芸備線備後落合駅にて~平成19年(2007年)7月22日~
去年の7月、奥出雲おろち号を撮ろうと、ドライブがてら芸備線備後落合駅を訪ねたときの記録です。
改札を入った辺りから新見方を望みます。ホーム上屋の端にある待合室となっているところ辺りに、かつては売店があり、名物のおでんそばや日本一安い駅弁なんてのを売っていました。おでんそばとは、要するにおでん入りそばのことで、単品でも売っているおでんをかけそばの上にのせるというものでした。たしか具は好みのものを選べたように思います。よく味の浸みたおでんと食べるそばは格別でした。日本一安い弁当は昭和63年(1988年)4月に300円で売ってました。売店のことは乗客もよく知っており、僅かな停車時間に買い求めようと列車が備後落合に近づくとデッキに立ち、到着するや駆け足で売店に向かったものです。
右の待合室となっているところが売店だったと思います。
相変わらず広い構内。陰陽連絡の要衝駅としての、かつての賑わいが感じられます。山の方から草木が侵出してきているような気が。。。 左前方にある建物は鉄道施設として利用されていたものでしょう。
11:20着、三次からやって来た当駅止まりの354D。木次線・芸備線ともに今はもう直通列車はありません。
これから到着する「奥出雲おろち」号に乗り換える方と、その他に同業者の方数人が下車。
8421レ「奥出雲おろち」号が推進運転で到着。右が木次線、左が芸備線。
団体客などでほぼ満席のようでした。
DE10も青いと印象がずいぶん違いますね。それにしても間近で見るディーゼル機関車は力強さを感じます。
束の間の賑わいが帰ってきました。約20分間停車ののち木次へ向け出発して行きました。
生い茂った雑草が一段と寂れた感じを強調します。昔から秘境の駅ではありましたが、今のようには荒れてませんでした。無人化も要因のひとつかもしれません。
↓↓下は昭和63年(1988年)4月3日の画像です。
木次線キハ52
小さくて見えにくいのですが、売店が見えます。
20年前の画像と比べると現在の線路やホームの荒廃ぶりがよく分かります。
まだワンマン設備が整っていないキハ52とホーム。
手元にある昭和63年(1988年)2月号の時刻表によると、スキーシーズンにはまだスキー列車が運転されていました。
快速「三井野原銀嶺」号 全車指定席
小郡19:49発 - 三陽・芸備・木次線経由 - 三井野原6:08着
快速「三井野原道後山銀嶺」号 全車指定席
三井野原17:25発 - 山陽・芸備・木次線 - 広島着21:08着
快速「三井野原スキー」2号・1号 全車指定席
福山20:26発 - 福塩・芸備・木次線経由 - 三井野原0:30着
三井野原15:55発 - 同上 - 福山19:57着
急行「三井野原道後山銀嶺」号 全車指定席
広島8:32発 - 芸備・木次線経由 - 三井野原11:11着
急行「三井野原銀嶺」号
三井野原15:05 - 芸備・木次線経由 - 小郡着21:50着
昭和63年(1988年)4月3日 木次線撮影現場にて
ありました300円弁当の写真が。フィルム装填直後の空打ちしたコマに写っていたものです。木次線へ撮影に行った上↑の写真と同じ日に買ったものです。かなり拡大しましたので画像が少々荒いですが、よく見ると三次駅と記載があります。図柄もどうやら三次の観光名所などのようです。
当時の大型時刻表の、新幹線時刻掲載ページ下に記載してある各駅の主要駅弁を見ると800円~1000円が主流ですから300円はやはり安かったようです。
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こんばんは。
備後落合駅、いつか訪ねてみたい駅の一つです。
中国山地のあちこちに敷かれた鉄路が元気だった時代には活気もあったのでしょうね。
3往復しか列車の走らない区間があるなど、鉄道の旅もなかなか計画も立てづらい状況ですが、やはり備後落合駅には、列車で向かいたいものです。
今まで中国エリアには殆ど縁がなく訪ねる機会もなかったのですが、幾度か旅する内にすっかり魅了されました。まだまだ乗ったことのない路線も多く、時間をかけてでも各路線を旅したいと思い続けています。
お写真も楽しませて頂きました。ありがとうございます。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
投稿: 風旅記 | 2016年12月29日 (木) 21時52分
>寝台特急安芸さま
備後落合駅の荒廃ぶりにはほんと寂しくなります。今は新見方面と木次方面にはキハ120?のワンマンカーがとことこと走ってます。本数もかつてより減ってるような。夜行ちどりで深夜の芸備線木次線の旅をしてみたかったと思います。もちろんグリーン車で。
投稿: kaz. | 2008年5月22日 (木) 07時09分
備後落合駅、今はさみしくなりましたね。
私が初めて訪れたのはやくもが電車化した頃だったと思います。
新見駅で381系を降り、そこから備後落合までたらこ色の20系?だったかと思いますが、結構な時間をかけ到着した記憶があります。
広島までのちどりを待つ約2時間、ホームや駅を色々眺め歩いては写真を撮ったのがついこの前のようです。
当時は綺麗に整備され、まだ駅が”生きている”という雰囲気がありました。。。
深夜のこの駅で夜行ちどりの到着を待つ・・・なんて経験ができたら最高だったのですが。。。
投稿: 寝台特急安芸 | 2008年5月21日 (水) 22時38分
今日はお疲れ様でした。5092レはやはり遅れでしたか?
さて、芸備線の駅弁、米子行きの「ちどり」の最終日に車内で食べました。量は少なかったけど。
おでん入りのそばも思い出があります。
分岐点とは思えない雰囲気でしたが、三井野原のスキー臨も遅くまで残ってましたね(一説によると、併走する国道が軽自動車すら離合しにくかったとか。最もそれが木次線が残れた理由ですが)
投稿: レッドサンダー | 2008年4月27日 (日) 14時04分