これが自分探しの旅なのだろうか。
一時期、オタクかどうかをこう判断していた時期があるんです。オタクは皆と違うことに価値を見い出し、そうでない人(一般人)は皆と違うことを恐れる傾向にある、と。例えばファッションでは、流行を追いかける人は最先端と同じになろうという考えから非オタであって、逆に個性的な皆と違うものを着飾る人はオタクなのかなとか。
で、私は人と違うことをしたがる人間なんですよ。ちょっと質問に答えるにも、他の人が思いつかないような答えをしてみようと考えるわけで、どうしても思い浮かばずに一般的な回答をしてしまうと負けたって気になっちゃいます。だから、例えば好きなアーティストと言われてミスチルとか言いにくいんですよ。だから、おそらく知らないだろうけどもし知ってたらそれだけで友達になれるようなマニアックな名前を挙げたりしちゃうんです。
数学科は変人の集まりだなんて言われるけれど、きっとみんな同じこと考えてたのかななんて思ったりもしました。前のに繋げると、発想の転換で解く数学は人と違う考え方が必要なため理系にはオタクが多く、逆に国語のように自分を著者の考えに乗せるような文系の人にはオタクが少ない、みたいな。
それでも弱気な私は隠れオタクであり、みんなの前では同じことをアピールし、逆にオタクの前では違うことをアピールしたり。それはそれでどっちも楽しいのですが、根がオタクなのかやっぱり「自分だけ」って方がうれしさ100倍なんですよね。
オンリーワン=オタクとか言ってしまうと、人類総オタクになってしまうのですが、結局はそのオンリーワンの方向性がどっちを向いているかなんだと思います。そしてその人の価値観がどちらの方向を向いているかと言うことと、どの方向に向いている人を凄いと思えるか。そこにその人のすべてがあるんじゃないかと思うんです。
私なんてベクトルがどこに向いていても、その絶対値さえ大きければ何でも「すげー!」とか言っちゃう人なのですが、人によっては自分と同じ向きのベクトルしか評価できなかったり、あるいは、とある方向に向いているベクトルを持っている人を毛嫌いする人がいたり、見方も人それぞれ。
でも、見方なんて安易に言えるものだからまだ良いんですよ。評価される側に立つことって怖いですよね。こんな記事を書くような私は後の先を取るタイプなので、相手を知ってからでないと大きな動きを取れなくて、どうも初対面ではちぢこまってしまうんです。基本的に広くて浅い趣味ばかりで、これができる!という武器を持たないフツーの人なわけですよ。にもかかわらず、何か違うと評価されたがりの欲深さだけは一人前で。
でも、よくよく考えれば大半の人がフツーの人なんですよ。そんなこと自分に言い聞かせて元気出して、虎視眈々と自分だけの何かがないだろうか探す毎日です。おわり。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント