« テレビブロスな日々 | トップページ | タルタルな夜 »

2006.05.22

HSI 3号の闇

Hs1
Hs2
ライブドア事件に巻き込まれて、沖縄で不審死を遂げた野口さんについて、今日は、最重要な証拠のうちのひとつを公開しようと思う。この証拠を見れば、どうして野口さんが死ななくてはならなかったのか、野口さんの死の裏側に何があったのか、そして、どうして捜査当局はムリヤリに「自殺」と断定して、大慌てで捜査を打ち切りにしたのかなどの不可解な点が、垣間見えて来ると思う。あたしは、野口さんのケータイの通信記録や、その他の重要な証拠、証言などから、この事件の真相については確信を持っているけど、それはあくまでも「推測」の域を超えないので、今回はそう言った推測などはいっさい加えずに、事実だけを書いて行く。だから、今日の日記を読む人たちは、その事実から、事件の裏側の闇の部分をそれぞれが想像して欲しい。

今日、公開する証拠と言うのは、イノシシ被告と宮内被告の指示によって、野口さんが中心となってやらされていた、あるビジネスに関するものだ。このビジネスは、「HSI ●号」と呼ばれていたもので、この「HSI」と言うのは、もちろん、野口さんが副社長をつとめていたエイチエス証券の子会社、「エイチエスインベストメント」の頭文字だ。そして、このファイルの内容を公開する前に、まずは、野口さんの奥様からの最重要証言を掲載する。


送信者: 野口多規子
件名: こんにちは、野口です。
日時: 2006年0X月XX日

きっこさま
1月17日の朝、主人は「HSI投資事業組合」に関するファイルをとても気にしていて、「できれば処分してほしい」と言われてました。
でも、もし違う書類だったら・・・と心配で、帰ってきたらもう一度確認するつもりでした。
その当日、1時半から地検がはいり、5時半に帰ったので、主人に電話をして話をした時、何を持っていかれたのか聞かれました。
主人が朝気にしていたHSI投資事業組合に関するファイルも持っていかれたことを伝えると、強い口調で「処分してくれって言ったのに」と言われました。(後略)


‥‥そして、この日の翌日、1月18日に、野口さんは、沖縄のカプセルホテルで亡くなった。つまり、1月16日に、ライブドアにガサ入れが入り、17日に、野口さんは奥様にこのファイルの処分を頼んだ。しかし、奥様は処分せず、このファイルは地検に押収されてしまった。そして、翌日の18日に、野口さんは、突然、沖縄に行き、亡くなったのだ。この事実を見れば、この「HSI投資事業組合」に関するファイルが、事件の大きなカギを握っていたことは火を見るよりも明らかだろう。

さて、その問題の「HSI投資事業組合」に関するファイルだけど、どんな書類なのかって言うと、エイチエス証券の子会社のエイチエスインベストメントと、ライブドアの子会社のライブドアファイナンスとが中心になって、投資事業組合を利用して、双方で株の持分を譲渡したり、見せ掛けだけの出資をし合いながら、架空の取り引きを繰り返して行く錬金術の方法が、こと細かに、図解入りで書かれているものだ。たとえば、その中の1件、「HSI 3号」と言うファイルを見ると、2枚に渡って、エイチエスインベストメントの野口さんと、ライブドアファイナンス(当時)の羽田寛とが、双方で架空の取り引きを繰り返して行く錬金術のシステムが、野口さんの手書きの図で描かれている。そして、その図を見ると、ライブドアファイナンスが、ライブドアの窓口として動いていたことが、ひと目で分かる。以下が、そのファイルの内容だ。


HSI 3号 投資事業組合持分譲渡契約書  H16年4月30日

               譲渡人  エイチエスインベストメント
                                野口

               譲受人  (株)ライブドアファイナンス
                           代表  羽田寛
 
(1) 出資口数       金 143.000.000円  (4) 譲渡日 平成16年 月 日
(2) 譲渡口数       5口分          (5) 口座名
(3)  〃 金額          715.000.000-

