南アフリカW杯の時よりも、もう少し主なプレイゾーンを上げても戦えるサッカーを、という事がザックへのオーダーだったと思う。そして、それを実現させるために必要なのはハイプレスとポゼッションの力なのだが、実はどちらも守備力を上げるためである。要するに、いかに相手の攻撃時間を減らすのか=早く相手からボールを奪い返せれば奪い返せるほど相手の攻撃時間は減る、いかに相手の攻撃時間を減らすのか=マイボールにしている時間が長ければ長いほど相手の攻撃時間は減る、という単純明快な事。
記事を読む前に、 サッカー人気blogランキング にほんブログ村 サッカーブログ サッカー FC2 Blog Ranking 上記3ヶ所への応援クリックを宜しくお願い致します。 しかし、物事というのは、その逆も真なり、という事があって、あえて主なプレイゾーンを下げても戦えるサッカーを、という事がそう。意図的に相手の攻撃時間を長くさせて疲労させる、意図的に相手のマイボールの時間を長くさせて守備に隙が生まれるようにさせる、という戦い方。相手の方がチーム力として勝っている場合、相手の方がフィジカルコンディション的にも環境的にも勝っている場合、相手が攻撃的な戦い方である場合、より有効なのはハイプレス&ポゼッションで戦うよりも堅守カウンターで戦う事。 また、次の試合のためにできるだけ疲労を少なくする必要がある場合、ハイプレス&ポゼッションで戦う事もできるけど、省エネのために堅守カウンターで戦う、という事もそう。EURO2012で優勝したスペイン代表がまさにそうしていたし、ファーガソン時代のマンチェスター・ユナイテッドが、明らかに格下と考えられる相手との試合で、戦力を落としてリトリート戦術で戦う事が少なからずあったのもそのため。そして、成熟しているファンはその事を理解できるから、そうした事に対して批判をする事は無い。 必ず勝たなければならない試合、勝つだけでなく大量得点が必要な試合、負けなければ良い試合、負けても失点が少なければ良い試合、次の試合の事を考えなくても構わない試合、次の試合の事を考えなければならない試合、とにかく試合とはいつも同じではない。もちろん、対戦相手もいつも同じではない。相手の方が格上か格下か、相手の方がフィジカルコンディションは上か下か、環境や条件は相手の方が有利か不利か、相手の戦い方はどうなのか、戦いというのは常に相手や環境を考えて実行するものである。 コンフェデ後のザックジャパンがまずやらなければならなかった事は高い守備意識を取り戻す事だった。守備的に戦おうと攻撃的に戦おうと、世界の強豪国と戦おうという場合に、コンフェデまでの守備意識では無理。特にCBやボランチやGKに世界レベルの守備力を持つ選手がいない日本であるならば尚更だが、そうではなくても、世界の強豪国であっても、前線や中盤の守備(意識)力が低いチームは恒常的に良い結果を出せなくなっている。つまり、前線や中盤の選手にも高い守備(意識)力がある、というのは、恒常的に良い結果を出すための必須条件であると言える。 そして、コンフェデ後、高い守備意識を取り戻したザックジャパンが次にやらなければならなかったのは、戦い方の幅を広げる、戦い方に柔軟性を持たせる、という事だった。DFラインを高くしても良いのはハイプレスがかかっている時だけ、ハイプレスがかかっていない(かけられない)時には少しDFラインを下げる。またその場合には2列目の選手もしっかり下がって守備をする。それでまずは大きく相手の攻撃を跳ね返し、その間にDFラインを押し上げ、そこからハイプレスを効かせようとする。ダメだったらまた同じ事を繰り返す。 そういう事ができるようになったからこそ、オランダ戦とベルギー戦では2失点で済んだし、個のミスさえなければオランダ戦もベルギー戦も1失点で済んだ。