境界から見る景色

はじめましての気持ち

今ここ、の介護と、今後の➕α




介護施設に入居して

母も楽しみ始めた、矢先に


いきなり圧迫骨折💧で


施設の仕組みと、母のニーズに

ズレが出てしまった💦


この状態になるのは先かな?と思っていたのに。


介護施設に入居したのに、全く託せなくて

毎日、介護施設に介護に出掛けるという・・・


コントのような日々。



母は、今、施設の仕組みを享受できず

必要な、ケアも足りない。


見守る仕組みも、足りない。




これじゃ、お金を払っている意味がない・・

とまでは、言わないけれど。


かなり高額な施設なので


母の状況とは、今ひとつマッチングしなくなっている感じです。


割と体調が安定している方が

充実して使える施設なんだね。


とりあえず


入居までは、何でもやります!みたいな

言い方で信じちゃったけれど


入ってみて


ケアを増やしてゆくのは


ブザーに依存していて

色んな理由でブザーを押せない入居者は


安定的なケアは望めないの。


責任を持って見守る仕組みが無いので(担当制とか無い)


相当、放っておかれるはず。

それをよしとしているのね。


今は、圧迫骨折だから

まだ治る事を想定して

私もフォローして頑張るけれど


これ、私の仕事がもっと変化した後だったら


施設を変わるしかなかったわ。



入居者に対して

施設の担当がいるか、居ないかは


すごく重要かも。


あえて、その仕組みを外しているとしたら

そこにも、施設側の意図があるんだなと


思って正解だと思います。


施設は責任を分散させるメリットを取っている訳よ。入居者にとってはデメリットしか無いのだけど。


まぁ、


1人で、母を抱えていた時に比べたら


そりゃ、もう、今の方が

何十倍も、ありがたいから


流してしまいそうになっていたけれど


お金を支払っている母の目線を忘れずに


あれ???と思う違和感に対しては、


そのまま感じていなきゃ!と思った。




母にも、


「この施設が母に合わなくなった時は

移る事もあり得るからね!」という事を


伝えている。


最初、伝えた時は


母は今の施設が気に入っているので、

呆けた振りをして理解する事を抵抗されたけど


今日の、(え?ナースが施設に居ても、これすら!?サポートされないの?)と、いう事が判明して


母もやっと「医療サポートが脆弱ね。」との言葉。判断できたんだね。


私も「そうだね。でも、どうしても、ここのケア体制では間に合わなくなったら、ここにしがみつかずに、施設を変われば良いんだよ。」と、


同意を取れた。


母もやっと理解したみたい。


本当は、母の納得を(姉対策で)

証拠動画に残したかったけど。





あぁ、介護は続く・・・


手がある程度離せる時は

あの施設を出て、


次の施設に行く時がもし、来たら


だな。




まぁ、


それでもいい。




ワン・ステップには最良の施設だった。


施設に対する母のイメージを変えてくれたしね。



それに、ここで

人生を終える事ができる未来だって


あるだろうし。


色んな想定をしておこう。


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自宅マンションに帰ってきて


ホッとして眠る。


崩れ落ちるように。




去年の夏から母の介護がタイトになった。


母が肩を折ったのもあるし、

呆けも1段階進んだ。


私に対して、呆けたふりして?

姉と共謀してした事を棚に上げたまま、


何の謝罪も言い訳もせず。


母も、自分だけ一抜けして言い訳出来ないのでしょう。自分が認めたら姉を裏切る訳だし


まずは母の性格上、自分がした事を謝ったら認める事になるのが何より怖いのでしょう。失敗を絶対に認めない人だったし謝った事がない人だったから。父の死の直後から、あり得ない姿で逆ギレしてまで抵抗し、そのまま今に至るのです。


