金がないから「いい音楽」作れない?~ビジネス感覚なき職業音楽家の末期症状
2012年 06月 20日
少ない予算では良い音楽は作れないから、
職業としての音楽家を辞めようかと、
お偉い60歳の音楽プロデューサーが、
ブログで愚痴っている文章を見て、
「職業音楽家としてのプロ意識はあるのだろうか?」
「クリエイターとしての末期症状」
「昔の時代は良かった。今の時代はひどいという、
という典型的な老害症状」だなと思った。
下記ブログより
「10年ほど前まで一枚のアルバムを作るには1200万~1500万の予算がかかった。
真面目に音楽を作るにはそういう金額がかかるのだ。
ちなみに僕が作ったdog house studioは借金し2億かかった」
でも今は予算が60万円ぐらいになった。
「確かに良い作品は作れるが、その”良さ”には限界がある。
僕らはもっともっと”良い音楽”を作って行かなければならないと思うからだ。
それには60万の予算はあまりに制約が多すぎる」
だから
「もしこのまま、より良い音楽制作に挑めないのなら
僕が音楽を続ける必然はあまり見あたらないと思えてしまう」
とブログで書いている。
とっとと音楽やめてくれと思う。
当たり前の話だが金をかければいいものができる可能性は高い。
ここでいう音楽とは「録音物としての音楽」だそうだが、
最高の録音物を作るなら、1500万円なんかじゃなく、
1億だって2億だってかけた方がいいかもしれない。
場合にとっては10億ぐらいかけた方がいいかもしれない。
時間も同じ。
1カ月で作るより1年かけて作った方が、
いい録音物としての音楽はできるかもしれない。
いや10年ぐらいかけないと、
本当に「いい音楽」はできないかもしれない。
しかしそれだけの時間とお金をかけて、
どうやってその予算を回収するのか?
職業として音楽をやっているなら、
ビジネスとして成り立つ適正コストを考えなければならない。
回収見込みもないのに、
お金をかけないといい音楽が作れないと嘆くなんて、
職業音楽家として失格ではないか。
パトロンでも見つけて道楽で音楽やってくれと切に願う。
ビジネス感覚のない職業音楽家はさっさと引退すればいい。
趣味で自己満足で金かけて勝手にやればいいじゃないか。
どんな仕事だって予算の制約がないものなんてない。
どんな仕事だってもっと予算があれば、いいものができるのにと思う。
でも仕事として成り立つために、適正なコストで商品を作ることは、
プロとしての第一条件だ。
金がないといいもの作れないなんて、
自分はビジネスマンとして無能だと宣言しているようなものだ。
そもそもこの10年でデジタル機器は目覚ましい進歩を遂げた。
パソコンの処理能力は飛躍的に伸び、
しかもそれが安い価格で手に入れられるようになった。
数百万、数千万円かけてスタジオで録音しなくても、
少ないコストで昔の時代以上の音源を作ることは可能になった。
私が数年取材・撮影を続けている、
メジャーデビュー経験もしているミュージシャンは、
1500万円なんてアホみたいな予算かけず、
自分たちで少ない予算で素晴らしい「高品質」の録音物を作って、
その音源を無料配信している。
それと比べてこのプロデューサーが1500万円かけると、
予算の数十倍に見合った「いい音楽」になるのか。
単に自分は2億もかけてスタジオ作ったのに、
ギャラが安くなって損したみたいな嘆きにしか聞こえない。
そして謎なのが、
「僕らはもっともっと”良い音楽”を作って行かなければならない」
と書いていることだ。
なぜ「なければならないのか」。
誰が1500万円ものコストをかけた音楽を求めているのか?
3000円のCDすら買わない時代に、
誰が高コストの音楽を求めているのか。
それを望んでいるのは作り手であって、聴き手ではないはずだ。
3000円のCD代を惜しみ、300円のレンタル代すら惜しみ、
“低音質”だろうがYoutubeで無料で音楽を楽しむ。
そういう時代のニーズを察知していれば、
1500万円かけた「良い音楽」を、
作って行かなければならない必要なんてどこにもない。
例えば60万円で作った音源が、
聞くに堪えないひどい品質だとするならば、
それは断固として予算を請求すべきだろう。
しかし60万円で作った音源だって、
今はかなりの「いい音楽」になっているはずだ。
それでも1500万円かけなければならない必要性とは何なのか。
同じアーティストの同じ曲で、
60万円で作った音源1曲が1000円で販売されていて、
1500万円で作った音源1曲が2万5000円で販売されていたとして、
リスナーはどちらを選ぶのか。
その答えを想像すれば職業としての音楽家が、
今、何をなすべきかは明らかだろう。
1曲2万5000円で曲が売れますか?って話。
それも決定的に品質が違うわけではなく、
耳のいい人が聴かなければわからないような、
レベルの違いしかないとしたらなおのことだ。
そしてそれほどまでに音源にこだわるなら、
音源を録音する「器」がCDなんかでいいんですか?
