風雲ヒューゴ—賞2015

作品の中身より受賞歴が前面に出てくるのがイヤなので、普段あまり賞関連の話はしないのだけど、今年のヒューゴー賞についてはやはり触れておかないといけないと思い、遅まきながら概要をまとめてみた。こんなに真面目にヒューゴー賞の情報を追ったのは初めてかもしれない。

何が起こったか

今年のヒューゴ—賞の候補作投票で「サッド・パピーズ」「ラビッド・パピーズ」と称する2つの集団による組織票が多数の部門にわたって行われ、大部分が実際にノミネートされた。

小説4部門に限ってみても、長篇部門では5作中2作*1、ノヴェラ部門で5作中5作、ノヴェレット部門で5作中4作、ショートストーリー部門で5作中5作*2と両パピーズの推薦作が多く含まれている。

その他にも、映像部門、編集者部門、ファンジン部門……と影響は多岐にわたる。組織票の対象となった作品の一覧はこのサイトでまとめられている。

経緯

今回の組織票の首謀者は「サッド・パピーズ」を主導したラリー・コレイアとブラッド・トージャーセン、そして「ラビッド・パピーズ」を主導したヴォックス・デイ(セオドア・ビール)の3人と目されている。

2013年、コレイアは自分のブログで自作が毎年ヒューゴー賞に選ばれないことを切々と訴え、自作への投票を呼びかけた。「サッド・パピーズ」のコンセプトはこの時、サラ・マクラクランが出演する動物愛護のCMに出てくる悲しげな瞳の子犬を引き合いに出したことから生まれたと思われる。最近では作家がヒューゴー賞のノミネーション前に今年上梓した作品をブログに挙げるのは恒例行事と化しているため、この時点では特に不自然なことではなく、ある種の自虐ギャグだったといえる。

しかし明くる2014年、コレイアは「サッド・パピーズ2」と称したキャンペーンを開始する。ワールドコンの予備登録の段階から入念に呼びかけを行い、具体的な推薦作のリストを提示した。この時、デイも自分のブログで協力している。デイは前年、アフリカ系女性作家N・K・ジェミシンへの差別発言で非難を受け、アメリカSFファンタジー作家協会から除名されている。

このキャンペーンの結果、コレイアたちは小説4部門中3部門を含むいくつかの部門に推薦作を送り込むことに見事成功する。私も当時長篇部門に入っているコレイアのWarboundを見て、ベイン・ブックス刊行の、それもシリーズものの途中巻が入ってることを不思議に思った覚えがある。この件は大きな議論を呼び、結局本投票では「パピーズ」の推薦作が受賞することはなかった。

そして2015年、コレイアは再び「サッド・パピーズ3」キャンペーンを展開し、一方デイは「ラビッド・パピーズ」という別のキャンペーンを打ち出した。後者の推薦作は前者と被っているものの、デイが編集を務める出版社やアンソロジーからの作品が多々追加されている。

反応

4月4日のノミネーション結果公表以来、この組織票に対する批判の声が挙がっている。例えばジョン・スコルジーは適切な候補がいなければ「受賞作なし」の選択もあると示唆している*3し、G・R・R・マーティンはコレイアとブログで激論を交わした。各種マスメディアでも発表直後から取り上げられている。(一例としてGurdian、Salon、Atlantic、Slateなど)。

こうした注目が集まる背景には、単純に組織票による利益誘導を行ったというだけでなく、露骨な政治的文脈を持ち込んだことがあるだろう。元より差別的思想の持ち主であるデイもさることながら、コレイアやトージャーセンたちも自分たちの陣営を女性やマイノリティ作家に対置させている。彼らに言わせればここ10年間のヒューゴー賞が次第に文芸寄りになったのはSJW(=Social Justice Warrior ポリティカル・コレクトネスを尊重する人々に対する蔑称)が女性やマイノリティ作品を優遇したせいであり、それを本来の優れたエンターテイメントSFを評価するヒューゴー賞に反している、だから自分たちがそれを是正するのだ……という理屈らしい。

スコルジーはこうした一連の反動的な運動を、近年大きな議論を呼んでいる「ゲーマーゲート」的現象と捉えているという。*4

今後の動向

ノミネーション発表後、最終投票への参加権を持つ登録者は5月時点で3000人近く増加した。これらの票が「受賞作なし」やパピーズによる候補作以外に集中すれば受賞を阻止することは可能だというが、その3000人がヒューゴー賞の危機に立ち上がった心あるSFファンなのか、パピーズの増援なのかはなんとも分からない。ヒューゴー賞最終投票の発表は8月22日。*5

一方、2年続けて組織票を許した以上、もうヒューゴー賞自体がダメだと言う声もある。しかしそこで投票システムの方をより公正を目指して改良しようと提案するのが、暗号学の泰斗にして近年政治への積極的なコミットで知られるブルース・シュナイアーだ。シュナイアーはトーの編集者ニールセン・ヘイデンのブログを借りてこうした投票システムのアイデアを募り、その後その中で暫定案がまとめられたりしている。まだほんの構想の域を出ていないものの、自分たちの賞を自分たちで立て直そうとするSFファンの気概を感じさせる。

*1:当初は3作だったが、そのうちマルコ・クロウスが辞退し、繰り上がりで劉慈欣がノミネートされた。そんな男気あるクロウスの邦訳『宇宙兵志願』はハヤカワ文庫SFで絶賛発売中!

*2:これも当初ノミネートされたアニー・ベレットが辞退したが、繰り上がったスティーヴン・ダイアモンドも組織票の対象作だった。

*3:それでいてパピーズ関連の賞をすべて落とすというような対抗キャンペーンには反対しているところも、スコルジーらしいバランス感覚といえる。

*4:「ゲーマーゲート」はゲーム業界における差別や偏見に基づく中傷や脅迫が顕在化したもので、最近ではSWATを気に入らない批評家の元に送りつけるまでにエスカレートしている。

*5:会場となるワシントン州スポーカンとの時差は16時間なので、日本では23日と思われる。