第6回短編小説の集い「ブルーミンシンドローム」
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参加させていただきます。ぜろすけ氏運営多謝でございます。
毎度忌憚ないご感想おまちしております。
他の人のも読んで書いて読解力あげるぞう☆
お題「桜の季節」
タイトル「ブルーミンシンドローム」
文字数 3697字
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photo by shelbyursu
3軒隣のわこの首につぼみらしきものが見えはじめたのは卒業式が終わってそろそろ一週間のうららかな午後のことだった。
「ね?」
あるでしょ?と金色に脱色した後ろ毛をかきわけてわこはうなじのそれを見せた。ぼこぼこと節くれだったわこの頚椎左よこにある2つのそれはぱっと見、吹き出物のようだった。
私は顔を近づけてよく見た。たしかにそれは何かのつぼみだった。樺色の節の先端には膜が透け、その奥には若芽色が折り重なってなにかの準備をしはじめているようだった。わこのシャンプーの匂いがした。
わこは髪にそえた手をおろして膝を揃えたまま私に向き直り、改めて正座をした。いきおい私も足を正した。しばらく2人、そうしていた。
中学校以来で訪れたわこの部屋はもうすっかり何もなくなっていた。ベッドや衣装ケースは4月から暮らす部屋へ運んでしまったのだろう。畳の、それらのあった部分だけがまだほんのすこしだけたち香りそうな青さをかすかに残していた。
「どうしようきこちゃん、おっきくなってるの」
枯れ木のような体躯をさらに猫背に折りまげてわこは私にいった。どうしようったって、とりあえず、
「病院にいったほうがいいよ、あんたの東京行きが遅れても困るででしょ、あと」
金髪なおしたほうがいいよ、似合ってないから、と私はこたえた。わこはそうだね、と目を伏せた。
ぎぎ、とどこかできこえた気がした。
*
その次にわこを観たのは夕飯のNHKニュースでだった。
「あらあ和孝ちゃん全国ニューストップじゃない、すごいわね」と母さんは私の椀にごはんをよそいながらテレビを振り返った。
「なんでもね、からだから花が咲いちゃう病気なんですって。アメリカじゃもう何例か見つかってるんだけどね、日本では初めてらしいわよ。あらまー金髪だわちょっと。ほら見てよお父さんモデルさんみたいよ。でもまー美術系の学校だとあれくらいで普通なのかしらねえ」
私はたらの芽の天ぷらを箸でぽいと口の中に入れた。
テレビでは電極やらコードやらを身体のあちこちにつけられたわこがベッドに横たわっていた。つぼみはテレビ越しにも鎖骨のあたりにぷつぷつと目立つくらいになっていた。
私はわこに病院をすすめた自分と、テレビのむこうでなすがままにされているわことにほんのすこし腹をたてた。
「でもあれよねえ、なんか不安じゃない。物心ついたときから規子といっしょだったじゃない。和孝ちゃんひとりで大丈夫かしらね、だってあの子って」
「ごちそうさま」母さんのことばの続きを聞かず私はすくとテーブルを立って2階の部屋へ駆け上がった。
ぎぎ、ぎ。ぎぎぎ。
*
それからもう一度わこを見たときには、もうわこはつぼみどころか枝花に完全に視界を覆われていた。
わこはすきまから金髪が覗かなければわこだとわからないほどのていなのにのんきにスーパーマツミのビニール袋を抱えていた。もしかしてその頭で買い物に行ったのだろうか。
「あんた、大学病院で治してもらったんじゃなかったの」
私はわこのパーカの紐をひっぱると枝花をかきわけ金髪をひっつかまえた。わこはいたいいたいいたいいたいよきこちゃん、とからだを折りまげて、でも私の顔に枝がぶつからないように慎重に腰をおろした。近所のおばさんたちがちらちらと私たちのことを見ながら通りすぎていった。
とりあえず私たちは河川敷まで歩くことにした。
「だって、別に治んなくてもいいかなと思って」わこは枝のすきまから金髪を風にさらさらいわせながらこたえた。
河川敷沿いにはわこに生えているのと同じ枝の木々が並んでいた。
私たちの向かいから野球部員の列がじゃっじゃっと砂利を踏んでこちらにむかってくるのが見えた。ファイオー、ファイオー、と声をそろえながら走っていた。
野球部員はすれちがいざまにコンチャース、と声を張った。彼らからは湿った土のにおいがした。彼らのだれひとりとも目線はあわなかった。底がみえるほど浅い川の水面には空からの橙色がちらちらと反射していた。
「心因性のものなんだって。ストレスとか、心になんかかかえている人がにきびでたり胃潰瘍になっちゃったり、そんな感じ。出るのが桜ってだけで」
「それにしたってこんなに咲いたら邪魔じゃん。黒板だって見えないし、毛虫だってついちゃうよ。あんた彫塑どころじゃなくなるよ」
