ライティング・ハイ

年間350本以上映画を見た経験を活かしてブログを更新

社会に出ると「感性」というものを消さないと生きていけないと思っていた。

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「感性が鋭すぎるんじゃない?」

昔、友人にこんなことを言われたことがあった。

 

飲み会に行っても、ぐったりとしている自分を心配してかそんな言葉を投げかけてくれたのだ。

 

私は昔から飲み会というものが極端に苦手だった。

会話のペースについていけず、楽しい飲み会のはずなのにぐったりとしてしまう。

目の前の人と話していても、微妙な視線の違いに気が入ってしまい、

「この人はこう話しているが、裏ではこう考えているんじゃないか?」

など、裏の裏まで考えてしまう癖があり、話をしているだけで無駄に精神的に疲労を感じることが度々あった。

 

だから、昔から人と話をするということが極端に苦手だった気がする。

人と話すのが嫌いなのではない。

些細な言葉のトーンの違いにも目がいってしまい、異常に疲れてしまうのだ。

 

大学時代もどうしても飲み会というものだけは好きにはなれなかった。

誘われても、なんとか言い訳をつけて断っていたのだと思う。

 

そんな私に大学時代の友人はこう投げかけてくれたのだ。

「君は感性が豊かすぎる」

 

ちょっとしたことにも目がいってしまい、普通に生活しているだけでも疲れてしまうのだ。そのためか、どんどん私は人との距離を置くようになっていった。

 

知り合いと話をしているよりも一人で家にこもって映画を見ていた方が気が楽だった。

大学時代はずっと家に引きこもって映画を見まくっていた。

 

映画を見すぎてTSUTAYAから年賀状が届いてしまうくらい映画を見まくっていた。

映画が好きだったということもあるが、何よりも人とのコミュニケーションが苦手で自分の中の殻に閉じこもったのだ。

 

人と話をしているよりも自分の中の世界に入っていた方が楽だ。

そう思っていた。

 

社会人になって、毎日満員電車に揺れられて会社に向かうも、どうしても通勤中に気分が悪くなることが度々あった。

満員電車に乗っていても、常に人の目を気にしてしまうのだ。

「この人は今、こういうことを考えているのだろうか?」

「この女性はきっと、昨日の晩、こんなことがあったのだろうか?」

 

人の顔を見ているとなんとなくその人の個性というか、考え方が見えてくる。

その人の性格が顔の表面に現れてくるのだろう。

 

そんな風に常に些細なことまでに目がいってしまう性格からか、会社の昼休みになる頃にはいつもぐったりとしてしまう。

 

いろいろ考え事をしすぎて、頭が疲れてしてしまうのだ。

あ……このままではまずい。

そう思った時は、トイレに駆け込んで、深呼吸をしている。

 

世の中ではこう言った症状をパニック障害とかいうらしい。

 

自分も何度か経験があるが、本当にちょっと体調がすぐれないと思った時は、すぐにトイレに駆け込んで深呼吸をする。

 

なんでこうも世の中は生きづらいのか……

極度に人の動作や目の動きに注意がいってしまい、人と話をしているだけで疲れてしまう性格を直すため、最近はなるべく感受性というものをシャットアウトするようにしていた。

 

社会人となると毎日やるべきことがいっぱいあり、いちいち感受性というものに敏感になっている時間がない。

 

テキパキと言われたことをやり、言われた通りに書類を作らないと時間内に仕事が終わらないのだ。

 

結構、長いあいだフリーター生活をしていたが、なんとか今の会社に入社することができた。

大学を卒業して1年分、人よりも遅れを取ってしまったので、人一倍頑張っていかなければいけないと思う。

仕事は割と好きな方だ。

 

だけど、どうしても何か心のそこでしっくりとこないものがある気がする。

 

 

 

いちいち、人との会話に敏感に反応してしまい、ぐったりと疲れていては仕事にならない。

そのため私はなるたけ感性のスイッチを切ろうと、大好きだった映画鑑賞もなるたけ抑え、小説もあまり読まなくなった。

電車に乗っていても、あまり人の顔や表情を気にしなくなっていった。

いちいちいろんなことに敏感になって反応していては、仕事に集中できない。

そう思って、無理やり感性の扉をシャットアウトしていたのだ。

 

だけど、どうしても何か心の奥底で不安を感じていた。

このままでいいのだろうか?

そんな漠然とした不安を感じていたのだ。

 

不安を感じつつも、あっという間に夏休みになった。

上司や同僚の人はみんな海外旅行などに出かけて行っていた。

私はというと約8ヶ月かけて20万近くするカメラを買ったため、極度の金欠状態であり、どこにも旅に出かけることができなかった。

ま、大好きなカメラで近場を撮りまくれるならいいや。

そんなことを思って夏休みを過ごそうと思っていたが、どうしても行ってみたいと思っていた場所が一箇所だけあった。

 

そこは「山田かまち美術館」である。

 

山田かまちという青年を知っているだろうか?

