高田昌明
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名前 | ||||||
カタカナ | タカダ マサアキ | |||||
ラテン文字 | TAKADA Masaaki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1973年7月26日(51歳) | |||||
出身地 | 千葉県習志野市 | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF、MF | |||||
ユース | ||||||
1989-1991 | 市立船橋高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1992-1996 | 横浜フリューゲルス | 77 | (3) | |||
1997 | ヴィッセル神戸 | 0 | (0) | |||
1998 | 佐川急便東京フリエ | |||||
1999-2001 | 横浜FC | 65 | (1) | |||
2002-2005 | ソニー仙台FC | |||||
2006 | 静岡FC | |||||
通算 | 142 | (4) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
高田 昌明(たかだ まさあき、1973年7月26日 - )は千葉県習志野市出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF(センターバック)、MF(守備的MF)。
略歴
[編集]市立船橋高校3年次の全国高校サッカー選手権でベスト4進出に貢献。抜群の身体能力を買われて飛び級でバルセロナ五輪予選日本代表に選出、1992年1月のアジア最終予選に出場した。高校在学中の五輪選抜は初の出来事で当時の話題をさらった。卒業後、横浜フリューゲルスに入団。Jリーグ草創期のフリューゲルスを支える。当時の監督、加茂周がめざすゾーンプレスをダブルボランチの相方山口素弘と体現。エドゥー、モネール、前園真聖らタレントと共に活躍した。1993年、第73回天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝メンバー。
1994年にはアトランタ五輪代表候補に選出され、前回バルセロナ五輪予選経験者として当初は主将を務め守備の中心選手として期待されていたが、規定により前回予選出場者の参加を認められなくなった為、この年を最後に代表からは外れている。
後にヴィッセル神戸、佐川急便東京フリエFC(後の佐川東京SC)、横浜FC、ソニー仙台FCと渡り歩き2006年、静岡FC(東海社会人リーグ1部)の選手兼監督に就任した。その年(2006年)の天皇杯には静岡県代表として出場。J2の水戸ホーリーホック等を破り4回戦まで勝ち上がるも、浦和レッドダイヤモンズの厚い壁に阻まれ敗退となった。
以降、各方面の指導者として活躍、2013年は、自身がチーフコーチを務めるVivace FC (静岡県のジュニアサッカーチーム)を全国少年サッカー大会静岡県大会優勝、全国大会初出場へ導く。
2014年よりJ3のY.S.C.C.横浜コーチに就任。2018年末に契約満了で退任し[1]、翌2019年からはFC琉球のアカデミーダイレクターに就任した[2]。
所属クラブ
[編集]- 袖ヶ浦西小学校
- 習志野市立第三中学校(関東選抜)
- 市立船橋高校
- 1992年-1996年 横浜フリューゲルス
- 1997年 ヴィッセル神戸
- 1998年 東京フリエFC
- 1999年-2001年 横浜FC
- 2002年-2005年 ソニー仙台
- 2006年 静岡FC
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1992 | 横浜F | - | J | - | 9 | 0 | |||||
1993 | 33 | 2 | 4 | 0 | 5 | 1 | 42 | 3 | |||
1994 | 26 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 27 | 0 | |||
1995 | 17 | 1 | - | 0 | 0 | 17 | 1 | ||||
1996 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |||
1997 | 神戸 | 8 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |
1998 | 東京フリエ | ? | - | ||||||||
1999 | 横浜FC | JFL | 23 | 0 | - | 0 | 0 | 23 | 0 | ||
2000 | 22 | 1 | - | 2 | 0 | 24 | 1 | ||||
2001 | 8 | J2 | 20 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 21 | 0 | |
2002 | S仙台 | JFL | 16 | 1 | - | 1 | 0 | 17 | 1 | ||
2003 | 27 | 0 | - | 1 | 0 | 28 | 0 | ||||
2004 | 21 | 4 | - | 3 | 0 | 24 | 4 | ||||
2005 | - | ||||||||||
2006 | 静岡FC | 東海1部 | - | 3 | 0 | ||||||
通算 | 日本 | J1 | 77 | 3 | 15 | 0 | |||||
日本 | J2 | 20 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 21 | 0 | ||
日本 | JFL | - | |||||||||
日本 | ? | - | |||||||||
日本 | 東海1部 | - | 3 | 0 | |||||||
総通算 |
その他の公式戦
- 1994年
- スーパーカップ 1試合0得点
代表歴
[編集]1992年 バルセロナ五輪予選日本代表
指導歴
[編集]- 2006年 静岡FC:選手兼監督
- 2007年 NECトーキン:ヘッドコーチ
- 2008年 -2009年 静岡FC:監督
- 2009年 -2014年 Vivace FC:チーフコーチ
- 2009年 -ハワイ808sc:テクニカルアドバイザー
- 2013年 -遠藤塾:サポートコーチ
- 2014年 - 2018年 YSCC横浜:コーチ[1]
- 2019年 - FC琉球 アカデミーダイレクター
出典
[編集]- ^ a b 『高田昌明コーチ 契約満了のお知らせ』(プレスリリース)横浜スポーツ&カルチャークラブ、2018年12月14日 。2020年5月17日閲覧。
- ^ 『アカデミースタッフ退任、新加入のお知らせ』(プレスリリース)FC琉球、2019年1月28日 。2020年5月17日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 高田昌明 - WorldFootball.net
- 高田昌明 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 高田昌明 - J.League Data Siteによる選手データ
- 所属事務所 11aside公式プロフィール
- 現役時のホームページ