それをゴミにしか見えない人、宝の山に見える人
ゴミである素人動画に価値があるのはなぜか - novtan別館を読んで。
まず思ったことは、それはゴミじゃないよってこと。例え、ある人にとってはゴミと言えなくもないものだとしても、ある人、最低でもアップロードした本人にとってはゴミじゃないんですよ。「そんなゴミみたいなもの捨てなさい!」「ゴミじゃねーよ。俺にとっては大事なものなんだよ!」なんて会話を親や友人としたことはないですか?それと同じなんです。
なんで1ヶ月も前の記事をひっぱり出してきたかというと、先日「ブログ限界論」というイベントで「最近ブログつまらなくないですか?」というテーマで語り合うイベントがあったからなのですが。
なんていうか、うまいというか、ずるいというか、こんなタイトル見たら精髄反応で「つまらなくねーよ。むしろ、アルファブロガーである(影響力を持つ)あなた達がそんなこと言ったら、これからブログをはじめようと思っている人たちの阻害にしかならないので、一線を退いてください。ブログがおもすろくてしかたねーって人たちが第一線にいるべきです」とか反応したくなっちゃうわけで。
しかし、このイベントの存在を知った頃には申し込みも締め切っていて参加できなかった私は、きっと否定のお題を二重否定することで強調を示すような使われ方されてたんだろうなぁと
、アルファブロガーのテクニックに脳内で酔いしれることしかできなかったのですが、結局は何をゴミと思うかって問題なんだと私は思うんです。
人間の興味なんて案外狭いものです。そして、自分の興味ないものが他の人に評価されて自分の目に入ってくるようになった頃に、ほってんとりの衆愚化とか、ブログ限界論とか言われ出すようになったのでしょう。自分の興味ある分野は何も変わっていないのに、回りが気になりだしただけだと思うんです。
これ、ブログがつまらなくなったと思いますか?
自分の興味のない記事は、ゴミですか?
なんかね、「友達」と「他人」を思い浮かべちゃうのですよ。最近は、他人に関して興味が薄すぎで、そこにいるのに何もいないかのように扱う人が増えてきたとか取り上げられて、例えば電車内で大声で電話したり、困っている人を助けなかったり、などなど良く問題に挙がるじゃないですか。他人ってゴミじゃないですよね?
それに、自分の興味のないものが目立つようになったということは、むしろブログ界全体からしたらものすごく良いことだと思うのです。このサイトの読者ならば耳にタコかもしれませんが、ネットの素晴らしさは Exist にあると思っているんです。自分の興味のあるものがそこにあること。だから、例え私にとって興味のないことが増えてきても、それは誰かにとっては宝であり、それがネット全体からしても宝なのです。
ゴミとまでは言いませんでしたが、以前「大手サイトの作り方」という記事で、ノイズを除去することで作られるサイトは大手サイトになりうると書きました。発信する人がどんどん増え、幅広いジャンルの記事が増えていったとしても、やはり自分の興味のある記事を読みたいものです。だから、ある特定の人が自分の興味ある記事だけを集めた個人ニュースサイトがアクセス数を集めたりするのでしょう。
<まとめ>
あなたが興味があるものも、他の人からゴミに見えることもあります。
あなたがゴミと思っているものでも、他の人には宝物かもしれません。
ゴミが増えたと感じるようになったということは、
全体から見たら「宝がそこにある」という確率が高くなっただけにすぎないのです。
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