李愬
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李 愬(り そ、Li_Su_大暦8年(773年)-長慶元年(821年))は唐末の将軍。
字は元直。洮州の臨潭(今の甘粛省臨潭)の人。徳宗時代の名将李晟の子。
生涯
[編集]唐の憲宗の元和9年(814)呉元済が申・光・蔡の3州を占拠した。
唐の政府は軍隊を動員して討伐したが、何年もこれに勝つことができなかった。
李愬は自分から進んで参戦を願い、元和11年(816)、唐(今の河南省汝陽)・隋(今の湖北省隋県)・鄧(今の河南省鄧県)の節度使に任命された。就任後、表面では軍事を放置して、相手を油断させつつ、ひそかに兵士を訓練し、投降してきた兵士を優遇した。
翌年冬、雪の夜に乗じて蔡州を奇襲し、呉元済を捕らえたが、この戦いは戦史における奇襲の模範例となった。
戦功により国公に封じられ、のち武寧・昭義・魏博などの鎮の節度使に歴任した。
参考文献
[編集]- 孟慶遠主編 小島晋治訳『中国歴史文化事典』(新潮社、1998年)