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石川克彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石川 克彦
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県丹羽郡扶桑町
生年月日 (1933-09-19) 1933年9月19日
没年月日 2013年
身長
体重
179 cm
71 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1952年
初出場 1952年
最終出場 1959年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

石川 克彦(いしかわ かつひこ、1933年9月19日[1] - 2013年)は、愛知県丹羽郡扶桑町出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

経歴

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岡崎高校ではエースとして活躍。1951年夏の甲子園県予選では準々決勝で時習館高に敗退、甲子園には出場できなかった。高校同期に小沢重光、1年下に井上登がおり、いずれもプロ野球で同僚となる。

1952年名古屋ドラゴンズに入団。2年目の1953年には杉下茂に次ぐ先発投手として活躍。18勝4敗、防御率2.31(3位)の好成績を残し、勝率.818で最高勝率のタイトルを獲得。翌1954年は開幕投手として起用され21勝を記録、リーグ初優勝に貢献した[2]西鉄との日本シリーズでは2試合に先発し1勝1敗、チーム日本一に力を添えた。

1955年にも17勝をあげ3年連続2桁勝利、防御率1.45(2位)を記録。2年連続で開幕投手となり5連続完投勝利も記録している。しかし、その後は故障もあって登板回数が減り、1959年限りで引退した[2]

引退後は中日、大毎でマネージャーを1970年まで務めた。1971年に広中電機へ入社[2]

中日新聞の2020年10月13日のコラムによると、2013年に死去した事が分かった[3]

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1952 名古屋
中日
8 3 0 0 0 0 2 -- -- .000 83 17.1 17 1 13 -- 2 11 2 0 13 13 6.50 1.73
1953 38 24 12 2 2 18 4 -- -- .818 807 198.1 169 5 59 -- 5 88 3 0 65 51 2.31 1.15
1954 43 28 19 4 2 21 9 -- -- .700 1076 265.0 214 8 70 -- 7 137 2 1 75 66 2.24 1.07
1955 35 26 15 4 5 17 9 -- -- .654 837 217.2 160 5 35 1 5 142 1 1 46 35 1.44 0.90
1956 4 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 44 8.1 13 0 6 0 1 5 1 0 6 6 6.00 2.28
1957 9 5 1 0 0 1 1 -- -- .500 115 27.2 19 1 12 0 1 5 0 0 9 6 1.93 1.12
1958 3 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 17 3.0 5 0 1 0 2 1 0 0 5 4 12.00 2.00
1959 22 5 0 0 0 2 0 -- -- 1.000 167 39.1 42 2 10 0 3 15 2 0 20 18 4.05 1.32
通算:8年 162 91 47 10 9 59 25 -- -- .702 3146 776.2 639 22 206 1 26 404 11 2 239 199 2.31 1.09
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 名古屋(名古屋ドラゴンズ)は、1954年に中日(中日ドラゴンズ)に球団名を変更

タイトル

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背番号

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  • 35 (1952年)
  • 11 (1953年 - 1959年)

脚注

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  1. ^ 一般社団法人日本野球機構. “石川 克彦(中日ドラゴンズ) | 個人別年度成績”. NPB.jp 日本野球機構. 2018年10月6日閲覧。
  2. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、40ページ
  3. ^ 史上最強の裏エース! 石川克彦の栄光と挫折 - 広瀬いくとの発掘!B面ドラゴンズ史(中日新聞)、2020年10月13日

関連項目

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外部リンク

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