりかまわず「開国」とやらを迫った。
日本へのコネも知名度もなかったアメリカは手っ取り早く武力を背景に自国と日本の不平等な国交を求めただけの話。
薩長はそれを倒幕に利用し、アメリカもまたそういう勢力を利用。
成功すればお互いにウハウハだからね。VIPPERな名無しさん | 2008.06.03(Tue) 18:09 | URL | No.186175 - 米273
制限貿易が云々とか、どこもやってるとか、そんな言葉遊びで話を混ぜ返さないでください
アメリカが軍艦を引き連れて、現実的な脅威として出現した。この現実を前にして
一時的な延命策に過ぎない鎖国継続で国家百年の計がなると考えるのは愚かしい。
ほぼ独立自尊でやって行けたところにあるとき一方から脅威が現れたからといってもう一方を「脅威に対抗する存在」と頼らざるを得なくなる…開国さえすればどちらとも付き合っていくことが出来るのに、無碍に敵と味方に分けてしまうのは外交の敗北以外の何ものでもない。VIPPERな名無しさん | 2008.06.03(Tue) 21:46 | URL | No.186530 - 米276さんへ
米274を書いた者です。新しい意見で興味深く読ませていただきましたが、少し疑問に思うこともあります。
まず、鎖国についてですが、最初の目的はキリスト教の流入の阻止でしたが、次第に外国そのものの排斥に移っていったように思えます。
鎖国中は、通商国のオランダであっても長崎の出島という非常に限定された窓口しかなかったのに対し、開国後は日本各地の港が開かれた事からも「鎖国」と「開国」の差は大きかったと思います。
他にも、中国の鎖国関連についてはあまり詳しくないので控えますが、南アフリカ~というより多分蘭印~を経由したオランダが採算が取れるならインドを持つイギリスやフィリピンを持つスペイン、仏領インドシナを持つフランスなどいくらでも相手に出来たように思えます。
事実、ペリー以前にも開国を求める使節は来ていたと聞いたことがあります(幕府は全て断りましたが)。
結果的に見て、欧米との差が決定的になる前に、脅されてとはいえ開国して近代化できたのは幸運だったと思います。
VIPPERな名無しさん | 2008.06.03(Tue) 23:06 | URL | No.186689 -
幕末厨うぜえ
よそでやれ
VIPPERな名無しさん | 2008.06.04(Wed) 00:44 | URL | No.186823 - 侍(これは日本兵にも言えることだけど)が強いってのはその精神力のことだろ?絶対負けるって分かってても戦い、死を恐れない。日本兵が強かったのもその精神力、死体を食ってでも生き延び、弾がなくなれば竹やりでも戦った。VIPPERな名無しさん | 2008.06.04(Wed) 13:32 | URL | No.187156
- ※81
法神先生なら…法神先生ならきっとなんとかしてくれる
楳本法神
うめもとほうしん
法神流の流祖
上州赤城山麓に棲み、医術・農法に長け、その身の軽さと人当たりのよさから
土地の農民には「天狗さま」と呼ばれ親しまれていた。
法神流を興し多くの弟子を育てる。
他流試合を拒まなかったが、決して血を流さず、
技前と人柄からか戦ったものはこぞって教えを乞うたという。
法神は非常に身体能力に優れていた逸話が多く、
ちょっとした小屋ならあっというまに飛び越えたといわれることから
パルクールのような技術を持っていたようだ。
出身地 :加賀国
生年 :17??
没年 :1830
師匠 :上泉伊勢守
経験流派:新陰流VIPPERな名無しさん | 2008.06.04(Wed) 16:10 | URL | No.187343 - 開国しない日本に少しでも幻想を持つ者は死ね
確かに世界に日本しか存在しなかったならば鎖国継続も可能だが
現実には存在した欧米列強を前にして、現実逃避な鎖国を続けたところですぐに圧殺される。
その頃には対抗する力も交渉する力も残っていないっていう最悪の結末で。
つまり、鎖国信者は国の舵取りを誤らせるような考えしか出来ない奴。
後知恵の優位があるのに誤った結論を出せるような最悪の馬鹿。死んだ方がマシ。
とまぁこうでも言って現実を教えてやらんと幕末厨は収まらんVIPPERな名無しさん | 2008.06.04(Wed) 17:30 | URL | No.187452 - 282
おまえも同じ幕末厨だよ
いっしょに消えろVIPPERな名無しさん | 2008.06.05(Thu) 01:47 | URL | No.188200 - みんな口が悪すぎるよ。
敬語使えとは言わんが相手を不快にさせないような文章にするのはマナーだろうに・・・VIPPERな名無しさん | 2008.06.05(Thu) 01:56 | URL | No.188207 -
長刀、此レ倭中国ヲ犯スヨリ始テ之有リ
[日本海賊が中国に攻めてきたときに初めて我々は長い日本刀の力を知った]
彼ラ是ヲ持チテ跳躍光閃シテ前ニ進メバ我兵ハ己ニ気ヲ奪ワレルノミ。
[彼らが日本刀を使って稲妻のように早く攻め込んでくると我ら中国の兵は集中を乱し混乱するのみだった]
倭ハ躍ヲ善クシ、一度足ヲ逆エバ別チ丈余、刀長五尺ニテ、則一丈五尺ナリ。
[日本人はフットワークが巧みで一息で1丈も飛び込んでくる。彼らの日本刀の刀身は五尺あるので一丈五尺も先から斬り込まれる事になる]
我ガ短兵器ハ接シ難ク長器ハ捷ナラズ、身多ク両断ス。
[我々の武器のうち剣などの短めの武器では日本人には近づくことが難く槍などの長柄武器では遅すぎて日本人のスピードに付いていけない、我々の多くが両断されて死んだ。]VIPPERな名無しさん | 2008.06.05(Thu) 02:39 | URL | No.188228 -
VIPPERな名無しさん | 2008.06.05(Thu) 15:37 | URL | No.188621
- 武士や日本刀、剣道も朝鮮半島がルーツ?
日本起源のものを韓国側が自国がルーツと主張し、庇を借りて母屋を取るようなことが繰り返されている、というのだ。これを「ウリジナル」と言うそうだ。世界中の様々な物、事の起源は全て朝鮮半島にあるいう「ウリナラ(我々の)」と「オリジナル」を足した造語だ。
こうした主張は、(1)武士や日本刀、剣道も朝鮮半島がルーツ(2)日本の桜ソメイヨシノも韓国済州島から伝わった(3)「日本の多くの神社は韓半島の祖神を祭神としている」(中央日報電子版06年1月2日付け)など、数えればキリがない。また、日本以外の「ウリジナル」では、サッカーの起源は朝鮮半島、イギリス人の先祖は韓国人、などといったものもある。
「ウソであっても、正しいという主張を繰り返せば、海外の人はウソを信じてしまうわけです」
そのため、様々なものが韓国に「乗っ取られる」危険が出ているのだと言う。しょう油業界も何が正しいのかを直接、またはホームページなどを使って英語で世界に向けて主張しなければならない。
大礒さんはそうアドバイスする。
http://www.j-cast.com/2008/06/05021320.html
おいおいまた始まったよ韓国VIPPERな名無しさん | 2008.06.06(Fri) 00:37 | URL | No.189444 - てゆうか日本の昔の馬が小さいとかそういうデマってじつはそっくり朝鮮半島の実情じゃん
それこそ朝鮮半島で使われてた軍馬は子供の背丈ぐらいしかないと言われていたわけだしVIPPERな名無しさん | 2008.06.06(Fri) 13:13 | URL | No.189845 - 鎌倉時代から既になになに流とか流派がたくさんあった。
つまり同じ戦うという事に関していろいろな人がいろいろな方向で研究していたって事だな
同じ武器なら誰が使っても同じっていう感じじゃなく
同じ武器でも工夫次第でもっと効率よくもっと相手の裏をかくようにみたいな工夫をはるか昔からやっていたところが武士の強み。VIPPERな名無しさん | 2008.06.07(Sat) 15:00 | URL | No.191028 - 米>>222
お前はなんの予備知識もない世界の専門用語を使われて理解できるのか?VIPPERな名無しさん | 2008.06.08(Sun) 23:49 | URL | No.192857 - 抜刀術って実際あったの?VIPPERな名無しさん | 2008.06.09(Mon) 00:05 | URL | No.192886
- 実際 高身長で筋肉のつきもいい白人に勝てる気がしない
当時の日本人と白人の身長差は今以上なんだから 侍でも多少ビビるだろwVIPPERな名無しさん | 2008.06.09(Mon) 00:08 | URL | No.192892 - 念流なんてえらい古いものな。鹿島、香取とかも。
古い流派がそのまま残ってるなんて多くの人は知らないだろうけど。
なんでも「道」にしたがるんだろう。日本人は。
フェンシングはボクシングと同じで「技術」。
西部劇は「道」にはなりえない。銃弾はかわせないから。
フェンシングも西部劇も手っ取り早すぎて道になりにくいのさ。
日本の場合刀が先にあって、
その中で漸近線のように極めてゆくんだねえ。
あと、農耕か狩猟か。そのあたりの文化も背景にある。VIPPERな名無しさん | 2008.06.09(Mon) 00:11 | URL | No.192899 - 抜刀術はもちろんあったさ。
いろんな流派あるから調べてみ。
実際速いよ。想像するよりも。
ただね、飛天御剣流は実際無理。虎眼流もほぼ無理。VIPPERな名無しさん | 2008.06.09(Mon) 00:16 | URL | No.192907 - 米294
なるほど調べてみるよ
ありがと
さすがに飛天御剣流とかは創作だと思ってるよVIPPERな名無しさん | 2008.06.09(Mon) 00:42 | URL | No.192940 - ペンは自動小銃より弱しVIPPERな名無しさん | 2008.06.09(Mon) 01:03 | URL | No.192965
- ※292
当時の白人は今より小さいよ
ここでも度々書かれてるVIPPERな名無しさん | 2008.06.09(Mon) 15:34 | URL | No.193398 - ※293
農耕や狩猟より大規模な牧畜文化のあるなしの差がおおきいと最近では言われてるらしいVIPPERな名無しさん | 2008.06.09(Mon) 15:39 | URL | No.193401 - たとえば旧ドイツ(プロイセン)の巨人連隊では180センチ以上の大男が全く集まらず、結局頭数をそろえるために知的障害者まで動員。それでも足らず、他国でもデカイ男がいれば誘拐までする始末。
もともとゲルマンは中世ヨーロッパの中ではトップクラスに体が大きい。その大柄なゲルマンの国ですら昔は180センチ以上はまともな方法では集まらない数字だったわけ。
一方東国の武士の場合大将の周囲を固める親衛隊的な部隊で力士隊と言うのを組織する例があってこの場合特に規定があるわけではないけど
5尺8寸から6尺は普通で、体重も30貫程度らしい。
174~183センチで体重90キロが普通の集団って言ったら、まあ巨漢の集まりといっていいよね。
こいつらに馬鹿でかい弓もたせたり馬鹿でかい太刀持たせたりしていた。
バルト海に面した広大な土地でも足らずヨーロッパ全土から(日本全土より当然広い)かき集めても集まらない体格の人間を日本では(全国どこでも可能だったわけではないが)一地方の大名がまっとうな手段だけで揃えられる。
もちろん集める規模が違うかもしれないが要するにそれぐらい昔の西洋人は華奢な体格が普通だったって事。
VIPPERな名無しさん | 2008.06.09(Mon) 16:39 | URL | No.193498 - ※298
アバウトに、
農耕=凄い瞬発力いらない、効率的な体の使い方、地味、
⇒相対的な速さ、動きの起りを無くす、自重を利用する武術
狩猟=瞬発力勝負、筋肉、派手
⇒絶対的な速さ 、瞬発力を重視する
みたいな文章を読んだ覚えがあるけど、牧畜を主軸に据えると違ってくるのかな?
まあ日本武術につながるのは農耕文化だってのは間違いないような気がするけどね。刀を振り下ろす動きなんて、鍬を振り下ろす動きとまさに相似する。
あと文化的な要因、関連性で主に注目すべきなのは、舞踊と建築だろうな。
日本舞踊は動きと意識が下に向う。バレエは上に上に。
日本建築は削ってゆく美意識。西洋建築は足してゆく美意識。
文化は全部つながっていて、すべて相似形だ。
ここまでくると、サムライが強いかどうかとは関係ないけど。VIPPERな名無しさん | 2008.06.09(Mon) 18:07 | URL | No.193664 - 「ヨーロッパ人の肉体は繊弱なので、治癒が非常に遅い。
日本人の肉体は頑健なので重傷、骨折および災厄からも、
われわれ以上に見事に、しかも一層速やかに快復する。」
ルイスフロイスVIPPERな名無しさん | 2008.06.10(Tue) 02:17 | URL | No.194710 - どこで拾ったか忘れたけど以下コピペ
欧米人からすると、中華文明は自分達の西側文明の反対にある東の確立した文明ということで、
対比させやすく理解しやすい。
表面は違えど、根底は同じ土台を持っている。
それは牧畜文化圏の住人同士の考え方だと思う。
自分の利をどこまでも追い求める。他者を信用しない。
ところがこれが日本だと、西でもなければ東でもない。
ミツバチのように組織に埋没しているかと思うと、実際そうでもない。
欧米人は、個性を重んじる欧米とその反対の日本、と思い込みたいのだが
ところが日本人は欧米人以上に個人を好む癖もある。
箸やお椀は必ず自分専用のものがある。
中国を理解したような単純なる対比で日本を捉えようとすると、いつも日本はその手からするりと零れ落ちる。
一筋縄ではいかないところが欧米人が混乱する。理解しがたい。
それは日本人が牧畜文化を継承していない、稀有な先進国だからだ。
根底となる考え方が違う。
農耕民族と騎馬民族、或いは農耕民族と狩猟民族という区分けは正確ではない。
西欧も古くからの農耕社会だからだ。
両者を分ける決定的なもの、それは牧畜文化だ。
これを継承している国は、そうでない国を攻め滅ぼしてきた。
牧畜文化を継承せずに生き残っている国は多くは辺境にいただけで、
結局は風前の灯である。
日本を除いて。
なぜか日本だけは牧畜文化を継承していないにもかかわらず、攻め滅ぼされることも無く
それどころか古代から多大な人口を抱える大国であり続けた。VIPPERな名無しさん | 2008.06.10(Tue) 11:43 | URL | No.194924 - こりゃ良スレだなあ。
趣旨もほとんどずれない議論、いいですねえ。VIPPERな名無しさん | 2008.06.11(Wed) 14:14 | URL | No.196328 - つまり、
東洋VS西洋とか
農耕VS牧畜じゃなくて
世界的にも珍しく牧畜文化が素地に無い日本と、それ以外
という形で対比させた方が有意義じゃないかと。
牧畜文化を継承せずに生き残っている国はほとんど日本だけって書いてあるから、
実質的には「日本が独特」論だよね。
確かに、中国と日本って全く一緒に論じられないんだよね。東洋西洋枠では捉えにくい。
それにヨーロッパも農耕文化があるし、日本にも狩猟文化があるだろ?ってのも疑問としてあったからね。農耕狩猟枠もツッコミどころはありそう。
ただ、牧畜VS非牧畜の対比は
文化論(身体論含)としてどんな形につながるのか。面白い。VIPPERな名無しさん | 2008.06.11(Wed) 23:53 | URL | No.197125 - 昔の白人が小さいといわれても 日本人はさらに小さくて江戸時代でさえ平均150ちょっとだぞw
たぶん今以上に白人との体格差あったと思う
悲しいけど武器ふりまわすなら筋肉とリーチがあるほうが圧倒的有利だし
でもアジアでは最強と信じたい
VIPPERな名無しさん | 2008.06.13(Fri) 19:59 | URL | No.199202 - そういや居合抜きって曲芸かなんかじゃなかったか?
ついでに居合いの居は座るをあらわしてるから、立ってやるのは立居合いと言うべきってのは細かすぎるかな
先の方に鎧とかの装備を踏まえた話があるけど、戦国時代で鎧着て戦争をしてた強者が無名の剣術家に試合でやられるってこともままあったらしいから、素肌剣術と分けて考えるのもアリなんじゃないか?VIPPERな名無しさん | 2008.06.13(Fri) 22:48 | URL | No.199442 - 確かに「居合抜き」は大道芸
武術の場合「居合」というので注意
戦国時代の剣術と江戸期の剣術を分けてみるのはありだと思う
多分、戦国期の剣術だと胴鎧をつけてるから胴払いは重要視されてない
鎧の隙間を狙う術体系だったのではと思う
竹刀が工夫される前と後で分けてみるのもいいかと思うVIPPERな名無しさん | 2008.06.13(Fri) 23:50 | URL | No.199575 - 江戸期より鎌倉期のほyが日本人は大きいVIPPERな名無しさん | 2008.06.14(Sat) 03:48 | URL | No.199929
- ~伏縄目の鎧に三鍬形打たる甲を猪頚に著なし、
小跳して片手打の払切に切て上りけるに、
太刀の歯に当る敵は、どう中諸膝かけて落され、
太刀の峯に当る兵は、或は中にづんど打上られ、
或尻居にどうど打倒されて、血を吐てこそ死にけれ。
両陣已に破し後、兵皆乱て、惣大将の御勢と一所にならんと、
崩れ落て引ける間、伊田・波多野の者共、「余すな洩すな。」と喚き叫で追懸たり。~
~と云侭に、四尺余の大長刀水車に廻して、跳懸々々火を散してぞ切たりける。
是を打取らんと相近付ける武士共、多く馬の足を被薙、冑の鉢を被破て被討にけり。~
米307
鎌倉、南北朝時代とも普通に胴打使ってる
例文だと胴や膝、馬の足や兜の上からも斬ってるね
あと意外と目立つ表現が馬で対面したとき少しすり抜けた状態で斜め後ろに向かって打ち下ろし相手の斜め後ろ胴(原文で言うと總角にたたきつけるとある、あげまきといって胴背のパーツ)に太刀をたたきつけるっていうやつ
胴でも頭でも鎧のうえから太刀をたたきつけてる描写が多い
鎧を着て戦うとき最初から鎧の隙間しか狙わないようなことやっても
そんな攻撃バレバレでいつまでも当たらない
たしかに鎧の上から攻撃してもそう簡単に致命傷は与えられないが流れは取れる
体勢を崩し流れを引き寄せることにはとても重要で鎧の隙間を突くとかそういうのはその後の話
しかしまあそういうまどろっこしいことを嫌って南北朝時代では鎧の上からでも致命傷を与えられるように太刀がどんどん巨大化していくんだけどね
もちろん出来ることならいきなり隙間を狙いたいと思ってただろう事は確かで
下から股間をいきなり切り払うというのは良くあったらしい
これは隙間狙うといってもいいのかもしれない
どのみち隙間を狙う体系というのは甲冑組討じゃないかぎりそうそう聞かない
甲冑組討にしても最初はいかに脇をあげさせるかとか転がすかとか固めて動けなくするかっていう鎧の隙間を突くための前哨戦があるわけだしVIPPERな名無しさん | 2008.06.14(Sat) 04:23 | URL | No.199942 - 戦争に関しては、中世西洋の一般の戦ってのは日本以上に形式化されてたって話もあるよ
更に、ちょっと旗色悪くなったらすぐ逃げる上、騎士が捕らえられても殺されることはまずないので諦めるのが早かったとか
専門家である傭兵も、自国の町や村を襲いまくるぐらいで、病や飢えとあわせて人口がなかなか増えなかった
傭兵が自国襲ってるのを貴族が掣肘できなかったって時点で騎士の実力ってのは結構しれてると思う
>>244
いくらまともな刃物でも装甲車撃ちぬくような砲といって良いくらいの銃弾に複数発耐えるのは無理だよ
そもそも44とじゃ弾丸の質量がぜんぜん違う
>>299
当時の東西の食糧事情考えたら日本人の体格は多分よかっただろうね
米と麦の収穫率の差はみんなが思ってるよりずっと大きい
中世アジアと西洋の人口差はこの差のせいってのもある
つか、現代でも平均身長の差ってのは実は思ったよりないんだよね
背の高いオランダ人は除いて、日本人男子173センチぐらいで西洋人176センチってとこだそうだ
女性でもおよそ3センチ程度の差だってさ
ちなみに、関係ないけど体重のほうはとんでもなく差があるw
アメリカ人女性平均は165センチで74キロ前後VIPPERな名無しさん | 2008.06.14(Sat) 05:12 | URL | No.199962 - ※305
>リーグニッツの戦いで、重装甲の騎士がひしめくヨーロッパ連合軍はたった3万の元軍に大敗。
>二度の元寇で、日本の鎌倉武士達は合計17万(一回目三万三千、二回目14万)の元軍を撃退。
>
>はい、歴史ではそういう結果になっております。
>
>武士>元>騎士VIPPERな名無しさん | 2008.06.14(Sat) 07:08 | URL | No.200002 - ※264
最近見つかってない?
海底から火薬の詰まった鉄球が。
ナショジオかディスカバリーの番組でみたような気が・・・
あれっ?なんで錆びなかったんだ?勘違いだったらスマソ。
VIPPERな名無しさん | 2008.06.14(Sat) 08:07 | URL | No.200017 - イギリスで少し暮らしたことがあるけどイギリス人の一般的な身長は日本人とそう変わらないと思う
ただ日本より身長が高い人が多いのは本当
みんな高い訳じゃない
あと、1800年代のイギリス人の服とか見ると結構小さい
165~175cmぐらいだったVIPPERな名無しさん | 2008.06.14(Sat) 09:52 | URL | No.200065 - 100年戦争のころのフランス人も150そこそこだったってねVIPPERな名無しさん | 2008.06.14(Sat) 16:10 | URL | No.200324
- 刀なんて一回斬ったら血のりを拭くまで使えない
元軍撃退って、撃退したのは台風でしょ?
サーベル持ったヨーロッパ騎士に勝てるわけないVIPPERな名無しさん | 2008.06.14(Sat) 16:27 | URL | No.200330 - 台風説を未だに信じてるのかVIPPERな名無しさん | 2008.06.14(Sat) 20:39 | URL | No.200629
- 米309
そうなのか
まあ鎧つけてても当然痛いわけだし、体勢も崩れるし、効果はあるんだな
巨大な太刀といえば、長巻は槍に対向できるくらい強かったというのを聞いた事がある
甲冑組討は柔術につながっていったんだろうねVIPPERな名無しさん | 2008.06.15(Sun) 00:59 | URL | No.200868 - 米316
多分315は台風が関係ない事を知ってて蒸し返してるだけだなw
武士圧勝だった資料も刀が数回斬ったぐらいじゃどうということもないことに関しての話も
ここでさんざん既出だから知らないはず無いしね
かわいそうだからほっとけVIPPERな名無しさん | 2008.06.15(Sun) 03:26 | URL | No.201050 - 人間の方はともかく日本刀すげーなVIPPERな名無しさん | 2008.06.15(Sun) 06:33 | URL | No.201100
- ※315
刀に血のりが付いて使えなくなるような状況kwsk
ど こ で 使 っ て き たVIPPERな名無しさん | 2008.06.15(Sun) 10:44 | URL | No.201190 - <#`д´> 要点は何なの!要点は何なの!
A 文永の役(第1次侵攻):退却を決定して逃げている最中に遭難
B 弘安の役(第2次侵攻):6月上旬から約3ヶ月上陸を阻止され漂流、ついに遭難
というわけで、韓国人は「元寇は台風おかげさまで失敗しましたね。キルキルキル」
とか言ってますが、高麗軍は台風に関係なく、2回ともごく普通に負けております。
宜しいでしょうか?自国の歴史書の内容くらい良く覚えておいてくださいね。
( ´H`)y-~~
そこで一曲「高麗船」
波の間に高麗人が
やたらたくさん溺れてる
高麗船は親父の形見
型は古いし時化にも弱い
俺とアニキのよ
夢の棺桶さ
たった一人のフビライさんに
楽な暮らしをさせたくて
高麗船は嵐の海で
なにもしないでそのまま沈む
熱い火_病じゃよ
水に浮かないぜ
【神風なしでも】高麗史を読む【超楽勝】
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1832978VIPPERな名無しさん | 2008.06.15(Sun) 11:59 | URL | No.201229 -
VIPPERな名無しさん | 2008.06.15(Sun) 14:08 | URL | No.201374
- 栗山はええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええVIPPERな名無しさん | 2008.06.15(Sun) 14:12 | URL | No.201385
- ところでさ、
剣術は剣道よりも凄いのだカカカカ――みたいなのは嘘っぱちだとおもうけど、
(あれだけ反射的に動けるのが凄くないわけなしな!)
多くの剣道家が巻き藁もまともに斬れないだろう、ってのもどうかと思う。
型稽古だけでは不十分だし、竹刀だけってのもね。何かいい練習方は無いのかね?VIPPERな名無しさん | 2008.06.15(Sun) 15:39 | URL | No.201531 - 剣道が凄くないのではなく剣術が更に凄いだけVIPPERな名無しさん | 2008.06.15(Sun) 16:00 | URL | No.201553
- ヨーロッパと武士の比較では日本を貶めることが出来ないとなったら今度はスポーツ剣道と過去の剣術を比較して過去の日本を貶めようとする
わかりますVIPPERな名無しさん | 2008.06.15(Sun) 16:03 | URL | No.201556 - 徳川家康 157
徳川吉宗 183
豊臣秀吉 158
豊臣秀頼 197
織田信長 168
前田利家 183
加藤清正 161
藤堂高虎 190
伊達政宗 160
宮本武蔵 180
大久保利通 183
西郷隆盛 178
佐久間象山 186
武市半平太 183
山岡鉄舟 187
ばらつきはあるけど十分な体格だと思うVIPPERな名無しさん | 2008.06.15(Sun) 17:18 | URL | No.201599 - 元寇のあった同時代に「サーベルもった」騎士なんていないけどねVIPPERな名無しさん | 2008.06.16(Mon) 02:48 | URL | No.202400
- ここ見てて思ったけど、中世の日本って
ガッツみたいなのが普通に歩いてそうな印象になってきたwVIPPERな名無しさん | 2008.06.16(Mon) 16:31 | URL | No.202703 - 米329
おいおいw
洋の東西問わず、一般的な刀剣は重さ2kgぐらい。
ブロードソードも打刀もね。
たま~にデカイ武器を扱える奴がいると、珍しいから記録に残るだけ。
当たり前の事はいちいち記録しないからね。
その他の99.99%を忘れちゃいかんし、わずかな豪傑で戦局は
変わらないから。VIPPERな名無しさん | 2008.06.17(Tue) 14:41 | URL | No.203589 - 米311
リーグニッツの頃のヨーロッパの主な防具はチェインメイル。
その頃の西洋の戦は白兵武器で打ち合って負けたら降参して
身代金払って返ってくるてなもんだ。
元軍は騎馬+短弓。
機動力で距離を保って矢を降らせる。
プレートアーマーならともかく、チェインメイルではほとんど防げない。
当然、大敗します。
日本は長弓が主武器で、鎧も矢を防ぐようにできていた。
相手の元寇は渡海のために十分な馬が運べず、短弓歩兵。
機動力の無い短弓なら、当時の日本武士にはむしろ組みし易い相手。VIPPERな名無しさん | 2008.06.17(Tue) 14:50 | URL | No.203592 - 大元になってからは渡航とか関係なく元軍の主力は短弓歩兵| 2008.06.17(Tue) 16:05 | URL | No.203637
- ※329
逆にヨーロッパ騎士はリッケルトに見えてきたなVIPPERな名無しさん | 2008.06.17(Tue) 16:08 | URL | No.203638 - 米330
そう、刀って一般に思われてるほど重量ないんだよね。
刀身だけなら大刀でも1キロ代前半。
脇差なら数百グラム。
垂直に立てて持てば小学生でも持てる。
まあ、自在に操るのは大変なんだけど。VIPPERな名無しさん | 2008.06.17(Tue) 17:57 | URL | No.203719 - まあアジア圏へ陸路で派遣された元軍は日本以外はたいした規模じゃないからな
派遣された騎馬の絶対数では他のときとくらべて日本への派兵のときのほうが騎馬の数は多かった
ただそれ以上に歩兵が多かったから相対的比率では騎馬は少ないし日本で騎馬を中心にした戦いがあまりなかったこともまあ事実
そもそもろくに上陸できてないからな
元が日本で騎馬を使えたのは福岡平野での戦いぐらい
このときは午前中は優勢だったがすぐに巻き返され、海上へ追い払われたあげく大将の劉復享が重傷を負うという負けっぷり
もう一方の赤坂での戦いでの元軍は高麗兵で構成された歩兵でこっちは5分の一以下の武士団に追い払われてるVIPPERな名無しさん | 2008.06.17(Tue) 18:30 | URL | No.203742 - ヨーロッパにも長さ2メートルを超える剣とか残されてるよ。
剣と呼べるかどうか分からんが、柄が端にあるから剣だろうwみたいな
鈍器のお化けみたいなのが。
ドイツではツヴァイハンダー部隊で槍衾に斬り込もうと、両手剣の
剣術体系が編み出されたりしてたし・・・
※266
戦争時の最大動員力は人口の10%ぐらいとよくいうけど、
江戸時代の武士の割合ってのは武士の家族込みだから
兵力としては4分の1ぐらいのものだろう。
あと戦国期の戦術は残念ながら縦隊戦術の域を出ていない。
農民動員型だから仕方無いけど。
江戸の軍学はその枠の中で机上の空論に向かっていくし。
幕末に必死に近代化に取り組まないといけないわけだよ。
海に囲まれていて人口が多いだけで手強いには違いないけどね。
戦国期だったら、2000万人ぐらいの人口とすれば同時期の
フランスと同じぐらいのはず。
これが海に囲まれていたら、確かに誰も落とせない。
落とせるとすれば、宣教師の布教活動→一斉蜂起パターンだけ。
そりゃ秀吉もキリスト教を禁じるなw
鉄砲保有世界一とも言うけど、1503年のチェリニョーラの戦いに
ゴンサロ・デ・コルドバ(スペイン)が2000挺の鉄砲を投入してた
ぐらいだから、どんなもんなんだろうねえ・・・VIPPERな名無しさん | 2008.06.17(Tue) 18:31 | URL | No.203743 - 『高麗史』によれば、博多に上陸して一日で副将は大怪我するわ
矢は尽きるわ・・・
って弓矢主力なのに一日で矢が尽きるって・・・
ギャグか?VIPPERな名無しさん | 2008.06.17(Tue) 18:35 | URL | No.203746 - 336
時系列を整理してみ?
日本で鉄砲が生産されはじめたのは1543年から。
日本が鉄砲保有数世界一になったのは1600年代からじゃないの?
VIPPERな名無しさん | 2008.06.17(Tue) 18:43 | URL | No.203749 - ※337
対馬で無駄に一週間も島民虐殺してるからそこで矢を消耗しすぎたんだろうね
何の武装もして無い平民相手には滅法強かった元wVIPPERな名無しさん | 2008.06.17(Tue) 18:47 | URL | No.203753 - ドイツ剣術の生まれるはるか以前から中国槍を両手剣で粉砕していた日本恐るべしVIPPERな名無しさん | 2008.06.17(Tue) 18:49 | URL | No.203756
- 何十年単位の出遅れって取り戻せるかな・・・・?
向こうはその間も生産を続けているのに。
スペインの5倍の保有数とかオスマントルコの何倍とか
世界の半分は日本とか、そういう表現がどうにも納得できんのよ。
それなら朝鮮出兵も明(火縄銃所有)が出てきても楽勝じゃない?とかさ。
フランス重騎兵みたいな突撃戦力も無いしなあ。
軍役に従い動員された歩騎混成小隊が寄り集まって部隊を編成という
実像から考えると、小回りは利くけど抜きん出た一芸には乏しいという
気もする。(決して強いとか弱いではなく)VIPPERな名無しさん | 2008.06.17(Tue) 18:51 | URL | No.203757 - ドイツのツヴァイハンダーは2m弱だから、太刀や打刀を両手で構えて
両手剣と称すると定義や感覚がズレる気もするな。VIPPERな名無しさん | 2008.06.17(Tue) 18:58 | URL | No.203761 - 2mの剣なんて実際どうやって使うんだろうな?
此方が刀持ってるのなら、あまり恐く感じないけど。
やっぱり突きかな?
突きは少し厄介そうだな。
重いからハタいてもずれずに刺さりそう。VIPPERな名無しさん | 2008.06.17(Tue) 20:17 | URL | No.203807 - 南北朝時代の太刀は3尺半がデフォルトだけどね
この時代の現存してる太刀もみな長太刀磨上だし
もっと長い四尺もの五尺ものもある
吉備津神社に奉納されてる長船なんかは刃渡り2267mm、中子の長さも1510mmでもうなにがなんだかよくわからんサイズ。
七尺だぜwガッツどころじゃない。
これ奉納用に作られたものだと言われてきたんだが刃の状態を調査してびっくり、実はコイツは実戦で使われていたことが判明。
まあ柄の長さから言って剣と言うより薙刀のような扱い方で使ったんだろうがこの時代はそういうのも含めて剣術の範疇だしな。VIPPERな名無しさん | 2008.06.18(Wed) 00:15 | URL | No.204121 - ※343
日本だと※309のように普通に打ったり斬ったりしてる
ツバイハンダーは突きも多用したようだがそれでも基本的にはパイクを払うために振り回す形で使われた
VIPPERな名無しさん | 2008.06.18(Wed) 00:26 | URL | No.204141 - 明史によれば明の当時の戦力では日本には到底勝ち目はなかったが秀吉が死んでくれたおかげで日本は撤退したとある
そういえば日本軍の唐入りで日本側の武将はたった一人しか死んで無いんだな
それも戦争で死んだのではなく鷹狩りしてるときに狙撃されて死んだ
まあこの死に方自体は油断大敵というか武士としてはちょっと微妙だが…
ただ逆に言えば戦地で鷹狩りなんかしてあそんでられるほど大陸の戦いが余裕だったってことかもしれない
一方明の将領たちは戦争でポコポコ殺されてる
秀吉が死に戦闘目的を失った日本は明との停戦協定のあと撤退を始める
ところが明は協定を破り後ろから追撃したわけだがこのときも日本は鮮やかな撤退戦を行い
戦うたびに明の将領を殺したり捕らえたりしてる
攻め込んでいるはずの明軍が次々にカウンターでやられていく状況
無論撤退戦なので日本軍にも被害が出るのだが
結構感心するのは日本は撤退戦の途中逃げ遅れたりした味方の軍があるといちいち救助の為に兵を裂くんだよね
露梁海戦でも取り残された武士の全員救出には失敗したがそれでも500人を救出してる
とにかく味方を見捨てないってのがお人好し過ぎて泣ける
それが戦略的にいいことなのか単に考えが甘いだけなのかはわからないけど俺は正直好感を持った。
元寇のとき数万人の兵士を置き去りにして逃げた(もちろん乗せて帰れる船が無いので合理的には正しい判断だとは思うけどね)大陸の人間と価値観が全然違うんだなぁって思った
VIPPERな名無しさん | 2008.06.18(Wed) 01:16 | URL | No.204215 - オスマントルコには日本の火縄銃は好評で大量に買ってくれてたね
日本の火縄銃は西洋の一般的なものと違って引き金を引いた瞬間に火縄がガチンとたたきつけられて瞬間的に火がつく
つまり引き金を引くという行為がデジタルなので命中率が高い
西洋では引き金を引いた速度で引いた分だけ火縄が接近していく方式なので引き金を引きはじめてから火がいつつくかがバラバラ。撃とうと思った瞬間に発砲できるとは限らないので狙いがつけにくい
西洋はなんでこんな欠陥をいつまでもほったらかしにしてたのかというと
一斉射撃で弾幕を張るような使い方なので別に命中率が悪くてもいいやと考えていたんだな
また、常に火縄と火皿を放すばねの力が働いてるため比較的暴発しにくく火をつけたまま携行するとき細心の注意が要らない
まあ大雑把な性格の人間には都合がいい銃だった
(日本人は火皿を覆うという安全装置を開発したので日本の火縄銃も暴発しにくいけどね)
VIPPERな名無しさん | 2008.06.18(Wed) 03:32 | URL | No.204304 - 欠陥を放置って、瞬発式もヨーロッパで発明されてるんだけど・・・・
そして瞬発式の機構がフリントロック式の銃につながっていくわけで。
まあフリントロック式は瞬発式の機構がベースでも命中精度は
火縄式より悪いんだけど。
ヨーロッパは考え方が集団運用を前提に、「敵の集団に向けて
ぶっ放せば誰かに当たる」方式だから、暴発しにくい事が重要。
瞬発式はすぐ撃てる状態で待機してたら、不注意や故障やバネが
外れる等々暴発の危険がある。
対して緩発式は引き金をしっかりと引かないと発射されないからね。
ドイツのシュネッケなど、銃兵を何列にも並べて、一列撃っては
列ごと横にずれては最後列に回るような事をやっていたから、
うっかり前の列を撃ちかねない武器では極めてマズイ。
純粋に軍事用なら狙撃の精度より信頼性ってのは現代のアサルト
ライフルも同じかもしれんが、戦国日本の場合、首取りと同様、鉄砲でも
「誰が撃って討ち取ったか」が手柄の基準で、そのため鉄砲を集団で
同じ方向に撃ち続けるという発想に至らない。例え集団になっても、
あくまで狙撃兵の集団という発想。故にまずは狙撃の精度。
求められる用兵思想が異なるので、欠陥という問題ではないのでは?VIPPERな名無しさん | 2008.06.18(Wed) 10:35 | URL | No.204404 - 現実のツヴァイハンダーは120cmVIPPERな名無しさん | 2008.06.18(Wed) 10:37 | URL | No.204406
- 朝鮮出兵で明側ばかり武将の被害が多くなった原因も日本の火器の運用が狙撃志向だったから
えらそうなやつから狙われるせいだなVIPPERな名無しさん | 2008.06.18(Wed) 10:50 | URL | No.204409 - 狙撃兵ばかりで集団訓練無しだと、ゲリラ戦やら砦に篭って銃眼から
敵を撃つとかは強そうだけど、純粋な会戦・決戦みたいなのだと
キツそうだな。VIPPERな名無しさん | 2008.06.18(Wed) 11:39 | URL | No.204429 - そういえば日本の合戦の野戦って、弓矢の頃は板の楯、鉄砲普及後は
竹束を前に並べて、その影から撃ち合うスタートってイメージだけど、
ヨーロッパの場合、楯や竹束に相当するものってあったの?VIPPERな名無しさん | 2008.06.18(Wed) 12:03 | URL | No.204439 - 鷹狩はそのまんま軍事教練のことなんだがVIPPERな名無しさん | 2008.06.18(Wed) 12:07 | URL | No.204441
- いや鉄砲の運用の話でしょwVIPPERな名無しさん | 2008.06.18(Wed) 12:28 | URL | No.204449
- 英国人の社会学者の本が面白かった
ちょっとぶつかりかけただけでソーリーソーリーと謝り合うのが英国人だけか知りたくて
ロンドンの観光名所を回り、いろんな国の観光客にわざと軽くぶつかってみた調査の結果
英国人に匹敵するほど謝るのは日本人だけだったそうだ
面白いのはこのあとで
「しかし日本人にこの実験をするのは途方もなく難しかった。
彼らは衝突直前にひらりと身をかわしてよける術に信じられないほど長けていたからだ」ってwVIPPERな名無しさん | 2008.06.18(Wed) 13:02 | URL | No.204504 - w
確かに、海外旅行に行ったら、通行人にぶつかるとか場合によっては
トラブルになりそうな事はできるだけ避けるよなあw
俺でも必死に避けるぜwVIPPERな名無しさん | 2008.06.18(Wed) 13:08 | URL | No.204523 - 外人が鈍すぎるのか日本人の見切りが凄いのか知らんがなんかいい話だなVIPPERな名無しさん | 2008.06.18(Wed) 13:39 | URL | No.204613
- (実験のために)不自然にぶつかろうとしてくる謎の外人と、
涙目で必死にかわす日本人VIPPERな名無しさん | 2008.06.18(Wed) 14:19 | URL | No.204706 - 気持ち悪いやつが来たなVIPPERな名無しさん | 2008.06.18(Wed) 15:03 | URL | No.204791
- まあまあ…
イギリス人は変なトコで日本人と似てる
確かにそれは感じる
味覚は全然違うけど人付き合いの距離感みたいなものは凄く似てるVIPPERな名無しさん | 2008.06.18(Wed) 16:20 | URL | No.204978 - 足利尊氏だと言われていた騎馬武者像も長い両手剣を肩に担いでるな
時代的には南北朝だしVIPPERな名無しさん | 2008.06.18(Wed) 18:40 | URL | No.205341 - 100年戦争のときフランスのフルプレート装備の騎士たちはイギリスの軽装長弓歩兵の前に敗北したっけね
長弓完備の日本武士にとって重装騎兵突撃が必要だとも思えないが…
そもそもああいう重装騎兵による突撃は稼働時間も攻撃可能な距離もあまりに短くて同じ重装騎兵同志か、逃げ場を失っている軽装歩兵相手にしか効果が無い
しかもイケイケの兵にはあまり効果がなく味方の軽装歩兵や軽装弓兵との戦いで浮き足立った敵をうまく重装騎兵の前に誘導する必要があった。
歩兵達によるお膳立てが無いと単なるお荷物になってしまう。
コストの面からも面倒。
とどめの一撃としてしか効果が無いブンブン丸の維持の為にものごっつい金と手間をかける必要があるのだ。
一人の騎士ごとに貴族の贅沢屋敷を維持するのと同じコストがかかる。
それだけの金があれば数倍の歩兵をそろえたほうが強い
でも単純に強さだけでは語れないよね。
お偉いさんの権益の為に戦ってるのにお偉いさんが戦場で活躍できなければ戦う動機のほうがなくなるわけだから。
結局
どうすれば華々しい戦果を騎士の皆さんにプレゼントできるか?から導きだされた戦略なんだね
まあそこは鎌倉武士だって同じで戦争するだけなら部下にやらせとけばいいのに(戦国時代は実態としてはそうなっていく。価値観の変化が起こる前に江戸時代になっちゃうけど)自ら武芸を磨き自ら参戦して殺しあうわけだから。
ただ日本の場合、武士階級に遠距離武器へのアレルギーがなかったことや戦果を認めてもらうのに首実検の必要があった(殺すまで戦い、敵の死体を回収しないと功績にならない)ことなど文化的な違いから遠近両面で武士のほうが強くなっただけともいえる。
そういやまあ常套手段としての騎兵突撃はなかったが一応日本武士にも乗り入れという騎馬突撃はあるにはあったな
これはまあ小規模な砦に篭城してる敵や谷に逃げこんだ敵を一気に馬で蹴散らすわけだが、
ヨーロッパでは歩兵が行っていた敵の退路を断ち自分らの側面を防御するための壁役を日本では地形にさせてるわけだ
あとはまあ馬当てというテクニックとしての騎馬突撃もあるが
これは武術レベルの話であって戦略としての騎兵突撃とは違うしなVIPPERな名無しさん | 2008.06.19(Thu) 00:31 | URL | No.206032 - 米362
日本では幕末まで騎兵部隊が存在しないわけで、
「乗り入れ」は歩騎混成部隊による突進攻撃ですよ。
同列にしたら話がおかしくなるでしょう。
重騎兵の突撃を防ごうと思ったら、クレシーのように「型に嵌める」か
スイス歩兵のように「勇気と根性の槍衾」という話になる。
使える場面が限られていてもその時には圧倒的に強いから部隊として
存続する。VIPPERな名無しさん | 2008.06.19(Thu) 08:47 | URL | No.206258 - ヨーロッパで重騎兵の出番が来るのも、日本で武士の出番が来るのも、
少なくとも相手がガッチリ布陣して待ち受けてる段階ではありえなくて、
すでに相手が崩れた所でのダメ押し・追撃の段階だという点では共通
している。すると勝負の大勢はその前に決してるわけだ。すると結局は、
飛び道具の勝負が一番大事なんじゃないか?VIPPERな名無しさん | 2008.06.19(Thu) 10:37 | URL | No.206310 - 飛び道具を扱うヤツも同じ武士という点がちがうVIPPERな名無しさん | 2008.06.19(Thu) 15:42 | URL | No.206543
- 倭奴刀を揮ふことの若し、人之を望めば輙ち懼れて走る、
其長ずる所の者は刀法のみならず、其鳥嘴銃の類これ猶ほ我兵の如きなり、
弓矢の習猶ほこれ我兵の如く、此外殊に稱するに足るものなし、
唯だ倭性殺を好む一家一刀を蓄へざるものなく、
童にして之を習ひ壯にして之に精し。 ”揮刀如神”
「日本の武士の刀術はまるで神の如しだ。
我々の明兵は武士を見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。
刀術に優れた武士だが刀術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、そのほかあらゆる兵科と比べて不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、
子供の頃から武術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる。」VIPPERな名無しさん | 2008.06.19(Thu) 15:49 | URL | No.206551 - 武士は戦の最初から最後まで出ずっぱり
自分らで騎射突撃して敵の布陣を崩し自分らで乗り込み自分らで白兵戦をし自分らで殺して軍功を立てる
後三年の役の絵巻見たことがあるけど武士めちゃめちゃカッコヨスw
平安時代の武士もイカスぜVIPPERな名無しさん | 2008.06.19(Thu) 16:00 | URL | No.206565 - ※365
そもそもここで議論されてるサムライとは、いつの時代のサムライだろう?
平安~鎌倉の騎馬長弓兵としての武士は、騎射と組討をメインとする
人々で、近藤好和氏などによれば馬上で太刀を振るうような事はまず無く、
騎馬武者同士の戦いは騎射で勝負が付かなければ組討で勝負して、
刀は徒歩の時に使う武器であったという。
この時代は、武士という職業にも合戦にも、一定の様式がある。
南北朝の頃には歩兵の大量動員による戦力の拡大が行われるようになり、
軍隊に占める騎馬武者の割合が低下していく。
すると戦力的な効率の問題から弓矢は徒歩の兵の武器に移っていき、
また騎馬武者同士の組討も廃れて馬上でも打物が使用されるようになる。
合戦の様相が大幅に変わる時期。
戦国期には武士は「槍働き(=白兵戦)」をする者となり、また軍隊内での
人数割合はさらに低下して、軍全体としては足軽の鉄砲・弓矢・長柄が
主力となる。武士は武芸を磨いて白兵戦で槍を振るう存在となる。
時代によって装備も戦術も変わるわけで、いろんな時代のサムライが
入り乱れていて議論が統一されていない・・・・VIPPERな名無しさん | 2008.06.19(Thu) 18:18 | URL | No.206660 - たいていの書き込みでは大体の年代が一緒に書かれてるから問題ないんじゃない?
