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十勝岩豊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

十勝岩 豊(とかちいわ ゆたか、1919年1月10日 - 1979年2月12日)は、北海道十勝郡大津村(現在の広尾郡大樹町)出身(出生地は北海道中川郡本別村(現在の足寄郡陸別町))で二所ノ関部屋(一時期二子山部屋)に所属した大相撲力士。本名は三好 豊(みよし ゆたか)。現役時代の体格は176cm、105kg。得意手は左四つ、寄り、吊り。最高位は西前頭筆頭(1945年6月場所)[1]

来歴・人物

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全国青年学校相撲大会の北海道代表選手として活躍し、1938年(昭和13年)7月、二所ノ関部屋へ19歳を過ぎて入門した。初土俵は翌1940年(昭和14年)1月場所。序ノ口序二段で連続優勝、幕下まで各1場所で通過し幕下もわずか3場所で通過して、1943年(昭和18年)1月場所で十両昇進した。この頃には“羽黒山二世”と呼ばれ、1944年(昭和19年)5月場所にて新入幕を果たし、将来を大きく嘱望された[1]

左四つからの寄り、腕力にまかせて吊りを得意とした。だが、膝の負傷と神経痛のために三役には昇進できずに終わり、1951年(昭和26年)5月場所限りで引退した[1]四股名は出身地の「十勝郡」に因み、初土俵から引退するまで四股名を変えることはなかった。

引退後は年寄湊川を襲名して二所ノ関部屋から分家独立、湊川部屋を興して幕内・大龍などを育てたが、部屋別総当たり制を機に1964年(昭和39年)11月場所限りで部屋を閉じ、二所ノ関部屋の部屋付き親方となった。

1975年(昭和50年)に二所ノ関親方(元大関佐賀ノ花)が亡くなり、分家独立していた元横綱大鵬と部屋付き親方の押尾川親方(元大関・大麒麟)による後継者争いが決まらなかったため、二所ノ関一門の最長老として元・十勝岩の湊川が暫定的に二所ノ関を引き継ぎ、約10年ぶりに部屋師匠に就いた。
当初は一定期間で後継者は決まると思われていたが、先代未亡人が部屋の関脇金剛に部屋を継がせたかったために後継者争いが長期化し、1年4ヵ月後にようやく決着し、二所ノ関部屋の部屋付きとして元の湊川に戻った。

1979年(昭和54年)2月12日、癌性胸膜炎のため東京都済生会中央病院で死去。60歳没[2]

主な成績・記録

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  • 幕内在位:17場所
  • 幕内成績:91勝103敗17休 勝率.469
  • 現役在位:28場所
  • 通算成績:156勝131敗17休 勝率.544
  • 各段優勝
    • 序二段優勝:1回(1940年5月場所)
    • 序ノ口優勝:1回(1940年1月場所)

場所別成績

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十勝岩 豊
春場所 夏場所 秋場所
1939年
(昭和14年)
(前相撲) (前相撲) x
1940年
(昭和15年)
西序ノ口24枚目
優勝
7–1
東序二段27枚目
優勝
8–0
x
1941年
(昭和16年)
東三段目5枚目
7–1 
西幕下24枚目
4–4 
x
1942年
(昭和17年)
西幕下21枚目
6–2 
西幕下3枚目
6–2 
x
1943年
(昭和18年)
西十両10枚目
7–8 
西十両13枚目
10–5 
x
1944年
(昭和19年)
東十両4枚目
10–5 
東前頭17枚目
6–4 
東前頭6枚目
5–5 
1945年
(昭和20年)
x 西前頭筆頭
1–5–1 
西前頭10枚目
2–3–5 
1946年
(昭和21年)
x x 西前頭16枚目
7–6 
1947年
(昭和22年)
x 東前頭11枚目
7–3 
東前頭7枚目
4–7 
1948年
(昭和23年)
x 東前頭11枚目
9–2 
西前頭3枚目
3–8 
1949年
(昭和24年)
西前頭9枚目
9–4 
西前頭4枚目
8–7 
東前頭2枚目
6–9 
1950年
(昭和25年)
西前頭6枚目
7–8 
西前頭7枚目
7–8 
東前頭9枚目
7–8 
1951年
(昭和26年)
東前頭10枚目
3–12 
東前頭17枚目
引退
0–4–11
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
愛知山 2 4 明瀬川 1 0 安藝ノ海 0 1 東冨士 1 3
五ツ海 2 5 因州山 2 0 大岩山 0 1 大内山 1 2
大熊 3 1 大起 4 2 大昇 0 1 大晃 1 1
大蛇潟 1 1 鏡里 1 0 笠置山 1 0 鹿嶋洋 1 0
清恵波 2 2 清美川 1 0 九ヶ錦 1 0 九州錦 2 2
国登 0 1 高津山 1 1 小坂川 1 0 相模川 1 3
櫻錦 5(1) 3 汐ノ海 2 4 信夫山 1 1 清水川 2 1
鯱ノ里 1 1 信州山 1 1 神東山 1 0 千代ノ山 1 3
常ノ山 1 1 照國 0 3 輝昇 1 1 出羽錦 1 3
時津山 1 1 栃錦 1 5 豊嶋 1 0 豊錦 1 0
鳴門海 1 0 羽黒山 0 1 羽嶋山 1 6 備州山 1 2
広瀬川 3 4 藤田 1 0 二瀬山 3 2(1) 不動岩 2 3
前田山 0 2 増位山 2 4 増巳山 1 0 松ノ里 1 1
三根山 0 2 緑國 2 1 緑嶋 2 0 宮城海 1 2
陸奥ノ里 2 1 八方山 4 4 吉井山 1 1 吉田川 0 1
吉葉山 0 1 若嵐 1 0 若潮 2 0 若瀬川 2 3
若葉山 4 3 若港 1 0
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。

年寄変遷

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  • 湊川 豊(みなとがわ ゆたか)1951年5月-1975年4月
  • 二所ノ関 豊(にしょのせき -)1975年4月-1976年9月
  • 湊川 豊(みなとがわ -)1976年9月-1979年2月(死去)

脚注

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  1. ^ a b c ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p35
  2. ^ 訃報欄 湊川豊『朝日新聞』1979年(昭和54年)2月13日朝刊 13版 23面

関連項目

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