とか思ったりもする。
例えば、履歴書で証明写真が必要になったとしよう。
友達にスマホかなんかで撮ってもらい、
家のプリンターでプリントアウトするか、
もしくはスピード写真で撮る。
100~600円ぐらいで済む。
でも「いい写真」を撮るならそんなのではダメだと考え、
町の写真屋さんに頼む。
いや町の写真屋さんなんかじゃダメだ、
有名な写真家に撮ってもらおうと、大金払ってお願いする。
撮影にも1時間とかだけでなく、何時間もかける。
スーツは数十万円のものを着て、
プロのヘアメイクやスタイリストもつけて撮影する。
そうすれば間違いなく、
スピード写真で撮るより「いい写真」は撮れるだろう。
ただその撮影費用に100万円かかりました。
で、そんな大金出して誰が頼むんですか?って話と似ている。
それをカメラマンが「600円のスピード写真ではダメだ。
町の写真屋ではダメだ。
いい写真を撮るには100万円、かけなければならない」
といわれたらポカンとするのではないか。
そりゃ、金かければいい写真になるに決まっている。
でも履歴書の写真にそこまでの大金をかけている金はないし、
そこまでする費用対効果はない。
消費者が求めているのは必ずしも高品質ではない。
手軽さや低価格であることも重要なニーズだ。
ましてやプロのモデルになる履歴書写真というならともかく、
一般就職試験でそこまで写真に金をかける必要はない。
そんな金あったら別のところに金かけた方がいいだろう。
いくら写真がよくてもその本人がダメだったら、
就職試験には受からない。
いい音源を作ってもいい音楽でなければ売れないのと同じだ。
そもそもいくら「いい音源」を作ったとしても、
音楽は聴く人側のツールによって、
「いい音源」になるかは大きく変わる。
電車の中で携帯音楽プレーヤーで聴くのか、
それとも音響のいい部屋でいいスピーカーで聴くのか。
「いい音楽」を聴きたいなら、音源自体に大金払うより、
音楽を聴く音響設備に投資した方が、
はるかに費用対効果に見合うだろう。
ただそれよりも何よりも、
結局「いい音楽」って作品そのものの力が大きいわけです。
どんなに大金かけて素晴らしい録音物を作ったとしても、
その曲自体に魅力がなければ、
それは「いい音源」だとしても「いい音楽」にはならない。
逆に素晴らしい曲だとしたら、
素晴らしい音源でなくても、人の心をうつ。
それが音楽の本質ではないか。
そんなのは当たり前の話で、
例えば私が歌った歌を1500万円かけて音源つくれば、
この人の言う「いい音楽」になるかもしれないが、
そんなもんより、例えばミスチルの桜井さんが、
ギター片手に安い録音器で収録した歌の方が、
どれだけ素晴らしい「いい音楽」になるか。
言わずもがなの話である。
ブログを書いた人は後の日記で、
「いい音楽」とは「いい録音物」のことだと補足しているが、
でも「いい録音物」を作るには、
そもそも「いい音楽」がないとダメなわけで、
いくらいい録音物に金をかけても意味がないということが、
プロなのにわからないのかなと不思議に思う。
というかそんなことはわかっているのだろうけれど、
ここに書いてある文面から伝わってくるのは、
せっかく自分は2億も借金してスタジオを作り、
かつて1500万円の予算で音源つくり、
40年間も音楽でメシを食い、
華やかな時代を謳歌してきたのに、
今やギャラが25分の1になっちゃって、やってらんねえよ、
かつてのような予算がもらえないなら、
俺は音楽の仕事なんかしねえよと、
単に自分のことを嘆いているだけではないか。
だからバブル世代の老害クリエイターってダメなんだなと思う。
まず予算。基準は昔の価値観。
金がないとできない。
ビジネスとして、商品としての音楽ではなく、
趣味の芸術品か自己満足の作品を作っているのと勘違いしている。
今「いい音楽」を作っている若いアーティストたちが、
1500万円あればいい音源ができるのに、
予算がないから音楽辞めたというだろうか?