南北朝の頃は一つの軍隊における騎馬武者率が低下したというよりは
騎馬武者を主力とする武家だけでなくいろいろな勢力が入り乱れて戦った結果だろうな
例えば六波羅方の軍隊はほとんど騎馬武者で対する僧兵軍が全員徒歩とかね
敵味方あわせて考えると騎馬率は下がるが
武士そのものはまだ騎馬が主流
とはいえ武士の徒歩率は確かに上がってるよね
騎射も確かに減って行っててこの時代頃から箙をつけてない武士が少数ながら出始める
かわりに馬鹿でかい武器を持って騎乗することが増える
市街地戦や山麓の寺を襲撃とかそういうのが増えてるせいだろうかね?
でも山徒寄京都事とか読むとまだこの時代は騎馬武者が徒歩より圧倒的に強いね
VIPPERな名無しさん | 2008.06.19(Thu) 19:02 | URL | No.206687 - やはり戦国の世が長く続き、仕官と手柄を求めて職業軍人たる武士が戦場を生き抜いて渡り歩き、技量、経験を積んでいったんだから強かったんじゃないかなあ
あと柔道の前身の柔術、柔などの古武術が生まれたのも戦での乱戦で培われた経験が無縁であったわけではないでしょう
現在世界中で使われる体術や格闘技に類似した動きを見ることが出来、要人警護職や特殊部隊などに少なからず影響を与えているし、技量的なものでも卓越していたんじゃないかなと思ってみる。
勿論得物を使った戦闘でも強かったと思います
黒田節に歌われた「日本号」本田忠勝の「蜻蛉切り」ともに槍ですが、有名ですね。VIPPERな名無しさん | 2008.06.19(Thu) 19:19 | URL | No.206702 - 同じ人間である以上は同じぐらい鍛えている奴なら
日本のサムライだろうが西洋の騎士だろうが明軍だろうが
同じぐらいの強さじゃねーの?
そりゃ得意な戦術の問題とか色々あるだろうけど。
ヨーロッパなんて日本以上に戦争が途絶えないし、スイス傭兵とか
強そうだけどなあ。
朝鮮出兵時の明軍がやたら日本を評価してるが、日本も秀吉に
嘘ついてまで停戦したぐらいで相当にしんどかったはずで。
(そんなに強さに差があれば包囲だろうが睨み合いだろうが関係ないわな)
明としては相手の強さを誇張しなきゃ、停戦の正当性が主張できなかったかね。
あるいは、明軍の一般兵レベルにとって、朝鮮の救援なんて
どーでもいい話でしかないのに対して、日本の兵は海を渡ってるから
部隊を逃げ出しても行き場も無く、目の前の敵を殺さなければ帰れない。
モチベーションが違いすぎるってのはあるんだろうね。VIPPERな名無しさん | 2008.06.19(Thu) 19:41 | URL | No.206720 - ※369
所謂“馬上戦闘否定派”とか“遠戦派”に探させると、同じぐらいの
時代でも薙刀持った徒歩武者が騎馬武者を打ち落とすような話を
ごろごろ探してくるけどなあw
ぶっちゃけた話、馬にのってる奴(武士だわな)はちゃんと訓練を
受けてる人間だし、一方で領主に動員されただけの歩兵な連中は
馬が走ってくりゃそりゃ怖いってなわけで・・・・
訓練を受けた同士なら「強い奴が強い」ってのがオチっぽい。
普通でごめんなさい。
それこそ、スイス傭兵は騎兵の突撃を受けてもハルバード構えて
迎え撃てる連中だから勇名を馳せたんだよなあ・・・・VIPPERな名無しさん | 2008.06.19(Thu) 19:50 | URL | No.206726 - 当時の明は傭兵頼みで正規軍はほとんどお飾りだったので実際さっさと停戦したくてたまらなかった
思い通りに動かせる駒がほとんどいない状態で涙目なのを必死に隠して戦っていた
上であったけど停戦協定してても現場の兵を抑えきれないほど統率が無かった
VIPPERな名無しさん | 2008.06.20(Fri) 01:08 | URL | No.207221 - >ヨーロッパなんて日本以上に戦争が途絶えないし、
日本と比べヨーロッパは戦争多かったの?
上のほうのコメント見るとそうでもなさどうだけど
天下統一後はかなり平和になってるよなぁ
武士階級以外から刀を取り上げ、町も軍事優先から経済優先のつくりに
ヨーロッパや中国と比べればかなり早い段階で国が一つにまとまってる気がするけどVIPPERな名無しさん | 2008.06.20(Fri) 01:27 | URL | No.207242 - まあ世界で最初に100万人都市になったのは江戸だしな
強さだけでは語れない良さってのもあるわな
※374
一応どっちが多いということも無いよ
ただヨーロッパ全体と日本一国を比べればそりゃヨーロッパが多くなって当たり前だけどね
いくつも国があってそれがしょっちゅう占領されてされ返して消えたり増えたりだから大変だよね。
病気も飢饉も日本の比じゃなく多いし、キリスト教は窮屈だし。
時には戦争したくても出来ないぐらい疲弊してぐだぐだな時期とかも乗り越えて今に至ってるわけで、あちらさんも大変だよ。
日本は基本的に朝鮮半島や中国南部に泡のように生まれては消える国との戦争以外は(日本という大きな枠でみたら)内戦だからね。
戦国時代にしても大局的にはだれが天皇陛下を担ぐか?の取り合いだし
VIPPERな名無しさん | 2008.06.20(Fri) 01:59 | URL | No.207270 -
VIPPERな名無しさん | 2008.06.20(Fri) 05:48 | URL | No.207341
- この記事に1年近くも書き込みがあるのが素晴らしいな。VIPPERな名無しさん | 2008.06.20(Fri) 14:12 | URL | No.207526
- 中央アジアや東南アジアとはいつもいいビジネスパートナー
ナイス朱印船VIPPERな名無しさん | 2008.06.20(Fri) 14:39 | URL | No.207560 - 中世西洋の両手剣。
出始めは派手さで人気があったが、結局取り回し、持ち運びの悪さや咄嗟に構えるまでの手間等から廃れたってのを見た気がするが。VIPPERな名無しさん | 2008.06.20(Fri) 16:48 | URL | No.207649 - 西洋の両手剣は柄まで含めると2メートル越すようなのもあるのに、
槍みたいな石突が無いから背中に背負うしかないし、柄が端にあるって
事は重心が手から遠くて実際の重量以上に重く感じるわけで・・・
普通の片手剣を相手にすると、破壊力では勝るものの小回りが
利かないもんだからかなり不利だったりするわけで。
敵の槍衾を掻き分け、切り払って切り込むには片手剣よりも強いけど、
よく考えたら両手剣である必要も無かったりする・・・・
日本でも南北朝の頃から刃渡り三尺を超える大太刀・野太刀が
登場して、豪傑が怪力を自慢する武器としては栄えたが・・・・
(普通のものは三尺プラスアルファってとこだけど、実用が確認できる
最大のものは刃渡り七尺w)
結局は槍を支給されない雑兵が、少しでも長い武器が欲しいからと
持ち歩くぐらいに落ち着いた・・・・
一対一の勝負で考えたら、普通に槍を使った方が射程はより長いのに
ずっと扱いやすいという残酷なる現実。
まああれだ。ガッツぐらいのパワーとスピードが無いと、
(両手剣で戦うのは)難しい、と。VIPPERな名無しさん | 2008.06.20(Fri) 18:18 | URL | No.207720 - 日本の野太刀の場合は室町幕府時代がわりと平和でその間に幕府要職側の武士が平和ボケしちゃうせいで下火になるんだよね
そのあとの武士達は足軽とかを金で雇って戦わせる地方の連中のほうが強くなっちゃったので武士の個人技のレベルが下がっちゃうんだな
武将が武術を軽視しだすのも応仁の乱以降のことVIPPERな名無しさん | 2008.06.20(Fri) 18:25 | URL | No.207726 - 日本の槍は西洋の槍と違って重量面では野太刀なみに重いんだけどね
なにせ柄の中が鋼鉄だからVIPPERな名無しさん | 2008.06.20(Fri) 18:27 | URL | No.207727 - 一応四尺(柄一尺2寸)の模擬刀をピュンピュン振り回せる俺の体感では
パワーとスピードというか扱う技術も含めた乗算で決まるんだろうな
俺の体重が75kgだけど100kgのマッチョより俺のほうが速く強く振れる自信はある。それで俺のほうが強いと決まったわけじゃないけど。
強さは別にして扱うのに必要なのは一番は技術、要するに扱い方を伝える文化があるかないかだな
俺が四尺振れるったって先輩とか先祖とかの「こうやって振ったほうが楽だぜ」っていう教えが無きゃ絶対独学では振れるようになった自信ねーもん
そういう文化が弱い地域はパワーで決まるんだろうけど
VIPPERな名無しさん | 2008.06.20(Fri) 18:45 | URL | No.207761 - ※382
花の慶次?VIPPERな名無しさん | 2008.06.20(Fri) 18:50 | URL | No.207769 - まあ天然理心流のクソ重い木刀の訓練も、筋トレであると同時に
体の使い方の訓練でもあるからね。
ワザで使いこなすのかパワーで使いこなすのかはそれぞれでしょう。
俺はもちろんヴェルタースオリジナル。VIPPERな名無しさん | 2008.06.20(Fri) 18:58 | URL | No.207782 - 384
日本の槍ってちくわ状の柄の中に長い中子が芯として入った状態なんだよ
穂先と中子をあわせると平気で両手剣なみのものものしさがあるVIPPERな名無しさん | 2008.06.20(Fri) 18:59 | URL | No.207788 - 特に戦国期以降は、武士の装備のチョイスは下馬戦闘と馬上戦闘
それぞれの対応を考えないと。
馬上では片手で扱える武器を。
徒歩では射程の長い武器を。
そう考えると、野太刀が雑兵の武器になったのは納得だな。VIPPERな名無しさん | 2008.06.20(Fri) 19:02 | URL | No.207791 - ※386
野太刀の重さといっても2kgぐらいから上限は無いがw、
2.5kgぐらいとして考えようか。
確かに、一間半の持槍で普通にそのぐらいの重さはあるよ。
大身槍なら5kg6kgなんてのもある。(このクラスは本当の豪傑しか
使わないが)
だが「柄の中が鋼鉄」なんて呼べるほど長い中子は入っとりゃせんよ。
長さが一間半もありゃ、樫の柄だけで十分重いです。
へなへなの柄じゃ戦いにならんからね。VIPPERな名無しさん | 2008.06.20(Fri) 19:15 | URL | No.207806 - 穂先の長さ80センチの相州正俊(前田利家の大身槍らしい)で
穂先と中子の重さ1.7kg、柄の長さ240cmで1.3kgですと。
穂先の長さ80センチで重さ1.7kgってことは、ちょうど長い棒の先に
太刀を付けて振り回してる感覚になりますね。VIPPERな名無しさん | 2008.06.20(Fri) 19:20 | URL | No.207816 - いきなりだけど、古代の日本の剣もなかなかかっこいいね
中国からの影響がまだかなり残っているものだろうけどVIPPERな名無しさん | 2008.06.20(Fri) 19:22 | URL | No.207820 - 普通の槍は穂先は15センチあれば十分でございます。VIPPERな名無しさん | 2008.06.20(Fri) 19:28 | URL | No.207827
- 日本剣術は神秘的だ。左右への跳躍がすさまじく誰にも予測できない。
そのせいで長技(槍)を持ってしても毎回刀に負けてしまう。”単刀法選”
盾と剣を持って戦う我が軍に対して
日本の賊の攻撃は日本刀で二回か三回打ち付けられるだけだが、
往々にして防ぎきれない。
彼らの日本刀の刀法の巧妙さを推して知るべきである。”陣記” 何良臣
此自倭犯中國始有之。
彼以此跳舞、光閃而前、我兵已奪氣矣。
倭善躍、一迸足則丈餘、刀長五尺、則丈五尺矣。
我兵短器難接、長器不捷、遭之者身多兩斷、縁器利而雙手使、用力重故也。”紀効新書・長刀解”
日本人が全力で動くとき風のように漂って動く。
常に寡兵で陣に入って、たくさんの兵も抵抗できない。
その刀の使い方は、長い方で構え守り、短いほうで止めを刺す。
しゃがんでいるかのごとく低く移動し、決して下がらない。
相手が何人いようと対応する、日本列島の中だけの絶技である。 ”屈大均 ”
天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。”朝鮮王朝宣祖修正実録”
賊(武士)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。 ”懲録”VIPPERな名無しさん | 2008.06.21(Sat) 03:03 | URL | No.208460 - 当の日本では長物は三倍段だと言われていたのに・・・
どんだけ弱いんだ明の軍人w
上の方の明軍が日本の強さを書き連ねた記述とかもそうだが、
彼らの詩的な描写のセンスは素晴らしいな。
残念だが日本の軍記物で「火花を散らし鍔を割り」とか言ってる
レベルの遥か上を行ってるぜ・・・
>その刀の使い方は、長い方で構え守り、短いほうで止めを刺す。
二天一流?
>しゃがんでいるかのごとく低く移動し、決して下がらない。
こっちは介者剣法だな。VIPPERな名無しさん | 2008.06.21(Sat) 11:11 | URL | No.208617 - 野太刀が雑兵用の武器とか言うことは無い
雑兵というのは主からの支給品で戦う足軽や徒士のこと。
槍や薙刀の支給はあるが野太刀が支給される例はない。VIPPERな名無しさん | 2008.06.21(Sat) 13:20 | URL | No.208748 - >その刀の使い方は、長い方で構え守り、短いほうで止めを刺す。
死体をさばくのに長物じゃ不便だから短い物で切るとかじゃないの?
お箸でつまんで小皿に移して爪楊枝で刺して食うみたいなー
>二天一流?
世間一般に広まった流派なの?
>彼らの詩的な描写のセンスは素晴らしいな。
日本語訳がすばらしいではなく?
>残念だが日本の軍記物で
平家物語とか当時の話でそんなに表現が弱かったの?VIPPERな名無しさん | 2008.06.21(Sat) 14:49 | URL | No.208829 - 米394
支給の武器を貰えない連中が、好んで野太刀を持ってたらしいよ?
自前でね。
そりゃ数打ちの品質もへったくれも無いシロモノだったろうけどね。
槍は貰えないけど、ただの打刀じゃ心許無いってこったね。VIPPERな名無しさん | 2008.06.22(Sun) 00:09 | URL | No.209340 - らしいとかばっかだなwVIPPERな名無しさん | 2008.06.22(Sun) 03:16 | URL | No.209626
- ※383
模擬刀は振ってると折れることがあるぜー。本物買いたまえ。VIPPERな名無しさん | 2008.06.22(Sun) 13:26 | URL | No.210058 - ※383
模擬刀は振ってると折れることがあるぜー。本物買いたまえ。VIPPERな名無しさん | 2008.06.22(Sun) 13:26 | URL | No.210059 - 「日本の武士の刀術はまるで神の如しだ。
我々の明兵は武士を見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。
刀術に優れた武士だが刀術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、そのほかあらゆる兵科と比べて不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、
子供の頃から武術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる。」
倭奴刀を揮ふことの若し、人之を望めば輙ち懼れて走る、
其長ずる所の者は刀法のみならず、其鳥嘴銃の類これ猶ほ我兵の如きなり、
弓矢の習猶ほこれ我兵の如く、此外殊に稱するに足るものなし、
唯だ倭性殺を好む一家一刀を蓄へざるものなく、
童にして之を習ひ壯にして之に精し。 ”揮刀如神”
日本剣術は神秘的だ。左右への跳躍がすさまじく誰にも予測できない。
そのせいで長技(槍)を持ってしても毎回刀に負けてしまう。”単刀法選”
盾と剣を持って戦う我が軍に対して
日本の賊の攻撃は日本刀で二回か三回打ち付けられるだけだが、
往々にして防ぎきれない。
彼らの日本刀の刀法の巧妙さを推して知るべきである。”陣記” 何良臣
此自倭犯中國始有之。
彼以此跳舞、光閃而前、我兵已奪氣矣。
倭善躍、一迸足則丈餘、刀長五尺、則丈五尺矣。
我兵短器難接、長器不捷、遭之者身多兩斷、縁器利而雙手使、用力重故也。”紀効新書・長刀解”
日本人が全力で動くとき風のように漂って動く。
常に寡兵で陣に入って、たくさんの兵も抵抗できない。
その刀の使い方は、長い方で構え守り、短いほうで止めを刺す。
しゃがんでいるかのごとく低く移動し、決して下がらない。
相手が何人いようと対応する、日本列島の中だけの絶技である。 ”屈大均 ”
天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。”朝鮮王朝宣祖修正実録”
賊(武士)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。 ”懲録”VIPPERな名無しさん | 2008.06.22(Sun) 13:55 | URL | No.210099 - モンゴル最盛期の時に軽装備に弓矢の騎馬隊のモンゴル人に
重い鎧着た西洋人は一瞬で囲まれて負けたらしいな。
侍の強さはどうやらそこにあるんじゃないかと思う。厚い鎧で自分を守るのではなく相手だけでなく死の恐怖を克服して前に出る。そして斬られずに勝たなければならないのだからそれなりの「速さ」があったはず。VIPPERな名無しさん | 2008.06.23(Mon) 01:26 | URL | No.210922 - リーグニッツの頃はヨーロッパではまだチェインメイルが主流で
そもそも弓矢を防ぐように作られていない。
日本の大鎧は弓矢を防ぐように出来ている。VIPPERな名無しさん | 2008.06.23(Mon) 08:39 | URL | No.211124 - ま、少なくとも 本当に弱かったらそこまで諸外国も言わないだろ
外国の兵隊誉めたって得しないし
・・・そういや昔のアメリカ映画のアクションシーンで追い詰められた主人公が落ちていた日本刀を持って
「ジャパニーズ!ブレードぉぉぉぉ!」とか言ってたなぁ。
あぁいうシーンが外国の映画にあると、妙に嬉しくなるのは俺だけ???VIPPERな名無しさん | 2008.06.24(Tue) 21:25 | URL | No.214094 - 鎌倉時代に、元軍より先にヨーロッパに攻め込んでいたら、日本武士も
圧勝したはずだな。VIPPERな名無しさん | 2008.06.24(Tue) 23:15 | URL | No.214314 - 日本の刀鍛冶が超一流だったのは真面目に日本史勉強してりゃわかる話なんだがなあ
けっこう知らん人多いのね
日本万歳VIPPERな名無しさん | 2008.06.25(Wed) 15:18 | URL | No.215014 - 楽しいな~、このスレw
どうでもいいが、この前鼻血止まらなくて排水溝でボタボタやってたらなんかネチョネチョしたのが引っかかって残ってた
あれが血のりな気もするんだが、あんなのが刀身にまとわり付いたら流石に刀でも切れ味落ちてくるんだろうな~VIPPERな名無しさん | 2008.06.25(Wed) 17:20 | URL | No.215124 - ヒント:拭う| 2008.06.25(Wed) 18:45 | URL | No.215201
- 所で日本最強の武芸者(剣豪)は宮本武蔵でいいのか?
西洋ではスパルタクスが最強でいいか?
この二人どっちが強いと思う?VIPPERな名無しさん | 2008.06.25(Wed) 20:43 | URL | No.215352 - 上泉とかの方が強そうじゃね?
俺もあんまり剣豪とか詳しくないけどさ。VIPPERな名無しさん | 2008.06.25(Wed) 21:40 | URL | No.215416 - 拭っても落ちにくいと思う
一対一ならいいけど乱戦なら厳しいよなVIPPERな名無しさん | 2008.06.26(Thu) 00:02 | URL | No.215575 - うちの流派の説話では血のりや血脂は斬りあいにはまったく関係ないそうだ
こういう刃の汚れを嫌うのは戦闘後のメンテに関する話で確かに血がついたままほうっておけば一夜で錆が浮く錆が浮けば当然切れ味も鈍るし内部まで錆が進行すれば強度も無くなる。
でも斬ってすぐに血がついたから切れ味が鈍るというようなものではない。
要するに血で切れ味が鈍るというのは十数時間単位の話で数秒単位数分単位の話ではない。
乱戦ったって一晩中息つく暇なく戦い続けるわけじゃないので拭う暇は作れるはずで血のりは切れ味には関係ないといっていい
別件だが血でぬれた刀で上段に構えるときは手を伝って目に血が滴る可能性を考慮しないといかんらしいVIPPERな名無しさん | 2008.06.26(Thu) 01:24 | URL | No.215724 - そもそも何の為に血ぶりや血拭いを初心から達人まで毎日稽古してるのかと
ご先祖さんがなんのために全ての納め刀のときに血ぶりを行わせ、もしくは血拭いを行わせる形で後世に残したかという話ですよ
普通に稽古してたら一日で血の処理の仕方を何回練習することになるか
それで出来ないならそりゃもう個人の努力と才能の欠陥でしょう
それこそ敵刃の下を走りながらでも血ぶり血拭いはできなきゃおかしい。
手元を見ないで拭ったら指が切れちゃったとか言うお粗末さでは話にならないわけだ。
まあ単に無意味なものとして血ぶりや血ぬぐいをまじめにやらない修行者も多いけどね。「実際血がついてるわけでも無い木刀や模造刀での稽古のときにまじめにやる意味があるの?」みたいな事考えてる人もいるだろうけど。
実際刃傷沙汰がない現代ならば出来なくてもまあ仕方が無いが当時の人間ならいい訳にならないし武器の状態を良好にするためにも手は抜かなかったろうね。
ただそれと血のりがついたらすぐに切れなくなるとか言うデマは別の問題VIPPERな名無しさん | 2008.06.26(Thu) 01:56 | URL | No.215765 - 血のりというか、よく言われるのは「脂」が付いたら斬れなくなるって
話だけどね。まあ摩擦係数だとか物理的な問題として考えれば、
脂ギトギトの刃物は切れにくいでしょう。実物がどうかいう話は
分からんとかしか言えんが。血と違って、振っても落ちないでしょうしね。
血のりを落とす動きを練習しているから切れ味が鈍る事は無い!と
力説されても???だが、まあそんなのは試しようもないので。
とりあえず、鎧着て戦ってた頃にはそれ以前に一対一の戦いでないなら
正確に鎧の隙間を狙えるものかという話になって、刀剣の第一の意義は
打撃武器という事になるんでしょうが。VIPPERな名無しさん | 2008.06.26(Thu) 10:09 | URL | No.215979 - 肉きり包丁は脂ギトギトになっても普通に切れるVIPPERな名無しさん | 2008.06.26(Thu) 10:21 | URL | No.215988
- ※411
※412
武士の凄みを感じるVIPPERな名無しさん | 2008.06.26(Thu) 11:38 | URL | No.216013 - 包丁で対象物を片手で押さえて引き切るというのは全く別VIPPERな名無しさん | 2008.06.26(Thu) 11:41 | URL | No.216017
- 鎧着てる相手とガチで斬りあったら、血のりだの脂だの以前に
相手の刀や鎧で刃こぼれだらけになってしまうでしょうに。
それに実際に戦のあった時代には、武士は刀を決してメインウェポンとは
見ていないわけだし、ガチンコの乱戦なんてそう起きるもんでもない。
刀で、血のりだ何だが問題になる乱戦を戦うとしたら、素肌剣法なわけだし・・・・
宮本武蔵vs吉岡道場とか、そういう想定?VIPPERな名無しさん | 2008.06.26(Thu) 12:06 | URL | No.216027 - むしろ新撰組じゃね?VIPPERな名無しさん | 2008.06.26(Thu) 12:09 | URL | No.216032
- 実際に戦のあった時代の話集
「日本の武士の刀術はまるで神の如しだ。
我々の明兵は武士を見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。
刀術に優れた武士だが刀術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、そのほかあらゆる兵科と比べて不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、
子供の頃から武術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる。」
倭奴刀を揮ふことの若し、人之を望めば輙ち懼れて走る、
其長ずる所の者は刀法のみならず、其鳥嘴銃の類これ猶ほ我兵の如きなり、
弓矢の習猶ほこれ我兵の如く、此外殊に稱するに足るものなし、
唯だ倭性殺を好む一家一刀を蓄へざるものなく、
童にして之を習ひ壯にして之に精し。 ”揮刀如神”
日本剣術は神秘的だ。左右への跳躍がすさまじく誰にも予測できない。
そのせいで長技(槍)を持ってしても毎回刀に負けてしまう。”単刀法選”
盾と剣を持って戦う我が軍に対して
日本の賊の攻撃は日本刀で二回か三回打ち付けられるだけだが、
往々にして防ぎきれない。
彼らの日本刀の刀法の巧妙さを推して知るべきである。”陣記” 何良臣
此自倭犯中國始有之。
彼以此跳舞、光閃而前、我兵已奪氣矣。
倭善躍、一迸足則丈餘、刀長五尺、則丈五尺矣。
我兵短器難接、長器不捷、遭之者身多兩斷、縁器利而雙手使、用力重故也。”紀効新書・長刀解”
日本人が全力で動くとき風のように漂って動く。
常に寡兵で陣に入って、たくさんの兵も抵抗できない。
その刀の使い方は、長い方で構え守り、短いほうで止めを刺す。
しゃがんでいるかのごとく低く移動し、決して下がらない。
相手が何人いようと対応する、日本列島の中だけの絶技である。 ”屈大均 ”
天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。”朝鮮王朝宣祖修正実録”
賊(武士)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。 ”懲録”
なるほど刀がメインウェポンとなることもあったようですねVIPPERな名無しさん | 2008.06.26(Thu) 15:34 | URL | No.216181 - 騎馬戦の馬ってさぁ。激しい戦場の中、
「なに人間は俺らの上で殺しあってんの?」
「よう敵さんの馬元気かい?」
「まちがってこっち攻撃してくんなよ」
とか思ってんのかね?VIPPERな名無しさん | 2008.06.26(Thu) 18:54 | URL | No.216327 - ※419
とりあえず倭寇の分は別枠じゃない?
「武士」の枠とも一致しないし、それに戦場での合戦とも違う。
小回りの利く武器が強い場面でしょ?
新撰組が京都の街中で長柄部隊を組織したりしないのと同じ。
※420
去勢していないオス馬は本来、他のオス馬に対して攻撃的。
(ハーレムを作る性質ゆえ)
平安時代の組討とか、馬に乗ったまま至近距離で足止めて
戦う場面だと、馬も噛み付き合ったりしていた。
平家物語に登場する名馬「生食(いけずき)」はその極地。
とすると、もっと殺伐とした感想を抱くかもねw
「騎兵隊」が無いからサムライのいた頃は無かっただろうけど、
明治以降の騎兵隊では、騎兵隊同士が互いに突撃して戦う時は、
馬を頭から突進させ合うが、最初の激突で首が折れた方が負けだと
言っていた。
逆に言えば、それぐらいの突進が出来るほど気が荒い・・・・
実際問題、日本の軍では馬の去勢が欧米の軍隊に比べて遅れて
いたから、義和団事件の頃だったか、中国に出兵した日本軍の
馬を見たイギリスの記者は、「日本軍は猛獣に乗っている」と評した。
(体が小さくて軍馬としてはスピードもスタミナもパワーもダメダメだとも
評されているが、獰猛で言うこと聞かないのはナンバーワン)
で、日本軍では馬を輸送するのに、船の中で一頭ごとに仕切りを作って
さらに見張りをたくさん立てて馬同士が喧嘩しないようにしていた。
で、馬の喧嘩を止めようとした見張りの怪我人が相次いだ・・・・VIPPERな名無しさん | 2008.06.26(Thu) 19:47 | URL | No.216370 - 倭寇は南京にも行ってる。
下層はいろいろな身分のものがいても当然指揮者や元締めは武士。
実は彼らの目的は貿易。
日本が相場の4倍の値で金を売り付け、絹等を現地価格の1/20で買漁るという超不権衡貿易。
で、断ればたちまち倭寇になって暴れ出す。
仕方なく明は足利義満に頼んで貿易船は公認の勘合印章を持ってなきゃ駄目ということにしたが
勘合印章を司っていた大内氏が実は倭寇の大本締だったというオチ。
その後、段々と倭寇たちも経済的に恵まれてきて大陸で悪さをしなくなっていく。
幕府の取り締まりもきつくなり普通に貿易だけするようになる。
そのかわり当の大陸の人間や朝鮮人が倭寇を騙って略奪行為をするようになる。
それだけ日本人=恐ろしく強いっていうイメージが定着していたわけだね。
「ウリは日本人ニダ!」ってハッタリかますだけで勝手に相手が降伏してくれるんだからこんな楽なことは無い。
前期倭寇が海や川沿いなど水路のあるところで活動しているのに対し後期倭寇は現地人なので内陸で暴れている。VIPPERな名無しさん | 2008.06.27(Fri) 02:38 | URL | No.216870 - 起伏の大きい土地が多い日本と、比較的平地の多いヨーロッパ
少なくともどっちの土地で暮らす人間の足が強いかは明白だな
そして道路整備と交通機関の発達した現代で暮らす俺らの足が弱いのも明白だな('A`)
それと二宮金次郎ってかなりの大男だったってばっちゃが言ってたVIPPERな名無しさん | 2008.06.27(Fri) 18:24 | URL | No.217220 - 第二次大戦の頃にすでに自動車を駆使してたアメリカ軍と
歩兵が50キロオーバーの荷物を背負って毎日50キロ以上歩いてた日本軍
との差ほどには差はないだろう・・・(例:バターン半島の死の行軍)
つか、当時の日本軍は世界でも唯一、銃剣での白兵戦訓練を日頃から
熱心にやってた軍隊であり、また野砲の部品から何から全部歩兵が
担いで運んでいたという稀有な軍隊だが。
そのオチは銃剣突撃を敢行しては機関砲の前に壊滅し、重砲不足から
支援もままならん軍隊になってしまったが・・・合掌。
それでも相手がイタリア軍なら勝利は疑いないんだろうが。
まあそれは置いておいて、地形論で言えばヨーロッパでもスイス傭兵は
強くて日本でも尾張兵は弱い事になるかな?
ま、軍記物では尾張の弱兵なんてよく言うし、(別に証拠は無いが)
スイス傭兵は精兵の代表格だから実際そうかもしれん。
もっとも甲陽軍鑑で、三方ヶ原のような開けた場所でも、いきなり
馬に乗って戦ったりはしないとか、お互いが陣地も築かず柵も設けず、
純粋にぶつかりあった「真の戦」は川中島と三方ヶ原だけであると
言うぐらいで(甲陽軍鑑というと笑う人もいるが、戦国末から江戸初期の
軍事面の考え方を知るには有用だな)、大抵の戦いは城攻めや陣地戦に
なるので、そうなると個々の兵の資質よりは、組織としての訓練度と
戦術で勝負は決まってしまうな。VIPPERな名無しさん | 2008.06.28(Sat) 00:01 | URL | No.217486 - サムライとやらが世界レベルで見てそんなに強かったなら、
俺たち日本人があらゆるスポーツの世界で超えられない
世界の壁とはなんなんだろう・・・・VIPPERな名無しさん | 2008.06.28(Sat) 00:31 | URL | No.217537 - へぇ~血のりって全然関係なかったんだな・・・
刀が切れなくなる原因って刃こぼれ以外になんかあんのか?
脂も違うみたいだしVIPPERな名無しさん | 2008.06.28(Sat) 02:21 | URL | No.217643 - 成瀬関次 「随筆 日本刀」より
東大病院の整形外科医局長をして居られる伊藤京逸氏が(此の人は剣道家でもある)軍医としてやつぱり徐州戦に参加された時の感想として、
「日本刀は案外に切れた。寧ろ切れ過ぎるかの感さへあつた。首を斬る位の事は、短いやつの片手斬りでもスパツと落ちた。
素肌の人間を斬ること位たわいのないことはない。
素つ首などは、一尺四五寸位の脇差を片手に持つて、それで切れ過ぎる程だ。
戦場では、若い士官などが、大刀を大上段にふりかぶり、満身の力をこめて敵の首をねらひ斬りにし、勢ひ余つて刀の切先何寸かを、
土の中に切り込むのはまだよいとして、よく誤つて自分の左の脛などに大怪我をする。
骨を切るといふことも、思つた程ではない。
死後若干時間が経過すると、堅くなつて切りにくいが、生き身は今年竹の程度だと、誰しもいふ。
大体首は、中位の南瓜を横に切る程度、生き胴は南瓜に横に直径一寸二三分の青竹を一本貫いたものを切る程度と云つたら、略見当がつくであらう。
切り損ずる原因の一つは、誰しもあわてること、上気してしまふことだ。VIPPERな名無しさん | 2008.06.28(Sat) 02:53 | URL | No.217664 - ※425
ルール設定段階での政治力
バサロしかりスキージャンプしかり
日本人が西洋人に対して「越えられない壁」を見せ付けると西洋人はルールのほうを変えて対抗する
でもこの話題はスレ違いなのでもうやめようなVIPPERな名無しさん | 2008.06.28(Sat) 04:32 | URL | No.217702 - ルールもへったくれもない、普通の陸上競技でダメダメじゃん・・・
女子マラソンくらいか?
男子マラソンはダメだけど。VIPPERな名無しさん | 2008.06.28(Sat) 13:25 | URL | No.217895 - 漫画みたいに鎧ごと切れたりはしないよVIPPERな名無しさん | 2008.06.28(Sat) 13:52 | URL | No.217935
- 陸上の短距離で黒人を除けば世界記録保持者は日本人なんだぜ
白人相手だと負けてない
黒人はそもそも肉体の構造が他の人種と違いすぎるしなVIPPERな名無しさん | 2008.06.28(Sat) 14:51 | URL | No.218014 - 信州松代藩の荒試し
荒沸(あらにえ)は折れやすいと評判のものであり、真雄が得意ではないと
ことわった作風であった。真田藩抱え工採用試験だからこそ、あえて注文
通り鍛えてみせた刀だった。
試しは俵菰2枚重ねの干し藁から始まった。
「一、干藁 一太刀 但九分切」
『切味宜(きれあじよろし)』と記帳された。
「一、竹入藁 六太刀 但七、八分切」
更に中に青竹を入れて6回も切ったが、17太刀目でわずかに切れ味が鈍った
だけである。
ここで砥ぎ師が刃を付け直した。これからは堅物(かたもの)の試しに入る
ためだった。
「一、古鉄厚一分幅七分 一太刀 但左右へ切れて飛ぶ 刃切れ入る」
鉄は古いほど鉄性が精良で新鉄に勝る。それを完全に両断したのである。
さすがに初めて刃切れが入ったが、驚くべき切れ味であり、強靭さも他の
刀とは別物だった。
「一、鹿角 六太刀」
ビクともしないので、そのまま竹入藁に切りつける。
「一、竹入藁 二太刀 但刃コボレの儘にて六分切
一、鉄砂入張笠 二太刀
一、古鉄胴 二太刀
一、四分一鍔 一太刀」
これは既に切れ味試しではなく打ち折り試しの限界への挑戦に入っている。
「一、再び四分一鍔 一太刀
一、鍛鉄 一太刀
一、兜 一太刀 但鉄槌にて曲りを打直し切る」
鉄兜切りつけでようやく曲りを生じたのを鉄槌で打ち直して使用したので
ある。
それでもまだ折れない。驚くべき粘着性だった。
以上の34太刀の切りつけで「切りつけ試し」を終わる。
これ以上は完全な打ち折り試しである。
長さ5尺5寸、重さ830モンメの鉄杖で刀の弱点とされる刃部の反対側、つまり
棟(峰、背部)や平面(鎬=しのぎ)を強打して折るのである。
「一、鉄杖 棟より充分に七つ棟打を切入る
一、同 平より六つ充分に打つ」
これは手に持った刀を鉄杖で強打したものだ。
「一、鉄敷 棟打六つ
一、鉄敷 棟打七つ」
ここで刃切れ、つまりさけた口がようやく広くなったという。
「一、平打三回して裏返し打つ事二回にして折る
棟切三ツ刃切れ十ニ有之(これあり)」
最後の試しの模様は、この短い記述から充分に中身を察することができる
と思う。
試し手はほとんど躍起になっている。
息を切らせ、これでもか、これでもかと殴り続けている。
それでも折れてくれない刀に、試し手は恐怖さえ感じただろう。VIPPERな名無しさん | 2008.06.28(Sat) 19:08 | URL | No.218307 - 槍は大量に配備できるから強いんじゃね?
刀をぽんぽん作るわけにもいかんしVIPPERな名無しさん | 2008.06.28(Sat) 19:14 | URL | No.218312 - たしかにスポーツ用の身体能力だけで勝てるならアフリカはヨーロッパに植民地化されてないわな。
VIPPERな名無しさん | 2008.06.28(Sat) 19:44 | URL | No.218350 - 世界の槍は剣よりもコストが安いが日本の槍は刀と変わらないコストがかかりますVIPPERな名無しさん | 2008.06.28(Sat) 19:45 | URL | No.218352
- ※432
すえもの斬りとはいえ鉄の胴鎧を両断するとかすげえよな日本刀VIPPERな名無しさん | 2008.06.28(Sat) 19:57 | URL | No.218362 - もし、中国の南京大虐殺でいうところの「日本刀で100人ぐらい次々と斬られた」
っていうのが本当だったら・・・
つまり、その当時にすでに連続で100人ぐらい切り殺せる刀を作る技術が日本にあったら、
今、世界最強の軍事力を誇るのは日本だったに違いない。
ジャパニーズ・ブレードの時代ですよ。
アメリカにもサムライの格好をするやつがたくさん出たでしょう。
そして日本では弱肉強食の時代、辻斬りは日常茶飯事となります。VIPPERな名無しさん | 2008.06.28(Sat) 20:58 | URL | No.218437 -
でも、結局武士も、刀も韓国起源なんでしょ?
韓国オソロシスVIPPERな名無しさん | 2008.06.29(Sun) 00:22 | URL | No.218638 - そう簡単に刀で鎧が切れたら、そもそもそんな鎧を着て戦場に出ないって。
介者剣法も、鎧が切れないから発展した技法で。
さすがに江戸時代の鎧工がやった「鉄砲でも撃ち抜けない鎧」のデモン
ストレーションは、大部分は火薬を減らしたりしたインチキらしいが。
米432じゃないが、↑の方の成瀬氏も報告してるが、日本刀は焼きを
入れた部分が刃毀れはしても、折れるという事はまずなかったと。
ま、石や立ち木に切りつけて折ったという事はあるとの事だが、戦闘で
折った例は無いと。(もっとも、成瀬氏の報告でいう「戦闘」では、相手は
日本刀なんて持ってないはずなので、チャンバラの結果ではないが)
立ち木相手に刀を折ると言えば、そういや剣豪の荒木又右衛門は、
木刀を相手に刀を折られてたな。
成瀬氏で思い出したが、自動車の古スプリングを鍛えた刀は
特殊鋼+刀鍛冶の相乗効果か、無類の切れ味を誇ったとか。
もっとも、日本刀の切れ味は刀身そのものだけでなく、柄から起こる
ものなんだとも力説してるな。一方で、実戦刀憚では日本刀の柄の
故障の多さを説いてもいる。刀身に掛かる力が、結局は梃子の原理で
目釘に掛かるわけだから無理も無いが。
肥田春充という肥田式強健術とか中心力抜刀術を創始した人は、
抜刀術を披露する時に、なんでも日本刀で抜刀術をやった時に
遠心力のせいで目釘が折れて刀身が飛んでいったから、以後、
抜刀術の時はサーベルを使ったとか。
つまり柄と一体形成の日本刀が作成されてたら刀としては最強か?
しかし、日本の武士の認識では槍と日本刀なら槍が強いのに、
明の兵士と来たら・・・・VIPPERな名無しさん | 2008.06.29(Sun) 00:30 | URL | No.218648 - ぐはw
439書いてる間に438に全て持ってかれたw
大陸から伝わった「刀」は直刀なんだよな。起源は半島ではないが。
で、蝦夷が使ってた蕨手刀だったかの湾刀の技術を取り入れたと。
では、東北地方に伝わっていた湾刀は、起源はどこかという話だが、
それは詳しい人よろしく。
武士というのがまた定義が難しくて、サムライの語源が「さぶらう」で
あるように、本義は朝廷に仕える武官だが、中央から広まった、
トップダウンの武士の定義と、言わば自衛のために武装した富農層
という、ボトムアップ的な武士の発生とについて、色々な説が主張
されているもんで整理が難しい。
ただ、平安の武士の、「騎馬長弓兵」としての武士のスタイルというか
形式は、やはり中央から広まったもので、坂東武者などは純粋な
弓の腕では西国の武士に譲っても、組討なら勝てるという認識でいた。439 | 2008.06.29(Sun) 00:46 | URL | No.218664 - つか、半島って騎射の文化だっけ?
どっちかっていうと、騎馬民族の文化だよなあ。
となると、匈奴やその他騎馬民族とかの文化が伝来してた?
う~ん・・・・
飛鳥時代とか奈良時代の日本の軍隊は、いかにも大陸的な
徒歩弓兵だからなあ。どっから転換していくのやら。
だからって、元より先に日本に騎馬民族国家が誕生していた!なんて
ギャグを飛ばすわけにも・・・・VIPPERな名無しさん | 2008.06.29(Sun) 01:00 | URL | No.218675 - 米438
サッカーもイギリス人も朝鮮起源らしいですねw
あーすごいすごーいw
VIPPERな名無しさん | 2008.06.29(Sun) 04:35 | URL | No.218866 - 確かに江戸時代の侍は末期になるまで実戦経験なんてほとんど無かったからな。
おまけに江戸末期~明治初期なんて外国から入ってきた鋼鉄製の大砲やら、
ライフリングが入った小銃まであったんだから日本刀の必要性が薄れるVIPPERな名無しさん | 2008.06.29(Sun) 04:54 | URL | No.218872 - キムチ臭が漂ってまいりましたVIPPERな名無しさん | 2008.06.29(Sun) 04:56 | URL | No.218873
- マジレスすると上古刀のルーツとなる直剣(というか製鉄技術)は支那の江南周辺から海ルートで渡ってきたので朝鮮半島とは関係ない
残念でしたVIPPERな名無しさん | 2008.06.29(Sun) 05:06 | URL | No.218878 -
VIPPERな名無しさん | 2008.06.29(Sun) 05:44 | URL | No.218890
- > 「一、鹿角 六太刀」
鹿角がキレイに切れる刀なら歯や肩甲骨などの頑丈な骨に当たっても問題なく切れる刀ということになるらしいなVIPPERな名無しさん | 2008.06.29(Sun) 06:43 | URL | No.218908 - 好太王碑 最古の拓本発見 旧日本陸軍入手のものと一致
古代日本の朝鮮半島進出を記録した好太王碑(中国吉林省)の最古の拓本が中国で発見され、
日本との関係を示す記述が、旧日本陸軍が入手した拓本と一致することが
中国社会科学院の徐建新教授(日本古代史)の研究で分かった。
これによって、1970年代以降論争が続いてきた、旧陸軍が碑文の内容を書き換えたとする「碑文改竄説」は成立しないことが確定的となった。
好太王碑には「391年以来、倭が海を渡って百済や新羅を破り臣民とした」とする記述がある。VIPPERな名無しさん | 2008.06.29(Sun) 07:12 | URL | No.218916 - >つまり柄と一体形成の日本刀が作成されてたら刀としては最強か?
