「普通においしい」

 意外に思われるかも知れませんが、僕は「日本語の乱れ」と言われるような話が好きではありません。
 「どうぞ、いただかれてください」のように、謙譲語と尊敬語とがヘンにゴチャゴチャになっていると気になりますが、俗語や流行語に過剰反応するのはバカげていると思います。

 一頃、「チョベリバ」みたいなギャル語が話題になったときにも、あれで日本語が壊滅的な打撃を受けているかのようなナイーヴな反応をする人がいましたが、ああいう局所的な口語の流行はいつの時代にもあるわけで、今ではそれを遣っていた当のギャルたちでさえ、誰も「チョベリバ」などとは言わないように、放っておけばそのうち廃れるものです。その中で、言葉としてしっくりくるようなものがあるならば、それはそのまま、日本語として定着していくのでしょう。

 その意味では、たとえば、「なにげに」という言葉は、僕は定着するんじゃないかという気がしています。単なる予感ですが。これはもちろん、「なにげなく」の誤用ですが、妙に遣い心地のいい言葉ですね。既に違和感を感じないという人も多いんじゃないでしょうか。

 最近の日本語エンターテインメント系のテレビ番組などでは、コンビニなんかで、600円の買い物をして、1,000円を渡したときに、「1,000円からでよろしいでしょうか?」と店員が言ったりするのを殊更に槍玉に挙げて、「1,000円から」の「から」はどういう意味だ!? と怒ってみたりする人がいますが、それはポーズなのか、本当に分からないのか、どっちなんですかね? 普通に考えれば、「代金の600円は、今お預かりした1,000円の中からいただきますが、よろしいでしょうか?」の意味だろうし(更に言えば、「1,100円の中からだとおつりを500円硬貨一枚でお渡しできますが、そうでなくてもよろしいでしょうか?」ということだろう)、それをただ省略しているだけで、そんなに難しい話ではないはずですが。

 あとは、「普通においしい」という言い方もそうですね。これも意味が分からないという人がいますが、どうしてでしょう? たとえば、ブルーチーズを食べたとき、人は、「クセがあるけどおいしい」という言い方をします。そんなふうに条件や留保をつける必要のある食べ物とは違って、ストレートに、一般の誰もが「おいしい」と同意するであろうような味の食べ物(あるいはその水準に達している食べ物)を食したときに、現代人は「普通においしい」と言うわけです。
 確かに、新しい表現ですけど、「普通」というのは、そもそも、並だ、平凡だ、というネガティヴな意味とは別に、「普遍的に通じる」というポジティヴな意味があるのですから、そんなに飛躍的な言葉の遣い方だとは思えません。

 言葉というのは、生きているわけですから、現代人は現代人なりの必然によって、好きなように工夫して言葉を遣えばいいわけです。無理があればすぐに廃れるでしょうし、しっくり来れば定着するでしょう。そういう変化をまったく認めずに、「普通においしい」という言葉の意味さえ分からないと言ってる人は、本人はそれで「美しい日本語」を守ってるような気になってるんでしょうけど、言葉に対して、無意味に硬直した態度に陥っているとしか思えません。