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福田拓也

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福田 拓也(ふくだ たくや、1963年 - )は、日本の詩人文芸評論家。『三田文学』編集長(2016春季号~2017年冬季号)。フランス文学者東洋大学教授。専門は20世紀フランス詩。妻は詩人の大木潤子

来歴

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東京都生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒、同大学大学院仏文学研究科後期博士課程中退。1990年、フランス政府給費留学生として渡仏、パリ第8大学大学院博士課程修了。文学博士(パリ第8大学)。東洋大学法学部企業法学科助教授、教授。1994年、第32回現代詩手帖賞受賞。2014年、『尾形亀之助の詩 大正的「解体」から昭和的「無」へ』で第5回鮎川信夫賞最終候補。2018年、『倭人伝断片』『惑星のハウスダスト』で第56回歴程賞受賞。

著書

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詩集

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  • 『砂地』、楢葉出版、1998年8月20日
  • 『死亡者』、七月堂、1998年8月20日
  • 『言語の子供たち』、七月堂、1999年11月30日
  • 『砂の歌』(晩翠賞候補)、思潮社、2005年4月6日(「福田武人」名義)
  • 『まだ言葉のない朝』、思潮社、2014年7月31日
  • 『倭人伝断片』、思潮社、2017年11月30日 (第56回歴程賞)
  • 『惑星のハウスダスト』、水声社、2018年3月3日 (第56回歴程賞)
  • 『DEATHか裸(ら)』、コトニ社、2022年3月6日

批評

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  • 『尾形亀之助の詩 大正的「解体」から昭和的「無」へ』、思潮社、2013年7月3日、190頁(2014年度鮎川信夫賞最終候補)
  • 『小林秀雄 骨と死骸の歌――ボードレールの詩を巡って』、水声社、2015年7月18日、292頁
  • 『「日本」の起源――アマテラスの誕生と日本語の生成』、水声社、2017年3月28日、185頁
  • 『エリュアールの自動記述』、水声社、2018年3月31日、234頁

