豊島章太郎
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豊島 章太郎(てしま しょうたろう[1]、1899年(明治32年)11月[2] - 1981年(昭和56年)10月30日[1])は、日本の内務・警察官僚。官選愛媛県知事、最後の官選岡山県知事。
経歴
[編集]広島県出身[3]。第一高等学校を卒業。 1925年、東京帝国大学法学部を卒業。同年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年、内務省に入省し、宮城県属となる[4]。
以後、内務事務官、警保局勤務、警保局外事課長、愛媛県書記官・警察部長、岡山県書記官・警察部長、警視庁保安部長、同経済警察部長などを歴任[2]。
1945年10月、愛媛県知事に就任[5]。1946年10月、岡山県知事に転任。地方制度の改正や経済対策に取り組み、知事選挙を執行して1947年4月に退任[2]。その後、公職追放となった[4]。