何もやる気が起きない

たまに、突然に謎のやる気で包まれて、やりたいことを書き出して、アレもコレもと一つづつ手を出して、そのうちに徐々に熱意は発散していき、最後には何も残らず負の感情だけがぐるぐるとしているときがある。今がそれだ。

自分には、こういう時に、「思ったことを全部書き出す」ってのを、定期的にやってしまう癖がある。これはそういうテキストで、そしてそれを公開することを、あまり恥ずかしいとは思ってはいない。少なくとも、今このときは。

最近の悩み

自分が好きなこと、得意なことをやるのは、やる気が少なくていいけど、コストが低いけど、それじゃいずれ、次の波にのれなくて死んでしまうのではないか。そう感じることがある。

そもそも好きなことと思っているのは、本当に好きだったんだろうか。得意と本当は好きは違うけど、自分がそれが一致しているのは、自分が他人より優れていると証明したいだけだから、得意なことだけに逃げ続けているのではないだろうか。

自分は趣味と仕事を一致させている。それは、逆に言うと自分が興味がないことに対しては、一切気力を維持することが出来ない人間だと自覚しているからだろう。

幸いにも自分の趣味は金になるので、その能力を売りつけて生活しているわけだけど、それはこの時代の限定的な状況がもたらす一過性のものではないのか。そそもそも自分がその趣味に熱心にできること自体が瞬間的なものではないか。そしてそれを嫌いになることを何よりも恐れているのではないか。

世の中には例外がたくさんあると同時に、同じぐらい平均化されてる。 世の中の人間は、自分の能力は平均に収まらないとアピールしないといけない。自分は平均ではないと、みんな思いたがっていて、同じように、あくまできっと平均的な振る舞いとして、自分も例外を目指しているのだろう。そしてそれを徐々に諦めるのが、平均的な人生なのだろう。

自分が他の人間ができて、当然にできることをできないのは、自分を特殊な存在だと思ってもらいたいがための演出をしたいがためなのではないか。僕は環境に甘やかされてきたのではないだろうか。それはたぶん、正しいのだろう。いろんなものをいろんな人に押し付けてきた。それができるようになる為に、人にできないことを、よりできるようになろうとした。そしてそれは一部では成功した。

ここ数年、いろんな出来事が比較的自分に有利な方向に流れていて、それで色々と楽をしたと思う。

今は居心地がいいけど、それだけをやっていてはダメだ、視野を広く持たないと、あらゆる物にそう説教されてる気分になる。例外的な立場を得るには、例外的な能力が必要で、僕は未だその域ではない。そういう認識がある。

時間が経つとわからなくなってくる。自分の選択は正しいんだろうか。強気な時だったら、俺がその選択を俺自身で正しくするんだ、とでもいうだろう。今はただ弱ってる。一時的な状態だとは思う。

少なくとも今この瞬間は、何もやる気がおきない。テキストを書くことは、とにかく、気力がなくても時間さえあれば出来てしまうから、こうやって身も蓋もないテキストが作られてしまうんだ。こんなものは弱音のマルコフ連鎖でしかない。

ただ時間を潰すのに、このテキストを書いた。