AKB48握手会襲撃事件の容疑者が発達障害との報道から考えたこと

許されざる犯罪だからこそ考えてみたい

この事件のあった日、報道を目にまず思ったのは、「え、警備体制は?」ということであった。

うら若き女性アイドルを主役に握手会をするのであれば彼女らの身の安全を守ることは絶対必要なことだから、警備体制は万全なのだろうと思っていたのだが、どうやらそうではなかったようだ。

いきなりノコギリで切りつけられた被害者のAKBメンバーとイベントスタッフ、さぞ痛かったろうしショックを受けもしたろう。身体の傷だけでなく心の傷も負ったはずだ。彼女らの傷が早く癒えることを祈らずにはいられない。

事件報道の後、会場の警備体制の問題、握手会というイベント自体の問題等、いろいろな議論が巻き起こった。そして容疑者が発達障害者では?という話もちらほら出ていたのは、このブログにも「発達障害 犯罪」で検索して訪れる人がちらほらいることから知るにいたった。

そして、28日、「スッキリ!!」という朝のテレビ番組で梅田容疑者が発達障害であることが母親へのインタビューから明らかになったようである。以下のリンクはその内容をダイジェストしたj-castの記事である。

http://www.j-cast.com/tv/2014/05/28205936.html?p=all

犯罪容疑者が発達障害者であったという報道があると、発達障害に関する差別や誤解や偏見が助長されるとかいった論調をよく見かける。そして、容疑者がいじめや発達障害で苦しんでいたから…といった論調も出てくる。容疑者を受け入れなかった社会にこそ問題がとする論調も出てくる。当事者・保護者界隈からは「報道で障害名がでることで発達障害者が犯罪予備軍としてみられるのではないか?」といった不安の声も聞こえてくる。確かにどれもわからないものではない。

だが、被害者は大怪我をしている。痛かったろう、そして被害者も周囲も相当な恐怖を感じただろう。やはりどんな事情があれこれはやってはいけないことだ。許されざる行為であり、そこに疑問を挟む余地はない。当然容疑者は相応に罪を償う必要性があると思うし、同様の犯罪の再発を防ぐための方策を考える社会的必要があるだろう。

いろいろなものが絡んでいる。発達障害だけでなく、いじめ、貧困、母子家庭、孤立化、雇用環境、社会風潮、さらにはAKB商法と言われるアイドルづくりの是非、握手会のような芸能イベントにおける危機管理のあり方などなども含め、複雑にからみあう。そして複雑であるだけにどれか1つを取り上げれば他の問題が隠れてしまいやすくもある。

報道で出てくる情報も限られているし、全部を検討することはとても私にはできないが、考えられる部分だけでも考えてみたいと思う。長くなってしまい申し訳ないが、しばしお付き合いいただきたい。

今までもあった事件報道とその後に感じる違和感

マスコミを騒がせた事件で発達障害者が犯人であったケースは少なくない。 このあたりは、るーたんのちちさん がまとめてくれている。

http://ameblo.jp/ru-tan0315/entry-10278081523.html

もちろん、発達障害者以外も犯罪を犯すことがある。にもかかわらず、なぜ注目を集めてしまうのかといえば、動機が不可解な場合が多いことや、犯罪行動が無差別的だったりするためが社会に与える衝撃が強いのではないかと思う。

ただ、個々の事件報道において、犯罪行動に犯人の障害がどう関与したか?あるいは関与しなかったのか?といった報道がなされることはほとんどない。

家族関係の問題があったかとか学校環境・職場環境によるストレスがどうであったかなど様々な情報や憶測が飛び交うことはあるが、許容力のない社会(or学校)の側の問題という論調が出てくるか、障害名を挙げた報道自体が差別や偏見を助長するので問題だという論調が出てきて、何も検討がなされぬままに報道が下火になるというパターンが多い。

これで良いのだろうか?社会的な不安が払拭されないことが却って発達障害者への偏見を増やすことになりはしないだろうか?