論文

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  • 「ポール・エリュアール、『人生の下部あるいは人間ピラミッド』(1926)」、慶應義塾大学文学研究科修士論文、1989年
  • “Paul Eluard, 《Les Dessous d’une vie ou la pyramide humaine》(1926)”(「ポール・エリュアール、『人生の下部あるいは人間ピラミッド』(1926)」)、『藝文研究』第57号、1990年3月21日、145頁~160頁
  • “《Capitale de la douleur》de Paul Eluard : la mise en scène du mouvement du langage”( 「ポール・エリュアール、『苦悩の首都』 ―― 言語の運動の舞台化」)、『慶応義塾大学日吉紀要フランス語フランス文学』第15号、1992年10月10日、200頁~221頁
  • Paul Eluard : le rêve de l’origine et la pratique de l’écriture”(「ポール・エリュアール、起源の夢とエクリチュールの実践」)、『藝文研究』第62号、1993年2月9日
  • 「ポール・エリュアール、『証言』 ―― 笑いあるいは同一化の演劇」、『POLYEDRE』第3号、1994年12月15日
  • La Genèse de l’oeuvre poétique d’Eluard, du langage proverbial aux écritures surréalistes (1918 – 1926)(『エリュアールの詩作品の生成、諺的言語からシュルレアリスム的エクリチュールへ(1918 – 1926)』)、パリ第8大学博士論文、1996年
  • “La naissance et la mort de l’enfant-poème : un essai sur la pratique de transformation du premier Eluard”(「子供‐詩の誕生と死 ―― 初期エリュアールに於ける変形の実践に関する試論」)、『藝文研究』第74号、1998年6月1日、59頁~90頁
  • “La genèse de la poétique d’Eluard : essai sur la préface aux Animaux et leurs hommes, les hommes et leurs animaux (1920)”(「エリュアールの詩学の生成 ―― 『動物とその人間たち、人間とその動物たち』序文に関する試論」)、Etudes de langue et littérature française, no74, mars 1999, p.125 – 137.
  • “Le sommeil, le regard, le féminin : une lecture des Répétitions d’Eluard”(「眠り、視線、女性的なるもの ―― エリュアールの『繰り返し』の一読解」)、『いわき明星大学人文学部研究紀要』第12号、1999年3月22日、47頁~65頁
  • “Images spéculaires de l’écriture automatique d’Eluard”(「エリュアール的自動記述の鏡像」)、2000年3月、『東洋大学紀要教養課程篇』第39号、177頁~191頁
  • “La poésie d’Eluard et une logique paradoxale ducassienne”(「エリュアールの詩とロートレアモン的逆説的論理」)、東洋大学紀要『言語と文化』創刊号、2001年3月、259頁~269頁
  • “La 《statue vivante de l’amour》 : la troisième personne 《elle》 dans les 《Nouveaux poèmes》 de la Capitale de la douleur (1926) de Paul Eluard”(「『愛の生ける彫像』――― ポール・エリュアールの『苦悩の首都』(1926)『新詩篇』に於ける三人称“elle”」)、『藝文研究』第89号、2005年12月、259頁~269頁
  • 「空間・コギト・多数的なるもの ―― 葉紀甫『わが砦』の一読解」、『あんど』第6号、2005年12月20日、38頁~59頁
  • “Le désir éluardien et la femme présente-absente : essai sur la deuxième personne “tu” dans les 《Nouveaux poèmes》 de la Capitale de la douleur”(「エリュアール的欲望と現前‐不在である女性―――『苦悩の首都』『新詩篇』に於ける二人称“tu”についての試論」)、東洋大学『人間科学総合研究所紀要』第5号、2006年3月、40頁~60頁
  • “Plaisanterie” et déplacement : un essai sur la poésie d’Eluard à l’époque Dada”(「『冗談』と移動 ―― ダダ期のエリュアール詩についての一試論」)、東洋大学『人間科学総合研究所紀要』第7号、2007年3月、111頁~129頁
  • “Citation et filiation : un aspect de la poésie d’Eluard à l’époque Dada”,(「引用と親子関係 ―― ダダ期のエリュアール詩の一側面」、東洋大学『人間科学総合研究所紀要』第8号、2008年3月、49頁~70頁
  • “Un discours émancipateur : un aspect de la Capitale de la douleur de Paul Eluard”(「一つの解放的言説 ―― ポール・エリュアールの『苦悩の首都』の一側面」)、『東洋法学』、第52巻第1号、2008年9月、65頁~89頁
  • “Le regard purificateur dans l’oeuvre surréaliste d’Eluard”(「エリュアールのシュルレアリスム的作品に於ける純粋化する視線」)、『東洋法学』、第52巻第2号、2009年3月、23頁~48頁
  • “Représentation de la lumière originaire : un essai sur l’oeuvre éluardienne à l’époque Dada”(「起源的光の表象 ―― ダダ期のエリュアールの作品についての一試論」)、東洋大学『人間科学総合研究所紀要』第10号、2009年3月、21頁~40頁
  • “Eluard et la poésie malgache : un essai sur l’influence de Paulhan sur Eluard”(「エリュアールとマダガスカル詩 ―― ポーランのエリュアールへの影響についての一試論」、『東洋法学』、第53巻第1号、2009年7月、65頁~89頁21)
  • 「『やどかり』の誕生 ―― アンドレ・ブルトン、フィリップ・スーポー『磁場』論序説」、『ウルトラ』第13号、2009年9月25日、139頁~147頁
  • “La mise en valeur du sens propre de la locution figée : un essai sur les rapports Paulhan-Eluard”(「慣用句の文字通りの意味の価値化 ―― ポーランとエリュアールの関係についての一試論」、『東洋法学』、第53巻第2号、2009年12月、35頁~51頁
  • “Rupture de communication : une emprise de la pensée langagière de Jean Paulhan sur la poésie d’Eluard”(「コミュニケーションの断絶 ―― ジャン・ポーランの言語に関する思考のエリュアールの詩への影響」、『東洋法学』、第53巻第3号、2010年3月、13頁~32頁
  • “Récit de rêve et réflexion sur le rêve : une analyse des formes temporelles des Dessous d’une vie ou la pyramide humaine de Paul Eluard”(「夢の記述と夢についての省察 ―― エリュアールの『人生の下部あるいは人間ピラミッド』の時間的諸構造の分析」、東洋大学『人間科学総合研究所紀要』第12号、2010年3月、41頁~60頁
  • “Le rêve comme révélation sans langage dans les récits de rêve de Paul Eluard”(「ポール・エリュアールの夢の記述に於ける言語なしの啓示としての夢」、『東洋法学』、第54巻第1号、2010年7月、29頁~43頁
  • “Femme et récit de rêve : la mise en scène de la production du récit de rêve éluardien”(「女性と夢の記述 ―― エリュアール的夢の記述の生産の舞台化」、『東洋法学』、第54巻第2号、2010年12月、51頁~61頁
  • 「吉増剛造と柳田國男――詩作と聴き取りという二つの「道行」の並走あるいは相互浸透」、『現代詩手帖』2016年7月号、108頁~114頁

脚注

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外部リンク

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