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鹿島村 (鹿児島県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かしまむら
鹿島村
鹿島断崖
鹿島村旗 鹿島村章
廃止日 2004年10月12日
廃止理由 新設合併
川内市樋脇町入来町東郷町祁答院町里村上甑村下甑村鹿島村薩摩川内市
現在の自治体 薩摩川内市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 鹿児島県
薩摩郡
市町村コード 46391-4
面積 8.68 km2
総人口 808
推計人口、2004年10月1日)
隣接自治体 下甑村、(海上を隔てて)上甑村
村の木 ツバキ
村の花 シロカノコユリ
村の鳥 メジロ
鹿島村役場
所在地 896-1392
鹿児島県薩摩郡鹿島村藺牟田1457-10
座標 北緯31度46分39秒 東経129度47分25秒 / 北緯31.77742度 東経129.79033度 / 31.77742; 129.79033 (鹿島村)座標: 北緯31度46分39秒 東経129度47分25秒 / 北緯31.77742度 東経129.79033度 / 31.77742; 129.79033 (鹿島村)
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鹿島村(かしまむら)は、かつて鹿児島県甑島列島中部、下甑島の北東部にあったである。薩摩郡に属した。2004年平成16年)10月12日、郡内の8町村と川内市が合併して薩摩川内市となった。

地理

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甑島列島中部に位置し、列島の北から里村上甑村、本村、下甑村の順に位置していた。隣の中甑島(現在の薩摩川内市上甑町平良、旧上甑村)とは藺牟田瀬戸で隔てられており、現在は甑大橋(2020年開通)で結ばれている。廃村になる2004年10月まで、交通死亡事故ゼロ連続20000日以上を達成。全村が合併して薩摩川内市になったために、列島からがなくなった。

鹿島村成立の経緯(後述)から大字藺牟田(いむた)のみである。薩摩川内市の大字としては現在、「村」を「町」に変更した鹿島町藺牟田が正式名称となっている。

歴史

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町村制施行時(1889年)には下甑島全域が下甑村として発足し、藺牟田(鹿島村域)はその一部であった。しかし、中心集落であった手打とは陸路では徒歩連絡すらも困難、海路も荒天時に度々不通となるなど同一の自治体を構成するには著しく不便であった。このため1916年より幾度と分村運動が行われ、その結果1949年4月1日に下甑村から藺牟田が分立し鹿島村が発足した[1]

村名が「藺牟田」ではないのは当時同じ薩摩郡(本土側)に藺牟田村が存在した[2]ためで、その重複を避けるため、村内に鎮座する鹿島神社および村内の小字名をとって「鹿島村」とした。なお、本土側の藺牟田村は昭和の大合併で祁答院町、その後平成の大合併で当村と同じく薩摩川内市の一部となった(祁答院町藺牟田)。

2004年10月12日、いわゆる平成の大合併により川内市樋脇町入来町東郷町祁答院町里村上甑村下甑村と合併し、薩摩川内市となった[3]

行政

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村長

歴代村長

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歴代村長は以下のとおりである[4]

氏名 就任日 退任日
初代 中村徳行 1949年(昭和24年)5月10日 1950年(昭和25年)11月8日
2代 白橋弥右衛門 1950年(昭和25年)12月20日 1962年(昭和37年)12月19日
3代 中村源右衛門 1962年(昭和37年)12月20日 1975年(昭和50年)3月31日
4代 尾崎嗣徳 1975年(昭和50年)4月28日 2004年(平成16年)10月12日

教育

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  • 鹿島村立鹿島中学校
  • 鹿島村立鹿島小学校
  • 鹿島村立鹿島幼稚園

交通

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道路

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港湾

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  • 鹿島港

名所・旧跡

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  • ウミネコ南限繁殖地
  • 鹿島神社念仏発祥の地

脚注

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  1. ^ ウィキソース出典 昭和24年4月27日総理庁告示第52号『村の廃置分合 (昭和24年総理庁告示第52号)』。ウィキソースより閲覧。 
  2. ^ 1896年以前は当村が甑島郡、本土側の藺牟田村は伊佐郡南伊佐郡)とそれぞれ別の郡に属していた。
  3. ^ ウィキソース出典 平成16年7月16日総務省告示第590号『市町村の廃置分合 (平成16年総務省告示第590号)』。ウィキソースより閲覧。 
  4. ^ 鹿島村 (1982) 巻頭

参考文献

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  • 鹿児島県総務部参事室編『鹿児島県市町村変遷史』鹿児島県、1967年。
  • 鹿島村郷土誌編集委員会『鹿島村郷土誌』鹿島村、1982年。 

関連項目

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