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足助町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あすけちょう
足助町
香嵐渓
足助町旗 足助町章
足助町旗 足助町章
廃止日 2005年4月1日
廃止理由 編入合併
足助町下山村旭町稲武町藤岡町小原村豊田市
現在の自治体 豊田市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
東加茂郡
市町村コード 23541-5
面積 193.00 km2
総人口 9,699
(2005年3月1日)
隣接自治体 豊田市、東加茂郡旭町稲武町下山村西加茂郡藤岡町小原村北設楽郡設楽町
町の花 サザンカ
足助町役場
所在地 444-2424
愛知県東加茂郡足助町宮ノ後26-2
座標 北緯35度08分04秒 東経137度18分43秒 / 北緯35.13439度 東経137.31194度 / 35.13439; 137.31194座標: 北緯35度08分04秒 東経137度18分43秒 / 北緯35.13439度 東経137.31194度 / 35.13439; 137.31194
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足助町(あすけちょう)は、かつて愛知県東加茂郡に属していたである。古くから三州街道(塩の道)の足助宿として栄え、奥三河の主要な町のひとつだった。香嵐渓の紅葉で知られた。2005年(平成17年)4月1日に近隣町村(藤岡町小原村旭町稲武町下山村)と共に豊田市へ編入された。旧足助町役場は豊田市役所足助支所となった。

地理

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歴史

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沿革

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  • 平安時代末期に浦野重遠の孫・重長が三河国足助の地に住んで足助氏を称した。
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行により東加茂郡足助村、中之御所村、今朝平村が合併し足助村となる。
  • 1890年(明治23年)12月17日 - 町制施行により足助町が成立。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 東加茂郡足助町、盛岡村賀茂村阿摺村が合併し足助町が成立。
  • 2005年(平成17年)4月1日 - 藤岡町小原村旭町稲武町下山村と共に豊田市へ編入された。

行政

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  • 町長:矢澤長介(1999年4月27日 - 2005年3月31日)

財政

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  • 平成16年度(2004年度)
  • 人口 9621人 前年比 △1.2% (住民基本台帳 H17.3.31)
  • 財政力指数 0.40
  • 公債費比率 17.2%
  • 実質単年度収支 6234万円(黒字)
  • 経常収支比率 113.5% (125.1% 減税補てん債及び臨時財政対策費を除く) 非常に悪い数値
  • 歳入総額 75億0983万円
  • 歳出総額 73億4787万円
  • 指定団体の状況 山振、過疎
  • 地方税歳入 9億8083万円 (歳入の13.1%)
  • 地方交付税歳入 17億6688万円 (歳入の23.5%)
  • 地方債歳入 6億7820万円 (歳入の9.0%)
  • 公債費 9億2903万円 (歳出の12.6%)
  • 人件費 13億2370万円 (歳出の18.0%)
  • 扶助費 1億8658万円 (歳出の2.5%)
  • 職員数 一般職員 123人(うち技能労務職 5人)、教育公務員 4人 合計127人
  • 人口1000人当たり職員数 13.20人
  • 職員一人当たり人件費 1042万2906円
  • 地方債現在高 59億0027万円
    • 積立金現在高 財調 8億5560万円 減債 3億9375万円 特定目的 4億9169万円

教育

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高校

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交通

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足助町道路元標

鉄道

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町内を鉄道路線は通っていない。鉄道を利用する場合の最寄り駅は、名鉄三河線猿投駅

かつて計画された鉄道

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町内に鉄道路線はないが、以前に様々な計画・要望があった。

国鉄誘致
信参鉄道計画
三河鉄道の延伸計画
  • 名鉄三河線の西中金駅から足助まで延伸する計画
    • 足助町追分までの用地買収完了し造成を進めたが、世界恐慌や追分より先の用地買収難航により工事施工の延期。1958年に三河鉄道を吸収した名鉄が「西中金 - 足助」の免許を返還。

路線バス

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道路

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一般国道
主要地方道
一般県道
広域農道
  • 加茂広域農道

娯楽

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名所・旧跡・観光スポット

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脚注

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  1. ^ a b 『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』日本図書センター、1999年。同文献を出典としている1960年の映画館(東海地方)「消えた映画館の記憶」を参照した。

関連項目

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外部リンク

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