ご挨拶 さて、休止と言いつつ、早速方針が決まってきました。 相変わらずのスピード疾走ぶり。 全然吟味して考えていません。 気分の方は、先週の週末にかけて、大展開があったりして、まあやはりカタルシスが来ました。 けれども、カタルシスの後は、人は結構気分が上昇するものです。 そういうわけで、私の心の中にがちっと覚悟が決まり、背筋を伸ばすことができるようになりました。 今後も落ちたり上がったりです。 人生とはそういうものですし。 けれど、とりあえず自分は前進のみしていきたい。 駆けることをやめても、歩くことはやめられないんですね。 ここで最終段階の愚痴や迷いを書かなかったことは良かった。 できるだけそういうテーマに集中しすぎずに、平常に過ごすことで自分を救ってきました。 仕事があること、義務があることをありがたく思っています。 また、皆様のコメントにも大いに励まされました。 ありがとうございます。 さて、私のライフログにもありますが、影響された書籍に、アメリカの著名な女性人類学者、Helen Fisher著の独「Anatomie der Liebe」、英「Anatomy of Love」、日「愛はなぜ終わるのか」と言うものがあります。 日本語のタイトルは、何とかして欲しいです。売るためでしょうか、こういう題目をつけるのは? 愛の解剖学の方が、よほどこの本の内容にふさわしい。 リンクは: http://www.amazon.co.jp/%E6%84%9B%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B%E2%80%95%E7%B5%90%E5%A9%9A%E3%83%BB%E4%B8%8D%E5%80%AB%E3%83%BB%E9%9B%A2%E5%A9%9A%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%84%B6%E5%8F%B2-%E3%83%98%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BBE%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC/dp/4794205082/ref=pd_cp_fb_1 ここに、離婚と言う項目があります。 何度も読んでいますが、未だに納得することばかり。 自分自身の背景と言うだけでなく、社会学的に見ても興味深いので、一部を私が理解した範囲内で要約して、これまでのブログの総括とさせていただきます。 結局、夫婦関係の問題について、語ってきたブログですし、私のようなステップファミリーの形態もこちらでは珍しくありませんが、やはり実験的な部分もあった。 なので、参考にできる例や、経験がないまま、自分でも模索するように歩んできたため、そのテーマが一番の主題となってしまいました。 本当はハッピーな日常を書く予定だったのですが…。 そういうわけで、こういう形で締めくくることに関連性があると理解し、勝手に締めくくらせていただきます。 ではでは、 もっと詳しく読みたい! #
by momidori
| 2009-09-21 00:42
| 巡る思考
もうボヘミアンにはおさらばしたい。
っていうか、私はボヘミアンにはなれない小心者。 ボヘミアンに囲まれておびえる小心者。 で、このブログ、タイトルを変えないと、と悩みつつ、未だに方針が決まりません。 毎日Sean LennonのアルバムFriendly Fireを聴いて、過ごしています。 あれが一番今の気分に合っているし。 彼とYoko OnoをTwitterでFollowしているし… なにしてんでしょうか! でも、Yokoは結構つぶやいています。 で、試験的に、健康的にこっちにもう1個作ってみました。 だって、エキサイトは、過去のお話が満載。 それとは関係なく、試験的で…。 よろしければお立ち寄りを… まだ、FC2に留まるかどうか決めていません。 http://monmidori.blog72.fc2.com/ #
by momidori
| 2009-09-20 08:34
| 日常
週末返上で仕事していると、惨めさが募る。
