卑弥呼、死の謎。
日本史の中でいまなお浪漫を掻き立ててやまないのが邪馬台国であろう。
その位置についても北九州説と畿内説に分かれて、いつ果てるとも知れない論争は興味深い 。
当時の倭国は文字で歴史を記す文化がなかったことと、
唯一邪馬台国について書かれた「魏志倭人伝」も、
現在読まれているものは3世紀に書かれた原本ではなく、
それから800年以上にわたって何度も書き写されたテキストだという。
たび重なる書写の段階で書き誤りや書き落としは大いに考えられるし、
それでなくても文章の通じないところや、つながりのよくない箇所が見られ、
資料としての信頼度は高くないと言われるようになった。
中でも「郡より女王国に至る一万二千余里」から始まる邪馬台国の記述には、
編者の勝手な創作が入っているという。
これでは邪馬台国の位置が特定できないのは当たり前であろう。
このあたりのことは、古代史を愛好する方々のほうが詳しいだろうから、このくらいにして、
今日は卑弥呼の死因について面白い説を読んだので、かいつまんで書いてみようと思う。
ILLUSTRATED BY NANTEI
卑弥呼の存在はこれまでの研究から疑いのないことだが、
その人物像は明らかになっていないし、
またどのような死を迎えたのかも謎のままである。
なんでも女王国と対立していた狗奴国(くぬこく)との大規模な戦争の後、死亡したらしい。
倭人伝には「卑弥呼以って死す。大いに冢(ちょう)を作る。径百余歩、徇葬する者、奴婢百余人」
と書くのみだから、年老いて病死したと推測する説、
戦乱中に戦死したと憶測する説などがあり、一定していないのである。
その中で異彩を放つ説がある。
卑弥呼は○害(さつがい)されたというのだ。
ご存じの通り卑弥呼は鬼道に仕える巫女であり、
その卓抜した呪術の力によって、
混乱した邪馬台国を治めさせようと女王に推戴されたのだったが、
巫女の権威は神秘的な力があってのものである。
多分狗奴国との戦争は劣勢のまま推移したのではないだろうか。
そのことは卑弥呼の霊力が衰えたためと、部族の長たちは考えたに違いない。
霊力が備わらない巫女を元首に戴くのは、逆に国家へ災いを及ぼす。
そこで族長たちは卑弥呼を害したのだという説である。
巫者が部族を治めていた時代、世界の各地でこのような例が見られるという。
イギリスの社会人類学者ジェームス・フレーザーはその著書「金枝篇」で、
呪術者であり魔術者でもある祭司的王の力が衰弱する兆候があらわれはじめると、
すぐに王は害されて、活発な後継者にその地位が移るのである。
それは長老や民衆の要求であった。
バビロニアでもインドでも北イタリアでも東南アジアでも中南米でも、
ハワイでもそれがあった。
と書いている。
卑弥呼の死もまさにこれに当てはまるのかもしれない。
なぜなら女王国と狗奴国との戦争は倭人伝によると、
「魏の出先機関である帯方郡の使者が女王国に檄を作って告諭した」とあることから見て、
不利な戦いだったことが予想されるからである。
このように文物の存在が乏しい古代史に迫るには、
周辺資料の精査と優れた推理力が求められる。
「邪馬台国」関係の著書が愛好者を魅了してやまないのは、
推理小説にも劣らないスリリングな説が生まれてくるからであろう。
テーマ:雑学・情報 - ジャンル:学問・文化・芸術
九州かねえ 大和かねえ
いつまでも 続く わからんことだらけの 卑弥呼さん
こそっと教えてほしい 本当のこと!
- 2025/01/12(日) 16:34:49 |
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- 小紋 #-
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こんばんは。
永遠の謎解き・・・
諸説ありますからねぇ~
個人的には、それらを基にした様々な作家による小説で楽しんでいます。
- 2025/01/12(日) 19:25:47 |
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- こすずめ #-
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