尾形英夫
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尾形 英夫(おがた ひでお、1933年2月20日 - 2007年1月25日[1])は、TMF代表取締役社長、元徳間書店常務取締役、『アニメージュ』初代編集長。宮城県気仙沼市出身。
来歴
[編集]宮城県気仙沼市松岩出身。宮城県気仙沼高等学校、明治大学卒業。
1961年に徳間書店入社後『アサヒ芸能』編集長などを経て、日本初のアニメ専門雑誌『アニメージュ』を創刊し初代編集長。誌名の由来は「animation」と「image」をミックスさせ、「アニメージュ」(Animage)とした。
アニメーターに目を掛け、漫画家として発掘するという手法を実践し特集号を多く組み、部数増加に成功。宮崎駿『風の谷のナウシカ』を『アニメージュ』(1982年 - 1994年)で連載させ、1984年春公開の同劇場版アニメ『風の谷のナウシカ』や、1986年夏公開の『天空の城ラピュタ』でプロデューサーをつとめる。安彦良和原作・監督『アリオン』も1986年春に劇場アニメ化に際し、製作担当で多く特集号を出した。
『ナウシカ』は連載開始前、当時宮崎駿が『名探偵ホームズ』の仕事で、多忙を極めていたため、企画断念を進言されたが「月に3ページだけでもかまわない」と連載にこぎつけた。のちスタジオジブリの設立に携わり、数々のジブリ作品のプロデュースを手がけ、その発展に貢献した。
「スーパー戦隊シリーズ」の名付け親も尾形本人である。
職歴
[編集]- 1961年4月1日 - 明治大学政経学部卒業、徳間書店に入社。
- 1978年5月26日 - 『月刊アニメージュ』の初代編集長。
- 1994年3月31日 - 徳間書店を退社。
- 2004年4月1日 - TMF代表取締役社長。
- 2007年1月25日 - 胃癌のため死去[1]。
プロデュース作品
[編集]- 1984年
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- 風の谷のナウシカ(企画)
- 1985年
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- 戦国魔人ゴーショーグン 時の異邦人(プロデューサー)
- 天使のたまご(企画)
- 1986年
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- 天空の城ラピュタ(企画)
- GREY デジタル・ターゲット(企画)
- アリオン(製作)
- 1987年
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- 大魔獣激闘 鋼の鬼(企画)
- デジタル・デビル物語 女神転生(プロデューサー)
- 1988年
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- 銀河英雄伝説 わが征くは星の大海(企画)
- 神州魑魅変(企画)
- となりのトトロ(企画)
- 遠山桜宇宙帖 奴の名はゴールド(企画)
- 1989年
- 1990年
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- 魔獣戦線(企画)
- 亜人戦士(企画)
- 毎日が日曜日(企画)
- 1991年
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- おもひでぽろぽろ(企画)
- 1992年
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- アップフェルラント物語(企画)
- 紅の豚(エグゼクティブプロデューサー)
- 1993年
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- ちょっとだけよ ランジェリーコンペ大作戦(企画)
- 銀河英雄伝説 新たなる戦いの序曲(企画)
- 海がきこえる(企画)
- 1994年
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- けんか屋 伝説の裏ケンカ師!無敗伝説(プロデューサー)
- 平成狸合戦ぽんぽこ(企画)
著書
[編集]- 尾形英夫『あの旗を撃て! 『アニメージュ』血風録』オークラ出版、2004年11月。ISBN 978-4-7755-0480-2。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c “アニメージュ創刊編集長 尾形英夫氏逝去(1/26)”. アニメ!アニメ!. イード (2007年1月26日). 2022年12月10日閲覧。