こういった流れになりがちなのは「差別」を持ち出されることにあまりに報道が神経質であることもあるだろうが、(少なくとも表立っては)リスク因子の検討がなされてこなかったということが大きいだろう。

環境や生育の問題が取りざたされるたとしても、専門家がコメントすることもほとんどなく、それがどういった形で犯罪に関与したのかといったことが明らかにならない以上、うやむやになるしかないのはある意味必然でもある。

報道関係にだけその責任をかぶせるわけにはいかない。

犯罪を犯した発達障害者とそうでない発達障害者はなにがどう違うのか?発達障害者における触法リスクとは何なのか、そしてそれは定型発達者の場合の触法リスクと違いはあるのか?また、触法リスクを低くするための手だてはどういったものがありうるのか?そういった検討をしっかりするべき時期に来ているのではないだろうか。

こういった事件があるたび、そんな事を考えていた。とはいえ白状すると、何しろ情報が少ないし、どう考えて良いのか考え倦ねていた部分もあり、今までこの手の問題について何も語ってこなかった。

口をつぐんできた私がなぜ口を開いたかといえば、今回の事件では、かなりの情報が早いうちに流れてきて、そこにいくつかの気になるポイントが見つかったからだ。

不可解で無差別的な犯罪であることの意味するもの

発達障害者が犯したとされる犯罪のうち、こと凶悪性の高い事件では、「社会に対する衝撃」をねらったのではと思われる節があることから犯人に「社会への強い恨み」があるように感じられることが多い。だがその恨みが形成されていく過程がかなり不可解である。

「いじめを受けた」「虐待された」というような事情があったとしても(それ自体もあってはいけないが)、そういった事情を持つ人が社会への恨みを持つわけではない。PTSDやフラッシュバックに苦しむことがあるとしても、その人なりにその痛みを消化していき、反社会的行動の動機となるほどの強烈な恨みを持ち続けることは多くはない。

なぜ犯罪を犯してしまった発達障害者は「社会への恨み」をつのらせたのか?

そこには抜け出せない絶望感、ある種の強い「おわった感」とでもいうようなものが関与しているのではないかと私は感じる。

大方の人にとって人生山あり谷ありで、嫌な目にあった、あわされたとしても、多くの人がそれを適当に乗り越えたりかわしたりしながら生きていく。もしそれが社会の構造等に起因することであったと感じても、嫌な目にあわせない人(信頼できる人)との繋がりが救いになったり、そのことを反面教師にしたりバネにしたりして他に活路を見いだすことなどを通して解消したりし、趣味等の楽しみで癒やされたりして、普通の生活を送っていくことがほとんどだ。

だが、こうういった犯罪を犯してしまった人においては、ある種の「嫌なこと」が「おわった感」をもたらす決定打になってしまいやすい認知の特徴があるのではないだろうか?

今回の事件の報道から見えてくること。

冒頭で挙げたリンク先からすこし引用する。

結局、2年生の夏に退学して通信制の学校に変わった。アルバイトもして、給料は全部家に入れた。体が弱い母親を助けたいという思いが強かったという。おととし(2012年)に大阪へ行った。

  母親「『向こうは給料が高いから』って、ハローワークで自分で調べて。知り合いもいないし、都会は向かないから反対したんですけど」

大阪では警備会社に住み込みで勤務した。月給は約20万円で、3万円を残して全部母親に送っていた。

母親「私が丈夫じゃないから、楽させたいと思ったのかもしれない。言葉はあまりいわない。給料をもらうとすぐ振り込んでくれるんです」

その大阪で精神的に不安定となり、体調を崩して精神科を受診している。そこで発達障害(対人関係がうまくいかない。環境になじめない)と診断された。

母親「『オレは仕事ができないんだ』といっていましたね。自分は仕事がしたいのに、コミュニケーションとかが苦手だから友だちができない、話す人がいないと。仕事がしたかったと思うんだけどね」

