梶ピエールのブログ

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理性としての「反緊縮」


 果たして、どれだけの日本人が、2015年1月から7月までの間に、ギリシャで起こったことを記憶しているだろうか。このとき、ギリシャではチプラス左派政権が成立し、トロイカ―欧州委員会、ヨーロッパ中央銀行、IMF―が政府に要求する緊縮的な「救済策」の受け入れを拒否する姿勢を鮮明にした。さらには7月には国民投票によってトロイカ案の受け入れが否決されたことで、事態は国際的なニュースとなり、その是非をめぐって活発な議論が繰り広げられた。
 その「ギリシャの春」のキーパーソンが、チプラス政権の財務大臣を務めたヤニス・バルファキスである。『黒い匣-密室の権力者たちが狂わせる世界の運命』は、彼が財務大臣に就任してから辞任するまでの約半年間におけるギリシャの債務問題をめぐる国内政治、およびトロイカとの折衝を中心とした国際政治の生々しいやりとりを克明につづった手記だ。

 翻訳書が二段組で500頁を超える大著であるうえに、本書のほとんどの部分は、著者が財務大臣に就任してからの、恐らくは一般の読者にとってなじみのない、ギリシャの内政と、EUの政治力学、そしてグローバルな経済秩序の動向が複雑に絡み合った記述に費やされている。にもかかわらず、本書は、帯の文句にあるように「二転三転する探偵小説のような」読みだしたら止まらないほどの面白さに満ちている。
 まず、主役であるバルファキスがどんな苦境にあっても己の信念を曲げない姿がとてもかっこいいのだが、これは何しろ著者本人のことなので、いくらか割り引いて考えた方がいいかもしれない。本書の面白さを際立たせているのは、むしろトロイカに連なる欧米の政財界のエスタブリッシュメントたちが、「悪役」として完ぺきといっていいほど「キャラが立っている」ところにある。 

 さて、当時のマスコミ報道にみられる一般的な理解としては、財政を引き締めて債務を返済しろ、というトロイカの主張は理屈の上では「正しい」が、それと引き換えに国民に窮乏生活を受け入れさせるのは「忍びない」ものであり、ギリシャの左派政権はそういったポピュリスト的な「心情」を背景に成立した、というものだろう。しかし、本書を読めば、当時のギリシャ情勢をそういった「理性」対「心情」という構図で理解するのは完全な誤りであることがわかる。
 本書の前半で詳細に述べられているように、2010年に財政破綻が生じてからチプラス政権が成立するまで、ギリシャの二つの政権は、二度にわたりトロイカが要求する厳しい国内緊縮策を伴った「救済策」を受け入れてきていた。問題は、この「救済策」が、そもそも事態の解決をもたらすような代物ではなかった点にある。それは新たな融資と、貧困にあえぐ国民から搾り取った税金を原資にして、海外及びギリシャ国内の金融資本の権益を保護する「追い貸し」に他ならなかったからだ。つまり、「ギリシャ危機」をめぐる真の対立は、ギリシャの苦境の原因がギリシャ自身の怠惰によるものなのか、むしろトロイカにより押し付けられた「救済策」そのものなのか、をめぐる認識上の違いにこそ存在したのだ。
 そして、後者の立場に立つバルファキスの主張こそ、経済学者としての良識に基づく理性的なものであったことは、本書の中で繰り返し述べられる、トロイカによるコンディショナリティーとセットになった救済案(MOU、Memorandum of )を批判し、その代替案として主張してきた、以下のようなきわめて穏健かつ合理的な債務再編案見れば明らかだ。

・トロイカによる「救済策」は、これまでもGDP成長率を大きく落ち込ませてまで債務返済を優先させるものであり、持続可能ではない。
・特に、トロイカが要求するような大幅な財政黒字をギリシャが受け入れていくことは、国民の窮乏化と一体になっており、容認できない。
・持続可能な救済策は、ギリシャの経済再建とセットになっていなければならない。そのために、ギリシャ政府の抱える債務をその形態や特徴によって分類し、それぞれについて適切な処理の仕方を議論することが必要だ。たとえば、ギリシャの債務を経済成長と連動した債券にスワップするなど、より現実的なものに再編し、ギリシャ経済の回復を通じて返済できるようにすべきだ。

