2024.10.18
食「お菊」(三浦哲郎)
「俺もあの菊ってやつが好きでね。」と、わたしはふたたび車のスピードを上げながらいいました。「花びらをむしって、さっと湯掻いて、酢のものにしてもいいし、胡桃で和えるのもいい。味噌汁に入れると香がいいし、それに天ぷら。花をそっくり、からっと揚げて……。死んだおふくろは菊の花を味噌漬にするのが得意でね。花びらをどっさり蒸して、まず甕の底に味噌を敷く。その上にキャベツの葉っぱを敷きつめて、花びらを厚目に入れるね。その上にまたキャベツ、味噌、キャベツ、花びら……てな具合に、段々に重ねて、一番上に重石を置く。そうすると、菊の花が薄い板みたいな味噌漬になるんだよね。黄色い花びらに味噌の汁が飴色に滲んで……あれを熱い湯漬け飯の上にのせて食うのは、旨かったなあ。」
(三浦哲郎「お菊」より)
(三浦哲郎「お菊」より)
2024.10.18
2024.08.21
食「豚肉 桃 りんご」(片山廣子)
軽井沢の家では夏じうよいお菓子を備へて置くことも出来なかつたから、お客さんの時は果物のかんづめをあけることもあつたが、大ていの時は桃をうすく切つて砂糖をかけて少し時間をおいてからそれをお茶菓子にした。水蜜よりも天津桃の紅い色が皿と匙にきれいに映つて見えた。半分づつに大きく切つて甘く煮ることもあつたが、天津のなまのものに砂糖と牛乳がかかるとその方が味が柔らかく食べられる。天津は値段も味も水蜜よりは落ちる物とされてゐたが、ふしぎに夏のおやつにはこの方がずつと充実してゐた。
(片山廣子「豚肉 桃 りんご」より)
片山廣子 豚肉 桃 りんご(青空文庫)
(片山廣子「豚肉 桃 りんご」より)
片山廣子 豚肉 桃 りんご(青空文庫)
2024.07.16
食「古都」(川端康成)
湯波半では、湯葉と、牡丹湯葉と、やはた巻きとが出来てゐた。
「お越しやす、お嬢さん。祇園祭で、いそがしいて、いそがしいて、ほんまの古いおなじみさんだけで、かにしてもろてます。」
この店は、ふだんから、注文だけしかつくらない。京には、菓子屋などにも、かういふ店がある。
「祇園さんどすな。長年、おほきに。」と、湯波半の女は、千重子の籠に、もりあがるほど入れてくれた。
「やはた巻き」といふのは、ちやうど、うなぎのやはた巻きのやうに、湯葉のなかに、ごばうを入れて巻いてある。「牡丹湯葉」といふのは、ひろうすに似てゐるが、湯葉のなかに、ぎんなんなどが包みこんである。
(川端康成「古都」より)
「お越しやす、お嬢さん。祇園祭で、いそがしいて、いそがしいて、ほんまの古いおなじみさんだけで、かにしてもろてます。」
この店は、ふだんから、注文だけしかつくらない。京には、菓子屋などにも、かういふ店がある。
「祇園さんどすな。長年、おほきに。」と、湯波半の女は、千重子の籠に、もりあがるほど入れてくれた。
「やはた巻き」といふのは、ちやうど、うなぎのやはた巻きのやうに、湯葉のなかに、ごばうを入れて巻いてある。「牡丹湯葉」といふのは、ひろうすに似てゐるが、湯葉のなかに、ぎんなんなどが包みこんである。
(川端康成「古都」より)
2024.07.16
引用「心の王冠」 (菊池寛)
町子は、美年子姫に導かれて、お庭の方へ廻った。大きな樹が、うっそうと繁って、池や築山のある広い庭だった。
庭に面している洋館の縁台へ上ると、美年子姫は、そこに迎えていた女中に、
「お靴のカバー持って来てよ」
と、命じた。
何処まで優しい心づかいだろうと思うと、町子は涙の出るほどうれしかった。
二階の美年子姫の部屋は、少女の部屋らしいカーテンもカーペットも、うす桃色の夢のような色で、書棚の上にフランス人形がいくつも置かれていた。
典子の部屋も、町子の眼には、別世界のように立派だったが、美年子姫の部屋は、それよりも上品に落着いていた。
別な女中が、
「お帰り遊ばせ!」
と、言ってお紅茶とメロンとを運んで来た。
生まれて始めて食べるメロンは、町子の舌の上で、夢のようにおいしくとろけた。
(菊池寛「心の王冠」より)
庭に面している洋館の縁台へ上ると、美年子姫は、そこに迎えていた女中に、
「お靴のカバー持って来てよ」
と、命じた。
何処まで優しい心づかいだろうと思うと、町子は涙の出るほどうれしかった。
二階の美年子姫の部屋は、少女の部屋らしいカーテンもカーペットも、うす桃色の夢のような色で、書棚の上にフランス人形がいくつも置かれていた。
典子の部屋も、町子の眼には、別世界のように立派だったが、美年子姫の部屋は、それよりも上品に落着いていた。
別な女中が、
「お帰り遊ばせ!」
と、言ってお紅茶とメロンとを運んで来た。
生まれて始めて食べるメロンは、町子の舌の上で、夢のようにおいしくとろけた。
(菊池寛「心の王冠」より)