【電遊奇譚:其五】彼らの電子的な青春

私たちはすべての年代の男子高校生がやることをやった――ただし、電子的な手段で。

【電遊奇譚:其五】彼らの電子的な青春
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私が一年間だけ通っていた高等学校には、出席番号順に教室の前に立ち、ひとつ前の日付にあった出来事を朝礼で話すというしきたりがあった。それが担任の考案によるものなのか、それとも学校全体のものなのかは知らない。とにかく私たちは、それぞれのやりかたでこのしきたりに従い、登壇してなにかしらの発表をすることになっていた。私自身もその役割を負ったことがあるはずだが、どんなことを話したかは一度を除いて覚えていない。おそらく、いまでは音信不通になったほかの同窓たちもおなじような状態だろう。私たちは、構造的に言って、まとめて逮捕されて実刑を受け、刑務所の世話になっているテロリストの集団のようなものだった。罪状は、義務教育をまじめにやらなかったことである。

「お、おれは……特に何も無かったです、ハイ。」そんな声が聞こえてきた。私は机にひじをつき、フェンスでしっかりと防護された窓のむこうに広がっている青空を眺めていたはずだ。そのような中身では「発表」の義務を果たしたとは言えないという担任の糾弾と、面倒そうな「当番」の応答を聞きながら、私は自分だけの空想のなかに心を羽ばたかせていた。いいかげん退屈して、机のなかに隠しておいたハヤカワの青背を取り出し、連作短編の一章を読み終えたあたりで、天を割くような担任の声が響いた。「埒が明かん。今日はこれで終わり。次は……現国か? ○○先生の言うことをよく聞くように。」

画像はゲーム「Shenzen I/O」のもの。あの時のあの学校で一年間かけて学んだことを、このゲームでなら五時間程度で学べる。

私たちがいた私立の高等学校、電気通信を学ぶという名目の学校は、いまじっくりと考えてもまったくお話にならないような場所だった。あんなところが公に認められた教育機関であるという事実だけで、この国の国民であることが恥ずかしくなってくる。一年経ってもプログラミングどころか、コンピュータの起動の方法すら教えてもらえないような有様で、うまくなったのは半田ごての技術ばかり。あとは今になって「Shenzen I/O」をいくばくかプレイできるようになったという程度の恩恵しかない。窓にフェンスがあったのは、住宅街のどまんなかに校舎を建てておきながら、お話にならないような野球部を設立するという愚を犯したためであった。

バンホーテンのココア、唐揚げカレー、怒り

その高等学校には学食があり、「唐揚げカレー」なる垂涎ものの献立と、220mlの紙パック入りのバンホーテンのココアのセットがワンコインで買えた。それは、生まれなくてもよい場所で生まれた奇跡的なセットメニューであった。私たちは高校生、16歳から18歳の育ち盛りの男達だったのだ。バンホーテンのココアを授業中に堂々と飲む人間まであらわれる始末だった。

もちろん、その結果、私たちはぶくぶくと肥ることになった。鏡を見たときの失望を覚えた年齢の早さで言えば、あの学校に在学していた者たちは、世間の標準からすればかなり早いほうに入るだろう。入学してから三ヶ月も経つころには、この学校には太っちょの他にはいないのかというような状況になり果てた。思い出したくもない記憶である。

自分自身の容姿に自信が持てないという失意からくる集団的な怒りの矛先は、もちろん学校そのものに向けられた。私たちは組織的なカンニングを行い、その集団における集合知が可能な成績の最大値をたたき出した。私たちの学年の全科目の平均点が例年とくらべて20も向上したことは驚きとともに教師陣に迎えられたが、なんのことはない、誰かが姉妹から借りてきた手鏡の反射や、設問に対する答えが殴り書きされた四方五センチほどのカンニングペーパー、とつぜん腹が痛いと試験中に叫び足す役者の存在によって、その偏差値は完全に偽装されたものだった。