ナイフならインテグラルナイフという代物があるけど…
日本刀ならどうなんだろ?作ってもコストがえらいことになりそうだVIPPERな名無しさん | 2008.06.29(Sun) 10:59 | URL | No.219001 - むしろ世界中の刀剣で、柄を別に作って刀身をはめ込むなんて
珍しい部類だろう。(折りたたみ式ナイフとかは除くが)VIPPERな名無しさん | 2008.06.29(Sun) 12:07 | URL | No.219038 - 4世紀ごろだと板金製の全身鎧とでっかい盾と真っ直ぐな剣で戦ってる頃かVIPPERな名無しさん | 2008.06.29(Sun) 16:31 | URL | No.219301
- ※427
胴斬りですら竹をとおしたカボチャぐらいなのか
それぐらいなら高校生ぐらいでも斬れそう
逆にやわな神経してたら斬った瞬間のリアルスプラッター映像がトラウマになりそうだな
武士が精神力を重視したのもわかる気がするVIPPERな名無しさん | 2008.06.29(Sun) 18:00 | URL | No.219376 - レピアーを日本刀で斬る レピアー粉砕される
ttp://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071213162356.jpg
日本刀を厚みと幅が倍の西洋の剣で斬る 日本刀まるで平気
ttp://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071212175955.jpgVIPPERな名無しさん | 2008.06.29(Sun) 19:38 | URL | No.219450 - 米452
それ以前に、本当に人間の胴体を据え物切りのように切って
「死んで時間が経ったものは固いな」とか「生きてるのは竹を通した
カボチャぐらいだ」とか言ってるとしたら、100人切り論争だの
南京虐殺論争を笑えん・・・・そっちの精神性の方が怖い。
戦闘に参加した兵士の感想ならともかく、軍医の感想ってのはなあ・・・・
本人が試した感想だとしたら、軍医が最前線で刀振るう状況ってのは
考えにくいわけで、となると戦闘中の話ではない事になる。VIPPERな名無しさん | 2008.06.29(Sun) 21:34 | URL | No.219630 - 日本刀は二三人斬ったら刃こぼれするよ。どんななにいい業物でも。
考えてみ、本気で人をきるんだよ。鎧をきた
精神的コンディション+疲労で次は本気で斬れない
半端な運動エネルギーで刀に作用がかえってくる
しかも鎧だって業物があるはずVIPPERな名無しさん | 2008.06.30(Mon) 01:01 | URL | No.219981 - 俺の居合い練習刀だけど重いよ
初めて振った時は5回くらいで二の腕がヤバくなったVIPPERな名無しさん | 2008.06.30(Mon) 01:40 | URL | No.220077 - きちんとグラムで言えよw
自分で買ってきたんだろ| 2008.06.30(Mon) 01:47 | URL | No.220087 - マサイの戦士を武装させて集団戦法おぼえさせたら最強じゃね?VIPPERな名無しさん | 2008.06.30(Mon) 07:47 | URL | No.220306
- 神が人類をテストしようと思い、バナナを吊るして棒を一本分け与えた。
アメリカ人は棒を投げてバナナを叩き落した
イギリス人は下層階級の上に乗ってバナナを取った
支那人は最初に棒を持った人が他の邪魔者を叩き殺して死体の山に昇った。
一方日本人は、バナナはほっといて同じ棒を作りにいき、思い出した頃には脚立をもってきた。
VIPPERな名無しさん | 2008.06.30(Mon) 07:59 | URL | No.220313 - 実際は鎌倉時代や江戸時代の古刀よりも
明治や大正にはいってから、下級将校の為に作られた日本刀のほうが
切れ味も物持ちも良いらしい。
野鍛冶の爺さんのインタビュー本に載ってた。
考えてみれば製鉄、加工技術は時代とともに向上してる訳だから当たり前だけど。
ちなみに、「鍛冶屋の教え」っていう本。 みんなも読めーVIPPERな名無しさん | 2008.06.30(Mon) 09:26 | URL | No.220334 - フランスの国際法学者フォーシーユは、日本軍と中共軍を次のように語っている
「日中戦争で日本軍は、敵が国際法を無視したにも拘らず自らはこれを守り
日本軍人であることに誇りを持っていた。
支那兵は卑怯にして残虐極まりない軍隊で例えば中共軍の捕虜になると、
四肢を斬り分けられ生きながらに火あぶりにされたり、はりつけにされたりしたのである
更に日本兵の屍に対しても、酸鼻を極めた蛮行を行っている
即ち死者の首を切り落とし面皮を剥ぎとり、男根を切り落し
胸部を切り開いて石を詰め込み、首は両耳を穿って紐や針金を通し
さながら魚を串刺しにしたように口から喉に紐を通して持ち運びする等々
それが中共軍の戦争様式であり、
日本軍には絶対に見ることのできない支那の戦争文化である」とVIPPERな名無しさん | 2008.06.30(Mon) 09:48 | URL | No.220344 - ※460
ここでも何度か名前の出てる成瀬氏は、戦場での日本刀の修理経験から、
刃こぼれが少ないのは焼き入れの幅が狭い刀で、かつ刃が蛤に研いである
刀で、古刀がこれに当てはまると書いてたよ。VIPPERな名無しさん | 2008.06.30(Mon) 12:28 | URL | No.220498 - 成瀬氏の言う古刀ってのは、江戸よりも前の刀ね。462 | 2008.06.30(Mon) 13:27 | URL | No.220597
- 斬り合いでは最強よな。
歴史にも残ってるし、これだけは確実に言える。VIPPERな名無しさん | 2008.06.30(Mon) 17:58 | URL | No.220923 - 状況と使い手次第としかVIPPERな名無しさん | 2008.06.30(Mon) 18:34 | URL | No.220970
- 昔血の気の濃い侍は傭兵として海外進出してたらしい。
現地では馬のみならず象にも乗って戦い無敵軍団だったとか。
侍を傭兵として雇っていた雇い主は忠誠心の強さと戦場での戦果から重宝したらしい。
亜細亜最強かと……。VIPPERな名無しさん | 2008.06.30(Mon) 19:38 | URL | No.221107 - 体格論争が出てたのでたぶん語られてない真相を一つ。
海外に比べて日本人の平均体格は現在を見ても明らかなように
劣っていた(小柄であった)。
ただし、それは平均であって大柄なものもかなりの数が存在した。
なぜそんな矛盾のような事が起きたのかというと
日本人という種族の異常な繁殖力に原因がある。
現在では想像もできないだろうが、つい数十年まえまで
10~20人兄弟もザラにいたのだ。
世界的に最も信者の多いキリスト教が姦淫を罪としているのに対して
多神教が根本であり、原則として無宗教(神を信じないのとは別)
であった日本人は性的にかなりopen、つまりエロだった。
それは歴史的な資料をみてもあきらかである。
話を戻すがそうゆう背景から子供をたくさん作って
ひ弱な(働き手にならない男子、または女児など)子供を間引く(殺す)
という優先遺伝子選択行為が日常的に繰り返されていた。
そのために以上に体格のいい人間が大量生産されていたのである。
日本人の繁殖力(生命力)は平均寿命や、どこの土地にでも
溶け込んで日系移民を生みだす順応力をみても疑いようのない事実である。
生まれた瞬間にエリートとしてより分けられた人間が
武家として戦闘教育を受けて育つのだから強くて当たり前であり
現在の日本人のように誰でも生きていられてなんの訓練もせずに
20歳を迎えるような人間がひ弱なのは仕方ないことである。
ちなみに戦国時代以降、戦闘が減り地方農家以外での間引きが減ったために
江戸時代の頃には日本人は本来の体格(成人男子で平均150~170)
に戻る事になる。VIPPERな名無しさん | 2008.06.30(Mon) 21:58 | URL | No.221364 - ※36
最近怪傑ゾロの映画を見たんだけど
サーベルで一撃喰らっても致命傷にならずに動いていたという場面があった
多分そういうことを言っているんだろう名無しさん | 2008.06.30(Mon) 21:59 | URL | No.221368 - ちなみに、東南アジアに「サームレイ」っつー言葉があるが、
これはサムライが語源。
戦国時代が終わって仕事がなくなった武士たちは、
アジア各地で傭兵として活動していたからね。
実際、アンボイナ事件でも、殺されたのはイギリス兵と
日本人傭兵。
民間軍事企業についての本を書いた著者によると、
東インド株式会社の傭兵の半分はドイツ人で、残りは日本人だったんだと。
>>421
「雑兵物語」でも、騎馬戦に向く地形であれば、
騎馬武者を集めて騎馬戦するぜっつー描写が出てくるのだが(´・ω・`)
騎馬=戦場のタクシーというのは、当時の軍学を全く踏まえてない
ただの妄想だぜ。VIPPERな名無しさん | 2008.07.01(Tue) 02:25 | URL | No.221726 - 467
そうだった。繁殖力のことについては忘れてたな。そういう理由による体格向上はあるかもしれん。
VIPPERな名無しさん | 2008.07.01(Tue) 02:54 | URL | No.221746 - 「軍学」を踏まえるなら、騎馬武者は混成部隊の中核であって
単独行動はまずない。
戦う時には後方に馬備を設けて馬を置き、徒歩で槍を持ち戦う。
逃げ出した敵は馬に乗り足軽を指揮して追いかける。
「雑兵物語」は場面場面を「切り取った」描写をしているわけでねえ。VIPPERな名無しさん | 2008.07.01(Tue) 08:51 | URL | No.221824 - 雑兵物語に軍学w
って笑うわけじゃないが、雑兵物語って、自分の指揮官も見当たらない
乱戦の戦場で、雑兵二人連れ立って、これまた乱戦の中部下とはぐれた
のか、単機の騎馬武者が駆けてきたところに、さしてビビルでもなく長柄を
馬に突き立てたら槍が折れて相手は槍を突き立てたまま走っていった・・・
とか、妙にのどかな空気が漂ってるよな。VIPPERな名無しさん | 2008.07.01(Tue) 10:34 | URL | No.221863 - 侍、カッコイイ。
いや…今の日本人(特に俺みたいなのね)情けないな・・・。
日本人見たことなくて侍のイメージしかない外国人が今の日本人見たら幻滅するだろうなVIPPERな名無しさん | 2008.07.01(Tue) 11:02 | URL | No.221876 - アメリカで忍者の目撃証言で学級閉鎖ってあったな。VIPPERな名無しさん | 2008.07.01(Tue) 12:03 | URL | No.221900
- 近所の祭りに参加するためのコスプレだったらしいVIPPERな名無しさん | 2008.07.01(Tue) 14:32 | URL | No.222021
- ★南京大虐殺の嘘
【普通にオカシイ】
・原爆被害者ですら数十万人なのに『一軍隊が30万も殺害』するのは不可能。
・そもそも『20万人しか居なかった街で30万人』が殺されるわけがない。
・仮に南京市に30万人がいたとして、それだけの人数が順番待ちでもしてたかのように
『30万人全員が逃げずに殺される』などという話は現実的にはありえない。
・避難中の民が急に『戦闘地区に戻って来て』死者数が30万に増加など論外。
・30万人虐殺の一ヵ月後に『30万人が街に帰ってきたから人口が元に戻った』
という中国の主張は不自然で整合性に欠ける。
・死んだはずの南京市で、元の人口相応数の子孫が生まれている。
・中国政府が『30万人は政治的数字だから変更できない』と公言したことが
ある。中国国内の政治的数字など日本には知ったことではない。
・『大虐殺』の定義が不明。
南京戦という局地戦における戦死者でまともに
確認されたのはせいぜい2000人と一般戦闘並み。それを『大』とするなら
妥当な規模ではないし、『虐殺』とする証拠も一切ない。つまり解決済みの
一戦闘をことさら取り上げて日本を攻撃する『事件性がない』。
・日本軍に虐殺動機が全くない。
・物資不足で敗戦を余儀なくされた日本が、敵軍に急襲されかねない緊迫した
状況下で弾薬を無駄にしてまで一般人を『遊興で30万殺害する説』など異常。
・虐殺後に減るならわかるが『逆に南京の人口が急増してることが不自然』。
・なぜか被害者数が年々『水増し』されている。
・「南京全市民は約20万人が全員無事だった」と、現地の安全区国際委員長から
日本軍に感謝状が出されている。
・市民が避難した安全区に逃げ込んで一般市民の衣服を奪って武器を隠し
持って日本を騙し撃ちする卑怯な兵隊を「便衣兵」というが、これらを
捕まえて処刑するのは戦時国際法において合法な"戦闘行為"であり
虐殺ではない。これを虐殺というのは逆恨みでしかない。
・「中国政府の意向に沿った記事を書くこと」を宣言した朝日新聞の自虐的な
贖罪キャンペーンを受けて、戦後33年も経ってから日本の中学校教科書に
突然『中国の教科書にさえ載ってなかった大虐殺』が登場することが不自然。VIPPERな名無しさん | 2008.07.01(Tue) 14:58 | URL | No.222038 - ここまで日本刀の論議してて、いまだに「刃引き」の単語が出てないのな。
武器って切れ味があればいいってもんじゃねーぞ。
一対一ならともかく、悪条件が当たり前の戦争だと下手すりゃ、刃筋考えなくていい分、西洋剣の方が「殺せる」ぞ。
斧が脂でぬめって斬れなくなるなんてことがあるか?
日本刀でさえ、行き過ぎた切れ味を殺すために「ある程度の刃引き」をするってのに。VIPPERな名無しさん | 2008.07.01(Tue) 17:57 | URL | No.222170 - 明治時代以降、刀の刃を平らに研ぐようになった。
すると蛤に研ぐのに比べて見掛けの切れ味は増す。
(そりゃ、刃がより鋭角になるのだから)
だが刃毀れも増すし、斬った物の「離れ」も悪い。
そういう意味では、近代の刀の方が「切れ味は良い」と言えるが、
連続使用には向いていない。(現代でも試斬りで畳を切るような
時は、蛤に研いだ刀を使ったりする)
ま、鎧を着て戦う時代には、隙間に当たれば斬れるがそれ以外では
鈍器と変わらんとも言えるが。それでも刃を平らに研いだりすれば、
余計にボロボロになってしまう。
ついでに言えば、江戸以降の新刀や新々刀は刃紋は綺麗なものが
多いが、焼きを広い範囲に入れている事で、やはり刃毀れはしやすく
なっている。
結局、実戦での使用機会の減少によって段々実用武器からは
遠ざかっているんだな。美術品としては綺麗になったが。
戦時中は日本刀が魂だなんだと言ってみんな持ち歩いたが、
明治時代にゃ警官だってサーベル持ってたんだから・・・
ある意味、室町時代に日本から何万本も輸出され、「倭寇」を称した
大陸の現地民の武器として、明の兵士相手に猛威を振るった時の
日本刀は、究極の実戦使用例かもしれない。VIPPERな名無しさん | 2008.07.01(Tue) 18:46 | URL | No.222199 - 471
472
朝っぱらから2時間以上も張り付いてんのかw
仕事は?VIPPERな名無しさん | 2008.07.01(Tue) 18:50 | URL | No.222200 - 「武者」の語源は「ムーサ」だっけ?VIPPERな名無しさん | 2008.07.01(Tue) 18:54 | URL | No.222204
- そういや米477の斧で思い出したけど、一次大戦の塹壕戦で、
至近距離で一番強かったのはシャベルのフチを研いだもの
だったとかwVIPPERな名無しさん | 2008.07.01(Tue) 19:01 | URL | No.222209 - 米467 つっこみどころ満載だが 何も言わずに飲み込んだとしても
筋肉のつきが 白人とは明らかに違います
VIPPERな名無しさん | 2008.07.01(Tue) 19:49 | URL | No.222256 - そっとしておいてやれよ・・・・VIPPERな名無しさん | 2008.07.01(Tue) 23:18 | URL | No.222419
- そういや日本の伝統的な農具とかで、シャベルに該当するものって何?
ツルハシとかじゃ土をすくえないよね。VIPPERな名無しさん | 2008.07.01(Tue) 23:41 | URL | No.222433 - 西洋の剣は資源の無駄遣いVIPPERな名無しさん | 2008.07.01(Tue) 23:42 | URL | No.222434
- 日本の場合は日本列島が恵まれすぎ
地力は豊かだし金銀は豊富だし塩は取り放題で鉄も豊富(日本刀用の砂鉄は不足がちだったがそこまでの質を求め無ければ鉄自体は豊富に取れた。とれない土地との格差はあった)災害に関しては問題ありだったがそれ以外に関してはこんなに恵まれた土地は無い。(ただし水害対策、治水工事に対しても少なくとも西洋に比べると300年ほど進んでいた。)
まさに神に祝福されてるとしか思えん。少なくとも1500年以前までは日本列島だけでかなり完全に近いバイオスフィアになってる。
かといって外国に興味が無いかといえばそうでもなくて文化交流と交易にはめちゃくちゃ積極的、海を渡り、平安時代で既に遠く波斯(今のイランあたり)まで人を派遣して商売に精を出す。
VIPPERな名無しさん | 2008.07.02(Wed) 01:54 | URL | No.222630 - 黒潮を独り占めしているような環境も素晴らしい
コイツのおかげで比較的楽に遠洋航海ができる環境を最初から手に入れていた
まあ宋がまだあった頃は独り占めというような感じではないがもともと宋とは仲良くやってたしなVIPPERな名無しさん | 2008.07.02(Wed) 02:43 | URL | No.222676 - 遠洋航海するに足る技術は無かったけどね。VIPPERな名無しさん | 2008.07.02(Wed) 08:35 | URL | No.222800
- 今日も、アユタヤまで洋酒を抜け荷する仕事が始まるお。VIPPERな名無しさん | 2008.07.02(Wed) 16:26 | URL | No.223112
- 結論:
サムライみたいな武士階級は世界中どこ探してもあって、
それぞれおれらのがサイキョーっていいあってまするVIPPERな名無しさん | 2008.07.02(Wed) 21:34 | URL | No.223363 - ※488
技術も無いのに中東やインドまでいけるわけがないだろうにw
海人の技術をなめたらあかんよ
| 2008.07.03(Thu) 01:20 | URL | No.223622 - ※482
筋肉のつき方が違うといってもその事に気がつけるほど
栄養をしっかり取れるようになったのは16世紀以降
中世においては西洋人は華奢で小柄だったVIPPERな名無しさん | 2008.07.03(Thu) 01:23 | URL | No.223626 - ※490
それぞれ強かった時代というのがある
少なくとも13~16世紀で日本と張り合える国を西洋から探すのは難しい
当時でいえば日本と張り合えるのはオスマン帝国か元ぐらいしかないだろう
いいじゃんか西洋は19世紀になれば植民地から養分吸い取って強力になるんだからさ
当のヨーロッパ自身中世の自分らの立ち位置が低かったのはよくわかってる
実は騎士最強とか言ってるヤツは西洋人のほうが少ない
VIPPERな名無しさん | 2008.07.03(Thu) 01:52 | URL | No.223705 - 米491
日本で構造船の技術が発達してお隣の明に難破せずに確実に
たどり着けるようになったのが室町時代、でもまだ筵帆で
何十人も漕ぎ手を乗せるから本当の遠洋航海にはまだ遠い。
綿帆になったの江戸中期だよ。
少数の例を挙げてもね。VIPPERな名無しさん | 2008.07.03(Thu) 08:45 | URL | No.224022 - 黒潮を知らない人がいるらしいVIPPERな名無しさん | 2008.07.03(Thu) 11:35 | URL | No.224191
- 黒潮って日本の東側を北上してるわけで・・・・
黒潮に乗ってどこに行くのさ?
そのまま北太平洋海流に乗ってアメリカ到達?VIPPERな名無しさん | 2008.07.03(Thu) 12:08 | URL | No.224222 - やっぱり知らないんだなw
反流っていってねのぼりとくだりがあるんだよねVIPPERな名無しさん | 2008.07.03(Thu) 14:03 | URL | No.224443 - 最も昔は黒潮なんて言葉が無かったので他の潮流とあわせて下りと呼んでいたわけだけど。
これに乗って江南まではいける
そこからは陸路説と沿岸航行説(どこまで行っってどこから上陸したかでまたいくつかの説に分岐)があって現在でもはっきりしないんだがな
どのみち波斯までいけちゃってることは確かなのだなVIPPERな名無しさん | 2008.07.03(Thu) 14:15 | URL | No.224471 - ※467
ところでいい意見をいってるあなたに意見をもらいたいのだが
東西の武士の違いの話で言うと昔から日本は
東大西小っていわれてるよね
上方武士は小さくて身軽、坂東武者は大きくて勇壮。ってやつ
出来ればそっち方面での見解も聞きたい
VIPPERな名無しさん | 2008.07.03(Thu) 14:28 | URL | No.224522 - ※403
このあいだのトランスフォーマーでは変形する主役メカをみた主人公が「信じられない。アレは絶対日本製に違いない」ってつぶやくシーンがあったよね
VIPPERな名無しさん | 2008.07.03(Thu) 14:39 | URL | No.224565 - ※438
いろいろ香ばしい話に事欠かないみたいだよVIPPERな名無しさん | 2008.07.03(Thu) 14:57 | URL | No.224616 - クリスマスは韓国起源でない-サンタ協会の発表に困惑の韓国
グリーンランド国際サンタクロース協会が「クリスマスの起源は韓国ではない」
との異例の発表を行った。
名指しされた韓国は「何も言っていないのに…」と戸惑いをみせている。
韓国では「どうして韓国を名指しにして、そのような発表が行われたか分からない」
とコメントを発表し、
グリーンランド国際サンタクロース協会の意図がわからないと主張した。
しかし、韓国で秘密裏に行われていたという雪嶽山国立公園以北の謎の造成工事が、
発表と同時に停止したことや、韓国からカナダに発注されていた大量のモミの木、
ノルウェーに大量に発注されていたトナカイ、中国に大量に発注されていたサンタの衣装などが、
相次いでキャンセルされたことから、グリーンランド国際サンタクロース協会が何らかの情報を
事前に掴んでおり、韓国の不信な動きに先手を打って釘をさしたのではないかとの憶測が流れている。
(ABS通信)
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51049054.htmlVIPPERな名無しさん | 2008.07.03(Thu) 14:59 | URL | No.224624 - 基本的に武士階級は戦うのが仕事だったからそれなりに鍛錬はしてたんだろうし、近接武器での試合形式とかだったら強い方に分類されるとは思う
スパルタクスの軍とかあの辺を相手にするとなるとにわか武士じゃ勝てないかもわからんねVIPPERな名無しさん | 2008.07.03(Thu) 15:18 | URL | No.224689 - 盾と剣を持って戦う我が軍に対して
日本の賊の攻撃は日本刀で二回か三回打ち付けられるだけだが、
往々にして防ぎきれない。
彼らの日本刀の刀法の巧妙さを推して知るべきである。
”陣記” 何良臣VIPPERな名無しさん | 2008.07.03(Thu) 16:30 | URL | No.224900 - 中世の西洋人は餓死寸前
首都ですら餓死者多数
富裕層ですら160センチ代
土地はやせ細り疫病が蔓延
近代に至るまで厠(トイレ)の概念が無く道に垂れ流し。
衛生観念の発達が恐ろしく遅れていた。
宗教権力が暴走し戦争より拷問で殺される率のほうが高いVIPPERな名無しさん | 2008.07.03(Thu) 16:44 | URL | No.224928 - 黒潮反流って・・・・
幅100キロ、流速4ノットという堂々たる黒潮の流れの向こう側に、
流速0.3ノットの反対向きの流れがあるってなレベルだが・・・・
黒潮を乗り越えて貧弱な反流に乗るなんて航海術が、沿岸航海レベルの
時代に可能な発想か?
(ただし、日本の海運は世界トップレベルの物量ではある。「兵庫北関
入船納帳」に詳しい。約1世紀前のリューベクで年間300隻ほどに対し、
年間1900隻。ただし大型船は数えるほど)
東国では黒潮を下り潮とか呼んだが、これは京都から見て下りの方向に
流れてるって意味だし。
室町時代に構造船が作れるようになって、日本人も自前の船で
大した危険を冒さずに東シナ海を渡れるようになった。
で、日本から江南に向かう時は、「北九州からとにかく西に向かう」。
策彦周良だったかが遣明船に乗った時の記録では、磁石(羅針盤の
ようなものではなく、どうやら天然磁石をぶら下げただけのもの)で
西を調べている。多少南北に流されても、江南には間違いなくたどり着く。
黒潮反流なんぞ探すよりずっと簡単で確実。
東南アジアに向かいたければ、そこから沿岸航海で南に向かう。
黒潮はほとんど関係ない。
ただし江南から帰る時には黒潮と、黒潮から分かれた対馬海流が
役に立つ。
長江の吐き出す大量の水が、付近に東向きの流れを作っている。
それに乗ってスタートして、そのまま海流に乗れば北九州にたどり着く。VIPPERな名無しさん | 2008.07.03(Thu) 21:15 | URL | No.225369 - 米504
中世西洋でも「剣と盾」は実は廃れて、盾は儀礼的に使う場合が
多かったなんつー説もあるのに、
遅れてるな明のケンカはよ。VIPPERな名無しさん | 2008.07.03(Thu) 21:18 | URL | No.225376 - 一方、ローマの剣闘士は盾で殴った。VIPPERな名無しさん | 2008.07.03(Thu) 23:31 | URL | No.225730
- ファランクスとかレギオン、スペイン方陣や三兵ならともかく、
中世の西洋騎士が強いわけないだろ。
重苦しいプレートアーマーで機動性は皆無。
騎馬戦でも槍を構えて直進するだけ。
だからモンゴル軍に全く歯が立たなかっただろ。
モンケが死んでなかったら、今ごろヨーロッパなんかなくなってるよ。
VIPPERな名無しさん | 2008.07.04(Fri) 01:17 | URL | No.226077 - リーグニッツの頃にほとんどの兵士が着ていたのはチェインメイル。
短弓との相性が最悪に悪かった。
ガチガチのフルプレートの騎士が突進するなんて光景は、実の所
大して長い期間見られたわけじゃない。
が、槍騎兵の突進という戦術は20世紀まで使われてる。VIPPERな名無しさん | 2008.07.04(Fri) 08:45 | URL | No.226325 - 中国貴州省瓮(ウオン)安県で6月28日に起きた数万人規模の群集抗議事件で、同省公安庁は1日、貴陽市で記者会見を開き、事件の「真相」を公表した。遺族らが主張した強姦殺人説を否定、少女の死亡は自殺だったと説明した。
会見中、「目撃者」の証言を引用し、少女が川に「飛び降りる」
直前、橋に一緒にいた男性がレイプではなく、
「腕立て伏せをしていただけ。腕立て伏せをしていたところ、少女が川に飛び降りた」
と強調した。
当局の異例の説明に、ネット上の掲示板で罵倒の書き込みが殺到、
「今後、腕立て伏せを見ると恐怖を感じる」
「2008年ネット最流行語は、腕立て伏せになるだろう」
などとネットユーザーらが皮肉った。
こんなヤシらが主張する「南京大虐殺」ありえなす。VIPPERな名無しさん | 2008.07.04(Fri) 08:48 | URL | No.226326 - ここに上がってる資料見ると日本刀で鎧の上から殴っても全然平気そうだな
鉄の棒で殴っても折れないぐらいだしVIPPERな名無しさん | 2008.07.04(Fri) 15:21 | URL | No.226598 - そりゃ鎧に切りつけただけで刀がアッサリ折れては、
戦闘にならんだろうて。VIPPERな名無しさん | 2008.07.04(Fri) 16:00 | URL | No.226623 - 「この国の人々は、私が遭遇した国民の中でもっとも傑出している。
どの非キリスト教徒も、日本人より優れている者はいないと考える。
日本人は相対的によい素質を持ち、悪意がなく、交際して気持ちがよい。
彼らの名誉心はことさら強烈で、彼らにとって名誉がすべてである。
日本人の生活には節度がある。
ただ呑むことにおいては、いくらか過ぎる国民である。
彼らは盗みの悪を非常に憎んでいる。
私は今日まで旅した国において、
それがキリスト教徒たると異教徒たるとを問わず
こんなに信用すべき国民をみたことがない。
彼らは、皆、理性的な話を喜んで聞く。
スペイン人宣教師フランシスコ・ザビエルVIPPERな名無しさん | 2008.07.04(Fri) 17:59 | URL | No.226734 - レイピアは折られてたぞw
って別に戦場で振るうタイプの剣でもないが。VIPPERな名無しさん | 2008.07.04(Fri) 18:14 | URL | No.226760 - コメント欄が物凄く面白いです。勉強になりました。
読んでいる内に、日本史や日本刀に興味が湧いてきたので、自分でも調べてみようと思います。
日本万歳!VIPPERな名無しさん | 2008.07.04(Fri) 22:09 | URL | No.227094 - ※507
明はもともと貧農出身のテロリストが成り上がった末に
日本との戦いで海上交易権をなくし徐々に衰退していった元を追い払って建てた国なんだな。
この皇帝、自身の出自にすごいコンプレックスがあって皇帝になると貴族、大商人、学者をあからさまに弾圧するようになる。
さらに息子が生まれると、自分が引退したあとが心配になり今まで一緒に戦ってきた忠臣だろうとおかまいなしに少しでも意見したり目立ったりすると粛清するようになる。
これで優れた学者や優秀な武官がどんどんいなくなっていった。
更に極めつけは権力の集中を恐れ「武官は学問をしてはならない。文官は武力をもってはならない」という決まりを作ってしまう。
おかげで武官は戦史すらまともに勉強できないため戦略的な力がどんどん低下。後継者も満足に育てられず、ろくでもない軍隊になってしまう。
そこで代を重ねるごとに正規軍は益々弱体化、形骸化し、やがて金でしか動かないゴロツキのような傭兵にたよるしかない状態になっていく。
ただし、こういった傭兵の中から個人的な戦闘能力の高い(日本で言えば武芸者のような立場)達人はちらほらとは出現する。
ただそういう人のうち軍を動かせる立場になれた人は一握りで正規、非正規軍をとわず、ほとんどの軍は烏合の衆だった。
戦い方が幼稚でも仕方が無いんだな。VIPPERな名無しさん | 2008.07.05(Sat) 03:48 | URL | No.227326 - 海外に渡った侍何人かいたよな
メリルを切り裂いたって海外の記録に残ってるぜVIPPERな名無しさん | 2008.07.05(Sat) 11:55 | URL | No.227435 - サムライの定義がいまひとつわかりませんが、
東西関係なく鉄砲登場以前の戦での武器の使用頻度の高さは基本的には弓、槍、刀剣の順番となります。
信長に関する正式な資料である『信長公記』にもありますが、長篠の合戦で鉄砲三連打ちや騎馬隊の突撃はありませんでした。
考えてみればわかりますが、騎馬は的として大き過ぎます。
ここで騎馬兵は集団での戦ではあまり思い切って使われていません。
馬騎けと言う戦術が武田軍の騎馬軍団と連想されているとは思いますがそれは正しいですが普通は歩兵に陣を崩させてからなので長篠の合戦は歩兵が陣が崩せなかったので馬騎けしなかったそうです。
また日本において刀は指揮官の指揮棒や武士の権力の象徴としての意味合いのほうが強く戦で使われることは稀だったそうです。
槍VS刀じゃ槍が勝つのは当然ですよね。
更に日本の戦争は応仁の乱以降ぐらいから完全に集団戦闘としての血生臭いイメージが強くなります。
しかし欧州ではナポレオンの登場まで戦争は非常に儀礼的で死者や負傷者のはとても少なかったそうです。
それに日本の戦争は戦国時代の頃は兵農分離がなっていなかったので農民も兵士としての力が強い人はよくいたそうです。
一対一なら日本刀の性能や剣術の流派の多さ等で侍だとは思います。
しかし集団戦闘となると時代の違いで変わってくると思います。
しかも国の環境の違いや地形の違いもあるのでサムライは日本の風土のなあでの戦士であり、欧州の騎士は欧州の風土の戦士であり、中東の兵士は中東の風土の戦士なのでこの問題の結論は難しいと思います。
まあ、集団戦闘の場合16世紀までは日本の軍隊のレベルは非常に高いといえると思います。VIPPERな名無しさん | 2008.07.06(Sun) 02:35 | URL | No.228038 - 槍が出てくるのは日本の長い歴史で言えばつい最近のはなし。
世界で言うスピアーに相当する袋槍は日本では矛といってはるかな上古の時代には使っていたが平安時代までに日本刀に駆逐されてしまった。
柄が総木製の武器は日本刀と相性が悪かった。
もちろん弓によって駆逐されたともいえるが弓持ち出したらどんな白兵戦の武器でも勝てないんだから矛だけが滅んだ理由にはならない。
また当然上古の時代にも弓はあり矛と共存しているので弓は矛の淘汰された主理由からは外れるといっていい。
平安以降室町時代後期までの長柄武器は薙刀があったがこれは槍とはちがい日本刀の柄が伸びていった結果生まれた武器、柄の中には日本刀同様中子が入っていて、手元まで踏み込まれない限り折れたり切り落とされることが無い。
ただし、当時は馬上で戦うのが武士の主流だったので弓を持って更に薙刀というのは現実的ではなかった。
歩兵はよく薙刀を使ったが当時の戦争の主力は徒士ではなく馬上の武士達であり、
武士が白兵戦に突入するときはやはり日本刀が主力となった。
ただし、南北朝時代になると現代人になじみのある二尺3~4寸のようなものではなく、かなり長尺な日本刀が使われた。
その後、後期の日本の発明した白兵最強武器である槍がやっとこ登場する。
薙刀のように、日本刀のように柄の中が鋼鉄の中子となっている槍。
日本刀と同様鍛造で出来上がった強靭な穂先。
折れず曲がらずよく切れ、当然よく刺さり、そして思い切りぶったたくことにも使える。
ただ馬上で槍を持ち出すのは戦国時代まで待たねばならない。
そしてこの後、あっというまに鉄砲の時代へ移ってしまう。
白兵戦で槍が主役だった時代のなんと短いことか。
10世紀から15世紀まで白兵戦におけるメインウェポンは日本刀。VIPPERな名無しさん | 2008.07.06(Sun) 03:16 | URL | No.228054 - 室町時代の武士の一日の記録なんてほとんど馬、弓、剣、書のどれかを触ってる時間になってる。
飯いつ食ってんだこいつらと思うよ。
ただストイック一点張りかとおもえば夕方になれば自宅に遊女連れ込んでドンちゃん騒ぎしてる。
きつそうだけどわりと楽しそうでもあった。VIPPERな名無しさん | 2008.07.06(Sun) 19:48 | URL | No.228507 - http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfree&nid=360939
朝鮮出兵の際の明、朝鮮側の記録。大陸の連中は白兵戦ではサムライにまるで歯が立たなかったようだ。VIPPERな名無しさん | 2008.07.06(Sun) 21:54 | URL | No.228606 - 米520
貴方の中では茎がどんだけ長いんだ・・・・?
薙刀は平安期のものなどはほとんど残っていないが、戦国期の槍でも
柄を貫くような茎なんぞ入っていない。
(槍は豊富に残っているのだから、自分で確かめてくれ)
そもそも、樫の柄を日本刀の一振りでアッサリ両断などとは、そうそう
出来るものではない。故に、そんな中子は必要ではない。
薙刀はなるほど日本刀に柄を付けるという発想で作られたものだが、
この事自体、棒状兵器が刀剣に比べ徒歩の白兵戦では有利である事を
示し、そのような兵器が求められていた事を示す。
(そもそも日本の槍の起源を菊池槍とするならば、槍も短刀に柄を付けた
ものから始まったことになる)
矛は鎌倉時代のものなども遺されているから、平安以降も完全に消えた
わけではないが、棒状兵器の中心は薙刀に取って代わられている。
鍛冶技術が発達して、充分な強度の茎が作れるようになれば、
細工の難しい袋穂が廃れるのは当然の理屈。そういう意味では
「日本刀を誕生させた鍛冶技術の発達が矛を衰退させた」事にはなる。
また平安朝がそれまでの正規軍の大部分を廃止してしまっており、
そこから武士が台頭する過程において、特に初期の武士団ほど
徒歩兵の比率の低い事から、棒状兵器の歴史が一時的に断絶した
ように見え、日本刀が矛を駆逐したと考えてしまうかもしれない。
なお、平安~鎌倉期の武士はまず第一に騎射であり、馬上では次に
組討である。太刀を携帯はしていても、その使用は下馬時が中心である。
これは「武士」としての形式・格式の類の問題であるから、元寇から南北朝
にかけて、より実戦的な戦いが求められる流れの中で、騎射・組討への
こだわりが廃れて馬上での打物使用が行われるようになる。
その南北朝期には菊池槍の登場、槍の発達と進むので、結局は武士の
白兵戦頻度が上がったら、槍が最も便利である事が判明したのだと
言える。南北朝期はその過渡期において、刀が唯一にして最も輝いた
時代かもしれない。
で、弓は矛とも共存していたのだから弓が矛を駆逐したことにならない
という理屈に対して、鉄砲が登場した後は槍の時代ではないというのは
おかしな理屈でないかい?
槍は武士にとってはその後ずっとメインウェポンである。
なお、江戸時代には「馬上の槍は犬槍」と言われ、槍の馬上使用には
否定的である。(また軍学の各流派も、下馬して持槍を持って白兵戦を
戦うと教えている)
これは単純な話で、馬上であまりに長い槍は自在に使いこなせない、
徒歩用の持槍が一間半から二間半あるのに比して、馬上槍はずっと
短く、不利であるという話。至極単純にして明快明瞭である。
よほどの腕自慢ならテクニックで馬上で長い武器を使いこなすか、
短い武器でも長い武器をいなして勝つのだろうが、一般論としては
オススメできないのは当たり前。VIPPERな名無しさん | 2008.07.07(Mon) 01:27 | URL | No.228740 - 槍の中子は二尺が標準らしい
外国に比べたら長いなVIPPERな名無しさん | 2008.07.07(Mon) 08:24 | URL | No.228818 - ※522
なるほどねー
参考になった
>http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfree&nid=360939
> 朝鮮出兵の際の明、朝鮮側の記録。大陸の連中は白兵戦ではサムライにまるで歯が立たなかったようだ。
>朝鮮出兵の際の朝鮮側の記録 「武藝圖譜通志」の記述
> 「倭軍と対陣すると、倭軍はたちまち死に物狂いで突進してくる。我が軍は、手に槍を持ち、剣を帯びていても、その剣は鞘を出る暇も無く、槍は矛先を交えることもできずに、凶刃のもとにやられてしまうのである」
>朝鮮側の記録「宣祖修正実録」の記述
> 「天兵(明兵)は短剣を持ち騎馬であり火器はなく、道は険しく、泥深くして駆けることができない。賊(日本軍)は長刀を奮って左右に突撃し鋭鋒であり、敵なしだった」
VIPPERな名無しさん | 2008.07.07(Mon) 08:36 | URL | No.228822 - まあ馬上打ち物は組討のことではないことは確かだなVIPPERな名無しさん | 2008.07.07(Mon) 10:09 | URL | No.228841
- 武士の主家に対する忠誠心が他国より強くて自分の命を捨ててでも精神が結果強かったんじゃない?
二次大戦のジョークで世界最強の軍隊を作るにはドイツの将軍、アメリカの参謀、日本の兵士とかって言うくらいだから。
昔のヨーロッパは戦争するのに使う兵士はみんなその戦争のためだけに雇った人だったし、本気で戦わなかったとか。
そこそこは強かったかと。VIPPERな名無しさん | 2008.07.07(Mon) 10:19 | URL | No.228847 - それを言ったら中世ヨーロッパは君主と騎士の主従関係だけどなあ。
日本と違って、契約の概念の元、どんな命令にどんな範囲で従うかを
明確にした主従関係だけどね。
日本にしても忠義忠誠がうるさく言われたのは江戸時代で、戦国時代は
よほどとんでもない裏切り方でもなければ、生き残るための裏切りは
仕方の無いものと考えていたわけだし。VIPPERな名無しさん | 2008.07.07(Mon) 12:03 | URL | No.228906 - 戦国時代の士道に含まれる忠義は「惚れる」ってことだからなぁ
主従関係であっても一種の友情なんだな
VIPPERな名無しさん | 2008.07.07(Mon) 14:25 | URL | No.229018 - 模造刀を日本刀で斬る 模造刀が真っ二つに斬れる
日本刀鎬を日本刀で斬る 日本刀は折れない曲がらない
日本刀刃を日本刀で斬る ぶつかった箇所は刃こぼれのみだが根元で折れる
レピアーを日本刀で斬る レピアー粉砕される
http://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071213162356.jpg
日本刀を厚みと幅が倍の西洋の剣で斬る 日本刀まるで平気
http://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071212175955.jpgVIPPERな名無しさん | 2008.07.07(Mon) 16:03 | URL | No.229070 - 彼らの風習の多くは、我らのそれとはいとも大いにかけはなれ、
異風で隔たったものであり、かくも高き文化、いきいきとした才幹、
そして天賦の知性に恵まれた日本人と我々との間にこれほど
極端な対照が存在し得うるとはほとんど信じる気持ちにはなれぬほどである。
彼らの文化、風俗、習慣の多くの点で、スペイン人よりまさっている。
朝鮮人は頭上に振り翳される日本人の太刀の威力に対抗できず、ついに征服された
ヨーロッパ人の肉体は繊弱なので、治癒が非常に遅い。
日本人の肉体は頑健なので重傷、骨折および災厄からも、
われわれ以上に見事に、しかも一層速やかに快復する。
ルイスフロイスVIPPERな名無しさん | 2008.07.07(Mon) 23:36 | URL | No.229724 - 時代がいろいろと飛びすぎて頭がこんがらかるな
だれか図解頼むVIPPERな名無しさん | 2008.07.08(Tue) 01:09 | URL | No.229871 - 7世紀頃から飛鳥時代奈良時代には聖徳太子が
中国に対等を主張しながら留学生を送り中国の良い物を学んだ
8世紀に中国式の公地公民制では経済的に効率が悪いので止めて
開墾した土地の私有化荘園を認め地方まで開拓活性化した
9世紀には、もはや中国に学ぶ事は無いとして遣唐使を廃止し中国との関係を絶った
そして固有の国風文化を創造し文化的に独立し東アジア初のアルファベット文学等も生んだ
10世紀には荘園が広まり優れた領土経営者サムライが生まれる
11世紀には中国の日本刀歌に見るように固有の日本刀を開発輸出し一部技術で中国を越えた
12世紀には源頼朝が鎌倉幕府を開き武家政治が始まる
13世紀鎌倉時代には元寇でモンゴル中国韓国の3ヶ国連合軍を返り討ちにして、建築や農業技術が発達
14世紀15世紀にはサムライに保護された日本庭園や茶道や能や華道や禅や連歌等の室町文化が盛んになる
16世紀には鉄砲生産量世界一の国になり豊臣秀吉が朝鮮奥地の会寧まで攻め込むようになった
17世紀には平和と繁栄の江戸時代を迎えた
18世紀には一人当たりのGDPが中国を越え、江戸が世界最大の都市となる
19世紀には逸早く欧米の侵略に備え明治維新開国近代化を成した
20世紀には日清日露戦争に勝ちユーラシア最大の経済力をもつ大国となった
21世紀の現代には日本は世界最高の技術力を持つ先進国になっている
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfree&page=6&nid=363700&start_range=363553&end_range=364037VIPPERな名無しさん | 2008.07.08(Tue) 13:05 | URL | No.230268 - 槍と日本刀の関係は
坂井三郎が言うところの「落ち穂拾い(奇襲技)」と「左捻り込み(格闘戦)」の関係とよく似ている。
遠距離から忍び寄り真後ろやや下方からの奇襲によって安全に敵を落とすのが坂井の常套手段であり成果の大半であるがその大胆でかつ安全な方策を取れるのは仮に失敗しても俺には格闘戦で絶対の自信(左捻り込み)があるからだと。
坂井も捻り込みや巴戦の訓練は死ぬほどやったが奇襲のための訓練は全くやっていない。実戦用の手段は実戦でだけ使い、訓練はしない。
一方で比率としては私は全く使わないとまで言い切る格闘戦を訓練し神業レベルの技術を習得する。
実戦では槍のほうを多用していたにも拘らず当事者の武士達は剣術を重視し槍術は片手間(もしくは剣術の付属)というのが大半だった。
より難しい条件の武器の操作に習熟すれば簡易な武器の操作はその応用で事足りるということだろう。
VIPPERな名無しさん | 2008.07.08(Tue) 17:56 | URL | No.230632 - シミターとかシャムシールとか、イスラム世界に曲刀はあったわけだが。
なぜ誰も言及しない・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%A0%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%ABVIPPERな名無しさん | 2008.07.08(Tue) 18:51 | URL | No.230686 - サムライは世界的に見ても強い方だと思う
何よりその強靭な精神力により敵がいなくなるまで戦い続け
日本人特有の生真面目さがおそらく戦闘力の向上に繋がると思う
ただ、実績が無いから「元」とか強豪国に比べて低いと思う。
ちょっと聞きたいのだが
防具をつけず打ち刀を装備する=侍
鎧を着けて太刀、槍、弓等を装備する=武士
というイメージがあるのだが・・・・
間違っているのだろうか?VIPPERな名無しさん | 2008.07.08(Tue) 18:52 | URL | No.230687 - もはや本来の趣旨から外れてはいるが・・・
槍って刀より扱いが簡単か・・・・?
全くの素人同士が槍と刀を持って戦ったら槍を持った方が
勝つ可能性が高いだろうが、それとこれとは別だろう。
いくらなんでも片手間に槍練習してるだけじゃ、本気で槍術やってる
奴には勝てんよ。反射神経が超人的とかなら別だが。
動きの体系にかなり違いがあるからね。
坂井氏を例に出されても、戦闘機で格闘戦の訓練を積んでる時点で
あらゆる機動をマスターしてるだろ。
そんなのは背負い投げの練習をしてる奴なら一本背負いだって出来る
という程度の差で、奇襲戦法をメインにしていても、一番大事なのは
真っ当な戦い方で強い事だと説いてるだけでしょ。
どっちにしても同じ戦闘機だし。例になってない。
戦国時代に兵法者が現れたりするのも、結局は戦場の武器である槍と、
常に身に付ける武器である刀の差で、刀に精神性をも見出しているから。
ところが江戸時代に入って平和になって、さらには武士のサラリーマン化
まで進んで、槍を手にする機会が激減したから、変な勘違いを招く。VIPPERな名無しさん | 2008.07.08(Tue) 19:18 | URL | No.230712 - 米535
それを言ったら日本にも日本刀より以前から蕨手刀がある。
つか、中国にも湾刀はいくらでもある。騎馬民族にもある。
だが軟鉄と鋼鉄のコラボレーションな存在である日本刀は
やはりヴェルタースオリジナル級に特別なのだよ!
