【目黒区中目黒】「木村拓哉の自宅」と「工藤静香の実家」は2軒隣のご近所~「実家と自宅の位置関係」から見た工藤静香と木村拓哉(キムタク)の家族関係:工藤静香と中島みゆき/芸能人の自宅がお隣同士の記事まとめ
- 2024/12/30
- 08:28
今回は、目黒区・中目黒にある「工藤静香の実家」を探訪し、「木村拓哉・工藤静香夫妻の自宅」との位置関係をご紹介するとともに、「木村拓哉・工藤静香夫妻の自宅」が建てられた経緯などから見た工藤静香と木村拓哉(キムタク)の家族関係を見ていきたいと思います。
後半では、「工藤静香と中島みゆき」、「芸能人の自宅がお隣同士の記事まとめ」を掲載します。
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本ブログ掲載の写真が他サイトで出典を明記せず無断引用される事例が多発していますが、本ブログ掲載の写真は(出典が明記されているものを除いて)全て私が現地に赴いて撮影したオリジナルの写真です。
(工藤静香の実家~木村拓哉の自宅の2軒隣【目黒区・中目黒】)
目黒区・中目黒にある、10億円とも言われる「木村拓哉・工藤静香夫妻の自宅」(下の写真)については、「木村拓哉、桑田佳祐、唐沢寿明の自宅を探訪~中目黒→恵比寿散策(1)」で詳しくご紹介しましたが、
その「木村拓哉・工藤静香夫妻の自宅」の2軒隣に「工藤静香の実家」があります(下の写真)。
工藤静香の出生地は東京都西多摩郡羽村町(現・羽村市)なので、「実家」と言っても工藤静香が生まれた生家という意味での「実家」ではなく、両親が住んでいるという意味での「実家」です(ただし、2005年に工藤静香の父親は亡くなっているので現在は母親のみが住んでいると思われます)。
工藤静香の実家入口には
「Kimura」と手書きで書かれた表札がありました(手作り感のある表札です)。後述するように、この実家は工藤静香(本名:木村静香)が両親にプレゼントしたものなので、「工藤」名ではなく「Kimura(木村)」の表札にしていると思われます。
【工藤静香はパープル(紫色)好き】
工藤静香のパープル(紫色)好きはよく知られています。
Wikipediaによれば、工藤静香が人生初のフェラーリを購入した時は、こだわりの特注内装をパープル(紫色)にしたそうです。
そして、工藤静香が両親にプレゼントしたこの実家の外装もパープルがアクセントとなっています。
そういえば、羽村市にあった工藤静香の実家は「ラベンダー」というスナックでしたが(Wikipedia)、ラベンダーは鮮やかな紫色の花が咲きますので、工藤静香のパープル好きはここから来ているのかもしれません。
下の写真はパープル(紫色)で統一された車内。工藤静香の愛車・フェラーリF355スパイダーの車内と思われます。
(出典:工藤静香のインスタグラム)
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(「工藤静香の実家」と「木村拓哉・工藤静香夫妻の自宅」の位置関係)
「工藤静香の実家」と「木村拓哉・工藤静香夫妻の自宅」との位置関係は以下の通りです。1軒の民家を挟んで2軒隣に建っています。
【工藤静香の実家と木村拓哉一家とは頻繁な交流】
工藤静香の実家の愛犬・ルンちゃんは木村拓哉一家のSNSでたびたび登場しています。このことが示すように工藤静香の実家と木村拓哉一家とは頻繁な交流があるようです。下の写真は実家の愛犬・ルンちゃんと散歩中の工藤静香。
(出典:工藤静香のインスタグラム)
下の写真は、ルンちゃんとCocomi。
(出典:Cocomiのインスタグラム)
下の写真は、実家の愛犬・ルンちゃんと木村拓哉
(出典:木村拓哉のブログ)
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(「実家と自宅の位置関係」から見た工藤静香と木村拓哉(キムタク)の家族関係)
【当初は”マスオさん”状態で工藤静香の実家に入居】
上述したように、この実家は工藤静香(本名:木村静香)が1990年頃に両親にプレゼントしたもので、