なのに


自分は変われない、

変わりたくないけれど


自分達が犯した事で

変わってしまった現実を

元に戻したい


普通の人なら


ここで、変わるんですよ

私と亡き父に懺悔して


自分のやった事の責任の元に

関係を修復しようとするのが

尊厳ある生き方だし


もし、どうしても

そこまで出来ないのであれば


この変わってしまった人生を

受け入れるのも

消極的で狡いけど

一つの懺悔かもと思います。


傷つけた相手を

気持ちを考えてそっと見守るとか

自分がいる事で苦しむなら離れる、とか。



でも、母は


姉と同じ種類の屑なので


介護は、させて (もう1人では暮らせないのに、自分は出来ると言い張っていれば、私が勝手に介護をしている事になるから、いつもその姿勢で。)


自分は棚に上げたまま


現実を変えさせようと


「何故、私と姉は仲良く出来ないのか!?」と


私さえ無かったことにしたら、という

恫喝の心が抑えきれなくなって


何度も 私を踏み躙った。



今まで、人生でずっと

これを受け入れてしまったから


自分の人生も多くのものが奪われて

化け物は変化しないで、そのままだった。


でも、もう戻らない。


父とのお別れまで踏み躙った人間は

許さない


それでも母を捨てきれない自分の中の想いと


どうバランスを取れば良いのか


ずっと苦しんだ。





その度に、コロナの後遺症を引きずったまま


母と血族への対応で、鬱っぽくなっていったのだと思う。


日常は必死に、こなして。


でも はっきりその頃から、


後遺症も重なって過眠傾向だったなぁ。(私は鬱っぽくなると、不眠ではなく過眠傾向なのです。)




それが


年始の姉とのLINEバトルで超・悪化💦



介護から


自宅マンションに帰ってくると


まず、眠りたい・・・

うずくまりたい・・・


トゥクトゥクの(神経波磁力線)スイッチを入れて

抱きしめて、気絶するように仮眠をとった。


その後、遅くにやっと夕飯を作る日々だった。


でも、


幸せのハードルが低い私は


お布団に潜り込めるだけで、

心からの幸せを感じた。


父の終末の在宅介護や、

年末の母の付き添い介護で、

ほぼ、眠れなかった、あの日々を思えば。


そこに渦巻いていた悪を捌きながら

孤独に、決断を続けたあの日々を思えば。



凄く、幸せを感じた。




ただ、最近、




この幸せのハードルが低い自分に

あえて、疑問を呈している。



ハードルが低い部分を自分も利用して


私は、逃げてはいないか?


満たされない想いに向き合うことや

新たな変化を呼び込むことや

自己犠牲で片付けてしまう自分から


私は、逃げてはいないか?


と。



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姉には、かなり言いたい事を

LINEで書き切りました。


いや、全然


足りないけれど

最も、届け!と思う事は書きました。


心の 温度差が無いように。


罵倒する口調で、あえて書きましたが

それにも理由がありました。


姉が、自分の立場を履き違えている事を

はっきり感じたから。


7月の義兄の母親の葬儀で感じた姉の空気からの

姉についての判断は、1ミリも間違っていませんでした。


(息子も一周忌であった時にそう判断していた。やっぱ息子鋭いわ)


姉は都合よく (自分はもう疑われていない。呆けた母がやった事だと、私も結論づけるしかなかったのだろうし!私は母の為にやったのだし!)


という立ち位置の「振る舞い」だと、分かったから。


母さえ、罪悪感を利用して自分の味方に付けておければ


それで充分誤魔化せる、と思っているのが見えたから。


アホか。


ふざけんな。




はっきりさせる意味合いでも


私の中にある、


姉への、一年半の 怒りと呪いが


きっちり誤魔化されず伝わるように


思いっきり上から目線で

アンタ呼ばわりの「スレた口調」で


罵倒させていただいた。



そして、暗黙のルールだった

家族のルールを私は捨て切っていたから。



姉は相当衝撃で怒りに震えたはず。(それがすでに狂ってるんだけど。)