「たしかにいくら美大でも桜生やしてる人は少ないかもね」毛虫かあ、ふふ、ととわこは笑った。
なるほどよくみるとわこの首筋から伸びている枝花は桜だった。一様に薄紅色の花びらをふるわせてバリケードのようにわこの頭を取り囲んでいる。
わこはその中で、なんだか少し幸せそうな顔を浮かべて遠くを見ている。それが私にはまたなにか許せなかった。
「わこ、あんたなんだか変だよ。そんなのおかしいよ」
出そうと思った以上の強い声が出たことに自分でもびっくりした。それでも平静を装おうと大股の歩みはとめなかった。
砂利を踏む靴音が私ひとりのものになり後ろを振り返ると、わこがその場に立っていた。
「じゃあ」
「じゃあ規子ちゃんのいうおかしくないってどんななの」
わこの身体がいっしゅんわなないた。そしてふたたび弛緩し、いつもの猫背にもどった。
「そうだよね、おかしいよね、ごめんね」とわこは笑った。
道のむこうから前かごに子どもを乗せた母親の自転車がチリンチリン、と私たちにベルをならした。自転車は砂利をいくつか跳ね上げて通り過ぎた。土ぼこりが舞ったむこうに、わこは桜を揺らしながらずいぶん遠くを歩いていた。
ーーぎ。ぎぎぎ。
*
「本当はね」
わこが私にそううちあけたのはそれからしばらくした夜のことだった。
「つぼみが出た最初にわかってたの」
公園に行くとわこは街灯の下の自販機にしゃがんでコカコーラを飲んでいた。夜花見、と指をさすその顔はもうほとんど満開だった。
ーここいらもあるんだけどね、桜の木。咲くのいつもゴールデンウィークだもんね。ひと足はやくあたしだけ十分咲きだね。
そんなことを言いながら相変わらずわこはうっとりとしていた。
「なにがわかってたの」じれったく私はきいた。
「この病気の原因」わこはうっとりとこたえた。
「卒業式が終わってから家で泣いたの。そんで、ある言葉をぽろって口にしちゃったの。そしたらうなじの後ろでぎぎぎ、って音がして、あ、痛って思った瞬間にはもうぷちんて皮膚が破れる音がして、つぼみが出てたの」
わこはこちらを見たままうなじにすこし手をやった。でも私にはもうどこがうなじなのかわからない。わこが今どんな表情をしているのかも。
「で、ああ、これはこの言葉を言ったり思ったりしちゃいけないんだなって。そりゃ最初のうちこそ怖かったし嫌だったけど、花が咲きはじめたらなんとなくそういう気持ちも薄れてきちゃったんだよね」
「桜の花ってみんなほんとに同じかたちでおんなじ色なんだもん。ああわたしもこの中のひとつになれるのかなあって。そう思ったらなんだかすごく安心しちゃって。じゃあ一生桜のままでいるのもいいかなって」
わこはそういうと街灯の柱に手をやってぐるりと回った。そういえばわこの桜が咲き始めてからしばらくたつのに、こんなに動いているのに、花びら1枚落ちる様子もない。私はわこに訊ねた。
「その言葉ってなんなの」わこはぴたりと回るのをやめた。
「言っても言わなくても桜になっちゃったんだし、そのまんま生きるつもりならもうあたしに教えてくれればいいじゃん。そんでそのままとっとと東京でもどこでも行けばいいじゃんか」
私が吐き捨てるようにいうとまたどこからかぎぎ、という音がきこえた。みるとわこの枝が少しだけわななき、ぎ、ぎぎと軋みながらさらに伸びていたのだった。
わこはもういろんなもののバランスがとれないのか、足元にへたりと座り込んだ。わこは小さな声でいった。
「だって言ったら怒られるもん」
「だれに」
「きこちゃんいっつも怒るじゃん」
「もう怒んないから」
「しっかりしろって言うじゃん」
「言わないから」
「さ」
ぎい、とひとしきり大きく軋みの音が響いた。
「さみしい」
「きこちゃんと離れるのはさみしい」
そう絞るように声がでたかと思うと、しばらくして桜の中から、ひ、ひ、ひいいい、と、やはり喉を絞るような泣き声がきこえた。
私はわこに近づいて膝をつき、ふるえる肩を抱いた。ごつごつした肩だった。いつの間にこんなにも違ってしまったんだろう、と私は思った。
ううん、きっと最初から違っていた。私よりもわこがちょっと早く気づいただけで。
桜の中にいつまでもいたかったのは私。
「ひとりで東京にいくのはこわいよ。さみしい」
わこも私にしがみついた。あたしもわこと離れるのはさみしい。そう言葉に出すと涙があふれた。桜をかきわけてわこの顔を探すと、ぐじょぐじょのわこの顔がでてきてそれを見て私もまたぐじょぐじょになった。
私たちはしばらくそのまま抱き合ってぐじょぐじょと泣いていた。さみしい、さみしいとぐじょぐじょのまま、いつまでもおーいおいと公園で2人泣いた。
泣いているうちにいつの間にかわこの桜は枝ごと散って、脱皮した皮のように私たちのあしもとに落ちていた。