・・・・でも折れず曲がらずってのは有り得ないんだけどね。
折れないけど曲がります。
それに日本刀の場合、刀身が損傷する前に柄が壊れるしね。VIPPERな名無しさん | 2008.07.08(Tue) 19:24 | URL | No.230718 - 米538
なんか西洋=サーベルって感じになってるから違和感あってね。VIPPERな名無しさん | 2008.07.08(Tue) 19:33 | URL | No.230728 - 柄が壊れるのはへたくそだからだけどねVIPPERな名無しさん | 2008.07.09(Wed) 01:40 | URL | No.231577
- そうはいっても日本の槍術で剣術と併用でない槍だけの槍術は存在しない(失伝除く)わけだが…
表芸で槍術とうたっていても目録を見れば剣術のほうが多く
表芸で剣術とうたっているのに目録を見れば槍の術が2,3入っていたりするのが日本の武術
動きの体系に違いがあったら一つの流派になりえない
とある流派によれば剣で目録まで行けば槍はただ突くだけでいいそうだ。
他には何も口伝はいらずだとかVIPPERな名無しさん | 2008.07.09(Wed) 01:51 | URL | No.231602 - ※539
イスラムは西洋ではないから西洋の話をしてるときにはシャムシールの話は出ないほうが自然だと思う。
西洋対イスラムの話でなら出るだろうけど。
VIPPERな名無しさん | 2008.07.09(Wed) 03:48 | URL | No.231728 - 米540
現実に柄が壊れまくったのが日中戦争。
運んでるだけで壊れたのもあったっつーがそれは除外しても、
世の中達人だらけですか?VIPPERな名無しさん | 2008.07.09(Wed) 08:49 | URL | No.231845 - まあレピアもヒルトがすぐがたついて取れるとか
ハルバードのヘッドがすっぽ抜けるとかよくあったっていうからな
武器は案外壊れるものなんだなVIPPERな名無しさん | 2008.07.09(Wed) 14:58 | URL | No.232118 - 三銃士でレイピアを手で折ってたような・・・・VIPPERな名無しさん | 2008.07.09(Wed) 15:32 | URL | No.232155
- まあレイピアはガチの戦争用武器と比べたらアメ細工みたいなもんなのかもしれないな
日本刀と比べたら可哀想かもしれない
日本刀で叩いただけで折れるようだし
ttp://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071213162356.jpgVIPPERな名無しさん | 2008.07.09(Wed) 15:48 | URL | No.232163 - プロパガンダ写真
<軍刀編>
http://resistance333.web.fc2.com/propaganda/guntou1.htm
http://resistance333.web.fc2.com/propaganda/guntou2.htm
http://resistance333.web.fc2.com/propaganda/hijyo.htmVIPPERな名無しさん | 2008.07.09(Wed) 16:55 | URL | No.232217 - あんまり茎は長くないね。
ttp://c104g5af.securesites.net/sword/yari/main-j.html
せいぜい一本か二本の目釘が槍の穂先や刀の刀身にかかる
力を支えるんだから、壊れるのも無理は無いね。
↑にある刀で、南北朝頃の刀には目釘穴が3個とか5個ってのも
あるけど。さすが刀の全盛期。VIPPERな名無しさん | 2008.07.09(Wed) 18:14 | URL | No.232288 -
(※中世騎士VSサムライはどう?と聞かれた西洋人の書き込み )
戦いの観点では、サムライはずっと速く動けるという強みがあった。
サムライは甲冑をまとっていたとはいえ、騎士が着用していたようなものではない。
時代にもよるが、おおむね1200~1700年代にサムライがまとっていた甲冑一式は、鎧と呼ばれ、
騎士の甲冑の一揃に匹敵するが、はるかに動くことが可能だった。
後期にはサムライは甲冑を減らし、身を守るのに甲冑ではなく己の剣術を頼みとするようになった。
サムライは重い甲冑ではないおかげで、より持久力も得た。
騎士は疲れやすく、サムライはすぐには疲れないという利点があったんだ。
大変興味深いことに、中国人はブロード・ソードによく似ている、実際ほとんど同一の剣を使った
しかし、日本人が朝鮮を経て1592年に中国に侵攻した際、中国人は日本刀の優越を認め、
日本刀を使うためすぐにその様式を捨てた。
日本刀は中国軍の正規品の一部となった。
様式と製法は異なっていたが、その刀は同じといえる。
自分は全般的にサムライ寄りなんだ。騎士は着用した甲冑により大変厳しい戦いになるだろう。
とはいえ、それこそが優位なところだと思う。が、サムライは身軽で、きっと勝つだろう。圧勝さ。
― hitokiri_gensai ―VIPPERな名無しさん | 2008.07.09(Wed) 18:20 | URL | No.232292 - 日本では鉄砲が普及したら飛び道具に対する防御を捨てた
当世具足が出てきたけど、西洋でも鉄砲の普及に合わせて
ガチガチの重騎兵は消えていく。
それ以前がどうか?と言うと、西洋の騎士はあくまで“騎”士であり、
馬に乗ってる事にこだわっている。だから鎧も重くできる。
日本馬より遥かに体格に勝る馬が手に入る事もこれに貢献する。
(もっとも、十字軍の遠征では北方の大型馬は中東の暑さに耐えられ
なかった。騎士達は頼みの馬が使えず機動力を失ってるところに、
軽快なイスラム騎兵に襲われて散々な目に)
まあ実のところ、西洋の騎士も、馬に乗っていても役に立つのは敵から
逃げる時か逃げる敵を追う時だけだと言っている。そりゃ、相手が歩兵でも
ガチガチに隊列組んでパイクを構えられたら、近づけるものじゃない。
ま、逃げ始めた敵にダメ押しする衝力では、騎兵の突撃に勝るものは
ないにせよ。(だから槍兵が姿を消しても、槍騎兵は20世紀まで残った)
対して日本の武士は、南北朝の頃には馬上をデフォルトとしなくなった。
それは例えば、胴丸や腹巻の草摺、兜の錣の角度などを見ても明らかな
事で、徒歩戦闘を念頭に置いた装備をするようになっていく。
だからまあ、長々と書いてしまったけど、勝負の仕方で結果は変わるよと。
平安武士とガチガチの西洋騎士が馬上で戦う場合なら、弓が基本の平安
武士に対して、白兵戦メインの西洋騎士は圧倒的敗北を喫するだろう。
(平安武士にとっては弓こそ武士の武器で、徒歩の従者には薙刀やらを
持たせたわけだが、西洋騎士にとってはクロスボウや弓は徒歩兵の武器)
南北朝以降の武士と西洋騎士だったら、白兵戦勝負になるだろうが、
徒歩同士だったら、西洋騎士の方が動きづらくて不利だろう。
馬上同士だったら、本人次第かな?
馬上同士の白兵戦、かつ集団戦という設定なら、西洋騎士の勝ちかな。
結局、メインとする戦術・戦法に沿った装備をするわけだから、特定条件で
一対一の戦いを想定するのはあまり意味無いというか・・・・VIPPERな名無しさん | 2008.07.09(Wed) 19:23 | URL | No.232353 - 単純に計算すると、イングランドの長弓ではフルプレートを貫通できない
という話もあるけどね。
ま、鎧が貫かれなくても馬がやられては御仕舞だが。
それに軍全体では馬に乗ってる奴の比率なんて知れてるしね。
重騎兵は人間だけ無事、その他の兵はバタバタやられるでは戦闘に
ならないね。フルプレートでも薄い所や隙間もあるわけだしね。
そういえば日本でも、平安時代の一騎討ちは騎射から始まるわけだけど、
脇の下か兜の頂点の穴を狙えと言っていたね。
馬に乗る事を前提に作った分厚い鎧なら弓は結構防げるのかも。
でもそうなると、将を射んと欲するならまず馬を射よ!と。
そうなると次は馬鎧だなんだとなって、結局馬に乗ってても満足に
動けないという話になってしまうんだね。
だから最終的には、騎兵は軽装備での密集突撃により、速度と衝撃力を
発揮すべしという方向に行ったのが西洋であり、逆に無理に馬に乗って
戦わなければいいじゃないとなったのがサムライと。VIPPERな名無しさん | 2008.07.09(Wed) 21:44 | URL | No.232587 -
たしかにホーバークは針金の輪をつないだだけだからな
矢は防げない
日本の大鎧は10世紀初頭にはほぼ完成している
15世紀にようやく登場するフルプレートですら強弓より放たれた矢にはあまり効果が無い
一体成型プレートよりも革や鋼の小冊の方が全体のたわみが威力を吸収するため小冊そのものを貫通することはほぼ不可能で矢に対しての防御効果は高いという実験結果が中国武器集成にでている。
ただ並べただけだと隙間に矢が刺さる可能性があるが日本の鎧のように互いに深く重なって結束されていればその心配も無い。
一方プレートで矢に対抗しようとすると矢の貫通を10mm以内で止めるためには25mで4mm以上、至近距離なら6mm以上必要で全身鎧だとするととても着て動けるようなシロモノではなくなってしまう。
現実のプレートアーマーは厚2mm程度しかない。
但しごく一部4m厚のプレートアーマーも現存するらしいがそういうのは王族とか実戦で戦わないやつの為の鎧
ちなみに和弓はそこらの茶坊主でも引ける15kgのものですら中華なべ(1.6mm)程度は矢羽がかかるほどに貫通する。VIPPERな名無しさん | 2008.07.10(Thu) 08:29 | URL | No.233279 -
重装騎士突撃で有名なスウェーデン軍の馬目録によれば日本の平均的な軍馬より小さい(背までの高さが113cm以上)
VIPPERな名無しさん | 2008.07.10(Thu) 08:50 | URL | No.233287 - 重騎兵といえばフランス!フランス!
でも重騎兵がイングランドに勝てなかったのは内緒だ!VIPPERな名無しさん | 2008.07.10(Thu) 11:45 | URL | No.233357 - 中世の騎士と言えばグレートホースでしょ。
中世の騎士が乗った大型の軍馬にして、現在世界最大の馬種である
シャイアーの原種。
フランダースとかが主な産地だったらしい・・・・
スウェーデン軍の17世紀の目録だと確かに113~133cmだね。
グスタフ・アドルフの騎兵は胸甲騎兵の抜刀突撃隊だから
すでにフルプレートの重装騎兵ではないのだけど。
日本の馬も4尺が基準。
で、日本で名馬の産地というと甲斐とか信濃とか山国になるけど、
昔は馬を山の中で放牧してた。山と森の馬なんだな。
スウェーデンも大草原とかのイメージじゃないが、どうだったんだろうね?
体格が似てるので、興味があるね。VIPPERな名無しさん | 2008.07.10(Thu) 12:10 | URL | No.233370 - 鉄砲普及後は、大きい馬はただの的じゃね?VIPPERな名無しさん | 2008.07.10(Thu) 13:25 | URL | No.233440
- そりゃ体高が2メートルもあるような馬はいらないだろうが、
グスタフ・アドルフにしても、本当はもっと大きい馬を使いたかった
らしく、フィンランド馬(体高150~170)を買ってみたり、ドイツ方面に
進出してからはドイツで馬を買ったりしていたようだ。
基本的にはスウェーデンの騎兵は貧相と認識されていたと。
ま、馬に頼れなかったからこそ、他の兵科を最大限に活かす戦術を
編み出していったのかもしれんな。
19世紀から近代的騎兵の編成に取り組んだ日本にしても、馬の
品種改良のために涙ぐましい努力をして、大型化を図っている。VIPPERな名無しさん | 2008.07.10(Thu) 17:56 | URL | No.233618 - オールコック『大君の都』
日本人は、おそらく世界中でもっとも器用な大工であり、指物師であり、桶屋である。
かれらの桶・風呂・籠はすべて完全な細工の見本である。
物質文明に関しては、日本人がすべての東洋の国民の最前列に位することは否定しえない。
機械産業に関する応用科学の知識が貧弱であることをのぞくと、
ヨーロッパの国々とも肩を並べることができるといってもよかろう。
すべての職人的技術においては、日本人は問題なしにひじょうな優秀さに達している。
磁器・青銅製品・絹織り物・漆器・冶金一般や意匠と仕上げの点で精巧な技術をみせている製品にかけては、それぞれの分野においてわれわれヨーロッパがが模倣したり、
肩を並べることができないような品物を製造することができる、となんのためらいもなしにいえる。
漆器については、なにもいう必要はない。
この製品の創始者はおそらく日本人であり、
アジアでもヨーロッパでもこれに迫るものはいまだかつてなかった。
……日本人はきわめてかんたんな方法で、そしてできるだけ時間や金や材料を使わないで、
できるだけ大きな結果をえているが、おそらくこういったばあいの驚くべき天才は、
日本人のもっとも称賛すべき点であろう。
すなわち、かれらの文明は高度の物質文明であり、
すべての産業技術は蒸気の力や機械の助けによらずに到達することができるかぎりの完成度を見せている。
ほとんど無限に得られる安価な労働力と原料が、
蒸気の力や機械をおぎなう多くの利点を与えているように思われる。
・・・これに反してかれらがこれまでに到達したものよりもより高度な、
そしてよりすぐれた文明を受けいれる能力は、支那人を含む他のいかなる東洋の国民の能力よりも、
はるかに大きいものとわたしは考える。VIPPERな名無しさん | 2008.07.10(Thu) 18:22 | URL | No.233633 - グレートホースも近代的改良を受けてるから中世はもっと小さいけどねVIPPERな名無しさん | 2008.07.10(Thu) 18:27 | URL | No.233638
- >>No.1796
そうか?
警察の道場で練習させてもらったことがあるが、殺されるかと思ったぞ。
学生のと違ってマジでイテェように打ってくる奴ばっかりだったw
あと、巻で竹刀弾き飛ばされまくるとかもう筋力が全然違うわ。
あれなら棒があれば人が簡単に殺せるよ。VIPPERな名無しさん | 2008.07.11(Fri) 00:50 | URL | No.234036 -
その辺りの平地の所で、サムライが始終教練を行っているらしい。
囲いの高い柵や潅木の茂みで視界がひどく妨げられたが、時々兵隊の旗や、武器が見えた。
大名達は彼らの藩兵に、戦争の技術を絶えず訓練させていたのである。
そのころ江戸の大名屋敷の傍らを通ると、剣術をやっている喧しい物音が聞こえた。
私が江戸に滞在している間に、同じような音響をしばしば耳にした。
もし、不幸にして、ヨーロッパ諸国が日本と戦うようなことが起こったら、
日本人はシナ人よりも非常に優勢なことが判るだろう。
しかし、そのような、日本人と戦うようなことは、遠い将来のことにさせたいものだ。
ロバート・フォーチュン 「幕末日本探訪記」抜粋VIPPERな名無しさん | 2008.07.11(Fri) 01:57 | URL | No.234085 - ※558
>ほとんど無限に得られる安価な労働力と原料が、
さすがは世界初の百万都市だな。
| 2008.07.11(Fri) 12:17 | URL | No.234232 - 「日本素描」 エドゥアルド・スエンソン Edouard Suenson 1869年
「日本人の勇猛さには疑問の余地が無い。自ら軍事国家と呼んでいるくらいで、幼少の頃から戦争道具を生きる道に選び、刀と弓、この国固有の二つの武器の使用法を教えられる」
「日本人は圧倒的に優勢な西洋の武力に対して下関海峡や鹿児島で戦いを挑むという暴挙を
敢えてし、狂信的な憂国の志士たちによって炎と燃え上がった勇気が決して侮るべきではない
ことを、戦力の上で遥かに勝る敵に証明してみせたのだった」VIPPERな名無しさん | 2008.07.11(Fri) 20:10 | URL | No.234465 - 「LE JAPON ILLUSTRE」 エメェ・アンベール Aime Humbert 1870年
「すべてのサムライは、幼少の頃から、槍や刀による肉弾戦闘を教わっている。我々が通った一つの区だけでも、乗馬や剣術を教えるために作られた二箇所の馬場と数箇所の建物が存在していた」
「日本の貴婦人に対してさえ、武術の教習所が存在している。彼女らの武器は、ポーランドの鎌にちょっとたところのある湾曲した槍(薙刀)である。彼女らは、それを刃の方を下にして持ち、一定の法則に従って扱うのだが、身振りと調子を合わせた動きは、立派なバレエの主題になりそうである。半開きになった門の隙間からこっそりと覗いていたが、この均整のとれた見物を長く観賞することはできなかった。同行の役人たちがその門を閉め、婦人の武術の稽古を第三者が見物することはこの国では許されないと、説明したからである」VIPPERな名無しさん | 2008.07.11(Fri) 20:13 | URL | No.234470 - 「大君の都」 ラザフォード・オールコック Rutherford Alcock 1863年
「彼ら(サムライ)は、相当に熟達した刀の使い手である。小さい方の刀を使うときは、二度突く必要は無い。ただの一突きで相手に致命傷を与える。大きいほうの刀を使うと、ただの一振りで相手の四肢を切り捨ててしまう」
VIPPERな名無しさん | 2008.07.11(Fri) 20:21 | URL | No.234478 - やっと読み終わった。
このスレ長いよ。VIPPERな名無しさん | 2008.07.11(Fri) 22:11 | URL | No.234579 - よく日本刀だけの話なのにネタ尽きないね
みんなの知恵すごいよVIPPERな名無しさん | 2008.07.12(Sat) 15:30 | URL | No.235395 - 武士だけが日本刀持って海外に進出しても、
メンテが出来ないんじゃないか?VIPPERな名無しさん | 2008.07.12(Sat) 16:54 | URL | No.235458 - 唐入りのときは年単位で朝鮮半島に滞在し続けてたからなぁ
武器のメンテナンスどころか屋敷の景色が殺風景だという理由だけで庭から見える範囲の山に植樹したりしてるぐらいで建築土木いろいろな専門技能者を連れて行ってる様子だ。まあ戦争と土木は一体だし当たり前だけど。
1武士だけでなく鍛冶や研ぎも連れて行けばいい(というか実際そうした)
2鍛冶や研ぎのできる武士は割りと多いVIPPERな名無しさん | 2008.07.13(Sun) 04:08 | URL | No.236275 - てか城を作ってるしな
城が作れるぐらいなんだから刀のメンテなんて余裕でしょうVIPPERな名無しさん | 2008.07.13(Sun) 18:01 | URL | No.236749 - ※554
重装備のフランス騎士がイギリス長弓兵にプスプスやられた話かVIPPERな名無しさん | 2008.07.13(Sun) 18:09 | URL | No.236757 - 日本に生まれてよかったーVIPPERな名無しさん | 2008.07.14(Mon) 15:24 | URL | No.237755
- イングランドの騎兵も十分に重装備だったんで重騎兵が一概に
悪いわけじゃないが、用兵の問題だな。
イングランド長弓隊も、スコットランド騎兵にあっさり蹴散らされたりしている。
バノックバーンだったかな。
それにイングランドは馬は不要な局面と見ればためらわずに下馬騎兵として
投入する。ただの重装歩兵wになってしまうが、歩兵同士の白兵戦では
やはり強い。VIPPERな名無しさん | 2008.07.14(Mon) 20:12 | URL | No.238041 - 西洋は戦争より飢餓や迷信との戦いだな
敵国よりも隣人のほうが脅威VIPPERな名無しさん | 2008.07.15(Tue) 03:33 | URL | No.238691 - 一方その頃日本では清少納言がカキ氷をほおばっていた
VIPPERな名無しさん | 2008.07.15(Tue) 15:34 | URL | No.239004 - 3世紀ぐらいずれてるVIPPERな名無しさん | 2008.07.15(Tue) 17:50 | URL | No.239174
- 個人的には柔らだって素晴らしいと思うんだ。そう詳しくないが。
時に武器を失った武士の最後の得物となり
時に騎馬武者を引き摺り落として投げ殺し
時に己を修身するための教本となり
時に殺さずに場を納める技芸となり
そして近代に至り武の道と化して世界トップクラスの普遍性を誇るスポーツとなっている。
相手が甲冑着込んでて刃物が通じないからって股間に腕突っ込んで後頭部から投げ落とすとか効率的で素敵だよね。VIPPERな名無しさん | 2008.07.15(Tue) 21:33 | URL | No.239429 - TAWARAか・・・・VIPPERな名無しさん | 2008.07.17(Thu) 14:36 | URL | No.241526
- 確かに(色んな意味で)最終兵器だな。VIPPERな名無しさん | 2008.07.17(Thu) 19:13 | URL | No.241809
- プロシア「最近アジア方面での貿易で日本に押されてるらしいけど貴国の軍事力ならさっさとあんな小国黙らせられるんじゃないの?なんなら俺が変わりにやってやろうか?」
スペイン「いややめといたほうがいいっすよ。たしかにウチらの海軍力なら日本には圧勝だと思いますよ艦砲射撃の段階までなら。でも制圧するには上陸しないといけないじゃないすか、これがきついっす。」
プロシア「なんで?楽勝だって」
スペイン「あいつら平民はおとなしいし楽勝なんですが貴族がやばい。サムライって言うんですがあいつらは侮辱されたりしてキレると手がつけられない。
どこまでも追いかけてきて自分を侮辱した相手が死ぬまで諦めないんです。こっちが鉄砲撃とうが何人いようがあとで自分が死刑になろうがお構い無しですよ。知ってます?あいつらの死刑って自殺するんすよ。自分で腹を切るんです。どっかおかしいんすよあいつら」
プロシア「グロいなそれ」
スペイン「しかもキレてるだけじゃなく実際ケンカも強いッす。カターナっていう刃物もたれたら俺らじゃどうしようもないッす。他国の海兵隊で以前奴らともめたのがいたんですが、毎晩のようにゲリラ戦をされ
ライフルごと斬られたりカターナを受け止めきれずに頭にライフルがめり込んだりした乗組員の死体の山が出来たそうですよ」
プロシア「マジかよあり得ねー」
スペイン「結局示談になったらしいっすが生き残った乗組員のほとんどもノイローゼになったって話すよ」
プロシア「うわ悲惨」
スペイン「おだてておけばおとなしいし銀とかいっぱい持ってますからね。信仰においては野蛮人ですし攻め滅ぼしたいのは山々なんですがここは仲良くやっとくほうが利口だと思いましたよ俺」
プロシア「大変だなお前も」VIPPERな名無しさん | 2008.07.18(Fri) 13:00 | URL | No.242223 - 580
その記録詳しく知りたい。どうか教えておくれ。VIPPERな名無しさん | 2008.07.18(Fri) 19:14 | URL | No.242338 - >>578
「夜に散歩しないかね」は秀逸
ただまあ出てくる柔術は柔術というよりは中国拳法+合気道だったけど。
きちんと柔術描いてる作品だと時代小説以外だと見たこと無いなVIPPERな名無しさん | 2008.07.20(Sun) 01:44 | URL | No.243446 - プライドとかに出てくる柔術使いってのは
ブラジリアン柔術の逆輸入なんですな。
藤原芳秀だったかのコンデコマには揚心流戸塚派が登場しますな。
真島クンすっとばすは・・・・う~ん
柔術という括りでは非常に範囲が広いので、これが柔術!というのは
難しいですけどね。
グラップラー刃牙に渋川流というのが出てきたけど、渋川流ってのは
実際に存在する名前だったり。内容は漫画と関係ないけどね。VIPPERな名無しさん | 2008.07.20(Sun) 11:26 | URL | No.243568 - 最近は柔術というだけじゃ古流柔術をイメージしてもらえん空気なのでしょうかね。夜に~はほとんど捨て身系(担がない)の投げ技が出てこないという程度の意味で(古流)柔術っぽくないといっただけだよ。実際の(古流)柔術だと当身技に特化していると評価されている流派、例えば諸賞流も心眼流も投げあるし。
刃牙の渋川流のモデルは塩田師の養神館合気道ということだそうな
だそうなというかここ来るぐらいの人は皆知ってるわな
ま確かに柔術は幅が広いかも
俺は勝手に
ガチムチ系、合気道系、サラサラ系におおきく分類して考えてる。
伝で判断するならサラサラ系が一番多いようなんだが、動画とか宣伝が好きなトコは合気道系とガチムチが多いよね。ただこれは流派の特徴というよりはやってる本人の個性かもしれんね。
(意外なことに立ち上げ初期の講道館柔道は動画からみるに完全にサラサラ系)
ブラジリアン柔術もふくめるなら現代格闘技系みたいなのを追加しないといかんなVIPPERな名無しさん | 2008.07.20(Sun) 17:34 | URL | No.243806 - 渋川先生の人物のモデルは塩田先生だが
それとは別に渋川流合気柔術というのも実在するんだっけね。
サラサラとかガチムチと言われてもちょっと想像しにくいけど。VIPPERな名無しさん | 2008.07.20(Sun) 21:18 | URL | No.244019 - 日本の甲冑の変遷
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&page=2&nid=106781
日本の甲冑の変遷2
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&page=2&nid=106828
VIPPERな名無しさん | 2008.07.21(Mon) 11:15 | URL | No.244452 - 日本の甲冑は生物的でいいよね
人間によく馴染んでいる気がするVIPPERな名無しさん | 2008.07.22(Tue) 10:41 | URL | No.245705 - 漆塗りのおかげだなVIPPERな名無しさん | 2008.07.22(Tue) 13:47 | URL | No.245880
- 神社に奉納する文化があってよかったな
おかげでものすごく古い鎧や刀など多くの武具が最高の保存状態で今に受け継がれてるVIPPERな名無しさん | 2008.07.23(Wed) 13:52 | URL | No.247217 - *480
武士も武者も語源は存在しないよ
これらは和製漢語VIPPERな名無しさん | 2008.07.23(Wed) 15:07 | URL | No.247283 - ちなみに朝鮮人がサウラビが侍の語源だとか言う妄言について。
えー結論から言えば「サウル」「アビ」どちらも現代韓国語であってごく最近生まれた言葉でしたw
侍はここ見てるような連中は当然知ってるように10世紀ぐらいに生まれた言葉。語源は「さぶらう(付き従う)」
当然現代語でつくられたサウラビが侍の語源であるはずがありません。VIPPERな名無しさん | 2008.07.23(Wed) 16:03 | URL | No.247337 - ムーサは?VIPPERな名無しさん | 2008.07.23(Wed) 18:06 | URL | No.247430
- 朝鮮にはサムライがいない。
日本にあって朝鮮に欠けているものは、心身ともによく鍛えられ、兵士であると同時に学者であり、忠誠心と愛国心と自己犠牲の高い理想をかかげる文化的集団である。
ウィリアム・グリフィス『隠者の国・朝鮮』
「日本兵との接近戦を禁じた」
「日本兵捕虜に熱心に剣術を習った」
『朝鮮王朝実録』
「倭軍と対陣すると、倭軍はたちまち死に物狂いで突進してくる。
我が軍は、手に槍を持ち、剣を帯びていても、その剣は鞘を出る暇も無く、
槍は矛先を交えることもできずに、凶刃のもとにやられてしまうのである」
『武藝圖譜通志』
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」
『宣祖修正実録』
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。
『懲録』
日本を旅行すれば、人々の間にある種の活気が感じられる。日本女性の目には、ほとんど常に楽しげな快活さがあり、愉快な生気を発している。
そして彼女らの目は、微笑に応えるよう誘惑する。彼女らの人生は、遊びや遠足のように見える。
ところが朝鮮女性には、このような活気や快活さ、そして生気のようなものが不足している。彼女らの人生は深刻で真摯だ。したがって憂鬱さが、朝鮮女性の特徴的な姿である。
朝鮮人は、清潔さの問題では多くの非難を浴びるだろう。
外国人たちは、朝鮮人をさかなにジョークを言うことを好む。
ある英国人は、朝鮮では最も清潔だという人物が、彼がこれまでに見た中で最も汚い人物だったと言ったことがある。彼が意味するところは、朝鮮人が地球上で最も汚い人々だということだ。
朝鮮で疑う余地もなく国家の発展を妨げている伝統があるが、それは他でもない両班たちである。たとえ自分の財産で暮らしを建てて行けなくても、彼らは生計のために肉体労働や生産活動をすることはない。両班は飢えても物乞いをしても、働くことはない。親戚の援助を受けたり妻が生計を建てる場合でも、両班は絶対にその手で土を触ることはない。
しかし一般的に、日本人の立場は善意で貫かれており、日本政府は朝鮮の繁栄を強く願っている。
G・W・ギルモア『ソウル風物誌』
家はぎっしりと固まって建っており、小川と路地に沿って集まっている。
洪水の季節を除いて、青いごみだらけの下水は床に沿って染み出し、腸チフス・天然痘・コレラを伝染させる。
こんな井戸で女たちは楽しげに洗濯をし、毎日食物を洗う。排水路の表面から悪臭がするこの浅い井戸よりひどいものはない。汚い下層民の家からは、土俗の食品である朝鮮漬のすっぱい悪臭がする。
朝鮮はこのような過渡期的外交の最も良い事例である。なぜなら朝鮮は、内部的に脆弱であるのみならず、列強間に確実な公式的保護国や友好国がないという点で、極東国家の中で最も弱い国だったからだ。
科挙制度は最も低い水準まで転落した。公職に任命されれば、ある程度の貴族の序列が付与されるため、「涜職」と社会的な理由のために科挙に応試した。
文科に合格するためには、家柄がよいか、おびただしい賄賂を使わねばならなかった。
W・F・サンズ『極東回想記』VIPPERな名無しさん | 2008.07.24(Thu) 03:02 | URL | No.248069 - ところどころで見かけるが、それがいかな真実や事実に基づいていようとも、徒に他国を貶めるのは、侍を語る場に似つかわしくないと思うのだが。VIPPERな名無しさん | 2008.07.25(Fri) 04:06 | URL | No.248993
- まあ朝鮮の惨状では侍に類する戦士階級は存在しようが無い罠VIPPERな名無しさん | 2008.07.25(Fri) 07:35 | URL | No.249020
- たとえば川に人口のバイパスを通して川の流れを弱めるという工事、現代なら子供でも思いつくような簡単な理論だがこの程度の考え方にすら西洋人は近世までたどり着けなかった。
日本は治水工事に関しては15世紀にはかなり明確な基礎理論をもっていて16世紀には実際に現実のものとしている
ヨーロッパでは独逸が治水工事に関しては先頭を走っていたがこの独逸ですら本格的な治水工事に着手できるようになったのは19世紀のこと
治水工事が出来るって事は物理、土木、測量、人員の動員と管理などなど戦争に直結するあらゆる能力が高度に要求されるVIPPERな名無しさん | 2008.07.26(Sat) 21:41 | URL | No.250666 - バブル時代は村正が2億で取引された
今は正宗の数千万が最高かな
後伝説級の国宝系には値段が付かない
童子切安綱とかな
天下五剣とかぐぐると楽しいよ
童子切りは東京国立博物館でみれるよVIPPERな名無しさん | 2008.07.27(Sun) 13:31 | URL | No.251296 - 日本刀って凄いよな
確かトリビアか何かの番組だったと思うけど、現代の安い日本刀でも12.7mm弾斬れたの観た時は普通に驚いた
人間に当たったら着弾ショックで即死するような弾を斬ったんだぜ?刃物としての殺傷力で言えば今でも間違いなく世界最強だよなVIPPERな名無しさん | 2008.07.27(Sun) 17:41 | URL | No.251669 - ゆっくりした動きが突然早くなりいつの間にか斬れてるみたいな能ある鷹は爪隠す的なのが好きなのは今も昔も変わらないVIPPERな名無しさん | 2008.07.27(Sun) 21:16 | URL | No.251990
- 米598
特殊鋼というものがある現代では、刃物としての性能で上回るものは
たくさんあります。VIPPERな名無しさん | 2008.07.27(Sun) 21:56 | URL | No.252077 - 博物館で見ることのできる名刀って他に何かありますか?VIPPERな名無しさん | 2008.07.28(Mon) 01:59 | URL | No.252478
- まあジェット機の吸気ファンとかの構造に日本刀の原理が応用されてたりとかする時代だしな| 2008.07.28(Mon) 07:21 | URL | No.252557
- 特殊鋼っても素材の強さだけで性能は決まらんだろ、日本刀以上に切れ味を追求した武器などある筈がないVIPPERな名無しさん | 2008.07.28(Mon) 08:29 | URL | No.252570
- 米598
うーん。そんなことより、
どっちかっていうと肉でも鉄でも切れる刃がついているにも拘らず、倍以上の質量の剣でぶったたかれても折れない強靭さのほうがびびったけどな。
ここのスレにも画像があったレピアが折れるけど日本刀平気ってやつ。
VIPPERな名無しさん | 2008.07.28(Mon) 10:15 | URL | No.252589 - サムライって書いてあるのになんで武士の話してるやつらがいるんだ?
サムライの話なら江戸以降しか話題に出すべきではないだろうVIPPERな名無しさん | 2008.07.28(Mon) 10:50 | URL | No.252601 - 侍は10世紀には既にある言葉なのですが?VIPPERな名無しさん | 2008.07.28(Mon) 14:26 | URL | No.252687
- 米603
ストライダーナイフを始めいくらでも・・・・
グラスファイバー製で肉に対しては抜群の切れ味とか
用途を絞ったものもあるし。
ナノテクでエッジを加工できる時代になんでそんなにレトロなのよ・・・・
日本刀は美と魂を兼ね備えた刃物だから価値があるのであって、
村正より正宗を良しとした古の精神に学びましょうや。
米604
折れない剣は曲がるだけの話。
つか、レイピアって特に細身の剣だしね。VIPPERな名無しさん | 2008.07.28(Mon) 18:13 | URL | No.252760 - でも重さはレピア≧日本刀VIPPERな名無しさん | 2008.07.29(Tue) 10:11 | URL | No.253505
- 模造刀を日本刀で斬る 模造刀が真っ二つに斬れる
日本刀鎬を日本刀で斬る 日本刀は折れない曲がらない
日本刀刃を日本刀で斬る ぶつかった箇所は刃こぼれのみだが根元で折れる
レピアーを日本刀で斬る レピアー粉砕される
ttp://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071213162356.jpg
日本刀を厚みと幅が倍の西洋の剣で斬る 日本刀まるで平気
ttp://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071212175955.jpgVIPPERな名無しさん | 2008.07.29(Tue) 11:16 | URL | No.253539 - いやレイピアの方が軽いだろVIPPERな名無しさん | 2008.07.29(Tue) 12:26 | URL | No.253568
- レイピア (rapier) とは、細身で先端の鋭く尖った刺突用の片手剣である。主に護身あるいは決闘の際の武器として用いられた。
幅は2.5cm程度、全長1.2m程度のものが標準的。
重量は1.5kg強あり、見た目よりも重い。
まあ刀身だけならレピアのほうが軽いこともあるかも知れんがさすがに日本刀の半分ということは無い。どのみち609の日本刀と大きい西洋の剣ほどの質量差は無い罠
レピアのほうが軽いケースがあってもせいぜい数100グラム程度軽いぐらいでほぼ同じぐらいだろうな。でなきゃ相当短いか、競技用みたいに針金みたく細いか…
二尺六寸で柄一尺ぐらいの日本刀だと大体全長1.2m、拵え含めて1200グラムぐらいっしょ?大抵のケースでは日本刀よりレピアのほうが重そう。VIPPERな名無しさん | 2008.07.29(Tue) 13:36 | URL | No.253660 - 相手が模造刀でも西洋剣でも、横腹からぶっ叩けば折れるでしょ。
剣豪の荒木又右衛門は木刀相手に日本刀を折られたが。
日本刀で重機関砲の弾を切るってのもあったが、あれは刃で
受けてるから弾を切り裂きつつ衝撃にも耐えられる、つまり長さのある
縦方向で受けてるから耐えられてるけど、横腹で受けたらまず耐えら
れない。それだとただの薄い鉄板になるし、弾を切って衝撃を受け流す
事もできないから。上で西洋剣で日本刀を叩いてるのがあったが、
レピアを叩いてるのでもそうだが、土台部分がどうみてもしっかり
固定されていないので、恣意的な実験にも見えるが、曲がる刀は
折れないというだけの結論でもあるな。VIPPERな名無しさん | 2008.07.29(Tue) 16:20 | URL | No.253785 - 読んだ限りでいえることは、ご先祖様は偉大だった。現代人は戦をしないので退化し、代わりに経済を選んだってところか。
あと日本刀の切れ味の見解見てると、日本人が100人切りしたってのもあながちできそうじゃね?とか思ったよ。
骨格や体格の話はすごいね、現代でいえば男子全員が今の自衛隊よりも毎日体を鍛えてたってことか。
まぁでも俺の先祖は農民だから侍とは遠いや。VIPPERな名無しさん | 2008.07.29(Tue) 19:49 | URL | No.253946 - 兵力でいりゃ中国のが高かった
国内で民族が淘汰しあう老若男女皆殺しの時代だったからね。
敵に対する恐怖心、憎悪、いずれも半端じゃなかった
数と勢いじゃあ世界一だったろうVIPPERな名無しさん | 2008.07.29(Tue) 22:02 | URL | No.254119 - 侍に限らず、農民だって今みたいに機械任せ、技術任せじゃあなかったから、今よりずっと鍛えていたぜ。
ただし、寿命は短かったんだろうな。
寿命が長くなって、人口も増えたから、生物としては今のほうが、「強い」
のかなあ。VIPPERな名無しさん | 2008.07.29(Tue) 22:34 | URL | No.254161 - 亀だがちょっと前に真剣のレイピア(V字刃っていうんだっけ?)を触る機会が幸運にもあったんだが。
アレを圧し折っても別に自慢にならないと思うなぁw
ありゃL字の薄い鉄板だぜ? 日本刀の形と重さなら当たり所がよければ素人でもあっさり叩き切れる。
ただ過不足のない殺傷能力と言う点ではレイピアも素晴らしいとは思うがな。
あと割りと勘違いしてる方が多いみたいだけどレイピアって細いけど針金っぽくはないぜ。
結構分厚かったりするし手元のあたりは日本刀と大差ないのまであるらしい。VIPPERな名無しさん | 2008.07.30(Wed) 00:42 | URL | No.254340 - この実験が出回る前は「例え固定されてようが日本刀でレピアを折るとか不可能www」とかいうアホがようけえいたがまあそういう極端なアホが沈黙しただけでも価値のある実験だなVIPPERな名無しさん | 2008.07.30(Wed) 00:50 | URL | No.254350
- サムライといえばこの人
室町幕府13代将軍足利義輝
三好・松永連合軍が攻めてきたことを知ると、二条御所の居室に足利家伝来の名刀を集め、自ら抜刀し敵を何人も倒した。切れ味が悪くなると別の刀に持ち替えて、最後の一人になるまで戦った。
最後は戸板に押し倒されて上からメッタ刺しで殺されたという説と、切腹したという説があるそうだが(辞世の句が残っているから、瀕死状態で猶予をもらって切腹かな?)、
ともあれ室町将軍にしては珍しく華々しい最期だった。
VIPPERな名無しさん | 2008.07.30(Wed) 00:51 | URL | No.254351 -
レピアーを日本刀で斬る レピアー粉砕される
ttp://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071213162356.jpg
日本刀を厚みと幅が倍の西洋の剣で斬る 日本刀まるで平気
ttp://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071212175955.jpgVIPPERな名無しさん | 2008.07.30(Wed) 00:53 | URL | No.254355 - 足利義輝は武術マニアで太刀の収集家でもあったからな
自分のコレクションを全部使ってみたかったんだろVIPPERな名無しさん | 2008.07.30(Wed) 00:55 | URL | No.254359 - なーんかいろいろ面白い!
知識自慢の方たちには、
それが本当に真実なの?と訊ねてみたい。
直に見てきたわけでもないのに何故自分の方が正しいと胸が張れるのか。
貴方の読んだ文献の信憑性がどれほどのものだというのか。
エッセンス、スパイス。その程度の物じゃない?想いを巡らせホカホカするのはアリ。自分なりの真実を確立するのもアリ。でも押し付けはちょっとねぇ。VIPPERな名無しさん | 2008.07.30(Wed) 01:24 | URL | No.254380 - まあ日本刀で100回肉に切り込めようが200回切り込めようがそういうスペックがあるってことをもってしてもそれで毎日新聞が捏造した100人斬り記事が正しい根拠にはならないがねVIPPERな名無しさん | 2008.07.30(Wed) 01:24 | URL | No.254381
- >>621
貴殿が皮相的な見方で人より上に立ちたいということは良く分かります。
もともと、(管理人には悪いですが)VIPPER程度の、それも
>>1 昨日、ディスカバリーチャンネル見ててふと思った。
から始まるヨタ話に、「真実」だの「文献の信憑性」といった上段に構えた議論をしているつもりもございません。
貴殿の言うとおり、エッセンス、スパイス。その程度の物だという前提で
書き込みを楽しむものでございます。VIPPERな名無しさん | 2008.07.30(Wed) 01:42 | URL | No.254390 - ※570
無数の城を築いたが一つも落とされなかったとか…
敵陣であっという間に巨石を切り出し、あっというまに積み上げるって尋常じゃねーVIPPERな名無しさん | 2008.07.30(Wed) 13:16 | URL | No.254599 - こんなに息の長い米欄は初めて見た
一年以上活気があるではないかVIPPERな名無しさん | 2008.07.30(Wed) 17:23 | URL | No.254870 - 米619
特に日本刀を西洋剣で叩く方だけどな、冷静に観察し、
そして論理的に考えてみな?
本来、柄をガッチリと固定している場合は次のようになるはずだ。
1、日本刀の強さ>西洋剣の強さ かつ 振り抜く強さ>西洋剣の強さ
→西洋剣が折れる
2、日本刀の強さ及び西洋剣の強さ>振り抜く強さ
→振り抜けずに止まる
3、西洋剣の強さ>日本刀の強さ かつ 振り抜く強さ>日本刀の強さ
→日本刀が曲がるまたは折れる
西洋剣が折れていなくて、かつ振り抜いているのに、
スプリング鋼でもない日本刀が曲がりもしないとしたら、
そりゃ日本刀じゃないか柄が固定されていないかだ。
その写真、どう見ても柄が回転してるぞ?
強度を試す実験としては無意味だ。VIPPERな名無しさん | 2008.07.30(Wed) 21:05 | URL | No.255093 - いやー侍ってホント最強だな
今の日本は戦い止めて工業国になったけどそれも世界有数になってるから安心してくれご先祖様
俺の家は船乗りなのでどのくらい戦ったかはしらんがVIPPERな名無しさん | 2008.07.30(Wed) 21:21 | URL | No.255118 - やっぱり刀は強いなVIPPERな名無しさん | 2008.07.30(Wed) 22:33 | URL | No.255225
- http://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071212175955.jpg
特に上から四番目の画像がすげーなw
ここまでぶち曲げられたら完全に折れるだろ普通
100°近く曲がってるよね
それなのに曲がるどころか一瞬で元に戻るとかどんだけ強靭なんだ
VIPPERな名無しさん | 2008.07.31(Thu) 01:45 | URL | No.255426 - そういえば中国の武将、胡宗憲がラオスの日本人街だったかで入手した日本刀の自慢話で
その刀は地面に刺して折り曲げると蛇の如く巻くことが出来るがそのまま手を離すとものすごい力で元に戻り垂直に撥ねとぶみたいな話で日本刀のしなやかさに驚いてる
VIPPERな名無しさん | 2008.07.31(Thu) 01:59 | URL | No.255433 - といっても普通はこれぐらいだよな
http://jp.youtube.com/watch?v=HbrSYQLgR8Y
鎌倉期とかそのぐらい昔の刀は江戸時代とか以降のものよりはるかに弾力があったのかもしれんなぁ
刀鍛冶自身が鋼から自作したって言うからな
さすが全国を旅して砂鉄を集めてブレンドしてただけのことはある。VIPPERな名無しさん | 2008.07.31(Thu) 02:31 | URL | No.255445 - ※107
不覚にもワロタwwVIPPERな名無しさん | 2008.07.31(Thu) 05:01 | URL | No.255485 -
鋼製品はどうかというと、日本の大小刀は、おそらくダマスカス製と並んで、
その他の世界中あらゆる剣を凌駕している。
また鋼その他あらゆる金屬の研磨にかけては、日本人は一頭地を抜いている。
彼らは金屬の鏡まで作るが、それはガラスの鏡と同様に反射するのである。
「ゴローニン艦長の手記」VIPPERな名無しさん | 2008.07.31(Thu) 05:46 | URL | No.255491 - あんまりビヨンビヨン弾力ありまくったら、かえって真っ直ぐ切れんのではVIPPERな名無しさん | 2008.07.31(Thu) 11:35 | URL | No.255566
- 昔から硬い刀はものうちでの打ち斬りと突きに向き
柔らかい刀は鍔元からの引き斬りと大きな軌道のなで斬りに向くって言うね
| 2008.07.31(Thu) 14:03 | URL | No.255713 - 柔らかいって言っても大きな力がはたらけばいくらでもしなる弾力ってだけで
手で振った位じゃビヨンビヨンしないだろw
だから普通は靭性が高いって言い方するんだよね
強い力で曲げられるといくらでも曲がるけど力がかからなくなればすぐ戻る
でも弱い力で曲げようとしてもカッチカチで曲がらないっていうのが靭性が高い状態| 2008.07.31(Thu) 14:11 | URL | No.255724 - ※オオスギワロタwVIPPERな名無しさん | 2008.07.31(Thu) 23:27 | URL | No.256389
- 白兵戦最強の武器は槍らしいですよ。横槍 | 2008.08.01(Fri) 03:35 | URL | No.256611
- 武藝圖譜通志
「倭軍と対陣すると、倭軍はたちまち死に物狂いで突進してくる。
我が軍は、手に槍を持ち、剣を帯びていても、その剣は鞘を出る暇も無く、
槍は矛先を交えることもできずに、凶刃のもとにやられてしまうのである」VIPPERな名無しさん | 2008.08.01(Fri) 05:33 | URL | No.256636 - 程宗猷 「単刀法選」
日本刀法は神秘的だ。
左右への変化がすさまじく誰にも予測できない。
そのせいで槍を持ってしても毎回日本刀に負けてしまう。VIPPERな名無しさん | 2008.08.01(Fri) 05:35 | URL | No.256637 - 戚継光 「紀効新書・長刀解」
此は日本の武士が明(支那)に攻めてきた時初めてわかったことである。
彼らは舞うように跳び回り、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われる(集中力をなくし恐れおののく)のみだった。
日本人はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される。
これは彼らの武器が鋭利であり、両手で振れる強力で重い刀を自在に用いているためである。
まあ武器としての有利さは槍>刀で間違いは無いだろうが…
武器が最強でも使い手の技術に大差があると意味がなくなるのが結論ということか…VIPPERな名無しさん | 2008.08.01(Fri) 05:47 | URL | No.256642 - 日本人が槍を持てば、日本人が刀を持ったより強かったんだろう。
明だの朝鮮だののろくすっぽ訓練してない連中に比べて
戦国時代で現役バリバリの日本の武士や兵が強かったと
いうだけでは逆に論点がボケるな。VIPPERな名無しさん | 2008.08.01(Fri) 11:08 | URL | No.256732 - 刀の話してるときに槍のほうが強いといいだすことそのものが論点ずらしではあるな
それなら和槍と西洋槍といったような構図で考えないとおかしいVIPPERな名無しさん | 2008.08.01(Fri) 13:15 | URL | No.256826 - 最初のほうのコメント見てて思ったのは、トリビアの実験で弾が斬れるのは当然って書いてあるのはおかしい。
本来日本刀とかは殴りつける事によっては斬れず、的確な速度で引いてこそ斬れるものだって師範がいってた。
あの実験は明らかに日本刀が不利な実験だと言う事を皆に知って欲しいね!VIPPERな名無しさん | 2008.08.01(Fri) 14:18 | URL | No.256867 - 米643
そもそもはサムライの「強さ」全般の話のはずですね。
刀マンセー!とかやってても、槍持ったサムライの方が強いなら
当然、貴殿の仰るような議論があって然るべきですね。
米644
刀の断面形状、材質。銃弾の断面形状、材質。そして相対速度。
これらから考えて、物理的に問題無く切れると言えるでしょうね。
あと、試し切りの演武でも見てもらえば分かると思うけど、意図的に
引く動作を加えなくても、刃筋を立てて振るえばそれだけで切れますよ。
もちろん、グイと押し当ててから引いても、包丁と同様切る事はできますが。
うちの師匠は、「日本刀は引いて切る」という「誤解」は、演劇等において、
実際に相手を切るわけにいかないから、引く動作で切った事を表現してる
うちに混同されたんだろうと。実際、刀が相手に触れてから、さらに引く
動作なんて練習しないでしょ?VIPPERな名無しさん | 2008.08.01(Fri) 14:52 | URL | No.256889 - ※644
>的確な速度で引いてこそ斬れるものだって師範がいってた
君の師匠には申し訳ないが、それは日本刀の斬り方のうちの一部だけの話をしている。
あからさまに引く引き斬りは日本刀の用法の一部なんだよ。
押して斬る押し斬りってのもあれば、ほとんど敵の肉に滑らせない打ち斬りというのもある。刺しながら角度をつけていくことで傷口を広げる突き斬りってのもある。全部正しい日本刀の使い方なんだね。
つまり引いたほうがより効率よく「斬れる」のは事実なんだけど
単に正面から衝突するだけでも「割る」ことはできる。
つまり殴りつける(打つ)だけでは「斬れない」が体の比較的固い部分を「割る」ことはできる。頭とかね。
君の師匠が言ってる「単なる殴りつける」状態というのは刃筋が立っていない状態の事を言ってるんじゃないのかな?