  中略

母親「ハローワークも行かない。自分が何もできない人間と思っていたのかもしれないですね。仕事は休みたくないという顔した子だった。だから体調が悪くても仕事に行く。仕事しているときは生き生きしている。じっとしていたくない子なんですよ、本当は…。何がしかしたかったけれども、ひととのコミュニケーションが下手で、会話ができないから、どうしてもやりたい仕事につけない。それがプレッシャーだったと思う。誰かに認めてもらいたかったのかもしれませんね。自分がいることを。面倒見なきゃと思ってて、それがだめになったから、自分はダメだと思ったのかもしれません」

http://www.j-cast.com/tv/2014/05/28205936.html?p=all より引用】

この母親の語った内容が事実だとするなら、私の脳みその中には大量の疑問符があふれざるを得ない。

今回事件の起こったのが5月25日で、「スッキリ!!」の放送時間が朝の8時からであることを考えると、インタビューは前日だったろう。容疑者に発達障害があったという情報が出てくるのがあまりに早いのでまず驚いた。

容疑者は大阪で警備員をしていて20万の給料のうち17万を母親に仕送りしていたという。ここにまず違和感を感じる。

朝日新聞デジタルによると建設現場の交通整理の警備だそうだ。
http://www.asahi.com/articles/ASG5V3F5PG5VUTIL00D.html

 梅田容疑者は、母親とおじとの3人暮らし。通信制高校を卒業後、青森県や大阪府などでアルバイトをした。一時登録していた大阪府吹田市の人材派遣会社では、一昨年12月中旬から昨年3月末までの間、建設現場で交通整理の警備員をし、同市内の社員寮で暮らしていた。

朝日新聞デジタルより引用

建設現場の警備員で20万稼ぐということがどういう事か?現在の大阪での相場は日給6000円~7000円程度、そして建築現場というのは夜勤はほとんどないし残業もさほど多くない現場が多いことを考えれば月のうち25日働いてやっと稼げるかどうかというラインである。そうやって稼いだ給料のうち17万を仕送りとして送金するというのはいかに親孝行としてもかなり度が過ぎているのではと思う。

まして容疑者は24才の若者である
若者らしい楽しみに対する欲求はなかったのだろうか?<br /> なぜ実家への多額の送金にこだわったのだろうか?

そういった疑問が次々と浮かんでくる。

インタビュー内容から見る限り、この容疑者の母親は「病弱な親を思う孝行心」として受け止めているようだが、なにか不自然な感じを受けざるを得ない。

容疑者にとって親孝行な息子であることが絶対善として認知されていなかったか?ここになにやら認知の問題のにおいを私は感じた。

認知のゆがみが引き起こすもの

ここでちょっと認知のゆがみ問題を考えてみる。

認知のゆがみの代表的なものは10ほどあるといわれる。

 二分割思考、過度の一般化、破局思考、マイナス化思考、否定的予測癖、
 過度の責任性、すべき思考、選択的抽出、低い自己評価、拡大or縮小思考

発達障害者には認知のゆがみが生じやすいともいわれるが、定型発達者でもイライラしやすかったり落ち込みやすい人にはありがちな思考傾向でもあるし、うつ病のときなどはこういった認知をしやすいとも言われる。

  認知のゆがみに関する説明は下記をどうぞ。
   http://psycience.com/pdf/kokorobook.pdf 
  (中学校保健体育副読本「悩みはがまんするしかないのかな」6ページ)

だが認知のゆがみがあることだけでは「悩みやすい、落ち込みやすい、傷つきやすい、怒りやすい」という傾向にしか至らない。

本人が辛いのは確かだし、こういう傾向が強いのであれば解消した方が楽なのも確かだが、他者に危害を加えるほどの社会への強い恨みに直結するとは考えがたい。こういった思考に陥ったとしても一過性の心理状態として葛藤処理されて過ぎていくのであるなら、反社会的行動に至るほどの反社会的価値観の形成にはつながりにくいだろう。

しかしもし背景として現実離れした高すぎる規範意識があったらどうだろう?

規範意識と触法リスクの問題

「こうすることが正しい、善だ」という規範意識が自分の現状や社会の実態に即して非現実的で、なおかつ自身の現実と遊離すればするほど「終わった感」が強くなりはしないだろうか?

