洛陽名園記
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『洛陽名園記』(らくようめいえんき)は、中国北宋時代の済南の詩人・李格非が撰じた、当時洛陽にあった19の名園の紹介文である。
取り上げられた名園
[編集]冨鄭公園
[編集]董氏西園
[編集]董氏東園
[編集]環渓
[編集]劉氏園
[編集]叢春園
[編集]天王院花園子
[編集]帰仁園
[編集]苗帥園
[編集]趙韓王園
[編集]李氏仁豊園
[編集]松島
[編集]東園
[編集]紫金台張氏園
[編集]水北胡氏園
[編集]大字寺園
[編集]- 大字寺園唐白楽天園也。楽天云、吾有第、在履道坊。五畝之宅、十畝之園。有水一池、有竹千竿。是也。
- 今、張氏得其半、為会隠園。
- 大字寺園は唐の白楽天の園なり。楽天云う、われ第あり、履道坊に在り。五畝の宅、十畝の園。水一池あり、竹千竿あり。これなり。今、張氏がその半を得、会隠園と為す。
1992年に履道里の白居易故居遺跡の発掘調査が行われ、古伊水路と池沼の遺跡、壁の基礎と排水路の磚が残されている。[1]
独楽園
[編集]湖園
[編集]湖園の項の冒頭の部分は有名で、兼六園の名前の由来となった。
- 洛人云、園圃之勝、不能相兼者六
- 務宏大者少幽邃、人力勝者少蒼古、多水泉者艱眺望
- 兼此六者、惟湖園而已[2]
- 洛人云、園圃之勝、不能相兼者六
- 洛人の云う、園圃の勝、相い兼ねるあたわざるは六。
- 宏大を務むるは幽邃少なし、人力勝れるは蒼古少なし、水泉多きは眺望艱し。
- この六を兼ねるは、ただ湖園のみ。
呂文穆園
[編集]呂文穆園は、宋の宰相の呂蒙正(諡は文穆)の晩年の邸宅の庭園である。