わずか17歳でこの世を去った青年だ。

亡くなった後に家に残されていた大量の詩や絵が評価され、美術の教科書にも載っている。

 

私は中学の時に彼が書いた「青い自画像」と呼ばれる絵を美術の教科書で見かけ、衝撃を受けたことを覚えていた。

 

思春期特有の感性が絵の中ににじみ出ていたのだ。

 

 

なんだこの人は……

 

そこから私は山田かまちが残した大量の詩を貪るように読んでいった。

強烈にまでに鋭い感性に私は完全に魅了されていった。

 

なんでこんな才能ある人が17歳でこの世を去ってしまったのだろうか?

ギターの練習中、感電死したと言われているが、どうしてもしっくりとこなかったのだ。

 

いつか彼の美術館を訪れてみたい。

そう思っていたが、なんせ彼の故郷は群馬であり、そう簡単に行ける距離ではなかった。

 

いつか行ってみたいと思っていたが、いつしか結構な年月が経っていた。

 

せっかくの夏休みだし、群馬まで行ってみるか。

そう思い立ち、私は愛くるしいまでに愛用しているカメラを持って、群馬にある山田かまち美術館を訪れることにした。

 

東京の新宿から片道2時間の旅である。

遠い……

群馬……遠い。

そう思いながら、新宿から普通列車に乗って片道2時間以上かけてようやく群馬の高崎駅にたどり着いた。

 

 

駅から歩いて30分ほどのところに山田かまち美術館があった。

死後、30年以上経っているにもかかわらず、美術館の中は人で埋め尽くされていた。

中学生から60代の老人まで幅広い層が、彼の美術館を訪れていた。

 

17歳でこの世を去った青年の感性と才能に、多くの人が魅了されていた。

 

私は館内を歩いていくうちに、彼の鋭いまでにすざまじい感性に完全に良い浸ってしまった。

そこには異常なまでの量の絵と詩が展示されてあった。

 

この量の絵と詩をわずか17年の人生で書き上げていたなんて……

 

そこに展示されてある詩と絵の量が異常なのだ。

異常なまでにむき出しにされていた彼の感性が絵の中で爆発していたのだ。

 

私は何時間もかけて彼の書いた絵を見ていくうちに、心のそこではこう思っていた。

 

「きっと、これだけ感受性がむき出しになっていたら、生きていくのも辛かったんじゃないか?」

 

 

彼が書きあげていた絵と詩の量が異常なのだ。

感受性が異常なまでに鋭すぎるのだ。

17歳が書いた絵とはとてもじゃないが思えないのだ。

 

 

普通に生活していても自分の中にある感受性を抑えきれず、ペンを迸るかのように握っていたのが、目に見えるようにわかるのだ。

 

とにかく量が異常だ。

こんなに感性が鋭いなんて……

 

私は彼が書いたとある一節の詩に目がいった。

その詩を見た瞬間、自分の中にあったモヤモヤの正体が書かれてあった気がしたのだ。

 

そこにはこう書かれてあった。

 

 

「感じなくちゃならない。やらなくちゃならない。美しがらなくちゃならない」

 

社会に出たら、感性というものを捨てなければいけないと思っていた。

何かを見て、感動したり、悲しみを抱いたりする感受性は仕事をする上で支障が出てくる。

だから、どんどん捨てなければいけない。

そう思っていた。

 

だけど、人は何かを見て、悲しんだり、苦しんだり、嬉しがったりと感性をむき出しにして、感じなければいけないのかもしれない。

 

子供の頃にはみんな感性をむき出しにして、泣いたり、笑ったりしていた。

だけど、どうしても大人になってくるにつれてそう言った感情は消えていってしまう。

 

何かを見て悲しんだり、苦しんだりする感性があるからこそ、人は苦しんでいる人を見ても、見て見ぬ振りができなくなるのだ。

 

忙しい毎日を送る中、社会の隅っこでもがき苦しんでいる人を見ても何も感じなくなっている自分がいる。

人身事故が起こっても、

「何だよ! 打ち合わせに遅れるじゃないか」と不満を言う人もいる。

その場で人が亡くなっていることよりも、打ち合わせに遅れることを気にしてしまうのだ。

 

社会に出てみると、いちいち、人の悲しみを見ている暇もなくなってくる。

 

だけど、それでも人は感受性をむき出しにして、感じなければいけないのかもしれない。

感じることができるからこそ、人の苦しみや痛みに気付けるのだ。

 

山田かまち美術館を出た時には、私はいつしか目に涙を浮かべていた。

「何かを感じなければならない」

 

たとえ、世の中に暗い部分や汚いことはきっといくらでも転がっているのだろう。

それでも、この社会の中で生きていかなければならないのだ。

17歳の鋭いまでに突き刺さる感性に私は多くのことを学んだような気がするのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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