そんなバカげた金額は要求しないだろう。
バブル世代の老害とはまったく違う。
予算がなくて当たり前。お金がなくて当たり前。
でもデジタル機器やネットを駆使して、
いかに安く効率的にいい音楽を作れるか。
金がないなか、CDが売れない時代のなかで、
必死に今の時代にあった音楽のあり方を模索している。
そういう若いミュージシャンが、
真剣に食うための音楽で試行錯誤している中、
この日記を読むとイラっとする。
所詮この人は逃げ切り世代なんだな。
今までさんざん儲かってきたから、
別に今、音楽辞めたって平気だよって、
そういう気楽さを感じる。
私が普段取材している若いアーティストとは、
まったく真剣味が違う。
金がないといい音楽が作れないなんて、
もはやそんなこと言っていること自体が、
今の世界経済、日本社会の実情から浮世離れしている。
音楽に限らずどんな作品だって、どんな商品だって、
そりゃ予算がたっぷりあり、
いい機材が使えて、時間がわんさかあれば、
いいものが作れる可能性があるけど、
まともにビジネスをしている人はわかると思うけど、
今の時代に求められているのは、
莫大なコストをかけて専門家にしかわからないような、
些細な違いにこだわりぬいた高品質高コストの商品を作ることではない。
いかに安くていいものを作るか。
それがビジネスマンとして、
クリエイターとしての見せどころではないのか。
まだ物体があるものならわかる。
材質や素材によって品質が左右される場合は大きく、
いい材質を購入するには価格がかかる部分はある。
でも音楽は違う。
どんなに大金かけても、
いい歌やいい曲が作れるわけじゃない。
歌や曲その人自身のアイデアによるところが多い。
いい自動車を作るには絶対的にコストがかかるが、
いい音楽を作るには極端な話コストゼロでもできる。
素晴らしい歌声の持ち主が、
歌を歌ってネットにアップするだけで、
何十万回も再生される。
そこにコストはほとんどかかっていない。
音楽業界が今、大きく様変わりしようとしていて、
そうした取材をする中で最近すごく感じるのは、
もしかしたら今までの音楽業界が異常だっただけで、
今はもしかしたら「普通」に戻ったんじゃないかと思う。
誰かから依頼されて作った音楽や、
誰かから依頼されて歌ったり演奏したりするお金は発生しても、
自分で勝手に作った音楽にお金が発生しないのが、
もしかしたら本来の音楽のあり方なんじゃないかと。
1500万円ないといい音楽が作れないというような、
時代錯誤なミュージシャンはどんどん世の中から消え、
音源としての品質は素晴らしいほどよくないかもしれないが、
音楽を発表するコストや音源を作るコストが安くなった今こそ、
本当にいい音楽を作る人が見出せる時代になったんじゃないかと思う。
いつまでも過去の栄光にしがみつき、
その慣習から脱げ出せない老害はとっとと引退してほしい。
新しいアーティストの登場や、
新しい音楽業界の変革には邪魔者だと思う。
音楽業界は今、大きく様変わりしている。
・ブログ元「音楽家が音楽を諦める時」
http://masahidesakuma.net/2012/06/post-5.html
http://masahidesakuma.net/2012/06/post-6.html
<若いアーティストの取り組み>
・CDはもはや音源ではない~音源無料配信サイト「フリクル」
http://frekul.com/about/message
・音楽業界の構造改革
http://kasakoblog.exblog.jp/14395230/
・バンドと客を食い物にする音楽業界からの脱却
http://kasakoblog.exblog.jp/18141274/
・佐久間氏本人とはフェイスブックのメッセージで、
何度もやりとりをして、論点の行き違いについて確認しました。
佐久間氏のあの記事で誤解されている部分については、
「BLOGOS」に取材を受けて記事になるとのことです。
・佐久間氏と私の記事について、
「明和電機」さん(@MaywaDenki)がツイッターにて、
「現在の音楽産業について二つの対極の意見。それぞれもっともだ。考えさせられる。
「これまで派」>http://masahidesakuma.net/2012/06/post-5.html
「これから派」>http://kasakoblog.exblog.jp/18220333/ 」
とつぶやいてました。
・私がなぜこの記事に引っかかったのかは、下記をご覧ください。
日本社会の問題を「そば職人」に例えて解説
http://kasakoblog.exblog.jp/18240268/
世代間の危機意識の断絶が社会悪化を招く~世代選挙の導入を
http://kasakoblog.exblog.jp/18247106/
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下記よりお願いできれば助かります。
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