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土井助三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
土井 助三郎
(どい すけさぶろう)
人物情報
生誕 (1867-03-11) 1867年3月11日
日本の旗 日本
東京府
死没 1925年2月15日(1925-02-15)(57歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 化学
研究機関 山口高等中学校
石川県工業学校
名古屋高等工業学校
大阪工業高等学校
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土井 助三郎(どい すけさぶろう、慶応3年2月6日1867年3月11日) - 大正14年(1925年2月15日[1])は、日本化学者教育者

経歴

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1867年東京府生まれ。1887年明治20年)、東京帝国大学理科大学応用化学科を卒業。1889年(明治22年)より山口高等中学校教諭となり、1899年(明治32年)からは石川県工業学校校長を務めた。1903年(明治36年)より応用科学研究のためイギリスフランスドイツに留学した。帰国後の1905年(明治38年)からは名古屋高等工業学校校長に就任した。さらに1918年(大正7年)からは大阪工業高等学校校長に転じた。

脚注

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  1. ^ 『官報』第3746号、大正14年2月19日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。