弾丸に関してはたしかに「当然」とか言っちゃってる連中は単に日本の何かが褒められるのが生理的に嫌いなだけで何がどうなろうが必ずケチつけてくる連中だからほうっておくとしても、
基本的に弾丸のほうが柔らかいので
日本刀が振動さえしなければまあ弾丸を「割れる」のは想定の範囲内の出来事なんだ。単発で刃に対して正面から撃ってもらってる限り別に不利ではないよ。VIPPERな名無しさん | 2008.08.01(Fri) 14:56 | URL | No.256892 - 銃弾を切るってのは空想科学読本でもルパンネタで
取り上げたからなあ。結構有名なんじゃない?
その時は確か、銃弾は切れるけど2つに分かれた銃弾が
自分に当たるという・・・・VIPPERな名無しさん | 2008.08.01(Fri) 15:07 | URL | No.256896 - そもそも鉄の鎧や兜が斬れるんだから
鉄より柔らかい上に小さい鉛弾を斬れるのは当然
刀のほうが動いていって切断するか
対象のほうが動いて切断されに来るかのちがいだけVIPPERな名無しさん | 2008.08.01(Fri) 15:12 | URL | No.256901 - ※642
武器によるアドバンテージは技術で無力化されるという結論が導き出されただけの話VIPPERな名無しさん | 2008.08.01(Fri) 15:29 | URL | No.256909 -
VIPPERな名無しさん | 2008.08.01(Fri) 16:01 | URL | No.256940
- 米648
素材としては柔らかい鉛はともかくとして、
そもそもの話で鎧や兜は簡単には切れないデショ。
そもそも相手に切られないために着ていくものなんデスから。
鎧の隙間を狙う介者剣法だって、鎧が切れるならいりませんよ。
それでもたま~に切っちゃう人がいるから、兜割りなんていうのが
武勇伝になるんでしょうけど。VIPPERな名無しさん | 2008.08.01(Fri) 18:22 | URL | No.257056 - 「是程に引立たる大勢の中より、只二人返し合するを以て三塔一の剛の者とは可知。
其名をば定めて聞及ぬらん、東塔の南谷善智坊の同宿に、
豪鑒豪仙とて一山に名を知られたる者共也。
我と思はん武士共、よれや、打物して、自余の輩に見物せさせん。」
と云侭に、四尺余の大長刀水車に廻して、跳懸々々火を散してぞ切たりける。
是を打取らんと相近付ける武士共、多く馬の足を被薙、冑の鉢を被破て被討にけり。VIPPERな名無しさん | 2008.08.01(Fri) 18:53 | URL | No.257083 - そもそも介者剣法は鎧のすきまをねらう技のことではなくてちゃんとした剣術を習得せず防御が鎧頼みで力で武器を振り回すだけの人への蔑称
何々流介者剣法などというものは存在しない
普通の剣術の中に鎧を着ている相手へのコツとして脇の上げさせ方とか
股間を切りやすくするためにいかに相手の腰をあげさせるかみたいな
口伝が残っている場合はあるけどねVIPPERな名無しさん | 2008.08.01(Fri) 19:35 | URL | No.257110 - 今でもサムライはいると思う?VIPPERな名無しさん | 2008.08.01(Fri) 23:36 | URL | No.257417
- 騎馬民族が馬降りてる時点で終わってるでしょ
あまつさえ海上で戦うとかもうね
元軍が敗れるのは当たり前だと思うよVIPPERな名無しさん | 2008.08.02(Sat) 00:41 | URL | No.257513 - ※654
私はいると思いますよ
サムライって税金ドロ・・・・公務員みたいなものでしょ
違いますか?違うよね、ごめんなさい・・・・・VIPPERな名無しさん | 2008.08.02(Sat) 01:25 | URL | No.257554 - 日本刀が凄いのはあると思うが、まあぶっちゃけ白兵だしさぁ
所詮刃渡2尺3寸前後の殺傷能力が高くて異常に丈夫な鉄の棒と同じようなものじゃないかと思う。
もっと凄いのはそれを振るう技術じゃないかな?
日本は東アジアで数少ない武官文化でしかも小手先を是とする風潮がありしかも凝り性が多いお国柄でしょ?
武の術が普及、発展する風土は揃ってるわけだ。
あとどうでもいいけど江戸時代の達人と戦国時代の達人、一対一で斬りあいしたらどっちが勝つ? って話があるじゃない。
俺は小手先に特化した江戸時代の達人のが有利と思うんだが諸氏の考えを聞かせて欲しいのね、VIPPERな名無しさん | 2008.08.02(Sat) 02:32 | URL | No.257626 - 米657
戦国生き残りの侍が、江戸剣法の若いのに圧勝したっつー話があってだね。
その戦法は、相手の木刀での一撃を左腕で受けて、右手の木刀でぶんなぐるってやつ。
これは、本人が合戦に出ていたときは、非常に強い鋼鉄の芯が入った小手を身につけていて、その小手で相手の刀を受けてから右手の武器で倒すってのをよくやってたからだそうな。
もちろん道場からはブーイングの嵐だったようだけどね。
どちらの技術が洗練されてるかっつーより、
とにかく何としても勝つっていう戦国生き残りに軍配があがるんでないかなぁ。
単純に剣術として優れているか、洗練されているかだったら、
当然江戸剣法のほうが上だと思うけどね。VIPPERな名無しさん | 2008.08.02(Sat) 04:37 | URL | No.257669 - イギリス人の体格について。イギリスで(うろ覚えだが確か400年近く前の)古い家に入った事あるが、あれは150cm以下の背丈じゃないと過ごせないんじゃないかと思う程天井が低い。相当小さかったみたいよ昔。そして現在は日本人とほとんど変わらない体格。ずっと差はないんじゃないかな。VIPPERな名無しさん | 2008.08.02(Sat) 06:28 | URL | No.257687
- 655
この時代、元軍はもう歩兵が主力の時代になってる。
かつての騎馬兵中心時代は終わってる。
あと、たしかに(人によっては意外らしいんだが)日本の武士は海戦が得意なので海で戦うと武士のほうが有利というのは一利ある。
歴史も当然そのとおりの結果になったしね。
ただし、元軍には宋人がいたのでけして海戦が下手な軍隊ではなかった。
とはいえ、文永の役同様、上陸そのものは容易に出来るはずだと想定して来ていることは確かで、要は石塁が築かれているということを知らずに、のこのこ来ちゃった段階で元軍は情報戦で敗れてるんだな。
VIPPERな名無しさん | 2008.08.02(Sat) 10:42 | URL | No.257763 - 659
興味深いね
生活空間であった家の寸法ってのは重要なデータになるなVIPPERな名無しさん | 2008.08.02(Sat) 10:46 | URL | No.257764 - 朝鮮の役で日本軍は自軍の何倍、時には何十倍の数の朝鮮、中国軍を破っている。侍は半島大陸人の五倍くらい強いのは確か。
相手が弱すぎるので予定以上の速さで奥地に行ったら補給が間に合わなくなって失敗した。
倭寇についても朝鮮中国の当時の資料に「倭人強すぎてワロタww日本刀のほうが俺たちの刀より長いし槍で挑んでも切り落とされて無理ww」って書いてる。
大日本帝国軍も強かった。
侍は強い、しかし今の日本人はワロスwwVIPPERな名無しさん | 2008.08.02(Sat) 14:10 | URL | No.257969 - ※660
そら日本は海洋国家だからな
しかも内陸は山ばかりときたら航海技術が発展するのが普通
そのうえ日本海は世界でも荒れる海として有名だから海戦が強くて当然VIPPERな名無しさん | 2008.08.02(Sat) 14:34 | URL | No.257996 - 室町時代まで構造船を造れなかった国だからなあ。
海に出て強い・・・わけもなし。
小舟に乗ってゲリラ戦をやるなら強い、の間違いだろ。
南宋からはるばるやってきたものの、上陸を躊躇してた元軍には
事実そうやって奇襲をかけて足止めを続け、台風シーズン到来で
壊滅させたわけだし。
冬の日本海は荒れる・・・が江戸中期まで国内の海運は沿岸航海を
半日単位で繰り返す方法で、そもそも荒れてる日は航海しない。
だから冬の日本海側の海運はかなり鈍った。VIPPERな名無しさん | 2008.08.02(Sat) 15:01 | URL | No.258027 - 陸から遠かろうが近かろうが海は海だけどねVIPPERな名無しさん | 2008.08.02(Sat) 15:12 | URL | No.258035
- 「私は彼らの傍で、感嘆の叫びを抑えることができなかった・・・・・・
Goliathでもsimsonでも、HeraclesでもBacchusでも、
どんな種類の怪力の持ち主でもいい、そんな巨人が2人いると想像して欲しい。
私は日本人種は小柄だと聞いていたが、これらの屈強な男達を見て誤りを正すに至った」
l`illustration「日本の格闘技」1865VIPPERな名無しさん | 2008.08.02(Sat) 19:12 | URL | No.258241 - 海洋国家というより島国だな。VIPPERな名無しさん | 2008.08.02(Sat) 23:11 | URL | No.258518
- 剣道じゃ真剣は使えないから。
あと軍刀とちゃんとした刀鍛冶の作った刀は全然違う| 2008.08.02(Sat) 23:24 | URL | No.258553 - なんていうか、武士道精神たっぷりな米(荒れてない所とか特に)達で、清々しく見れる。
流石日本人?
昔も、こういう問答論議で武力を上げたのだろうか?VIPPERな名無しさん | 2008.08.03(Sun) 02:15 | URL | No.258884 - 海洋国家か
中世すでに環太平洋を中心に各地に数千人規模の日本人街があったって話だしな
結構手広くやってたみたいだねVIPPERな名無しさん | 2008.08.03(Sun) 03:11 | URL | No.258934 - 数千は大袈裟だが、室町期以降は海外進出する人間も少しは増えたな。
やっと東シナ海を無事故で渡れるようになったからね。
植民地化だとかには完全に出遅れ&力不足だったが。VIPPERな名無しさん | 2008.08.03(Sun) 15:25 | URL | No.259301 - 最初から植民地化する気が無いからねVIPPERな名無しさん | 2008.08.03(Sun) 15:42 | URL | No.259313
- ■交戦勢力
鎌倉幕府地頭・御家人ら
幕府側指揮官 北条実政
元・高麗連合軍
元軍総司令官 阿塔海
その他の将 范文虎 忻都 洪茶丘 金方慶
■戦力
幕府側約40,000人
元軍 142,000人
■損害
幕府側不明
元軍110,000人死亡
(「ビジュアル日本の歴史」より)VIPPERな名無しさん | 2008.08.03(Sun) 15:58 | URL | No.259328 - 蒙古襲来絵詞…竹崎季長が、元寇時の御恩奉行であった安達泰盛への鎮魂と報謝のために作った絵詞。
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_02.html
住吉鳥居を通り過ぎて赤坂に向かう途中の小松が原で季長は菊池二郎武房の一行と出会う。
総勢百余騎。
武房はすでに敵と戦い、たくさんの首をぶら下げて引き上げてくる途中であった。 (てのものふんどりあまたなり)
それを見た季長はいっそう奮い立ち蒙古軍に向かって駆け出すのであった。
菊池武房に破れた敵の本隊は,麁原へ退却した。
別の一隊は別府の塚原へと退却。
塚原から鳥飼の干潟へ進み本隊と合流せんとする蒙古軍を討ち取ろうとした季長は馬が干潟に脚を取られ逃がしてしまった。
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_04.html
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/kotoba_03.html
敵軍は麁原に陣を構えて鐘を打ち鳴らしてひしめきあっていた。
季長の合戦は、麁原から鳥飼潟の塩屋の松原が舞台となった。
旗指が馬を射られて跳ね落とされた。
季長以下3名も馬を失い痛手も被り、あわや一巻の終わりかとみえたところに、
肥前国御家人白石六郎通泰が後方より援軍を率いて攻め立てる。たまらず敵は退却を始めた。
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_03.html
さらに敵を追って攻め入る三井三郎資長と退却する蒙古軍。VIPPERな名無しさん | 2008.08.03(Sun) 16:23 | URL | No.259353 - 米672
秀吉が朝鮮半島をまさに領地として分け与えようとしていたように、
国内の統一が出来た後ならば需要はあったと思うよ。
ただその頃には遅すぎただけでしょう。VIPPERな名無しさん | 2008.08.03(Sun) 17:16 | URL | No.259405 - 植民地の定義通りの植民地政策って結局西洋人以外でやったとこがないからなぁVIPPERな名無しさん | 2008.08.03(Sun) 18:34 | URL | No.259484
- 日本人町は別に現地国と戦争するための街じゃないからな(山田長政ぐらい現地の国政に関わるようになっちゃって政敵に滅ぼされちゃうことはあるけど)
積極的に現地に溶け込もうって言う方針だろどこも。
現地国の国益に沿う他国との戦争には加担することも多かったようだが…
結局商売と傭兵家業のための街だからちょいと武闘派の華僑みたいなもんだろ
植民地化がどうのとか言うのは考えすぎというかなんというかw
VIPPERな名無しさん | 2008.08.03(Sun) 18:57 | URL | No.259520 - 日本人で東南アジアまで出て行った人たちは、
基本的には商売なり何なりが目的であって、
政治的な支配権がどうこうって人じゃないからね。あるいは
そう考えていたとしても、それだけの力が無いのが現実だし。
確かに秀吉は、政治的な支配を求めて海外進出を
図ったわけだけど、それ以前ではそんな余裕は無いわけで。
一人ぐらいは、国内で争うより海外に領土を・・・と考える大名も
いたかもしれんが、基本的には明を超えていかねばならない
という壁がいきなり立ちはだかる。VIPPERな名無しさん | 2008.08.03(Sun) 20:09 | URL | No.259593 - 山田長政か
現地でそうとうな政治力を持ったらしいが、新しい王がきにいらねーっつって大反対したんで暗殺されたんだったなVIPPERな名無しさん | 2008.08.04(Mon) 01:28 | URL | No.259951 - 著者は、麗蒙連合軍の日本征伐がいわゆる「神風」という表現によって深刻に歪曲されているという点に衝撃を受ける。
大多数の人々はいまだに、麗蒙連合軍がいわゆる「神風」と呼ばれる台風のために日本本土にたどり着けぬまま全滅したと理解している。
しかし麗蒙連合軍は対馬、壱岐、博多湾一帯、九州南部をあっという間に攻略して、破竹の勢いで本土占領に乗り出した。著者は日本での現地踏査を通じて、九州全域はもちろん本州の内陸奥深くまで麗蒙連合軍の跡があちこちに残っていることを確認した。
▽ソース:スポーツソウル/Yahoo!Koreaニュース(韓国語)(2008/08/01 11:41)
http://www.sportsseoul.com/news2/life/culture/2008/0801/20080801101050900000000_5819195479.html
http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=13&articleid=20080801114100254d8&newssetid=85
>しかし麗蒙連合軍は対馬、壱岐、博多湾一帯、
物は言いようだなw
結局沿岸でうろうろしてただけってのを言い換えただけじゃないかw
>九州南部をあっという間に攻略して
九州南部?
九州北部の一都市である大宰府にすら届かず、日本の前線基地である水城にすらかすりも出来ずに海上がってすぐの博多で放火だけしか出来なかったのに九州南部?VIPPERな名無しさん | 2008.08.04(Mon) 02:27 | URL | No.259984 - 対馬や壱岐の攻略って自慢になるのかな?高麗にとってはなかったことにしたい事件じゃないの?
単なる村人の虐殺しかして無いんだし…VIPPERな名無しさん | 2008.08.04(Mon) 10:55 | URL | No.260115 - いやまて、元寇で征服したから対馬は韓国ry・・・VIPPERな名無しさん | 2008.08.04(Mon) 12:20 | URL | No.260153
- 結局逃げ帰っちゃってたら征服したことにならないでしょ| 2008.08.04(Mon) 16:34 | URL | No.260321
- 面白いスレだね。
微妙にスレちだが流れ読まずに、おまいらの好きそうな話を投下してみる。
つttp://www5f.biglobe.ne.jp/~ssbohe/one_goforbroke.htm
大和民族のポテンシャルやらいろいろ考えさせられる。
教育、装備、環境、動機が揃った場合、人間にはここまでのことが可能らしい。
体格云々言っている人たちにはぜひ読んでほしいな。
それから
つttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%A9%E5%9D%82%E5%BC%98
この辺も既出かもしらんが投下。
最後に
つttp://www5f.biglobe.ne.jp/~ssbohe/one_khukuri.htm
日本兵と戦った、世界最強と謳われるグルカ兵たちの話。VIPPERな名無しさん | 2008.08.04(Mon) 17:47 | URL | No.260354 - グルカ兵たちとは敵同士でありながらなにか感じるものがあったらしいな
たしかグルカ人もわりと迷信深いところがあって霊感が強いというか多くのグルカ兵がジャングルでの戦闘中に日本兵の亡霊を見ているそうだ。
「日本兵は死んでなお戦場で戦い続けている」と畏敬と畏怖の念を持ったとかVIPPERな名無しさん | 2008.08.04(Mon) 18:04 | URL | No.260362 - 舩坂弘軍曹は何流だっけか?VIPPERな名無しさん | 2008.08.04(Mon) 18:21 | URL | No.260395
- 舩坂は凄い。ほとんどターミネーターだ。でも言おう。
ルーデルは自重しろと。VIPPERな名無しさん | 2008.08.04(Mon) 18:22 | URL | No.260397 - >No.260362
「死んでなお戦場で戦い続けている」と、そう敵に言わしめたのはイスラエル
建国のときのユダヤ人くらいしか他には知らない。いや史実を探れば他にも
いただろうけどすごいよな。俺らのじいちゃん世代ってorz
>No.260395
「零式戦闘術」といわれても信じる。
>No.260397
ルーデルはアンサイクロペディアでももてあまし気味w
ところで話を侍に戻すけど、重火器の発展した近代戦でも銃剣突撃って有効なんだね。
だとすると、弓矢に対して防御力の高い大鎧をつけた侍って相当厄介な相手だったんじゃね?
遠距離でも打ち負けないし近距離では剣術+柔術。
西洋の騎士相手でもランスチャージさえしのげばあとはコロンコロンと投げ飛ばし首をかっきり……。VIPPERな名無しさん | 2008.08.04(Mon) 19:00 | URL | No.260431 - 戦国時代にスペインとポルトガルが日本の軍事力を恐れて武力征服を諦めたとか、海戦では勝つけど陸戦では負けると言ったとか、そういった記録はどの文献・資料に書かれているのだろうか。詳しい人教えてくだされ。VIPPERな名無しさん | 2008.08.04(Mon) 21:47 | URL | No.260649
- 米688
機関砲相手に死体の山を築くのは「有効」なのか・・・・?
たいした装備を持ってなかった当時の中国軍相手ならともかく、
戦術としては最悪だろう。
それこそ、損害を省みぬ狂気の突撃に、米英の兵が押し負けた事例は
確かにあるのだが、相手も分かってくると、もはや戦闘ではなく虐殺に
なったというのが事実でしょ。
で、とりあえず武士ってのは自分の家を守らないといけないから、
赤紙一枚で何人でも~なんていうふざけた時代と比べたら、損害に
対する許容度はかなり低い。それはまあここでは置いておいて。
とりあえず武士がみんながみんな剣術に柔術の達人なのか?という
大疑問もあるが、それも置いておいて。
時代レベルを合わせるとすると、西洋に本当のフルプレートが出てくる
頃(だいたい15世紀)には大鎧の方がなくなってたりするわけで・・・・
逆に大鎧で戦ってた頃の武士は騎馬弓兵で、その頃の西洋では
チェインメイルを着て白兵武器で殴り合ってたから、この時代に
戦っていたら、遠距離戦では完勝。至近距離では大鎧の防御面積は
後代の鎧に比べると小さいのがどう出るか?ではないかな。VIPPERな名無しさん | 2008.08.04(Mon) 23:31 | URL | No.260816 - 機関砲といえば日本軍は機関砲に関してはものすごく初期に手を染めてるんだな。
秋山好古率いる騎兵隊が当時世界最強とうたわれたコサック騎兵を蜂の巣にしたホチキス8mm重機関銃なんかは高価な上に世界情勢としてはそもそも使える兵器であるのかすら疑問の声も残っているぐらいのシロモノだからな。
日本は「金さえあれば」新兵器大好き民族みたいだな。
太平洋戦争ではそもそも戦争の動機が資源をとめられたからだから最初から物不足、資金不足だからな。かんがえてみりゃかわいそうな話だ。
それから江戸時代じゃないが日露戦争当時でも日露の兵士では識字率に雲泥の差があったらしい。日本兵はほぼ全員最低限の数学的知識をもち、作戦行動を伝達/報告するのが非常にスムーズだったが、露兵はあまり複雑な作戦や戦況報告は不可能だったらしい。
でも日露戦争やその後の戦争もそうだけどそれこそ侍の話じゃないからあまり脱線するのもほどほどで。
舩坂さんは武術家だからギリギリ武士の話題に引っかかってるけどねVIPPERな名無しさん | 2008.08.05(Tue) 00:47 | URL | No.260872 - 実は第二次大戦の正規軍死傷者数ランキングだと日本は敗戦国の癖にやたら順位が低い(死傷者が少ない)らしい。あれだけたくさん死んでいるのに、他の国はさらに桁が違うほど死んでいるというんだからわからないものだ。
まあ支那や独逸、露西亜という大御所たちが洒落にならないほど人死に出しているから順位が繰り下がった形なんだが…
ああいかん!言っているそばから脱線させてしまっている!やめやめVIPPERな名無しさん | 2008.08.05(Tue) 01:04 | URL | No.260881 - ものすごく初期かはあれだが、日露戦争の各会戦に日露が投入した
火器を比べると、数は勝ってるんだな。
203高地でロシアが駆使した機関銃にしても、配備した数だけなら
日本がずっと多かった。
ただ要塞陣地に無謀にも突貫してくる奴を迎え撃つのに使った方が
運用しやすかっただけで。
あと日露戦争の日本軍は常に砲弾不足で、十分な援護射撃が
出来なかった。203高地では、歩兵が攻撃する直前だけ日本の
砲撃が増えると見抜かれて、逆にしっかり待ち受けられて大損害。
さらに要塞砲撃には不向きな榴散弾に偏った生産をしていた。
28サンチ榴弾砲を流用しようと思い立ったのは慧眼だった。
どんどん逸れてしまった・・・VIPPERな名無しさん | 2008.08.05(Tue) 14:29 | URL | No.261272 - 舩坂弘ひとりで米兵を200人殺しているんだな…
恐ろしい戦闘力だVIPPERな名無しさん | 2008.08.05(Tue) 17:43 | URL | No.261376 - シモヘイヘも自重しないとな。VIPPERな名無しさん | 2008.08.05(Tue) 18:35 | URL | No.261401
- ※658
それが介者剣法だよね。
介者剣法ってのは、道場とかに通って剣法とかを習わず、戦場での経験から身に付けた剣法を、道場剣法側が「あんなのは邪道だ」って差別する為にそう呼んだんだけど、実際は道場でいくら木刀で練習しても刃物で肉の斬り方までは学べず、戦場では道場の様に足場が良くも無いから、道場での剣法なんて学んでも無駄って事で、政事が落ち着くまで学ぼうと言う人間が少なかったんだよな。
逆に平和な時代になると、就職活動とかにおいては、○○流の印可を受けたってのは、ある種の現代で言う資格の様な扱いになり、柳生流や一刀流は人気が高くなったんだよな。
けど、宮本武蔵の二天一流なんかは、「剣法ってのは、どの技ができたから印可を上げるとかじゃなく、それぞれの能力に合わせて指導をするべきだ」って実戦的な流派を目指したんだけど、それ故に「二天一流を学んだからと言って強いわけじゃない」と受け取られる様になり人気が無かったとか。VIPPERな名無しさん | 2008.08.07(Thu) 05:41 | URL | No.263425 - 実際、武蔵のような戦い方は武蔵にしか出来んだろうからなあ。VIPPERな名無しさん | 2008.08.07(Thu) 08:57 | URL | No.263468
- 源平合戦の頃から剣術を習う描写が文献に出ているね。
さすが武士、弓の時代でも武芸全般に手を抜かねえ。
VIPPERな名無しさん | 2008.08.07(Thu) 11:25 | URL | No.263545 - 強い武士一人に対して、やられ役の武士十人ぐらいいないと
絵にならない、つーか有名武将も活躍できないので、
手抜き気味でお願いします。VIPPERな名無しさん | 2008.08.07(Thu) 12:49 | URL | No.263632 - やられ役の武士も強かったんだなVIPPERな名無しさん | 2008.08.07(Thu) 15:31 | URL | No.263789
- そりゃ無茶ってもんですぜ。
おれら西国武士なんて貴族っぽくへっへ~てなもんでさあ。VIPPERな名無しさん | 2008.08.07(Thu) 16:52 | URL | No.263856 - *692
ロシアは5000万人(粛清含む)
日本は 300万人
だったかなVIPPERな名無しさん | 2008.08.07(Thu) 17:25 | URL | No.263870 - アルミの定規でナイフつくったけどすごいよく切れるんだよ
あの重量で5CMくらいなのにな つまりそうゆうことだとVIPPERな名無しさん | 2008.08.07(Thu) 22:31 | URL | No.264231 - 俺の魔法が一番強いわけだがVIPPERな名無しさん | 2008.08.08(Fri) 09:12 | URL | No.264646
- おまえMPゼロじゃんVIPPERな名無しさん | 2008.08.08(Fri) 11:49 | URL | No.264692
- 米681
千人以上の「武士」を殺したという嘘を教えているらしいVIPPERな名無しさん | 2008.08.08(Fri) 14:53 | URL | No.264866 - 対馬と壱岐で迎え撃った武士は併せても200騎弱ぐらいだろうが、
まあ随員も兵力には数えるとして1000ぐらいと言えなくもないか。
武士ではなく、兵力として1000人だが。
外国人には区別がつかんと言えばつかんのだろうが。VIPPERな名無しさん | 2008.08.08(Fri) 15:54 | URL | No.264932 - すべての嘘はソウルに通ずVIPPERな名無しさん | 2008.08.08(Fri) 16:04 | URL | No.264941
- 女子供も武士か?
そりゃすげー
俺もきっと区別できないだろうな(棒読み)VIPPERな名無しさん | 2008.08.08(Fri) 16:27 | URL | No.264963 - そういや蒙古襲来絵詞によれば
このときの武士団はあまり徒士を連れない戦い方をしたらしいね
対モンゴル対策で騎馬だけで構成して機動性を重視したのかこの頃の九州はそういう流行だったのか知らないが…
確かに絵巻の中にも徒士が一人も描かれて無い。
落馬したあと走ってついていく旗刺しはちゃんと描いてるのにね。VIPPERな名無しさん | 2008.08.08(Fri) 16:41 | URL | No.264973 - 米707
いくら同じアジア人とはいえ、やはり外国人だからな。
逆に日本人が外国人見ても戦闘員か非戦闘員か区別できないどころか
どれが男でどれが女かすら判らなくてもおかしくないのかもしれない。
我々から見てこれだけ区別がつかないなら彼らもまたそうだったとしてもうなずける。
http://litz.sakura.ne.jp/upload/file/1218183288.jpgVIPPERな名無しさん | 2008.08.08(Fri) 17:21 | URL | No.265010 - 戚維光が『紀効新書』巻4『短器長用解』に述べている。
「長刀が、倭から中国を犯した時もあった。彼らはこれで前に跳躍し舞い、其の光を見るとわが兵はもうその気を取られた。
倭は喜び飛んで、一丈余りもあって、刀は五尺だが、五尺より大きくなった。わが兵が短器で受け取り難いが、長器は敏捷じゃないが、
やられたのは良くその体が二段となった。その理由は、器が鋭利でまた両手で使用するから、刀が重くなるからだ」。
何良臣は『陣紀』巻2『技用』に述べている。
「日本刀は二三回だけで、人は往々として抵抗できないが、その用刀の巧みさが分かる」。
明末徽州武芸家程宗猷が『単刀法選』にも述べている。
「其の法は、左右跳躍して、神秘で、人が予測できない。そこで、長技は毎度刀に負ける」。
諸家には、戚継光以外、晩明「額南三家」の一の番馬屈大均がその『広東新語・語器』に述べたのがもっとも素晴らしい。
「その人が横行して力いっぱい戦って、風のように漂って動く;常に一人で陣に入って、たくさんの兵も抵抗できない。
その刀の使い方は、長いので形を計って、短いので超越して、しゃがんでいるのを歩として、退を伐とする。肘が腕のカを受けて、削るのは隠すためだ。万人でも対応できるが、島中の絶技である」
上述長所以外に、明人の記載から見れば、倭寇用刀にはまた二つの特殊なやりくちがある。
第一、倭寇が出陣する時、良く双刀を使う。
「手で双刀を振りまいで、刀長が五尺あまり、腕で動くが、長く届ける。その刀が舞うと、全身が雪のようで、攻撃できる隙間がない」………
……………「元来は倭寇と交戦した時、左手で長刀を持ってやるのは、余り便利ではないが、その右手の持った短刀が鋭利でありながら、官兵がこれらと交戦した時、
その左手の長刀に応対するのを工夫して、彼の右手の短刀を防がなかった。その長刀に工夫した時、その右手から短刀をだして、人頭はもう地下に落とした。
胡公が細かく研究してから分かったが、兵士がその右手の短刀に対抗させてから、勝った」
倭寇に苦戦した明側の記述
日本刀が実戦で使われた事がよくわかる
後、かなり前レスに出てた「脇差しで首を落とせる」という内容にも合致するVIPPERな名無しさん | 2008.08.08(Fri) 22:07 | URL | No.265397 - 米710
絵画資料は「何を一番描きたかったのか」で変わるからねえ・・・・
結局はどーでもいい奴は最初から描かんというだけかも?VIPPERな名無しさん | 2008.08.08(Fri) 23:46 | URL | No.265660 - 713
少なくとも蒙古襲来絵詞の資料批判ではそういう疑いはなかったとされている
安達泰盛邸や河野通有邸、博多への移動中、生の松原では下人や歩兵までちゃんと描いてる
鷹島での戦いでも描かれている。人足まできっちりとね。
つまり実際に居ればちゃんと描いてるはずと判断されてるんだね。
つまり少なくとも赤坂や百道原といったメインの戦闘では本当に随伴歩兵がいなかったんだね
純粋に騎馬武者だけ百騎が一群となって集団で突撃して行っているわけだ。
意外なことだけどねVIPPERな名無しさん | 2008.08.09(Sat) 03:10 | URL | No.265859 - 707
対馬の兵力は100人以下なんだが…
宗資国率いる武士は80人のみ。
たった80人の武士団を全滅させるのに高麗兵先発700、総勢不明が投入されたが丸一日粘られるという体たらく。弓が強いのか馬が速いのかしらんが武士どんだけ強ええんだよ。
よっぽど悔しかったのかその後一週間も対馬に滞在し、島民の虐殺、暴行を「楽しむ」高麗兵。
他の国の指揮官なんかは高麗兵士のあまりのはしゃぎぶりに引きまくっていたろうな
逆に忻都はこれだけの圧倒的戦力差の中奮戦した宗の武士を恐れ、本国へ帰国後にこう報告している
「日本人はどうしたものか? 死を恐れず、少数で大勢の中に飛び込み、全滅を承知で戦う。日本人ほど恐ろしい敵を見たことがなかった」
VIPPERな名無しさん | 2008.08.09(Sat) 03:29 | URL | No.265872 - 武士が80人いりゃ総勢は300人ぐらいでしょ。
米714
100騎にもなったら描くのが面倒くさくなったか、
従者を全部後方に待機させて本気の決死隊?
といっても鎌倉期では、まだ戦の様式からして
騎兵の抜刀突撃!という用兵はされてないはずなので
(太刀は主に下馬状態で振るう武器であった時代なので)
どちらかと言うと「一定距離を保ちながら弓矢を射かける」
用兵になるんだろうけど。VIPPERな名無しさん | 2008.08.09(Sat) 11:05 | URL | No.266022 - 相手も歩兵だし歩兵がいてマズイ事はないだろうにね。
強いて言えば、不利になった時に逃げるには
歩兵がいない方が速くて便利だな。
海岸線での戦いは、実のところ、危なくなったら
即逃げられるように考えながら戦っていたか?VIPPERな名無しさん | 2008.08.09(Sat) 19:28 | URL | No.266348 - 高麗軍の将(都督使)「金方慶」率いる高麗軍は
戦略的に意味が無い対馬・壱岐に執着し、防備の薄いこの島々を攻め
膨大な非戦闘員を殺戮した。
島々におけるこの行為は遠征目的と何の関係もなく、
それにフビライは"百姓を殺すな"と命じていた。
この無用の残虐行為は主将の「金方慶」の性格、朝鮮人の民族性によるとの事である。
彼らは島民を見つけ次第、男子は斬殺し、女子は手の掌に穴を
あけて綱を通し船舷にぶらさげるなど残虐の限りをつくした。
家屋は焼き尽くされ、家畜の被害も甚大で、壱岐牛も一頭もいなくなった。
「ムクリ・コクリ」が来る、と言うと泣く子も黙ると言われたほど、
その残虐な行為は壱岐・対馬・北九州の人達に恐怖感を植えつけています。
ムクリー蒙古―元、コクリー高麗のことです。「蒙古トハ異国ムクリノ事
也」(『沙汰未練書』)というようにムクリが通用していました。
高麗軍と闘った将士がことごとく
戦死すると、敵兵は住民を捕らえ暴虐の限りを尽くしたということです。
山に逃げ隠れ潜む住民の赤子の泣き声を聞いて、捜しまわり、
捕らえては、ことごとく殺しました。
中には、命惜しさに愛する我が子を刺し殺して、
逃げ隠れする者もあったと伝えられています。
捕らえられた妊婦は腹を裂かれ、中の赤子を掴み出されて殺されました。
意にそまぬ婦女子は手に孔をあけられ縄を通してから、
引きずり回され、後、舷外に吊るされました。
(新元史・鎮西要略・壱岐国史・元寇物語)VIPPERな名無しさん | 2008.08.09(Sat) 20:10 | URL | No.266375 - ここらで一つ馬上打物でも貼ってみるか
http://photo1.avi.jp/photo/5/258636/258636-1742933-0-6622341-pc.jpg
http://photo1.avi.jp/photo/5/258636/258636-1742933-1-6622342-pc.jpgVIPPERな名無しさん | 2008.08.09(Sat) 20:21 | URL | No.266393 - 近藤好和氏は文献資料の分析から平安期の武士の戦い方について・・・
また絵画資料はあくまでも見た目重視の場合が・・・
まあ好きなもん信じりゃいいんだろうよwVIPPERな名無しさん | 2008.08.09(Sat) 21:27 | URL | No.266460 - 716
つうかちゃんと詞のほうも読めよw
難しい漢字は使ってないしほとんどひらがななんだから| 2008.08.10(Sun) 03:52 | URL | No.266804 - ノエル・ペリン noel perrin( ダートマス大学英米文学教授)が分析した戦国日本の軍事力(著作「鉄砲を捨てた日本人」より)
「どの国にせよ、敢えて日本の征服に乗り出すには日本は強国過ぎたのである。ポルトガル人には日本征服どころか、その考えすら起こらなかった。スペイン人は一度だけ日本の征服を考えたかに思われるが、その思惑はたちまち一蹴された経緯がある。1609年、太平洋方面総督に対して勅令が送ら
れ、日本軍を前にして「我が軍隊と国家の名誉を損なうような危険を冒さないように」との厳命が下っているのである※。ただ一度だけ、日本の不正規軍・・・・・浪人と呼ばれる近寄るべきでないサムライが主体・・・・・とスペイン人との間で会戦が行われたことがある。1620年代、シャムにおいてだ。どちらが負けたか?敗れたのはスペイン人である。
中国人について言えば、朝鮮での戦いのいくつかの小競り合いで中国人が勝ったことはある。だが、戦争それ自体に中国が勝利を収めたわけではない。そのことは中国人自身が明言している。(中略)1644年に滅ぶ明朝の最後に至るまで、この恐るべき侵略者の記憶は生々しく残り、「日本人と言うだけで、人民は神経をとがらせ、女子供は警戒し、息を殺した」と付言されている。
※フィリピン当局者であったスペイン人、Antonio de Morgaの記録にあるVIPPERな名無しさん | 2008.08.10(Sun) 11:16 | URL | No.266918 - >>722
保存したVIPPERな名無しさん | 2008.08.10(Sun) 16:03 | URL | No.267160 - ただ一度だけ、日本の不正規軍・・・・・浪人と呼ばれる近寄るべきでないサムライが主体・・・・・とスペイン人との間で会戦が行われたことがある
↑↑これ、山田長政のことなんだよね。浪人を率いた山田はその高い戦力を評価され、アユタヤ王朝国王ソンタムに傭兵団として雇われ、シャム国内の内乱をたちまち鎮圧、侵略者であるスペイン人を撃退するなどして大活躍したそうな。VIPPERな名無しさん | 2008.08.10(Sun) 18:35 | URL | No.267239 - ※722の関連として文禄・慶長の役についての支那からの目線
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
(日本との七年に及ぶ戦争によって我が明の士官には数十万、雑兵達には百万の犠牲がでた。
我が国と属国朝鮮に勝算は無かったが、関白豊臣秀吉の死によって戦争は終わった)| 2008.08.11(Mon) 03:35 | URL | No.267638 - >>725
722の(中略)の部分にまさにその記録が入ってるんだよ。VIPPERな名無しさん | 2008.08.11(Mon) 15:01 | URL | No.267903 - こっちはこっちで兵糧攻めで死に掛けてたのになあ。
お互い何考えてるか分からんもんだね。VIPPERな名無しさん | 2008.08.11(Mon) 16:01 | URL | No.267963 - 兵糧攻めというか凍死がおおかったそうだが
ちなみにイ・スンシンの事を言ってるなら、文禄の役の緒戦だけに限っても補給を完全に切られたことはなく海岸線沿いと各停泊地に和城の建築が進んでからは
和城からの砲撃をメインにした戦法に切り替わり、返り討ちにあうようになったんだよね。
まあ確かに慶長の役、秀吉が死んだ後、講和がなされているにもかかわらず、明の言うこと聞かずに日本軍に突撃してきた勇気は買うけどね。
でも命令違反だよねそれ。
結局捕らえられて、「武将として処刑するのもめんどくさい」とそのまま海に捨てられちゃったのは確かにちょっと非礼が過ぎたとおもう。
ん?そのまえに普通兵糧攻めって篭城のときの話で無いのか?
更に言えば餓死者が出たのって文禄の役の内陸部で勇み足で進撃しすぎちゃった粗忽者達だけの話で慶長の役では餓死者すらほとんどでなかったってのが本当のトコだけどね
VIPPERな名無しさん | 2008.08.11(Mon) 17:24 | URL | No.268025 - 侍の傭兵は海外から重宝されていたらしい
あと雑兵が装備してた刀でも現代の価値にするとバカみたいに高くなるんだとVIPPERな名無しさん | 2008.08.11(Mon) 21:13 | URL | No.268334 - 農民でも普通に刀持ってた時代なのに、ばか高いもんなの?