一年半、


姉に、


思えば何も言わなかった

問い詰めなかったのは


あまりに苦しすぎたから。


父との今生の別れを、

姉の欲望に利用され、


踏み躙られた苦しみの


その、沈黙を




やった本人である姉が、


一つも思いやれず

勝手に都合よく解釈できるって、


心から、キモい。


私は一年半、苦しむ間


これ以上( 密接に過ごすしかない母も屑だったから )屑と話す気力が、余裕が、なかっただけ。


精一杯だった、だけなのに。



自分が踏み躙った相手の心すら

全く想像する事がなかった姿に


心から、驚愕したし


私がどれほど家族の中でゴミ箱だったかを

痛感した。




でも、もう一抜けた私は


やるなら、やるよ。かかってこい!


と、思っている この気持ちを伝えたかったし、




父の死後、初めて


私の『怒りを通り越した何か』、が


多少、姉に伝わったのでしょう。




本当に、姉は、狂っている屑でした。

(サイコパスなんだって。)



今頃、


私が誤魔化されていなかった事に驚愕し


罵倒された事に、悶絶しているでしょう。


逆恨みに、燃えているでしょうね。


そういう気持ち悪い人だったよ。




でも、それも、姉の人生。



私は、今、姉に対して


「私の役目はやり切った」ぐらいの感覚でいます。




もう、これ以上、


私の境界を侵してこないなら


どうだっていいと思えます。



幸せになってもいいし


不幸になってもいいし


本当に、どうだっていい。




そういう人生もあるんだなぁと

解釈できる自分もいるし


誰よりも多分、

姉の人生の分析もできるし


情もあり、理解もあります。



ここから、姉が

良き方向へ行く事があるのなら


どうぞ。


私がもう興味も関係も無いけれど


もし、私が、幸せへの

そのステップの1つだったとしても


それでもいいと思います。



ただ、


ただ❗️❗️❗️


自分がした事の自覚も持たずに

どう私を踏み躙ったかも、想像もしないで


反省も謝罪もなく


私に「関わって来る」なら、別。


ふざけんな!(この言葉も何度も書きました。)





とことん、ありのままに、


矛盾をついて


突きつけます。


必要なら裁判だって。


そうやってやり切る事が


私にも、姉にも


必要な事。


それが不動明王さまの愛で、


加護なのよ。






自分の「恥」を自覚しない人は


切れてくれない。


何も無かったように擦り寄ってくる。


ストーカー体質ってそういう事。




自分の恥すら、ない事のように振る舞えば


誤魔化せると思っているの。


いや、誤魔化したいの。




何もなかったかのように

接してくるのが、そういう人の特徴です。


そうして


中には、仕方がない、と受け入れてしまう人の


優しさと、弱さを利用して


のうのうと


自分の業を、背負わせてゆくの。





恥を自覚したら


切れるしかない「縁」がある事を


まともな人、


自分の責任のもと


生きている真っ当な人は


自覚するのよ。




もう遅い、


自分の責任で手からすり抜けた「縁」が


ある事を悟るのよ。


受け入れるのよ。


ジタバタ出来ないって悟るのよ。




それが成長だし


まともな境界で

まともな人なのよ


そこから、何かを学んで


恩送りで


返せない恩や、懺悔を 

自分の心に据えて


痛みを持ち堪えて

自分の人生に生かして、生きるのよ。





それが


絶望的に出来ない人の

人生に想いを馳せたわ。








今回、姉のキチガイ振りを

LINEで感じただけで


姿が目に浮かんだ。


どんな様子か。





そして、悲しいかな


物凄く、父を感じた。


そう、この空気、父だった。




普段は父も一見温和で良い人に見えて、

皆んな騙されるところも


同じだったな。


でも、父には


私は、子として愛はあって

苦しみながら許し、受け入れた。




でも、私は

姉には、愛はないの。


それが現実なのだから。




人としての尊重はしてきたし

配慮もして来た。


十分過ぎるほど。


アンタの悪は

アンタが持って

勝手に生きろ


これ以上、


境界を侵して関わってくるな!



