都家歌六
都家 歌六(みやこや うたろく)は、落語家の名跡。現在は空き名跡。
初代
[編集]2代目
[編集]2代目 都家 歌六(文政8年4月8日(1825年5月25日) - 没年月日不詳)は、音曲師。
2代目 | |
本名 | 松本 兼吉 |
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別名 | 兄ィ |
生年月日 | 1825年5月25日 |
没年月日 | 不詳年 |
師匠 | 2代目柳亭左楽 |
活動内容 | 音曲 |
代数不明
[編集]- 上記と当一人物かどうか不明。
- 七昇亭花山文(代数不明)の弟子で小亀。
- のちに菜の花家双蝶で上方で修行に行く。
- そして3代目都々逸坊扇歌門下で歌六になった。
- 1902年8月8日に横浜新富亭に出演中68歳で亡くなったという歌六が同一人物だという説もある。
4代目
[編集]4代目 | |
本名 | 井本亀之助 |
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生年月日 | 1871年3月6日 |
没年月日 | 1926年8月8日(55歳没) |
師匠 | 4代目柳亭左楽 4代目春風亭柳枝 5代目柳亭左楽 |
名跡 | 1.柳亭栄太郎(1892年 - 1896年) 2.柳亭左若(1896年 - ?) 3.春風亭楓枝(? - 1917年) 4.4代目都家歌六(1917年 - 1926年) |
活動期間 | 1892年 - 1926年 |
4代目 都家 歌六(みやこや うたろく、1871年3月6日 - 1926年8月8日)は落語家。本名は井本 亀之助。
- 1892年2月、4代目柳亭左楽の門下で柳家栄太郎を名乗る。
- 1896年2月、左若と改名。
- 明治30年代後半、4代目春風亭柳枝の門下で春風亭楓枝となる。
- 1917年、5代目柳亭左楽の門下で歌六になった。
- 晩年は『ここに刈り取る眞紫垣』などと歌いながら踊る改良剣舞で名を売った。
- 楓枝時代のSPレコード、音曲を多く吹き込んでいる。
7代目
[編集]7代目 | |
本名 | 川田 金五郎 |
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生年月日 | 1894年9月27日 |
没年月日 | 不詳年 |
師匠 | 初代桂小南 柳家金語楼 7代目春風亭柳枝 |
名跡 | 1.桂南馬(不詳) 2.桂桂馬(不詳) 3.柳家夢路(? - 1939年) 4.春風亭喜久枝(1939年) 5.柳家夢路(1939年 - 1944年) 6.7代目都家歌六(1944年 - ?) |
最初は大正の末、初代桂小南の門下で桂南馬。のちに桂馬と改名。その後柳家金語楼の門下で柳家夢路を名乗る。1939年8月には7代目春風亭柳枝の門下で春風亭喜久枝となるも暮れに夢路に戻る。1944年2月、7代目都家歌六を襲名。戦時中ないし戦後まもなく没したといわれる。芸風も伝わっていない。
8代目
[編集]八代目 | |
本名 | |
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生年月日 | 1930年7月25日 |
没年月日 | 2018年3月31日(87歳没) |
出身地 | 日本・愛知県名古屋市 |
死没地 | 日本・東京都町田市 |
師匠 | 三代目桂三木助 四代目三遊亭圓遊 |
名跡 | 1. 桂三多吉(1951年 - 1954年) 2. 桂木多蔵(1954年 - 1956年) 3. 三遊亭万遊(1956年 - 1969年) 4. 八代目都家歌六(1969年 - ) |
出囃子 | 自転車節 |
活動期間 | 1951年 - 2015年 |
活動内容 | のこぎり漫談 |
所属 | 日本芸術協会→落語芸術協会(1951年 - 2015年) |
八代目 都家 歌六(みやこや うたろく、1930年7月25日 - 2018年3月31日)は、愛知県名古屋市出身の落語家であり、ミュージックソー演奏家。本名は真野 良夫。日本のこぎり音楽協会会長を務めた。諸芸懇話会会員。出囃子は『自転車節』。旧制名古屋中学校(現・名古屋中学校・高等学校)卒業[1]。
人物
