09
クーリングもそれほど功をなさず、夜になって熱が上がった。夢と現の狭間を行き来しているうちに、翌日になっていた。問題解決の糸口すら見つけられず、手をこまねくことすらできなかった。
「見つかったらしいぞ」
窓の外から、いやにはっきりと聞こえたそんな言葉に、イスラの心臓はビクンと跳ねた。
聖なる森、人狼、巣穴、ねぐら――見つかったのはリロイの家だということを疑いようのない言葉ばかりが、とぎれとぎれに聞こえてくる話の中からピックアップされて耳に飛び込んでくる。
酸素マスクはまだ着けられているようだ。呼吸を補助する機械なのだろうが、着けていると息苦しい感じがする。
イスラは閉じていた目を開けた。何時間眠っていたのか分からない。自分が眠っていたかどうかも定かではない。窓の外は明るく慌ただしかった。今の状況がどうなっているのかを知りたいが、その願いを叶えてくれそうな者は誰もいなかった。
ジャレッドは昨日あの後、セントビクトリアへと出張にでていた。本来なら明日帰ってくる予定だったが、一日切り上げて今日の夜遅くにはレイクシャーロットに戻ってくるそうだ。何かの商談があるのだとすると、かなりの強行軍だということになる。
イスラはこの幼馴染に無理はしないように伝えたが、彼はその言葉を一笑に付した。戻ってくるのは、イスラのためだけではない。今のこの状況で、レイクシャーロットの町を長く離れるのはフェルベック商会にとってプラスにならないからだそうだ。
だがイスラは黙って頷くしかなかった。ジャレッドの気遣いに安心したのも事実だ。
彼の言葉がどこまで本当か分からない。
人狼狩りが始まるかもしれないと聞いたとき、イスラ自身自覚できるほど動揺した。あのみっともない姿を見ては、ジャレッドが心配するのも無理はないだろう。
窓の外の声はまだ続いている。リロイは捕えられたのだろうか。イスラは窓の外の声に神経を集中させた。
声は、その主の興奮度合いによって大きくなったり小さくなったりしていたが、やがて遠ざかって行った。
リロイはまだ捕えられていないようだ。彼らの話を総合してイスラはようやくそう結論づけた。
人狼の巣だとか人狼のねぐらだとか、形容するために人狼という言葉が使われていたが、リアリティをもった人狼そのものが会話の中に登場することはなかった。それどころか百年前の人狼――アレンが登場する始末だ。
リロイの家が見つかってしまったのなら、イスラが嘘を吐いても意味がない。ならば後は、ルールを守ればリロイは危険な存在ではないと、レイクシャーロットの住民たちにどう説明して理解してもらうかだ。百年前の悲劇を経験しているこの町では、人狼に対してアレルギー反応が強い。反発は必至だろう。
百年前の悲劇により近い年齢層の者ほど、人狼とは極力関わりたくないと思っている。もし、人狼が本気で抵抗すれば、犠牲者は一人や二人では済まないことを分かっているからだ。一部の血気盛んな者だけが、人狼狩りに勤しんでいるのだろう。
教会で居候させてもらっているだけの元孤児で現何でも屋の発する言葉が、どれだけ受け入れられるだろうか。もしかすると、戦いを好まない住民たちからは、消極的にでも受け入れられるかもしれない。だが、法を犯せばレイクシャーロットの住民すべてに責が求められる。
法を犯せば――なら、法を犯さなければいいのだ。
住人が人狼に危害を加えられたときは、人狼狩りをしなくてはいけない。それが法なら、危害を加えられたのが、住人でなければいいだけだ。
イスラは体を動かしてみた。昨日は指一本動かすことすら苦痛だったが、何とか体は起こせそうだ。
結局この事態を引き起こしたのはイスラだ。キーラのことは小さなきっかけに過ぎない。イスラがケリをつけるべきだ。
イスラは酸素マスクを取ると、のろのろとベッドの上に起き上がった。ポンコツになっている体のそこらじゅうが軋む。イスラを繋げているチューブがたわんだ。
クラリと眩暈がして、イスラは手で目を覆った。
視界が暗転した。
病室の外が騒がしかった。
イスラは微睡みから目を覚ました。枕に頭を付けたまま窓から外を見ると、すでに日は落ちてしまったのか、薄暗い。