規範意識の極端な高さが犯罪の誘因となりうるという理論もあるらしい。

下記はちょっと前にツイッターで見つけてずっと気になっていたものだ。

https://twitter.com/narapress/status/425839596962717696
https://twitter.com/narapress/status/425454234801160192
https://twitter.com/ryomichico/status/435699919307812864

(最後のツイートで私の疑問に答えくださった詩人の寮美千子さんは奈良少年刑務所で実際の矯正教育に詩集づくりなどを通して協力している方である。)

(また、はじめ2つのツイートをされた松永洋介氏も奈良少年刑務所での授業を寮美千子さんとともに受け持たれた方である。/以上一文 2014/06/02追記)

規範意識といえば低下のほうが問題になることが多い。だが、確かに「自分はこうあるべき」という規範意識が極端に高すぎたり、現実離れしたものであれば、現実の自分との落差は生じやすく、こんな状態ではいけないというような焦燥感や自責感情も生じてくることは想像に難くない。絶望感を感じやすくもなるだろう。

そして「他者はこうあるべき」という規範意識が非現実的だったり極端に高いならば、他者の行動に理不尽さを感じやすくなり、怒りも感じやすくなる。他者の範囲が拡大して社会に対するものになれば「社会はこうあるべき」といった気持ちも持ちやすくなるし、そうでない社会に対しての怒りも生じやすい。

ただこれだけでは、自責を感じやすいとか怒りを感じやすいだけである。本人が心理的に快適に過ごしにくいだけだ。しかしもしこれに、懲罰的、報復的な態度をとることに対しての心理的抵抗が低いといった要因が加わったらどうだろう。他者や社会に対しての攻撃性に歯止めがかけにくくなり、他者への攻撃、触法行為に対してのハードルが低くなってしまうことは十分にありうると考えられる。

(補足:懲罰的、報復的な叱り方の多い環境で育つことによって、懲罰的・報復的態度をとることに対する心理抵抗は低くなるといわれる。極端なケースが虐待の連鎖である。)

規範意識は高ければ良いというものではないようだ。

ここが今回の事件で感じた違和感に繋がる。容疑者の極端に親孝行な行動は、実はリスク要因の1つではなかったのか?そこは考えてみる必要がありはしないだろうか。

社会適応と情報処理特性

また話を飛ばすが、発達障害者の社会適応を悪くしがちな特徴として、認知のゆがみ以外にも重要なものがある。それは、情報処理特性である。

各種のルールや価値観は容易には変更がされくい。 そして対人情報は上書きされやすい。

ルールや価値観が変わりにくいという問題はよく知られた話だが、対人情報の上書き現象とはどういったものかちょっと説明すると。ひと言で言えば「自分に向けられた人の悪い面だけを”真実の姿”と認知してしまいやすい」といった現象だ。

次のようなものである。

普段仲の良いAさんが、ある時Bさんに対して不満をぶつけてきて口げんかになった。そしてその後仲直りしようと話しかけてきた。

こういった場合、人間いろんな気分のときがあるのが当たり前だから言動にもある程度のむらはあるということで、今までのつきあい、その時のAさんの抱えている背景、そしてその後の対応などを総体としてAさんをとらえるほうが現実的なのであるが。これを「実はAさんは自分に対してこんな不満を持っているのだ」とだけ認識してしまい、Aさんに対して「信用ができない」といった情報のみを上書き的に保持してしまうといった現象である。

発達障害者の全てがこういう情報の上書きをするわけではないが、こういう現象はときおり見られる。「真実の探求」を揺れ動くとの多い人間の感情表現にまで持ち込むと起こりやすいのだと思う。

対人情報の悪い方への上書きをしてしまうクセがあると、人間関係は狭くなりがちだしとぎれやすい、被害的にもなりやすい。他人を信用しにくくなりやすい他者理解のしかたではある。ただ、これだけではやはり傷つきやすいとか、孤立を生じやすいといったことでしかない。

こういった傾向があったとしても対人交渉にあまり期待もせずそれに大きな価値もおいていないのであれば大して問題にならないものだ。あまり他人を信用せず、つきあいの範囲をあまり広くもたずに社会生活を送っているいる人は世の中にはいくらでもいる。言うなればただの偏屈な人である。

が、もしここに「人付き合い」「コミュニケーション」等に対して過大な期待、あるいは過大な意味づけがあったらどうだろう?