[編集]三代目桂三木助に入門し、二つ目に昇進するも四代目三遊亭圓遊の門に移る。1969年に真打昇進し、八代目都家歌六を襲名。噺家や俳優としてドラマに出演するなどしていたが、真打昇進前後より「のこぎり(ミュージックソー)演奏」を余興として始め、1982年より本業とする[注釈 1]。2011年頃より老齢により高座は引退状態だった[2]。2015年7月にお江戸日本橋亭での「笑福亭里光の会 歌六七変化」に出演予定だったが、体調不良により休演している。その後、同年9月には落語芸術協会を退会し、2018年3月31日、死去した。
かつてはハブマーシーに所属していた。
レコード収集
[編集]SPレコードを中心とする落語・演芸関係の古いレコード収集家。長年の成果は、著書『落語レコード八十年史』にまとめられている。類書は存在しない。
NHKラジオの『ラジオ深夜便』において毎月第4土曜深夜(日曜日)の午前1時台のコーナー「都家歌六の芸能博物館」に出演[3]。解説をつとめ、自らのコレクションを披露した。
略歴
[編集]- 1951年3月 - 三代目桂三木助に入門。前座名は桂三多吉。
- 1954年10月 - 二ツ目昇進。桂木多蔵に改名。
- 1956年5月 - 四代目三遊亭圓遊の門に移る。三遊亭万遊と改名。
- 1963年 - たまたま見ていたテレビに登場した日本におけるのこぎり音楽のパイオニア、高島巌(児童福祉施設園長)ののこぎり演奏に感銘を受け、師事。寄席において落語の後での余興としてのこぎり演奏を始める。
- 1969年11月 - 浮世亭写楽(現:九代目三笑亭可楽)とともに真打昇進。八代目都家歌六を襲名。
- 1982年6月 - のこぎり漫談を寄席の芸として確立、余興から本業となる。
- 2015年9月 - 落語芸術協会を退会。
- 2018年3月31日 - 老衰のため、東京都町田市の病院で死去[4][5]。87歳没。
著書
[編集]- 激写!ポルノ寄席
- 落語レコード八十年史(全2巻)国書刊行会, 1987.11
- ご存じ古今東西噺家紳士録 ISBN 490144140X エーピーピーカンパニー, 2005.2
- 〈SP盤復刻〉芸能全集 明治・大正寄席編 コロムビアミュージックエンタテインメント 2008.8※解説
- 〈SP盤復刻〉芸能全集 明治・大正・昭和寄席編 コロムビアミュージックエンタテインメント 2008.8※解説
- 〈SP盤復刻〉芸能全集 漫才編 コロムビアミュージックエンタテインメント 2008.8※解説
CD
[編集]- 都家歌六芸能生活六十周年記念「幻の落語・壁金」(2012.8、日本伝統芸能振興財団)[6]
テレビドラマ
[編集]- 丸出だめ夫(1966年、日本テレビ)
- 特別機動捜査隊 第257話「小さな墓」(1966年、NET / 東映)
- ウルトラマンタロウ 第4話「大海亀怪獣 東京を襲う!」(1973年、TBS)
- 江戸の旋風(フジテレビ)
- 伝七捕物帳 第137話「百叩き一両小判」(1977年、NTV)
- 雄気堂々 若き日の渋沢栄一(1982年、NHK)
- 右門捕物帖 第8話「高嶺の花おいらん騒動」(1983年、NTV)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.524
- ^ “都家歌六師匠登場! - おんらく館~のこぎりものには福がある~”. 都家歌六師匠登場! - おんらく館~のこぎりものには福がある~. 2022年2月24日閲覧。
- ^ 宇田川清江『眠れぬ夜のラジオ深夜便』(第3章 演芸大好き!午前一時台―演芸特選) 2004年 新潮新書 ISBN 4106100649
- ^ “落語家の都家歌六氏死去”. 時事ドットコムニュース. (2018年4月26日) 2018年5月28日閲覧。
- ^ “落語家の都家歌六さん死去 「のこぎり音楽」確立”. 朝日新聞デジタル. (2018年4月26日) 2018年5月28日閲覧。
- ^ “八代目都家歌六 / 幻の落語・壁金”. CDジャーナル (2012年7月25日). 2019年2月26日閲覧。
参考文献
[編集]- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 都家歌六ホームページ - ウェイバックマシン(2002年2月4日アーカイブ分)[リンク切れ]