2000年に木村拓哉(キムタク)が工藤静香と入籍した後、いわゆる”マスオさん”状態で、この実家で暮らしました。そのことを週刊女性(2020年5月)(※)では以下のように記述しています(「注」は筆者が追加)。この「週刊女性」記事で「2軒隣」にあることが明らかになりました。
2000年の入籍後、都内一等地にある静香の実家で、いわゆる“マスオさん”生活をスタートさせた木村。娘たちが生まれた後の2007年には(注:Cocomiが2001年に、Kōkiが2003年に誕生)、その2軒隣に当時10億円とも言われた大豪邸を建設。木村の理解もあって、静香は実家近くで育児ができたわけだ。
【木村家とは疎遠】
一方で、木村拓哉(キムタク)と木村家は疎遠になっているようで、そのことを同じく週刊女性(2020年5月)では以下のように記述しています。
一方で、“疎遠”になっていったのが木村と実の両親だ。
「父の秀夫さんと母の方子さんとは、お世辞にも良好な関係とは言えないようです。現在の秀夫さんは都内でカフェを営み、方子さんは都心のマンションを拠点に講演活動で全国を回る日々。方子さんが千葉県内の自宅に寄るのは年に数回、荷物を取りに来るだけの“別居”状態だったのです」(写真誌カメラマン)
(中略)
「その“実家”も4、5年前に売り払われました。当時の登記ではキムタクが1/2、両親が1/4ずつ権利を所有していたことから、彼も容認しての売却であったと考えられます。キムタクにはもう帰省する実家がなくなってしまったのです」(前出・写真誌カメラマン)
(中略)
また仲がよかった実弟“キムサク”こと、元アメリカンフットボールの選手として社会人リーグで活躍した木村俊作氏とも距離ができているようだ。(中略)それぞれが各々の生活を築いていることから“一家離散”状態、ともいえる木村家。
【木村家と疎遠になった背景~工藤静香の存在】
木村拓哉(キムタク)が木村家と疎遠になった背景・きっかけとして、リテラ(2016年3月)(※※)では以下のように報じています。
こうした“一家離散”“親子絶縁”の一つの原因は、母親がスピリチュアルにハマったためという見方が根強いが、一方で見逃せないのが工藤静香の存在だ。
実際、工藤静香と結婚するまでは、キムタクは実家の両親や兄弟と非常に円満な関係を保っていた。
(中略)
「キムタクは静香と結婚する以前、“かおりん”という女性と付き合っていましたが、彼女もこのイタリアンレストランを手伝ったりしていて、本当に仲のいい家族という印象でした」(女性週刊誌ジャニーズ担当記者)
ところが、静香と付き合い始めて以降、この関係が一気に変わった。交際してまもなく、キムタクは静香の実家にマスオさん状態で住み始め、自分の実家にはまったく帰らなくなった。
「きっかけは母親のまさ子さんが静香との結婚を強硬に反対したからだと聞いています。まさ子さんは前の彼女のかおりんのことをすごく気に入っていて、家族同然に考えていたので、ショックだったんじゃないかと言われています。まさ子さんがスピリチュアルに走ったのも静香と結婚してからのことですから、ある意味、静香が木村家の一家離散のきっかけをつくったとも言える」(前出・女性週刊誌J担当記者)
これについては嫁姑の関係なので、どちらが良い悪いの話ではないが、少なくとも、静香がキムタクを大きく変えたというのは事実だ。
【木村拓哉(キムタク)は工藤静香の言うことは何でも聞く】
木村拓哉(キムタク)は工藤静香の言うことは何でも聞くようで、リテラ(2916年3月)では以下のように報じています。
「キムタクは本当に静香の言うことはなんでも聞くようです。もともと、二人ともヤンキー体質で、出会いのサーフィンも静香が先輩だった。姉御的な関係から始まっているんです。その後も家庭や子育てをそつなくこなし、芸能界の先輩として的確なアドバイスもくれる。キムタクはそんな静香にどんどん依存していったようです。外で強気に見せている人は、そのぶん、家庭で甘えられる母親のような妻が必要というのはよく聞きますが、キムタクはその典型ということでしょう」(芸能レポーター)
