私たちはこれまでの成果をほかのものに応用しようと考えました。Flickrのアイデアがひらめいたのは、ニューヨークで食中毒になったときでした。今見られるようなFlickrとは違い、ひどいもので、実際にはうまくいきませんでした。
技術的にはとてもクールで、非常に革新的でしたが、製品としては価値がありませんでした。というのも、自分が気にかけている人と自分が同時にインターネットに接続している確率はゼロに近いためで、これは極めて重要な問題でした。さらに、MSNメッセンジャー、AOLなどのサービスがすでに使われていました。
しかし、技術的にはすばらしく、十分な関心を集めることができました。2003年12月に決定し、2004年2月に立ち上げました。その後、2004年5月か6月までには、現在のようなものに進化しました。
Flickrを立ち上げてから約1年後の2005年初めに買収契約が締結されました。立ち上げてから11カ月間、かなりの交渉が行われました。かなり厳しい年でした。
成長への対応について聞かれましたが、1日にすれば1%程度です。ときには昼食前に1%に達することもありました。1%はさほど大きい数字ではないように聞こえますが、積み重なるとものすごいことになります。1カ月で2倍成長したことも多々ありました。絶えずコードを書き換え、絶えず新規サーバを追加していました。
ご存知の通り、かなり小さいチームでした。買収された当時、チームの総人数は、パートタイムのカスタマーサービス担当者1人を含む11人でした。そのうち、9人が買収後もチームに残りました。
買収契約の締結当時、登録ユーザー数は確か約40万人でした。現在では、2800〜2900万人くらいの登録ユーザーがいると思います。1カ月のビジター数が100万か150万くらいありました。現在では、1カ月のユニークビジター数は約5000万です。
何を測定するかによりますが、50〜100倍に成長しました。
Yahooには、良い面もあれば、悪い面もありました。これまでよりもずっと多くのリソースを得たともいえるし、これまでよりもずっと減ったともいえます。わたしには、いつスタッフを雇用するかを判断する権限はありませんでした。私たちの予算編成は、上司の上司よりも大きくなり、四半期の業績をもっとよく見せるために、四半期が終わる前に雇用を中止しました。そのようなことが多くありました。雇用の中断は2カ月ほど続きましたが、その間にFlickrの規模は3倍になりました。
あまりよくなかったと思います。明らかに、微妙な関係です。わたしは、いったん交渉が始まったからには、買収されたほうがよいと思っていました。明らかに、株価だけでなく、企業のモラール、リーダーシップの面で、Yahooは多大なダメージを被りました。
しかしこれは、剣を頼りに生きる人は剣によって死ぬといったようなものだと思います。わたしがYahooにいた当時の最大の問題は、経営陣が四半期の業績を重視しすぎていたことではないかと思います。これは戦略ではありません。株価で何かを実現できるよう、株価を安定させるため、ある四半期に何らかの数字を生み出さなければならないような状況では、戦術になるかもしれません。
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