宮沢章夫
みやざわ あきお 宮沢 章夫 | |||||
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生年月日 | 1956年12月9日 | ||||
没年月日 | 2022年9月12日(65歳没) | ||||
出生地 | 静岡県掛川市 | ||||
職業 | 劇作家、演出家、作家、早稲田大学文学学術院教授 | ||||
ジャンル | 演劇、小説、批評 | ||||
配偶者 | あり | ||||
公式サイト | u-ench.com PAPERS | ||||
主な作品 | |||||
『ヒネミ』(1992年) | |||||
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宮沢 章夫(みやざわ あきお、1956年12月9日 - 2022年9月12日)は、日本の劇作家、演出家、作家。遊園地再生事業団主宰。早稲田大学文学学術院教授。
来歴
[編集]1956年、静岡県掛川市生まれ[1]。多摩美術大学美術学部建築科中退。大学在学中、映像演出研究会で8ミリ映画の制作をする。大学を中退し、それからしばらく定職に就かなかったものの、24歳になってから執筆活動を開始した[2]。1985年、大竹まこと、きたろう、斉木しげる、いとうせいこう、竹中直人、中村ゆうじらとパフォーマンスユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を結成して活動した[3]。1988年、放送関連の仕事などそれまでしていた仕事をすべて辞め、マダガスカルに数ヶ月滞在した[4]。
帰国後の1990年、作品ごとに俳優を集めて演劇を上映する劇団「遊園地再生事業団」を設立し、主宰に就任[3]。1992年に発表した「ヒネミ」で岸田國士戯曲賞を受賞[3]。小説「サーチエンジン・システムクラッシュ」は、第122回芥川賞、第13回三島由紀夫賞の候補にもなった[5]。10年以上にわたって『一冊の本』に連載し続けた「横光利一「機械」論」をまとめた『時間のかかる読書―横光利一『機械』を巡る素晴らしきぐずぐず』で、2010年に第21回伊藤整文学賞を受賞[3]。
2000年、京都造形芸術大学助教授となり、演劇活動を休止していたが、2003年に活動を再開した。2005年から2013年3月まで、早稲田大学文学学術院文化構想学部の客員教授を務めていた[2]。
2014年8月からNHK Eテレで毎週金曜23時より放送の『ニッポン戦後サブカルチャー史』(全10回放送)に講師として出演。2015年4月から2019年3月までNHKラジオ第一 平日午前8時5分より放送の『すっぴん!』に月曜パーソナリティーとして出演。
2019年に暴力事件を起こしたことで停職処分を受け、第64回岸田國士戯曲賞の選考を辞退した[6][7]。
2022年9月12日、うっ血性心不全のため死去[8]。65歳没。
作・演出(演劇)
[編集]- 『遊園地再生』(1990年)
- 『ヒネミ』(1992年)
- 『ヒネミの商人』(1993年)
- 『砂の国の遠い声』(1994年)
- 『箱庭とピクニック計画』(1994年)
- 『ヒネミ(再演)』(1995年)
- 『知覚の庭』(1995年)
- 『砂の楽園』(1996年)
- 『蜜の流れる地 千の夜のヒネミ』(1996年)
- 『あの小説の中で集まろう』(1997年)
- 『ゴー・ゴー・ガーリー!』(1998年)
- 『14歳の国』(1998年)
- 『砂に沈む月』(1999年)
- 『トーキョー・ボディー』(2003年)
- 『トーキョー/不在/ハムレット』(2005年)
- 『ニュータウン入口』シアタートラム(2007年9月21日 - 30日)
- 『ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所』座・高円寺(2010年10月15日 - 24日)
- 『トータル・リビング 1986-2011』にしすがも創造舎(2011年10月14日 - 24日)
- シティボーイズミックス PRESENTS『西瓜割の棒、あなたたちの春に、桜の下ではじめる準備を』世田谷パブリックシアター(2013年4月2日 - 13日)
- 新作歌舞伎『疾風如白狗怒涛之花咲翁物語。』(2013年)
- 『夏の終わりの妹』あうるすぽっと(2013年9月13日 - 22日)
- 新作歌舞伎『竜宮物語』『桃太郎鬼ヶ島外伝』(2015年)
- 『子どもたちは未来のように笑う』こまばアゴラ劇場(2016年9月3日 - 25日)
- 『14歳の国』(2018年)
著作
[編集]- 戯曲