上記記事中に「姉御的な関係」と書かれていますが、これを年齢面で見ると、工藤静香は1970年4月14日生まれ、木村拓哉は1972年11月13日生まれで、工藤静香が2歳半以上年上です。
このリテラ記事(2016年3月)ではこの他に、「工藤静香がSMAPの女性マネージャー(飯島三智(いいじま みち))を徹底的に嫌っていたこと」、「SMAP独立騒動で、木村拓哉(キムタク)が中居正広らメンバー4人と別行動をとった背景には工藤静香の存在があったこと」などが書かれていますが、本記事の趣旨とは離れるので省略します。
(※)この報道記事のタイトルは、『木村拓哉「母の日」お祝いも、実母・方子さんは「安定剤と睡眠薬」16年間の“冷戦”』
(※※)この報道記事のタイトルは、『キムタクに「両親と絶縁」「実家が一家離散」の報道が! SMAPを裏切らせた妻・工藤静香がこの問題にも関係?』
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(工藤静香と中島みゆき)
工藤静香と中島みゆきの親交は深く、NHKで放映された「中島みゆき特集」(2023年3月放映の「SONGS」)で、ゲスト出演した工藤静香が中島みゆきの楽曲について熱く語っていました。
また、中島みゆきはこれまでに40人を超える歌手に104作もの曲や詞を提供していますが、工藤への提供作品は2割強にあたる24作(最新作は2021年12月発売の配信シングルの「島より」)を占めており、最多となっています(Wikipediaより引用)。
このように工藤静香と親交の深い中島みゆきの自宅は世田谷区代田にあります(下の写真)。詳しくは『「中島みゆき」など芸能人・著名人の自宅を探訪~代田・代沢散策(5)』をご覧ください。
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(芸能人の自宅がお隣同士の記事まとめ)
芸能人同士の自宅が近所にあるこの他の事例としては以下の事例があります。
(1)『【奥渋】「田中裕二・山口もえ夫妻の自宅」と「ニュージーランドあるある」と「渋谷でニュージーランドを楽しむ」』でご紹介した、田中裕二・山口もえ夫妻の自宅と堺正章の自宅の位置関係は以下の通りです。
(2)『【世田谷区上馬】「ベッキーの自宅」と「柴田恭兵の自宅」は隣同士』で詳しく書いたように、ベッキーの自宅と柴田恭兵の自宅は隣同士の家になっています。
(3)松任谷由実(ユーミン)の旧宅と往年の名優・浜田光夫の自宅も隣り合っています。「松任谷由実の自宅がある世田谷区岡本から見た松任谷由実(ユーミン)研究~世田谷区岡本散策番外編」を参照。
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(4)RIKACO、哀川翔、吉井和哉・眞鍋かをり夫妻の自宅は隣同士で、哀川翔と松本晃彦(元妻は麻木久仁子)の自宅は近くに建っています。詳しくは「【世田谷区等々力】RIKACOの自宅の周りは芸能人・著名人の密集地帯」をご覧ください。
(5)桑田佳祐の自宅と南原清隆の自宅は道路を挟んだ向かいにあります。また、これに飯島直子の旧宅とされる邸宅を加味すると、桑田佳祐・原由子夫妻、南原清隆の自宅、飯島直子の旧宅の位置関係は、以下のようになります。詳しくは『【目黒区中目黒界隈】「桑田佳祐の2軒目の自宅」と「桑田佳祐の自宅と南原清隆の自宅は道路を挟んだ向かい側」:飯島直子の旧宅』をご覧ください。
この他、小林幸子の新旧2つの自宅は道路を挟んで立っています。詳しくは、「【野沢】小林幸子の自宅を探訪しながら、碑文谷・柿の木坂・野沢を散策(最終回)」を参照ください。
(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。
(他のジャニーズタレントの自宅探訪記事まとめ)
木村拓哉以外のジャニーズタレントの自宅を探訪した記事のまとめは「【渋谷区南平台】森田剛・宮沢りえ夫妻、萬田久子の自宅マンションを探訪」をご覧ください
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