という想いと宣言を


絶対に、姉に侵させません。





そんな事を


ぼんやり


考えている昼下がりです。

お試し

今日は仕事でした。


その打ち合わせが

うちが管理する物件のカフェだったんですが


そこで流れていた音楽が

ちょっとメランコリックな曲調で💧


心が


一定方向へ 


はっきりと引きずられました。


良いのか

悪いのか


母を思い出し、

哀愁を感じ、切なくなりました。


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私は、アホなので


たった一曲で、心が持っていかれる人間です。


水に流してしまう人間でした。



ずっと

ずっと


こうやって、


なかった事にして

流してしまってきたのです。




人に話せば


そんな家族で、よくやってるね

と言われる状況しか


我が家には


ありませんでした。



例えば


ここに書いている姉の所業も


傷ついている自分も

呪っている自分も

絶望している自分も

◯を願っている自分も


嘘じゃなく


あるのに




年始にあんな事があって、


私がお不動さんのように、

渾身の怒りを込めて

伝われ!と吐いた


数々の真実と、罵倒に


一つも嘘はなく

真実を差し出しただけなのに


姉に、どこかに情があって

私の怒りを受けた姉に「悲哀」を感じている自分がいるのを


感じてきました。



いつも受け取れない場面から

逃げ続けた父を


姉の中に、感じたり・・・


それを感じた事で


また、あの世から、父が姉だけを擁護しているような・・孤独な感覚にもなったり・・・


逝った父と死後に向き合って、ありのままに吐露し、怒り、謝罪して、懺悔した後に、父を許した分


姉にも、それがリンクしてしまって・・・

心が 微かに揺れていることを


年始に姉とバトルした後からも感じていました。


本当に私は、阿呆なの。




姉は相変わらず恥知らずな人だったし

私に対しても、配慮もなく踏み躙ったのに。


私は阿保です。




でも、もう、同じ事は繰り返さない。


自覚しない人は、

許しては駄目だったの。


流しては駄目だったの。


許し時、と

許され時、というのが


あるのです。




とある人に


あなたの宿命は「愛」の人で

それで人を深く救いもするけれど、

駄目にする事もあるのよ、と言われた時に


あぁ、なんか分かるって


瞬間で思った事を思い出し

戒めにしています。




こういう気持ち、


元に戻りそうになるような心を

刺激される瞬間は


必ず訪れる。


大きな変化の前には、必ずやってくるの。


これをクリアできなかったら

また同じ場所に戻るのです。



今回は、


私の心を刺激したものが

優しく、音楽だったから


払いのけやすかった。



宣言。


私は、変わります。


流されない。





あなた達のすべき事を

私が、背負うのはやめました。


自覚しなさい。


ありのままをみて

自分で、自分を持ち堪えなさい。


それが


今世に生まれた人としての責任なのよ。

真言

不動明王さまの御真言


ノウマク サンマンダ

バザラダン センダ

マカロシャダ ソワタヤ

ウンタラタ カンマン


もっと短い御真言と

もっと長い御真言もあるけれど


私は、これ。


毎日、お守りください、と唱えています。




私の不動明王さまとの出会いは


家族への絶望と怒りの中で、


たまたま、葬儀場であるお寺で出逢って


不動明王さまのお心・在り方、選択に

共鳴したからなのだけど


皆んなはどうやって出逢っているんだろう?


だって、


一見、お顔は怖いじゃないですか。


それなのに、多くの方達に 大人気の不動明王さまだと今更ながら知って←オイ


皆は、どんなきっかけで 不動明王さまに出逢ったのだろう???って、思ったりした・・・




煩悩を自覚して?



そうだとしたら、


その人達は、救われる未来しかない、幸いの人


煩悩を自覚して祈るって・・・


もう、その道に乗ってるって事だもの。




親鸞もキリストも同じかも?