はじめての夏休み

おそらくだが、そこは当時、日本国内で「Wolfenstein : Enemy Territory」が流行っていた唯一の高等学校だった。当時の16歳の高校生にしてはかなり小賢しく、nVidia派とRadeon派の言論闘争が行われたり、年齢を偽装してコミックマーケットにサークル参加し、成年向けコンテンツを出展する生徒がいたような学校であるから、ある意味では自然なことなのかもしれない。とにかく私たちは、当時のインターネット上の純正なゲームコミュニティのなかでも異質な存在であった「Nooby Land」というパブリックサーバーに溜まり、さまざまな迷惑行為や、まったく意味のわからないボイス入りのコマンドチャットなどを連呼する、青臭い電子的不良集団となり果てていた。あそこにいたころの私はボイスチャットに猿のように吠えたて、人生でいちばん笑っていたはずである。

Youtubeに残されている「Nooby Land」の記録映像。

夜はそれでよかった。昼の時間は、まったく学校が楽しくないという失意とともに流れた。そして私たちがこの高等学校に入ってから、最初の夏休みが訪れようとしていた。先述したようなオンライン上の結束しかり、くだらない理由による学校への憤懣しかりで、この夏休みをただで終わらせるわけにはいかないという闘志が、学生たちのあいだに燃えつつあった。よく晴れた、フェンスが張られたガラスの向こうに入道雲がそびえ立っているような夏の日、2006年7月30日のことだ。私は昼休みに数名の友人たちを呼び集め、かねてより考えていたある計画についての話をした。

「おれにはこんな計画がある。夏休みの宿題を分担し、それぞれが分担したぶんを解く。その答案を、おれが今晩から立てるFTPサーバーにアップロードし、共有する。おれたちのクラスには30人が在籍している。もしもこの計画が実行されれば、夏休みの宿題を埋める労力は、1人あたりたったの30分の1で済むことになる。」

どのようにしてその計画が学年全体に共有されたのかは、はっきり言って覚えていない。しかしながら、私の友人たちの表情が輝いたこと、誰が言ったわけでもないのに、誰がどの教科が得意であるといった情報をすぐに共有しはじめたことなどは、はっきりと覚えている。私が自分の行動として覚えているのは、その計画を打ち明けた日の晩に、ほかならぬ高等学校の教材としてもらったLinux入りの安物のPCを用いて、FTPサーバーを構築する手段を調べはじめたことぐらいだ。明け方には、姓名をアカウント名とし、クラスと出席番号の組み合わせをパスワードとした、およそ100名ぶんのアカウントをもつ、ごくプライベートなFTPサーバーが設立された。

当時筆者が使用していたFTPアプリケーション、「FFFTP」。

恐るべき子供達

ここから先については、公の誌面で語りにくいところがある――ワレズ、スワップ・マジック、ダイモンツールズなどという単語を並べれば、ある種の読者には即座に了解してもらえるだろう。そのFTPサーバーは、はじめのうちは100分割された夏休みの宿題の答案が並べられていく、意図された通りの場所だった。私は日ごとに悦に入りながら、接続してくるクライアントのIDを眺めては楽しんでいた。うちのクラスでいちばんのあの馬鹿も、ここに接続するだけの脳はあったわけだ! おや、こいつは一番いい成績で修めている人間じゃないか、いくら頭が良くとも答案を写す楽はしたいわけだ!

そして夏休みが進むにつれ、男ばかりが通っていた私の学校の同級生は、コンビニや、学校の備品や、自宅でスキャンしたと思われる夏休みの宿題の自分の答案をアップロードすると同時に、違法にデータ化されたさまざまなコンテンツを、私のFTPサーバーに残していった。いまでも覚えているが、システムファイルとの混合を避けるために、行頭に#の文字が打たれたとあるテキストファイルには、「これはとても良い」といった意味の、数千字にのぼる紳士的かつ熱烈な推薦文が記されていた。

