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なぜ日本の昔話にはゾンビがいないのか?雑文

少し前、知人が「日本には幽霊の昔話たくさんあるが、どうしてゾンビの昔話がないんだろう」という疑問をtwitterでつぶやいていた。

 

答えは簡単で、それは

 日本が仏教国だから 

なのだけれど、これについて夫婦で話してみると面白かった。

 

言われてみればたしかに日本にはゾンビの話がない。

逆に言うと仏教伝来前の日本にあった、古代神道における「黄泉の国」がいわばゾンビの国にあたるとも言えなくない。「黄泉の国」は、腐ってくちはてた姿の人間だった人たちが、ふらふらしながら以前と同じようにモノを食べたり炊事をしたりして生活している(らしい)。

 

ここで「ゾンビ」とは何かをいちおう定義しておきたい。

『ゾンビ(英語: Zombie)とは、何らかの力で死体のまま蘇った人間の総称である。ホラーやファンタジー作品などに登場し、「腐った死体が歩き回る」という描写が多くなされる。』

 

出典 wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93

 

ゾンビは基本的にアフリカの宗教である「ブードゥー教」などに登場するモノだから、ブードゥー教が入ってこなかった日本にはゾンビという概念が基本ない。

日本にはほんの40年ほど前まで土葬の習慣があった地域も多数あって、土葬だからアンデッド調のお話がありそうなものだけれど、こちらもやはりパッと思いつく昔話はないのである。

 

『日本霊異記』に見る甦り観

『日本霊異記』は景戒という僧によって編纂された平安初期の書物である。

これには各地の奇異な説話、仏法説話がおさめられていて、このような書物としては日本最古と言われているものだ。この中にいくつも「人が死んで、再び甦った話」というのが登場する。これがなかなか面白いので、簡単に紹介しよう。

河内の国に智光という聡明な僧がいたが、同時代にまた行基という高僧がいた。

天平16年(744)の冬、聖武天皇の信頼を得た行基が大僧正に任命される。それを聞いた智光は大いに嫉妬し、行基への嫉妬心を隠さないばかりか、ほうぼうに悪口を言ってまわり、あげく故郷の寺に引きこもってしまった。

智光は下痢の病となり、ついに臨終の床に就くが、弟子たちに『自分の遺体を燃やしてはならない。9日か10日、そのままにしておきなさい。そのままにしたまま法要をいとなんでほしい』と伝え、亡くなってしまう。

智光が死ぬと、すぐに閻魔王の使者が2名やってきて彼を連れて行く。見れば黄金の宮殿がそびえたっている。智光が「この建物はなんですか」と聞くと「この建物は行基菩薩がお生まれになる宮殿である。お前はそんなことも知らないのか」と言われる。

宮殿の前には2人の神人が立っていて、神人は智光を地獄へつれていくように使者に命ずる。智光を待っていたのは地獄での責め苦で、熱せられた銅の柱に抱きつかさせられたりして、肉は溶け、体も粉々になってしまうが、使者が「活きよ活きよ」と唱えればたちまち肉体はもとに戻る。

こうして3日間ずつ地獄の責め苦を受けた智光だったが、現世で法要が行われるわずかな時間のみ、地獄の苦しみから解放されるのであった。

使者によって智光はふたたび神人の前に引き出され、そこで行基を悪く言ったことによって地獄を味あわされたこと、そしてこの世界の火によって炊かれたものを絶対に食べてはいけないということを伝えられる。

はっと気がついてみれば智光は生き返っていた。弟子たちと泣いて抱き合った。

智光はのちに行基に会い、すべてを伝えて懺悔する。行基はおだやかに笑い、すべてをお許しになった。

 

『智者、変化の聖人を誹り妬みて、現に閻羅の闕に至り、地獄の苦を受けし縁 第七』日本霊異記中巻

 

この説話で興味深いのは、「9日も遺体を放置しておいてよく腐らなかったなぁ」というところと、「この世界の火で調理したものを食べてはいけない」と神人がさとす場面である。やはりここで、智光がなんらかの形でどこの世界ともわからない世界の火で調理したものを口にしていたならば、9日後の復活劇はなかったのだろうと思われる。

しかし9日間、遺体が腐りもせずにそのままであったというのは、説話とはいえだいぶ無理がありそうだが、そこはまるっと無視。けっこうご都合主義なのが日本霊異記だなぁという感じがする。

 

もうひとつ、復活譚をご紹介しよう。

 

 聖武天皇の時代、讃岐の国は山田郡に、衣女(きぬめ)という女がいた。

衣女はあるとき急病にかかった。そこで美味珍味の類のごちそうをたくさん用意し、神への捧げものとして奉っておいた。

そこへ閻魔王の使いの鬼が急いでやってきたが、鬼はへとへとになっていたため、そのごちそうを喜んで食べてしまった。ごちそうを食べてしまった鬼は衣女に申し訳ないと思い「おまえと同姓同名の女はいないか」と聞いた。衣女は、「鵜乗郡(うたれぐん)というところに同姓同名の衣女がいます」と答えた。

鬼は衣女を連れて鵜垂郡へむかうと、鵜乗郡の衣女のひたいにいきなり一尺ほどのノミを打ち立てて連れて行ってしまった。山田郡の衣女はこっそりと家に帰った。

閻魔王は、連れてこられた衣女が同姓同名の別人であることを見抜き、山田郡の衣女を連れてこいとおっしゃった。

そこで山田郡の衣女も連れてこられた。

閻魔王は、間違えて連れてこられた鵜垂郡の衣女に帰るように伝えたが、もうすでに3日ほど経ち、彼女の体は火葬されていた。

そこで鵜垂郡の衣女は閻魔王に「戻る体がありません」と訴えた。

閻魔王は鬼に「山田郡の衣女の体は残っているか」と聞く。かくして鵜垂郡の衣女のたましいは山田郡の衣女の体に戻ることとなった。

衣女は二つの家をもち、財産をもらい裕福となった。

だから鬼に功徳をほどこすのは悪いことではないのだ。

 

『閻羅王の使の鬼、召さるる人の餐を受けて、恩を報ひし縁』第二十五

日本霊異記中巻

 

 この話は、まさに平安初期ならではの「ちょっと待ってよ」と言いたくなる説話である。鬼への功徳をほどこしたのは山田郡の衣女であるのに、その体を鵜垂郡の衣女が乗っ取っている。なんの罪もないのに突如鬼にひたいにノミを打ち立てられて殺された鵜垂郡の衣女はじつに気の毒だし、体が荼毘にふされているから、赤の他人の体にたましいが戻らなければならないのだ。これは鵜垂郡の衣女にとってなんたる苦行かと私は思う。説話として何を説きたいのか、後世の私にはちんぷんかんぷんである。

 

この説話で着目すべき点は、「他者の体に別の人のたましいが入っている」という点で、それはもう別の人だろと私は思うのだが、体が腐ってはいないから「2人でひとつ」という都合のよい解釈で衣女は二家の財産をもらって普通の人として生きていっている。だが冷静に考えるとかなり怖い話である。

 

日本神話にはかなり細かくイザナミの体が腐った描写が出てくるのに、日本霊異記にはそういった描写がほとんどない。まるで遺体は腐らないかのような書き方すらされている。イザナミは、黄泉の国の食べ物を食べてしまった。黄泉の国の火で調理したものを食べてしまった。だからあのように腐ってしまったのか。復活することができなかったのか。キーワードは食べ物のようである。

 

腐敗への忌避感

以前、こんなエントリを書いた。

nenesan0102.hatenablog.com

日本人がどのようなことを恐怖に思ってきたかというのをざーっと書いた雑文である。

 

 ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、平安期に「九相図」という絵が描かれたことがあった。これはだいぶエグイので、ここで画像を載せることはしないが、美女が死に、その姿が朽ち果てていく様子をつぶさに描いた絵である。その変化の様相が「九相」であるので、「九相図」と呼ばれる。

一説には、僧侶の女人への煩悩をあきらめさせるためだとかいう説がある。また、仏教に流れる、肉体を不浄とする思想も含まれている。

「九相図」についてはこちらのブログが詳しいので、知りたい方は参照されたい。

japantemple.com

「九相図」をいまになって見てしまうと、「ああ、ここで動きだせばゾンビなのになぁ」などと思ったりしてしまうのだが、腐乱死体がいきなり何かを宿して動き出すとかいう話はやはり見あたらない。

その理由には、日本霊異記にも見られるように、人が亡くなるとすごい早さで閻魔王の使いの鬼がやってくる。それはもうかなりの早さである。そしてその人のたましいを連れて行ってしまう。

かりに死んでいても、人が動くためにはなにがしかのたましいが入っていなければならない。たとえそれが悪しきものであったとしても。

たましいが抜け出た肉体に、別のものが入るという概念が、当時の日本人にはほとんどなかったようだ。

 

遠丸立という人の『死の文化史』という本によれば、日本における火葬の記録は紀元700年に没した、僧の道昭という人が最古だそうである。だが、おそらくこの記録以前から火葬は行われていたであろうと推測している。古くさかのぼると、縄文時代の遺跡にも火葬と思われる跡があるそうである。それはやはり腐敗した死肉への忌避感情が根底にあることは明瞭である。

 

平安時代には火葬も行われていたが、「風葬」といって、遺体を野ざらしにすることも行われていた。「九相図」はこの風葬を描いたものである。

壇林皇后は、みずから風葬をのぞみ、帷子ノ辻に野ざらしにされた。朽ち果てて行くその姿をわざわざ絵師に描かせたと言われているが、これはあくまでも伝説で、本当のところはわからない。壇林皇后は大変な美女だったと言われているから、そんなにすごい美女で皇后にまで上り詰めた人物が、仏教への帰依により身をなげうった行動に出たというその衝撃が説話になったという見方が正しいだろう。

 

有名でないだけで、ゾンビの話があるかもしれない可能性

 

今回、私があたったのは『日本霊異記』『今昔物語』などで、平安期の各地の奇異珍妙なお話が多く載っている。『日本霊異記』はそれほど長くないが、『今昔物語』はおよそ1200編の話がおさめられている。これに『宇治拾遺物語』やらそのほかいろいろな物語、さらには室町〜江戸期などの書物を組み合わせると、物語は膨大な数となる。

私が知らないだけで、もしかしたらゾンビが登場するという話があるかもしれないのである。何かご存知の方がいらっしゃったらご一報いただければ幸いである。

 

 参考文献

 遠丸立『死の文化史』泰流社 昭和54年

 多田一臣(校注)『日本霊異記 中巻』筑摩書房1997年 

 ※本文中にある引用は筆者による略記である

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