職業特性からうかんでくる疑念

話を今回の事件に戻そう。

報道によると容疑者は青森に戻る前に大阪で建築現場の警備員の仕事をしていてメンタル面の調子を崩したということだ。コミュニケーションに関する悩みを母親にもらしていたとある。

実は今回の報道で私の疑問がふくれあがったの最大のポイントがここである。

私は3年ほど道路や建築の工事現場で警備員として働いていたことがあるのだが、工事現場等での交通誘導警備の職場環境というのは、比較的人付き合いに関してはドライかつ希薄である。私が働いていた警備会社はそうであったし、他社から移ってきた人などから漏れ聞く話でもあまりその様子が大きく異なるということはないようだった。

時として交通量のある車道の真ん中に立つ仕事であるから、危険防止が最優先であり間違いのない意志の疎通が必要なため、言語表現もわりとダイレクトだ。車両のエンジン音や走行音、、工事用の機械の音などの騒音下で仕事をすることも多いので大きな声は必要だし、危険が伴う職種であることもあり、多少荒っぽい言葉は飛び交うことはある。

建築現場での警備では挨拶や取り次ぎくらいのやりとり能力は必要になるが、イレギュラーな対応は多くないし、駆け引きとか深読みとか空気を読むとかといった、発達障害者が苦手といわれる系統のコミュニケーション能力が要求される仕事ではないと思う。

そのせいか口下手の人は多かったし、ちょっと変った(もっといえば偏屈な)人も多かった。個々人の事情も多種多様なのでそういったものに気を止める人も少ない。入ってくる人も多いがやめる人も多く、そのため「職場に馴染む」ことすらさほど要求されない職種でもある。

体力的なきつさはあるにはある。だが、ことコミュニケーションや人間関係に関して言えばストレス度が非常に低く、いたって気楽なものだった。「身体きついわりに稼ぎわるいけど、ストレスないよね」というような話がしばしば出るくらいだった。

だから疑問がムクムクとわいてくる。

今回の事件の容疑者は会社の寮で生活をしていたとあるので、通勤での勤務とは違った側面はあるかもしれないが、母親へのインタビューでは、容疑者の悩みがコミュニケーションの問題であったようにうかがえるが、大阪での不調のきっかけがコミュニケーション問題からの職場不適応であったとは考えがたいのだ。

にもかかわらず、容疑者の悩みとして母親のインタビューの中で出てきたのはコミュニケーション面の問題だ。

もしや容疑者は職場で友人を作るべきだとか、孤独でいてはいけないとかいったコミュニケーションや人付き合いに関する過大な規範意識をもってはいなかっただろうか?

そしてそれを仕事をする上で絶対必要なものだと認識してはいなかったか?

ここに誤学習・誤認知のにおいを感じる。

もちろん、誤学習・誤認知があったとしても、社会生活を送る上で障害になりにくいもの、いたって無害なものも多いが、こと社会に関する極端な誤学習、誤認知は適応の困難さを生じやすいように思う。p>

フォローなき診断告知の危うさ

最近、都市部では成人の発達障害の検査、診断を受けられる医療機関はだいぶ増えてきた。 数年前にはざらだった診察まで半年待ちといった状況はだいぶ改善されつつある。これ自体は良いことだろう。

ただ、診断がおりても適切な支援につながることができず、適応状態の改善になかなかつながらないケースも少なくないと聞く。

診断をうけ、「あなたは発達障害です、今まで大変だったのはあなたのせいではありません、障害の為です」と言われてたとしても、今まで感じていた違和感に名前がつくだけのことであり、それだけで生活の何が変わるわけではないのだから当然といえば当然である。