私が運営するFTPにファイルがアップロードされるということは、私が管理しているコンピュータのハードディスクに、そのファイルの情報が書き込まれるということだ。私はダウンロードの待ち時間をかけずに見ることができるポルノを見たかもしれないし、見ていないかもしれない。確かなのは、スキャンされた同級生たちの答案を自分の宿題に写したあと、彼らと「Wolfenstein : Enemy Territory」のなかで迷惑行為をして楽しんだことだけだ。そのあいだにも、私のFTPサーバーの管理画面には、私のハードディスクのなかにあるファイルをダウンロードする同級生たちのアカウントが表示されていた。私たちは学校の備品から盗んできたLogitechのヘッドセットを用いて、高校生らしい叫声をあげて家族の安眠を妨害しつつ、いつまでもいつまでもeSportsに勤しんだ。つまり、私たちはすべての年代の男子高校生がやることをやった――エロ本を共有し、悪事を働き、スポーツに励んだのだ。ただし、電子的な手段で。

白い顔をした子供達

夏休みが明けたあと、最初に登壇して、ひとつ前の日付にあった出来事を話す役割は、私の受け持ちだった。私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。心なしか、教壇から俯瞰したクラスメイトたちの顔色は、十代の一夏を過ごしたにしてはいくぶん白すぎるような気がした。みんな私とおなじように、デスクの前に座りっぱなしで、ゴソゴソと後ろめたいことをやりつづけていたのだろう。私は覚悟を決め、担任からの厳しい視線を感じながら、つぎのような意味のことを言った。

「みんな、すまない。三日前の晩、おれのサーバーは何らかの原因でぶっとんでしまった。復旧作業に努めたが、おれの技術では、みんながアップロードしてくれたファイルを取り戻すことはできなかった。しかし、サーバーを設立する当初の目的は達成されたわけだから、どうか許して欲しい。おれたちの電子的な夏は終わった。そのことを受け入れてほしい。もしも納得できないという人間がいたら、あとからおれのところに来てくれ。個別に対応させてもらうから。」

まずはじめに誰かが深いため息をつき、そのため息はこだまのように教室の隅々へと広がっていった。私ははっきりと見たが、みんな自分の机に視線を落とし、失意に沈んでいるようだった。私はどうしたものかわからなかった。そこで、私の友人が拍手をはじめた。強烈な拍手だった。いま思い返すと、あいつはたぶん危ない薬で遊んでいたのだろうと思うのだが、それがこの場面ではうまく効いた。拍手はしだいに広がり、私は自分の席へと戻りながら、さまざまな野次を受けた。いまでもはっきりと覚えているのは、下卑な感じのする声色の、「よっ、次期日本代表!」という誰かの発言だけである。

それから半年後の春、私は父親の同席のもと、高等学校をドロップアウトしたいという旨を担任に伝えた。担任はこんなことを言ったと思う。「まあ、お前がそうしたいなら、そうすればいい。」彼にとっては、どうでもいいことだったらしい。それで、私は高校二年生になってから一ヶ月も経たないうちに、高等学校を辞めることとなった。もう二度と学食の「唐揚げカレー」セットを食べることができないのだな、と思うとすこしだけ寂しかったし、時の流れとともに痛快な思い出となった夏休みの宿題の一件も思い出されたが、それはもはや過去のことだった。学校からもらったLinux入りのコンピュータはもう完全に壊れていた。そこに入っていたファイルはすべて失われ、新しいサーバーをいまから立てるつもりもなかった。

「どうするんや。」と父親は言った。「さあ。」と私は答えた、と思う。それから後のことは、また別の話だ。ただ今になって思うのは、もしもあの夏の日に、あのサーバーが壊れていなかったら、このあと私が辿ることになる運命はまた違ったものになっていたはずだ、ということだ。たぶん、私はサーバーが壊れたおかげで、「Wolfenstein : Enemy Territory」をより熱心にプレイできたし、大学に行くこともできたし、こうして文章を書いて生活することができているのだと思う。

まあ、そんなことは、些末なことだ。この経験から私が学ぶことができた真実は、ただひとつ。――もしも電子的な青春というものがありうるのならば、それは私の青春をおいてほかにない。

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