選手も含めて、多くの人が、守備的に戦え=ベタ引きの戦い方をしろ、という考え方の間違いを起こしていたが、真実は、守備的に戦え=もっと守備意識を高く持ってプレイしろ、という事であり、ハイプレスができるかベタ引きになってしまうかは相手や状況や時間帯にもよるから、そこに「らしさ」という言い訳を求めず、きちんと勝つための最善の方法で戦え、幅を持て、という事である。 もちろん攻撃も然り。左からだけではなく右からも攻める事ができるようになる事。ショートパスだけではなくミドルやロングのパスも織り交ぜて攻める事。手数をかける攻撃だけではなく手数をかけない攻撃もできるようになる事。足元だけではなく裏のスペースを狙う攻撃も織り交ぜて攻める事。「らしさ」を捨てろという事ではない。「らしさ」に上積みを持つためにも、「らしさ」をより活かすためにも、「らしくない」というかセオリーをまずはきちんとできるようになろう、幅を持てるようになろう、という事である。 しかし、その部分で言うと、心配なのは選手たちよりもファンや評論家たちだ。選手はもう先に進んでいるのに、つまり、「らしさ」だけに拘らない幅を手に入れようとチャレンジしているのに、まだ一部のファンや評論家たちには「日本らしさ」に対する固執が感じられる。ブラジル国民がブラジル代表について「かつてのように美しく勝て」と懐古主義になっている事がブラジル代表の進歩を阻害しているが、いつまでも「日本らしさ」を求めるのもそれと似ている。セオリーをやっても「らしさ」は消えない。むしろセオリーをきちんとやる事で「らしさ」が活かされてくる。 CBやボランチのビルドアップ能力は守備能力の次だ。CBやボランチの守備能力が低いチームは砂上の楼閣と同じ。CBやボランチのビルドアップ能力が足りなければ、マリノスでの俊輔がそうしているように、マンチェスター・ユナイテッドでのルーニーがそうしているように、それより前にいるビルドアップ能力の高い選手が流れの中で下がって来てやれば良い。CBやボランチの守備力が足りなくて、攻撃的なポジションの選手に守備負担が多くかかるよりはマシだ。守備意識を高く持つ事と守備負担が多くなる事とはイコールではない。 「日本らしいサッカー」というカビの生えた古臭い固定観念から脱却し、もっと広く新しい視野で日本のサッカーを論じなければ進歩はないと思う。日本(人選手あるいはサッカー)はこうだから、と決め付けてしまう事は、日本(人選手あるいはサッカー)の可能性を自ら閉ざしてしまう事であるし、日本(人選手あるいはサッカー)の進歩の道を自ら狭くしてしまう事である。「日本らしいサッカー」という蓋で臭い物に蓋をしてはいけない。常に他から学ぶ姿勢を失ってはいけない。くだらない屁理屈や手法で自らを正当化しようとする事は一番やってはいけない事だと思う。 このブログは皆様の応援で継続されています。 記事の内容が「興味深い、賛同できる」と思いましたら、 サッカー人気ブログランキング にほんブログ村 サッカーブログ サッカー FC2 Blog Ranking 上記3ヶ所への応援クリックを宜しくお願い致します。
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いつも興味深く拝見してます。ベルギー戦の終盤もそうでしたが、日本はラインが下がるとバックラインの強さ・高さがない分、極端に押し込まれてしまい、そこから脱出できずなかなか押し上げられない。というシーンをよく目にします。これは前線がキープ出来ない(フォローもない)のも要因だと思うのですが、これを防ぐにはどうしたらいいのでしょうか?ラインをプレスが効いてないのにむやみに上げれば裏を取られるし、かと言って選手交代で運動量を補って常にプレスをかけ続けていくプレーをすれば関塚ジャパン・岡田ジャパンの二の舞ですし…。
あと個人的にはマッツァーリ時代のナポリのサッカーが好きなのですが、本田圭祐はインレルの様なプレーヤーになって欲しいのですが、管理人さんは好きなプレーヤーなどはいるのでしょうか? |
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