末っ子をお使いに連れ出したのがやっと。 肩が凝って眠れない。 何度も起きてしまう。痛くて痛くて、姿勢を見つけられない。 特許ばかりやって慣れてきたけれど、やはり集中力がいる。 体が、だから凝るのだろうか。 アイポッドで耳に栓をして、一気に訳していく。 確認に確認を重ねて、用語を登録していく。 腱鞘炎になる。 頭が機械化する。 で、お昼になり、夜ご飯になり、お腹をすかせた子供たちが喧嘩を始める。 で、とっても落ち込む。 かわいそうって。 料理のときだけは、きちんと集中しようって、手際よいものを作る。 一生懸命、オーガニックな野菜を買っている。 それでも、掻き込むように食べてPCに向かって、仕事を続ける。 やはり12時ごろになると、体が発狂したようになってくる。 貧乏ゆすりをしないと座っていられないとか、動かないでいることができなくなる。 其れが終わりのしるし。 ワインを飲んで寝る。 そういう生活をして、今までブログに書いたものを読むと、耐えられない気分。 こんなの、誰のために書いているんだろうって。 本当は、誰に対しても優しい気持ちで接したい。 なのに、そうしたら傷つけられるんじゃないかとか、損するんじゃないかとか、邪悪に満ちた不安に襲われる。 一生懸命なだけでは、ダメで、自分には、それ以上に必要不可欠な、Weisheitみたいないわゆる賢さが大きく欠落しているのだと思う。 とにかく、今は、何かを書くときではないと思う。 もっとずっと後、私がまた気持ちよく書けるときがくるだろうと思う。 書くことなら、永遠に語る様につづっていられるけど、それが惨めな気持ちへ誘い込むようなことは、書くことこそ癒しという私の趣旨自体を壊すことになるし。 個々で一旦、私はブログの更新を中止します。 また、いずれ書き始めると思います。 どういう形で、どういう方針で書くのか、おそらく其れにあんまり差はないと思うけれど。 そのときまで、皆様もお元気で優しく生きてください。 #
by momidori
| 2009-09-13 07:38
| 巡る思考
なんというか、なぜこうもあっという間なのだろうか。
さっさと4週間弱が過ぎ去り、さっさと帰国の日が迫っているではないか。 今回、帰国してから、本当に充実していたと思う。 割とすぐに家族と旅行に行き、帰宅後は、姪たち、子供たちと東京でぶらぶらした。原宿は、娘と一緒に、大学受験を控える姪に案内してもらい、後日息子も連れて行った。 姪と息子と娘の三人で原宿へ行った際、娘がどっかのサロンモデルになってくれと声を掛けられたらしく(交差点でよくある「あれ」ですよ)、その後再び私は娘と二人で原宿に出向いて、娘が写真を撮ってもらうのを眺めたり、色々と質問されたりと、不思議な経験もさせてもらった。二回も出向いて、写真撮影のほか、社長ともお会いしたり、色々と進展したようだったのに、まっ、日本在住ではないので、サロン専属に使えないということになった。まっ、あいつはもともとそんなタマではないので、それほど本気になんかしなかったが…。 あとは、家にこもりっきりで、ひたすら日本のスーパーを研究し、毎日買い物に行き、食事を作って楽しんだ。 日本に暮らす練習をしているようであった。 先週は、兄がここ15年ほど参加している音楽祭に行き、私のかつての恩師にも会えたし、懐かしい面々にも会えたことは嬉しかった。 が、なにより、日本の景色、山々、水、人々、そういった夏のすべての風物詩に感激し、日本の奥深さをかみ締めてきたことが、一番の収穫である。 木曽を訪れたことは今までない。 私の祖父が、疎開文化人として、木曽に住んでいた事実もあったのだが、今までまったく訪れる機会がなかったのである。 幾つかの宿場も観光し、ぐずり続け、文句を言い続ける餓鬼らをあやしながらでも、行った甲斐があったと思えた。 気がつくと、どこに住もうか、このマンションはいくらか、いつ帰ってこようか、子供の学校はどうするか、日本語をやらせないと、ドイツ学園がほうがいに高い、などなど、恐ろしく具体的な日本帰国計画に取り付かれていると言う始末である。 そういえば、母の友人をたずねて鎌倉にも行った。 思う存分、家族関係の古い知人を訪ね歩くことができた、今回の滞在でもあった。 鎌倉五山のご住職の「奥様」をしているその「おば様」は、昔から強力である。 