親鸞が

「念仏を唱えれば成仏できる」と説いたのは

安易な人気取りではなくて


駄目な自分を自覚はしたけれど、色んなものに雁字搦めになって抜けきれず、同じ事を繰り返しもがいている人達への、救いの説法だったと思うの。


諦めてしまわない為の、支えだったんだと思う。


もう少し 深く読むなら


その説法があって初めて、駄目な自分を受け入れようと勇気を出せる人達を、その言葉で鼓舞し、眼を覚まさせる意味も


あったでしょう。


キリストの

求めよ、さらば与えんも

似たような事かなって思ってる。


とにかく


先に進むには


本人の「自覚」っていうのがとても重要なのよ。


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私は


親鸞の「教え」に救われたと言うより


自覚を持った後に出逢って


その説法で人を救おうとした、「親鸞の存在そのもの」「心」に救われたの。


それを説いた頃は、今よりずっと縛られた価値観と、固定概念だらけの世の中だったでしょうし


多く否定や妬みの批難もあったでしょう。


でも、見えていたんですよ。親鸞には。

苦しんでいる、たくさんのピュアな魂が。


やらねば、と

どれほど孤独に決断し、実行に移したか。


それをするのだ、と突き動かされた、


親鸞の衝動の中に


愛をみました。




時空を超えて、


人の存在の在り方と、心に

救われた気がしたのでした。


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不動明王さまとの出逢いは


怒りと、憤怒の様相で

叱り、縄で?引っ張り、剣で?断ち切ってまで


堕ちてしまった魂を悪から救おうとしている


不動明王さまの像に触れて


その心に、共鳴したからでした。


不動明王さまの怒りは 「私だ」、と

思った事がきっかけでした。



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親鸞やキリストは


自覚、がキーな気がします。


親鸞は、優しい言葉で、自覚を鼓舞していたかも知れませんが、


声が届く範囲の人達のゾーンは

キリストと似ていたと思います。




自覚があるならば 救いようが、あるのよ。


ある意味で、もう救われているも同然だもの。

あとは、時間の問題。




でも、


自覚する事も巧妙に拒み(色んな方法があるのですよ。)


闇に堕ちてしまっているけど、全く自覚がない存在を


何とかして救おうと関わっているのが、

不動明王さまなの。


あぁ、私だと思った所以。


家族を捨てきれず、


ずっと私が、想ってきたことだったから。

父の葬儀の場は、それが極まった場で


どっちを選ぶかの、境目だったから。




結局、不動明王さまの存在を自覚して

支えられて、母を捨てる選択には


なりませんでした。


でも、あの時にあそこに不動明王さまがいなかったら、違ったかも。





今回は


今まで通りではなく


半分は今まで通り

半分は自分も尊重する道を選びました。


絶縁が悪ではない事も知りました。


後は、姉を、神に委ねます。


私はやり切った。


なので、姉の逆恨み、執念からお守り下さい・・・なのです。


初めて祈る対象を得ました。


1人で、生まれた時から受けて耐えてきたもの、を

助けて下さいと祈る気持ちになれたことが


嬉しいのです。


1人で耐えなくていい


孤独が減って、ありがたい事でした。




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自分の中の


煩悩?と言われる


心の闇、

狡さ

黒さ

弱さ

醜さ


これらに向き合って、


受け入れ

自分の心と

選択を変えてきた時は


ただ、「今、ここに。」生きる事を

人生の指針にしてきました。


神や仏にすがる事はなかったの。


私の中にあるはずの、


良心にすがったのです。




何ものか、(神のようなもの)  は


私にとってはシンクロニシティだけ、でした。


タイミングが教えてくれる

奇跡が教えてくれると、


信じていました。





その漠然としたものに


姿形を、


初めて見出したのが 


不動明王さまでした。





私は、私の方法で


大切に想っていこうと思います。