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- 『ヒネミ』白水社、1993年
- 『14歳の国』白水社、1998年
- 『月の教室』白水社、2001年
- 小説
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- 『彼岸からの言葉』角川書店、1990年 のち文庫、新潮文庫
- 『サーチエンジン・システムクラッシュ』文藝春秋、2000年 のち文庫
- 『不在』文藝春秋、2005年
- 『ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集』新潮社、2011年
- エッセイ
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- 『牛への道』新潮社、1994年 のち文庫
- 『考える水、その他の石』同文書院、1995年 のち白水社
- 『スチャダラ2010年』白水社、1997年
- 『わからなくなってきました』新潮社、1997年 のち文庫
- 『茫然とする技術』筑摩書房、1999年 のち文庫
- 『百年目の青空』マガジンハウス、1999年 改題『よくわからないねじ』新潮文庫
- 『青空の方法』朝日新聞社、2001年 のち文庫
- 『牛乳の作法』筑摩書房、2002年 のち文庫
- 『『資本論』も読む』WAVE出版、2005年
- 『チェーホフの戦争』青土社、2005年 のちちくま文庫
- 『レンダリングタワー』アスキー、2006年 『アップルの人』新潮文庫
- 『演劇は道具だ』理論社・よりみちパン!セ、2006年 のちイースト・プレス
- 『東京大学「80年代地下文化論」講義』白夜書房、2006年。増補版・河出書房新社 2015年
- 『東京大学「ノイズ文化論」講義』白夜書房、2007年
- 『時間のかかる読書―横光利一『機械』を巡る素晴らしきぐずぐず』河出書房新社、2009年 のち文庫
- 『考えない人』新潮社、2010年 のち文庫
- 『素晴らしきテクの世界』筑摩書房、2012年
- 『長くなるのでまたにする。』幻冬舎、2015年
共著
[編集]- 『NHKニッポン戦後サブカルチャー史』NHK「ニッポン戦後サブカルチャー史」制作班共編著 NHK出版、2014年
メディア出演等
[編集]- 林美雄 空白の3分16秒(TBSラジオ、・2013年12月27日 - )
- すっぴん!(NHKラジオ、月曜担当・2015年3月30日 - )
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 日本放送協会. “宮沢章夫さん死去 65歳 劇作家や演出家 小説家など幅広く活躍 | NHK”. NHKニュース. 2022年9月30日閲覧。
- ^ a b “宮沢 章夫 - メンバー”. u-ench.com PAPERS. 遊園地再生事業団. 2022年9月20日閲覧。
- ^ a b c d “劇作家、演出家の宮沢章夫さん死去 「ヒネミ」「砂の国の遠い声」:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2022年9月20日). 2022年9月30日閲覧。
- ^ “宮沢章夫 | 著者プロフィール”. www.shinchosha.co.jp. 新潮社. 2022年9月30日閲覧。
- ^ “「時間のかかる読書」「わからなくなってきました」…宮沢章夫さん死去、65歳”. 読売新聞オンライン (2022年9月20日). 2022年9月30日閲覧。
- ^ “60代教授を停職2カ月=イベントでパワハラ-早大”. 時事ドットコム. 時事通信社 (2019年4月19日). 2019年4月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月25日閲覧。
- ^ "岸田國士戯曲賞の運営につきまして". 白水社. 白水社. 2020年3月18日. 2020年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月20日閲覧。
- ^ “宮沢章夫、うっ血性心不全のため65歳で死去”. ステージナタリー. ナターシャ (2022年9月20日). 2022年9月20日閲覧。
外部リンク
[編集]- u-ench.com PAPERS - 遊園地再生事業団の公式ウェブサイト。
- 宮沢章夫(笑ってもピンチ) (@aki_u_ench) - X(旧Twitter)
- 早稲田大学 文学学術院 - 早稲田大学文学学術院の公式ウェブサイト。
- 宮沢章夫×岸建太朗(映画監督)対談/CINRA.NET2010年7月21日掲載