発言が、恐ろしいのと、そのドスの聞いた声が、誰をも怯えあがらせるのである。 「あんた、好きで行ったんじゃないの。何で今更帰ってくるのよ!」 しかられたみたいな気分になって、まあその、とどもっている私である。 帰国希望の理由を問われても、自分の中では明確な答えがあるのだが、答えるとなると、これがいっこうにうまくできない。 二時間くれれば、相当詳しく話せるが、一言では言えないのである。 単に、「ここで、死にたいですねぇ、下女に使ってください。」などと言ってごまかしているが、それも理由のひとつであったとしても、それで済むような簡単な答えではない。 せみの声が、日本の緑深い山が、すみませんと言って歩いているような買い物ですれ違うおばさんたちが、電車で居眠りをしているサラリーマンが、ビッグカメラの騒音が、そういったものが皆、そろって私を呼ぶのだ。 結局、子供の頃に染み付いた五感の記憶が、呼び起こされて、年々強くなって、私に帰って来いと誘惑し続けている。 JRに乗っていると、嬉しくなる。誰も私を見ない。私は、車中になじみまくっている。私は、こんな変な人間であるが、気に止める人は全然いないらしい。 日本人なんだアタシ、と嬉しくなってしまうのである。 これが、リラックス。 ドイツでは、カチカチに緊張して市電に乗っているのか、と言われれば、そうではないんです。 だから、なんでも説明が難しい。 別にじろじろ見られているばかりと言うわけでもないし、不快な思いばかりしているわけでもない。 けれど、私は基本的にリラックスして生きたことはない。 前夫がいても、生活一般の責任は、すべて私が背負わねばという義務感でつぶれそうであったし、今の夫といても、こちらは経済的に、一切自立を強いられる、強力し合えないと言うプレッシャーがすごい。やはり、どこかで過酷な運命に足を突っ込んでいる感じはある。 それを求めていったのが留学であったし、「楽器」より、「音楽」を学びたかったし、そうすると、音楽→人格→生き様、という環ができる。 で、生き方を過酷にして、人格を形成し、鍛えないと自分はダメだと言う意識があったのだと思う。 そうでなかったら、いくらこの私でも、もう少し結婚に現実的な人物を選んできたであろう。 最も自分を鍛えるのに適していた最初の夫の下に、居座れなかった私が、そもそもいけないのであるが、それは、これ以上やったら死ぬというところまでやると、自分にしっかりい聞かせ、自分と契約を結んだ後、本当に生きるか死ぬかの問題になるまでやったと言い切れるので、後悔はない。 けれど、あれ以来、やはり道を見失った感はある。 その過酷(人より不幸とか、人より苦しかったとかいうことではなく、人生の波として、やはり荒波と言うべき道ばかり好んで選んだと言う意味で。私は苦労とか苦悩などの度合いは、人のものも、他人のものも一切比較しないことにしている)な人生を、40を過ぎて、そろそろ方向転換させたいと思っているのではないだろうか。 そう考えると、帰国ということが、ごく自然に理解できるのである。 日本人が、日本に住んで、「なんで?」と聞いてくる人はいない。 リラックスするということは、楽をしたいのではない。 ぜんぜんそうではなく、未だに苦労、と聞くと、武者震いするほど、苦労に惹かれてしまう私である。 そうではなくて、闘争ばかりしている自分のもう1つの反面で生きてみたいと言う好奇心だ。 ガッツのこぶしを握って、わけもわからず留学し、卒業するまで何度となく挫折して涙を流し、卒業後は、帰国か残るかで大きく悩み、その後は結婚か、自立かでのた打ち回り、三人できたものの、山と谷ばかりの結婚で、内容の密度はすごかったが、心身の消耗も激しかった。 そのご、夫婦の闘争を続け、離婚し、自立に向けて、子育てとの狭間で、それこそ何年ものた打ち回り、新たな恋に癒しを見つけたと思ったら、これがまた闘争相手に最も適していると言う按配で、全然ガッツのこぶしを捨てることができないのである。 未だに、夫とも、自立とも、さらに革新的なジェンダー論の闘争にも巻き込まれてしまったような形で、こぶしを振り上げているのが、私の自分に対するイメージである。 もっとリラックスして、と他人に言われたからできるというような、そんな簡単なものではない。 