コンテンツにスキップ

釜萢敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

釜萢 敏
2020年2月16日、
東京都千代田区にて
生誕 1953年
群馬県
国籍 日本の旗 日本
教育 日本医科大学医学部
日本医科大学大学院医学研究科
著名な実績 高崎総合医療センターの中核病院化に尽力
公式サイト 小泉小児科医院
医学関連経歴
分野 小児科学
所属 日本医科大学
国立東静病院
小泉小児科医院
受賞 高崎准看護学校校長表彰
1992年
学校保健功労
高崎市教育委員会表彰
1994年
ぐんま小児保健賞
2003年
救急医療・救急業務功労者
群馬県知事表彰
2005年
救急医療功労者
厚生労働大臣表彰
2010年

釜萢 敏(かまやち さとし、1953年7月5日[1][2] - )は、日本医師医学者医学博士日本医科大学1984年)。小泉小児科医院・院長公益社団法人日本医師会常任理事内閣新型インフルエンザ等対策推進会議委員。元厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード・構成員、元新型コロナウイルス感染症対策分科会・委員[3]

来歴

[編集]

生い立ち

[編集]

群馬県高崎市出身[1]1972年昭和47年)東京教育大学附属駒場高等学校卒業[1]1978年(昭和53年)日本医科大学医学部卒業[1][4]

医師として

[編集]
2020年2月16日新型コロナウイルス感染症対策本部新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の会合にて構成員川名明彦(左端)、構成員鈴木基(左から2人目)、構成員岡部信彦(左から3人目)、座長脇田隆字(右から3人目)、副座長尾身茂(右から2人目)らと

日本医科大学付属第一病院に入職し、1980年(昭和55年)に国立東静病院に転じ、小児科医員となった。1981年(昭和56年)、再び日本医科大学に戻り、付属第一病院の小児科で医員となった。

1988年(昭和63年)、独立して開業した。地元である高崎市医師会の役職を歴任しており、1997年平成9年)には理事2001年(平成13年)には副会長、2005年(平成17年)には会長となった。また、2011年(平成23年)には群馬県医師会の参与に就任した。2014年(平成26年)には、日本医師会常任理事に選出された。そのほかにも公的な役職を兼任しており、新型コロナウイルス感染症の流行を受けて内閣に設置された新型コロナウイルス感染症対策本部においては、2020年令和2年)より新型コロナウイルス感染症対策専門家会議構成員を務めている。

これまでの功績が評価され、2018年(平成30年)には藍綬褒章を受章している。

2024年1月31日、日本医師会の政治団体である日本医師連盟は、2025年の参院選に、釜萢を組織内候補として擁立すると発表した。今後、自由民主党比例代表の候補として公認申請する[5]。同年7月25日、自由民主党は釜萢を比例代表の公認候補として決定した[6]。党の内規で定める比例代表候補の「70歳定年制」の対象だが、知名度に期待して例外扱いとした[7]

略歴

[編集]
2020年2月16日新型コロナウイルス感染症対策本部新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の会合にて

賞歴

[編集]
  • 1992年(平成04年) - 高崎准看護学校校長表彰[9]
  • 1994年(平成06年) - 学校保健功労高崎市教育委員会表彰。
  • 2003年(平成15年) - ぐんま小児保健賞。
  • 2005年(平成17年) - 救急医療・救急業務功労者群馬県知事表彰。
  • 2010年(平成22年) - 救急医療功労者厚生労働大臣表彰。

栄典

[編集]

脚注

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]