軟鉄の芯に鋼鉄の刃が~なんて上等なもんじゃない、数打ちの刀でしょ。VIPPERな名無しさん | 2008.08.12(Tue) 10:47 | URL | No.268901 - ※718
ムクリコクリか
ベトナム戦争での韓国軍による虐殺といい…VIPPERな名無しさん | 2008.08.12(Tue) 11:56 | URL | No.268927 - サムライの時代も、旧日本軍の時代も、白兵戦だけは最強だったらしいからな。
日本人はチビだけど粘り強いんだろうな。VIPPERな名無しさん | 2008.08.12(Tue) 20:20 | URL | No.269334 - |д。)・・・今も白兵戦最強・・・というか、銃剣術やってるのは自衛隊だけ・・・銃剣使わせればかなり強いよVIPPERな名無しさん | 2008.08.12(Tue) 23:51 | URL | No.269895
- 「私は彼らの傍で、感嘆の叫びを抑えることができなかった・・・・・・
Goliathでもsimsonでも、HeraclesでもBacchusでも、
どんな種類の怪力の持ち主でもいい、そんな巨人が2人いると想像して欲しい。
私は本国で日本人種は小柄だと聞いていたが、これらの屈強な男達を見て誤りを正すに至った」
l`illustration「日本の格闘技」1865| 2008.08.13(Wed) 02:33 | URL | No.270085 - >>734
日本の力士を見たときのフランス人記者の感想だね。サムライとは関係ないような?VIPPERな名無しさん | 2008.08.13(Wed) 10:25 | URL | No.270264 - 力士が大きくても武士が大きいはずが無いといいたいのですね
わかりますVIPPERな名無しさん | 2008.08.13(Wed) 11:51 | URL | No.270318 - ルイス・フロイス
武士階級の食生活は、どの階級よりも質素である。
多くは菜食主義で、下は雑兵といわれる足軽から大名に至る迄、少食・粗食であった。
また着ている物も、普段は木綿の粗衣であったがヨーロッパ人に比べ暑さや寒さに強かった。
武士は戦いにおいて強靱振りを示した。
徒歩の下級武士は、全身に重い甲冑を着け、恐るべき早さで野山を駆け走りあるいは駆け登った。
騎馬侍という一ランク上の階級も馬術に長けているばかりでなく、体躯そのものが強靱であり、我々ヨーロッパ人とは違い落馬してもそれで滅多に死ぬことはなかった。
また、敵に、一旦は馬から引き摺り落されても、掠り傷もせず再び騎乗し直すことができた。
刀で斬られても、あるいは槍で突かれても、傷が致命的な深手でない場合、その傷は直ぐに治り、それは不思議なくらいであった。VIPPERな名無しさん | 2008.08.14(Thu) 09:45 | URL | No.271234 - >>737
保存しやしたVIPPERな名無しさん | 2008.08.14(Thu) 13:49 | URL | No.271390 - >>737
これってフロイスの著作「日本史」の記述かな?VIPPERな名無しさん | 2008.08.14(Thu) 14:08 | URL | No.271417 - アーノルダス・モンタヌス「日本誌」
戦いは日本人の頗る喜ぶ所なり。
彼等の武器は鉄砲弓矢の外に刀あり。
刀は非常に能く鍛えられあればヨーロッパ流の刀身などは容易にこれにて切断せらるべし。VIPPERな名無しさん | 2008.08.16(Sat) 16:30 | URL | No.273146 - 今の俺ら → 昔の人たちってSUGEEEEEEE!!(戦闘的な意味で)
昔の人ら → 未来の日本人は気狂いか!(コミケ的な意味で)VIPPERな名無しさん | 2008.08.16(Sat) 23:31 | URL | No.273439 - >>740はまさにこれの通りの結果だな
レピアーを日本刀で斬る レピアー粉砕される
ttp://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071213162356.jpg
日本刀を厚みと幅が倍の西洋の剣で斬る 日本刀まるで平気
ttp://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071212175955.jpg| 2008.08.17(Sun) 20:44 | URL | No.273790 - 「揮刀如神」 明末期
「日本のサムライの剣術はまるで神の如しだ。我々の兵士(明兵)はサムライを見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。 剣術に優れたサムライだが剣術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。 弓の扱いも我が弓兵と互角、その他あらゆる兵科と比べても不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、 子供の頃から武術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる」VIPPERな名無しさん | 2008.08.19(Tue) 01:10 | URL | No.274135 - >>77で「FF5で比べてみると差は歴然」
ってあるけどFF5を知らない俺にはさっぱり歴然としないわけだがVIPPERな名無しさん | 2008.08.19(Tue) 09:38 | URL | No.274177 - >>米744 同意
VIPPERな名無しさん | 2008.08.20(Wed) 23:55 | URL | No.274561 - >>732
ヨーロッパ人もチビだったからそこよろしくVIPPERな名無しさん | 2008.08.22(Fri) 18:21 | URL | No.275031 - 昔の日本人はキリストの聖書みたいに武士道を信じて日々鍛錬をおこない
武芸に励み戦で戦ってた
侍がサラブレッドに乗って突撃したら迫力すごそう
あと、刀を作る時は「先は柔らかく真ん中は硬く手元は柔らかく」とか水戸黄門が行ってたな
柔らかくとか言ってもハンパなく固いんだろうけどVIPPERな名無しさん | 2008.08.24(Sun) 14:18 | URL | No.276386 - >>744
>>745
FF5終盤およびラスボスは侍がいないとツラい。
(やりこみ派はその限りではないが)
「ぜになげ」げググれVIPPERな名無しさん | 2008.08.24(Sun) 16:58 | URL | No.276497 - 戦争での士気、気迫、個々の能力ってのは戦局にものすごい影響を与える。
そういう意味ではサムライは洒落にならんぐらい強いだろ。
主君に対する絶対忠誠、って簡単に言うけど
実際に死ぬか生きるかの土壇場で本当にそれを実行できるってのは
他の国の宗教、道徳概念だと実現出来るもんじゃないだろ。VIPPERな名無しさん | 2008.08.24(Sun) 19:49 | URL | No.276583 - >>747
侍「この"さらぶれと"なる馬、図体ばかりデカイがひづめは割れるわ、すぐに怪我するわ、おびえるわ、飼葉は好き嫌いするわ、すぐに疲れてへばるわで使い物にならんな」
とおっしゃる姿が目に浮かぶようです。
アラブ馬との交配は中世日本でも多少は行われていたようなので侍が欲しがるならそっちの種の馬だとおもう。| 2008.08.24(Sun) 20:22 | URL | No.276622 - 家臣 「信長様! 南蛮船より お待ちの品が届きましたっ」
信長 「おお ペガススが来たかっ すぐ持ってまいれ」
家臣 「ははっ 只今っ」
信長 「ん?? ワシは鳥並馬が欲しいと申したが・・・・こりゃ馬並にデ カイ鳥やん どないなっっとんねん!」
家臣 「鳥並馬と馬並鳥を間違えやした 完璧に発注ミスです」
信長 「お前 打ち首」鳴かぬならVIPPERさん | 2008.08.25(Mon) 02:57 | URL | No.277254 - 侍が役に立たなくて百姓軍にぼろ負けして維新になった。
江戸末期の侍なら戦争にはそれくらい弱い。VIPPERな名無しさん | 2008.08.25(Mon) 15:23 | URL | No.277778 - 「すべてのサムライは、幼少の頃から、槍や刀による肉弾戦闘を教わっている。
我々が通った一つの区だけでも、乗馬や剣術を教えるために作られた二箇所の馬場と数箇所の建物が存在していた」
「日本の貴婦人に対してさえ、武術の教習所が存在している。
彼女らの武器は、ポーランドの鎌にちょっと似たところのある湾曲した槍(薙刀)である。
彼女らは、それを刃の方を下にして持ち、一定の法則に従って扱うのだが、
身振りと調子を合わせた動きは、立派なバレエの主題になりそうである。
半開きになった門の隙間からこっそりと覗いていたが、
この均整のとれた見物を長く観賞することはできなかった。
同行の役人たちがその門を閉め、婦人の武術の稽古を第三者が見物することはこの国では許されないと、説明したからである」
「LE JAPON ILLUSTRE」 エメェ・アンベール
その辺りの平地の所で、サムライが始終教練を行っているらしい。
囲いの高い柵や潅木の茂みで視界がひどく妨げられたが、時々兵隊の旗や、武器が見えた。
大名達は彼らの藩兵に、戦争の技術を絶えず訓練させていたのである。
そのころ江戸の大名屋敷の傍らを通ると、剣術をやっている喧しい物音が聞こえた。
私が江戸に滞在している間に、同じような音響をしばしば耳にした。
もし、不幸にして、ヨーロッパ諸国が日本と戦うようなことが起こったら、
日本人はシナ人よりも非常に優勢なことが判るだろう。
しかし、そのような、日本人と戦うようなことは、遠い将来のことにさせたいものだ。
ロバート・フォーチュン 「幕末日本探訪記」抜粋
VIPPERな名無しさん | 2008.08.25(Mon) 18:24 | URL | No.278031 - そんな弱くなった侍でも外人をびびらせるには充分だった様子。
「彼ら(サムライ)は、相当に熟達した刀の使い手である。
小さい方の刀を使うときは、二度突く必要は無い。
たったの一突きで相手に致命傷を与える。
大きいほうの刀を使うと、ただの一振りで相手の四肢を切り捨ててしまう」
ラザフォード・オールコック「大君の都」
日本人が従来の方針を変更して、ヨーロッパのような政策を取ることのないよう努力しなければならない。
人口が多く、聡明で感受性が強く、忍耐強く勤勉な、この万事に長けた国民が、外国のものなら何でも模倣しようとし、
わが ピョートル大帝ほどの君主をいだけば、日本が持つ能力や富源とあいまって、この国民は数年のうちに東洋の王者となるであろう。……
……それ故私は、この正義感が強く高潔な国民を怒らせるような真似は決してしてはならないと考える。……
私は、日本人がヨーロッパ諸国のような方針を取り、直ぐさま私達の脅威になると述べているのではない。
しかし、私達が子孫に 恥じるような真似はしないよう注意せねばならない
ワシリー・ミハイロヴィチ ゴロウニン
確かに幕末期は日本の歴史全体でいえば抗争が多かった割には侍が弱体化している時期と言っていい訳だが
鎌倉、南北朝、戦国の武士と比べれば弱いだけでまあ比較対象次第だわな。VIPPERな名無しさん | 2008.08.25(Mon) 18:37 | URL | No.278051 - >>752
勉強不足だよ。近代兵器を揃えた新政府軍も、緒戦では奇声を発して斬り込んで来るサムライにびびって腰を抜かしたり、射撃許可が出ていないうちから銃を撃ちだしたり、敵前逃亡したりして役に立たなかった。
三万の薩軍に対し官軍は七万の兵力を投入したにもかかわらず、死者の数はそれぞれ約六千人ずつとほとんど差がない。所詮は百姓の寄せ集め。VIPPERな名無しさん | 2008.08.25(Mon) 18:48 | URL | No.278068 - 西南戦争では新政府側に会津ぶしの生き残りが参加したらしいなVIPPERな名無しさん | 2008.08.26(Tue) 02:50 | URL | No.278659
- この前テレビで日本刀で鉄板(0.4㍉)を切断してたVIPPERな名無しさん | 2008.08.26(Tue) 22:57 | URL | No.279697
-
VIPPERな名無しさん | 2008.08.27(Wed) 05:22 | URL | No.279942
- ようやく追いついた。よろしくお願いします。
国内戦における白兵については槍>刀で結論が出ている感じだけど倭寇(この表現あんまり好きじゃない)や秀吉の唐入りは刀の話ばっか。
資料が偏っているのか、それとも理由があるのか考えたんだが。
これは腰に装備できる刀の携帯性が手で運ぶしかない槍よりも便利だからなんだろうか?
補給線がかなりしっかりしてないと槍のロストは取り返しのつかない事態だし。その点刀は安心。
もちろん秀吉のときはメインが種子島だったから槍なんかいくらでも替えがあっただろうけど倭寇はそうでもないだろうし。
国内なら敵味方の死体から獲物拾えば何とかなるが、どうも対大陸戦では味方の死人がそんなに出てないみたいだw
外人の武器は代用品にならないからいつでも両手が自由になる刀が白兵の主役だったのかな?
(蛇足だが支那事変のときも国府軍から鹵獲した小銃を使いたがらなかったよね)
単純に外人は自国の槍と日本の槍の違いを認識できなかったというのもあるかも。
それだと資料に書き加えないからその威力が現代に伝わらなかったとか。VIPPERな名無しさん | 2008.08.29(Fri) 01:14 | URL | No.281930 - 秀吉のときも
「我々は銃にではなく刀に負けた」という言葉を残す武将がいるぐらいだからな…
実際外国勢力には刀で戦ってたんだろう(無論文禄・慶長では槍も使ってる。城の備蓄などの資料に槍が載ってるから。)
一般的に刀が弱そうに見えるのは現代の我々が見ることのできる現存する刀のほとんどがすりあげられていて現役で活躍していたときより短いから。
いわゆる剛刀といっていいようなデカイ刀見ればかなり印象変わる。
倭寇が槍を使わなかったのは単純に時代が違うから。戦国時代以前には槍自体が普及して無い。
薙刀使いはそこそこいたと思われる。いたという資料は無いけど国内の海戦では刀7割薙刀3割ぐらいの比率だから、倭寇も似たり寄ったりだと思われるというだけの推測だが。
無論こっちも日本刀は今の我々のイメージより遥かに巨大。
それと倭寇=海戦っていうイメージは正しいんだが一応馬まで持ち込んでて陸戦もよくやってることも強調しておく。
>これは腰に装備できる刀の携帯性が手で運ぶしかない槍よりも便利
どうかな?文禄・慶長のときはそうかもしれない。
だが倭寇の資料から見るとこっちの時代は大太刀を使っているのがデフォルトのようだ。
そうなると正規の装備の仕方でいえば通常の太刀を腰に佩いてなおかつ大太刀を担いでいくのでどっちみち長柄武器と同じ手間になる。
(大太刀は運搬の手間は槍や薙刀と同じ)
刀に負けたことを語る資料が多いのは単純に向こうの連中が「びっくりした」からだとおもわれる。
いくら長大な刀とはいえ
まさか槍もってるのに刀に負けるとか普通信じられんからな。
つまり刀というハードに負けたということもあるが剣術というソフトにも負けたんだろう。
実際「倭人の強さは刀ではなくその歩法にあり」とかいう言葉を残してる人がいたはず(今、誰だかわからないので資料に詳しい人フォローよろ。あとでわかったら自分で書くけど)歩法じゃなくて刀法だったかな?そこんとこうろ覚えなので。
VIPPERな名無しさん | 2008.08.29(Fri) 02:12 | URL | No.281977 - そう言えば槍は戦国以前は普及して無いと前に出てましたね。ありがとうございます。
信長の野望レベルの事前知識なもので倭寇の前後期がごっちゃです。
倭寇の実情が海賊なのはわかっていましたが
その呼び方は日本をJAPANと言っているようで違和感があります。(それに「倭」で「寇」ですしw)
日本の自称、公称はなんだったのでしょうか?海賊が海賊とは自称しないでしょうし・・・
ウィキペディアに
>和寇と表記される場合もある。また海乱鬼(かいらぎ)とも呼ばれる。
と、ありましたがこれが日本側の呼称なんでしょうか?
刀の破壊力は想像以上ですね。
弱そうに感じたことはありませんでしたが、それだけに真の姿ではなかったのか!と驚いています。
どれだけ強いんだよ、刀・・・
それと馬にも驚きです。昔から海を越えて兵隊送り出すの上手かったんですね、海賊レベルでも日本は。
>つまり刀というハードに負けたということもあるが剣術というソフトにも負けたんだろう。
>実際「倭人の強さは刀ではなくその歩法にあり」とかいう言葉を残してる人がいたはず
槍は基本三倍補正なのでびっくりしたでしょうねw
鍛え抜かれた技と肉体と精神が侍の真の武器なのかもしれません。
ここで思ったのですが
今まで比較の対処になってきた西洋人、東洋人が同じ装備で戦ったらと考えるのはどうでしょう?
つまり日本人(侍装備)VS西洋人(侍装備)VS中国人(侍装備)とか
日本人(騎士装備)VS西洋人(騎士装備)VS中国人(騎士装備)とかです。
うーん、私だけでしょうか?負ける気がしません。
それにちょんまげは蒸れないのでヘルメットでも西洋人より持ちそうですw
しまった。掲示板なのにメールの様な文体に・・・orzVIPPERな名無しさん | 2008.08.29(Fri) 03:55 | URL | No.282036 - 和寇の日本名は無いんじゃないかなぁ…
そういう巨大な一個の組織があるわけじゃないし。
強いてあげれば水軍だとおもう。
組織一つづつの名称としては主にとりまとめをしている豪族とかの名前で○○党とか名乗ってた。
それに表向きは単なる交易商だから…
商人がいちいち自分達にかっこいい名前はつけなかったようにVIPPERな名無しさん | 2008.08.29(Fri) 10:35 | URL | No.282122 - http://jp.youtube.com/watch?v=8pqW3Xzdwk0にトリビアの「刀vsピストル」があるVIPPERな名無しさん | 2008.08.30(Sat) 02:17 | URL | No.282812
- 米743
武士が剣以外にもいろいろできるトコに対して中国人がえらく食いついてるトコが興味深い。
向こうの兵隊は白兵戦用の兵士と銃撃つ兵士と弓撃つ兵士みんながそれぞれ専門以外のことは出来ないと暗に言ってる。
日本の歴史になれちゃってるとそっちのほうが信じられないぐらいだが。VIPPERな名無しさん | 2008.08.30(Sat) 10:36 | URL | No.282934 - 中国ではそれぞれの武器をその専門兵が扱うのに対して
日本の侍は何でもこなせるオールラウンドファイターって事かVIPPERな名無しさん | 2008.08.30(Sat) 14:59 | URL | No.283192 - 専門の仕事しか出来なくなるのは律令制の限界じゃないかなVIPPERな名無しさん | 2008.09.01(Mon) 11:39 | URL | No.284967
- >>432
すげえ…なんという破壊力…VIPPERな名無しさん | 2008.09.02(Tue) 12:36 | URL | No.285868 - 米689
少なくともスペインは宗教による懐柔で日本を支配しようと言う野望は全く諦めてなかった。
ただ武力制服も完全に諦めたわけではなく、キリシタン大名などをたき付ければいずれはやれるかもしれないと考えていて、
日本を宗教的、政治的に支配した後、日本の軍事力を利用して明をスペインの植民地にしようと考えていた。
このあたりのことはイエズス会の手紙のやり取りの記録に残っている。
もっと完全に支配してからカミングアウトすればいいのにこの計画をイエズス会は秀吉に持ちかけちゃったんだよね。
一緒二明ヲセイフクシマショウってね。これを秀吉は「ああこいつら明だけで済ます気はねーな。いずれ日本も頂くって顔に書いてあるぜ。」と解釈したんだな。
秀吉は誘いを蹴り、伴天連追放令を出し、さらにそのプランをまんまパクっちゃったんだね。
どういうことかというと、スペインに日本を支配されるまえに独力で明を制圧すれば、スペインのアジアでの前線基地であるマニラににらみを利かせることが出来、スペインの脅威を相殺できると考えたんだな。
日本が加担しなくてもスペインは呂宗から直接明を征服するかもしれない。
そうしたら日本は日本海、東シナ海をはさんですぐ目と鼻の先にスペイン軍がホルホルしているような状態になるかもしれない。これは怖い、洒落にならんと考えた。
実際、文禄の役ではマニラに脅迫の手紙を出して牽制している。
「明はもうすぐ落ちる。そうすれば呂宗は俺のすぐ足元だ(お前ら変な気を起こせば…わかってんだろうな)」
秀吉だってもちろんスペインと正面切って戦って勝てるとは考えてないし、勝つ必要も無い。
でもマニラのうごきが筒抜けになる距離に日本の出先機関をおくことが出来れば、さすがのスペインも小手先で日本をどうこうできる余裕はなくなる。
スペインも他に兵力を割かねばならない所を山のように抱えていて日本と全面戦争する余裕は無いからね。
秀吉が死んで日本が撤退したことで実は一番危険だったのは明だったわけだ。
日本人は当時の白人達が考えていた「植民地政策」のような冷酷で徹底的な搾取は思いつきもしていない。
最もスペインも武力を見せ付けて大人しくさせた後は友好的な仮面をかぶった自由貿易から最初はじめようという腹積もりでいたようだが…
明にとって幸運だったのはスペインがメキシコの銀で一山当てたこと(いわゆるコルテスの侵略)でアジアへの興味を失ったことがある。VIPPERな名無しさん | 2008.09.11(Thu) 13:39 | URL | No.292412 - >>768
回答ありがとう。一ヶ月以上執念深く米をチェックしてきた甲斐がありました。しかし、秀吉も朝鮮出兵の時にもうろくしてたってわけじゃないですね。秀吉の死の間際に、宣教師ルイス・フロイスが死後の魂の救済について話そうとしたところ、虫の息の秀吉は毅然とした態度で話を逸らし、結局彼を改宗させるというフロイスの目論みは失敗したという話も聞いたことがあります。VIPPERな名無しさん | 2008.09.13(Sat) 20:57 | URL | No.294739 - 「日本日記」オランダ人秘書官ヒュースケン Henry Conrad Joannes Heusken 1857年
「今や私が愛しさを覚えはじめている国よ。
この進歩は本当に進歩なのか?
この文明は本当にお前のための文明なのか?
この国の人々の質朴な習俗とともに、その飾り気の無さを私は賛美する。
この国土の 豊かさを見て、
いたる所に満ちている子供たちの楽しい笑い声を聞いて、
そしてどこにも悲惨なものを見つけることができなかった私には、
おお、神よ、この幸福な情景が今や終わりを迎えようとしており、
西洋の人々が彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしているように思われてならないのである」VIPPERな名無しさん | 2008.09.18(Thu) 11:36 | URL | No.297328 - つまり日本人(侍装備)VS西洋人(侍装備)VS中国人(侍装備)とか
日本人(騎士装備)VS西洋人(騎士装備)VS中国人(騎士装備)とかです。
装備が同一なら土台が物を言うはず、身長が武器格闘にどう関わるか判らないがスポーツみたく同一規格であるなら誰が勝つかは運ではないのかな?
フェンシングでオリンピック銀取ったのは運というのは悪いけど
装備だけで語るのは難しいよ、全員装備レベル10とか個体差なしであるなら
勝つ要素は何がある?
んで、ゲームで言えばソウルキャリバーか。
侍魂3Dは無視して、刀扱うゲームではコレが一番だよね。
軍団という戦いで戦国期では参考なる物は古代中国(三国志辺り?)のものなのかな?
西洋と東洋の軍運用の差はここで語ってもらうのは場違いだけど
サムライ(武士)個体での強さはあっても群では勝てないか。
対等な戦場で軍団として戦うと個体能力はどうなのか。
>サムライって世界的に見てどのくらい強かったのかな
一つの目安にはならないか。
オンラインゲーで東洋武器といえば刀かな?
マニアックな人しかアシアな武器判らないしファンタジー=西洋だもんね。
職業サムライかあるなら世界的に認知されている強さがある・・・かな。
ウィザードリィが海外物とは知らなかった驚きあったよ(サムライ、ニンジャ、村柾)
野口 賢の初期のマンガでサムライの話あったけど傭兵としてやってた気がする。VIPPERな名無しさん | 2008.09.18(Thu) 17:46 | URL | No.297488 - 中国の律令制の軍隊は秀吉によって破られているが?
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
(日本との七年に及ぶ戦争によって我が明の士官には数十万、雑兵達には百万の犠牲がでた。
我が国と属国朝鮮に勝算は無かったが、関白豊臣秀吉の死によって戦争は終わった)VIPPERな名無しさん | 2008.09.19(Fri) 11:05 | URL | No.297701 - 山田長政軍は西洋の軍隊(スペイン)に勝ってるしなVIPPERな名無しさん | 2008.09.19(Fri) 11:14 | URL | No.297702
- このコメ何年続くのだろうか・・・
日本刀が海外の武器なんかと戦う映画とか見たくなるな・・
おまいら何かしらね?VIPPERな名無しさん | 2008.09.21(Sun) 00:04 | URL | No.298624 - 昔の日本人は凄かったって言うけど、戦前のボクシングとかレスリングの格闘のレベルはどんなもんだったの?VIPPERな名無しさん | 2008.09.21(Sun) 00:48 | URL | No.298667
- フリースタイルレスリングは相当強かったらしいなVIPPERな名無しさん | 2008.09.21(Sun) 13:00 | URL | No.298918
- >>774
ショーコスギとケインのKABUTOってのがあったなVIPPERな名無しさん | 2008.09.23(Tue) 04:24 | URL | No.300002 - >>775
戦前の講道館は凄かったらしいよね。欧米や中南米での他流試合でレスラー、ボクサーをなぎ倒してた前田光世とか、エリオ・グレイシーに圧勝した木村政彦とか。
結構有名なのが山下義韶。1905年にワシントンDCで演舞を行い、これを見ていた米海軍将校が当時日の出の勢いの強豪レスラー、ジョージ・グラント(身長200cm、体重160kg)をけしかけたそうだが、山下はこれに勝利。一部始終を目撃した大統領セオドア・ルーズベルトが感激し、海軍に「柔道課」を新設したほどだった。現在柔道がここまで世界的に普及しているのは、この時期に大勢の柔道家が海外でその実戦性を実証したからなんだよね。
この話には後日談があり、ルーズベルトは息子への手紙の中で「日本の柔術家がレスラーをあしらえることがわかった」としながらも、「十分に鍛えられたアメリカ人にならば、日本人を殺すことができると確信している。日本人は体格の割には優秀だが、我々と比べ体が小さすぎるのだ」という風に負け惜しみじみたことを書き残している。VIPPERな名無しさん | 2008.09.23(Tue) 17:51 | URL | No.300413 - 広瀬武夫という海軍士官(当時)も柔術使いとして有名でロシア留学中に大男を投げ飛ばしたエピソードがあるらしいね。
しかもロシアの価値観なのかしらないがその投げ飛ばし方が更に評価されているらしい。
どういうことかというとお国の格闘技みたいな話題になり広瀬が柔術を嗜んでいることがわかるとその大男が「じゃあやってみせてくれ」と立ち上がって手を出してきた。
すると広瀬は「まあまあ。まずは柔術がどういうものか説明しますから席へおかけ下さい」といったんだそうだ。
で、大男が席へ座ろうとする瞬間に「こうやるんです!」といって投げ飛ばしたらしい。
ロシア人はこういう機転を効かすやつが好きらしく「柔術とは怖いものだ」「広瀬君に乾杯」といった感じで絶賛されたらしい。VIPPERな名無しさん | 2008.09.23(Tue) 18:26 | URL | No.300440 - コヴァレフスキー海軍少将主催の晩餐会での話しってのを書き忘れたVIPPERな名無しさん | 2008.09.23(Tue) 18:28 | URL | No.300444
- 文永の役の際、蒙古軍総司令官・忻都が大都でのフビライへの戦況報告の中で、
「日本人はどうしたものか。一人で大勢の中に飛び込み、討ち死にを承知で戦う。日本人ほど恐ろしい敵を見たことがない」
と辟易したとの話を聞いたんだが、この記述の出典を知っている博識な方、教えていただけないだろうか?「元史 日本伝」ではないかと考えているのだけれど。VIPPERな名無しさん | 2008.09.23(Tue) 18:32 | URL | No.300448 - >>774
真田のおっさんの若い頃の作品で西部劇の世界のアメリカで武士が戦う映画があったはず。
なんか幕府の金塊かなんかを大統領に献上しようとしたけど盗まれて
それをアメリカの子供と追いかけるみたいな話。VIPPERな名無しさん | 2008.09.24(Wed) 13:44 | URL | No.301190 - 明治時代の話だと思うんだが中国を訪れたなんかの訪中使節がどっかの港で暴徒と化した群衆に囲まれたがその日本人達が全員士族。
で、パニックになることもなく手近な暴徒から殺していきながら悠々と船をうばって一人も死なずに脱出とかいう映画みたいな話を聞いたことがあるのだがこれの元ネタになった事件とか誰の逸話だとか知ってる人いたら教えてくれVIPPERな名無しさん | 2008.09.26(Fri) 01:17 | URL | No.302157 - >>180
かのホル・ホースの
「銃は剣よりも強し」・・・・・ウソッぱちか、荒木のバカ。VIPPERな名無しさん | 2008.10.07(Tue) 23:27 | URL | No.307714 - 古武術やってて
そん中で剣術、居合かじってんだけど
ちゃんと研いであって振れれば
トマトぐらい楽よ
むずいのは刃落として
トマトの土台に使ってる濡れ簀巻きを
固定しないで立てて
倒さずに切るの ←無理の極み
VIPPERな名無しさん | 2008.10.08(Wed) 01:38 | URL | No.307846 - 日本って
他国にボコられたのって第二次大戦だけじゃねえ?
島国って事もあっただろうけど
その辺に凄さがありそうだなVIPPERな名無しさん | 2008.10.08(Wed) 01:50 | URL | No.307858 - >>784
荒木先生も日本刀に恐れていたんだろうよVIPPERな名無しさん | 2008.10.08(Wed) 03:53 | URL | No.307897 - 日本刀ってなんであんな格好良く感じるんだろう。
こんな事言ってたら小学生みたいだが、
大人になった今でも思う。VIPPERな名無しさん | 2008.10.08(Wed) 04:18 | URL | No.307901 - プロジェクトXでやってた玉鋼の再製ってのは嘘?
なん?VIPPERな名無しさん | 2008.10.08(Wed) 21:01 | URL | No.308155 - 現代人でも体操王国日本なんて呼ばれてた時期があるんだから
体格云々言ってるやつらこそゆとり
平均身長とか数値的な部分があるにしろ武器防具使ってるならその差は多少埋まると思うよ?VIPPERな名無しさん | 2008.10.09(Thu) 12:36 | URL | No.308451 - >>786
そのww2にしても実質ガチで負けたのは1943年以降のアメリカにのみだからな…
イギリス、オランダには連戦連勝に近い。
最終的には物量に負けているわけだがもともと物資が欲しくて始めたようなものだから…
VIPPERな名無しさん | 2008.10.09(Thu) 17:25 | URL | No.308498 - 明との戦争で侍の強さは際立ってたな
宣教師も
「侍が二人いれば、中国兵60人相手に出来る」
と言ったらしいVIPPERな名無しさん | 2008.10.09(Thu) 21:29 | URL | No.308575 - >>792
それは興味深い。誰が言ったんだろう。フロイスかな?VIPPERな名無しさん | 2008.10.10(Fri) 21:59 | URL | No.309103 - 徳川家光品川御殿に遊行し、近侍の者等が剣術の仕合を為すを見て興がり、
御馬方諏訪部文九郎を召し、仕合を命ぜられた、
時に文九郎、
「馬上にての仕合ならば負けまじきを」
と云った。
家光がこれを聞き、馬上の仕合をとなり、近侍の面々馬を乗り出し、
文九郎と仕合をしたが、悉く打たれたので、家光大いに感じ、
「文九郎は馬上達者なる故、近侍中一人も勝つ者なし、この上は柳生但馬出て仕合うべし」
とのことである、但馬守、
「畏り候」
とて馬上にて立合い、南方より乗り出しその間合い三間程になった時、
馬を駐めて文九郎が乗り来る馬の面を一打ち打ち
馬の驚いて起った所を乗寄せて文九郎をはたと打った。
家光、これを見て、
「真に名人の所作、時に臨んでの働き尤も妙」
と感心したとの事である。
「常山紀談」VIPPERな名無しさん | 2008.10.11(Sat) 09:49 | URL | No.309382 - >>790
体操は小柄な方が有利なんだが……
身長が伸びすぎると引退せざるを得ないんだぜ
他人のことをゆとりとか言う前に、自分の知識も疑ってみたら?VIPPERな名無しさん | 2008.10.13(Mon) 00:18 | URL | No.310294 - 過去の話、特に外国が絡んだものなんて美化されまくるのが常なんだから、眉に唾つけて聞くべきだと思うがな。
中国にも、銃と日本刀を持った日本兵十数人を青竜刀で斬り倒した武術家の話とかが講談で伝わってる。
中国だから倍嘘臭いってのはあるけど。VIPPERな名無しさん | 2008.10.13(Mon) 00:25 | URL | No.310303 - >>778
木村VSエリオは、むしろ圧倒的な体格差なのに善戦したエリオを称えるべきじゃないか?
木村自身もそんな主旨のこと言ってたし
戦後柔道界でおそらく最強の木村政彦相手にあの体格で挑んだだけでも尊敬に値するVIPPERな名無しさん | 2008.10.13(Mon) 00:33 | URL | No.310313 - 朝鮮にはサムライがいない。
日本にあって朝鮮に欠けているものは、心身ともによく鍛えられ、兵士であると同時に学者であり、忠誠心と愛国心と自己犠牲の高い理想をかかげる文化的集団である。
ウィリアム・グリフィス『隠者の国・朝鮮』
「日本兵との接近戦を禁じた」
「日本兵捕虜に熱心に剣術を習った」
『朝鮮王朝実録』
「倭軍と対陣すると、倭軍はたちまち死に物狂いで突進してくる。
我が軍は、手に槍を持ち、剣を帯びていても、その剣は鞘を出る暇も無く、
槍は矛先を交えることもできずに、凶刃のもとにやられてしまうのである」
『武藝圖譜通志』
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」
『宣祖修正実録』
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。
『懲録』VIPPERな名無しさん | 2008.10.13(Mon) 06:25 | URL | No.310428 - 程宗猷 「単刀法選」
日本刀法は神秘的だ。
左右への変化がすさまじく誰にも予測できない。
そのせいで槍を持ってしても毎回日本刀に負けてしまう。
戚継光 「紀効新書・長刀解」
此は日本の武士が明(支那)に攻めてきた時初めてわかったことである。
彼らは舞うように移動し、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われるばかりだった。
日本人はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される。
これは彼らの武器が鋭利であり、両手で振れる強力で重い刀を自在に用いているためである。
「武藝圖譜通志」
「倭軍と対陣すると、倭軍はたちまち死に物狂いで突進してくる。
我が軍は、手に槍を持ち、剣を帯びていても、その剣は鞘を出る暇も無く、
槍は矛先を交えることもできずに、凶刃のもとにやられてしまうのである」
「揮刀如」
「日本の武士の刀術はまるで神の如しだ。
我々の明兵は武士を見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。
刀術に優れた武士だが刀術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、そのほかあらゆる兵科と比べて不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、
子供の頃から剣術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる。
それゆえ接近戦は日本の武士に一方的に有利で明兵では相手にならない。
日本人を有効的に殺せるのは火器のみである。
であるにも拘らず、多くの鳥銃手を擁している我が明兵が勝てないのは外でもない。
日本人は戦いに臨んで命を忘れるが、我が明兵は戦いに臨んで恐れてしばしば勝手に逃げるため、その鉛子は地に堕ち、あるいは薬線が法なく、手震え、目眩み、天を仰いで空しく発射する為である。」
何良臣「陣記」
日本の賊の攻撃は日本刀で二回か三回打ち付けられるだけだが、
往々にして防ぎきれない。
彼らの日本刀の刀法の巧妙さを推して知るべきである。
屈大均「広東新語」
日本人が全力で動くとき風のように漂って動く。
常に寡兵で陣に入って、たくさんの兵も抵抗できない。
その刀の使い方は、長い方で構え守り、短いほうで止めを刺す。
しゃがんでいるかのごとく低く移動し、決して退がらない。
こちらが何人いようと対応される。
日本列島の者だけの絶技である。
「心中大義」
倭人、狼勇にして死を恐れず
「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった
「朝鮮王朝実録」
「日本兵との接近戦を禁じた」
「日本兵捕虜に熱心に剣術を習った」
「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」
「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。VIPPERな名無しさん | 2008.10.13(Mon) 06:26 | URL | No.310429 - ラザフォード・オールコック 大君の都
「彼ら(サムライ)は、相当に熟達した刀の使い手である。
小さい方の刀を使うときは、二度突く必要は無い。
たったの一突きで相手に致命傷を与える。
大きいほうの刀を使うと、ただの一振りで相手の四肢を切り捨ててしまう」
ロバート・フォーチュン 「幕末日本探訪記」
その辺りの平地の所で、サムライが始終教練を行っているらしい。
囲いの高い柵や潅木の茂みで視界がひどく妨げられたが、時々兵隊の旗や、武器が見えた。
大名達は彼らの藩兵に、戦争の技術を絶えず訓練させていたのである。
そのころ江戸の大名屋敷の傍らを通ると、剣術をやっている喧しい物音が聞こえた。
私が江戸に滞在している間に、同じような音響をしばしば耳にした。
もし、不幸にして、ヨーロッパ諸国が日本と戦うようなことが起こったら、
日本人はシナ人よりも非常に優勢なことが判るだろう。
しかし、そのような、日本人と戦うようなことは、遠い将来のことにさせたいものだ。
エメェ・アンベール「LE JAPON ILLUSTRE」
すべてのサムライは、幼少の頃から、槍や刀による肉弾戦闘を教わっている。
我々が通った一つの区だけでも、乗馬や剣術を教えるために作られた二箇所の馬場と数箇所の建物が存在していた。
日本の貴婦人に対してさえ、武術の教習所が存在している。
彼女らの武器は、ポーランドの鎌にちょっと似たところのある湾曲した槍(薙刀)である。
彼女らは、それを刃の方を下にして持ち、一定の法則に従って扱うのだが、
身振りと調子を合わせた動きは、立派なバレエの主題になりそうである。VIPPERな名無しさん | 2008.10.13(Mon) 06:35 | URL | No.310434 - 「the fighting man of Japan 」 F. J. Norman (1868年に日本の将軍家の剣術指南役のもとで剣術を学んだ元イギリス騎兵の著作)
「両手を用いる日本の剣術は、ヨーロッパのどの国のFencingよりも格段に優れている」
「日本素描」Edouard Suenson 1869年
「日本刀を完璧に扱える日本人は、刀を抜いたその動作から一気に斬りつけ、相手がその動きを一瞬の間に気づいて避けない限り、敵の頭を二つに両断することができると言われている。当然のことながら欧米人はこの武器を極度に危険な物と見なし、刀を抜きそうな素振りを見せた時にはその場で直ちにそのサムライを射殺しても正当防衛であるとしている。一瞬でもためらえば、自分の方が犠牲になるのは明白だからである」VIPPERな名無しさん | 2008.10.19(Sun) 17:42 | URL | No.314856 - テストVIPPERな名無しさん | 2008.10.24(Fri) 01:31 | URL | No.316776
- >>710
これだね
「旗指の馬、同じき乗り馬を射殺され、季長・三井三郎・若党一人、三騎痛手を蒙り、 肥後国の白石六郎通泰、証人に立て候て」VIPPERな名無しさん | 2008.10.27(Mon) 09:04 | URL | No.318862 - 元冠も幕末の白人も飛び道具で撃ち合えば射程でなんとか勝てるが、いざ上陸して接近戦になればもまったく勝負にならず、日露戦争でも二メートルを越す巨人のロシア兵を白兵戦で圧倒、根性だけで無理矢理永久要塞を陥落させ、太平洋戦争でもアメリカの物資に負けただけで、いざ戦えば夜のジャングルを縦横無尽に動き回って米英兵をものともせず、一番怖いのはアホな指揮官と食糧不足という有様。旧軍軍人から見ればアマチャンばっかりの自衛隊ですら白兵戦と雪上戦にかけては未だに世界最強。ちなみに米軍史上ダントツで強かったのは日系人で編成された部隊だったというおまけ付き。距離が近付くほど強さが加速度的に上昇する、世界最強の軍団だろう。VIPPERな名無しさん | 2008.10.27(Mon) 23:52 | URL | No.319139
-
「倭、性殺を好み一家一刀を蓄えざる者なく童にしてこれを習い壮にしてこれに精し。
故に短兵相接するは乃ち倭奴の長ずる所、中国の民の敵し難き所なり。
その嫌う所の物は火器のみ。
然るに多くの鳥銃手を擁して居ながら我兵勝てぬのは外でもない。
倭人は戦いに臨んで命を忘れるが、我兵はこれを臨んで即ち恐れ走るため、
その鉛子は地に堕ち、あるいは薬線が法なく、手震え、目眩み、天を仰いで空しく発する為なり。」
だれの書だったかは知らない。
支那の誰か。VIPPERな名無しさん | 2008.10.28(Tue) 01:06 | URL | No.319225 - 侍といえば日本刀でチャンバラなんてのは江戸の平和な時代に出来たスタイル
戦国時代は普通に弓矢・火縄銃・槍なんかが主力で、日本刀はサブウェポン扱いだったVIPPERな名無しさん | 2008.10.28(Tue) 03:48 | URL | No.319286 - 息長いにもほどがあるだろwVIPPERな名無しさん | 2008.10.28(Tue) 08:59 | URL | No.319334
- 鉈の重さで剃刀の切れ味VIPPERな名無しさん | 2008.10.28(Tue) 12:32 | URL | No.319383
- 強い・・・×
カコイイ・・・○VIPPERな名無しさん | 2008.10.28(Tue) 16:10 | URL | No.319436 - >>806
すぐ上のレス群も読めないの?
おなじこと何度もループさせんなよ
戦国時代だけが日本の戦史ではない。
鎌倉時代でも南北朝時代でも白兵戦がなかったことは無い(意外なことに薙刀は白兵の主にはなっていない)。
そして、
こと白兵戦では日本刀が主力。
射撃戦と白兵戦を同列にならべて白兵戦武器である日本刀の使用頻度を低く印象操作しても始まらない。
VIPPERな名無しさん | 2008.10.29(Wed) 01:31 | URL | No.319901 - >>805
>>799にあるのと同じと思われ↓
「揮刀如」
「日本の武士の刀術はまるで神の如しだ。
我々の明兵は武士を見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。
刀術に優れた武士だが刀術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、そのほかあらゆる兵科と比べて不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、
子供の頃から剣術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる。
それゆえ接近戦は日本の武士に一方的に有利で明兵では相手にならない。
日本人を有効的に殺せるのは火器のみである。
であるにも拘らず、多くの鳥銃手を擁している我が明兵が勝てないのは外でもない。
日本人は戦いに臨んで命を忘れるが、我が明兵は戦いに臨んで恐れてしばしば勝手に逃げるため、その鉛子は地に堕ち、あるいは薬線が法なく、手震え、目眩み、天を仰いで空しく発射する為である。」VIPPERな名無しさん | 2008.10.29(Wed) 01:33 | URL | No.319904 - もちろん和弓も相当強力だったのも確かだが…
飛距離も長いが、注目すべきは
接近されたとしても慌てずそのまま射続けるという非常識この上ない戦いぶり。むしろ自分から接近していくことをためらわない。
目と鼻の先まで迫ろうが平気で二の矢三の矢を番えはじめるような連中だったわけでそういう意味でいえば確かに白兵武器の出番は少ないだろう。
近代戦でもないのに飛び道具で敵陣に飛び込んでいく
なんていう恐ろしい戦法を当たり前のようにやっていたのが鎌倉武士。VIPPERな名無しさん | 2008.10.29(Wed) 02:18 | URL | No.319931 - >>812
顔面に矢が刺さった前田利家が、その矢を放った武士にそのまま突進して討ち取ってしまったという逸話を思い出した。VIPPERな名無しさん | 2008.10.29(Wed) 21:24 | URL | No.320305 - 武士の武装や主力層に関しては室町時代と安土桃山時代あたりを境に全く変わっている
前者と後者の違いを簡単にまとめると
武士が主力 :足軽が主力
歩兵(徒士)は武士のサポート役 :武士は歩兵(足軽)を指揮する存在
主力たる武士は騎馬戦を頻繁に行う:西国では馬が不足し武士も徒歩戦闘が増える(普通は戦わないので結局騎乗していることが多いが)
白兵戦の主武器は日本刀 :白兵戦の主武器は槍
射撃戦の主武器は弓 :射撃戦の主武器は鉄砲
■室町以前の武士の戦闘に関する補足(いわゆる鎌倉武士)
一人の騎馬武者が先頭に立ち指揮する20~40の騎馬集団が一塊になって突撃する形態をとる。
指揮者が死ぬと即座に他の武士が指揮を変わる。指揮というよりは渡り鳥や魚群の先導者に近い。
騎馬武者一騎あたり2~4程度の徒士がつくので40~160人ぐらいが一つのユニットになっている。
が、時に徒士の歩速度にあわせず、騎馬のみ先行する事あり、記録によれば山間部、峠、谷間どこでも馬で乗り入れる。
徒士は自分の主(家)の武士の直属。他の武士の命令は受けない。
武士は武術を熱心に行う。弓は語るまでも無いが実は剣術の発展した時期も鎌倉時代。
剣術流派のいくつかの源流がこの鎌倉期にはっきりと姿を見せ、奥義とか極意というものを頻繁に書き記すようになる。
また徒士は(必ずしも全員とは限らないが)主とともに武術を学ぶ。
基本的に戦争に参加する全員が戦争のプロである。
■南北朝時代の武士の戦闘に関する補足。
基本的には鎌倉期と同様だが、市街地や山岳地が戦場になることが増える。
京都がしばしば燃える。
異なる場所での小規模局地戦の同時多発が多くなる。海戦が減る。
白兵戦志向が強まり、長尺の日本刀を中心に大型の武器の使用が増える。
騎馬でありながら右腰に箙を携帯しない(射撃戦を想定しない)武士が少しずつ現れる。
----------------------------------------------------------------------------
■応仁の乱以降の日本の戦争様式に関する補足
一人の騎馬武者あたりに槍足軽や鉄砲足軽などの組が数十人単位でつく。
武士は護身術や教養、軍学の基礎として武術を行う、直接的な戦力向上目的ではなくなる。
騎馬のみが足軽を置いて先行する事は滅多にしない。
山間部など悪路では騎馬で乗り入れることが減る。
基本的に足軽は武術はしない。軍事教練は受ける。
戦争のプロと呼べるのは武士と組頭ぐらいで大半の足軽はバイト感覚。
騎馬徒歩によらず戦場での刀での戦闘は以前と比べれば極端に減る。
VIPPERな名無しさん | 2008.10.30(Thu) 01:40 | URL | No.320456 - >>783
遅レスだけど、それらしい逸話を見つけた。「地球日本史」の一巻に載ってたんだけど、16世紀にフィリピン・イエズス会の宣教師フロンソ・サンチェスがスペイン国王に送った書簡の中に記述があるそうな。
・・・「先年僅か十三人の日本人の搭乗した小舟が一艘渡来し、ニ、三千人以上のシナ人に包囲され、洞窟に閉じ込められたが、彼らはその堅い壁に出口を作り、そこから脱出するや、直ちに多数のシナ人を殺してしまった。シナ人は彼らを一昼夜に渡り包囲しながらも攻撃を加えることができず、脱出した日本人は近くの海岸に行って舟を奪い、それに乗って逃げてしまった」VIPPERな名無しさん | 2008.11.01(Sat) 20:47 | URL | No.321648 - 侍とか腕力ハンパネェだろwww
特に優れた奴は握力100程度あったんだろうなぁVIPPERな名無しさん | 2008.11.06(Thu) 23:04 | URL | No.324392 - 即出だったらすまん。つい40年くらい前まで生きていた日本最後の侍と言われていた人は米軍特殊部隊から選出されたサーベル(ちゃんと殺せる)を装備した10人と木刀で戦い勝利した。これによって日本剣道は守られたって実話があったな。詳しいことは忘れてしまったが・・。VIPPERな名無しさん | 2008.11.07(Fri) 14:07 | URL | No.324705
- >>817
国井善弥のことかな?
1対10ではなかったと思うけど。
でも国井は木刀、米兵は本身の銃剣だったらしい。
それで相手に傷一つつけずに勝ったというから凄いもんだね。VIPPERな名無しさん | 2008.11.08(Sat) 18:38 | URL | No.325272 - 西洋じゃ槍を脇に抱えて騎馬で真っ直ぐ突っ込むという騎馬戦術が
発達して、その訓練として騎馬での槍試合も盛んに行われていたのに
なんで日本じゃそういう戦術が生まれなかったんだろうね?VIPPERな名無しさん | 2008.11.09(Sun) 21:45 | URL | No.326415 - 日本じゃ狩又みたいな射切るための鏃であるにもかかわらず虎の胴体を貫通し反対側の地面まで射通すほどの豪弓を構えて騎馬でまっすぐ突っ込んで遠距離近距離かまわず射掛けまくるという騎馬戦術が発達して、その訓練としての犬追物なども盛んに行われていたのになんで西洋じゃそういう戦術が生まれなかったんだろうね。VIPPERな名無しさん | 2008.11.10(Mon) 03:26 | URL | No.326708
- 戦術としては、日本の騎射戦術は南北朝以降すっかり廃れてしまったが、
むしろ遊牧民でもない日本人が、なぜ一時期とはいえ騎射こそ武士の業
として拘ったかという方が、気になるけどな。
騎射兵みたいに相当の訓練を要する兵科は、遊牧民とか実生活に
根付いた連中以外ではまず維持できないからね。
虎の胴体は知らんが、日本じゃ戦闘用の弓でも板楯で防いでいたわけで、
馬鹿げた威力の強弓は一握りの豪傑のものだな。とはいえ、平安~鎌倉期
の武士ってのは、本当に騎射の鍛錬を積んでいて、輪鐙を踏ん張って
立ち上がり、体をひねって正面方向に射撃できるレベルになっていたから、
遊牧民でもない日本人が、なぜそこまでする必要があったのか?って
レベルにあった事は、間違いない。流鏑馬で横方向に射るってのとは、
馬術のレベルが違う。逆に平安時代の流鏑馬は、的までの距離は
数十センチとか1メートルのレベルだったという。これは流鏑馬が
本来はすれ違いざまに敵を射る技術だから。近代の流鏑馬は的までの
距離が遠くなった分、当てるにはタイミングを合わせて早めに射ることに
なるから、射撃の技術性という意味では近代の流鏑馬が勝っているかもね。
実戦性は別として。VIPPERな名無しさん | 2008.11.10(Mon) 11:41 | URL | No.326774 - 騎射と言えばローマ帝国と戦ったパルティア軍のパルティアンショットが有名だけど、弓騎兵のスタンダードは軽装短弓騎兵で、歩兵を随行させずに、馬の機動力で間合いを保ちながら矢を浴びせるというのが基本的な戦術になる。そして逃げながら戦う時に真価を発揮する。対して日本の武士は重装長弓騎兵で、さらに武士の発生当初から歩兵を随行させているから、高速機動戦闘にはあまり向いていない。実際、合戦の時には楯を並べての射撃戦から始まるケースが多かったようで、弓騎兵でなければならない理由は乏しい。南北朝以降、効率重視で飛び道具を歩兵に任せるようになるのは、自然な流れだろう。
江戸時代より前の弓は七尺五寸が標準の大きさで、さらに大きい弓もあったという。平安武士たちは、なんだってこんな大きな弓を、わざわざ乗馬したまま扱おうとしたのだろう?もともとの日本には、騎馬弓兵の伝統はなかったと思うのだが・・・・VIPPERな名無しさん | 2008.11.10(Mon) 15:55 | URL | No.326845 - カッコ良さを追求したから?VIPPERな名無しさん | 2008.11.10(Mon) 17:22 | URL | No.326862
- 旧軍人も自衛隊もサムライなんだよね。
装備は違うけれど、御上に仕える兵士という事で。
アメリカ経済が混乱する中、日本にとって好機であろう。
今こそ大和魂の真髄を発揮するとき。
心の底からアメリカが好きな日本人なんていないよな。VIPPERな名無しさん | 2008.11.11(Tue) 18:24 | URL | No.327524 - 語源からすれば朝廷に仕える武官はサムライには違いないが
サムライは武士とイコールではないんだけどな。
サムライだから大和魂とかサムイな。VIPPERな名無しさん | 2008.11.11(Tue) 20:27 | URL | No.327600 - 825
そんな事知ってるよw
真剣にレスしないでくれ。VIPPERな名無しさん | 2008.11.11(Tue) 21:31 | URL | No.327645 - スレタイを考えれば、武士限定で語る事が逆に間違い。
武士でない武官を語っても良いはずだな。
坂上田村麻呂とか。VIPPERな名無しさん | 2008.11.12(Wed) 08:48 | URL | No.327794 - そうきたかw
だが坂上田村麻呂について語れる人がどのぐらいいるんだw
大和魂って誰が言い出したんだろうね?内容もあやふやだし。
都合よく使えるから特攻でもなんでも煽れてしまう。
江戸より前の武士はそう簡単には死なんぞう。
死なないために奮戦することはあってもな。VIPPERな名無しさん | 2008.11.12(Wed) 21:37 | URL | No.328224 - >江戸より前の武士はそう簡単には死なんぞう。
そうかな?
