宮沢賢治とエスキモー?

宮沢賢治の作品に初めて出会ったのは、伯父から贈られた岩波書店刊の二冊の童話集(現在は品切れ)だった。初版は1969年11月とあるから、読んだのは遅くとも1964年前半で、私は五歳だった。

 

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そのなかで、『銀河鉄道の夜』に次の一節がある。

 

「鳥が飛んで行くな。」ジヨバンニが窓の外で云ひました。「どら、」カムパネルラもそらを見ました。そのときあのやぐらの上のゆるい服の男は俄かに赤い旗をあげて狂氣のやうにふりうごかしました。するとぴたっと鳥の群は通らなくなりそれと同時にぴしゃぁんといふ潰れたやうな音が川下の方で起つてそれからしばらくしいんとしました。と思つたらあの赤帽の信号手がまた青い旗をふって叫んでゐたのです。「いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥。」その声もはつきり聞えました。

 

この一節は、反故の原稿用紙の裏に鉛筆で書かれた最も古い草稿からまったく変わっていない。『銀河鉄道の夜』は数次にわたる改作が行われ、死後活字になってからもその原稿をどう解釈するかによって様々な異なる版が作られてきたが、この一節についてはどの刊本も(改行位置、仮名遣い、漢字の字体、読点の追加、送り仮名やルビの付け方および漢字をかなに開くなどの編集上の変更の除いては)同一である。

 

賢治は「ぴしゃぁんといふ潰れたやうな音」の正体について何も書いていない。しかし、五歳の私にはその音ははっきりしていた。「手ばたき山」の打ち合わさる音だと。

 

宮沢賢治童話集より前に、伯父から贈られて読んでいた「岩波おはなしの本」シリーズに、「カラスだんなのおよめとり」(1963年7月、これも品切れ中)があり、そのなかのいくつもの話に「手ばたき山」が登場しているのだ。

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(今日図書館で久々の対面をした)

 

渡り鳥の渡りの途上に必ず通らねばならない厳しい関門「手ばたき山」。アラスカエスキモーの民話に登場するこの山のことだと、五歳の私は素直に納得したのだった。

 

だが、『銀河鉄道の夜』のこの一節が書かれたのは1924年という。「カラスだんなのおよめとり」の原著は『BEYOND THE CLAPPING MOUNTAINS Eskimo Stories from Alaska』by Charles Edward Gillham and Chanimun。1943年刊行の本で、今ではウェブ公開されている。

https://openlibrary.org/works/OL182365W/Beyond_the_Clapping_Mountains

 

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この民話集がアメリカで出版される20年も前に、宮沢賢治は「手ばたき山」のことを何で知ったのだろうか。もちろん民話自体はずっと古いものだろうが、それが明治・大正時代に紹介された証拠が見つからない。あるいはアラスカエスキモーのみでなく、もっと広範囲にこの「渡り鳥の関門伝説」が存在し、賢治の知るところとなったのか。

まったくわからない。

 

半世紀前には納得していたことが、大疑問になってしまったというよくある話。