千歳御門
千歳御門(埋門) | |
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千歳御殿跡から富山城址公園内に移設された千歳御門 | |
情報 | |
用途 | 1849年に建造された千歳御殿の正門 |
構造形式 | 総欅造の薬医門 |
高さ | 6間(約3m) |
竣工 | 嘉永2年(1849年) |
座標 | 北緯36度41分35.991秒 東経137度12分44.567秒 / 北緯36.69333083度 東経137.21237972度座標: 北緯36度41分35.991秒 東経137度12分44.567秒 / 北緯36.69333083度 東経137.21237972度 |
文化財 | 富山市指定文化財(建造物) |
指定・登録等日 | 平成20年(2008年)10月29日 |
千歳御門(ちとせごもん)は、富山県富山市の富山城址公園内にある歴史的建造物である。もともと、埋門(うずみもん)と呼ばれていた[1]。
平成20年(2008年)10月29日に富山市指定文化財に指定されている [2]。
概要
[編集]嘉永2年(1849年)に前田利保が隠居のために富山城内に造営した千歳御殿の正門として建てられた[1]。 千歳御殿の本体は安政2年(1855年)の大火で焼失して現存していない[3]が、千歳御門はこの焼失から免れ残ったと考えられており[4][3]、富山城唯一の現存建築遺構である[5]。なお、創建当初のものではなく安政2年(1855年)の大火で焼失後の再築との説もあったが、富山城址公園への移築工事中に柱に「嘉永二年酉 七月上旬出来」との墨書([1]に写真あり)が発見され、千歳御殿建築当時のものであることが確認された[6]。
明治5年(1872年)に千歳御殿が解体された際[3]、千歳御門は富山市米田の豪農に払下げられ、郊外に移築された[5][7]。そのため、移築前の元の場所を襲った大火や空襲を免れ残ることができた[7]。所有者が平成17年(2005年)に[要出典]富山市に寄贈。平成18年(2006年)から平成20年(2008年)にかけて富山城址公園内に移築され[4]、平成24年(2012年)4月より常時開門を開始して城址公園の新たな玄関口となった[8]。 千歳御門が元々建造された富山市桜木町は、この地より東に約100メートル離れた場所である[7]。当時は西向きに建てられていたが、現在は東向きに建てられている[7]。
門は総欅造り[7]で、門形式は三間薬医門(さんげんやくいもん)といわれる格式の高い城門建築[5]で、桁行(正面)が約6mで梁間(側面)が約2m[7][9]である。現存する同形式の門は東大の赤門(旧 加賀屋敷御守殿門)だけとされる[5]。
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正面から見た千歳御門
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内側から見た千歳御門
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富山城天守閣から見る千歳御門
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千歳御門が元々建造された富山市桜木町の跡地
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千歳御門の屋根
出典
[編集]参考文献
[編集]- 富山市郷土博物館 編『再現千歳御殿 : 富山市郷土博物館特別展 : 130年ぶりに堂々の帰城!千歳御門移築記念』富山市郷土博物館、2007年、30頁 。
- 富山市郷土博物館 編『富山城ものがたり : 富山市郷土博物館常設展示図録』富山市郷土博物館、2007年、71頁 。
- 北日本新聞社編集局 編『富山城探訪 : 越中460年を行く』北日本新聞社、2010年、118頁。ISBN 9784861750472。
- “富山市の文化財 第 4 号”. 富山市教育委員会 生涯学習課 (2013年3月29日). 2015年9月23日閲覧。
- “富山市の文化財 第 1 号”. 富山市教育委員会 生涯学習課 (2010年3月31日). 2015年9月23日閲覧。