しんでもかまわない覚悟があるから結果的に勝ち残る。
そういうことだとおもうが
「揮刀如」
「日本の武士の刀術はまるで神の如しだ。
我々の明兵は武士を見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。
刀術に優れた武士だが刀術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、そのほかあらゆる兵科と比べて不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、
子供の頃から剣術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる。
それゆえ接近戦は日本の武士に一方的に有利で明兵では相手にならない。
日本人を有効的に殺せるのは火器のみである。
であるにも拘らず、多くの鳥銃手を擁している我が明兵が勝てないのは外でもない。
日本人は戦いに臨んで命を忘れるが、我が明兵は戦いに臨んで恐れてしばしば勝手に逃げるため、その鉛子は地に堕ち、あるいは薬線が法なく、手震え、目眩み、天を仰いで空しく発射する為である。」VIPPERな名無しさん | 2008.11.13(Thu) 02:32 | URL | No.328784 - 昔の日本人の徒歩は馬のギャロップに匹敵する
随伴歩兵も相当健脚だったろうな
L・ド・ボーヴォワール『ジャポン1867年』
四月二四日
われわれは馬を試すところだが、この馬はこれから先ひと月借りるつもりである。
コースは一六リウ(六四キロメートル)で、
この間をギャロップで走ることによく堪えるならば、契約は成立することになる。
(中略)
その間中わたしは別当(馬丁)を見て飽きることがなかった。
彼はその友であるわたしの馬に、困難な箇所のたびごとに、
咳き込んだ小さな掛け声で予告しながら、わたしの前をまるでかもしかのように敏捷に走った。
日本では馬に乗る者は、馬の好敵手となるこの筋骨たくましくも優雅な肢体の、
忠実で疲れを知らぬ走者が絶対に必要であり、これなくしては決して冒険を冒さないようである。
『アラマド』(ボーヴォワールの名づけた馬丁のあだ名)は、
実際この長い一日のあいだ、四六時中われわれの速い走行の伴をした。
ある茶屋で馬からおりると、彼は直ちにその場にいて馬の世話をし、冷たい水を鼻面にかけ、いんげん豆の飼料を少し与える。
この男の軽い足が地面にほとんど触れるか触れないかといった様をどんなにお見せしたいことか。VIPPERな名無しさん | 2008.11.13(Thu) 04:02 | URL | No.328827 - >>829
そのコピペも飽きるんだが・・・・
それはまさに孫子に言う死兵だろ。まさに生きて帰る為に奮戦してるんじゃないのか?
日頃武芸の鍛錬を積んでる武士相手に、報奨金貰ったらトンズラここうぐらいにしか思ってない明の素人傭兵がそもそも敵うはずがない。
それなのに日本人全てが殺戮者だ~とか、現代中国が日本軍は云々とか大誇張してるのとレベルが同じwVIPPERな名無しさん | 2008.11.13(Thu) 08:55 | URL | No.328897 - >>830
昔、NHKの堂々日本史って番組で、木曽馬に鎧着た人間を乗せてどのぐらいの速さで走れるか、1km走らせたことがある。確か2分50何秒とかだった。秒速6メートルぐらいだが、仮にこの速度に伴走できたとしたら、マラソンで世界記録が出せるんだけどなw
まあ軍馬として考えれば、軍馬に求められるギャロップはさらに1.5倍の速さなので明治政府は馬の改良に必死になったわけだが。
馬丁として一日付き添えるというのとは分けた方がいいと思うよ。スタミナだけの話なら、昔の日本人が驚異的であったことはエルウィン・フォン・ベルツも書いている。VIPPERな名無しさん | 2008.11.13(Thu) 09:11 | URL | No.328902 - ベルツの実験では、驚異的なスタミナを発揮した日本の人力車夫も、肉を食べさせるとスタミナがなくなった。また日本人に限らず、エール大学の実験でも、菜食主義者にはものすごいスタミナの持ち主がいる事が分かっている。
・・・・宗教上、菜食主義者が多いというインドの軍隊は、スタミナだけなら最強ということになるのか?・・・・VIPPERな名無しさん | 2008.11.13(Thu) 18:11 | URL | No.329066 - >>831
誇張も何も中国大陸まで出張っていった日本人は全員強かった
少なくとも明の人間にとっては
ってだけの話だろw
そもそも「殺戮者」のくだりは直訳だろ
戦闘がうまいとかその程度の意味だと思うぞVIPPERな名無しさん | 2008.11.14(Fri) 00:32 | URL | No.329436 - ※834
日本軍の半数は普通の農民だよ。死兵の状態であるという意味では士気は高かっただろうが。
朝鮮出兵の時には西国で農地が荒れ放題になったというぐらいで、秀吉の時代になっても農民の動員は変わらず行われていた。農民と言えども武装してる時代と言うかもしれんが、武術の心得があるわけじゃあない。個人の武勇で戦えるレベルなのは、一二割の武士たちであり、武士階級とは個人の武勇(=槍働き)で手柄を立てる事を誉れとする身分だ。だから果敢に明軍に切り込んで、めでたく記録に残っているのだな。
軍役で動員されただけの連中は、自分から切り込んで行ったりはしないから相手の記録にも残らんだけだな。
>そもそも「殺戮者」のくだりは直訳だろ
>戦闘がうまいとかその程度の意味だと思うぞ
なに?なんか遠慮する必要が?
明らかに知りもしない日本人の家がどうしたとか書いてるじゃない。
そういう誇張表現文化なのは事実。
明の素人傭兵が格段に士気も練度も低いのも厳然たる事実だろうが。
ある程度割り引いて読むぐらいでないと、100年後には日中戦争の日本軍なんてすごいことにされるぞwVIPPERな名無しさん | 2008.11.14(Fri) 00:46 | URL | No.329459 - 日本人は強いって記述ならストレートに信じるけど
日本人は残虐だって記述なら誇張だって怒るんだろVIPPERな名無しさん | 2008.11.14(Fri) 08:36 | URL | No.329627 - >>836
そうじゃねーだろw
強かった以上、敵からしたら殺戮者だといわれるのは当たり前だといっているんだろこれVIPPERな名無しさん | 2008.11.14(Fri) 10:49 | URL | No.329662 - >100年後には日中戦争の日本軍なんてすごいことにされるぞw
たしかに支那事変での中共軍は日本軍相手にまったくいいところなしだったからなw
せいぜい通州事変で市民虐殺するぐらい
上海事変でもはるかに寡兵の駐屯隊相手に10万人で奇襲までかけたのに失敗したぐらいだからなVIPPERな名無しさん | 2008.11.14(Fri) 10:52 | URL | No.329665 - >>814
そういえば念流とかも鎌倉時代発祥だなVIPPERな名無しさん | 2008.11.14(Fri) 10:54 | URL | No.329667 - ※837
だからな、日本を知らない奴が中国の記録みて日本を理解したら、
「日本ってすげー怖いとこじゃん」ってなるんだよw
だから誇張民族だっての。
自軍の弱さを反省するんじゃなくて、日本人は戦闘民族で生まれた時から
人殺しの訓練を受け続け、年取ったらもう手に負えませんって詭弁を弄する。
いくら武士だってそこまでハードな人生じゃねーだろw
しかも中国に任せてりゃ、日本人全員がそういう事になるからな。VIPPERな名無しさん | 2008.11.14(Fri) 11:46 | URL | No.329679 - 単純に中国の記録を信じれば、日本人ってのは軍人相手に
圧倒的強さとは超人的だな!まったく恐ろしい民族だ!人間じゃねえ!
となってしまうが、本当は明の寄せ集め素人傭兵が弱いんだよ。
現代だって、本当のプロの軍人とそこらの素人が喧嘩したら
どうなるかって事。
昔の日本人にゃ現代のトップアスリートでも敵わない!なんて幻想に
浸ったら大間違いだってこと。同じ人間です。VIPPERな名無しさん | 2008.11.14(Fri) 11:51 | URL | No.329681 - だから奴らの記録は基本的にはある程度割り引いて読むべき(背景を考えるなど)なんだが、なにせ日本が強いという内容だと、そうであって欲しい、そうだとカッコイイぐらいの乗りで無条件マンセーだからな。見てられん。VIPPERな名無しさん | 2008.11.14(Fri) 11:53 | URL | No.329682
- ほとんど内容ループで、よく続くなあw
スタートしたの1年以上前じゃねえかwVIPPERな名無しさん | 2008.11.14(Fri) 13:11 | URL | No.329701 - ユーラシア大陸には中央アジアから東ヨーロッパまで、遊牧民がいて、
中国にしてもヨーロッパ諸国にしても、彼らの精強な騎馬軍団と
戦いを繰り広げている。(勝敗は別として)
で、仮に中国とヨーロッパの兵の質や軍制、戦術の質を議論するならば
遊牧民との戦いを通して間接的に比較することができそうだけど、
日本人はついに遊牧民との対決は無かったからなあ。
元寇にしてもトップがモンゴル人というだけで実質はもともと宋と朝鮮の
兵だったわけだし。VIPPERな名無しさん | 2008.11.15(Sat) 01:49 | URL | No.330948 - つまり明は当時アジア最大の大国にして同時にアジア最弱のヘタレということか
VIPPERな名無しさん | 2008.11.15(Sat) 02:57 | URL | No.330960 - 元軍は対日本に限らず大抵がトップのみモンゴル、主力は平定した他民族ってのがデフォ。
しかも大抵3万以下、もっと少ない数千規模でも連戦連勝。
少なくとも緒戦ではほぼ常勝。
一回勝ってから現地の支配に失敗して撤退とかはあるが…
対日本のように四万とか、弘安にいたっては14万とかの大群は前代未聞。
戦略目標だった大宰府に一切手が届かないどころか橋頭堡も築けず敗走というのも前代未聞。VIPPERな名無しさん | 2008.11.15(Sat) 03:03 | URL | No.330962 - L・ド・ボーヴォワールの馬丁への賛辞にはこんな続きがある
五月一六日
常に新しい感動と絶え間ない絵のような眺めの騎行を一、二時間続けた後、
馬と別当にとっては一五リウ(六〇キロメートル)の行進の後、
われわれは、小田原の市街の屋根、そして高みにそびえる領主の城の櫓や天主閣が、落日の最後の光に映えて金色に染まるのを認めた。
石の大きな橋が、一リウの四分の一(一キロメートル)のところにあることが明らかになったので、
われわれの別当のうち、一番先に着く者に一分を約束する。
疲れを知らぬ屈強な男たちは、競争を始めることに躊躇しなかった。
おお、『脚軽きアキレス』も日本の走者に較べれば一匹の亀に過ぎなかった。VIPPERな名無しさん | 2008.11.15(Sat) 03:09 | URL | No.330963 - 鄭若曾「等潅図編」
(日本人は)その兵を用うるや善く埋伏し、しばしば巡って我が軍の後ろに出で両面を討ち、
常に寡を以って衆に勝ち、塁を劫かし、華人たやすくその術中に堕つ。
その未だ戦わざるや、団結分散、三々五々にして、一人扇を揮うや伏兵四方に起る。VIPPERな名無しさん | 2008.11.15(Sat) 03:55 | URL | No.330966 - ※846
ヨーロッパと戦った遊牧民は他にたくさんいるんで比較のサンプルには困らないけどね。
しかしなんだ、弘安の役は元の軍勢のうち主力の旧南宋軍10万はビビって海上で待機してるうちに台風で壊滅だから、やはり南宋というか中国の軍勢ってのは史上最高のヘタレかもしれんなあ。
ヨーロッパの国は一国あたりの動員数が少ないから、元軍が少数でも相手も少数。日本じゃ元軍10万でも、日本も西国で総動員かけりゃもっと集まりますからね。単純に数を比較するのはナンセンスですよ。
どちらにしろヘタレが誰かは決定のようだが・・・・
※847
そりゃアンタ、エルウィン・フォン・ベルツなんて人力車で日光まで110キロ、一人の車夫で14時間で行きましたから。スタミナだけなら昔の日本人はちょっと有り得ないレベルですよ。VIPPERな名無しさん | 2008.11.15(Sat) 15:25 | URL | No.331186 - 日本は自然条件に恵まれていて、国土面積の割に高い人口密度を維持できていたし、また海が自然の防壁だったから、元寇だろうが何だろうが、向こうから遠征してくる分には、まず数で負ける心配はいらなかったけど、もし条件が一つでも違ったら、歴史も全然違うものになったんだろうなあ。
雨が少なかったら? 寒かったら? 地続きだったら?VIPPERな名無しさん | 2008.11.15(Sat) 15:40 | URL | No.331198 - スタミナの秘密は※833!
・・・・本当か?VIPPERな名無しさん | 2008.11.15(Sat) 15:58 | URL | No.331214 - 主力の10万が壊滅したのは実は台風ではなく、そのあとの志賀島での戦いということは意外と知られていないVIPPERな名無しさん | 2008.11.15(Sat) 19:15 | URL | No.331339
- 南宋から来た10万の軍は、九州の北側まで回ってなくない?VIPPERな名無しさん | 2008.11.15(Sat) 21:27 | URL | No.331402
- そうだった。鷹島と志賀島まちがえた。
江南軍壊滅の舞台は鷹島といいたかった。VIPPERな名無しさん | 2008.11.16(Sun) 11:43 | URL | No.331710 - なんかブログのコメ欄にしとくのがもったいないような驚き情報がちょくちょくあるなここ。
勉強になる。
みんなよく知ってんな。
たまになにがくやしいのかしらんが武士を何とかこきおろそうとしに来る人がきてるみたいだけどまあそれも御愛嬌だなVIPPERな名無しさん | 2008.11.25(Tue) 02:14 | URL | No.335952 - それ大半俺だw
ただ、冷静に考えて欲しいだけなんだがなあ。世界レベルで考えて、理由も無く一国が突出するって事はありえないだけ。VIPPERな名無しさん | 2008.11.25(Tue) 09:35 | URL | No.336004 - 否定的な意見もある程度必要だと思うしいいんじゃないか
サムライすげえって意見一色だと仮にそれが事実であったとしても内容の信頼性に疑問を感じるものだ
実際にはサムライだけが突出してすごいって事を言ってるわけじゃなくてもプラス面だけ抽出して書いてると手放しの賞賛にしか見えないから、あんまりこの話題に興味ない人が何かの拍子にコレ見た時否定意見もなかったら引いちゃうよVIPPERな名無しさん | 2008.11.25(Tue) 10:51 | URL | No.336021 - 大半の人はまず857にひいているVIPPERな名無しさん | 2008.11.26(Wed) 12:52 | URL | No.336684
- 客観的に見て凄いものを凄いと言えない、自虐脳みその馬鹿がわいてるなwVIPPERな名無しさん | 2008.11.28(Fri) 08:51 | URL | No.337954
- 誇大表現で自分マンセーして悦に入る連中と同じか?VIPPERな名無しさん | 2008.11.28(Fri) 12:27 | URL | No.337995
- 確かに中国だと、日中戦争で日本軍を悪魔の如く書き立ててるレベルと変わらん可能性も高いから、自分たちのヘタレっぷりを隠してるだけかもしれんがな。
ただ、幕末の日本を訪れた西洋人には、相当のカルチャーショックがあったと思うよ。16世紀前半ぐらいまでなら、西洋でも武芸の鍛錬を積んだ騎兵の突撃が勝負を決すると考えて、騎士たちが日頃から武芸を磨いてトーナメントとかもやってたわけだな。しかし17世紀までには戦争とは組織力だという事が、ハッキリしてしまったわけだ。で、19世紀に日本に来た連中は、個人の武芸で戦争を戦うなんて事は、これっぽっちも考えてないし、そのための鍛錬も積んだことがない連中なわけだな。そんな連中が、未だに武士とは戦場において槍を振るい、個人の武勇で戦うものだと信じて鍛錬を積んでる連中を見てしまった。そのショックたるや、並大抵のものじゃないと思うよ。覚悟も違えば、鍛え方も違う相手を、初めて見てしまったわけだからね。
幕末時点で、西洋の軍隊と日本の武士が戦ったらどうか?とは、また別の話だがね。いくら武芸に長けていて覚悟も決めていても、統率の取れた歩兵戦術相手だと、現実は非情かもしれない。VIPPERな名無しさん | 2008.11.28(Fri) 17:45 | URL | No.338059 - まあ、中国の人は昔から誇張癖があるから、少し大げさな記録を残してることくらいは皆分かってると思うよ。それと明の兵士は寄せ集めの弱兵っていうのはどうかと思うんだが。当時は日本以外どこの国も同じようなもんだ浪士。VIPPERな名無しさん | 2008.11.28(Fri) 20:39 | URL | No.338225
- 日本の戦国時代でも裏崩れとか共崩れなんて言葉が使われたぐらいで、足軽ってのはちょっと旗色が悪くなったらすぐ逃げるものと理解されていたわけだな。前線が崩れかけたら何故か後方の兵が逃げてしまう、一部隊が後退すると何故か横の部隊の兵が逃げてしまう、そんな事から敗北に至った例はいくらでもあるな。
まあ海を渡ってしまえば、逃げても家には帰れないから、状況が変わっただろうがね。
ただ、上の方で誰か書いてるが、この時期の日本の軍隊は、武士階級を中核とした歩騎混成軍なわけで。足軽は確かにとっとと逃げてしまう存在だが、軍隊を構成する小ユニットごとに、1割程度の武士階級と、その従者たちが中核を為しているから、部隊の全員が全員傭兵という軍隊に比べれば、はるかに指揮しやすい軍隊でもあったわけだな。もっとも、この時代は武士だって生き残って家を残す方が大事だから、危ない時はとっとと逃げたりもするんだがwVIPPERな名無しさん | 2008.11.29(Sat) 01:06 | URL | No.338346 - で、ヨーロッパの方を見てみると。日本で南北朝やって歩兵の動員が増えてた頃には、ヨーロッパでも傭兵が幅を利かせる時代になっているな。で、15世紀には、戦の度に雇われるだけの傭兵制が、絶対王制の下で、常備軍としての傭兵へと変化していく。
一方で、馬に乗るのは身分の証という考え方も廃れて、13世紀頃から騎士貴族と、馬を与えられて騎兵となった傭兵とが、一緒に騎兵隊を編成するようになってくる。この13世紀頃は、騎兵の戦術の転換点でもあり、この頃から騎兵は槍を脇に抱えて真っ直ぐ突っ込む戦術に特化するようになる。兵としての柔軟性は失うが、この「槍を抱えた騎兵の突撃」は、従来の「槍を持った騎兵の突撃」に比べれば、遙かに密集した隊形を組む事が可能であり、遙かに大きな衝力を発揮することができるようになったわけだな。
14世紀には板金鎧が広まり、この板金鎧は遠距離ならクロスボウでも貫けない防御力を持っていた事から、装甲槍騎兵の突撃は、まさに最強の戦術となったわけだな。
で、この装甲槍騎兵の突撃を防ぐ唯一の方法は、歩兵に密集方陣を組ませ、長槍を持たせて、前方に向けてただひたすらに、しっかりと構え続ける事だったわけだな。馬上で構えられる槍の長さには限界があるから、それより長い槍をしっかりと固定できれば、いかに装甲槍騎兵と言えども、容易には突っ込めなくなるわけだな。そして装甲槍騎兵と言えども、敵の目の前や敵陣のど真ん中で足を止められてしまったら、ただの大きな的になってしまったわけだな。
ここで、騎兵と歩兵の対照的な性格が明らかになるな。
日頃から訓練を積んでいるのが騎兵、戦の度に召集されるのが歩兵。
騎兵は、突進を続ける限りは高い攻撃力を持つ。
歩兵は、静止して隊列を維持できる限りは高い防御力を持つ。
大雑把に言えば、14~15世紀の西洋の歩兵ってのは、防御だとか、ある地域を占領するといった行動のためには必ず必要な兵科なんだけど、隊列を維持したまま攻撃機動ができるような存在では、なかったんだな。まあこれは基本的に、日本の槍足軽でも同じなんだが・・・
ちなみにそんな時代に名を馳せた、スイス傭兵やドイツ傭兵ってのは、槍歩兵部隊でありながら攻撃機動を行える、変態的な集団だったんだな。VIPPERな名無しさん | 2008.11.29(Sat) 01:28 | URL | No.338355 - そんな歩兵にも、転機が訪れるんだな。
既に書いたが、戦の途絶えないヨーロッパでは、最初は戦の度に雇ってた傭兵が、絶対王権の下で、次第に職業軍人へと姿を変えて行ったんだな。これによって、歩兵は訓練を積んだ存在へと次第に進化して行ったわけだな。そしてより強固な隊列を、より堅固に維持できるようになっていくわけだな。
それは例えばスペインのゴンサロ・デ・コルドバのコロネリアや、後のテルシオのような形で、現れてくるんだな。
もちろん、すぐ集められるがすぐ逃げるというような、傭兵のイメージとは、すでにだいぶ変わってきているわけだな。
そして歩兵は防御的に戦ってこそ強いという理解が進んで、次第に装甲槍騎兵が活躍する土壌が、なくなってくるんだな。
16世紀後半ってのはヨーロッパじゃ戦術に大きな変化があった時期だな。まず装甲槍騎兵が姿を消したんだな。組織化された歩兵が防御に徹すると、装甲槍騎兵は何もできなくなってしまったからだな。それで、槍よりは射程の長いピストル騎兵に取って代わられたとされているな。そして装甲槍騎兵が姿を消した事で、槍歩兵の割合が下がったんだな。槍の最大の目的は装甲槍騎兵の強襲を防ぐ事だったからだな。歩兵の中心が銃兵に移った事で、それまでの歩兵は分厚い歩兵方陣を基本に、少数の銃兵が左右に展開していたのが、より完全な横隊戦術へと変化を遂げていくわけだな。銃兵が横隊を組んで横に広く広く展開して、相手を包囲し十字砲火を浴びせる戦術へと移ったわけだな。これらは全て、組織化された歩兵が十分な訓練を受けるようになったことで、初めて可能になったことなんだな。VIPPERな名無しさん | 2008.11.29(Sat) 01:30 | URL | No.338356 - 日本ではちょうど信玄だ謙信だ信長だとやっていた頃で、封建制をベースとした農兵の動員による縦隊戦術が行われていたわけだが、その頃には西洋は、職業軍人による横隊戦術の域に、差し掛かっていたわけだな。
もっとも、戦術の進化過程では遅れていた日本だが、それが実戦で劣るか?というとまた違うのだな。まず日本のやり方は、動員できる人数を増やす事が簡単というのが、一つあるな。戦術がシンプルだから、訓練の手間が少なく、補充が容易でもあるな。それに相手の翼包囲を防げれば、正面の戦闘では、陣形の厚みがものを言うな。ただし、縦隊戦術は縦に厚い分正面は狭いから、正面で拘束されてしまうと、側面が非常に危険になるのだな。
逆に西洋の側は、かつてに比べて数を減らしている槍兵をいかに配置して日本の正面攻撃を防ぐかという事と、銃兵による翼包囲をいかにして成功させるかということが重要になるわけだな。横隊戦術は正面の幅が広く、一度に攻撃を集中させられる代わりに、突進してこられると突破されやすく、それで指揮系統を乱すと危険だな。
ここで、訓練を積んだ職業軍人的傭兵と、日本の農民足軽と、どちらが逃げやすいかというのが、意外に重要な気もするが、これは判断がつかないな。
もし日本の軍勢が翼包囲を受ければ、これは案外早く崩壊するだろうが、西洋の軍勢も正面から突破されてしまったら、指揮不可能にはなってしまうわけだな。
しかしここまで来ると、誰が指揮するかの方が重要だな。
うむ、長々書いて、結論が出ないな。
しかも、中国には詳しくないので、あとは他の人に投げておくのだなwVIPPERな名無しさん | 2008.11.29(Sat) 01:33 | URL | No.338360 - 愛洲移香斎が明の皇帝の近衛兵に、直々に陰流を伝授してるんだからたいしたもんだろ
北慮南倭って言葉があるくらい倭寇が暴れまわって、中国側から日本に泣きが入ってるのも事実だし、侍が白兵戦で強かった明らかVIPPERな名無しさん | 2008.11.29(Sat) 09:30 | URL | No.338456 - 問題は誰を相手に強かったか?だけどなwVIPPERな名無しさん | 2008.11.29(Sat) 23:04 | URL | No.338807
- そりゃ皇帝の近衛兵ともなれば強いだろうが・・・・数がいるわけでも全国に配備されてるわけでも沿岸警備をしてるわけでもなく。
仮にも武術を誉れとする日本武士が、明の一般兵ごときに遅れを取るようでは困りものだ。少なくとも日本国内においても、足軽なぞは個人の武勇では武士の足元にも及ばないものだったのだから。
まあ戦場での集団戦闘となると、武術の心得が無くても槍衾という戦術があるので、武士がいくら武芸を磨いていても、それだけじゃ通じないのだが。だからこそ、武士階級の何倍もの人数の農民を軍役で動員して、長柄を持たせているのだからな。
逆に長柄足軽の槍衾なぞは、攻撃的に用いるというのは夢のまた夢。あくまでも防御的な戦術で威力を発揮するものである。よって、戦場での住み分けというのは、足軽は隊列を組んで防御し、武士は機を見て斬り込んでいくものだということになる。で、斬り込むというのは危険が伴うので、一番槍や二番槍は恩賞の対象になるのだな。
そして当然ながら、万全な槍衾を相手に斬り込むというのは無茶以外の何者でもないので、相手の隊列を崩すための手段として、飛び道具が必要になってくるのだな。まあ日本は基本的に混成部隊を縦隊戦術で運用するという点で西洋の戦術とは異なるのだが、兵科ごとの性格には、基本的には差は無い。VIPPERな名無しさん | 2008.11.29(Sat) 23:30 | URL | No.338831 - 13世紀以降の西洋では騎兵はランスを抱えての突撃に特化したわけだが、このランスの長さは15世紀には4mに達することになるのだな。15世紀にはランスレストという支持具で、ランスを鎧に固定するようになり、安定性が増したからだな。
そして歩兵がそれを防ぐための槍としては、それまでのスピアに代えて、パイクがやはり15世紀に登場するのだな。このパイクの長さは5m~7m程度で、特殊なものでは3人がかりで保持する8mのパイクなんてのもあったというな。
まあ単純に、騎兵のランスが4mだからプラス1mして5mあれば攻撃を防げる、あとはプラスアルファといったところだな。
ちなみに13世紀以前、騎兵がまだ槍を「振るう」事をしていた時代には、馬上槍の長さは2mほどしかなく、対する歩兵のスピアも3m程度だったのだな。
そして日本でも、特に「馬上槍」とされる槍の長さは1間程度、長くても1間半を超えることはないから、基本的に馬上で槍を「振るう」ためには2m程度が限界、それ以上の長さは扱い難いものであったということが、東西の比較から導けるな。
また日本では、武士が騎乗して槍を脇に抱えて突進するという戦術は、基本的には行われなかったんだな。これは部隊の構成上の問題もあるし、またもし普遍的な戦術として行われていれば、日本でも馬上槍試合のような事が行われたり、鎧に槍の支持具が付けられたり、あるいは武芸の一環として鍛練されていたはずだが、そのような事がないから、まず確かだな。まあ、槍を抱えて突撃するという戦術自体、10世紀に東ローマ帝国で生まれて西洋に伝わったもので、決して普遍的な戦術ではなかったからな。「槍を持った騎兵の突撃」と「槍を抱えた騎兵の突撃」は、戦術としては別物になるので、注意が必要だな。
日本の場合、武士が使った持槍の長さは1間半から2間半なんだな。武田家の軍役などは、持槍の長さは2間半と明確に規定しているんだな。で、武田家の場合、足軽の長柄は3間と規定しているんだな。長柄の長さは他には上杉家でも3間、北条家では始め2間半、後に3間だな。織田家では3間や3間半と言われているな。まあ武士が使う持槍が最大で2間半なら、長柄はプラス半間長い3間あれば武士の攻撃を防げるということだな。日本でも西洋でも、相手の武器より約1m以上長ければ、攻撃を防げると考えていたというのは、面白いことだな。
そして武士が持槍を持って攻めかかる時には、基本的には徒歩で実行したと、持槍の長さから推測できるのだな。
馬上で槍を「振るう」には、持槍は長すぎるのだな。また馬上で槍を抱える事に徹したとしても、槍の支持具があった西洋でもランスの長さは4m程度までだったのに、それが無い日本で、持槍の長さが2間半もあれば、これは馬上で扱うには長すぎると、東西の比較から導けるのだな。
だから、武田軍団などにしても、武士階級が攻勢に出る時には、基本的には徒歩だったと、考えられるのだな。戦国時代の日本では、馬に乗って戦うのは、自分が逃げる時か、逃げる相手を追いかける時だっただろうと、考えられるのだな。またそういう時には、馬上槍や太刀が使われただろうと、考えられるな。VIPPERな名無しさん | 2008.11.30(Sun) 00:22 | URL | No.338883 - 陰流の開祖はそりゃべらぼうに強いだろうが、中国に強い奴はいなかったのか?
日本で大気拳を創始した澤井健一という人は、もともと柔道・剣道の高段者で、中国で武術の達人と称する人と試合をしたが、ことごとく勝ってしまったのだという。ところが、王向斎という人だけは本当に本物で、どうやっても勝てなかったんだと。それで王向斎の弟子になって意拳を学び、日本で大気拳として教えを広めるに至ったのだという。
なんつーか、一般人のレベルは対して高くないけど、たま~に本物の超・達人がいるっつーイメージなんだけどなあ。VIPPERな名無しさん | 2008.11.30(Sun) 00:31 | URL | No.338893 -
鄭若曾「等潅図編」
(和人は)その兵を用うるや善く埋伏し、しばしば巡って我が軍の後ろに出で両面を討ち、
常に寡を以って衆に勝ち、塁を劫かし、華人たやすくその術中に堕つ。
その未だ戦わざるや、団結分散、三々五々にして、一人扇を揮うや伏兵四方に起る。
これを胡蝶陣という。
VIPPERな名無しさん | 2008.11.30(Sun) 04:14 | URL | No.339040 - 弱すぎワロスwVIPPERな名無しさん | 2008.11.30(Sun) 13:23 | URL | No.339201
- もし明兵が後期倭寇相手にも負けてるようだったら根本的な問題があるな。VIPPERな名無しさん | 2008.11.30(Sun) 14:05 | URL | No.339228
- 直訳すると
日本人は奇襲やゲリラ戦が得意で中国軍は簡単に挟み打ちなどの餌食になるってことか。
日本人の戦術につけた名前が胡蝶陣で
集まったりバラけたりを武将が自在に扇でコントロールしてたってことかな。VIPPERな名無しさん | 2008.11.30(Sun) 15:45 | URL | No.339264 - 米872
本当に日本人が中心だったのは、前期倭寇(14世紀~15世紀前半)の前半から中盤で、一番の活動場所は朝鮮半島だろ?(前期倭寇も後半は現地人あるいは遊牧民やら何やら、いろいろな連中が参加した反乱と化している)
鄭若曾(1503~1570)が記録するとしたら後期倭寇なんだが、有名どころは王直はじめほとんどが中国人だよな?明の側も日本人は3割だと明史だかに書いてる。
明軍って弱すぎないか?VIPPERな名無しさん | 2008.11.30(Sun) 20:59 | URL | No.339383 - もうイタリア軍と明軍の頂上決定戦でよくね?VIPPERな名無しさん | 2008.12.01(Mon) 00:39 | URL | No.339518
- 回り込んで挟み撃ちとか、本来はホームの戦術だからな。
地理に詳しくないと出来ない。
アウェーの倭人が中国の地理にまで精通して明軍を・・・ってオイw
むしろ明軍のホームなんだから「そんなのはお見通(以下略)」だろうが!
本当に、イタリアと頂上決戦をすべきだな。VIPPERな名無しさん | 2008.12.01(Mon) 12:35 | URL | No.339756 - 後期倭寇の大部分は、中国の密貿易集団でしょ。
取り締まりに来た官軍を、地理に詳しい現地マフィアと、取引に来てた日本の海賊衆あたりが共同で迎え撃ったってとこじゃねーの?VIPPERな名無しさん | 2008.12.01(Mon) 15:16 | URL | No.339798 - 王直なんて拠点が五島や平戸だからねえ。日本人が中国まで往復するよりも、中国人が日本まで往復した方が多かったんだろうね。とすると、明軍が取り締まろうとしたのは、中国人による中国沿岸での荷の揚げ降ろしという事になるのだが・・・・中国人同士でも負けてしまうのか?明軍は。まあ何回かは、明軍による大規模な拠点攻撃が成功しているようだが。VIPPERな名無しさん | 2008.12.01(Mon) 15:52 | URL | No.339812
- 日本の弓矢
昔、壱岐守宗行の家來の者が新羅の國へ渡つてきて居た、
ところが新羅のキンカイと云ふところで何か人が罵しり騒いで居る。
「何事であるか」
と尋ねると、新羅人が答へて、
「虎が出て來て、村里へ這入つて人を喰ふのだ」
「虎は幾疋出て來たのか」
「たゞ一疋だけだが、不意に出て來ては人を喰つて又逃げて行き逃げて行きする」
「そんならば、その虎に會つて一矢射て見たいものだ」
「滅相もない、喰はれてしまひます」
「喰はれても宜しい、一矢射て見たい、
射損なへば死ぬまでの事、まかり間違つたところで、
虎を殺してこちらが死ぬ、どの道たゞでは喰はれない、
この國の人はどうも武藝道に暗いやうだ」
と云つたのを國守に言ひつけたものがあつた。
そこで國守がこの日本人を呼びまねいて、
「では虎に向つてみろ」
と云つた。
そこで右の日本人は、虎の居所を聞いて行つて見ると、
廣々した畑で四尺ばかりの麻が生えてゐる。
その中を分けて行つて見ると、果して虎が伏して居た。
そこでとがり矢をつがへて、片膝を立てゝ居ると、
虎が人のにほひをかいで、平身になつて猫が鼠を覘うやうな形で迫つて來るのを
矢をつがへた日本人は音もしないでその儘で待つてゐる。
虎が大口を開いてこの日本人の上からのしかゝるやうに飛びつくところを
矢を強くひいて放したところ、虎の顎の下から首へ七八寸ばかり矢を射拔いてしまつた。
そこで虎が逆さに伏し倒れて、あがくのをかりまたをつがへて二度まで腹を射て、
二度ながら土に射つけて殺して置いた。
さうして、その矢を拔かないで國府に歸つて國守にその旨を告げると、
國守が驚き感じて、多くの從者を召し連れて虎のところまで來て見ると、
成程三本乍ら虎は矢を射通されて無殘に倒れ死んで居る。
それを見て國守が恐れて云ふことには、
「まことに百疋千疋の虎がおこつてかゝつて來たとても、
日本の人が十人ばかり馬で押し向つて、
矢を向けたならば虎はどうすることも出來まい、
我新羅の國では、一尺ばかりの矢に錐のやうな鏃をすげて、
それに毒を塗つて射るのだから毒が廻ると虎は死ぬけれど、
かういふ風にその場所へ射伏せてしまうことなんぞは出來る筈がない、
日本人は己れの命を惜まず、危機一髪のところまで行つて、
大きな矢でこの通りその場で射殺してしまふのだ。
兵の道では日本の人には眞實かなはない、恐ろしい國だ」
と云つたとのことである。
VIPPERな名無しさん | 2008.12.01(Mon) 17:44 | URL | No.339906 - 宇治拾遺物語だな。あちらさんの記録だったら面白いのだがw
しかしいつの話だろうね?馬で弓という表現からして、作者は明らかに「武士」のスタイルを意識しているのだが、新羅は日本で武士が出現する頃には滅亡してしまう・・・
それに9世紀頃から何度も九州北部に攻めて来たぐらいで、あまり友好的ではなさそうだし・・・
よく元寇でモンゴル軍が毒矢を使ったというが、どうやら他の地域では使ったという話がないようなので、モンゴル軍というよりは高麗軍の装備らしい。その点では、正確な情報だな。あるいは元寇以降に付け加えられた話か。VIPPERな名無しさん | 2008.12.01(Mon) 18:29 | URL | No.339951 - 単純に訓練と運用の容易さと殺傷力を兼ね備えさせるだけなら、短弓に毒矢というのは究極の選択だけどね。
大型の獣相手だと毒が回るのに時間がかかるが、人間相手なら威力もそれなりにあってプラス毒なので、戦場で考えるとイヤだな。
長弓を戦場で使えるレベルまで訓練するというのは、異常に大変な訓練を要するので、ヨーロッパじゃ長弓文化のあったイングランドぐらいしか運用できなかった。(そもそも戦闘用の長弓は、現在の弓道で使う弓の何倍も強い)
日本では動物の骨や腱を使って小さくても強い合成弓を作るという技術は無かったから、必然的に、この大変な道を選ぶことになったのだが。
確かに、日本で弓を鍛えた武人なら、半島の人を驚かせただろうね。時代考証はともあれ。VIPPERな名無しさん | 2008.12.01(Mon) 18:53 | URL | No.339973 -
「その遠く戦うや弓を使う。
倭の弓は竹製、長さ八尺、足を持って其端を踏んで張り、立って発す。
矢は海竹を以って幹となし鏃は鉄製長さ二寸、燕尾の形を成す。
重さ二、三両。
発するに当たらざるなし。
当たれば則ち人たちどころに倒る」
VIPPERな名無しさん | 2008.12.04(Thu) 00:28 | URL | No.341255 - まさに一撃必殺かVIPPERな名無しさん | 2008.12.04(Thu) 17:19 | URL | No.341445
- http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=112698
和弓の威力って凄いな。フライパン貫通するし、鉄兜を貫いた名人もいたそうな。扱いづらいけど、個人が使う長弓としての威力が世界最強、とは言いすぎかな。VIPPERな名無しさん | 2008.12.04(Thu) 23:16 | URL | No.341664 - ※871
似たような話聞いたことあるよ。1930年代に、イングルという名のハンガリー人のボクシング世界チャンピオン(階級は忘れた)が、上海で興行試合を行い、中国拳法の達人と称する人たちを片っ端からぶちのめしていた。これを悔しがった中国人は王向斎という初老の武術家を呼び寄せ、彼と試合をさせたという。
試合が始まるや否や距離を詰め、パンチを叩き込むイングル。ところが王向斎の手がそれに触れた瞬間、イングルは崩れ落ちるように失神した。後に、「彼の手が触れたと思ったら、体中に電流が走るような感覚が起こった」という風なことをイングルは書き残している。VIPPERな名無しさん | 2008.12.04(Thu) 23:30 | URL | No.341669 - 米886
ちょいと調べてみてもらえれば分かると思うが、競技用のアーチェリーの弓でもフライパンぐらいは貫通するよ。
飛距離も200メートル以上出るし。
もっとも、そんなに離れたら的がただの点になるので、どんな弓でも狙いようがないがw
単純に弓は弾力が強ければ強いほど威力が増すので、兵器としての優劣というより個人の力量に帰結するような。
弓力25kgぐらいまでしかない現代の弓道の弓と、弓力50~70kgが一般的な昔の戦闘用の弓では、威力は別物。
そんな強い弓を使っても、大鎧などは容易に射抜けないので一騎討ちでは顔や脇や兜のてっぺんを狙ったわけだ。(簡単に射抜かれる鎧なら、誰も好き好んで何十キロもあるものを着ない)
で、昔の日本の弓が世界最強か?と聞かれたら、たとえば中世イングランドの長弓兵は、2メートル以上もの長さがある強い弓を引き続けたために、骨格すら変形したというから、こちらもとんでもない威力があっただろう事は想像に難くない・・・・
単純に最高に力のある人が、最高に強い弓を引けば、最高の威力になるはずなので、弓の種類を問わず、アーチェリーの弓だって力のある人が特注すれば、いくらでも破壊力のあるものが出来るってのは禁句かw
純粋に道具として考えれば、狩猟用のコンパウンドボウは滑車の力で40kgを越えるような弓でも比較的軽く引ける。VIPPERな名無しさん | 2008.12.05(Fri) 01:39 | URL | No.341719 - 一刀両断
元の鞘に納まる
反りが合わない
身から出た錆
地が出る
付け焼刃
真剣勝負
鎬を削る
鍔迫り合い
おっとり刀
折り紙つき
切羽詰る
鞘当て
単刀直入
伝家の宝刀
快刀乱麻を断つ
火花を散らす
抜き打ち
焼きを入れる
土壇場
たたらを踏む
じだんだを踏む
秋水
相槌を打つ
刀の錆
短気は身を亡ぼす腹切刀
目貫き通り
焼きが回る
丁々発止
寝刃を合わす
裏をかく
刀折れ矢尽きる
大上段に振りかぶる
大袈裟
返す刀
相打ち
いなす
気位が高い
金打する
急刃凌ぎ
懐刀
笑中に刀あり
助太刀
太刀打ちできない
七つ道具
抜き差しならない
抜けば玉散る氷の刃
狭屋の長刀
寸鉄人を殺す
剣突をくらう
手の内
乾坤一擲
我が刀で首切る
広き家は鞘鳴
鉛刀一割
鉄火を交えるVIPPERな名無しさん | 2008.12.05(Fri) 17:09 | URL | No.341910 - 「日本人の勇猛さには疑問の余地が無い。
自ら軍事国家と呼んでいるくらいで、幼少の頃から戦争道具を生きる道に選び、刀と弓、この国固有の二つの武器の使用法を教えられる」
「日本素描」 エドゥアルド・スエンソン 1869年VIPPERな名無しさん | 2008.12.05(Fri) 17:14 | URL | No.341918 - 日本人というより武士の、だな。
旧日本軍はそこで勘違いしてしまった。VIPPERな名無しさん | 2008.12.05(Fri) 20:07 | URL | No.342044 - ※888
骨格が変形するとか凄いなww
豪弓を謳われた源為朝とか、昔の人の放つ矢はどれほどの威力があったんだろうか。そういえば、徳川慶喜が使っていた弓でも張力は30㎏あったらしい。VIPPERな名無しさん | 2008.12.05(Fri) 21:01 | URL | No.342068 - 今日のトリビア
等潅図編は当時から見て「昔の」倭寇のことを記した話なのでそこで描かれている倭寇は初期倭寇VIPPERな名無しさん | 2008.12.06(Sat) 19:12 | URL | No.342407 - つまり100年前の伝説ってことねVIPPERな名無しさん | 2008.12.06(Sat) 21:51 | URL | No.342462
- 日本刀は刺す、切る、が出来る。西洋の刀は刺すのみ。だから武器は日本強い。でも防具は西洋のほうが強いと思う。鉄が豊富に使われてる。VIPPERな名無しさん | 2008.12.07(Sun) 11:51 | URL | No.342577
- その分動きが鈍くなりランツクネヒトは胴鎧しかつけなくなった。
マクシミリアン式の生みの親がボスなのに、結局使い物にならないので着なかった。VIPPERな名無しさん | 2008.12.07(Sun) 15:51 | URL | No.342756 - 「弓の威力がボウウェイトだけで決まるという勘違い」
実は矢というものはその特性として「まっすぐ飛んではいかない」
やってるひとはわかるとおもうが魚が泳ぐようにうねりながら飛んでいく。
したがってその威力、というかまっすぐ相手に突き立つためのコントロール能力によって実際の威力は大きく変わる。
昔から剛弓の試しで同じ弓でも兜を通せる者と通せない者とが出ることはご存じのとおり
それは技術、練習量、精神的な強さの差が威力(=飛翔する矢をコントロールする能力)に直結することを暗示している。
全く同じ弓を使っても射手によってその威力は異なるのである。
このうねりや個人差を嫌う場合、
どうしても矢は短く、鏃は軽くなる。
短く軽い矢では長い弓では放てない。
また台座に載せ弓を倒して石弓という形にするという工夫によってうねりを抑えるという方向もある。
が、こちらも御存じのように石弓というものはボルトの特性によって初速は大きいが有効射程が短く連射が利かず、おもに防御用として利用されてきたという歴史がある。
日本は長い弓だからこそ長く重い矢を射ることができ、長く重い矢だからこそ弓が長くなった。
そして長く重い矢を長い弓で射ることによって「使いこなせるならば」理想的な放物線を無視した軌道でも威力が殺されることなく遠投が可能になった。
最大射程では和弓より上のはずのトルコ弓ならば三十三間堂を通せるかというとそれは無理なわけだ。(弓を水平にして機械で射るならば結果はわからないが)
狩又だの神頭などという変わり種の鏃の発生も面白い。
VIPPERな名無しさん | 2008.12.07(Sun) 16:20 | URL | No.342770 - ※895
ブロードソード、バスタードソード、サーベル等々、斬るにも刺突にも使える武器がいくつも思い浮かぶのですが・・・・?VIPPERな名無しさん | 2008.12.07(Sun) 19:41 | URL | No.342890 - 強い弓を引けるだけじゃ威力が出ないかもしれないが
強い弓を引けることは威力を出すための大前提だよな
和弓で三十三間堂(距離66間)を天井に触れさせずに射通すには、計算上70kgの強さの弓が必要。
そりゃ長弓なんてものが、日本とかイングランドとか、限られた国でしか普及しなかったわけだ。
ところでトルコ弓は弓の湾曲を複雑にする事で、小型でも非常に大きな弾力を持たせた弓で普通の矢で400m、遠矢用の矢で600mも飛ぶ。
短く軽い矢は、長く重い矢に比べれば失速しやすいにも関わらず、ね。
三十三間堂ぐらいなら?VIPPERな名無しさん | 2008.12.07(Sun) 23:53 | URL | No.343149 - >ところでトルコ弓は弓の湾曲を複雑にする事で、小型でも非常に大きな弾力を持たせた弓で普通の矢で400m、遠矢用の矢で600mも飛ぶ。
理想的な放物線を描けば、ねVIPPERな名無しさん | 2008.12.08(Mon) 12:58 | URL | No.343376 - 兜を射抜く吉田能安萌えVIPPERな名無しさん | 2008.12.08(Mon) 17:13 | URL | No.343438
- 米609の出所をだれか教えてくださいいVIPPERな名無しさん | 2008.12.08(Mon) 17:30 | URL | No.343453
- 後半の失速も込みで、理想的な放物線で600m飛ぶとして、じゃあ天井まで2mとかの三十三間堂の約110メートルを、射通せるか?