 このような公的債務と経済の関係についてのバルファキスの見解は、日本でもベストセラーとなった経済学の入門書、『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話』にもそのまま反映されている。特に以下のような一節は、現在の日本で財政破綻の危険性を説く人々にぜひ味わってほしいフレーズだ。「政治家や経済学者やコメンテーターが公的債務をまるで忌むべきもののように話していたら、思い出してほしい。公的債務は良くも悪くも、市場社会という機会を動かしている『機械の中の幽霊』だということを」。
 しかし、バルファキスによる理性的な債務再編案は、まるでカフカの小説のようにきちんとした理由を示されることなく、「悪役」たるトロイカのエスタブリッシュメントたちによってありとあらゆる手段を使って否定される。すなわち、最初から無視する、あるいは理解を示すような姿勢を見せてから後で手のひらを返す、メディアを使ってネガティブキャンペーンを行う、政権内の人間を取り込んで分断を図る、などなど。そして、国民投票の結果トロイカの緊縮策への反対票が60%以上を占めたにもかかわらず、チプラス首相がトロイカの示す方針に屈服する、という悲劇的な結末を迎える。

 さて、本書でとりわけ印象的なのは、冒頭のローレンス・サマーズとの会話で描かれる、「インサイダー」(政権内部で影響力をふるう人々)と「アウトサイダー」(外部からインサイダーの行動を批判する人びと)の対比である。バルファキスを含め、学者は通常はアウトサイダーであり、その立場から己の学識と良心のみに従って発言を行えばよいはずだ。しかし、そういったアウトサイダーであっても、何かのめぐりあわせによってインサイダーとして政策立案に関わることになる場合がある。ひとたびインサイダーになれば、集まってくる情報も、発言の影響力も、日常接することができる人々のランクもそれまでとは比べ物にならないほどの重みを増す。その分、その「立場」が足かせとなり、アウトサイダーであった時の様に己の信念だけに従って発言や行動を行うことは難しくなってくる。
 実は、本書を貫いているもう一つのテーマは、一人の学者がアウトサイダーとしての「魂」を保持したまま、いかにインサイダーとしての「役割」をこなすことができるか、というきわめて個人主義的なチャレンジの物語なのである。
こうしてみると、本書における真の「悪役」とは、自己のインサイダーとしての立場や影響力に固執する人びと、あるいはそれに付随する「権力」そのものと言えるかもしれない。あくまで「個」の理性的な判断を貫こうとする著者による、一人ひとりは話の分かる理性的な人間であるのに、組織の一員として発言する段になると、いとも簡単に自分の「立場」を個の理性に優先させてしまう人びとに対する評価はとりわけ辛辣である。本書は、このようなエスタブリッシュメントたちの極めて「人間臭い」側面を余すところなく描き出すことによって、経済学に詳しくない人にとっても楽しめる、人間ドラマとしての魅力を持つ書物になりえている。

 さて、日本にいて中国経済を研究する筆者にとって、やや複雑な印象を受ける箇所がある。債務返済のための資金繰りに苦慮する著者が、中国大使との交渉の結果、15億ユーロのTB(割引短期国債)を中国政府に引き受けてもらうという案をまとめたものの、トロイカからの政治的妨害によって失敗するという描写がある。その背景には、ピレウス港に対するCOSCO(中国遠洋海運集団)の買収に対する好意的な評価を含む、バルファキスの中国政府に対する相対的に高い評価がある。これは、必ずしもアジアの情勢に詳しくないため、全体的に中国政府に対し点数が甘くなる傾向があるヨーロッパの左派系知識人としては一般的なものかもしれない。
 周知のとおり、中国政府は2014年ごろから新たな成長エンジンとして「一帯一路」を指導し、積極的な資本移動を展開している。このことは、新興国の間で、中国の資金がもたらす「債務の罠」が広がるのではないか、という新たな懸念をもたらしている。本書が教えるように、巨額の債務は一国の政府を身動きできなくさせてしまうほど巨大な政治的権力となりうる。そのような巨大な権力を、中国政府が恣意的にふるわないよう、チェックをするための仕組みをアジアは果たして自力で作れるのだろうか。そういった、単にユーロ圏の問題にとどまらない、普遍性を持つ問いかけを、本書は行っているといえるだろう。