京北町
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けいほくちょう 京北町 | |||||
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廃止日 | 2005年4月1日 | ||||
廃止理由 |
編入合併 京北町→京都市 | ||||
現在の自治体 | 京都市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 近畿地方 | ||||
都道府県 | 京都府 | ||||
郡 | 北桑田郡 | ||||
市町村コード | 26381-8 | ||||
面積 | 217.68 km2 | ||||
総人口 |
6,749人 (2004年3月31日) | ||||
隣接自治体 | 京都市、美山町、八木町、日吉町 | ||||
町の木 | スギ | ||||
町の花 | シャクナゲ | ||||
京北町役場 | |||||
所在地 |
〒601-0292 京都府北桑田郡京北町大字周山小字上寺田1-1 | ||||
外部リンク | 右京区役所 京北地域 | ||||
座標 | 北緯35度09分19秒 東経135度38分00秒 / 北緯35.15519度 東経135.63339度座標: 北緯35度09分19秒 東経135度38分00秒 / 北緯35.15519度 東経135.63339度 | ||||
ウィキプロジェクト |
京北町(けいほくちょう)は、かつて京都府の北部に存在した町。北桑田郡に属した。
現在の京都市右京区の一部であり、町名に「京北」を冠する区域にあたる。
地理
[編集]京都市に北接し、全域が丹波高地に含まれる。(丹波)
河川
[編集]- 上桂川…桂川の上流域
- 弓削川…上桂川の支流
- 細野川…上桂川の支流
歴史
[編集]- 1955年(昭和30年)3月1日 - 北桑田郡周山町・宇津村・黒田村・細野村・山国村・弓削村が新設合併して発足。
- 1957年(昭和32年)4月1日 - 大字広河原(旧黒田村の一部)が京都市(左京区)に編入される。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 京都市(右京区)に編入される。同日京北町廃止。
産業
[編集]林業
[編集]町域のほとんどが森林で、北山杉の磨丸太などの産地として林業が盛んである。町内を桂川が横断して京都嵯峨などに接続しているため、古代より水運を利用した京都の重要な材木供給地であった。
歴代町長
[編集]- 石浦逸治(〜1961年)
- 小畠逸良(1961年〜1975年)
- 平岩祐夫(1975年〜1985年)
- 村山正美(1985年〜1989年)
- 野上茂(1989年〜1997年)
- 石浦道男(1997年〜)
その他
[編集]「納豆もち」の発祥地としても有名である。
姉妹都市・提携都市
[編集]国内
[編集]海外
[編集]教育
[編集]保育所
[編集]- 周山保育所
- 弓削保育所
- ひかり保育所
小学校
[編集]中学校
[編集]高等学校
[編集]大学
[編集]- 花園大学京北キャンパス
交通
[編集]町内は鉄道が通らない。
路線バス
[編集]- 西日本ジェイアールバス 高雄・京北線(京都駅 - 二条駅 - 高雄 - 栂ノ尾 - 周山)
- 京北町営バス : 京都市編入後はきょうと京北ふるさと公社に移管し、「京北ふるさとバス」の呼称で運行を継続している。
主な道路
[編集]一般国道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]京都市への編入の経緯
[編集]- 2002年(平成14年)5月〜6月 - 京都市への編入を要望する署名活動が行われ、町内有権者の8割を越える署名が集まる[1]。
- 2002年(平成14年)11月7日 - 署名を受け、京北町が京都市に対し編入合併を申出。
- 2003年(平成15年)10月 - 京都市と京北町による法定合併協議会設置。
- 2004年(平成16年)8月9日 - 法定合併協議会により合併が正式決定。京北町側の意志により、議員の定数特例不採用もあわせて決定[2]。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 京都市右京区に編入される。
出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ 京都市への合併を要望する声がこれだけ多かった背景には、これより前に京北町を含む府内中部の複数町で合併を模索する動き(のちに南丹市・京丹波町となる)が出ており、これらの町よりも京都市との生活圏等のつながりが強い京北町民にとまどいが生じていたこと、また、かねてより京都市への編入が昭和の大合併以来の悲願だったと言われていたことなどがあげられている
- ^ 京都市と京北町の人口比は極めて大きい(2004年(平成16年)の推計人口:京都市1,464,238人、京北町6,749人)ため、合併した場合京都市会の議席増は行われない計算となっていた。もし特例を採用した場合、合併後2〜6年にわたり旧京北町エリアから1人の市会議員を選出出来るが、合併申出時、京北町議は「合併は町民の願いであり、我々全員が失職し再選の見込みもないことは覚悟している」といった趣旨の発言をしており、京北町側の合併への強い思いと悲壮な覚悟として反響を呼んだ。
- ^ “京産大の北山亘基投手は日本ハムから8位指名 ドラフト会議|スポーツ|地域のニュース|京都新聞”. 京都新聞. 2021年12月24日閲覧。