再び酸素マスクが着けられていた。
病室の前では何やら押し問答がされているようだ。
イスラと話をさせろと一人は言い、もう一人はまだ無理だと答えている。両方の声に聞き覚えがあった。
イスラと話をしたがっているのは消防団のシュミット、止めているのはロイだ。
「話を聞きたいだけだ。あいつが何にやられたのかをな」
「それが無理だと言っている。まだ熱が高い。意識もはっきりしない。そんな奴と話をして意味があるのか?」
シュミットの苛ついた声が、ロイの冷静な声の後に続く。
「意味があるかどうかは俺が決める。イスラを庇うつもりなら、お前からも話を聞かせてもらうぞ」
ロイが扉を隔てても分かるくらい深いため息をついた。そんな場合ではないことは分かっているが、思わず頬が緩む。
「話をさせないとは言っていないだろう。少し待てと言っているだけだ」
「少しってのはどれくらいだ?一時間後には話をさせてくれるのか?それとも明日か?どうなんだ?」
興奮気味に言い募るシュミットと、言い含めるように話すロイの温度差が面白い。彼らの話題の中心が、自分でなければもっと面白かったのに。
ぼんやりとした意識のまま、イスラは病室の扉から窓の外へと視線を戻した。
今はロイの好意――単なる職務上の倫理かもしれないが――に任せることにした。自分が下手に口を出すと、余計にややこしくなる。ロイにも余分な手間をかけることになるかもしれない。それならば、黙っていたほうが賢明だろう。
目を閉じる。周りの声がクリアに聞こえた。
「そんなことは分からない。話せるようになれば連絡する」
「こっちは急いでるんだ。そんなのんきなこと言ってられるか」
シュミットの剣幕から察するに、リロイの家からイスラに関する何かが見つかったのだろう。基本的に、リロイの家は狭いので、私物を置かないようにはしていたが、あり得ないことではない。イスラは八歳のころから、もう二十年近くもあの家に通い続けているのだ。最後に訪れたときも、こんな事態になるとは思ってもみなかったから、何の注意も払っていない。思えば、八歳のころからレイクシャーロットの住民たちを欺いて来たのだ。そんなイスラが住人であるべきではない。
イスラはふ、と自嘲気味に小さく笑った。
「なら、ジャレッドが帰ってきたら、話を聞かせてもらうからな」
イスラは思わず扉の向こうのシュミットの声に視線を遣った。
何故ここでジャレッドの名前が出てくる?
「ちょっと待てよ…」
声は掠れている。こんな小さな声では、部屋の外にまで届かない。
「ジャレッドに話を聞きたいなら、聞けばいい。イスラはまだ駄目だ」
「待てってば…」
扉の向こうでは、イスラの意思を無視して話が進んでいく。
身体を起こすと、また眩暈がした。気持ち悪い。吐きそうだ。無暗に何かにすがろうとして手を伸ばした先に、点滴のスタンドがあった。指先が触れ、思わず握りしめる。安定感のあるスタンドは倒れはしなかったが、少し足が浮いて床に着く際にガシャンと大きな音を立てた。
扉の向こうの声が止む。
「絶対に入ってくるな」
ロイがシュミットに言い残して慌てて入ってきた。シュミットは大人しく扉の向こうで待っている。扉が開いた際に思い切り中を覗き込んでいたが、イスラの様子を見て、ロイが嘘を吐いているわけではないことを理解したようだ。眉間に皺を寄せたが、黙って踵を返した。
「イスラ、何してる」
「ジャレッドは、関係ねぇ…」
口を開くと、嘔気が増した。だが、これだけは伝えなくてはいけない。どう考えても、ジャレッドは関係ない。
「関係ないなら、あいつ自身が関係ないと言うさ。もういい大人なんだ」
「あいつに…、これ以上迷惑かけたくねぇ…話なら、俺がする…」
「それはいいが、ちゃんと話せるようになってからだ。今のお前じゃ無理だ」
大き目のトレイにペーパータオルが敷かれたものが差し出された。背中を擦られる。
「吐くなら吐け。楽になる」
胃液だけを吐き出すと、イスラは再び闇に落ちた。
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