月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「ウトゥクシク、ナリタイナ」

 ある晩、もう二十三時くらいのことだ。
後輩のアートディレクター(以下、AD)が喫煙室に入ってくるなり、イライラした様子で煙草に火を点けて、大きなため息をひとつ吐いた。
「どうした?」
 先輩の僕は一応声をかける。
「もうムチャクチャっすよ。ポスター作ってるんですけどね……」
 彼はあるお菓子メイカーを担当していた。
 
「グレープ味新発売のポスターなんですよ。一番上に『グレープ味新発売!』って書いてあるのに、下の方に丸囲いで『NEW!グレープ味新登場』って入れろって、クライアントが言うんですよ。書いてあるやん! って」
「うん、アホやな」
 
 こんな時間までやっているということは、今日が入稿日で、印刷会社との約束の時間はとっくに過ぎているのだろう。もしかしたら、色校正の段階まで進んでいるのに、色彩や明度とは無関係の修正指示が来たのではないだろうか。
 
 広告業界のデザイナーなら誰でも経験のある腹立ちだろうと思う。
 僕はデザイナーではなく、コピーライターだが、ポスターや新聞広告など平面グラフィックを制作する際は、文字担当のコピーライターと、デザイン担当のアートディレクターやデザイナーと組んで仕事をするものなので、憤りは共有している。
 
 彼は日本最高の芸術大学をトップの成績で卒業して入社してきた人間である。ご想像の通り変わったところのある人間で、少し不遜な性格をしているが、この業界で能力のある人間は大体奇人か不遜か、その両方の資質を兼ね備えているものだ。
 僕は会社を辞める時に、仕事仲間からこう言われた。
「ショータさんは電通(あ、書いてもうた)でやっていくには、心がキレイすぎますよ」
 これはもしかしたら、「あなたはここでは通用しない」という意味の婉曲表現なのかもしれない。しかし、心がキレイで、人を疑うことを知らない僕は、褒め言葉として素直に受け取った。
 仕方ないじゃねえか、オレを育てた親に言ってくれ。
 
 ADの彼は、おそらく物心ついた頃よりデザイン方面に興味を持ち、スポーツもすることなく、大した遊びにも手を出さず、モテもしない青春時代を送ったことだろう。美術館やアート関連の分厚くて高価な本に耽溺し、デザインの腕を磨いて芸大に入り、セオリーを学び、成績を伸ばし、iMacの前や布団の中でデザインとはどういうことなのか考え続け、それで食っていこう、あわよくばそれで何かの役に立とうと思って、就職試験に通り、会社に入ってきたのだ。
 入ったら入ったで、途方もない実力の上司や先輩がたくさんいて、自分に不安を抱きながら、なんとか成果を出さないと、とプレッシャーを感じて仕事に取り組んできたはずだ。何年か経ってどうにか手応えのようなものを感じつつ、三〇才を迎えた春のこと。どこかの文学部出のおっさんに「『グレープ味新登場!』と同じ平面に重複してレイアウトせよ」と言われる。
 
 怒るわな。
 
 僕は能力はないがただ不遜な人間なので遠慮なく書くと、僕が電通を辞めた理由は、その仕事の構造が、「患者の指示に従って治療を行なう医師」のようなものだからだ。そんなものが成立するはずがない。
「手術が必要ですね」
「嫌だ。痛い」
「では、この薬を一日三回飲んでください」
「嫌だ。三回も飲めない」
「では、この強い薬を一回飲んでください」
「嫌だ。ニガい。でも治してや」
「……」
「ほんでな」
「なんでしょう?」
「安せい」
 
 ネットで見た情報で、「デザイナーに最も必要なものとは」という質問に対する現役デザイナーからの答えがこうだった。
「体力」
 付け加えるなら、「耐ストレス性」もあるだろう。体を壊す前に心を壊してしまう人間のなんと多いことか。
僕は心はキレイなのだが、変に強かったので、精神を病むようなことはなかった。ただそこを去ることになった。
 
 音楽でもアート作品でも文学でも、世に出たものは批評の対象となって許されるべきである。
 この前、友人と食事をしていて、僕たちはモーターサイクルで来ていたから、ノンアルコールビールを頼んだ。
 出てきたパッケージを見て僕はのけ反った。

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「何回『ゼロ』、『ノンアルコール』って言うねん!」
 いち、に、さん、し……五回だった。
 しかも、POP(Point of Purchase)のように
「ドライな飲みごたえUP」
「クリーミーな泡!」
とまで缶に印刷されている。
「これ、デザイナー泣かせやなぁ」
「仕方なく、入れさせられた感ありますね……」
 僕と、同じ業界の友人にはそれがヒシヒシと伝わってくる。
 デザイナーのため息が聞こえるようだ。
 
 コンビニの限られた棚を奪い合う熾烈な競争は、我々の想像を超えたものなのかもしれない。だから缶がそのままPOPの役割も兼ねる必要があるのだろう。
 それはわかった。しかし……。
 試しにハイネケンでも、クアーズでも検索してパッケージを見てほしい。
 美しいから。何回も同じこと言う電車の車掌みたいな顔つきしていないから。
 
 ウトゥクシイクニ、ニッポン(安倍首相、すみません)。
 
 この国では、デザイナーにはデザイナーとして最高の仕事を求めることはできないのだろうか。
 でも、日本においてはハイネケンよりもスーパードライの方が売れるのだから、誰も疑問は持たないのかな。
 ん? グローバル化ってなんだっけ?
 ※ハイネケンは世界三位であるハイネケン社の代表ブランド。二〇一四年の時点で、アサヒは十位。
 
 アサヒ・ドライゼロだけの問題ではない。これは日本の随所にある「ダサさ」の問題だ。
 

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  こんなもの飲む人間の気が知れない。
 コンビニ店員の声によると、こういうものを買う人のほとんどはすでにデブなのだそうな。そういう何かに頼って楽にヤセようとする心性がデブ特有のものなのだ。
 こんなに大きな「特保マーク」を見たことがあるだろうか。特保マークをデザインしたデザイナー本人ですら「エヘヘッ」って照れ笑いするだろう。
「脂肪の吸収を抑え、排出を増加させる」とは、飲む時点でもうウンコのサイズ感について考えながらよく飲めるな、と僕は思うのだ。まず摂取を抑えろよ。
 なんでも求めようとする強欲ドリンク。
 
 こういうのを飲む人間が、「値引け。安せい。もう一個付けろ。タダで付けろ。ほんで、早く届けろ。送料もタダにせい。指定の時間に一分でも遅れるな」と要求してくる輩なのではないか。
「喰いたい。ガマンしたくない。飲みたい。もっとほしい。なんぼでもほしい。でもヤセたい」と言っているわけなのだから。
 どうなんだい、このデブ野郎!
……もはや誰に怒っているのかすらわからなくなってきた。
 
 ペプシの名誉のために、力強いこちらも載せておこう。
 

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 スーパードライは僕が一番好きなビールの銘柄だ。

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 今さら企業に阿るつもりはなく、本当にそうなのだ。
 
 日本を愛するひとりとして、ジャパン・プロダクツにはカッコよくあってほしいんだ。
 研究するプロ、醸造するプロ、描くプロ、販売するプロ。
 明日こそは、プロがプロの仕事をできますように……。
 
補遺:このコラムは拙著『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな』に収録され、毎日新聞出版から刊行されました。
笑えて泣ける一冊です。