それでも右往左往しながらでも工夫の手段を探していける余力(生活面や精神面)のある人はそこから発達障害者なりの人生をみつけていけるかもしれない。

だが、適応状態が悪すぎたり、生活環境に余力がなく、当事者に適応困難の原因となるような重大な誤学習・誤認知、現実的でない高すぎる規範意識などがあった場合、診断がついたことによって却って問題をこじらせてしまうこと可能性もなきにしもあらずだろう。

コミュニケーションに過大な意味づけや期待を持っている当事者に対し「発達障害であること」「発達障害は治らない」ということだけが伝えられ、フォローがなかったならば、それはその当事者に深刻な悩みを増やすことになることもじゅうぶんにあり得るだろう。

発達障害者の適応を困難にする要因として、社会の許容力不足や理解不足などはよく言われることである。そういった論にも一理あるとは思う。だが、適応を困難にする要因は何も社会にだけあるとは限らない。生きていく間に何らかの要因で形成された誤診念や誤学習、それにつづいて形成された規範意識などの影響も大きいと思う

だが、そういった部分に目を向けるきっかけもなく、社会の許容力や理解ばかりを叫ぶ声ばかりが大きければ、そういった声にだけ耳を傾け、「自分が苦労するのは社会の無理解のせい」とストレートに結論づけるといったケースがあってもなにもおかしくはない。

こういった、責任が社会にあるという思考こそが社会に対する恨みの萌芽となってしまうこともあるのではないか?
(もちろんこれが犯罪に直結するものなのではなく、社会や周囲に対して恨みをもちつつも反社会的行為に至ることなく生きていく人がほとんどではある。ただ、どんな障害であろうと社会が全面的に許容したり好意的な理解をすることはあり得ないので…いろんな人がいますから…もっていてもあまり適応改善につながりやすい考えではないと思う)

こう考えていくと、支援体制のさらなる拡充というのは当然必要だが、医療の側にも、診断を告げる前に適応困難を起こしやすい重大な誤診念、誤学習の有無を確認し、診断告知がマイナスにならないような配慮を確保した上で診断名を告げるといったような慎重さも求められるのではないかと思う。

まとめ

今回の事件報道からいろいろ想像をたくましくすると、「認知のゆがみから生じた社会適応力の低さ」「「誤認知・誤学習からから形成された非現実的かつ高すぎる規範意識」「懲罰的・報復的行動への心理的ハードルの低さ」「生育環境及び孤立しやすい思考に連なって生じた極端な孤立状態」などが極端に悪い方へ重なっていたところに「強いおわった感を感じる出来事・経験」や「適応状態の問題の責任を社会に求める考えへの傾倒」などがさらに影響し、触法リスクを高くし、凶行に繋がったのではないかとも思えてくる。

ここから思うのは、こういった事件に関する分析に関して、犯人なり容疑者の中に規範意識を極端に高くするような「重大な誤認知・誤学習」がなかったかという視点が必要ではということ、そして診断告知後の犯罪の場合、診断告知やその後の医療的関わりの、犯人なり容疑者の心理への影響はどのようなものだったか?と言う視点も必要ではということである。

今回の事件に関していえば、容疑者の適応状態が悪くなったきっかけがコミュニケーションに関する問題だっがのか否か?容疑者が仕事をすることやコミュニケーションにどういった意味づけをしていたのか?過剰ともいえる親孝行な行動にどういった意味があったのか?そういったことも解明されて欲しいと思う。

こういった不可解な事件にもし誤認知・誤学習の問題が関わっているのであれば、認知療法等のアプローチで矯正教育も可能かもしれない。そして触法リスクに繋がりやすい重大な誤認知・誤学習をできるだけ防ぐよう子育てや教育に何らかの工夫することによって、社会適応をよくすると共に、触法リスクをコントロールできるかもしれない。

素人考えで長々と考えてはきたが、発達障害に関わる支援サイド、医療サイドの専門家や認知の問題に取り組んでいる心理学の専門家は、誤認知・誤学習や規範意識、認知のゆがみなどとこういった犯罪の関係をどう見ているのだろうか?専門家の意見をぜひ聞いてみたいと思う。

お読みいただきありがとうございます。

 

 

 

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