Y-XYZさんが
ブログ記事で、この曲について書いておられた。
クリーヴランド管弦楽団を、ジョージ・セル時代この楽団の副指揮者を務めていたルイス・レーンが指揮した演奏について。
貴重な音源も拝聴した。
モーツァルトが主にザルツブルク時代に作曲したディヴェルテイメントは「喜遊曲」と訳されてきた。セレナード、ノットゥルノなど同種の曲とともに「機会音楽」とよばれたりもする。これらは、ソナタ、交響曲、協奏曲とは一線を画した、貴族など富裕層の式典やパーティの場で演奏されるべく依頼されたものが多いそうである。
従来の音楽解説では、これらは鑑賞用でないとの理由で、音楽自体も気楽に書き流されたかのように説明がされるのが一般的だったように思う。でも、どうだろう。良い演奏で聴くとき、そんな説明はほとんど意味をなさないのではないだろうか。
そもそもモーツァルトの生きた時代、音楽に、後の時代に言う純文学と大衆文学の違いみたいなものがあったとも、思えない。この時代の作曲家は基本、依頼者の要請にこたえて曲を提供する「業者」「職人」だったはずで、彼らはその出来にプロとしての名誉をかけて取り組んだにちがいない。ネコパパがモーツァルトの曲を聴いて思うのは、パーティ用だろうと儀式用だろうと演奏会用だろうと、どんな場合にも手抜きをせず、全力で作曲しているという手ごたえである。それは「ドン・ジョヴァンニ」序曲をたった一晩で書き上げたとか、「リンツ交響曲」を6日間で書き上げたとかいう逸話とは、殆ど無関係ではないかと思う。「即日納品」であっても品質は完璧、それがプロの仕事なのだ。ネコパパには、さっぱりできなかったことだけれども。
さて、レーンの演奏から思い出されたのは、ネコパパが初めて買った、このジャン・フランソワ・パイヤール指揮、パイヤール室内管弦楽団のLPであった。
1977年の新譜である。
レーンは上司であるジョージ・セルとは異なった音楽観の持ち主で、この作品をたっぷりと優雅に、情感を込めて演奏しているのだが、バイヤールもそれは同様である。
最近の演奏のように、各声部の独立性を強調し、合奏の純度を高める精緻さを求めず、むしろ細部のディテールを全体の響きに溶け込ませ、たっぷりとした音の帯を作り出す。こういう演奏スタイルは、シャープさと斬新さを旨とする近年の主流演奏に比べたら、もはや古い感覚と見られてしまうかもしれない。
しかし今回、久しぶりにこのLPを取り出して聴いてみて、ちょっと驚いたのは、この演奏が意外に熱を秘めたもので、あとに行くほど圭角を浮き立たたせ、音圧、勢いを増していくことであった。
第1楽章、第2楽章、そして有名な「モーツァルトのメヌエット」である第3楽章までは、演奏は比較的穏健で均質。
しかし盤を裏返して後半に入ると、音の彫りが一歩深くなったことに気付く。全6楽章中、ここだけが弦楽合奏で書かれた第4楽章の憂いを秘めた暗さ。第5楽章のメヌエットと鋭く暗いトリオとの鋭い対比。ここらあたりに来ると、前半と比べて音量自体が上がっているように感じるし、終楽章の追い込んでいくような盛り上がりにも凄みさえ感じられる。
つまりここでの演奏、パイヤールは多楽章のBGM音楽ではなく、終始一貫した一つの交響曲を演奏するような姿勢でこの音楽に立ち向かっているように感じられたのだ。
実はレーンの演奏も、これと似た傾向を持っていて、Y-XYZさんも「細かい表情の変化、突然の即興的な、意表を突くアイディアが生き生きと自己主張を始めている。曲の最後に来て、Orchestraが、完全に目を覚ましたようだ」と書いておられる。
レーンとパイヤール、立ち位置は全く違うものの、この曲を「機会音楽」ととらえてはいない点で、共鳴するものがあり、それはネコパパの耳にも静かな共感を生み出していく。
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コメント
http://www.hmv.co.jp/product/detail/14997640
になってるんですね~。モーツァルト…も入ってました。
パイヤールのディヴェルティメント第17番、RVCから単独でCD化(Erato)もされているようですが、私が持っているのは、BMGビクターからRCAレーベルで出た、バルトークのディヴェルティメントとカップリングされたCDです。
ライナーには、プロデューサー・黒川昌満氏の、Eratoレーベルとの仕事の思い出の一文が載っています。Erato側のスーパーヴァイザーはミシェル・ガルサン、エンジニアはピエール・ラヴォア、1976年11月、ノートルダム・デ・ローズ教会での録音、とあります。
ご掲出の録音風景は、当該教会の中でしょうか。
この音源は、RVC側が関わったのでワーナーに移籍しなかったんでしょうか。そういう音源がいくつかありますね。
> ここらあたりに来ると、前半と比べて音量自体が上がっているように感じるし、
> 終楽章の追い込んでいくような盛り上がりにも凄みさえ感じられる。
CDは表/裏というイメージがないので、今日 通して聴きましたが、あまりそういう印象は受けず(汗;;)…新調した DENON DCD-900NEがこの上なく甘美に鳴ってくれたので、軽い風邪の疲労感も手伝ってか、居眠りしちゃいました;;。
楽曲自体がしっかり構成されているとは感じました。
― では、よい新年をお迎えください。
へうたむ
2024/12/30 URL 編集返信いやあ、お持ちでしたか。私のLPには録音データがなく、こういう情報は大いに助かります。聴き方は人それぞれですが、「裏表の効果」というのも結構あったりして。SPレコードの組み物など聞くと、最初の1枚あたりは音量が弱く、2枚目以降は音圧を増してくることはよくあることなのです。
そんなのを日常聴いていると、耳も自然とそう聴こえるようになるという「錯覚」かも?
ところでこれ、ワーナーに移行していないんですね。知りませんでした。道理で、何となく忘れ去られたような感じで、YouTubeにも第3楽章しか上がっていないみたいです。残念なことです。
DENON DCD-900NE新調、ですか。それは羨ましいですね。こういう音源にはぴったりだと思います。
yositaka
2024/12/30 URL 編集返信