-------------------------------------

「LD」の「C1号」から「LDF」へ「持分譲渡」し、「HSI」から「HSI 3」へ「ファンド組成」

1.「HSI 3」から「LDF」へ持分譲渡、「LDF」から「HSI 3」へ持分譲渡、「HSI 3」から「LDF」へ「Cash (71.500)」
2.「LDF」から「HSI 3」へ「Cash(71.500)」、「LDF」から「HSI 3」へ「出資(71.500)」
3.「HSI 3」から「LDF」へ「払い戻し(71.500)」


点線より下の部分は、野口さんの手描きの図になっていて、これは、それを文字にしたものだ。この「HSI 3号」を撮影した写真は、「きっこのブログ」のほうに画像としてアップするので、クリックで拡大して内容を確認して欲しい。それから、これだけは気をつけて欲しいんだけど、このファイルは、本件の重要証拠であり、その開示権は奥様にある。あたしは、奥様に許可をいただいて、今回、公開しているけど、奥様の許可をもらっていない人が、この画像を二次使用することはできないので、無断で自分のブログやサイトなどに貼りつけたりすることは絶対にやめて欲しい。

ちなみに、この「HSI 3号」と言うのは、野口さんが奥様に「処分してほしい」と依頼した書類のうちのほんの一部で、他の書類には、もっと確信に迫る事実が書かれている。ただ、現時点で公開できるのは、この書類だけなんだけど、これだけでも、イノシシ被告がどれほど悪どいことをやって来たのか、それも、自分は手を汚さずに、すべて部下たちにやらせて来たのかってことが一目瞭然だろう。もちろん、あたしは、人の命よりもお金のほうが大切だと思ってるような守銭奴なんか絶対に許せないから、イノシシ被告が少しでも重い罪になるように、他の書類についても、ご遺族や弁護士と相談しながら、タイミングを見て、少しずつ公開して行く予定だ。そして、シンガポールに逃げたイノシシ被告の大親友も、こいつらに女子大生を斡旋して取り入ってたクズ野郎も、どいつもこいつも絶対に許さない。

さて、ここで、野口さんが沖縄で亡くなった1月18日の予定を振り返ってみると、本来ならば、エイチエス証券の澤田秀雄社長と一緒に、熊本県の「九州産業交通」に出張する予定になっていた。この辺のことを説明するためには、「HSI-HS九州産交投資事業有限責任組合」のことにも触れなくちゃならないので、ここでは割愛するけど、ようするに、1月16日にライブドアのガサ入れがなければ、野口さんは、1月18日には、当初の予定通りに、熊本県の「九州産業交通」に出張していたのだ。しかし、現実には、1月16日にライブドアのガサ入れが行なわれ、17日には、野口さんの自宅にもガサ入れがあり、野口さんが何よりも気にしていた「HSI投資事業組合」に関するファイルは、地検に押収されてしまった。そして、このファイルを地検に押収されたことを知った野口さんは、突然、行方不明になり、翌日の18日には、沖縄のカプセルホテルで、変わり果てた姿で発見されたのだ。

あたしが、何よりも不思議なのは、捜査当局が、これほどの重要証拠を押収していながら、この書類に明記されているライブドアファイナンスの羽田寛に対する取調べを行なっていないことだ。それどころか、これほどの証拠を押収しておきながら、トットと捜査を打ち切りにした不可解さ。まあ、この辺の謎は、野口さんのケータイの着信履歴に、その大きなヒントがあるんだけど、こちらに関しては、現時点では開示できる段階じゃないので、次の機会にしたいと思う。ま、ひとつだけ言えることは、もしも野口さんが亡くなっていなければ、地検は重要参考人として出頭を要請していただろうし、野口さんが地検にすべてを話していれば、誰よりも困るのは、イノシシ被告だったってことだ。これ以上は、何も書けないので、今日の日記を読んだ皆さんは、それぞれが考えて欲しい。

たったひとつだけ言えることは、安部晋三が「小泉改革が生み出した時代の寵児」って大絶賛して、武部ブタが「私の弟です!息子です!」って大絶賛してた男が、裏でどれほどヒドイことをやって来たのかってことが、これから、この「きっこの日記」上において、少しずつ明らかになって行くってことだけなのだ。


★今日も最後まで読んでくれてありがとう!
★野口さんの死の真相を徹底的に解明すべきだと思う人はクリックにご協力を!
   ↓   ↓
人気blogランキング


|

« テレビブロスな日々 | トップページ | タルタルな夜 »