空気抵抗の分を計算に入れるのが面倒だから俺はやりたくないんだよなあw
失速しやすい小さい矢で600m飛ぶとすると、初速の時点ではべらぼうに速いはずだから、まあ至近距離で喰らいたくないのだけは確かだwVIPPERな名無しさん | 2008.12.08(Mon) 17:51 | URL | No.343471 - ところで朝鮮半島の角弓とかいうのも、400mぐらいは飛ばない?VIPPERな名無しさん | 2008.12.08(Mon) 18:08 | URL | No.343491
- 刀は撫でて切るもんだね
刀 槍 弓 この3つは特徴違うからね
生まれたときからそれしか触っていない者同士が戦っても、どれが強いかは
やっぱわからんよ
侍とナイトではやっぱ攻と防みたいな感じかね
とてつもなくでかいカミソリを振り回してきたんじゃやっぱこええよwVIPPERな名無しさん | 2008.12.08(Mon) 20:28 | URL | No.343587 - 900!VIPPERな名無しさん | 2008.12.08(Mon) 21:08 | URL | No.343605
- ※905
ある師匠は刃筋が立っていれば、「引き切る」ような動作をしなくても、真っすぐ振れば斬れるんだ言うのよ。実際、試斬りとかやるとその通りスパスパ斬ってみせるしね。
ただ実の所、あちこち聞いてみると握り一つとっても統一見解が無いんだよねw
同じ道具でも、使い方はたくさんあるらしいw
また別の人曰く、日本刀は力加減を知らなきゃただの鈍器だと。
中国刀みたいに、刀身と柄が一体の形成で、重さも2kgぐらいあれば、振り回せば(振り回す力があれば)、まあ大抵の人が物を斬る事ができると。要はデカイ包丁だ。
ところが、日本刀(打刀の場合)は重さはその半分で、リーチもそれなりにある形状。で、刀身に掛かる力が全て目釘に掛かるから、力任せに振ると目釘を破損するのがオチで、何にも斬れない。
ところが技術のある人だと、肉でも骨でもスパスパ斬れると。
(もっとも、それでも骨とか切ると見事に刃毀れしてたから、あんまりたくさんは斬れないっぽい)
そういえば宮本武蔵も、刀を相手の刀に思い切り打ちつけるような事をすると、柄を破損してしまうぞと説いてるな。VIPPERな名無しさん | 2008.12.08(Mon) 22:01 | URL | No.343628 - どんなものでも刃物なんだから切れるよな?
切れ味とかは考えないでさ。
漫画の表現なんだろうけど弓矢で人間の頭部当てると頭が飛んでいく場面
あったがこれと貫通するのではどっちがすごいのだ?
りんごでたとえるなら矢が突き抜けて後ろの所に刺さるのと
矢が刺さったままりんごごと後ろの所に刺さる。
ベ○セルクやらカタリベで見た話。
農兵? 軍事訓練受けて戦場に出ていた人たちが平穏時に一揆とかに
立ち上がったら強いのだろうか。
外国に行くぐらいならそれなりの強い人でないと話には残らんよな
その仕事専門にしていならそれなりに体力とかあるはず
飛脚とかどうよ?
話とは関係ないけど投擲というか投げやりとかってあったのかな?
弓より当てるのは難しいものだけど。
899は何?VIPPERな名無しさん | 2008.12.09(Tue) 04:14 | URL | No.343764 - >りんごでたとえるなら矢が突き抜けて後ろの所に刺さるのと
>矢が刺さったままりんごごと後ろの所に刺さる。
矢がりんごを破壊も貫通もしないということは、りんごが頑丈かつ摩擦の大きい素材であるということだな。ここで、矢はりんごに刺さる段階で摩擦抵抗により減速される。さらにりんごごと飛ぼうとなると、矢の重量20~30gにりんごの重量300g前後が加わるため、全体の重量は10倍以上、速度はさらに約3分の1以下になる。それで壁まで飛んで突き刺さるとしたら、とんでもない力で発射された矢だ。貫通するよりも、はるかに凄い現象だと言える。VIPPERな名無しさん | 2008.12.09(Tue) 11:38 | URL | No.343816 - >どんなものでも刃物なんだから切れるよな?
>切れ味とかは考えないでさ。
包丁みたいに物を固定して、しっかり当てて押したり引いたりすれば切れるだろうけどwVIPPERな名無しさん | 2008.12.09(Tue) 14:40 | URL | No.343855 - ※908
ベルセ○クが伏せ字でカタリベが伏せ字じゃない理由ってw
まだ他が答えてないもので。
投槍についてですが、例えば古代ローマの重装歩兵は、接近戦用のグラディウスという剣の他に、ピルムという投槍を主要な装備としていました。他に南米のナスカ文明でも主要な兵器になっています。
狩猟用の道具としては石器時代から使われている古典的な武器です。
ショートスピアとかジャベリンと呼ばれる短い槍は、投擲を主な目的としたものです。VIPPERな名無しさん | 2008.12.09(Tue) 17:45 | URL | No.343953 - ※902へ
たしかその番組はディスカバリーチャンネルだったような気がする…
そういえば骨にあたっても刃こぼれしない刀と刃こぼれしてしまう刀を見分けるために昔の人は鹿の角を切るためしをしたとか
鹿の角を切っても刃こぼれがない刀は骨を切ってもOKなんだとVIPPERな名無しさん | 2008.12.10(Wed) 02:21 | URL | No.344445 - 新撰組が刃毀れで報奨金決めたつーぐらいだから、普通は刃毀れするんだろう。刀の問題よりも研ぎ方の問題で、刃毀れのし易さは変わるだろうけど。変に薄く研いだりすれば一発アウトだろうね。VIPPERな名無しさん | 2008.12.10(Wed) 08:42 | URL | No.344530
- 焼き入れの幅が広い刀ほど刃毀れしやすいよ。刃紋が綺麗だから美術品としては良いけどね。江戸時代以降の刀とかね。VIPPERな名無しさん | 2008.12.10(Wed) 12:05 | URL | No.344577
- 刃こぼれしても刃切れしなければ無問題という見方もある様子VIPPERな名無しさん | 2008.12.10(Wed) 16:54 | URL | No.344658
- 刃毀れだけなら研げばいいからね。誰も刃毀れしなかったら研ぎ師も商売あがったりだ。実際、大正時代には相当生活が厳しかったらしいが・・・
ところで、目釘が竹だと弱いからと鉄釘を入れる人もいるらしいけど、目釘があまり硬い物質だと、逆に衝撃を吸収できずに刃切れの原因になるようだね。江戸時代に最終的に目釘が竹に落ち着いたのは、適度な弾力があって刀身に力がかかりすぎるのを防ぐ事ができるという事も、あったようだね。VIPPERな名無しさん | 2008.12.10(Wed) 18:28 | URL | No.344721 - 米912
米913
そりゃ新撰組は刀持った相手とチャンバラをする前提だからなあ。鹿の角レベルでボロボロと刃毀れするような刀だったら、尚更問題であろうて。VIPPERな名無しさん | 2008.12.10(Wed) 18:32 | URL | No.344726 - でも鹿角は相当固い也よVIPPERな名無しさん | 2008.12.10(Wed) 18:44 | URL | No.344733
-
馮夢龍「三言二拍」
倭の軍はしずしずと千変万化の陣構え
法螺貝の音に胡蝶飛び一列にならび長蛇走る
軍扇さっと打ち振れば全軍たちまち影もなく
また忽然と現れてあたり一面の刀の花
禍に乗じて中華をさわがすVIPPERな名無しさん | 2008.12.11(Thu) 19:06 | URL | No.345143 - もはや妖術だなwVIPPERな名無しさん | 2008.12.12(Fri) 00:21 | URL | No.345266
- よほど恐ろしかったんだなVIPPERな名無しさん | 2008.12.12(Fri) 02:12 | URL | No.345294
- そんなに強かったら明の援軍なんて目じゃねーだろ。16世紀に大東亜共栄圏が出来てるわなwVIPPERな名無しさん | 2008.12.12(Fri) 10:24 | URL | No.345339
- ※922
実際、明の援軍なんて目じゃなかっただろ。明軍が勝利したのは後にも先にも平壌城奪回戦だけで、それ以降は碧蹄館の戦いでも 、蔚山城の戦いでも、順天倭城の戦いでも、泗川の戦いでも日本軍に惨敗してるがなwVIPPERな名無しさん | 2008.12.12(Fri) 17:44 | URL | No.345414 - 流れ切って悪いんだけど質問があるんだ。
昔聞いた話しなんだけど何かの乱にそなえて畳に何本も刀刺して備えた人がいて、結局二十人程切り殺したあとに弓矢に打たれて死んだらしいんだ。
付け加えると日本のなかでも十本指に入る強さらしい。
誰だかわかる?
多分室町から戦国辺りの人だったと思うけど。VIPPERな名無しさん | 2008.12.13(Sat) 00:00 | URL | No.345671 - それ武将じゃなくて将軍様だよVIPPERな名無しさん | 2008.12.13(Sat) 01:19 | URL | No.345775
- 孫文台を知らんのか!VIPPERな名無しさん | 2008.12.13(Sat) 01:37 | URL | No.345794
- スレタイのような内容で卒論書いてる俺が通りますよっと。
あんまり今まで出てきてない18~19世紀ころの日本&西欧の話でもしようかな。
この頃どちらの地域でも、それ以前に比べれば安定していたんで
剣術の体系化が進んでました。
どうも人は平和になると技術の整理したくなるらしいです。
で、西欧では剣が最早実戦で重要でなくなって久しいので、上流階級の
嗜みとして剣術が残存するものの、安全化が求められてました。
そのためかつて存在していた体術
(相手の指を折る、腰をつかんで投げるなど。柔術同様に剣と組み合わせて使われた)
は教えられなくなり、先をつぶした剣を用いて「一撃かすったらおわり」のような非実戦的、あるいはスポーツ的な剣術になってました。
で、一方の日本でも武術の体系化が進んだけれども、
武家諸法度やら貝原益軒の著作だので幕府が成立当初から、武術をひたすらに学ぶことを武士に求めたので
戦場で用いる総合的な殺人技術として剣術も柔術も受け継がれていきました。
さらに各藩ごとに閉じた構造をとり、それぞれが御留流として自らの藩の抱える武術の流出を避け、武術の伝承者が限定したことも
あり、純度の高いままで継承されてました。
ってなわけでまとめると、18~19世紀頃のいわゆる武人階級は
日本のほうが西欧に比べて近接戦闘の技術では優れていただろうと思います。VIPPERな名無しさん | 2008.12.13(Sat) 04:13 | URL | No.345900 - 江戸時代は下級武士とか次男三男とか黙ってたら出世できない人では、真面目に剣術やる人もいたようだけど、全体としては体力の低下が武士の間ですら嘆かれているよ。
幕末に活躍した人に、下級の武士が多かったのは、上級の武士ほど武芸をやらなくなってたからという人もいるぐらい。
ただそれでもなお、その頃の西洋では騎兵隊でもなければ刀剣で戦うという発想が無いので、純粋に武術で勝負すれば日本が強いでしょう。
ま、西南戦争の時の士族の抜刀突撃も、官軍が銃剣を装備したら成功率がガクンと落ちたなんていう話もあるから、街の喧嘩ならともかく、戦闘でどの程度意味があるかは別だけど。VIPPERな名無しさん | 2008.12.13(Sat) 04:37 | URL | No.345915 - なにこれ歴史好きにはたまらんね
全部読んでないけどさVIPPERな名無しさん | 2008.12.13(Sat) 11:08 | URL | No.346015 - >>922
「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わったVIPPERな名無しさん | 2008.12.13(Sat) 14:18 | URL | No.346098 - >>924
それはだいぶ不正確な情報になっちゃってるがたぶん「足利義輝」
公方名刀数多抜置れ取替々々切っていださせたまいける。
公方の御手に掛りたまうもの幾らという数を知らねば
雑兵みな恐れてうんたらかんたらっていうのが元ネタ。
畳にさしてとかいうのは後世の想像。
「抜き置かれ」ていたんだから多分さしてたんじゃないの?という推測。
弓でしんだとかいうのも後世の想像。
書き手により槍で死んだとか畳の盾でもみくちゃにされてとか同時に八方から攻撃されてとかいろいろ言われているが死因がしっかりのこってないから言いたい放題なんだね。
まあでも一番槍の名前とかはわかっているので普通に切り疲れたところを死角から狙われて死んだんだと思う。
普通に槍か刀で。もちろん弓の可能性もある。真実は闇の中。
VIPPERな名無しさん | 2008.12.13(Sat) 14:35 | URL | No.346102 - >>928
まあ、官軍が導入した西洋兵法では銃剣を並べて一斉に行動するような集団戦だから、戦国期の長槍足軽隊みたいに防御に優れていたんだろうね。幕末の兵法は形骸化・弱体化していたから、佐久間象山なんかも「個々の武勇に頼る我が国の戦い方など、西洋の集団戦法に比べれば子供の喧嘩のようなものだ」と言っていたらしい。
余談だけど、勝海舟がある時、戦国時代から伝わる武田信玄の兵法を見学する機会に恵まれたが、それは驚くほど西洋の近代的な兵法に似ていたそうな。VIPPERな名無しさん | 2008.12.13(Sat) 16:34 | URL | No.346143 - 信玄流の槍隊戦術という言い伝えで、確かに合理的だったのに驚いたと評しているが、同時期のヨーロッパの戦術は全く別物では・・・・VIPPERな名無しさん | 2008.12.13(Sat) 18:52 | URL | No.346189
- 八王子千人同心だっけ?
確かに、旧武田配下の人間だから、信玄以来のやり方を守っていたという可能性も無くはないが、槍歩兵の方陣は縦隊戦術が基本。
この頃の西洋だと訓練を受けた兵士なら横隊か散兵、未熟な奴でもとにかく数を集めたという時は縦隊で突撃といった感じかな。なにせ既に槍は騎兵しか使ってないし、縦隊は砲撃に弱いからね。VIPPERな名無しさん | 2008.12.13(Sat) 20:15 | URL | No.346271 - その辺りの平地の所で、サムライが始終教練を行っているらしい。
囲いの高い柵や潅木の茂みで視界がひどく妨げられたが、時々兵隊の旗や、武器が見えた。
大名達は彼らの藩兵に、戦争の技術を絶えず訓練させていたのである。
そのころ江戸の大名屋敷の傍らを通ると、剣術をやっている喧しい物音が聞こえた。
私が江戸に滞在している間に、同じような音響をしばしば耳にした。
もし、不幸にして、ヨーロッパ諸国が日本と戦うようなことが起こったら、
日本人はシナ人よりも非常に優勢なことが判るだろう。
しかし、そのような、日本人と戦うようなことは、遠い将来のことにさせたいものだ。
ロバート・フォーチュン 「幕末日本探訪記」抜粋VIPPERな名無しさん | 2008.12.14(Sun) 00:42 | URL | No.346520 - ディスカバリーの日本刀話とか大嘘だからな。
そもそも、日本人にとって日本刀ってのは護身武器に過ぎない。
メインウェポンは日本独自の長弓(ロングボウと馬上弓を足して2で割ったみたいなの)と
槍(槍も日本刀の一種ではある)。その上で潜り抜けてきたり、切り込んだりした時に抜刀すんの。
で、海外の場合はこれが本来別々の人間がやるべき事な訳。
だから日本側が劣勢な筈の元寇でも日本側は全員弓兵でもあるので
元軍の専門弓隊が性能および人数で打ち負け。
更に騎兵で抜刀兵でもあるから弓兵に突撃するつもりでつっこんでも
持ち帰られてこれまた痛い目に。
しかも武人の日本人は専門化が進んでいたので初期に対応した連中は正規軍では
なかったが、それでも相手にしては熟練兵に値する存在だった。
そんなこんなで元軍側が持ってる弓矢を打ち尽くす程に疲弊して上陸用の
橋頭堡も放棄して船に引き上げちゃったの。
時間がたてば正規軍が駆けつけてくるからもう上陸するなんて無理。作戦上も最悪の選択。
それと、当時のてつはうってのは音響で相手をびびらせる兵器で爆弾じゃない。
日本兵はすぐに慣れて怯まなくなったのであんまり有効に機能しなかった。
名乗りをしたのも現地の豪族が相手を確認しただけ。
そもそも一騎打ちなんてのは名のある相手同士じゃないと意味ないのよ。
対応してる連中も現地の野武士だし、相手も不明なんだから勘違いもいいところ。
そして刀が本当に大活躍するのは陸上で敵を撃退した後に夜陰にまぎれて小船で襲撃した時。
日本刀は突く切る両方出来るから軽い攻撃でも相手にダメージ大きいので、肉薄されるとかなり厳しい。
当時の武器は馬上用の片手武器だったり、打撃系刀剣。しかも出来が粗悪なので日本刀と打ち合うと
ヘタすりゃ折られる。折れなくても片手で受けるのは厳しい。
元軍が日本軍の田舎の豪族にすら勝てなかったのは合理的な理由があるんだよ。VIPPERな名無しさん | 2008.12.14(Sun) 15:02 | URL | No.346846 - 元寇があったころに日本には槍はないんだが。。。VIPPERな名無しさん | 2008.12.14(Sun) 16:26 | URL | No.346889
- ×そもそも、日本人にとって日本刀ってのは護身武器に過ぎない。
〇二尺四寸未満の日本刀は護身が主目的の武器である。VIPPERな名無しさん | 2008.12.14(Sun) 16:30 | URL | No.346894 - 平安武士の一騎討ちは弓矢で勝負付かなかったら組討をするので、ここでは太刀の出番が無い。
じゃあいつ使うかと言うと、徒歩の兵に接近された時に使うか、下馬している時に使う。VIPPERな名無しさん | 2008.12.14(Sun) 19:44 | URL | No.347008 - >>937
元寇をいつだと思ってるんだ。
戦国時代みたいなまっすぐな直刀型長槍が栄えてなかっただけで
平安時代には既に薙刀や矛系のロングウェポンはあったんだよ。
矛兵は兵種としては槍種になる。中国も矛をよくつかってた。
元寇が来た頃の武士の装備は太刀、長巻、薙刀、伏竹or三枚打の合成弓だ。
元軍が合成弓なので日本弓より小さいけど強かったとか書いてる書物もあるが、
日本の弓も最初から合成弓でしかも馬上でも長弓を使えるオリジナルスタイル。
日本は最初からかなり凶悪な装備をしてたし、元寇が起こる前から数万人規模での
大規模合戦や陣地戦を何度も国内で経験してた。
そもそも、元寇を語る時、解説者が絵巻を見て日本軍がやられてる絵だと言ってる場合は
信頼しない方がいい。あれは明治に入ってから書き足された部分で本来は落ち延びる元軍を
追撃する絵巻だったんだから。神通力部分を誇張する為に後世で書き足した訳。
日本刀神話や日本が戦争技術が未熟だったという思い込み、絵巻の真相すら知らない無知さ加減が
こういう当時の軍事事情を無視した話を広めちゃってる根元。VIPPERな名無しさん | 2008.12.14(Sun) 21:32 | URL | No.347084 - >>933
合理的はともかく、西洋兵法と似ていた云々はどうも俺の勘違いだったみたいです。すみません。VIPPERな名無しさん | 2008.12.14(Sun) 21:44 | URL | No.347097 - 戦国時代程度でも西欧の戦争は意外と小規模。
石高が低くて動員が難しく、国王が大した兵力を持ってないからレンタル兵みたいなもの。あとは傭兵。
銃なんかも勘違いされてて弾込め等に時間がかかる為、かなり後になるまでは一発打ったら突撃みたいな扱い。
ロングボウよりいまいちだったマスケット銃が流行ったのは訓練不足な兵でも銃なら扱える事や
装填した状態で動ける事、命中しなくても相手がひるむ、致命傷でなくてもショック死する場合が
あるというのが大きかった。
だから西欧の戦争を分析する場合、弓も使っていたらもっと楽だったろうという分析をされる事もある。
後世になるとマスケット銃のみでの戦いが競技みたいに形式化していっておかしな事になる。
敵の目の前でお互いに一列にならんで構えて号令とともに撃つ。そして敵の目の前で装填作業に入る。
再現映像なんかをみると何かのギャグかと思える。
そしてそれが続いた後、機関銃で壊滅する事件が起こり、現代の様な戦い方に大きく変化していく。VIPPERな名無しさん | 2008.12.14(Sun) 21:49 | URL | No.347104 - そういや、古式泳法は鎧を着たまま立ち泳ぎ出来て一人前とか、
現在だと考えられんスペックを当たり前のように要求してんだよな。
当時の侍の身体能力を現代人の想像を遥かに超えてるのは間違いない。VIPPERな名無しさん | 2008.12.15(Mon) 06:16 | URL | No.347272 - 米942
>石高が低くて動員が難しく、国王が大した兵力を持ってないからレンタル兵みたいなもの。あとは傭兵。
むしろ14世紀頃から傭兵が臨時雇いから職業軍人になっていきます。
>銃なんかも勘違いされてて弾込め等に時間がかかる為、かなり後になるまでは一発打ったら突撃みたいな扱い。
それは酷い勘違い。かなり後になるまで城壁の防御兵器みたいな扱いだというなら分かるが。
>だから西欧の戦争を分析する場合、弓も使っていたらもっと楽だったろうという分析をされる事もある。
使っていたらというか、合成弓を作る技術が無かったので短弓では十分な威力が無い。長弓は訓練が大変。しかし弩があったので弩が普及し、そのまま銃に置き換わった。日本は長弓「しか」なかったので長弓が広まった。
>敵の目の前でお互いに一列にならんで構えて号令とともに撃つ。そして敵の目の前で装填作業に入る。
>再現映像なんかをみると何かのギャグかと思える。
先込め単発銃を効率良く運用するには、この方法か散兵戦術または全員狙撃兵化しかない。目の前に敵がいても踏みとどまって弾を込め続けるというのは、並みの訓練では出来ない事なのだが?
>そしてそれが続いた後、機関銃で壊滅する事件が起こり、現代の様な戦い方に大きく変化していく。
その前に先込単発銃の時代が終わっています。はしょりすぎ。VIPPERな名無しさん | 2008.12.15(Mon) 08:48 | URL | No.347293 - 敵を知り己を知らば百戦百勝危うからず。
比較するには相手を知るべし。
って日本の話と西洋の話は結構具体的に出てきているが、中国はなんだか弱い話しか出てこないんだが・・・・VIPPERな名無しさん | 2008.12.15(Mon) 12:59 | URL | No.347337 - じゃあ弱いんだろうw
とはいえ、具体的な兵制や戦術は確かにあまり話が出ないな。中国は。VIPPERな名無しさん | 2008.12.15(Mon) 17:15 | URL | No.347398 - >>944
日本には長弓しかなかったんじゃなくて独特の技術で竹を合成材に使い、更に馬上でも使える様に
技法や製法にも手を加え、更に最初から職業的武芸人だったから軍事用に馬上用や錬度が低い短弓を使う
必要性がなかったんだよ。狩用に短弓がなかった訳でもないし、ロングボウみたいに長弓で困った訳でもない。
また、海外で言われてる後世の弓というのはロングボウ系だ。戦ってる片方がその系統なんだから。
あまりにマスケットに頼りすぎて逆にいびつになっていった為、弓を廃したのは時期尚早だったと指摘されてる訳。
また、傭兵というのは職業傭兵として専門化していったというだけで、やはり日本の様な当主の手勢としては
傭兵的な立場のままだった違いで言われてる。当時の西欧では日本と違い石高が低く、持ち運びにも適さないので
日本みたいに大勢の専門家を養うのが難しかったんだ。日本も大規模動員はかけるが、
日本の地方領主の抱えてる規模が大きすぎる。逆にあちらの動員にしめる割合に借り受けや
傭兵の比率が高すぎる。
それから、海外から来た人たちが記している様に、西欧で身体的に大きくなっていくのは食料保存や輸送が
改革される後年の話で古い時代だと穀物や魚類を豊富にとってる日本人はいうほど体格に劣ってもいないし、
持久力には驚くべきものがあったと記されている。これらはすべて稲作の発展と海洋資源の豊富さの賜物だった。
それと機銃掃射で壊滅した話で先込め単発銃なんかしていないんだけども。
目の前で装填うんぬんは日本の近接射撃レベルでも出来てる話だ。
当時の取り扱いや戦術が形式化していた銃を美化しすぎてるだけ。
江戸時代後半から日本と西欧で差が出る様になるが、ここで話題になってる頃の元寇から戦国時代あたりは
そんなにすごいというものではない。VIPPERな名無しさん | 2008.12.15(Mon) 19:51 | URL | No.347429 - 米947
そもそも日本では動物の骨や腱を使った合成弓を作る技術は無かったから、戦争に使えるような強度の短弓は作れなかったんだよ?
平安時代に木と竹の合成弓である伏竹弓が作られ、やっと弓のサイズが七尺五寸にまで縮まったが、それ以前は丸木弓でサイズももっと大きかった。
それにヨーロッパで長弓を戦争に使ったのはイングランドぐらいで、あとはフランドル地方でわずかに採用されたぐらい。廃したも何も、大多数の国ではもともと使ってなかったんだけどねえ?
マスケットに頼りすぎていびつになったどころか、もともと発射速度が同じぐらいで威力には劣る弩しかなかったんだから、イングランド以外ではそんな問題が発生しようがない。それに戦争で使えるレベルに長弓兵を育てるのが困難である事は、西洋も日本も同じだよ。
あと君の2段落目、文章として意味が通らない箇所が多すぎて読みづらい。翻訳してくれたまえ。
で、先込単発銃の時代なればこそ、ひたすらその場で弾を込めて撃つという戦術が発生するのだけれども、その戦術が機関銃の掃射にやられたと書いたのは君ではないかね?
それにそもそも機関銃以前に、野戦砲の普及に対応して18世紀には散兵戦術も見られるようになっている。
あと日本と西洋の戦術の差だが、もちろん戦場でどちらが強いという問題とは別だが、まず13世紀にはヨーロッパでは、馬に乗るのは騎士や貴族の特権ではなくなり、職業軍人の騎兵というものが一般化して、所謂騎兵隊が編成されるようになってくる。同時に槍騎兵の戦術はランスを抱えての突進に一本化され、他兵科との協調というものが重視される時代になるわけだ。そこから16世紀までにはパイクと銃兵による徹底した防御戦術の発達によって戦場から一旦槍騎兵が姿を消し、横隊戦術の隆盛、グスタフ・アドルフやマウリッツ公による三兵戦術の完成、銃剣の普及と槍の消滅、散兵戦術の登場、ナポレオンによる槍騎兵の復活等々、戦術は目まぐるしく変化しておる。東西の差というものは大いにあると思うがね?VIPPERな名無しさん | 2008.12.15(Mon) 21:42 | URL | No.347558 - 和弓の場合鹿革や腱の合成弓もあるわけだが(まあほとんど狩猟用の半弓としてしか使われなかったが)VIPPERな名無しさん | 2008.12.16(Tue) 00:54 | URL | No.347774
- やはり南北朝時代の超大な日本刀まっさかりな時代が一番かっこいいなVIPPERな名無しさん | 2008.12.16(Tue) 00:59 | URL | No.347780
- まあ本当に和弓がすごく射程が短かったら元寇のとき、高麗や元はあんなまけっぷりはしなかったはずで、
それでも和弓の射程が短いとすればよっぽど大陸の弓の命中精度が低いか
日本の大鎧の防御力がけた外れかどっちかってことになるな。VIPPERな名無しさん | 2008.12.16(Tue) 02:50 | URL | No.347879 - 誰か和弓の射程が短いなんて話してたっけ?
和弓は有効射程は長い方だと思うが。VIPPERな名無しさん | 2008.12.16(Tue) 09:07 | URL | No.347983 - ヨーロッパ相手に石高はないだろう。VIPPERな名無しさん | 2008.12.16(Tue) 13:51 | URL | No.348090
- "高麗軍は短弓の欠点である遠距離での失速を毒矢でカバーしてたから、日本武士も苦戦した。特に一回目は。二回目は防御も固めていたから、大砲も航空機も無い時代には防御側有利になったが。
高麗軍はまあそうなんだが、南宋軍は・・・・ちょっとアレだなあ・・・・"VIPPERな名無しさん | 2008.12.16(Tue) 14:20 | URL | No.348118 - 元寇のときに毒矢を使ってたってのも一次資料がないんだよなぁ…
あったら紹介してちょ
てかもし本当に毒矢つかってたならバンバン矢が刺さってた竹崎季長はなんで生きてるんだろう?
VIPPERな名無しさん | 2008.12.16(Tue) 16:10 | URL | No.348202 - 元は他地域では毒矢の話が無いからね。
朝鮮で毒矢を使ってた事は宇治拾遺物語にも出てくるんで、可能性としては高麗の固有装備。元寇だと八幡愚童訓には出てくるが・・・・
仮に事実だったとしたら、一本二本では死ぬ程の強い毒ではないか、竹崎は肝臓が強かったか、鎧の裏に通った矢は無かったか。
戦闘力を奪うためには痺れるぐらいでも足りると言えば足りる。VIPPERな名無しさん | 2008.12.16(Tue) 17:57 | URL | No.348289 - 肝臓の問題か?VIPPERな名無しさん | 2008.12.17(Wed) 00:22 | URL | No.348513
- 毒矢を持っている弓兵と持ってない弓兵がいて
数の比率では圧倒的に毒持ちが少ないか、
ひとり二、三本しか毒矢を持ってないかとかだったりして。
VIPPERな名無しさん | 2008.12.17(Wed) 03:31 | URL | No.348572 - 竹崎季長が実際にどのぐらい怪我したのかも分からんしな。
ただ、高麗が毒矢を標準装備にしていたから、携行数が少なくて、一日で矢が尽きたと言い訳する事態になったのかな?なんてことを、ふと思った。VIPPERな名無しさん | 2008.12.17(Wed) 08:57 | URL | No.348589 - 蒙古襲来絵詞「読んで」たら怪我の程度はわかるはずだが...
絵しかみてないのかVIPPERな名無しさん | 2008.12.17(Wed) 14:39 | URL | No.348696 - いや本人が書かせたものだけに・・・・
武勇伝って尾ひれがつかね?VIPPERな名無しさん | 2008.12.17(Wed) 15:03 | URL | No.348717 - そこまで言うのはカワイソス
宇治拾遺の作者や八幡愚童訓の作者が適当書いたことにしようVIPPERな名無しさん | 2008.12.17(Wed) 16:25 | URL | No.348779 - 全てが丸く収まる方法は、竹崎季長は肝臓が強かったしかないのではVIPPERな名無しさん | 2008.12.17(Wed) 18:52 | URL | No.348921
- やはり肝臓か・・・VIPPERな名無しさん | 2008.12.17(Wed) 22:58 | URL | No.349078
- 「怪我のせいで馬も失って敵軍にのまれかけた」
「援軍が来なかったら死んでたなあぶねえあぶねえ」
これは武勇伝ではない気がするが...VIPPERな名無しさん | 2008.12.18(Thu) 03:59 | URL | No.349186 - 一日で矢が尽きたのはその前に壱岐や対馬で一週間もホルホル虐殺してたせいだとおもう。
VIPPERな名無しさん | 2008.12.18(Thu) 04:00 | URL | No.349187 - 戦って怪我したってのは恩賞の対象なので積極アピール
おかげで馬もなくしちゃって・・・・と言っとけば名馬もらえるかも!?
苦戦アピールで気になる恩賞を釘付け(笑)VIPPERな名無しさん | 2008.12.18(Thu) 08:45 | URL | No.349213 - ttp://images.google.co.jp/images?ie=utf-8&num=20&hl=ja&lr=lang_ja&q=%E5%85%83%E5%AF%87&um=1&sa=N&tab=wi
http://images.google.co.jp/images?ie=utf-8&num=20&hl=ja&lr=lang_ja&q=%E7%AB%B9%E5%B4%8E%E5%AD%A3%E9%95%B7&um=1&sa=N&tab=wi
古式泳法って体力いるの?
よろいを着込むから独特の泳ぎ方になったとかじゃなくて?
服着て泳ぐと疲れるが古式で泳ぐといいとか見たような気がするが違うかな。
VIPPERな名無しさん | 2008.12.18(Thu) 12:51 | URL | No.349252 - 古式泳法というか、いわゆる横泳ぎ系列の泳ぎ方だと、着衣泳では格段に楽だと言うね。全身の筋肉を激しく使う普通の泳ぎ方だと、水を吸った服がまとわりついて満足に動けなくなり、息継ぎも大変になる。横泳ぎの方が、浮力を維持しながら顔を水面に出しておきやすいし、泳ぎの動作も省エネだ。
ただ、鎧を着てどうかと言うと、7kgの鎧を着て泳いでみせる人はいたけど、フル装備だと20kg30kgだからなあ。物理法則は変えられないし。鎧武者は馬を泳がせて、馬につかまって泳ぐなんて説を唱えてる人もいるし。VIPPERな名無しさん | 2008.12.18(Thu) 13:30 | URL | No.349263 - ◆蒙古襲来絵詞◆
…竹崎季長が、元寇時の御恩奉行であった安達泰盛への鎮魂と報謝のために作った絵詞。
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_02.html
住吉鳥居を通り過ぎて赤坂に向かう途中の小松が原で季長は菊池二郎武房の一行と出会う。
総勢百余騎。
武房はすでに敵と戦い、たくさんの首をぶら下げて引き上げてくる途中であった。 (てのものふんどりあまたなり)
それを見た季長はいっそう奮い立ち蒙古軍に向かって駆け出すのであった。
菊池武房に破れた敵の本隊は,麁原へ退却した。
別の一隊は別府の塚原へと退却。
塚原から鳥飼の干潟へ進み本隊と合流せんとする蒙古軍を討ち取ろうとした季長は馬が干潟に脚を取られ逃がしてしまった。
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_04.html
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/kotoba_03.html
敵軍は麁原に陣を構えて鐘を打ち鳴らしてひしめきあっていた。
季長の合戦は、麁原から鳥飼潟の塩屋の松原が舞台となった。
旗指が馬を射られて跳ね落とされたがそのまま立ち上がって走り出す。
季長以下3名も馬を失い痛手も被り、あわや一巻の終わりかとみえたところに、
肥前国御家人白石六郎通泰が後方より援軍を率いて攻め立てる。たまらず敵は退却を始めた。
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_03.html
さらに敵を追って攻め入る三井三郎資長と退却する蒙古軍。VIPPERな名無しさん | 2008.12.19(Fri) 01:31 | URL | No.349693 - 蒙古襲来絵詞はすでに地頭職などの恩賞をもらってから、だーいぶたってから書かれたものなんだが…
いまだに恩賞アピールだと勘違いしてるひとがいるんだなVIPPERな名無しさん | 2008.12.19(Fri) 01:35 | URL | No.349696 - 元軍と侍がマトモにぶつかってたら侍勝てなかったんじゃね?
元寇の時って馬もロクに運んでこれなかったんでしょ?VIPPERな名無しさん | 2008.12.19(Fri) 02:04 | URL | No.349711 - 馬いるじゃん
VIPPERな名無しさん | 2008.12.19(Fri) 04:40 | URL | No.349739 - 蒙古襲来絵詞って、後世の加筆もあってなんかわけわかんなくなってるとか。VIPPERな名無しさん | 2008.12.19(Fri) 18:43 | URL | No.349895
- 米972
まあ元軍というか、北から来たのは高麗軍で西から来たのは南宋軍なんだけどね。VIPPERな名無しさん | 2008.12.19(Fri) 18:47 | URL | No.349899 - わけわかんなくなってるのはお前だけ
>北から来たのは高麗軍で西から来たのは南宋軍
「元軍」は、もとからそういうものだ
どちらにせよ指揮していたのは元最強の大元ウルスVIPPERな名無しさん | 2008.12.20(Sat) 05:40 | URL | No.350168 - 文永の役
元軍…2万五千
高麗軍…8千
(南宋はまだ元の軍門に下ってない)
弘安の役
元軍…一万五千
高麗軍…二万五千
(ここまで先発隊、元軍二万人説もある)
江南軍(大半が南宋人と漢人)…10万
(後発の制圧部隊)
つまり実際激戦を戦った部隊のなかでは元軍の比率は高いほう
ほぼ半数が元軍だからねえVIPPERな名無しさん | 2008.12.20(Sat) 05:51 | URL | No.350171 - 文永の役
たしかに百道原ルートの高麗軍と
博多で戦った元軍では後者のほうが日本は苦戦しているが結局どっちも撃退しているわけで…
弘安の役
後発の江南軍との平戸、鷹島での最終決戦をまともな戦いにくわえるならば確かに元との戦いというより南宋人漢人との戦いのように比率の上では感じるが
これはもう一方的な日本軍のワンサイドゲームになってるのでまともな戦いというのもどうかなと
残党狩りになっちゃってる
一つ言えるとしたら武士以外の一般の
「平民」
の犠牲者は高麗軍がいなかったら確実に少なくて済んだろうということ
高麗兵士は壱岐島や対馬では略奪や虐殺ばかりしていて収拾がつかなかったらしいからねVIPPERな名無しさん | 2008.12.20(Sat) 06:08 | URL | No.350173 - 朝鮮人って普段雑魚の癖に、大国の傘に入った時だけ、でかい面して虐殺行為するよな。
しかも戦う力を持たない一般人相手に(日帝、ベトナム戦争時)。
ほんとクズだわVIPPERな名無しさん | 2008.12.20(Sat) 22:13 | URL | No.351056 - しかし「元軍」というのも、結局は先に滅んだ宋の北半分の兵なんじゃ・・・・
本物のモンゴル人はどこだ!?VIPPERな名無しさん | 2008.12.21(Sun) 20:24 | URL | No.351769 - 米980
モンゴルの対外遠征軍は、ほとんど征服された諸民族の混成軍だったらしいからね。日本に来た「元軍」の指揮官は、モンゴルで反乱軍を鎮圧したりしていたモンゴル人屈指の猛将ウルスだったそうな。
VIPPERな名無しさん | 2008.12.21(Sun) 21:30 | URL | No.351823 - ※980
>>977が読めないの?VIPPERな名無しさん | 2008.12.22(Mon) 02:26 | URL | No.352012 - 指揮官じゃなくて兵は??
指揮官がモンゴル人でも、結局「元」軍といっても、遊牧民特有の編成や戦術は取りえないんでないの。VIPPERな名無しさん | 2008.12.22(Mon) 08:40 | URL | No.352109 - 中央アジアを西進したら、そんな連中を引き連れてパルティアンショット!なんて事もあるかもしれん。VIPPERな名無しさん | 2008.12.22(Mon) 12:26 | URL | No.352156
- ※983
※977が読めないの?
VIPPERな名無しさん | 2008.12.23(Tue) 01:39 | URL | No.352511 - 結局「元軍」と言うのは指揮官モンゴル人の兵卒は漢人だろ。
まさか北部の漢人が全員南宋に移住したはずもない。VIPPERな名無しさん | 2008.12.23(Tue) 20:38 | URL | No.352833 - 元にモンゴル人も漢人も無いよ。同じ人間じゃないか。VIPPERな名無しさん | 2008.12.23(Tue) 21:45 | URL | No.352853
- そういうオチか?
それなら「同じ元人じゃないか」とするべきじゃないか。VIPPERな名無しさん | 2008.12.24(Wed) 12:21 | URL | No.353255 - どのみち西洋もその混成元軍にやられてるんだけどねVIPPERな名無しさん | 2008.12.25(Thu) 09:51 | URL | No.353753
- 西に進めば中央アジアで遊牧民国家の兵を吸収しながらになるから、より元軍らしい戦いが出来たんじゃないか?
人口では圧倒的少数のモンゴルに支配されてしまう宋人が主体の東征軍には、ちょっと負けたくないぞwVIPPERな名無しさん | 2008.12.25(Thu) 16:51 | URL | No.353837 - 遊牧騎兵って数が少なくても、そうそう勝てる相手じゃないよ。
ローマ帝国だってフン族に対して戦闘では勝ててない。物量や政治力にモノを言わせるしかなかった。
って、なんだって宋は勝てないどころか征服されてるんだという・・・・VIPPERな名無しさん | 2008.12.25(Thu) 17:29 | URL | No.353847 - そもそも日本にも騎兵は上陸しているわけだがVIPPERな名無しさん | 2008.12.26(Fri) 01:33 | URL | No.354008
- 意味あるほどの数だったか、運用はどうなっていたか、色々と疑問だなあ。VIPPERな名無しさん | 2008.12.26(Fri) 10:07 | URL | No.354056
- 遊牧系騎兵の強さって、優位な機動力で有利な戦闘距離で戦うってことに加えて、追われれば広大な原野をどこまででも退いていくような、疾さと身軽さにあるからね。そもそも上陸戦では強みが無いと思うぞ。元寇を撃退できても、日本からモンゴルに攻め込んで勝てるわけじゃないだろう。それは兵と民の性質が全く違うからしょうがない。VIPPERな名無しさん | 2008.12.26(Fri) 10:26 | URL | No.354061
- もし日本とモンゴルが陸続きだったら?VIPPERな名無しさん | 2008.12.26(Fri) 14:33 | URL | No.354160
- 幕末の西洋人はサムライにかなりビビっていたらしい。まあ、あんな巨大なカミソリのような刀でつけ狙われていたら怖いだろうな。
「日本素描」Edouard Suenson 1869年 「江戸幕末滞在記―若き海軍士官の見た日本」として日本で出版されている
「日本刀を完璧に扱える日本人は、刀を抜いたその動作から一気に斬りつけ、相手がその動きを一瞬の間に気づいて避けない限り、敵の頭を二つに両断することができると言われている。当然のことながら欧米人はこの武器を極度に危険な物と見なし、刀を抜きそうな素振りを見せた時にはその場で直ちにそのサムライを射殺しても正当防衛であるとしている。一瞬でもためらえば、自分の方が犠牲になるのは明白だからである」
「回想録」Algernon B. Mitford 1871年 「英国外交官の視た幕末維新」 として日本で出版されている
「我々の同僚であった通訳生は、昼も夜も彼につきまとう恐怖感で頭がいっぱいになり、公使館の門から決して出ようとせず、第九連隊の一団と大勢の護衛がいるにも関わらず、さらに防御を固めるためにアームストロング砲を二門本国から取り寄せてほしいと公使に懇願したのである。
ある晩、哀れな若者はそれ以上耐え切れなくなった。彼は仲間と一緒に静かに食事をして自分の部屋へ戻った。銃声が二度聞こえた。最初の一発が失敗したのは、手が震えたせいだと思われるが、その弾丸は天井から発見された。二度目が致命傷であった。自殺は伝染するというが、その週のうちに横浜で二度同じような事件が起きた」VIPPERな名無しさん | 2008.12.26(Fri) 21:40 | URL | No.354433 - いまだにアメリカじゃ忍者コスプレの男が学校の近くを通っただけで学級閉鎖とかあるからな。ちょっとビビリ過ぎじゃねーかという気もするがwVIPPERな名無しさん | 2008.12.27(Sat) 00:37 | URL | No.354535
- ※993
元の騎兵は少数でも強いんじゃなかったのかwVIPPERな名無しさん | 2008.12.27(Sat) 03:11 | URL | No.354579 - そんな話じゃないはずだが・・・・VIPPERな名無しさん | 2008.12.28(Sun) 03:59 | URL | No.355259
- このコメントは管理者の承認待ちです| 2009.10.16(Fri) 01:47 | | No.538552
- サムライは強かったんだろうきっと、だが今の俺らとは別民族つか別種族だったんだろうなきっと。VIPPERな名無しさん | 2009.12.02(Wed) 20:35 | URL | No.539680
- >>783
宣教師フロンソ・サンチェス
シナ人は自国のおびただしい人口に自信を持っているものの、
スペインのわずかな鉄砲隊で、
何百万人ものシナ人を滅ぼせるという事が理解できていない。
先年僅か13人の日本人の搭乗した小舟が一艘渡来し、
3000人以上のシナ人に包囲され、洞窟に閉じ込められたが、
彼らはそこから脱出するや、
直ちに多数のシナ人を殺してしまった。
シナ人は彼らを一昼夜に渡り包囲しながらも攻撃を加えることができず、
脱出した日本人は近くの海岸に行って舟を奪い、
それに乗って逃げてしまった。
シナの征服は日本人の軍事力を利用してすべきである。VIPPERな名無しさん | 2010.01.02(Sat) 06:35 | URL | No.540530 - このコメントは管理者の承認待ちです| 2010.04.15(Thu) 04:00 | | No.541687
- このコメントは管理者の承認待ちです| 2010.07.02(Fri) 19:37 | | No.541887
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建築、その変遷―古代ローマの建築空間をめぐって
2009/12/19(土) 15:21:48 | ロドリゲスインテリーン
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