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村井七郎

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村井 七郎(むらい しちろう、1917年4月13日 - 1993年2月21日)は、日本大蔵官僚大阪府出身。

東京府立第一中学校第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。大蔵省入省(管財局配属[1])。為替局資金課長為替局企画課長、金沢国税局長大臣官房財務調査官(国際金融局担当)、財務参事官などを経て、1968年6月より国際金融局長。 同期に宮澤喜一がいた。宮澤とは、日米学生会議に参加した当時から公私に渡り懇意にしていた。退官後、三和銀行副頭取。日本ASEAN投資株式会社(現日本アジア投資株式会社)初代代表取締役社長。

弟に日銀出身でわかもと製薬社長の村井八郎。義父は東京高等商業学校一橋大学の前身)出身の経済学者大西猪之介。義母は大西美穂(水梨岩太郎の娘)。娘婿は元国税庁長官、前公正取引委員会委員長竹島一彦

脚注

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  1. ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、344頁

関連文献

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  • 高橋和宏「村井七郎と国際金融:財政史口述記録から」『防衛大学校紀要 人文科学分冊 107号』2013年 NAID 40020286710