ヨーロッパでの、私のテーマは、闘争なのであって、日本ではできないから、そちらに行ったのが宿命であったのだ。 で、そろそろ、帰国したいのである。 この夏でちょうど20年。 日本で、社会人生活をしたことがない私は、人生の半分をヨーローッパで過ごしていると言うのに、というか、だからこそ帰国したいと思っている。 日本で、しっかり社会人としてやって見たい。 闘争とは違った形で、自分の闘いの精神ではない一面で、もう少し優しく、もう少しリラックスして、もう少し違った自分を伸ばしてやりたい。 そうなると、住む場所・大陸を変えるということは、必然とまで思えるのである。 今回の帰独も、前回に増して、文字通り「痛い」出来事だと思う。 年々、飛行場での苦悶が大きく深くなるばかりである。 帰ったら、いつもの生活が、私の気持ちのよいフラットで始まる。 それなりの幸せもある。 仕事も友人もあり、リズムがある。 それでも、体は、もう闘っていきたくない…、と絶叫し続けているような気がする。 巷で言う普通の結婚をしていないからこう思うのか、幸せな結婚をしていても、こう思うのか、その辺はわからない。 でも、夫がいて絶対に帰国できない、と言った悩みがないだけありがたい。 夫よりも、子供たちの父親の方が問題である。 彼に痛い思いをさせて、私は、やはり帰国できないのではないかと、それを考えれると、めげるのである。 子供は父親を必要としている。 私には、子供からも、父親からも、誰かを奪う権利はない。 子供たちが自立に向かう当面、つまり、少なくとも5,6年は帰国できないと言う計算になるのである。 それで、また落ち込んだり、胃痛がしたり… という、まったく混沌とした心の中なのである…… #
by momidori
| 2009-08-26 01:57
| 巡る思考
先日の風情に続いて、再び帰国心情について…。
帰国してまだ日も浅い。 しかし、この蒸し暑さと時差による寝不足で、身体の不調を感じることもしばしばである。 帰国後すぐ、母が体調を崩し、夏バテから医師の世話になる事態に陥った。 私のサル餓鬼のせいではなかろうかと、一瞬心配にしなる。 しかし、サル餓鬼も成長したとはいえ、私も考えさせられる、というか自分の限界を感じ、この先を不安に思うことが多い。 子供たちの喧嘩が、彼らの疲労とも重なって激しくなっている。 雄ザル二匹 VS メスザル一匹 というパターンに決まっているのだが、殆どはそれぞれのオス一匹対メスという形になる。 暑い中(私はクーラーを毛嫌いしている)、火を使って夕食を作りサルどもを呼び寄せても、食卓で喧嘩、食事に文句というのは、私の心を激昂させる。 しかし、不思議なことに私が叫び、叱咤したところで、その効き目はゼロに近い。絶えず叱り、絶えず文句を言うので、効力がなくなっているのであろうか。 そんな甘いことではない。 決定的に私の肩を持ってくれ、一緒に威厳を持って叱る、父親の姿がないからである。 実際の父親には、尊敬すべき点が数多くあるのだが、子育てなんて丸でできない人間であった。 ママに起こられたかい、可愛そうに、などど言ってしまうような人間であった。 今は、多少変わったかもしれないが、相変わらず、イタリア人だからなのか、彼がそうだからなのか、子供を厳しくしつけるということができない。 今の夫と暮らしていた頃は、叱ってくれたのだが、子供との愛情関係にまったく深みがなかったため、子供が彼の尊厳を認めようとしなかったし、彼自身の怒り方も、感情に任せてここぞとばかりに憂さを晴らすような叱り方のときもあった。 それが出てくる一因でもあったわけだ。 しかし、男のいないあていで育てることはよくない。 特に、男の子供達は、男親なしに、調教できない場合もあると実感する。 私の餓鬼どもは、餓鬼・サルの呼び名にふさわしく、しつけ不可能のような動物である。 私一人の手に負えないのがわかるので、とても責任を感じ、不安を感じ、未来が怖い。 母親として、自分を責めることもあるが、基本的には義務をこなしている。育児放棄などしたことはない。 わたしの母親としての能力は人並みであるが、父親不在で、オスを育てる、しっくり来ないという感覚は、日々強まるのみである。 食卓で喧嘩など、私の父であったら、張り倒された。 