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石垣 倉治(いしがき くらじ、1880年〈明治13年〉7月16日[1] - 1942年〈昭和17年〉4月7日[2])は、日本の内務・警察官僚。官選長野県知事、長野市長。
山形県北村山郡小田島村(現・東根市)出身[1]。石垣吉蔵の三男として生まれる[3]。第二高等学校を卒業。1910年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し警視庁警部となる[3][4]。
以後、警視庁警視、南元町警察署長、原庭警察署長、神奈川県警視、福島県警察部長、同県産業部長、香川県警察部長、鹿児島県書記官・内務部長、青森県書記官・内務部長などを歴任し、1929年、長野県書記官・内務部長に就任[3]。
1931年8月、長野県知事に昇格[3]。満州信濃村建設への道を開いた[5]。1933年8月、台湾総督府警務局長に転じ1936年9月まで在任[6]。同年に退官[4]。1941年10月、長野市長に就任し、翌年4月、在任中に死去した[2]。
- ^ a b 『大衆人事録 昭和15年改訂13版』帝国秘密探偵社、1940年、p.72。
- ^ a b 『朝日新聞』(東京本社発行)1942年4月8日夕刊、2面の訃報より。
- ^ a b c d 『新編日本の歴代知事』527頁。
- ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』197頁。
- ^ 『長野県姓氏歴史人物大辞典』454頁。
- ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』128頁。
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 長野県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会編著『長野県姓氏歴史人物大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典30、角川書店、1996年。
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1966年10月16日合併 |
旧長野市長 |
官選 |
- 佐藤八郎右衛門1897.7.14-1899.1.13
- 鈴木小右衛門1899.4.22-1911.4.21
- 牧野元1911.6.7-1921.1.25
- 三田幸司1921.4.30-1921.12.27
- 丸山弁三郎1922.4.26-1934.4.25
- 七沢清助1934.5.1-1934.7.12
- 藤井伊右衛門1934.12.7-1937.5.23
- 高野忠衛1937.10.4-1941.10.3
- 石垣倉治1941.10.20-1942.4.7
- 高野忠衛1942.4.17-1946.11.12
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公選 |
- 松橋久左衛門1947.4.5-1954.11.19
- 倉島至1954.12.12-1962.12.5
- 夏目忠雄1962.12.6-1966.10.15
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篠ノ井市長 | |
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合併後 |
- 夏目忠雄1966.11.14-1973.10.18
- 柳原正之1973.11.11-1985.11.10
- 塚田佐1985.11.11-2001.11.10
- 鷲澤正一2001.11.11-2013.11.10
- 加藤久雄2013.11.11-2021.11.10
- 荻原健司2021.11.11-
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