喧嘩など、父の前ではできないという緊張感があったのだ。 私のサルどもには、一切緊張感がない。 私の怒声を聞こうが、何をしても許されると心底信じきっているのである。 ________ こんな話をするつもりではなかった。 夕食、家族で卓を囲み、おいしいものを食していると、突然腹の底から、じわりじわりと湧き出してくる孤独感に襲われる。 孤独というより、言いようのない寂しさ。 この寂しさは、オキシトシンと関係があるのだろうか。 昔、子供たちに母乳をあげていた頃、その刺激が脳に伝わると、脳下垂体からオキシトシンが分泌され、それが伝達されて乳が出るという仕組みを繰り返していたわけであるが、このオキシトシンは、何か心にツンとした寂しさを湧き起こすのである。 この寂しさと殆ど同様な感覚を日本滞在、特に家族と食卓を囲んでいるときに覚えるのである。 両親との限られた時間を思うからであろうか。 それとも、この言いようのない平和が、言いようがないからこそ壊れたり、失うのが怖くて、そこから出てくる不安感の表れなのだろうか。 いくら考えをめぐらしてもわからないのである。 そんなに具体的なことではない。 でも結局、「限られた時間」という絶対的事実を抑圧することで、それが無意識に蓄積された結果、こうして、思わぬ状況に、ふっと黒雲のように表層に湧き出てしまうのではないかと結果付けた。 動かし難い事実に対して、人はまったく無力だ。 時間に逆らうことは私にもできない。 それに対する答えは、ただ一つ、抑圧とそれを意識することを果てしなく引き延ばしてしまうことしかない。 よって、心の平衡を保つために、無意識はこうしてちらちらと意識させるという意地悪をやってのけるのであると思う。 この寂しさの発作を二、三度経験すると、このまま就職活動をして、何もかも捨てて、居残ってしまいたい衝動に駆られる。 事実である。 しかし、同時に、私の生きている感覚が、完全に子供と私だけという個になっているときがつく。 ことごとく、夫という意識がないのである。 非常に心が痛む。 嫌いとか、大切ではないということではない。 故郷とか家族の意味がなかなかわからない。 血縁家族と一度切って、新しい家族を築くのが結婚である。 それを切れないという自分がいるのかと、ハッとする。切れないなどと想像もしないような私の生き方である。 自ら切っていったのだ。 しかし、それは物理的なもので、私は物理的に夫とつながっているが、精神的な故郷は、やはり血縁家族なのであろうか。 あるいは、それがこの五感の故郷とつながっている根っこであるために、いつまでも哀愁をもって思い続けてしまうのであろうか。 その辺が未だにわからない。 アダルトチルドレンさながらである。 __________ そして、今晩、ピアノを弾いた。 いつものごとくバッハを弾いた。 突然沸き起こる感情があった。 そして、その感情に、自分で驚き、恐れをなしてしまったほどだ。 私は、心に痛みが走るほど、ヨーロッパを恋しいと思った。 文字通り、私の欧州での生活を愛しく思い、私の彼の地での生活を懐かしく思い出した。 帰りたいというのではない。 恋人を思うように、欧州にただならぬ深みを持った理解と愛情を感じたのである。 不思議な感覚に包まれ、私はそれ以上バッハを弾く気はしなかった。 人生の半分を日本で、そして半分を欧州で過ごしているという分岐点に来ている。 2つの故郷が入り混じった、不思議な感覚を覚えたのである。 何もかも捨てて、日本にとどまってしまいたい。 という強い感情と、 胸が締め付けられるように、欧州の空気と光と自分の生活を愛おしいと思う心。 一日に何度も、色々な角度からの寂しさ発作の襲撃を受け、私自身、どうしたらいいのかわからない。 何を決める必要もない。 物事は、流れるようにしか流れないとはわかっているものの、どちらに希望を傾けることもできなく、なにか両方から鎖で縛られているような、妙な束縛感を覚えるのは、初めてである。 この先、どのように私の心は変化していくのであろうか。 #
by momidori
| 2009-08-06 01:07
| 旅
|
by momidori
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